福岡地方裁判所 昭和32年(わ)631号 判決 1958年6月23日
被告人 柴田功
主文
被告人を懲役四月に処する。
但し本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用中証人平川浩、同中園正人(以上差戻前の第一審と当審)証人酒見竹一、同吉田治平、同下川良治、同平野清、同牧一生、同立花高光、同井上侃二、同中島寧綱(以上差戻前の第一審)国選弁護人荒木新一(差戻前の控訴審)に支給した分は被告人の負担とする。
本件公訴事実中起訴状二記載の司法巡査酒見竹一に対する公務執行妨害、傷害の点は、被告人は無罪。
理由
(本件に至る経過)
全日本自由労働組合福岡県支部においては、昭和二十九年六月二十六日付文書を以て福岡県知事に対し、日雇労務者生活困窮者に十日分の越盆資金支給、月間就労日数二十五日確保等の要求をなし、右組合代表者十五名は同年七月二日、八日の両日に亘り県知事、労働部長、職業安定課長等、県当局者との間に団体交渉を重ねたが県側は組合側の右要求中月間就労日数については二十二日を確約したのみで越盆資金の支給については、全面的にこれを拒絶し交渉を一応打切つた。
そこで右組合県支部では前記要求貫徹のため、さらに強力な大衆運動を展開せんとの方針に基ずき、同月二十七日右支部傘下組合員を動員し、これに応じて同日午前十時頃には福岡市天神町の水上公園(県庁前所在)に約五百名が集合し同所において気勢を上げた後午後一時頃から組合旗を先頭にスクラムを組み掛声諸共福岡県庁に至り午後三時半頃より同庁舎内知事応接室において、県側より前回同様県知事、労働部長、職業安定課長、組合側は、藤本支部長以下三十二名の交渉団が列席して、前記組合側要求について団体交渉を再開したが双方譲らず交渉は難渋するうち午後四時四十分頃交渉経過を見守りながら庁舎前広場に待機中の右組合員多数が知事応接室周辺においてデモ行進を繰返して示威の勢を昂めるや、県知事はこれに憤慨し卒然として退席したため、その後は場所を出納長室に移して県知事を除く前記県側出席者両名に出納長が加わり、専ら事情の説明に当り、かたわら緒方、細谷、小宮の三福岡県会議員が仲介をつとめ事態の収拾を計つたが、組合側は飽くまで知事の出席を要求して交渉は膠着状態に陥り、午後六時頃になると他の右支部組合員多数が続々と参集し総数千数百名にも上り、これら組合員は県庁各出入門にピケを張つて県職員の出入を阻止すると共に午後七時過ぎ頃には約千名が右県庁の裏側に接続して存する県知事公舎に押かけ閉鎖した表門を乗り越えて閂を取り去り邸内に押入り同所においてデモ行進を行つて同知事の出席を迫り、他方交渉続行中の出納長室前廊下及びその周辺には二十名ないし三十名が坐り込み夜を徹して同庁舎を占拠しようとする勢を示し、右交渉に出席した前記県側職員三名は同室に閉じ込められて翌朝(二十八日)まで交渉継続を余儀なくされた。
(罪となるべき事実)
被告人は右組合県支部福岡地区分会に属する組合員で青年行動隊の一員であるが、前記全日本自由労働組合福岡県支部の越盆資金獲得闘争に際し、福岡警察署警備係巡査、中園正人(当四十年)が同年七月二十七日午後九時四十分頃、上司矢野警備課長の命により、情報蒐集、違法事犯の発生予防に当る目的をもつて、県庁舎内及びその周辺の組合員の動静を査察すべく同署巡査部長平川浩と共に県庁舎南側入口を這入つたところ、間もなく右交渉現場の出納長室内より大声がするのを知つたので同室の内外の事情を査察すべく右出納長室前の階段を登つていたところ、同室前にいた被告人はかねて顔見知りの中園巡査を認めるや同巡査を指さし「こ奴は警察のスパイだ。逃すな、捕えろ」と怒号しながら同巡査目がけて飛びかかつて行き、前記階段下廊下において同巡査の右腕を把え、「お前達は何しに来たか、帰れ、写真機を取上げろ」等と難詰し、これに応じて同巡査を取巻いた同所附近にいた多数組合員と共に交々同巡査を何回となく手拳で殴打しさらに足蹴にする等の暴行を加え、因つて同巡査に対し全治七日間を要する左大腿部外側皮膚腫張等の傷害を与え、もつて、右巡査の前記職務の執行を妨害したものである。
(証拠の標目)(略)
(無罪)
本件公訴事実中起訴状二記載の「被告人は同時刻頃、前記出納長室前附近廊下において前記事態に対処し前同様の職務を帯びて同所附近を警戒中の同署勤務巡査酒見竹一(当三十年)を発見するやそいつも警察のスパイだ等怒号し附近の同組合員多数と共謀の上、同巡査を捕え、手拳をもつて数回その頭部背部等を殴打しかつその場に突倒した上数回足蹴する等の暴行を加え因て同巡査に全治二週間を要する左側腹部打撲傷を与えて同巡査の公務の執行を妨害したものである」との点については、その唯一の証拠ともいうべき差戻前第一審裁判所が取調べた松原作兵衛の検察官に対する第一、第二回供述調書はいずれも信憑力に乏しく到底措信し得ないところであり他に右事実を認むべき証拠は全く存しないから犯罪の証明がないといわなければならない。
(訴訟関係人の主張に対する判断)
弁護人の法律上の主張のうち
先ず本件における警察官の団体交渉現場の査察は適法な公務の執行とは認められず被告人の本件所為も刑法第九十五条の構成要件に該当しないとの点について按ずるに、およそ刑法第九十五条にいわゆる「職務の執行」であるためには、その職務執行々為が公務員の一般的権限に属することのほかに、その行為を為し得る法定の具体的条件を具備することを要すると解すべきである。しかして警備係巡査中園正人が本件事犯発生場所に立入つたのは前記判示の通り交渉現場及びその周辺における組合員の動静を査察内偵して警備情報を蒐集しその結果を本署に連絡し、犯罪発生の危険性が認められるときは適宜その予防等に当る目的に出でたものであり、(本件に至る経過)の部で認めた本件事犯発生当日の団体交渉の規模、態様、経過等(県庁舎は特段の事由のない限り何人と雖も一般に出入自由であり本件当時右特別事由の存したことも認められないこと、本件立入は特に身分を秘する意図の下になされたものでもなく庁舎管理者の意思に反してなされたとも認められないことをも)の具体的諸条件を綜合判定するときは、中園巡査の右所為は前述の諸要件を具備している適法な職務の執行と断定すべきであり、従つて、これに対し公務執行妨害罪及び傷害罪の成立すること勿論である。この点に関する前記主張は理由がない。
次に被告人の本件所為は憲法第二十八条労働組合法第一条に基く正当な団体行動権の行使であり刑法第三十五条により違法性を阻却するとの主張について考察すると暴力の行使が正当な行為と解釈されてならないことは労働組合法第一条第二項にも明示するところであり憲法第二十八条の保護をも受けえないこと理の当然である。その他本件被告人の所為について違法性を阻却すべき実質的な理由を発見し得ないから右主張も採用に由ない。
更に本件被告人の所為は当時の附随的具体的情況上被告人に右以外の処置を期待することは不可能な状態にあり従つて被告人は責任を阻却する旨主張するのでこの点につき検討するに、本件当時現場附近に参集していた組合員の多くは日頃警察官の情況査察に対し官憲による自由労務者の集会団体交渉デモ行進等の抑圧であると考えてこれに反感を抱いていたところ、福岡県では他県に遅れて交渉が難渋し妥結の端緒すら見出し得ない状態にあつたため、組合員の疲労、焦燥感が昂まりこれが交渉現場に警察官の出現を目撃して憤懣の情を一時に爆発させて本件犯行に及んだことが推認されるが、本件現場には警察官としては中園巡査の外に僅に平川巡査部長がいたに過ぎなかつたのであるから、その職務行為を実力をもつて排除しようとせば本件犯行のごとき所為に出ずとも容易に他に然るべき処置をとり得たと解すべきでありまた前記のごとき職務の執行として警察官が現場に出現したことによつて組合の団体活動が現に阻害され或いは阻害される虞れがあつたと認むべき証拠もないから右主張も理由がない。
なお弁護人は(一)警察法は法として適式に成立したものか否か疑問があるから中園巡査は国家警察の警察官ではない、従つて同人に対しては公務執行妨害罪は成立しないと主張するが独自の見解で採用に値しない(二)もし前記違法阻却事由が認められないとしても本件は正当防衛であり、仮に正当防衛にならないとしても緊急避難であると各主張するが、前段説示のごとく、急迫不正の侵害が存在したとか又は已むことを得ざるに出でたる行為であつたとかを認むるに足る事情は存しないから右主張はいずれも理由がない。以上の理由により弁護人の各主張はいずれも採用し難い。
(法令の適用)
法律に照すと、被告人の判示所為中公務執行妨害の点について刑法第九十五条第一項に、傷害の点について、同法第二百四条、罰金等臨時措置法第二条第三条に、附近の組合員多数と共謀の点は刑法第六十条に各該当するところ、右公務執行妨害、傷害の各所為は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから同法第五十四条第一項前段、第十条に則り重い傷害罪の刑により処断すべく右所定刑中懲役刑を選択しその刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処し、犯情その他諸般の事情を考慮して同法第二十五条第一項を適用して被告人に対し本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用中主文掲記の分につき刑事訴訟法第百八十一条第一項を適用して被告人に負担させることとする。
本件公訴事実中、起訴状二記載の司法巡査酒見竹一に対する公務執行妨害、傷害の点については犯罪の証明がないものとして同法第三百三十六条に従い被告人に対し無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 塚本富士男 山口定男 牧山市治)