福岡地方裁判所 昭和39年(ヨ)637号 判決 1967年3月31日
申請人
三重野正明
申請人
今泉英昭
右両名訴訟代理人
岸星一
ほか三名
被申請人
株式会社岩田屋
右代表者
中牟田喜一郎
右訴訟代理人
松崎正躬
ほか二名
主文
本件申請はいずれもこれを却下する。
訴訟費用は申請人らの負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
一、申請人ら
「被申請人は昭和四〇年一月二五日以降毎月二五日限り申請人三重野正明に対し各月金四万九、八五〇円を、申請人今泉英昭に対しては各月金二万一、三五〇円をそれぞれ仮りに支払え。訴訟費用は被申請人の負担とする。」むねの仮処分判決
二、被申請人
主文と同旨の仮処分判決<以下略>
理由
二<前略>会社と全岩労との関係
被申請人は資本金三億六、〇〇〇万円、従業員約一、四〇〇名を擁している西日本では有数の大百貨店であつて、その従業員の大多数は岩田屋百貨店労働組合を組織してこれに加入しており、その余の一部従業員は全岩労を組織している。
ところで岩田屋従業員をもつて組織される労働組合は昭和二一年五月ごろ岩田屋従業員組合と称して約三八〇名の組合員をもつて設立、発足し昭和二八年には岩田屋労働組合と改称し同三二年六月には会社に雇用されていた臨時職員によつて組織された岩田屋臨時職員労働組合とともに上部団体として全岩労を結成しそれぞれその支部を呼称していたが、昭和三三年右支部組織を解消して単一組合としての全岩労を組織したものであつて、その組合員数も昭和二五年ごろには約五〇〇名、同二八年ごろには約七八〇名、同三二年ごろには約九五〇名と逐次増大し、昭和三二年六月には遂に約一、四〇〇名にも達したが、同年六月下旬多数組合員が脱退、分裂して全岩労に比して穏健な岩田屋従業員組合を組成、組織し、同従業員組合が同年一〇月岩田屋百貨店労働組合と改称し、今日に至つているのであるが全岩労の組合員数は前示分裂を契機として急激に減少の一途を辿り、昭和三四年ごろには約四〇〇名に同三八年ごろには約八〇名に減じ、その後も現在に至るまでになお若干名の減員があり全岩労幹部組合員らは右の組合員数の減少、組織の弱体化の原因は一に会社の分裂、切崩工作にあるものと考えて、組合員数の確保、組織の防衛に腐心していた。
三岩田屋家庭用品課売場における正規の販売会計組織について
昭和三四年一二月当時岩田屋の商品販売は(イ)、現金販売、(ロ)商品券その他の金券(ギフトチェック等)販売(ハ)、会社と特約を締結した顧客に対するチケットによる信用販売等に大別され、家庭用品課売場においては(他の販売各課においても大体同一の取扱になつていたが)同課に所属する販売係従業員は主として顧客に商品を販売し、またはこれに付随する包装、客の依頼による配送係への回付等の事務をするのみで、代金の収納、金銭の管理、金銭登録器(レジスター)の操作、売上金額をその品目とあわせて記録、計上すること、返品の記録および商品の引合検品等の事務は出納課から各売場に派遣されるレジスター係従業員(岩田屋内で当時キャッシャーと呼称)が処理する制度となつており、右キャッシャーの食事等の休憩時間中はパッカーと称せられる出納課の他従業員がキャッシャーから事務引継上必要な未済事項等の申継を受けた上その事務処理を代行し、休憩時間等が終了すれば再びその事務をキャッシャーに引き継ぐこととなつていた。
なお家庭用品課売場における昭和三四年一二月当時の正規の現金販売およびチケット販売ならびに売上商品の配送手続のうち本件に関係ある部分の大要はつぎのとおりである。
(1) 現金販売
販売係員が商品を顧客に販売したときはその販売代金とともに当該商品を値札付のままキャッシャーの許に持参しまたは容積数量が大で持参し難い物は値札を持参して売場にある商品を指示し、キャッシャーは正札と商品の符合、金額計算の正確を確認、検品した上レジスターにより機械的に売上品目、売上金額を記録し、右値札に現金売上済の証拠となる丸形の入金印を押捺し、販売係員は顧客の要求に従い入金印が押捺された値札付のまま、またはこれを剥離して商品を所定包装紙に包装し、その上にシールを貼付して販売係員としての包装を了し、これをキャッシャの許に持参すると、キャッシャーは右シール上に再び前示入金印を押捺して包装手続を完了し、販売員は右入金印押捺済の包装商品を顧客に交付するかあるいは顧客の要望により後認定の配送手続に付する。
(2) 御帳合伝票(チケット)販売
岩田屋では常得意先に対しては予め番号を付し、右番号と会社備付のチケット台帳口座番号との照合により顧客の何人であるかを容易に確認できるようになつているチケット帳を交付し、右チケットを利用する信用販売を行つており、チケットによる商品買上を希望する顧客のあるときは販売係員はその顧客の所持するチケットの一片を切り離して受領し、これと売場備付のチケット台帳の口座番号とを照合して顧客が誰であるかを確認し、ついでAないしEの五葉で一組となつている売掛伝票(岩田屋内部で御帳合伝票と呼称)のそれぞれに顧客の氏名、チケット番号、売上品名、数量、単価、売上金額等所要事項を記入し、顧客から受領したチケットはD票に糊づけ貼付して、右伝票と値札付のままの売上商品とをキャッシャーの許に持参し、キャッシャは右商品と御帳合伝票の記載内容とが符合することを確認して値札に角形の帳合印を押捺し、ついで同伝票引合欄にキャッシャー個人の認印を、検品欄に前示帳合印をそれぞれ押捺し、販売係員は右検品済となつた売上商品を包装し、包装シール上に再び帳合印の押捺をキャッシャーから受けて包装を完了し、右商品を顧客に交付し、または後記配送手続に付する。またチケット客がチケット帳を所持せずに商品購入を希望するときは必らず会社外商課に連絡をとり、同課において顧客の確認をした上帳合伝票D票チケット貼付欄に外商課長の認印の押捺を受け、販売係員は必らず右認印を受けた同伝票を使用して前同様の方法で御帳合伝票を作成し商品を販売せねばならず、売場販売員かぎりで勝手にチケットを所持しない顧客に対し帳合伝票を作成して商品を販売することは固く禁止されている。なおまた顧客が寸秒を惜しんで買上商品の引取方を要求するようなことも稀にはあり、かような場合には御帳合伝票作成前に商品を引き渡すことがあるが、この場合にも販売員は必らず前同様チケットの交付を受け顧客の住所、氏名、商品名、金額等所要事項をキャッシャーに明確に連絡、告知し、キャッシャーはこれをメモしておき、これに基づいてキャッシャーの許で前同様の値札への帳合印の押捺、売上商品の検品、包装シール上の帳合印の押捺を受けた上で商品を引き渡し、帳合伝票は引渡後、前示キャッシャーのメモにより作成するように命ぜられており、販売員がキャッシャーの検品を受けず勝手に商品を包装して顧客に引き渡すことは一切厳禁されていた。このようにして作成された帳合伝票は後にそれぞれ所定の各部課に保管されて、所定期限に得意先からチケット売掛代金の取立、回収がなされるのである。
(3) 売上商品の配送は前認定の販売手続が完了した後に販売員が配送伝票を作成し、商品とともに配送係に回付されることになつていた。
岩田屋では当時従業員が右販売手続を遵守すべきことを厳しく教育しており、販売員、キャッシャーおよびパッカーはその事務に従事した期間が極めて短く、経験が浅い等の特段の事情のないかぎりすべて右手続を熟知しており、従つてもし販売員がキャッシャーまたはパッカー等のレジスター係員の検品、引合を受けないで商品を売り上げ、引き渡しを了し、または配送係に回付する等するならば、レジスター係員と共謀する等して右の正規の手続に根本的に反する処理によるのでなければ、現金販売の場合は売上代金の入金が拒否され、チケット販売の場合には御帳合伝票の完成が不能となり、いずれにしても販売手続上重大な齟齬を生ずることとなる。
前示事実からはさらに前認定の販売手続は会計学上内部統制と称せられる会計組織の一端であつて、右手続を確実に履践せしめることにより商品販売手続上の誤謬、不正の発生を可及的に防止し、かつその発見を容易ならしめる目的を有するものであることが容易に推認され、従つてもしある販売員が右販売手続を全く無視し、これと根本的に反するような販売方法をとつたことが判明したとするならば、当該販売員につきその無視、違反の態様に従い窃盗、業務上横領等会社商品不正持出行為の強い嫌疑が生ずる結果となることは理の当然と言うべきである。
四A子の所為
昭和三四年一二月一五日には岩田屋家庭用品課売場に設置されていた№84レジスターにはキャッシャーの米山瞳が配置されたが同人の当日の勤務時間は午前一〇時から午後六時三〇分までであつて、その間に午後零時二〇分から一時までおよび四時三〇分から四時五〇分までの間は所定の休憩時間となつていたので、その間はパッカーの塚本某が同レジスター係として勤務した。
他方A子は当時全岩労副執行委員長であつた甲の妻であり、昭和二三年から岩田屋レジスター係として、ついで昭和三二年から家庭用品課販売員として勤務し前項二、で認定した販売手続は熟知していた者で、また岩田屋のチケット購売客であつた乙の妻Bとは夫甲の叔母に当る関係にあつたが、右Bは昭和三四年一二月一五日午後四時すぎごろ岩田屋家庭用品課売場に来店していた。
ところでA子は同日午後唐津市在住の小宮某に重箱単価六〇〇円計五ケを販売し、右小宮の依頼によりその配送手続をとることにしたが、前認定のとおり午後四時三〇分から四時五〇分までの間レジスター係を勤めたパッカーの塚本に重箱五ケの値札を示して計三、〇〇〇円の現金入金手続を了したまま重箱の包装処理の完了はせず、ガス焜炉、炭かご各一個、ざる二個をなんら正規の検品を受けず、またパッカーと連絡をとることもなく包装紙を用いて包装し(右各物品には包装後はいずれも値札が付されていなかつたがこれはA子が勝手に剥離したものか或はそれまでに自然に剥落したものかは明らかでない。)、これと別に大小の刺身皿各五個(合計一〇個)に付されてあつた値札を勝手に剥離してちりかご中に棄て、前同様なんらの検品を受けず連絡もしないまま右刺身皿計一〇個を包装した。その間に前記キャッシャー米山の休憩時間は終了し、再びパッカーの塚本と交替してレジスター係として勤務に入ることとなつたので塚本はA子が重箱五ケ計三、〇〇〇円を売り上げて入金済であり、包装処理手続が未済であるむね申し継いで事務引継を了しキャッシャー米山と交替したところ、米山が勤務についた直後A子は前示刺身皿等の包を米山の許に持参したので米山は右包装の個数と形状から重箱でないことは容易に認識できるのに交替直後のことでもありそれが塚本から申継を受けていたA子の売上物件であろうと慢然考えて包装シール上に現金入金印を押捺し、かくして全く正規の検品手続も販売処理手続もなされていない商品の包装に恰かも正規の手続によつて現金で売り上げた物件であるかの如き外観を顕出せしめ、右各包装物件につき特に急を要する必要はなんらなかつたのに家庭用品課売場の他のレジスター係員にも特別の連絡をとることなく配送伝票を作成して乙方への配送手続をとつた。
ところでA子はキャッシャー米山に前示各包装上に現金入金印を押捺せしめた後、更に前示五ケの重箱の包装をキャッシャーの米山に提出しシール上への入金印押印を求めたので米山はここにはじめて最初の包装物の内容について疑念をもつに至つたがパッカー塚本の申継洩の売上商品で包装手続未完のものがあつたものと考え、重箱包装のシールにも慢然と現金入金印を押捺し、A子は右重箱を顧客小宮の要望に従い配送手続に付した。
A子の右所為が前項三で認定した正規の販売手続を全く無視するもので、これと根本的に相反することは勿論であつて、子はその所為につき不正行為の強い疑をかけられてもやむを得ないものと言うべきである。
五A子に対する会社側の取調態度
前示A子については昭和三四年一一月ごろから家庭用品課売場従業員の間で商品販売に関し不審な行動があるとの風評が立ち、同女が配送手続をした商品の代金入金が確認できない取引事例も発見されたので、同女の上司であつた当時の家庭用品課長糸永清士は同課副長藤田某を通じそれとなくA子の挙動に関し注意を払つていたところ、同年一二月一五日午後六時ごろ同副長からA子が刺身皿一〇枚の値札をちりかごに棄て、正規の入金又はチケット販売の手続によらず商品を配送係に回付したとの報告を受け、当時はまだ前項で認定したような詳細な事実の認識はなかつたが、刺身皿につきA子が商品不正持出行為を実行したのではないかとの強い疑惑を抱き、当日はA子は既に退社していたので翌一六日従業員の不正行為につき調査する職責をも有している会社保安課長柴田利平次とも連絡をとつた上、一応糸永一人でA子から事情を聴取することとし、同日午前一〇時すぎごろ本館五階茶室にA子を呼び出して刺身皿の点につきその行動を質したところ、同女は一五日は多忙にまぎれて手続を忘却したので一六日に帳合伝票を作成するつもりであつたむね弁解したので、糸永は前認定のチケット販売手続上帳合伝票を作成することはできず、また客があとで現金を持参したときにもこれを入金する方法がない旨述べて質問し、さらに客と馴れ受いで不正行為をしたのではないかと申し向けたりして追及するうちA子は質問に対する合理的弁解ができなくなり二〇分ないし三〇分の後商品の不正持出行為を自認するに至つたので、右事情を柴田に連絡して同人を茶室に呼び両名でこもごも更に詳しい事情を質し同女を追及した結果、同女も終局的に刺身皿につき不正行為を認めるに至つたので、同日正午前ごろ同女が会社商品の不正持出行為を自認する趣旨のメモを作成して読み聞かせた上同女に署名捺印を求めたところ、同女もこれに応じたので当日の調査を一応打ち切り、糸永は右メモを人事課小柳副長に手交しかつ右調査の事実を上司である中牟田営業部次長に報告した。
右認定の調査、追及については糸永はA子の直属の上司としてその行動を監督する職責を有していた者であり、柴田は会社内部での万引等一般的犯罪と併せて従業員の不正行為を調査する職責を有する保安課長の立場にあつたもので、藤田副長からの前認定の報告内容のかぎりにおいてもA子の行為はその性質上犯罪行為ではないかとの強い疑を抱かれても已むを得ないものである上、A子自身がその行為について説得的な陳弁、説明をなんらしなかつた点等に徴すれば、同女が真に商品の不正持出行為の故意を有していたかどうかは別として、客と馴れ合いで不正行為をしたのではないか等と申し向けて追及することも、特段に高声を発したり、または床を叩く等の強圧的態度に出た事情の認められない本件では、ある程度已むを得ないところであつて、糸永らの調査態度が不当であつたとも考えられず、同人らがA子の自認に基づき同女が不正行為を実行したものと判断するに至つたとしても右判断をもつて不合理なものと断ずることもできないと言うべきである。
六申請人らの暴行とその経緯に関する事情
A子は昭和三四年一二月一六日前認定の糸永らの調査を受けて帰宅後、午後八時半ごろ退社して来た夫甲に対し自己の所為は多忙にまぎれたための単なる帳合伝票の切り忘れにすぎなかつたのにこれを糸永らに取り上げられ茶室内で三時間ないし四時間にわたり監禁状態に置かれて商品不正持出行為を自認する趣旨を記載したメモに署名、押印を強いられた旨説明して泣訴したので、甲は直に全岩労組合事務所にその旨電話連絡し、かけつけた申請人三重野、森山繁夫および堤栄子(現姓三重野)の三名にほぼ同旨の説明をしたところ、申請人三重野は前項一、で認定したとおり全岩労加入の組合員数が急速に減少の一途を辿り、しかもその原因が一に会社の全岩労の切崩行為にあると考えていた折柄、糸永らの調査、取調は会社が全岩労副執行委員長甲の妻のA子を会社商品不正持出の犯罪行為者に仕立てあげ、右捏造した事実を全岩労に対する中傷宣伝のために悪用し、頽勢にある全岩労を愈々強く弾圧し切り崩す意図に出たものと判断し、翌一七日朝執行委員会を開催して協議の結果、A子本人につき特別に詳細な客観的に納得のゆく事実説明を求めあるいは家庭用品課売場関係者らにつき休憩時間等を利用してA子の行動につき調査してみる等の冷静な事実調査の方法はなんらとることなく、従つて同女が前示のとおり刺身皿の正札を勝手に剥離してちりかごに棄てた等の事実については明確な認識も有しないまま同女が夫甲に対してしたと同旨の漠然たる陳弁が真相に合致するものであると速断し、糸水、柴田の調査態度を追及した上、会社の不当な行為に対し抗議することを決定し、同日岩田屋開店後午前一〇時二〇分すぎごろ申請人三重野、甲、堤栄子(現姓三重野、当時全岩労書記長)ほか一・二名が五階家庭用品課売場に赴き糸永に面談を求めたところ、糸永は申請人三重野らの来意はA子調査問題に関するものと感得したので売場で応答することは不適当と考え、申請人三重野らをうながしともども五階南側に位置する面積約二坪の事務室に赴いたところ、その後間もなく十数名の全岩労組員が入室してきて糸永と問答中、同人がA子に対し客と馴れ合いで不正をしたのではないかと追及した点に論が及ぶや申請人三重野以下全員が激昂した態度を示し、こもごも無実の者を罪に落すかなどと鋭く詰問し、糸永が用便に行きたいと申し出るや前示堤栄子はその場にあつた灰皿をとつてその中に用を足すよう申しむけたり、また中には糸永の顔にたばこの煙を直接にふきかけたり、糸永がたばこを吸いかけるやこれを取りあげて床に投げ棄てる者もあり、同日午前一一時半ごろまでの間糸永の調査態度が部下を罪人扱いにしたものであるとして激しくその非を難じたが(但し右事務室内に申請人今泉が在室していたことについてはなんらの証拠もない。)、そのころ申請人三重野が前示茶室できのうのこと(A子に対する調査のこと)をもう一度してみろと言い出し、糸永は全岩労組員に着衣のすそを掴まれた状態が前示茶室に連行され、その途次ではこれが職員を泥棒にした課長だなどと大声を発して叫ぶ者もある有様であつたが同茶室には申請人三重野、同今泉、前示甲、堤栄子その他全岩労組員ら十数名が来室し、糸永の膝を打ち、頭部を小突き、両脚を後方に引張つて床上に引き倒し、床の間に押しつける等の暴行も数回に亘つて行われると言う状態の下で前同様糸永の弁疎に耳を傾けてみる態度は全く示さずその調査態度を激しく批難し、人権を蹂躪するものであるなどとの抗議行動が続けられたが、その間に同日正午過ぎごろ急報を受けた会社取締役秦俊則(当時人事課長)が急拠糸永の救出に茶室に赴くや、茶室に在室していた全岩労組員らは糸永を救出して退室しようとする右秦に対してもその足を引つ張る等の暴行を加えて退室を妨げたが
1、その際申請人今泉は秦の来室に力を得て退室しようとして立ち上がりかけた糸永の肩付近を二回に亘つて押さえる暴行を加えてその退去を妨害した。
かようにするうち糸永は極度の精神的緊張と前示暴行のため相当に疲労して虚脱状態に近くなり、右高度の疲労が外形的にも判然認められる状態となつてきたため、秦は退室のためには已むを得ないと考え、A子調査の経緯につきそれまでの申請人三重野と糸永との問答要旨を略記し申請人三重野らの主張をやや認めるかのような趣旨の確認書を記載して糸永の姓名を記名し、その名下に糸永に捺印をさせてこれを申請人三重野に交付し、同日午後二時ごろ糸永とともに茶室から退室した。
ところが同日午後三時ごろ前示秦が会社別館五階事務室に在室していた際、申請人三重野、前示甲および地区労事務局次長清竹某が入室して来てA子問題につき全岩労として話をしたいむねの来意を告げたので、秦はそれなら労務課の窓口を通して来てほしいと一応拒否したが、申請人三重野らが寸時で足りるむね述べるので已むなく右事務室に隣接する人事部応接室に右三名を招じ入れたところ、同室には会社専務取締役奥村十七(当時常務取締役、人事部長)が在室しており、また既に全岩労組員らが二〇名前後在室していてA子の所為にはなんら不正の点はないむね申し述べ、事実の詳細な調査をする必要があるから現段階では返答はできないむね主張する秦らと際限もなく同趣旨の問答を繰り返すうち、同日午後五時半過ぎごろ、糸永と共にA子の調査に当つた前示柴田利平次が入室して来るや
2、申請人三重野は柴田の左腕を掴んで同室内に引つ張り込みその肩付近を押さえて申請人三重野の隣にあつた椅子に着席させ、右手拳で柴田の肩、首筋付近を数回殴打する暴行を加え、同所にあつた机の上にあがつて遅参を謝罪せよなどと強く要求した。
その後同室内の全岩労組員はこもごも前同様A子の所為に不正はなかつたこと、伝票を作成する前に商品を顧客に交付しまたは配送手続に付することは顧客に対するサービスとして岩田屋内ではしばしば当然のこととして行われていることを述べ、柴田の調査態度がきわめて不当であつたことを難じて同人を責め、さらに奥村に対してA子が署名押印した前示メモの返還を執拗に求め(もつともこのときには申請人三重野は特に目立つ発言はしていなかつたと認められる。)、全岩労組員らの主張する伝票取扱方法が納得できないとする右奥村と対立していたが、同日午後一〇時ごろになるや同室にいた全岩労組員森山繁夫は「部長、聞きよるとな。」など申しつつ奥村の左耳を捻ぢあげて顔をゆさぶり、申請人今泉が机下から奥村の脚を蹴り、その他にも同人の右耳を引つ張り、背部を小突く等の暴行を加える者も出てきたが、そのころ遂に最も争点となつていた伝票の処理方法につきその責任者である黒田商品管理課長に事情を尋ねて見ることに話がまとまり一時休憩をとることとなり、同日午後一〇時すぎごろ奥村、秦と共に別館三階に降り、同所にいた会社労務課長竹下熊夫に対し前示黒田を呼ぶよう指示した。なお右柴田も奥村らと共に前示人事部応接室から退室し三階に降りようとしたが、全岩労組員らに妨害されやむなく人事部応接室に留つた。
しかるに前示奥村の真意は、全岩労組員らの伝票の処理方法に関する主張の真偽を確かめるためみずから黒田に質問するつもりであつたのに前示人事部応接室内の興奮した雰囲気内での説明の表現が正確を欠き、全岩労組員側としては奥村が黒田を呼んで申請人三重野、同今泉、甲、堤栄子ら多数の全岩労組員らの前で黒田に伝票の扱い方についての説明をさせ、同労組員らが質問をすることも当然に認めたものと理解したため右理解の喰い違いを因として再び紛争と暴行事件が発生するに至つた。
すなわち前示黒田が奥村の指示にも拘らず同月一八日午前零時ごろに至つても出頭しないように思われたので前示人事部応接室で待機していた全岩労組員らは奥村に事情の説明を求め、奥村もこれに応じて再び五階人事部応接室に赴き、黒田が未だ出頭しない旨説明したがその際更に黒田は同室に待機している全岩労組員らの前に呼び出して伝票処理方法を説明させるために呼んだのではなく、奥村が黒田から事情を聴取し、組合員らの主張中納得のゆかない部分の説明を求め、真偽を確めるために呼んだにすぎないむね説明するや、前示森山繁夫が「とぼけるな。」などと申し向けつつ奥村の耳を捻ぢあげ、更にはやかんの水小量を頭部に注ぎかけ、熊谷高信(当時全岩労執行委員)は奥村の背中を小突き、さらには同労組員中には奥村が腰をあげた隙にその椅子を引き除き、はずみで同人に尻もちをつかせる等の暴行を加える者まで現れたが、同月一八日午前一時ごろ奥村は交渉の場を別館三階庶務課応接室に移つし、前記清竹に事態の収拾方を依頼し、全岩労組員側は清竹が申請人三重野および堤栄子と相談の上なおも前記A子のメモの返還を求めて交渉中同日午前三時前ごろ全岩労組員の内に前示黒田が三階に来ていると述べたものがあり、申請人三重野、同今泉、堤栄子、森山繁夫その他の全岩労組員らは会社が既に出頭、在社していた黒田を隠匿していたものと判断して憤激し、同階にある第一応接室への通路にも当つている庶務課受付前付近にいた会社労務課副長大塩栄(現在社長室付課長)の胸を申請人今泉が指で突いて後方に押しつつ黒田呼出の指示を奥村から受けた竹下熊夫を呼び出すよう要求し、右大塩が紛争をさけるためやむなしと考え庶務課から通じている第一応接室内部に向つて竹下の名を呼んだところ、右第一応接室に隣接しこれとドアによつて通じている社長室内に待機していた竹下が自己の名を呼ばれたのに気づき第一応接室に出てその庶務課に通ずるドアを開けるや前示十数名の全岩労組員は堤栄子ついで申請人今泉を先頭に同応接室内に乱入し十二、三名の全岩労組員は竹下を取り囲み、同所にあつた椅子上に腰を下ろさせ、森山繁夫が「顔をあげろ甲の方を向け。」などと申し向けつつ竹下の耳を引つ張り、あごを突き、土下座して謝れなどと要求し、甲も竹下の肩を小突き、さらには居合わせた応援労組員の一名は竹下のネクタイを掴んで首を締めあげ、その間全岩労組員らが社長室内にまで乱入するのを防止しようとして第一応接室内の社長室に通ずるドアの前に移動して来ていた前示大塩栄のところには申請人今泉ほか一名が赴いて、
3、申請人今泉は大塩の襟元を掴んで社長室に通ずるドアに同人の身体を押しとばした上首付近を引つ張つて前に引き出し、社長室ドアを開けるよう要求し、他一名が申請人今泉に呼応して大塩の腕を引き下げて同所にあつたソファ上に尻もちをつかせたところ、申請人今泉は再び大塩の首付近を掴えて引き立て、折柄そこに来合わせた中原章二郎および古賀廉三らとともに執拗に社長室ドアを開扉するよう要求し、申請人今泉は右大塩の靴先を蹴つたりしていたが終には同人の脛の下付近を約三回蹴とばす暴行を加えた上蹴られたくなかつたら社長室ドアを開扉せよと要求し、そのころ前示秦が騒ぎを心配して社長室ドアを内側から開けて顔を出すや申請人今泉は「お前はここにおれ。」などと申し向けつつ右大塩の胸付近を約三回突く等の暴行を加え、よつて右大塩の左下腿部に約七日間の治療を必要とする打撲症兼挫傷を負わせた。
その間前認定の第一応接室内での暴行事件の発生を知つた奥村がこれを阻止しようとするや前示森山繁夫および芳井伸明(いずれも全岩労執行委員)からネクタイを引つ張られあるいは床に押し倒される等の暴行を受け、また前示のとおり社長室ドアを内側から開けて第一応接室に出て来た前示秦も全岩労組員らに襟首を掴まれて身体をゆさぶられ付近にあつた椅子上に押し坐らせられ、左足を蹴られた上更に襟首を掴まれて引き立てられる等の暴行を受けたが、そのころ会社中牟田営業部次長が現場に到着し全岩労組員らの暴行もそのころようやく終りを告げ、その後は更に全岩労組員らと奥村らが話合を続け、秦は奥村と計つた結果A子の署名押印のある前示メモを申請人三重野に返還したが、同申請人らはその返還を受けるや更に進んで会社側は全岩労組員に謝罪状を交付せよと要求をした。
申請人三重野、同今泉は前認定の茶室における糸永に対する詰問の場から、第一応接室における暴行の時点およびその後の交渉に至るまで常に交渉、紛争、暴行の場に現在しており、従つて当然右一連の事実の全経緯を認識し、これを容認しつつ前示し1ないし3の各暴行の所為に及んだものであることが推認される。
七本件懲戒解雇の時期について、
会社側では前六、で認定した事態の推移に徴し、全岩労組側にはA子問題について先入観念を棄て、感情から離れ客観的に事実を調査しようとする意思が全くなく、従つて会社が私的な立場から事実を調査しようとしても到底全岩労組側の協力、納得を得る見込はないと考え、この上は、真相の糾明をいわば第三者としての立場に立つ官憲の捜査、および司法的手続に委ねるに若くはないと判断し、A子の商品不正持出行為、申請人三重野、同今泉および前示森山繁夫その他五名の暴行の所為を検察官に告訴し、同人らの懲戒については慎重を期するため第一審判決の言渡をまつて後に一緒にすることに決したところ、申請人三重野、同今泉および右森山については昭和三九年九月二一日、福岡地方裁判所でいずれも懲役三月に処する旨の判決(但しいずれも一年間の執行猶予)の言渡があり会社はその他五名の暴行行為については昭和三七年八月六日、A子については同三七年七月三日、それぞれ嫌疑は十分であるが起訴猶予を相当と認めた旨の通知を福岡地方検察庁から受けたので、右判決言渡後の昭和三九年一一月二四月有罪判決を受けた申請人らを懲戒解雇したものであつて、前認定の暴行事件の発生日から五年に近い日時を経過したのは右認定のとおり一に処分の慎重を期するため刑事第一審判決の言渡をまちなおその前後にわたり数回の懲戒委員会の議を経たためと認められる。
八会社就業規則第八二条には左記のとおりの条項があることが認められる。
第八二条 左の各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する但し情状によつては休職、減給に止めることがある。
二、他人に対し暴行脅迫を与え又は其の業務を妨害したとき(同条第一号および第二号ないし第一〇号は本件と関係がないから省略する。)
九前示六で認定した一連の行為は全体として暴行的性質を強く帯有しており、全岩労の正当な組合活動と目する余地は全くなく、右事情の下で実行された申請人三重野の六、2の所為、同今泉の六、1および同、3の各所為が前認定の会社就業規則第八二条第二号前段に該当することは多言を要しないところで、本件予備的懲戒解雇が申請人らが平素適法な組合活動を活発にしていることを決定的原因としてなされたものである旨の申請人らの主張に沿う証拠は単なる憶断にすぎない前示三重野証言のほかにはないので到底右主張事実を認めることはできず、また前認定の暴行の各所為をその事情とともに綜合考慮すれば申請人らの所為に対し前示就業規則第八二条但書を適用しなければ著しく苛酷な結果となる等の特段の事情も認められず、従つて会社が懲戒権を濫用したものとも認められないから、前示予備的懲戒解雇は有効で申請の原因2に記載した第一次懲戒解雇の無効が確定されるとしても申請人らはおそくとも右予備的懲戒解雇の意思表示の翌日から完全に会社に対する雇用契約上の権利を失うこととなり、従つて同日より後である昭和三九年一二月分以降の賃金債権はいずれにしても発生するに由ないものとなる。
一〇なお申請人らは本件賃金仮払仮処分申請は前示当事者間に争ない申請人らが会社に対し雇用契約上の権利を有することを仮に定めた各仮処分判決に基づくものであつて、右各仮処分によつて定められた仮の地位から当然に申請しうるものと主張するが、先行する雇用契約上の地位保全の仮処分はたとえそれが確定してもなんら既判力を有しない結果その後の賃金仮払仮処分申請事件についてはその必要性についての判断は勿論被保全権利の存否の問題についてもなんら裁判所の判断を拘束する効力を有しないものと言うべきであり、従つて申請人らの右主張は採用するに由ない。
以上のとおりであつて本件賃金仮払仮処分申請は結局においてその被保全権利の存在につき疎明のないことに帰するからその余の主張立証につき判断するまでもなく失当として却下する。
よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(松村利智 菅浩行 石川哲男)