福岡地方裁判所 昭和35年(ヨ)268号 判決 1961年4月08日
申請人 吉崎忠光
被申請人 株式会社瀬戸製作所
主文
一、申請人が被申請人に対して雇傭契約上の権利を有する地位を仮に定める。
二、申請費用は被申請人の負担とする。
(注、無保証)
事実
第一、当事者双の求める裁判
申請人訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、
被申請人訴訟代理人は、「申請人の申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする」との判決を求めた。
第二、申請の理由
一、被申請人は、鋳物の製造販売を業としている株式会社であり、申請人は昭和三十二年八月より被申請人会社に雇傭されている従業員である。
二、被申請人は、申請人に対し、昭和三十五年六月一四日企業縮少を理由として解雇する旨の意思表示をし、爾後、申請人を従業員として取り扱わずその就業を拒否している。
三、しかしながら、右解雇の意思表示は、次の理由により無効である。
(一) 不当労働行為
(1) 被申請人会社の全従業員五〇名余は従来労働組合を持たず全く労働基準法を無視した長時間労働が強要され、一方的な低賃金に押えられる等劣悪な労働条件下にあつた。申請人は組合結成の必要を感じ、昭和三四年八月頃から従業員等に呼びかけると共に、全国金属労働組合(以下単に全金属という)福岡地方本部と緊密なる連絡をとつて組合結成の準備にあたり、同年九月一一日従業員の大部分である三四名を以て全国金属労働組合瀬戸製作所支部(以下単に組合という)が結成され、委員長に深見重生、副委員長に安斉正雄、書記長に申請人がそれぞれ選任されて就任し、同時に全金属に加盟した。而して後記のように組合は昭和三四年一〇月一四日全金属を脱退し、申請人も亦同年一二月二三日書記長を辞任し、更に昭和三五年六月六日全金属に加盟し、同時に申請人も亦書記長に選任せられたが、申請人に対する解雇の意思表示後である同月一六日再び組合は全金属よりの脱退を記名投票によつて決議して脱退した。
(2) ところが従来封建的な徒弟制度方式によつて従業員を意のままに搾取し、一方的な低賃金と時間外協定も結ばないまま長時間労働をおしつけてきた被申請人会社は、従業員が組合を結成したこと、殊に全国的に強力な組織を持ち強い闘争力と闘争歴を持つ総評系の全金属に加盟したことを非常に嫌悪し、延いては全金属加盟えの急先鋒であり且つその支持者である申請人をも嫌悪し、
イ まず全金属から脱退させるため昭和三四年一〇月一四日被申請人会社の工場長代理堤義雄をして組合幹部、殊に深見委員長、安斉副委員長に働きかけさせ、深見委員長に対しては全金脱退資金を供与する等の懐柔策や、従来慣行として行われていた賃金前貸制度の徹廃等の威圧的方法を以て、全金属脱退の上全労に加盟するよう仕向けてきたため、申請人の強い反対を押し切つて組合としては当時の組織の実情等を考慮し、已むなく被申請人会社との関係において全金属脱退すなわち疑装脱退を組合の執行委員会のみで決めて、その旨被申請会社に通知した。
ロ 同年一二月一七日、年末一時金要求に関する被申請人会社との団体交渉は決裂したが、その夜深見委員長が堤工場長代理の説得を受けたことが原因となつて組合としても翌一八日会社案を受諾することになり該交渉は妥結した。而して該交渉に際しては他の執行委員、殊に深見委員長、安斉副委員長は、会社幹部とのつながりもあつて全く懇願する様な態度で終始したのに対し書記長であつた申請人は組合において決定した方針に従いストライキをも辞さないとの言辞を以て交渉に当つた。ところが予め約された右一時金の支給日である同月二二日に至つて被申請人会社代表者村上美豊(以下単に村上という)は深見委員長に対し申請人の書記長を解任しなければ同日一時金は支給しないと要求し、深見委員長これまたこれを易々として承諾したため、同日右一時金は支給された。深見委員長は同日夜申請人に自己の窮状を訴え、書記長辞任を要求したが申請人がこれを拒否したため、翌二三日昼、申請人の書記長辞任と書記長改選を行うため組合大会が開かれた。ところが申請人書記長再選という結果が出たため、このことに対し、深見委員長が「自分は社長と申請人を書記長から辞めさせることを約束したから社長に対して顔が立たない。委員長をやめる」と云い出し大会は混乱した。そこで同日午後五時過再び組合大会が開かれ、その席上深見委員長が組合員に対し右約束事項を説明して申請人を書記長に再選しない様強制し、その結果平が書記長に選出されたが、平は被申請人会社の好まぬ者であつたため次点の者たる井本を書記長とするに至つた。
ハ 被申請人会社は既に昭和三五年三月一〇日に申請人に対する「解雇通知書」を作成して準備し申請人を解雇する機を窺つていた。
(3) 申請人が書記長に再び選任された昭和三五年六月六日の組合大会において夏期一時金及び皆勤手当の要求をなすことを決めたので、申請人は直ちに被申請人会社にこれが交渉を開始した。
(4) 被申請人会社は昭和三五年六月当時においての業態は人員整理を必要とするほどの業態では全然なかつた。
(5) 以上すべての経過から見れば、申請人に対する解雇は、申請人が組合結成に努力し、結成後はその中心的存在として組合活動に従事したことを理由とするものであつて、企業縮少ということは単なる口実に過ぎず、従つてそれは労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為として無効である。
仮に本件解雇が不当労働行為でないとしても、何等理由のない解雇であるから解雇権の濫用として無効である。
四、以上のとおり申請人に対する解雇は無効であり、被申請人との間に今なお雇傭関係が継続しているのにかかわらず、被申請人から従業員として扱われないことは、被申請人からの賃金のみで生計を立てている申請人にとつて、被申請人を相手として本案訴訟を提起し、勝訴するのを待つていることができないほどいちじるしい損害を蒙つている。よつて地位保全の仮処分を求めるため本申請に及んだ。
第三、被申請人の答弁
一、申請人主張の申請の理由一の事実は認める。もつとも申請人が被申請人会社と雇傭関係にあつたのは昭和三二年九月一日以降本件解雇の意思表示をした日までである。
二、同二の事実はこれを認める。
三、同三の事実は、昭和三四年九月一一日被申請人会社の従業員中三四名を以て組合が結成され申請人が初代書記長に就任したこと、右組合結成まで被申請人会社の従業員は労働組合をもたなかつたことはこれを認めるが、その余を争う。
四、同四の事実を否認する。
五、本件解雇の理由は左のとおりである。
(一)(1) 被申請人会社の主なる事業である鋳物の生産受注量が、昭和三五年一月においては六一・九七九トンであつたが、二月四七・〇五六トン、三月四二・一九八トン、四月三八・九二二トン、五月二六・三九三トンと次第に減少し、これではある程度の従業員を整理しないと被申請人会社の経営が成り立たず、従業員も収入減少によつて生計がなりたたないものが出るという窮況に立ち至つたので、種々検討の上四名の従業員を解雇することにした。
(2) 右人員整理該当者選定については、解雇基準を、(イ)妻子等扶養家族を有するものは一応除外する。(ロ)作業態度の良否、(ハ)作業能率の良否、(ニ)工場内の配置転換の難易、(ホ)作業上の事故の有無、(ヘ)転職の難易という基準を定め、従業員全員について検討した上該当者として申請人外三名を選定したのであるが、申請人を選定したのは申請人が(イ)独身であり、(ロ)作業態度良くなく、(ハ)作業上の事故を起したことがあり、(ニ)工場内の配置転換に難点があり、(ホ)転職の可能性が多い等が理由に基くのである。
従つて、本件解雇は企業の破綻延いては従業員の生活を救う目的でなされたもので、解雇権を乱用したものでもなければ、不当労働行為を構成する筋合でもない。
(二) 本件解雇が右に基くものであることは、次のことによつても明かである。すなわち申請人の亡父は、被申請人会社代表者村上美豊の妻の遠縁に当り、亡兄は、二十数年前右村上の下で証券業に従事したことがあり、右の様な関係から村上は個人的に昔から申請人の母、姉等と親しい間柄にあつた。申請人は昭和三二年三月頃福岡工業高等学校化学科を卒業し、他に適当な就職口がなかつたので日本通運株式会社の下請会社で沖仲仕のような仕事をしていたところ、同年八月末頃申請人の母、姉が村上に申請人の就職の斡旋を依頼し、村上は、当時適当なところがなかつた関係上、化学工業方面の会社に申請人が就職出来る迄の間とりあえず申請人会社において仕事をさせることにし、同年九月一日より雇傭したものである。このような関係にあつたのであるから被申請人としては、申請人を不利益に取扱う筈はない。
以上のとおりで、被申請人と申請人との雇傭関係は既に修了しているのであるから、雇傭関係の存続を前提とする申請人の本件申請は失当である。
第四、被申請人の主張に対する申請人の反ばく、
一、解雇理由に関する被申請人の主張(一)の(1)の事実は、昭和三五年一月以降漸次鋳物生産の受注量が減少したことは認めるが、その余を争う。たとえ同年一月以降同年五月まで受注量が被申請人主張のとおりとしても、被申請人会社の昭和三四年度及びそれ以前の鋳物生産受注量は月平均二五トン乃至三〇トン程度であり、昭和三五年一ないし三月頃の数量に及んだことはない。しかも、被申請人会社は昭和三五年一月から五月迄一二名を新規採用し同期間の退職者を差引いても九名程度の増員になる。又被申請人会社においては、従業員に対し生活の最低保証賃金は保障しているのであるから従業員の生活が成りたたないとの理由はない。従つて当時人員整理を必要とする状態になかつたものである。
二、同(一)の(2)の事実は否認する。
申請人は従来より責任感強く自己の担当する業務を誠実に行ない、今迄被申請人より作業態度について注意を受けたこともなく作業上の事故も申請人の責任によつておこしたことはない。
三、同(二)の事実は、申請人と被申請人会社代表者村上とが被申請人主張の身分関係にあること、申請人が臨時的に雇傭されたとの部分を除き、申請人が被申請人会社に雇傭されるに至つた事情が被申請人主張のとおりであることは認める。
第五、疎明<省略>
理由
第一、被申請人が鋳物の製造販売を業とする株式会社であり、その従業員数が五〇名余りであること、雇傭契約の日が昭和三二年八月であるか、或いは同年九月であるかは別としていずれにしてもその頃申請人が被申請会社に雇傭されたこと、申請人が昭和三五年六月一四日被申請人から企業縮少を理由として解雇の意思表示を受けたことは当事者間に争いがない。
第二、申請人は、右解雇の意思表示が不当労働行為に当るものであるとして無効であると主張するので以下この点について判断する。
一、申請人の組合活動についで
証人田中静男、深見重生の各証言、申請人本人、被申請人会社代表者各本人の尋問の結果によると次の事実が認められる。
1 被申請人会社には昭和二三年五月会社創立以来、労働組合がなく、いわば労働運動の無風帯の中にあつて、職人気質の支配する従業員によつて事業が行われてきたのであるが、昭和三四年八月頃から申請人を中心として労働組合結成の動きが生じ、以後全金属福岡地方本部専従書記田中静男指導の下にそれを推進し、数回の準備会を経て同年九月一一日被申請人会社の全従業員五〇名余の中三四名(申請人を含め)を以て全国金属労働組合瀬戸製作所支部が結成された。そして委員長には深見重生、副委員長には安斉正雄、書記長に申請人が各選出され、スローガンとして、(1)労働基準法の完全実施、(2)実質賃金の引上げ、(3)寮生の待遇改善、(4)組合事務所の提供要求等を採択した(右三四名を以て組合が結成され、申請人が書記長に選出されたことは当事者間に争いがない)。
2 組合結成後の組合活動も深見委員長、安斉副委員長が組合に対する理解と組合活動に対する積極性が申請人に及ばないということから専ら申請人が中心となつて推進され、同年九月開かれ労働条件改善のための団体交渉においてもその発言の場にたつたのは主として申請人であつた。また同年末の一時金支給要求に関し続けられた団体交渉においても右と同様であり、殊に三〇日分支給の組合要求に対し被申請人会社が一七日分支給を最後の線と主張するに至つた大詰の同年一二月一七日夜八時から翌朝にかけて行われた団体交渉の場においては深見委員長、安斉副委員長等は懇願的能度で終始し、一人申請人のみが委員会の決定した方針に従いスト権を集約するも止むを得ないとの強い態度で交渉に当つた。
3 申請人は組合の書記長として活発に組合活動を行い同年一二月二三日後記認定の事情によつて書記長の役を退いたが、翌三五年六月夏期一時金要求をなすについては申請人の活動を必要とするとの組合員の要望に基き同月六日の組合大会において申請人が再び書記長に総票数三六票中二八票をもつて選出された。申請人は以前妥結した皆勤手当を被申請人が支給しないことについて同日より直ちに被申請人に対し交渉を開始した。
4 組合は結成と同時に総評に属する全金属に加盟し、昭和三四年一〇月一四日後記事情によつてそれを脱退し、更に翌三五年六月六日再加盟し同月一六日再び脱退しているのであるが、当初から全金属加盟を強く主張し脱退に強く反対する等全金属加盟も全く申請人が中心としてなされ、且つ全金属支持者であつて、当初の脱退後も再加盟を強く推進しつづけ、脱退期間中も全金属の者として同年二月二二日にはいわゆる「沖繩返還参加行進」に、また同年四月四ないし六日にはいわゆる「三池争議」のオルグに参加するなどしていた。
5 かように組合運営ないし組合活動は申請人中心になされ、且つその成果もあがりつつあつたところからそれに対する組合員の信望が申請人に集つていた。
右認定を左右するに足る証拠はなく、以上認定事実によると申請人は組合運営殊に全金属加盟ないし組合活動における中心的且つ熱心な存在であつたことが明かである。
二、被申請人の組合乃至申請人に対する態度について
証人田中静雄、古川謙治、深見重生の各証言、申請人、被申請人会社代表者本人尋問の結果によると次の事実が認められる。
1 被申請人会社は福岡市天神町に本店を有するが工場は、同市堅粕にあり、村上の実子古川謙治が工場長である。しかし古川工場長は主として対外的仕事に当るために実際上の工場の運営は堤工場長代理によつて行われ、殊に資材等の買入はもちろん従業員の雇入、解雇等も専ら堤によつてなされていた。そして村上、古川は堤を非常に信頼し工場運営に関する堤の意見は殆んどそのまま採用されていた。また深見委員長は堤が仕事上の先輩に当り、且つ堤の世話で被申請人会社に就職したということ等から堤と非常に親しい関係にあり、むしろ堤に対しいわゆる「頭が上らない」というような立場にあつた。
2 組合結成後である昭和三四年一〇月初頃より堤工場長代理は申請人を含めて組合幹部、殊に深見委員長に「総評傘下の全金属は組合運動が過激すぎる」とか、「若し全金属を脱退しなければ従来慣行として行われていた給料の前貸し制度(給料の仮払いともいう制度)をやめる」。とかいつて全金属脱退の上全労に加盟するよう執拗に干渉していた。
3 村上は昭和三四年一〇月初頃申請人に対し、話の序に「組合を作るのも今の時勢としては已むを得ないが、全金属のような上部団体に入る必要はないだろう。君が一番の組合の指導者であるし、ものが判つていると思うが、そういう方向に行かないで全労系のような組合に入るようにしてはどうか」、と暗に全金属脱退を進めたことがあつた。
4 そしてそのことを議題として一〇月一三日開催された緊急執行委員会において申請人一人一応は脱退に強く反対したが作業上のいわゆる実力者である深見に対し敢えて反対を唱え得ない立場にある執行委員もあり、結局当時の組合の状況等を考えて脱退を決議し、直ちにその手続を執ると共に被申請人会社に対してもその旨を通知したが、全労加盟は全金属に対する関係からこれを見合せていた。
5 同年一二月の年末一時金要求の交渉は一二月一八日午前二時頃決裂したが、同日朝申請人不知の間に深見委員長等が堤工場長代理と交渉したことが原因となつて組合としても結局会社案を受諾した。ところが、その時定められた一時金の支給日である同月二二日に深見委員長は村上に呼ばれて帰つてきての夕方申請人に対し、村上から申請人の書記長を解任しなければ同日一時金は支給しないと要求されてこれを承諾してきたとの理由を以て書記長辞任方を要求したが、申請人がこれを拒否したため、翌二三日それを議題として組合大会が開かれ、申請人主張の経過で結局申請人は書記長を辞任した。
以上の認定に反する前顕深見証人、被申請人代表者本人の各供述部分は当裁判所の信用しないところである。右認定の事実関係において考えれば、村上は全金属の運動方針が過激であると信じて組合の全金属加盟を嫌悪し、延いては全金属加盟の中心人物であり且つその支持者である申請人をも嫌悪するに至つていたものと解せられるのである。
三、被申請人の主張する本件解雇の理由
被申請人は本件解雇は業態不振に基く人員整理であると主張する。なるほど昭和三五年一月以降五月までの受注量が被申請人主張の数量であること(このことは被申請人本人尋問の結果により成立を是認できる乙第一号証により認める)それ自体のみを見れば受注量が漸減の傾向にあつたことは明かであつて、その意味においては業態不振であるといえるかも知れない。しかしながら当裁判所が真正に成立したと認める乙第八号証、証人古川謙治の証言、被申請人本人尋問の結果によれば、従来の受注量は一月平均約三〇トンないし三五トンであつて、昭和三五年一、二月頃の受注量が特に高かつたのは八幡製鉄株式会社使用のための特殊受注があつたためであること、従つてそれが終ると共に受注量は平均量に戻り同年六月以降も略同様であることが認められ、また右受注量の高かつた時期に特にそのための人員を確保したとの疎明もない本件の場合このことからして右を以て直ちに業態不振とは断定し得ないのである。そして他に右事実認定できる疎明もない。
四、以上のことに被申請人会社が昭和三五年三月一〇日既に申請人に対する解雇通知書を作成していること(このことは成立に争いのない甲第一号証によつて認める)を合せ考えれば、被申請人が申請人を解雇したのは業態不振に基くものとは認められず、申請人の正当な組合運営ないし組合活動特に申請人が全金属支持者であることのためであるといわざるを得ない。してみれば、申請人の解雇は明かに労働組合法第七条第一号の規定に違反する不当労働行為であつて、それは公の秩序に違反し無効であるから、申請人と被申請人との間には未だ雇傭関係が継続しているといわなければならない。
第三、保全の必要性
申請人本人尋問の結果によれば、申請人は母親と妹との三人家族であり被申請人から支払われる賃金を生活の主たる資としていることが認められるので、申請人の地位保全をはかる本件仮処分をなす必要性があるものというべきである。もつとも被申請人本人尋問の結果により昭和三五年七月頃より全金属組合員からのカンパにより月約八千円の支給を受けている事実が認められるが、右は申請人の生活の窮状を救うための臨時的救援的であり不安定な性質をもつものであるから、右判断の妨となるものではない。
第四、よつて本件仮処分申請は、理由があるので保証をたてさせないで、これを認容することとし、申請費用の負担については、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 中池利男 野田愛子 吉田訓康)