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福岡地方裁判所 昭和41年(ワ)1212号 判決 1969年9月26日

原告

藤次郎

被告

福岡市

主文

一、被告は原告に対し金二四一、〇二五円およびこの内金二一三、〇二五円に対する昭和四一年一一月二日以降、内金二八、〇〇〇円に対する昭和四三年一月一日以降各完済に至るまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四、この判決の第一項は、仮りに執行することができる。

事実

(申立)

一、原告「被告は原告に対し金一、〇〇〇、〇〇〇円およびこの内金五四四、四五〇円に対する昭和四一年一一月二日以降、内金四五五、五五〇円に対する昭和四三年一月一日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

(主張)

第一、請求の原因(原告)

一、原告は昭和四一年四月二六日午後九時一五分ごろ福岡県粕屋郡篠栗町大字城戸先国道二〇一号線を自動二輪車(もとの第二種原動機付自転車)を運転して篠栗町方面から飯塚市方面に向つて進行中同国道上に経八〇センチメートル、緯二メートル、深さ一五センチメートルの道路欠損部分の窪みに自車の前輪を嵌め落とさせて操縦の自由を失つた結果三メートル先の路上に転倒し、よつて頭部胸部打撲擦過創、頭蓋骨骨折、脳震蕩症の傷害を負つた。

二、事故の原因

原告が右のような道路欠損の窪みに気付かず本件事故に遭遇したのは、前記国道の管理者たる福岡県知事が管理者としての危険防止のため必要な措置を講じなかつたからである。道路の管理者としては所轄内の道路を常時良好な状態に保つように維持修繕等をするとともに万一道路に破損決壊個所等がある場合には直ちに修補するのは勿論のこと、区域を定めて交通制限または禁止し、夜間には赤色の標識灯を点灯する等して一般交通に危険を及ぼさないよう道路を管理すべきであつたのに、福岡県知事は何らそのような措置を講じなかつたのである。なお、当夜右現場附近にはこれを照射する光源がなかつたため極めて暗く、原告の前照灯のみでは道路の状態や通行の可否を識別することができない状態であつた。

三、被告の責任

本件事故は国道管理に瑕疵があつたために生じたものであり、右国道の維持修理等の管理は福岡県知事が行い、その費用を被告が負担している。従つて、被告は国家賠償法第二条、第三条により原告の蒙つた損害を賠償しなければならない。

四、損害

(一) 金二八、〇〇〇円

昭和四一年四月二七日以降四〇日間看護人たる柳池フミノに一日金七〇〇円の割合で支払つた分。

(二) 金五、五五〇円

昭和四一年六月中に使用した氷代として同年九月一九日魚大商事有限会社に支払つた分。

(三) 金七、六〇〇円

原告が順血散、キライ、ヨウカチン等の薬品を購入し、昭和四一年九月一五日藤里乃薬局に薬品代金として支払つた分。

(四) 金四、八〇〇円

原告が昭和四一年四月二七日以降五〇日間自宅から篠栗町の楢崎病院に通院した際一日往復金六〇円の割合による交通費とその他にハイヤー代として金一、八〇〇円を支出した分。

(五) 金一、五〇〇円

灸による治療代金として支出した分。

(六) 金二、〇〇〇円

本件事故当時原告を前記楢崎病院に運搬して貰つた謝礼として支払つた分。

(七) 慰藉料金五〇〇、〇〇〇円

原告は妻と三人の子を抱え一家の支柱となつて働かなければならないのに、右頭頂部に約五センチメートルの頭蓋骨の亀裂を認め、意識不明、一般機能不良状態となり加療の結果漸く覚醒したものの、その後頭痛が続き、中でも四月二六日、二七日、二八日の間は嘔気甚だしく、六月二二日退院したが、頭痛やめまいがあつて仕事はできず、家でぶらぶらしたり寝ている外はなく、何時正常な状態に戻るか分らない状態である。従つて、本件事故による精神的打撃は大きく、金五〇〇、〇〇〇円の慰藉料額が相当である。

(八) 喪失した得べかりし利益金六〇四、三八四円

1 原告は本件事故当時有限会社吉田製作所に勤務し一ケ月平均金三〇、六八八円の収入を得ていた。本件事故当時の昭和四一年四月分から同年六月分までの給料はすでに受領したが、同年七月右会社が倒産したため失職し、同年七月から同年一二月までの六ケ月間は毎月金一八、〇〇〇円宛の失業保険金を受領した後は無収入となつた。原告は右会社では製作機械の計算の仕事を担当していたものであるから、このような技術を習得している者は失職しても直ちに他の会社に雇われて同程度の収入を得る見込みが十分あつたのであるが、前記のような病状のため仕事に就くことができなかつた。この先昭和四二年一二月末日まで仕事ができないことは確実である。そうすると、原告は、

(イ) 失業保険金を受領した昭和四一年七月一日から同年一二月末日右の金三〇、六八八円から金一八、〇〇〇円を差し引いた金一二、六八八円の六ケ月分である金七六、一二八円、

(ロ) 昭和四二年一月一日から同年一二月三一日まで一ケ月金三〇、六八八円の一二ケ月分金三六八、二五六円、その合計金四四四、三八四円を喪失したわけである。

2 本件事故当時原告は九州電力株式会社から電気料の集金を委託されて一ケ年に委託手数料として金一三九、〇八一円以上を得ていたのであるが、本件事故のため右の仕事ができなくなつたので、妻の藤ワカヱに右仕事をさせている。妻はそれまで近所の旅館に手伝いとして働き毎月少くとも金八、〇〇〇円の収入を得ていたのであるが、右集金事務をするため旅館の手伝いができなくなつた。従つて、原告は妻に集金の仕事をさせるために旅館の手伝の仕事を止めさせたのであるから、原告が右集金の仕事ができるようになるまで毎月金八、〇〇〇円宛妻に補償すべきことになる。原告は前記の事情で昭和四一年五月一日から昭和四二年一二月末日までの二〇ケ月間集金の仕事ができないので金一六〇、〇〇〇円を妻に支払わなければならないので、これもまた本件事故による原告の損害である。

五、そこで、原告は被告に対し右四の(一)ないし(七)の合計金五四四、四五〇円とこれに対する訴状送達の翌日たる昭和四一年一一月一日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、同(八)の1の(イ)のうち金七〇、〇〇〇円、同(ロ)のうち金三三〇、〇〇〇円、同2のうち金五五、五五〇円の合計金四五五、五五〇円とこれに対する損害発生後たる昭和四三年一月一日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二、答弁(被告)

一、請求原因一の事実中原告主張の日時場所において原告が自動二輪車を路上に転倒させ、その主張どおりの傷害を受けたこと、本件事故当時事故現場路上に多少の道路沈下部分があつたことは認めるが、その余の事実は不知。

二、同二の事実中国道二〇一号線の管理者が福岡県知事であること、本件現場に道路の破損個所があつたことは認めるが、その余の事実は争う。その破損の程度は不明である。国道二〇一号線の本件事故現場附近は交通量が相当あり、偶々道路の自然沈下による損傷部分が生ずることがあるので、福岡土木事務所は適宜巡視し、発見次第補修している。しかし、その附近には採石場が多く、ダンプカーの通行あるいは採石場からの土砂の流出により路上に土砂が堆積し、道路の沈下部分に土砂が埋り膠着すると、陥没部分が不明確となるので、被告としては作業員をして路上の土砂を取り除き陥没穴の発見に努めている。本件事故の一週間前の昭和四一年四月一九日も福岡土木事務所が現場附近の路上の土砂を取り除く作業を行つたが、原告の主張の陥没穴を発見することができなかつた。本件事故当日は多少の降雨があり、原告の主張する陥没穴に膠着していた土砂が流出し、陥没穴が露出したものと思われる。

ところで、道路上に自然沈下による多少の損傷個所があることは往往にしてあることで、異常な自然沈下による大きな陥没穴は格別、原告主張のような経八〇センチメートル、緯二〇〇センチメートル、深さ一五センチメートル程度の陥没穴は通常運転者としての注意を払つておれば何ら交通上の危険を与えるものではない。

従つて、右国道の管理者たる福岡県知事が右程度の損傷部分を補修しなかつたからといつて、道路の通常備うべき安全性を欠いた管理の瑕疵があつたとはいえない。

三、同三の事実中国道二〇一号線の維持修理等の管理は福岡県知事が行い、その費用を被告が負担していることは認めるが、その余の事実は争う。

四、同四の各事実はすべて争う。

第三、抗弁(被告)

仮りに、福岡県知事において右陥没穴を補修しなかつたことが道路の管理の瑕疵であつたとしても、事故現場の道路は平担地で見通しがよく夜間においてもやや薄明るく通常の運転者であれば右陥没穴に気付き避けて通過することができるのであるから、事故発生の危険は殆どない。

ところで、原告は事故当日の夜自宅において相当飲酒し、同日午後九時過ぎごろ原告の妻から相当酔つていて危険だから出掛けないようにと制止されたにもかかわらず、この注意を聞き入れないで、自宅から自動二輪車に乗つて親類の家へ向つて出発した。本件事故に遭遇し、原告は事故現場から病院へ運ばれたのであるが、原告を救助した人々も原告が相当強い酒の匂いを発散させていたことを感じている。

従つて、仮りに本件事故が道路上の陥没穴に起因して発生したとしても、右事故の直接の主な原因は、原告が相当量飲酒し前方の注意が散漫となり、右陥没穴に気付かないまま漫然と進行したため発生したものというべきである。なお、事故の際原告はブレーキの操作もしていない。

第四、抗弁に対する認否(原告)

争う。

(証拠)〔略〕

理由

一、原告主張の日時場所において原告が自動二輪車を路上に転倒させ、その主張どおりの傷害を受けたことは当事者間に争いがない。

二、そこで、原告の右受傷の原因につき検討するに、右事故現場の道路に破損個所があつたことは当事者間に争いがない。そして、それがいつできたものかは必ずしも明らかでないが、〔証拠略〕を綜合すると本件現場附近の道路は福岡行橋間の国道二〇一号線であつて、この附近を頻繁に通行する者にとつては本件以前からこの陥没穴に気付いていたものもあつたこと、しかしこの道路は交通量のかなり多いところで、舗装されてはいるけれども、附近に大三物産の採石場があつて、土砂搬出のために重量トラックの往復が激しく、そこからこぼれ落ちる土砂が舗装路の両端附近に溜り、そこへ側溝浚渫の泥土が重つて膠着することもあつて、本件陥没穴にも幾分泥土があつたと思われるが、本件当時直前の降雨でその土砂の一部が流れ出して、前記穴状の陥没部分もまた好天のときに比べてさらに露出するに至つたこと、それは福岡から飯塚に向つて左側の路端近くの舗装部分と未舗装部分の境にあつて、大体経が七〇ないし八〇センチメートル位、深さ二〇センチメートル位の大きさで、皿状に陥没しており、そのうえ当時雨水が貯溜していたこと、この陥没穴は歩行者にとつてはともかく、四輪車の車輪が落ち込むと転倒することはないとしてもある程度の振動があるのに比べると、二輪車の場合は予めこの陥没穴に気付いて避けるか、あるいは低速で通過すれば転倒等の危険はないが、さもなければ車輪を落したバウンドで操縦の自由を失つたり、あるいは平衡を失して転倒する虞れのあること、現に二輪車の後部荷台に同乗していた者がこの陥没穴に落ち込んだ振動で振り落されたこともあること。そして附近にはこれを示す標識もなく、かつ夜間は車両の前照灯以外に照明設備が全くないため、この存在を知らない者には容易に発見できないこと、本件当日原告は三名の者とともに午後六時から午後九時までの間に合計六合を飲酒した後妻から止められたのも聞き入れずに自動二輪車を運転し、本件現場を通過するに際し、この陥没穴に気付かないまま進行したため、これに落ち込んで転倒したのであるが、その時もなお酒気を発散させていたこと、それは呼気一リットルにつき〇・二五ミリグラム以下ではあつたが、原告は元来酒に強い方ではないことを認めることができる。〔証拠略〕中本件陥没穴についてその大きさを経三・五メートル、一・五メートルなる旨の記載があるけれども、これは〔証拠略〕によつて、見取図(同号証)の作成者たる岩本幹生が現認した結果を記載したのでなく、殆ど当時の痕跡を残していない現場附近において専ら原告の妻藤ワカヱの指示説明に基いて作成されたものであること明らかであるから、これをそのまま本件陥没穴の大きさとして採ることができない。また、〔証拠略〕中右認定に反して、本件直前道路作業中この陥没穴に気がつかなかつた旨の部分は前記認定を覆して本件陥没穴がなかつたことまで証するものとはいえない。右認定の諸事実から考えると、本件事故は原告の飲酒とかなり高速と推測できる運転がその一因をなしているとはいえ、右陥没穴もまた本件事故発生に連るひとつの原因ということができるので、これは道路の通常備えるべき安全性を欠如したものというべく、しかもこの存在を示して危険を回避させるような措置を講じなかつたことはその管理の瑕疵と言わざるを得ない。

しかして、右道路の維持修理等の管理を福岡県知事が行い、その費用を被告が負担していることは当事者間に争いがないので、被告は国家賠償法第二条、第三条の規定に則り原告の蒙つた損害を賠償しなければならないこととなる。

三、原告の損害について検討する。

1  原告の受傷の部位程度については前示のとおりであるが、その病状治療経過については、〔証拠略〕を綜合すると、原告は転倒したところを葉山桂介に救助されて楢崎医院へ運ばれたのであるが、その際同人に大した怪我でない等の口吻を洩していたものの、同医院に担ぎ込まれた後意識不明に陥り、翌日覚醒したが、三日間は嘔気が激しかつたこと、入院当初頭重頭痛、眩暈が強く、三〇日後に漸く洗顔用便等自らできるようになつて、病状が次第に良好となり、昭和四一年六月二二日退院したこと、その後同年九月一七日九州大学医学部精神科で診察を受けた結果正常脳波で異常な所見がなかつたこと、同月二一日楢崎医院の診断では頭重感が残存し、時には眩暈があるが、さらに一、二ケ月程度の療養を要するということを認めることができる。そして、その後原告が医師から診断や治療を受けたとか、その結果については本件では何らの資料もないので、〔証拠略〕中原告が退院後翌四二年一〇月まで自宅で働けるような状態でなかつた旨の部分は前記認定事実に照してこれをそのまま採用することは困難である。他に右認定を覆えすに足る証拠はない。そうすると、原告の受傷は遅くとも昭和四一年一一月下旬ごろには治癒したものと認める他ない。

2  損害額

(イ)  付添費

〔証拠略〕には柳池フミノが看護代として金二八、〇〇〇円を受け取つた旨の記載があるけれども、これについては〔証拠略〕によれば同女から現実に四〇日間も付き添つて貰つた報酬として右金員を支払われたわけでなくて、ただ慰藉料請求のために支払済の書類を整える必要があるというので、原告の妻藤ワカヱがその母柳池フミノの名前を借りて作成したものに過ぎず、実際には一部を柳池フミノがそしてほとんど藤ワカヱが付き添つたことが認められるので、右書証をもつて原告主張事実を肯認する証拠とはなしがたい。しかし、原告の病状から考えれば三〇日間の付添が必要であつたこと明らかであるから、付添つた者が近親者であつて、現実に金銭の授受の跡が窺えなくとも、原告自身の損害として見るのを相当と考えるので、一日金五〇〇円の割合による三〇日間の合計金一五、〇〇〇円について付添費用として是認することができる。

(ロ)  入院中の経費

〔証拠略〕によれば、魚大商事株式会社が昭和四一年九月一一日に原告から入院中の氷代として金五、五五〇円を受け取つたことを認めることができ、右証言によつてこれが原告の入院中要したものであることが明らかである。そして、前示のように原告の症状期間等を考えると、右出費は入院中の雑費として原告の損害として是認すべきである。

(ハ)  〔証拠略〕を綜合すると、原告は「亀乃屋」旅館の藤里乃に熊本から順血散、キライ、ヨウカチンなる薬を取り寄せて貰い、昭和四一年九月一五日金七、六〇〇円を支払つたこと、しかしこれは別に医師の指示に基いて服用したわけではなくて、人の話ではよく効くというので服用したに過ぎないことを認めることができる。これによれば原告の前示症状治療のために果して必要な出費であつたかどうか必ずしも明らかでない。

(ニ)  交通費

〔証拠略〕によれば、原告の入院中妻ワカヱが楢崎病院まで通つた際、往復に金六〇円のバス代を要したので、その五〇回分として合計金三、〇〇〇円を支出し、さらに原告が行つていた九州電力の電気代集金業務を原告の入院中妻ワカヱが代つて行つたが、月末でもあつたのでタクシーを利用したため金一、八〇〇円を余計に出費したことが認められるし、〔証拠略〕も藤ワカヱが同額の支出をした旨「証明書」として記載している。妻ワカヱが前示のように付き添つたことや原告の入院期間を考えると、原告が入院していた病院へ通つた妻の交通費として、金三、〇〇〇円については原告の損害と見ることができるが、一方タクシー代については、右〔証拠略〕によると、前記集金業務は原告ひとりが行つていたものでもなく、原告と妻とが共同して行つていたのであり、中でも山間部は妻が行つていたことを認めることができるので、このことをも併せ考えると、これをそのまま原告の損害と評価するわけにはいかない。

(ホ)  〔証拠略〕によれば、原告は退院した後である昭和四一年七月ごろ前示の藤里乃に一回だけ施灸して貰つたので、その謝礼として金一、五〇〇円を支払つたことが認められるし、〔証拠略〕にも藤ワカヱが同趣旨のことを「証明書」として記載している。そして、原告の退院直後の前記状態等から考えると、その内金五〇〇円を是認するのが相当である。

(ヘ)  救助運搬費

〔証拠略〕を綜合すると、原告が前示のように転倒した際、葉山桂介が連絡を受けて本件事故現場へ赴き、受傷した原告を楢崎病院まで運んだので、原告としてはその謝礼として酒、煙草等金二、〇〇〇円相当の謝礼を贈つたことが認められ、〔証拠略〕には藤ワカヱが同趣旨のことを「証明書」として記載している。これから考えると、右出費については、同額の救助運搬費として是認すべきである。

(ト)  慰藉料

原告が本件事故によつて精神的苦痛を受けたことは明らかである。前示のように原告の受傷の部位、程度、治療の期間、経過、本件事故の態様、原告の過失程度等本件に現れた一切の事情を斟酌したうえ、その慰藉料として金二〇〇、〇〇〇円が相当であると考える。

(チ)  逸失利益

〔証拠略〕を綜合すると、原告は本件事故当時有限会社吉田製作所に勤めて昭和四一年一月から同年四月まで金一二二、七五〇円を給されていたが、本件事故によつて受傷したため同年六月末日まで欠勤したこと、同社は同年七月倒産したので原告もまた離職するに至つたこと、原告は離職後失業保険金を受給し、翌四二年一〇月一日から若杉病院の雑役夫として勤め始めたことを認めることができる。右証拠のうち原告が同社で製函の製図とか計算とかをしていて、これは特殊な技術にあたるので、もし本件受傷なかりせば、たとえ同社倒産のため離職したとしても、この技術をもつてすれば同等の収入のある他の職場に就職できた筈である旨の部分があるけれども、この部分だけでは具体性確実性を欠いてそのまま採用しがたく、しかも原告の離職の直接の原因が同社の倒産であるから、倒産後の失業保険金を超える部分を直ちに本件事故の結果と断ずることができず、他に原告主張事実を認めるに足る証拠はない。次に、〔証拠略〕を綜合すると、原告の妻の父たる柳池喜蒼が九州電力から電気代の集金業務を委託され、昭和四〇年には金一三九、〇八一円がその報酬として同人に支払われたことになつているが、右の集金業務については同人が高齢のため行うことができず、現実には同人に代つて原告がこれを行い、右報酬もまた実際は原告が受領していたこと、そして、このことは九州電力においても知悉したうえ委託していたことが窺えるのであるが、同時に〔証拠略〕を綜合すると、右の集金業務は原告ひとりがこれを行つていたわけでなく、山間部の地域は妻藤ワカヱが集金していて、結局夫婦共同で原告がその三分の二程度を行つていたことが認められるので、これからすれば原告が本件受傷のため集金業務に携わることができなかつたとしても、右の報酬額がすべてそのまま原告の逸失利益として算定するわけにはいかない。

そこで、原告の受傷ならびに治療経過については前認定のとおりであり、前顕各証拠を綜合すると、本件事故後原告が入院したため前記集金業務をすべて妻藤ワカヱひとりが行うことになつたのであるが、同女はそれまで「亀乃屋」旅館ほか二旅館を手伝い、一ケ月金八、〇〇〇円程度の収入を得ていたところ、昭和四一年二月ごろから家屋建築のため旅館の手伝いに行かないようになつているうち、原告の受傷で右のような集金業務をするに至つたため旅館手伝いは結局そのまま行かなくなつたことを認めることができる。

以上認定の諸事実を綜合すると、原告が妻藤ワカヱに補償したとの点を認むべき証拠はないけれども、原告が右集金業務を行うことができなかつたことによつて得べかりし利益を失つたものというべく、その額を一ケ月金八、〇〇〇円と認めるのが相当である。そして、その期間を前示のように本件事故後昭和四一年九月二一日から二ケ月後までとすると右の割合による逸失利益の合計が金五六、〇〇〇円になる。

四、本件事故発生について原告にもまた一半の責任があることは前示のとおりであるから、本件道路瑕疵の大きさ程度位置等と原告の飲酒運転等とを考え合せると、原告の前記三の2の(イ)、(ロ)、(ニ)ないし(ヘ)、(チ)の各損害額についてそれぞれその五〇パーセントにあたる合計金四一、〇二五円を減ずべきである。

五、以上のとおりであるから、被告は原告に対し金二四一、〇二五円およびこの内金二一三、〇二五円に対する訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和四一年一一月二日以降、内金二八、〇〇〇円に対するその後たる昭和四三年一月一日以降各完済に至るまでいずれも民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべきであつて、原告の本訴請求はその限度で理由があるから正当として認容し、その余の部分は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富田郁郎)

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