福岡地方裁判所 昭和41年(つ)1号 決定 1967年3月06日
請求人 諌山博 外六名
決 定 <請求人氏名略>
右請求人らの請求にかかる刑事訴訟法第二六二条第一項による審判請求事件につき、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
本件請求をいずれも棄却する。
理由
第一、請求の要旨
一、請求人らは昭和四一年五月二七日被疑者瀬利秋穂に左記の犯罪事実があるとして福岡地方検察庁検察官に告発したところ、同庁検察官は、昭和四一年六月一八日これを不起訴処分に付し、請求人は、同月二〇日右不起訴処分の通知を受けたが、右処分に不服であるから右事件を当裁判所の審判に付することを請求する。
二、犯罪事実 被疑者瀬利秋穂は福岡県巡査で、宮田警察署東町派出所に勤務していたものであるが、昭和三八年七月八日午前零時一五分頃、鞍手郡宮田町東町五丁目料理店「くろねこ」こと高山キワ方において、同店の営業時限である午後一一時半を過ぎてなお飲酒中の同町東町八丁目工員加藤敏一及び加藤幸好に対し同店から退出するよう警告を発したところ、加藤幸好が酔にまかせて、「スタンバーが何か」などと答え、これに対して被疑者が用いた「横着こくな、太平楽こくな」などの乱暴な言葉使いに憤慨した右幸好が被疑者に掴みかかつてその公務の執行に抵抗したので、被疑者もこれに応じて掴み合いながら右抵抗を抑止しようとするに当り、冷静さを失つて拙速に幸好を制圧しようと企て同日午前零時二〇分頃必要もないのに所携のS、W、レボルバー拳銃を取り出すや向き合つた幸好の腹部に突きつけて「撃つぞ、撃つぞ」と威嚇し、「撃つなら撃て」と一時気勢をそがれて静止した幸好に対してそのまま続けざま三発発射して暴行を加え、その第一弾を幸好の腹部に命中させて腹部盲貫銃創の傷害を負わせ、その第二弾を手許が狂つて被疑者の左前方に立つていた同店マダム高山和子の腹部に命中させて腹部から臀部へかけての貫通銃創の傷害を負わせ、よつて同月一一日加藤幸好を、同月二〇日高山和子をそれぞれ死亡させたものである。
第二、取調べた証拠<省略>
第三、当裁判所の判断
一、証拠により認定した事実
昭和三八年七月七日の午後六時半頃から加藤敏一(当四〇年)と同幸好(当三七年)の兄弟は兄敏一の自宅で清酒を約五合位飲み、午後九時頃両名は行きつけの飲食店「サト」に出かけてそこで清酒コツプ三杯、ビール三本位を飲んだ。午後一〇時半頃兄弟は更に割烹「紅屋」に行きビール三本位を飲んで午後一一時過ぎ頃同店を出たが、その帰途幸好がクリーニング業寺下正一の自家用車をタクシーと誤認して停めたことから、かねて幸好とは顔見知りの寺下が兄弟を前記「紅屋」に連れて行きそこで三人はビールを三本位飲んだ後午後一一時四〇分頃寺下は兄弟をハイヤーに乗せて帰した。
同店を出て自宅へ帰る途中午前零時少し前頃兄弟は宮田町鶴田一、七九四番地所在割烹「くろねこ」こと高山キワ方前を通りかかり店に入つた。兄弟は入口に近いカウンターの椅子に座つたが間もなく弟の幸好は窓側の一番テーブルで飲んでいた先客の三人連れの一人佐藤周三に言いがかりをつけて喧嘩が始まりそうな状況になつた。幸好と佐藤は一旦表へ出たが間もなくカウンターに戻り両人の間は無事に収まりそうになつたところ今度は連れの上村政春、和田康博と兄敏一との間で新たに殴り合いが始まりそうになつたため、同店のマダム高山和子(当時三四年)は従業員藤本貴美代に対して近くの宮田阿東町派出所の警察官を呼んで来るように命じ、同女は裸足のまま右派出所まで走つて行き丁度当直勤務中であつた被疑者瀬利秋穂巡査に事情を告げて急行方を要請した。被疑者はそのとき派出所の休憩室で仮眠の準備中であつたが、右急訴に接し直ちに制服制帽を着し、S、W式回転六連発拳銃(五発装填)一挺を携えて同女と共に「くろねこ」へ向つた。その際警棒の携帯は失念した。
「くろねこ」へ着いた被疑者が表入口から店内へ入つたところ、カウンターの最も入口に近い椅子に兄の敏一が座り、一つ置いた三つ目の椅子に弟幸好が腰を掛けていた。被疑者は高山和子を裏の炊事場へ呼んで事情を聴取しその結果加藤兄弟と佐藤等三名との紛争も殴り合いの喧嘩までに至らず無事に収まつていることが判明したが、この頃既に営業時限である午後一一時をかなり過ぎていたので早く店を閉めるよう同女に注意した。しかし同女の頼みにも拘らず兄弟及び他の二人連れの客はこれを無視して帰ろうとしなかつたため、代つて被疑者が先ず二人連れの客に対し帰宅するよう促したところ両名は黙つて帰つて行つた。
次いで被疑者が弟の幸好の方を向いて同様早く帰宅するよう警告したところ、同人は被疑者をにらみつけながら「スタンバーが何か」「警察が何か」「俺に帰れとは何か」等と喰つてかかる態度に出たため、同人を宥めて帰らせようとする被疑者との間に押問答のような言葉のやり取りが始まつた。そして幸好は数回押問答を繰り返した後高山和子に対し勘定は全部払うぞと言つて代金をカウンターの上に置くと、いきなり立上つて被疑者に組みついて行き被疑者の襟首と胸倉を掴んで押した。
押されて被疑者は表入口の方へ二、三歩後退して踏み留まつたが、被疑者の制止にも拘らず幸好は抵抗をやめず更に兄の敏一も立上り後方から被疑者に抱きついて行つたので三人は互いにもつれ合う恰好となり、被疑者はその状態から正面の幸好を押し返して進みホールの中央附近まで移動した。
そのとき幸好は片手で丸椅子を掴んで振り上げたが高山和子が制止してこれを取り上げた。それから同様な状態で揉み合いながら西側の一番テーブルの方へ移行し、そこで被疑者は兄弟二人から西側壁の隅(ホールの北西隅)に押しつけられた。約三、四秒の後被疑者は壁の支えを利用して兄弟を押し返し、再びホールの中央近くまで進んで来たとき兄弟二人の手が離れ、被疑者から振り離された恰好になつた。しかしまたすぐに兄弟二人で被疑者に組みつき胸倉や肩口を掴んで押して行きホールの東側の壁附近まで被疑者を押しつけた。
そして幸好は片手で再び椅子を掴んで振り上げたがこのときも高山和子がこれを取り上げた。このとき被疑者は兄弟から東側壁附近で押しつけられて息苦しくなり、また幸好が椅子を振り上げたので身体の危険を感じ、拳銃を示せば相手も怯むだろうと考えて威嚇のために拳銃を取り出し、右手で高く差し上げながら「やめんと撃つぞ」と二回位叫んだ。
しかし被疑者の警告に対して幸好は「撃つなら撃て」と応酬して依然抵抗をやめず、反つて被疑者が差し上げている右腕を掴み引下そうとして争つた。この間に兄の敏一は再び被疑者の後方から抱きついていた。被疑者は拳銃を奪われないために出来るだけ高く上ばておかねばならないと考え、揉み合いながら一段高い奥四畳の間客座敷の上り口へ移動したところ、兄弟は尚も被疑者に組みついて離れず三者土足のまま座敷へ上り込んだ。そして三人は座敷の表側窓際まで移動し、被疑者はそこで硝子窓に押しつけられその際硝子が二枚割れた。
その状態から被疑者は再び反動を利用して兄弟を押し返し三人で揉み合いながら前記客座敷の中央上り口附近まで移動して来た。このときまでに被疑者と幸好は体勢が入れ替り幸好が窓を背にし被疑者は窓に向つて幸好と対面して立ち、そして兄の敏一は被疑者のやや左斜後方附近に立つて右手を被疑者の右肩に掛け、左手を被疑者の左脇下附近に入れる恰好で抱きついていた。
そしてこのような状態となつた後、なおも幸好は拳銃を差し上げている被疑者の右腕を引き下そうとして両手で引つ張つたので被疑者の右手の拳銃は被疑者の腹部附近まで引き下げられ、幸好は左手で被疑者の右手首を握り右手で銃身の附近を掴み、被疑者は左手で幸好の右手を銃身から引き離そうとして握り、このように両者は互いに力の均衡した状態で拳銃を引つ張り合つていたため銃口が浮動している状況にあつた。そして被疑者は座敷に上つた後も幸好に対しなお二回位「撃つぞ、撃つぞ」と警告を繰り返したが、これに対し幸好も「撃つなら撃つてみれ」と応じ被疑者の警告を無視して益々拳銃を強く引つ張つて奪い取ろうとする態度に出た。ここに至つて被疑者はこのような状態が続けば自己の力も尽き幸好に拳銃を奪取される危険があると直感し、威嚇のために拳銃を発射してその抵抗を制圧しようと考え、銃口が自己の左斜前方やや下向きとなつている瞬間に一発発射した。
しかし右威嚇のための発射にも拘らず幸好はなおも力を緩めず飽くまで拳銃を奪取しようと強く引張り、そのため被疑者が一瞬躊躇すれば幸好から拳銃を奪われたうえ逆に発砲されかねない切迫した事態となつた。そこで被疑者は突嗟に拳銃の奪取を防ぎ自己の身体を防衛するためには幸好の身体に向けて拳銃を発射してその抵抗を制圧する以外に方法がないと決意し、銃口が幸好の下半身に向いていることを知りながら引続き二発目を発射した。
右の一発目の発射によつて座敷上り口附近のホールに立つていた高山和子は腹部貫通銃創の傷害を蒙り同月二〇日同町桐野福江病院において右傷害に起因する穿孔性腹膜炎と併発全身衰弱により、二発目の発射によつて加藤幸好は腹部盲貫銃創の傷害を蒙り同月一一日直方市山崎病院においていずれも死亡した。
二、右事実を認定した理由及び被疑者、請求人らの主張に対する判断
(一) 本件被疑者の発砲行為と職務執行との関係
昭和二三年八月三一日福岡県条例第四一号風俗営業取締法施行条例第二〇条(1) によれば料理店並びに従事者の営業時限は午後一一時を超えないことと規定されているので、本件被疑者瀬利巡査が七月八日午前零時過ぎ頃割烹「くろねこ」において同店マダム高山和子の注意を無視して帰ろうとしなかつた加藤幸好に対し、営業時間を過ぎているから帰宅するようにと促した行為は、警察官等職務執行法第五条に規定する関係者に対する警告措置であると認められる。従つて右被疑者の職務執行に対して抵抗する態度に出た加藤幸好を制圧しようとして為された本件発砲行為は右「職務ヲ行フニ当リ」為されたものである。
(二) 拳銃取出の時期及びその当否
(1) 拳銃取出の時期
請求人は被疑者が拳銃を取り出した時期は四畳の客座敷で加藤幸好に対し発射する直前であつて、被疑者が述べているようにホールの東側の壁に加藤兄弟から押しつけられた事実も、また右地点における拳銃取出の事実もない旨主張する。
然しながら第一に、昭和三八年七月一五日付高山和子の検察官に対する供述調書及び同年七月九日付司法警察員に対する供述調書によれば、被疑者と兄弟の三人は一〇分近く激しく店の中をあちこち押し合い揉み合つたこと。その間に二回程幸好が椅子を振り上げその都度高山和子がこれを取り上げたこと。その後三人はもつれ合いながら奥の客座敷に上り込んだこと。及びこれら押し合い揉み合う途中において高山和子が「撃たないで」と叫んだこと。が認められ、これらの事実は、客座敷に上り込む前に奥の壁(東側壁のこと)附近で兄弟から押しつけられその際幸好が再度椅子を振り上げたため拳銃を取り出したという被疑者の供述と大体において符合する。尤も高山和子が「撃たないで」と叫んだのが客座敷に三人が上り込む前であつたか後であつたかは右の供述自体からは明らかでないけれども、他方同女の前記検察官に対する供述調書には幸好が被疑者の腕の辺りに手をかけていたのは見ている旨の供述記載があつてこれは供述の順序からしてホールにおける状況に関するものと考えられ、また右調書には発射直前の状況として「とにかく三人が激しく揉み合つているうち急に撃たれたのでどんな姿勢でどのように発射されたかよく覚えがありません」という供述記載があり、発射直前における拳銃の模様についてはよくわからない状況であつたものと思われるので、これらの供述記載を総合すると被疑者は客座敷に上る以前に既に拳銃を取り出しており、これに対し高山和子が「撃たないで」と叫んでいたことが窺われ得る。第二に加藤敏一の昭和三八年七月一一日付司法警察員に対する供述調書によれば、一旦ホールの中央附近で振り離された後再び被疑者に組みついて押して行つたこと、その際幸好が椅子を振り上げたが敏一が正面から押していたため椅下を振り下すことができず、椅子は高山和子が取り上げたこと及びその後三人はもつれ合いながら奥の客座敷に上り込んだことが認められ、これらの事実もホールにおける揉み合いの状況に関する限り被疑者や高山和子の供述とほぼ一致する。
ところで請求人は、被疑者ら三人が奥の壁附近には行つておらず、道路側の壁(西側壁のこと)の隅に押しつけられた後直ちに奥の四畳の客座敷に上つて行き、気がついた時は既に幸好の腹の辺りに拳銃が突きつけられていたと高山和子が述べた旨の証人高山義信(公務執行妨害事件第七回公判)及び同斉藤鳩彦(同第一一回公判)の各供述に基づき、ホール東側の壁附近における拳銃取出の事実を否定するのであるが、右高山和子の供述を内容とする証人高山義信及び同斉藤鳩彦の各供述は、前記高山和子自身の供述調書の記載内容とは相反するものであり、而して前記高山和子の検察官に対する供述調書については、証人福江正善(前同第九回公判)、同大坪茂(同第一〇回公判)の供述によると、当時高山和子は手術後の小康状態にあつて漸く話ができるようになつたという程度であつたから検察官の取調べも短時間で供述の内容は事件の極く大まかな説明に留まつているが、右のような供述者の病状のため検察官の取調べ態度は反つて供述者を優しくいたわる態度であつたことが窺われ、ただ検察官としても事実関係を明らかにしなければならぬ職務上供述内容を問いただすなど多少の追及があつたことは認められるが、これも供述者に対し意に反する供述を強制したものとは考えられないから結局右高山和子の検察官に対する供述調書は充分信用できると認められる。同女の前記司法警察員に対する供述調書についても、その記載内容がむしろ被疑者に不利な供述を含んでいること及び右調書の作成が事件後間もなく為されていること等の事情からして信用できるものと認められる。従つて右高山和子自身の供述内容と異る前記高山義信及び斉藤鳩彦の各供述はいずれも遽かに措信できない。また加藤敏一の前記司法警察員に対する供述調書については、その作成日の前日の勾留質問の際既に裁判官に対しても公務執行妨害の事実を全部認めていること。一日も早く出たいため認めたのだという自白の動機についての公判廷における同人の供述が必ずしも納得できないこと。また右調書の記載内容を検討すると、第一回の司法警察員に対する供述調書の記載内容に比べ不利な供述記載が詳細になつているが、これは落ち着いて考えた結果事件当時の記億が喚起されたためとも考えられ、また必ずしも自己に不利な事実を全面的に認めている訳ではなく、客座敷に上り込んだ後の状況並びに被疑者の拳銃に気がつかなかつたという点については当初の供述がそのまま維持されていることが認められるので、前記ホールにおける揉み合いの状況に関する不利な供述部分のみを信用できないと言うことはできない。
更に請求人は事件当時ホール東側の壁附近には机や椅子が寄せられていたから被疑者達が右壁の附近まで行くことは不可能であつたと主張する。実況見分調書添附写真No. (2) (5) (6) によればなるほどホール東側の壁の前附近に机や椅子が一面に寄せられているが、証人俵吉光の供述(公務執行妨害事件第四回公判)によると現場の保存自体も午前一時半頃であつたことが窺われるのでその間に机や椅子の状態が変つていることが考えられるし、またカウンターの前を通つて負傷した高山和子を奥の六畳の居間へ運び込む際机や椅子を移動させた旨の証人高山義信(前同第六回公判)、同勇木数一(同第九回公判)及び同野見山耕助(同第八回公判)の各供述からは逆にその以前においては実況見分調書添附写真に見られるような一ケ所に集められた状態で寄せられていたものではなくもつと広く散乱していたことが窺われるので、このように散乱した机や椅子の間を揉み合いながら通つて壁際まで行く可能性もあつたと考えられる。仮に壁に接着するまで近づくことが事実上不可能であつたとしても、そのことから直ちに被疑者達がその近くまで行つたことすらなく、従つてまたその附近で拳銃を取り出した事実もないとは言えない。
なお請求人は被疑者の、押しつけられたという地点についての指示が一定せず曖昧であるとしてこの点からも被疑者の供述は虚偽であると主張する。被疑者の指示説明には多少はつきりしない点はあるが、被疑者としても揉み合い最中のことであるから必ずしもそれ程正確に記憶している訳ではなく、ただ少くとも東側壁の附近で押しつけられその際拳銃を取り出したことだけは間違いないという趣旨に理解されるから、指示地点が多少ずれたとしてもこのことから直ちに被疑者の供述が虚偽であるということにはならず、反つてホールにおける揉み合いの状況についての被疑者の供述は全体として前記高山和子や加藤敏一の供述調書とほぼ符合照応している事実からして、拳銃取り出しの状況に関する被疑者の供述は信用できると認められる。
(2) 拳銃取出の当否
前記一、の認定事実及び右二、(二)(1) で判断した諸状況からすれば、ホールにおいて加藤兄弟が被疑者に対して為した攻撃は強力且つ執拗であつたことが窺われ得る。尤も右三者の揉み合いの状況に関し兄弟のうち兄敏一については、前記高山和子の司法警察員に対する供述調書中に、「兄もそのとき文句を言つたが、弟を止めるようであつた」「弟は椅子を二回程ふり上げて巡査に殴りかかつたが、私と兄と二人でとめたので当つていないと思つています。」という供述記載があり、また藤本貴美代の昭和三八年七月一二日付検察官に対する供述調書にも、「加藤の兄は最初のうちは低い声で瀬利巡査に言つておる声は聞えました。然し兄さんが何か言いよるなという程度でその内容はよく聞きとれませんでした、その後はママさんが『兄さんも止めておるからやめなさい』等と弟に言つておるのを聞いたので加藤の兄は止めていたんではないかと察していました」という供述記載があり、これらによれば兄敏一はむしろ幸好を制止していたとも考えられるのであるが、然しながら他方前記高山和子の検察官に対する供述調書では、兄も巡査に抱きついて行つたように見えたこと。大体兄弟二人で巡査を押して行つたこと。幸好が振り上げた椅子を取り上げたのは高山和子自身である旨の供述記載となつておるし、また加藤敏一自身の前記司法警察員に対する供述調書及び昭和三八年七月一五日付の第二回検察官に対する供述調書にも、むしろ積極的に被疑者を押しまくつた旨の供述記載があり、兄敏一が果して幸好を制止していたかどうかは疑わしい。少くとも当時の敏一の行動が仲裁乃至幸好を制止するような明確な態度でなかつたことは間違いのないところであり、たとえ敏一自身はそのような意図を持つていたとしても現実に採つた態度は酔余且つ肉親の情もあつてか被疑者の身体に抱きつく行動となり、反つて被疑者の身体の自由を束縛する結果となつたものであることが認められる。このような状況にあつて被疑者は当時警棒、警繩を携行していなかつたので、それらを使用して加藤兄弟を制圧することができず、また被疑者は二度にわたり兄弟二人の力に押されて壁附近で押しつけられ反撃することが困難な状態に追い込まれていたので容易に兄弟二人を投げ飛ばしたり、当身を喰わしてその抵抗を抑止することは困難な状況にあつたと考えられる。而して被疑者は右の拳銃を加藤兄弟に向けて構えた訳ではなく、ただ単に上に差し上げて「やめんと撃つぞ」と警告したに過ぎない。従つて被疑者が土間の東側の奥の壁附近で拳銃を取り出したことは、「拳銃使用に関する警察官拳銃警棒等使用及び取扱い規範」(昭和三七、五、一〇国家公安委員会規則第七号)第七条本文に所謂「自己若くは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため、警棒等を使用する等の他の手段のないとき」に該り且つ「必要最小限度」の範囲内に留まるものと認められるから違法とは言えない。
(三) 発射直前の加藤兄弟の行動
(1) 幸好による拳銃奪取行為の存否
高山和子の前記検察官に対する供述調書には前述のように、拳銃を奪い取ろうとしたかどうかは知らないが弟の幸好が巡査の腕の辺りに手をかけていたのは見ていること、三人が激しく揉み合つているとき急に撃たれたのでどんな姿勢でどのように発射されたのか覚えていない旨の供述記載があり、これらの事実は、当初幸好は被疑者の胸倉や襟首附近を掴んで押していたことから考えて、被疑者が拳銃を差し上げていたのに対し幸好がその腕を引き下げようとして手をかけていたこと及び右の奪い合いの状況が奥の客座敷上り口附近で被疑者の拳銃が発射される直前まで続いていたことを推測させるものである。更に証拠保全手続における証人高山義信の尋問調書には、被疑者と幸好の両人は掴み合つており、弟は左手で被疑者の右手首か銃身の辺りを掴み、右手で被疑者の肩を掴まえ、一方被疑者は左手で弟の右肩を掴んでいた旨の供述記載があり、また同人の昭和三八年七月九日付司法警察員に対する供述調書にも、「発射されるときは瀬利巡査は拳銃を握つておりその手首か拳銃を加藤幸しやんが掴んで二人はもめていたので」という供述記載があつて、これらの供述記載も同様に被疑者と幸好との間の拳銃奪い合いの状況を窺わせるものである。尤も右高山義信の証拠保全手続における尋問調書には他方、両人は前述のような恰好でにらみ合つた静止した状態で立つていた旨の供述記載もあるのであるが、互いに引張り合つている場合には両者の力が釣合つた結果表面的には一瞬静止した状態に見えることも充分考えられるから、結局当時の状況は、被疑者と幸好が互いに拳銃を引き合つていてそのため両者の力がほぼ均衡していた結果拳銃は僅かに浮動する状態にあつたものと考えられ、座敷に上つた後も幸好が「撃つなら撃て」と応酬していた事実から見ても幸好が気勢を殺がれて全く静止している状況にあつたとは考えられない。
なおここで右高山義信の供述の信憑性について考えてみると、被疑者は一貫して高山義信が発射直前までに現場に来た事実は絶対にないと極力否定し、また加藤敏一の昭和三八年七月二一日付司法巡査に対する供述調書を見ると同人も高山義信の姿には全然気づいていなかつたことが明らかで、高山和子の前記検察官並びに司法警察員に対する供述調書にも夫義信についての供述記載は全く見受けられないのみならず、証人俵吉光の供述によれば高山義信自身も実況見分の立会を求められたのに対し自分は事件当時現場にいなかつたからとこれを断つた事実が窺われるので、果して同人が発射直前の状況を目撃したのかが問題となり得るが、然し藤本貴美代の昭和三八年七月一二日付検察官に対する供述調書によれば、福島ミツ子が裏口から入つて来て高山義信を起しに行くと直ぐに同人が店の方に出て行き高山和子の傍へ行つたと思う頃発射音が聞えたということで、また証拠保全手続における同女の尋問調書にも、大将が店に行かれた頃自分もホールの中へ一歩足を入れた途端にパンと嗚つた。そのとき大将は土間の敷居附近にいたという趣旨の供述記載があり、更に福島ミツ子の昭和三八年七月一〇日付司法警察員に対する供述調書並びに証拠保全手続における同女の尋問調書によると、同女は高山義信を起した後一間置いた奥の四畳半の部屋で着物を脱いでいるとき発射音を聞いたということで、これらの事実と高山義信が寝ていた六畳の居間から炊事場を通つて奥の客座敷へ至るその間の距離関係等を考え併せると高山義信が福島ミツ子から起されて発射直前に現場へ駆けつけることは必ずしも不可能ではないと考えられるし、なお事件直後高山義信が現場に居合さなかつたとして実況見分の立会を断つた点も、同人が目撃したのは発射直前の僅か数秒に過ぎず事件全体を通じて見れば殆んど現場にはいなかつたことになり詳しい事情は知らないからという趣旨にも解され、これだけで直ちに同人が現場に居合さなかつたと断定することはできないので、結局同人が発射直前現場に駆けつけた事実を否定することはできない。けれども発射直前における被疑者と幸好の拳銃奪い合いの状況に関する同人の供述は、捜査の段階とその後の刑事法廷、民事法廷における証言とでは微妙な喰い違いを示し、法廷における供述では同人が敷居際に近づくまで瀬利巡査と幸好は静止した状態で、お互いに押し合い引き合う動的状態にはなかつたという趣旨の供述となつている(公務執行妨害事件第六回公判)。
然し右の公判における供述は前記高山和子の供述調書の供述記載とも相違するし、むしろ事件直後に作成された高山義信の前記司法警察員に対する供述調書並びに証拠保全手続における同人の尋問調書の方がより信用できると考えられる。
なおまた請求人は拳銃奪い合いの状況についての被疑者の供述は、拳銃を奪おうとしたという幸好の右手と左手の使い方が後に入れ替つたり、或いは当初は両手で奪おうとしたということになつていたものが後には片手に変つたりしている供述の変化矛盾を指摘し、このことから被疑者の供述が信用できないと主張するが、被疑者の供述も前述のように高山和子、高山義信の捜査官に対する各供述調書並びに高山義信の証拠保全手続における尋問調書と対比すれば、少くとも幸好に被疑者の拳銃を奪い取ろうとする態度があつたという点では符合するのであるから、その奪い方についての供述の若干の喰い違いから直ちに被疑者の供述全体が虚偽であつて奪取行為そのものがなかつたと言うことはできない。
(2) 兄敏一の行動
発射直前の兄敏一の行動について、被疑者は終始敏一が被疑者の左斜め後方から抱きつき右手で被疑者の右肩を掴み、左手を被疑者の左脇の下に差し入れるようにしてしがみついていたと供述している。敏一自身の供述では奥の客座敷に上り込んだ後拳銃が発射されるまでの自己の行動についての記憶は明らかでない。これに対し高山義信の供述によれば一貫して発射直前兄の敏一は被疑者の左横附近に何もせず黙つて立つていたということである。
ところで前記高山和子の検察官に対する供述調書には、三人が激しく揉み合つているうち急に撃たれた旨の供述記載があり、これによると敏一自身も被疑者に抱きつき揉み合つていたことが窺われ得る。これに前記高山和子の司法警察員に対する供述調書及び加藤敏一の捜査官に対する各供述調書を総合すると前述(二)(2) のとおり当初は敏一としても仲裁乃至幸好を制止する意思をもつて行動したと考えられなくもないが、その後揉み合いの経過につれ、少くとも外形的には右のような明確な態度を採らず、反つて被疑者の方に抱かついてこれを押して行き、そのまま客座敷に上り込んで行つた事実、及びそのような状態が発射の瞬間に至るまで継続していた事実が窺われるので、このような各証拠と対比するときは、高山義信の供述よりもむしろ被疑者の供述の方が当時の状況に近いものであると考えられる。
(四) 三発発射の順序
請求人は被疑者が当初から加藤幸好に対して乱射若くは連射の意思をもつて連続三発を発射し、先ず第一発目を幸好の下腹部に命中させ、次いで第二発目は幸好が第一発目命中の瞬間反射的に拳銃を押しやつたために客座敷上り口附近のホールに立つていた高山和子の右季肋下部に命中し更に第三発目は被疑者が慌てて拳銃を手許に引き戻すはずみで被疑者の右斜め前方に飛び、硝子窓の右端の枠木に命中したものである旨主張する。
然しながら右主張によると先ず三発の各弾丸の発射方向が問題であつて、第一発目と第二発目とは順序がどうであろうとも、いずれにしても、被疑者の位置から見て正面に立つていた加藤幸好と、ほぼ左横の上り口附近のホールに立つていた高山和子にそれぞれ命中しているのであるからその角度は殆んど直角に近い開きがあり、また第三発目は大幅に右回転して被疑者の右斜め前方に飛んで窓の右端の枠木に命中しているのであるから、高山和子に命中した際の発射方向とはほぼ一三〇度前後の開きがあることになる。若し請求人主張のように被疑者が幸好に向けて連続三発発射したのであれば、右両名が静止したままの状態では何故このように一発毎に大きく方向が変つているのか理解し難い。第二発目が高山和子の方向に飛んだのは第一発目が命中した瞬間幸好が反射的に銃口を押しやつたためであると請求人は主張するが、これを認めるに足る証拠は何ら存しないし命中の直後幸好に九〇度前後も方向が変るように押し除ける力があつたか疑問であるし、反つて高山和子の方向に第一発が発射されその音で幾分幸好が躊躇した為被疑者の引張る力が強まり拳銃が幸好の方向に向いたものと考えられ、また第三発目についても請求人主張のように被疑者が慌てて引き戻したはずみだけで窓際の右端の枠木の方向に飛んだと考えるよりは、第二発が幸好に命中して同人の手が拳銃から離れて被疑者の方向に引き戻されると共に被疑者の左側から何らかの外力(この場合には幸好の反射的動作も考えられないので幸好以外の者による外力)が加わつたことと相俟つて右斜の方向に向いたものと考へる方が極めて自然である。
次に、請求人の右主張を支持する証拠と考えられる高山和子の供述を内容とする証人高山義信及び同斉藤鳩彦の供述についてみると、右高山和子は右証人等に対し、「自分には第二発目が命中した。その際の状況は第一発目がパンと鳴つた後銃身がこちらを向いたのでハツとしたらパンと鳴つて撃たれた」と述べたというのである。然しながら高山和子自身の前記検察官に対する供述調書によれば、既述のように、「三人が激しく揉み合つているとき急に撃たれたのでどんな姿勢でどのように発射されたかよく覚えない」旨の供述記載となつていてその状況は右の供述内容と相違しているのみならず、高山義信の前記昭和三八年七月九日付司法警察員に対する供述調書においても、「妻に当つた弾丸は一発目か二発目か三発目の弾丸であつたか続いて発射されたのでよくわかりませんでした。発射されるときは瀬利巡査はけん銃を握つており、その手首かけん銃を加藤幸しやんが掴んで二人はもめていたので、けん銃の銃口はその拍子に畳の下の横に立つていた私達の方に向いていたのでしよう。そのときに発砲されたので運悪く妻に当つたものであります」とあり、これらの供述記載から考えると発射直前において被疑者と幸好とは拳銃乃至これを握つている手を掴みあい拳銃を間にして互いに揉み合つており、そのため拳銃も絶えず銃口が浮動している状況にあつたと思われるので、当時果して高山和子が高山、斉藤証人に述べたという供述どおりの状況であつたか疑問であつて、右各供述は遽かに信用できない。
また同じく第一発目が加藤幸好に命中したとする請求人の主張を支持する証拠として、第一発発射直前既に被疑者は拳銃を幸好の不腹部に突きつけており、互いに相手を掴まえてにらみ合つている時、制止するため自分が座敷に上ろうとした瞬間第一発が発射した旨の高山義信の公判廷における証言(公務執行妨害事件第六回公判)があるが、前認のとおり被疑者と幸好は拳銃を中にして揉み合つていた状況で発射されたものであり、又義信自身右証言において、拳銃が幸好の腹のあたりにつけられて相互ににらみあう恰好だつたので、これを制止するため畳に足をあげかけ、草履を脱ぐため足元をみていた時第一発の音がした。その瞬間の三人の様子はみていないと述べているので、同人が足下をみていた間に浮動する銃口は高山和子の方向に向いた上発射されたものと思われ、義信がみたと述べる幸好の下腹部に拳銃がつきつけられていたというのは、幸好が拳銃を下方に引きおろす動作の途中か、その直後両者の力が均衡して下腹部附近で引張り合つていた状況を瞬間的にみたに過ぎず、真に静止した状態で腹部に押し当てられていたものではないと判断することができ、彼此対照すれば第一発発射直前既に幸好の下腹部に突きつけられていた旨の右高山義信の証言もやはり信用し難く、反つて発射の状況についての被疑者の供述は、少くとも発射の直前において幸好との間に拳銃を奪い合うような揉み合いの状態があつたという点では前掲高山和子や高山義信の供述調書と照応するのであるから、右被疑者の供述を全く虚偽であるとして否定することはできない。
更に発射後における加藤幸好の状態についてみるに、被疑者の供述によれば最初の一発が暴発した瞬間マダムがキヤツと声を出したということであり、また高山義信の供述でも、三発が鳴り終つた後妻の和子がフラフラと自分の後ろを通つて表に出ようと二、三歩歩き出して痛い、痛いと言つたこと。加藤幸好は三発鳴つた後直ぐにひつくり返つたのではなく黙つて立つていたということであり、いずれの供述からも三発発射の直後先ず最初に命中による反応を示したのは高山和子であつたことが認められるが、若し請求人主張のように第一発が幸好に命中したとすればむしろ最初にのけぞるなり、声を出すなり何らかの反応を示すのは幸好ではなかつたかと考えられる。三発発射するに要した時間を請求人主張の如く二秒程度と考えても第一発目が幸好に命中したと考えることはやはり疑問である。
なお請求人主張のように考えた場合、被疑者は何故幸好に対し連続して三発も発射しなければならなかつたのかが理解し難い。請求人はその理由を被疑者が逆上し錯乱状態に陥つた結果であると言うのであるが、なるほど当時被疑者が幸好から拳銃を奪われ逆に発砲されるかも知れないと判断し切羽詰つて極度に緊迫した心理状態にあつたことは認められるけれども、それにしても幸好に対しいきなり連続して三発も発射する必要は全く考えられず、訓練を受けた警察官たる被疑者が発射の効果を確かめる程度の余裕すらなくやみくもに連続三発発射する程逆上していたとは考えられない。
ところで三発を発射し終るに要した時間は、被疑者の供述によると大体五、六秒位(公務執行妨害事件第二回公判)ということであるが、他の関係人の供述ではほぼ二秒乃至三秒程度となつている。これら発射音の間隔についての関係人の記憶も、発射音を聞いた際の注意の程度、過去におけるこのような経験の有無及び事件後における他の様々な体験の混入等種々の事情により影響を受け多分に主観的なものとならざるを得ないので、本件における三発発射に要した時間が果して正確に何秒であつたかを確定することは困難であるけれども、被疑者以外の関係人の供述がほぼ一致して二秒乃至三秒となつていること、これらの供述ではいずれも続けざまにパン、パン、パンと鳴つたということでいずれにしてもその間隔は極めて短時間であるから、発射音の間隔の長い場合に比較すれば、その誤差の幅も小さいと考えられること。及びこれら関係人の供述について特に信用できない事情も証拠上は認められないことから、結局三発発射の間隔は二秒乃至三秒程度であつたと認める他はない。而してこの時間はかなり短時間ではあるけれども、その間に拳銃を奪い合う人間の身体は相当の動きが可能であり、浮動する拳銃の銃口は方向をかなり変化させうるし又動作の変化に従つて瞬間的にではあるがなお事態を判断しこれに応じて行動する余地は残されているものと考えられる。
以上の諸点を考慮するときは、本件被疑者が発射した三発の各一発毎にその発射の理由を考えることは必ずしも不可能ではなく、請求人の主張とは異り、むしろ第一発目は高山和子に、第二発目が加藤幸好にそれぞれ命中したと考える方がより合理的であると思われる。
(五) 第一発目発射行為に対する判断
前述(四)のとおり第一発目は高山和子に命中したものと認められるが、右第一発目の発射は被疑者が幸好の抵抗を制圧するため威嚇の意図で銃口が左斜前方やや下向きとなつていた際ホールの床に向けて発射し、その結果誤つて高山和子に命中したものと認められる。
即ち被疑者の一貫した供述によれば、拳銃を差し上げたまま四畳の客座敷の窓際から上り口附近まで押し返し、そこで幸好と拳銃の奪い合いをしている最中に被疑者の指がいつの間にか用心金の中に入り、そして幸好がいきなり銃身に手をかけて引き下したため、奪われまいとして思わず指先に力が入つた結果一発暴発し高山和子に命中したというのであるが、前述(三)(1) のとおり発射直前被疑者と幸好との間に拳銃の奪い合い乃至引つ張り合いの事実があつたことは認められるけれども、当裁判所の本件拳銃並びにこれと同種同型の拳銃について検証した結果によれば、被疑者が使用した拳銃は安全装置がないところから撃鉄を引起さない場合には暴発事故を防ぐため引金をかなり重くしてあり、発射の意思が伴わなければ容易に引金が引けないものであること。また右拳銃を使用して被疑者の供述に基づき当時の状況を再現した結果によつても指先は安全金の中へ容易には入らないことが認められるので、これら検証の結果により幸好から銃身を引き下されたため引金に指がかかつて暴発したという被疑者の供述は遽かに信用することができない。
このように第一発目は被疑者の供述にも拘らずやはり被疑者の意思によつて発射されたものであると認められるが、この第一発目は前段認定のような状況で発射され高山和子に命中したものであり、これが加藤幸好に対して発射する意思で為されたものであるとの証拠はなく、また高山和子に対し故意で発射したものとはもとより考えられないから結局当時の状況から考え、被疑者の警告を無視し抵抗を続ける加藤幸好を威嚇し同人の抵抗を抑止する意図で、人に向けてではなく発射されたものと考えられ、そうだとすれば、直接高山和子に向けての故意犯の成立は勿論、請求人主張のように幸好に対する故意の発射が打撃の錯誤により高山和子に命中したものとして同女の死の結果につき特別公務員暴行致死罪の成立を認めることはできず、又たとえ右発射につき被疑者に過失の責があるものとしても、過失行為によつては本罪の成立はあり得ない。
(六) 第二発目発射行為に対する判断
加藤幸好に対し第二発目を発射した行為は、拳銃の奪取を防ぎ、且つ自己の身体を守るためやむを得ず為されたもので正当防衛行為であると認められる。
(1) 先ず本件において被疑者に対しいかなる「急迫不正の侵害」が加えられたかにつきみるに、前述のように、被疑者に対しては加藤兄弟により強力且つ執拗な攻撃が加えられ被疑者は胸倉や襟首を掴まれて押しまくられ三度にわたり壁や窓際に押しつけられていること。殊に弟の幸好は終始積極的に被疑者を押しまくりその間二回にわたり椅子を振り上げて被疑者に殴りかかろうとしたこと。被疑者が拳銃を取り出した後も被疑者の再三にわたる警告にも拘らず依然攻撃をやめず、そればかりか被疑者が右手で差し上げている拳銃へ手を伸ばしてこれを奪取しようとする態度に出たこと。そして発射の直前の状況は弟の幸好が両手で被疑者の右手を引き下げたため拳銃は幸好の腹部附近まで引き下され、同人は左手で拳銃を持つている被疑者の右手首を握り、右手で銃身附近を掴んで引つ張つておりそのため拳銃は幸好の手に奪われそうになつていたこと。一方兄敏一はやはり被疑者の左横やや後方から被疑者に抱きつくような恰好で立つていたことが認められ、また証人中原獅郎の供述(公務執行妨害事件第四回公判)によれば、右のような加藤兄弟による攻撃の結果被疑者は全治までに一〇日間を要する後頸部挫傷、左右前膊部及び左前胸部挫傷の傷害を受けたことが認められるので、このような加藤兄弟の被疑者に対する拳銃奪取及びその身体に対する暴行は急迫不正の侵害であると考えられる。ただ本件請求に対する検察官の意見書によると当時の状況は幸好によつて拳銃が奪われそうになつており、而して一旦奪われた場合には被疑者に向けて発射され被疑者の生命が危険に曝されたであろうことは極めて明白であるとして被疑者の生命に対する侵害の点を強調しているが、確かに拳銃を奪われる危険はあり、また奪われた場合には逆に被疑者に向けて発射される事態となることも充分予想され得る状況ではあつたけれども、それは拳銃が奪われた場合における将来の侵害であつて、拳銃が未だ被疑者の手中にある以上は被疑者の生命に対する急迫不正の侵害があつたとは言えないであろう。
(2) 右のように当時被疑者の身体に対し加藤兄弟による急迫不正の侵害が加えられている客観的状況にあり、このような状況の下で被疑者としては幸好による拳銃の奪取を防ぎ且つ自己の身体を防護するため拳銃を発射したのであるから右の発射行為は防衛の意思で為されたものと認められる。
(3) そこで右の発射行為が已むことを得ざるに出た反撃行為と言えるかにつきみるに、被疑者は拳銃の銃口が幸好の下半身に向いており、位置が絶えず浮動していることを認識しながら発射したのであるが、下腹部に発射命中した場合死の結果を招く危険性が極めて大であることは言うまでもないところであるから、この点右発射行為が果して反撃行為として相当であつたか否かが問題とならざるを得ない。
先ず加藤兄弟による侵害の程度について考えると、兄弟は武器を持つておらず、又両名とも相当酔つてはいたが、被疑者に対する暴行の態様は単にその胸倉や襟首等を掴んで押しまくる程度にとどまらず、或いは二回にわたり椅子を振り上げて被疑者に殴りかかろうとしたり、窓際や壁に息苦しくなる程押しつけたり、被疑者が威嚇の目的で拳銃を取り出した後はこれを奪取せんとして飽くまで食いさがり両名して被疑者の行動を制約し、ホールから座敷にまで上りこんで弟幸好は前方から遂に拳銃に手をかけて引き下ろし、兄敏一は斜後方から被疑者の上半身に抱きつくなど二対一の力関係で被疑者を圧倒し拳銃を殆んど奪取せんとする寸前の事態にまで追いこみ、就中弟幸好の被疑者に対する攻撃は終始積極的且つ強力で執拗極まりなく、このまま推移すれば酒の酔いによる勢いも手伝つて前後の見境いもなくより強暴な行動にも及びかねない状況にあつたことが窺われ、その他同人の粗暴な性格、前歴等から考えると、一旦拳銃を奪取した場合には逆に被疑者に向けて発砲するやも知れぬことは充分予想され得る状況であつたというべく、叙上のあらゆる情況から考えると右加藤兄弟による侵害行為は決して請求人ら主張のような軽度なものとは言えないどころか烈しく強力なものであつたと断ぜざるを得ない。
次にそれでは被疑者の幸好に対する発射行為は右侵害行為に適応した反撃行為と言えるか否かを検討すると、両者が互に拳銃を引張り合つているため銃口が幸好の下腹部乃至脚部の間を浮動している状態を認識しながら発射することは或いは下腹部に命中して死の結果を招く危険が極めて大きいところから、被疑者に未必的な殺意の存在したことはこれを否定することができないところ、第一に前認定のような暴行の経緯及び発射直前の状況に至つた末、威嚇のための第一発が轟音を発したにも拘らず幸好は手を拳銃から離すどころか尚もこれを引張つて奪取の勢を示していた事実が認められ、第二に当該被疑者はかなり疲労していたものと認められること。即ち揉み合いが始まつてから発射までの時間につき関係者の供述は必ずしも一致せず、当裁判所の被疑者取調べの結果では四、五分位ということであり、一方請求人は福島ミツ子が幸好と被疑者の掴み合いが始まつたのを見て野見山酒店に電話をかけに行き戻つて来て高山義信を起し隣室で着物を脱いでいるとき発射音を聞いたという事実から推測して約三分三〇秒であつたと主張するが、いずれにしても約四分前後揉み合いが続いたことは間違いないと思われ、時間的にそれ程長いとはいえないものの、この間前認のような暴行を兄弟二人から加えられまた必死に防禦を尽していたため、たとえ四分位ではあつても被疑者はかなりの程度に疲労していたことが窺われ得るので、かかる際被疑者が拳銃の奪取されるのを防ぎ兄弟の暴行から身体を防衛するために、両人を振り離し又は投げ飛ばすとか或いは幸好の下半身に向いている銃口を押し下げて確実に同人の脚部乃至足下を狙つて発射すべく努力することは最早不可能な状況にあつたと考えられ、既に瞬時の猶予も許されぬ差迫つた状況下にあつたといわざるを得ない。被疑者としては、銃口が幸好の下半身に向つていても本件の場合発射する以外に採るべき方法がなかつたものと断ぜざるを得ず、かかる状況下における本件第二発の発射行為は真にやむを得なかつたものと言うべく、たとえその結果幸好を死亡させることになつたとしてもそのために右発射行為が反撃行為として相当でないとは言えない。
第四、結語
以上要するに、本件各被疑事実につき、高山和子に対する関係においては被疑者において加藤幸好並に高山和子に対する発射の故意を欠き、また加藤幸好に対する発射行為については拳銃の奪取を防ぎ、且つ自己の身体を防衛するために已むを得ずなされた正当防衛行為であつて違法性を阻却するものと認められるので、いずれも刑法第一九六条第一九五条第一項の特別公務員暴行致死罪を構成せず本件請求は理由がないことが明らかである。よつて刑事訴訟法第二六六条第一号後段により主文のとおり決定する。
(裁判官 安仁屋賢精 大西浅雄 上田幹夫)