福岡地方裁判所 昭和43年(ワ)1178号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕二、次の事実は当事者間に争いがない。 (一) 被告は肩書住所地において香椎療養所(精神科)を開設しその経営の任にあたつている医師であり、原告は亡本多A子(昭和一六年七月二四日生)の母であつて、A子は原告と原告の亡夫<略>との間に出生した長女である。
(二) A子は、結婚話の縺れによる精神的衝撃が原因となつて心因性反応の症状を呈するようになつたため、昭和三八年九月二八日から昭和三九年二月二日までの間右香椎療養所に入院し、その後二回に亘り入退院を繰り返えした後、昭和四一年一月二五日四度び右療養所に入院した。右四度目の入院中におけるA子の病状は一進一退の状態であつて、時には帰宅を許される程であつた。
なおA子には中学校時代より気管支喘息の持病があつた。
(三) A子は、右療養所に入院中の昭和四一年四月九日午前九時過ぎごろ、自己の病室において同室の患者らと対談中、突然喘息の発作を起こして苦しみ出し、看護婦からの連絡でかけつけた訴外T看護長が同女に対しエフエドリン一アンプルを皮下注射し、更にT看護長からの連絡でかけつけた被告もエフエドリン一アンプルを皮下注射したが、その効果はなく、A子が危篤状態に陥入つたため、被告らは急拠人工呼吸を試みたが、遂にA子は同日午前九時五三分ごろ同療養所において急性心臓死するに至つた。
二、そこでA子の死が医師である被告の治療上並びに応急手当上の過失に基づくものであるかどうかについて検討する。
1 電撃療法について
(1) 被告がA子の心因性反応に対する治療方法として電撃療法を採用していたことおよび被告が昭和四一年四月四日から同月六日までの三日間連続して電撃療法をA子に施したことは当事者間に争いがなく、また<証拠>によれば、A子に対しては同月七日にも電撃療法が施されたことおよび同女が電撃療法に対して著しい恐怖感を抱いていたことが認められ、右認定に反する<証拠略>は措信できない。
(2) ところで、原告はA子の急性心臓死は被告が生前同女に対してなした電撃療法が原因である旨主張するが、本件全証拠をもつてしてもA子の死と電撃療法との因果関係を認めるに足りない。
(3) かえつて、<証拠>を総合すると、被告はA子が昭和三八年九月二八日に始めて前記香椎療養所に入院して以来、その入院の都度薬物療法と併用して電撃療法を施してきているが、その間同女に格別な障害はなく、有効な治療効果をあげていたことおよび九州大学医学部病理学教室におけるA子の解剖の結果によるも、同女の身体には格別電撃療法による障碍と考えられる所見のないことが認められ、右認定を覆えして前記原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。
2 エフエドリンの皮下注射について
(1) エフエドリンの皮下注射がこの中に含まれている塩酸エフエドリンが交感神経末梢を刺激して喘息発作の鎮静等に薬効を発揮することを目的としてなされたものであること塩酸エフエドリンが厚生大臣指定の劇薬とされており、その一回の極量が五〇ミリグラムであること、塩酸エフエドリンを大量投与した場合には心筋抑制作用のあることおよび被告がA子に対して二本のエフエドリン注射をなしたことは当事者間に争いがなく、また<証拠>によれば、塩酸エフエドリンの一日の極量が一〇〇ミリグラムであることおよびエフエドリン注射液一アンプルの中には塩酸エフエドリンが四〇ミリグラム含まれていることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
(2) ところで、原告はA子の急性心臓死は被告が同女に対してなした二本のエフエドリン注射が原因である旨主張するが、本件全証拠をもつてしてもA子の死とエフエドリン注射との因果関係を認めるに足りない。
もつとも、前記当事者間に争いのない事実によれば、塩酸エフエドリンの一回の極量が五〇ミリグラムであるにもかかわらず、被告はA子に対して二本のエフエドリン注射をなし、その結果塩酸エフエドリンの一回の極量を三〇ミリグラム超過して投与したことになるが、<証拠>を総合すれば、一本目のエフエドリン注射と二本目のエフエドリン注射との間には二〇分乃至三〇分の時間的間隔があつたことが認められ、また前記認定したところによれば、塩酸エフエドリンの一日の極量は一〇〇ミリグラムであり、従つてエフエドリン注射を二本なした場合においても右塩酸エフエドリンの一日の極量は超過していないということになるので、単に二本のエフエドリン注射をなした事実のみをもつてしてはいまだ原告の右主張を認めるに足りない。
(3) かえつて、<証拠>を総合すると、A子は生前心臓疾患の症状は何ら存しなかつたこと、被告がA子に対して二本目のエフエドリンを注射した際には既に同女の心臓および呼吸は停止し、瞳孔も散大した状態であつたことおよび前記解剖の結果によるも、同女の身体には格別塩酸エフエドリンの作用による障碍と考えられる所見のないことが認められ、右認定を覆えして前記原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。
3 人工呼吸について
(1) 被告がA子に対して人工呼吸を施したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、被告がA子に対して人工呼吸を開始した際には既に同女の心臓および呼吸は停止し、瞳孔も散大した状態にあつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(2) ところで、原告はA子の急性心臓死は被告が同女に対してなした人工呼吸が原因である旨主張するが、前記認定のとおり、被告がA子に対して人工呼吸を開始したときには既に同女の心臓および呼吸は停止し、瞳孔も散大して死の状態であつたと考えられるから、原告の右主張は採用できない。
4 請求原因(四)4の主張について
原告が主張する右(四)1乃至3の各被告の過失が認められないことは上記認定のとおりであるから、原告の主張するこれらの過失の競合もまた認めることはできない。
三、よつて、亡本多A子の死と因果関係のある被告の過失行為が認められない以上原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当であるからこれを棄却することと……する。
(生田謙二 鳥飼英助 山内喜明)