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福岡地方裁判所 昭和44年(わ)414号 判決 1974年3月28日

主文

1.被告人古賀春吉を懲役八月に、被告人藤澤孝雄を懲役一年に、被告人中屋親盛を懲役七月に、被告人森田満明、被告人小山一弘、被告人山田邦恭および被告人古賀健治をそれぞれ懲役六月に、被告人平田憲二および被告人山本行満をそれぞれ懲役四月に処する。

2.本裁判確定の日から、被告人藤澤孝雄に対し三年間、被告人古賀春吉、被告人中屋親盛、被告人森田満明、被告人小山一弘、被告人山田邦恭および被告人古賀健治に対し各二年間、被告人平田憲二および被告人山本行満に対し各一年間、それぞれの刑の執行を猶予する。

3.被告人藤澤孝雄に対する本件公訴事実中、同被告人が樋口傳雄に対しその胸倉を掴んでゆすぶる暴行を加えたとの点および板ガラス一枚を手拳で叩き割って器物を損壊したとの点については、同被告人は無罪。

理由

一、認定事実

(本件犯行に至る経緯、背景事情等)

被告人古賀春吉、同藤澤孝雄および同中屋親盛はいずれも、かって三井鉱山株式会社三池鉱業所で鉱員として働いていたが、その後同鉱業所の鉱員で組織する三池炭鉱労働組合(以下「三池労組」という。)の専従職(役)員となり、昭和四四年六月当時、被告人古賀春吉においてはその本部書記長の職に、被告人藤澤孝雄においてはその宮浦指導部の労働担当指導部長の職に、被告人中屋親盛においては同じく宮浦指導部の総務担当指導部長の職にそれぞれあった者であり、また、被告人森田満明、同山田邦恭、同古賀健治、同平田憲二および同山本行満はいずれも、右当時、現に右三池鉱業所の宮浦鉱において鉱員として働き、三池労組中央委員をしていた者、被告人小山一弘は、右当時同様に右宮浦鉱で鉱員として働き、三池労組員としてはその属する職場の副分会長をしていた者である。

ところで、三井鉱山株式会社三池鉱業所(以下「会社」という。)においては、昭和三四年から昭和三五年にかけて行なわれた俗にいう三池大争議の終結後、会社側はいわゆる合理化によって経営の再建強化を図ろうとし、三池労組は、これに伴う会社側の労務政策に対しこれが利潤追求のために保安を無視し労働条件を切り下げるものだとして反撥し、さまざまな反対要求を提出してしばしばストライキなどの手段にも訴えていた。そのため会社側は、三池労組を会社の経営方針に全く非協力的である、常に過大な要求をするなどと評価して嫌い、右争議の際に分裂してできた第二組合のいわゆる新労をより重視する傾向を示し、一方、三池労組側も、会社が三池労組の組合員と新労の組合員とを賃金面などで不当に差別している、団体交渉にも誠実に応じようとしないなどと考えて、会社側に強い不満を抱き、両者の間には相互にかなり強い不信感と対立感が存在して円満を欠く状態が続いていた。また、三池労組の組合員らは、昭和三八年一一月に同鉱業所三川鉱内において爆発事故が発生し甚大な数の死傷者を出したことから、ますます会社の保安対策に危惧感を抱き、その後、組合の指導もあって、職場で作業中に担当係員らの指示に個々に抗議したりいわゆる保安要求を行なったりすることが多くなり、三池労組側ではこれを労働者が自己の生命を守るための当然の行動としていたのに対し、会社側では逆にこれを上司に対する不服従、職場規律に違反する悪質な業務阻害行為であるとして嫌忌し、鉱員らの直接上司にあたる係員や係長らに右のような個別的要求には応答もしないよう指導するなどしていたことから、三池労組の組合員らと職制と呼ばれる下級管理職員との間にまでかなり棘々しい対立感情を生ずるに至っていた。

この間の昭和四四年四月二八日、同鉱業所宮浦鉱において、三池労組組合員の井上睦美、江上正弘らが始業時の坑内繰込みに際し、担当係員から氏名を呼び上げられたのに返事をしなかったという理由で当日の就労を拒否され、これに抗議しようとした右井上ら三池労組組合員十数名と右担当係員や居合わせた管理職員ら十数名とが揉み合い、双方に負傷者を出すという事件が発生した。そのため、会社側は、職場規律上、鉱員の抗内繰込み時における氏名の呼上げとこれに対する返事の有無の確認は当該鉱員を繰込むために絶対必要な定めとされているという立場に立ち、自らこれに反抗して返事を怠りながら就労を拒否された腹いせに担当係員等に暴行を働いた右井上らの行為は懲戒処分に価するとし、これに対三池労組側は、規則上氏名の呼上げに対し返事を要するとされているものとしても、返事をすること自体に実質的な意味はなく、返事をしないまま繰込みを受けるという慣行が成立していたのであるから、右四月二八日に限って返事を強要しこれに応じなかったことをもって就労を拒否したことが不当であって、むしろ非は担当係員にあるとし、また、暴行の点についても逆に組合員四名が管理職員らの暴行を受けて負傷したと主張し、この事件をめぐり両者間に強い緊張関係を生じたが、会社と三池労組との間には、その組合員を懲戒処分にするときは各鉱ごとに労使双方の代表で構成する賞罰委員会でこれを協議する取り極めがあり、当時、三池労組宮浦指導部が賞罰委員の選出を拒否していたため、右宮浦鉱では会社側代表と三池労組幹部とが話合いを持ってこれに代える慣行となっていたところから、右事件に関係した者などの処分問題についても、同年五月一三日、同月二〇日および同月二三日の三回にわたり、会社側から宮浦鉱事務副長樋口傳雄ほか二名位、三池労組側からは被告人藤澤および同中屋を含む宮浦指導部長三名が出席して、労使間の話合いが持たれた。しかし、双方とも前記のようなそれぞれの主張を堅持して譲らなかったため、結局話合いが決裂したまま、会社は、同月二四日に就業規則に基いて前記井上および江上両名を懲戒解雇し、その他右事件に関連した三池労組の組合員ら数名に一定期間謹慎を命ずるなどの懲戒処分を行なうに至った。一方、三池労組は、会社の右処分とくに右井上および江上の解雇には強く反撥し、短期のストライキなど若干の抗議行動を行なっていたが、右両名が右事件のために刑事処分まで受けるに至ることをおそれ、さきの右三回にわたる話合いの席上においても被告人藤澤らが右樋口らに右事件をいわゆる刑事事件にするつもりがあるかどうか繰り返えし尋ねたり、告訴状や被害届など提出しないよう強く求めたりし、その際右樋口から会社としては特段の事情の変化がない限り右井上らが刑事処分を受けるような措置をとるつもりがないと受け取れるような答えを得ていたこともあって、実際は右井上ら両名に対して傷害等の容疑で警察の捜査がすでに開始されて同月一五日には現場の実況見分も行なわれていたということや、右樋口も右実況見分の際警察官らに右事件の内容の説明などしていながら三池労組側にこれを秘匿していたという事情も知らぬまま、会社側に告訴などの措置をとられないよう会社側を著しく刺激するような激しい行動に出ることは差し控えていた。

ところが、同年六月九日早朝、右井上および江上両名が警察に逮捕されるに至り、これを知った三池労組の組合員らは、それまで会社が右両名について告訴などしないという約束をしたものと信じていたところから、会社側においては右両名を懲戒解雇までしながら、さらに右約束を破り刑事処分という追い打ちをかけようとして事件を警察に通報したものと考えていたく憤慨し、まず同日午前九時ごろ右両名と職場を同じくする組合員ら三〇名位が右宮浦鉱の鉱長藤吉重敏に事情をただしたり抗議をしようとして、福岡県大牟田市西港町一丁目七〇番地所在の宮浦鉱総合事務所二階の鉱長室(面積約二六〇平方メートルで、鉱長事務室、会議室、控室および更衣室の四区劃があり、鉱長事務室には、同鉱鉱長のほか副長四名、係長一三名らの執務用机や、坑内主要機器運転表示盤、出炭表示盤、CO警報装置、一斉指令電話装置などの運転保安関係の装置が設置されている)の正面出入口前廊下に集まり、施錠してあった右鉱長室の出入口扉を叩いたり戸を開けるよう怒鳴ったりし、そのうちに他の職場の組合員らも駈けつけて来て次第にその数を増し、同日午後三時少し前ごろには一〇〇名位にも達し、この間被告人古賀春吉、同藤澤、同中屋ら三池労組幹部は、組合員の動きや会社側の動向など事態の把握に努めるとともに、本部において戦術委員会を開いて、当面会社側と団体交渉を持つことと前記井上らの釈放を求める活動をすることの二つの方針を決め、被告人古賀春吉が右鉱長室にいる前記樋口傳雄に電話をして団体交渉の申し入れなど行なつた。これに対し、右藤吉、樋口ら宮浦鉱における会社側幹部は、前記井上らの逮捕の報を受けるや、三池労組組合員らの右のような抗議行動を予期してそのための警戒体制をとり、同日午前八時半ごろ右鉱長室にやって来た被告人藤澤から右逮捕の事実を知っているかと確認を求められたのにも、右樋口において知らない旨嘘を言って論争に至るのを避け、その直後ごろ右鉱長室の各出入口扉に内側から錠を施して、右のように鉱長室前に謂集した組合員らに対しても一切応答せずに同室内に立て籠り、また、被告人古賀春吉からの前記団体交渉を求める電話にも、右鉱長室前の組合員らを解散させない限り話合いには応じられない旨答えて、強硬な態度をとり続けた。そのため、業を煮やした前記組合員一〇〇名位は、前記鉱長室正面出入口扉に体当りするなどして、同日午後三時前ごろ右扉をこじ開けて同室内に大挙して入り込むに至り、その後まもなく被告人藤澤ら三池労組幹部らも同室内に至り、前記井上ら両名が懲戒解雇されたことや警察に逮捕されたことについて右藤吉らに抗議しはじめ、同人がこれに一切応答しようとしなかったため、同日午後三時半ごろ被告人藤澤の呼びかけをきっかけにその際同室内に入り込んでいた組合員ら七、八〇名位がそのままその場にすわり込んで、右藤吉らに対する抗議などを続け、当初から同室内に居合わせた前記樋口、宮浦鉱採鉱副長中平光邦、同人事係長井上治義らや、同日午後五時ごろ同室内にやって来た同鉱採鉱副長堤清、同鉱坑内(分層払)係長友田公、同坑内(開発)係長山本幸良らといわば睨み合った形で同室内に滞留することとなった。かたわら、三池労組側は、被告人古賀春吉が主となって右樋口らに団体交渉を開くよう働きかけ、はじめは鉱長室などから組合員らが立ち去ることが話合いの前提であるとしていた会社側も、その場に状況の視察に来た警察官らから話合いを勧められたこともあって、ようやく交渉を開くことに同意し、こうして両者は、同日午後八時すぎから右総合事務所内の別室において、会社側からは右藤吉、樋口、中平らが、三池労組側からは被告人古賀春吉、同藤澤、同中屋、宮浦指導部長(組織担当)安達一男らがそれぞれ出席して話合いに入った。しかし、右話合いは、三池労組側において会社は前記井上および江上両名についてこれをいわゆる刑事事件にするような行為はしない旨約束したとの主張を前提にして、右両名が警察に逮捕されたのはいかなる事情に基づくのか釈明を求めたり、これが会社側の背信行為によるものであろうとして責め立て、また右両名の釈放方について会社側の尽力を要求したりしたのをめぐって論議が終始し、当初は右両名の逮捕に関しては全く預り知らず、また約束もないと強硬に主張していた会社側も、右樋口の前記のような詐言に近い言動が明らかとなって、これに正面から答えざるをえなくなり、前記鉱長室に坐り込んでいる組合員らの退去のことなど具体的な論議に入れないまま、同日午後一〇時ごろ約一時間後に再開する予定でいったん休憩することになった。その後、会社側は、右藤吉、樋口らが別の場所に赴いて、三井鉱山株式会社本社の担当者と連絡をとりながら、三池鉱業所の担当部課長らと対策について協議し、その結果会社側としては右井上ら両名にかかる刑事問題は会社の関与すべきことではないという原則論を前提に、前記組合員らが鉱長室から立ち去り解散するまでは団体交渉その他一切の話合いに応じないという強硬策を決定し、右藤吉らもそのまま前記話合いの席に戻らず、ただその際前記鉱長室にはなお前記堤副長や前記友田ら七名位の係長が在室していて、直ちに話合いの打切りを通告するときは不測の事態の生じることをおそれ、三池労組側の話合い再開の催促に対してはなお協議中と答えて引き延ばしを図っていた。他方、三池労組側は、右のように休けいに入ったのち、被告人古賀春吉らが前記鉱長室に戻り、同室内に坐り込んでいる組合員一〇〇名位にそれまでの経過を報告しながら、前記話合いの再開を待ち、再開予定時刻後はしばしば会社側に催促の電話をし、かたわら前記ように組合員らには職場での保安要求等を係長らが採り上げてくれないという不満が強かったところから、係長らがなお同室内に残っていたのを幸い、翌一〇日午前〇時過ぎごろから一〇ないし二〇名位の組合員らがそれぞれの職場の係長らを取り囲んで日ごろ不満に感じている点などについて抗議や要求を行ない、時を過ごしていた。しかし、同日午前五時ごろ、前記のとおり強硬方針を決めた会社側の前記藤吉から被告人古賀春吉に電話で話合いの打切りが一方的に通告され、ついに両者は決裂状態に陥った。

その後、会社および三池労組は、同月一七日朝まで、三池労組側においては前記井上および江上両名に対する解雇処分の撤回を要求に掲げて、個々の人員は多少入れ替りながらも常時一〇〇名ないし二〇〇名の組合らが右鉱長室に坐り込みを続け、会社側においては前記人事係長井上治義らが再三にわたり右鉱長室に出向いて、その場に居る組合員らに口頭で直ちに室外に立ち退くよう呼びかけたり、同室内黒板などに同趣旨の掲示をしたりする一方、同室内に執務用の机を持つ係長の出入りや前記保安機器類の要員による操作を右組合員らから直接に妨害されることはなかったため、右係長らやその他の要員が坐り込んでいる組合らの監視も兼ねて同室内に出入りして執務を行ない、表面的には膠着状態を続けていた。他方、三池労組は、会社側との話合いを希望し、被告人古賀春吉らが電話などでしばしば会社側に団体交渉を申し入れ、さらには組合長と三池鉱業所長とのいわゆるトップ交渉を申し入れたりしていたが、会社側は、組合員らの前記鉱長室坐り込みが解かれるまで一切交渉に応じないという強硬方針を守り続け、右六月一〇日の夜には前記藤吉らが所轄警察署である福岡県大牟田警察署の担当官に対し警察力によっての坐込み組合員の排除を要請し、同月一三日にも再び同じ要請をし、右担当官らからかえって労使間の紛争だから当事者間でもう一度話合うよう求められたのも無視して、三池労組との一切の交渉や話合いを拒絶したまま、時の至るのを待ち、ついに同月一七日警察の出動を得るに至った。

(罪となるべき事実)

第一、被告人藤澤孝雄および同小山一弘は、前記のように前記六月九日午後三時少し前ごろ多数の三池労組組合員らが前記鉱長室内に入り込んで、前記鉱長藤吉重敏に対し前記井上らを解雇したことなどについて抗議した際、同日午後三時ごろから二〇分間位にわたり同室内において、右組合員のうちの一二、三名と意思相通じ共同して、右藤吉に対し、机に向って椅子に坐わる同人を取り囲み、被告人藤澤において「なし首切ったか、言え、労働者が腹かくとこげんなるとぞ」などと怒号しながら、同人の着用するワイシャツの胸倉を左手でねじ上げるように強く掴んで前後にゆさぶり、被告人小山において「いわんか」などと申し向けながら同様同人の胸倉を掴んで前後にゆさぶり、他の者らにおいてこもごも手や肘で右藤吉の背中や肩を小突いたり、「坐ってるとは横着かぞ」などといいながらその両脇をかかえて無理やり椅子から立たせたりし、もって数人共同して暴行した。

第二、被告人藤澤孝雄は、右第一の犯行の直後ごろ右鉱長室において、前記採鉱副長中平光邦から前記入り込んだ三池労組の組合員らを室外に出すようにして欲しい旨声をかけられるや、興奮し、同人に対し、「警察を呼んだのはお前だろう」などと申し向けながら、同人の着用する開襟シャツの胸倉を右手で掴み、三回位その身体を上に吊り上げるようにする暴行をした。

第三、被告人山田邦恭、同小山一弘および同古賀健治は、前記のとおり前記六月一〇日午前〇時過ぎごろから三池労組組合員らが右鉱長室に居合わせた各係長らに抗議や保安要求など行なった際、右組合員のうちの四、五名とともに前記坑内係長友田公を取り囲んで同様に抗議など行なったが、同人が黙ったまま一切答えようとしないことに業を煮やし、同日午前一時ごろから同二時半ごろまでの間同室内において、右同人を取り囲む他の組合員らと意思相通じ共同して、椅子に坐る右友田に対し、こもごも「お前は三川で何人殺してきたか、これから何人殺すつもりか、返事をするのがこわいか」「返事をしろ、返事をするごと打て」「水ばぶっかけろ」「窓の外にほうり出せ」などと語気荒く申し向け、被告人古賀健治において「返事をせんか、返事をせんとひっつくぞ」などといいながら吸いかけの煙草の火を同人の顔面に近付けるなど、その身体に危害を加えるべきことをもって脅迫し、また、被告人山田および同小山においてそれぞれ右友田の耳許に口を寄せて数回ずつ「ワッー」と大声を発し、右被告人三名はじめ各人においてこもごも、右友田の脇腹を小さな木の棒様の物で突いたり、耳を引張ったりし、さらに同人の後方から両腕で胴を抱え、両脇からその足を持つなどしてその坐る椅子から引き立たせ、その前にある机の上に運び移して坐らせるなどの暴行を加え、もって数人共同して脅迫および暴行をした。

第四、被告人森田満明は、右第三記載の各係長に対する抗議行動の際に、同日午前一時過ぎごろ三池労組組合員のうちの二〇名位とともに前記坑内係長山本幸良を取り囲んで同様に抗議など行なったが、同人が黙ったまま一切答えようとしないことに業を煮やし、そのころ右鉱長室内において、右同人を取り囲む他の組合員らと意思相通じ共同して、右山本に対し、同被告人において「返事をするのがえずかつか」(「こわいか」というの意味)「にあがると月夜ばかりじゃないぞ」(「増長すると暗いところでどんな目に会うかわからぬぞ」という意味)と語気荒く申し向け、他の者らにおいてこもごも「こいつは、おれが返事しせんといって繰込まんじゃった」「なに、こやつがそげんこというたか、横着か、徹底的に打て、打て、打て」と申し向けたり、「外さん引き出せ」「外に出せ、表に出せ」と言いながら今にも右山本を外に引出して危害を加えるかのような気勢を示して、同人の身体に危害を加えるべきことをもって脅迫し、もって数人共同して脅迫をした。

第五、被告人九名を含む三池労組組合員らは、前記のとおり前記六月九日午後から同月一七日まで互いに交替などしながら前記鉱長室における坐り込みを続けていたが、同日午前一一時半過ぎごろ、その際同室にいた組合員ら約一七〇名が前記藤吉重敏の使者としてやって来た同鉱工作副長東島大および前記人事係長井上治義から「鉱長の命によって皆さん方にお伝えします。鉱長室にいる三池労組の皆さん方は速やかに柵外に退去して下さい」と口頭で通告されて、右鉱長室を含む前記宮浦鉱総合事務所建物の管理権者である右藤吉の最終的な退去要求を受けるに至った。

しかるに、被告人九名は、いずれも遅くとも同日午後一時ごろまでに右退去要求のあったことを知り、かつ、会社側の要請によりまもなく警察部隊が実力排除のために出動して来るとの情報を得たこともあって、右宮浦鉱の心臓部ともいうべき右鉱長室への坐り込みがこれ以上長期にわたることは会社側にとって堪えられなくなったのであろうことを察知しながら、右組合員ら一七〇名位および右退去要求のあったことを知って逆に集って来た組合員ら五〇〇名位と右要求を無視して坐り込みを続けることを共謀し、そのころから被告人らにおいては右鉱長室内に、他の者らにおいてはそれぞれに同室内、右総合事務所三階第四会議室内、同三階三川鉱救護隊詰所、同三階廊下などに立て籠って、同事務所二階から三階に通じる階段、廊下、右鉱長室の出入口等に机やロッカーでバリケードを築き、同日午後五時過ぎごろ全員が警察官によって強制的に退去させられるまでの間同事務所建物内にとどまり、もって要求を受けながら他人の看守する建造物から故なく退去しなかった。

二、証拠の標目(略)

三、法令の適用

(一)  被告人古賀春吉、同中屋親盛、同平田憲二および同山本行満に対しそれぞれ

判示第五の所為 刑法六〇条、一三〇条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号(ただし、刑法六条、一〇条に従い、軽い行為時法である、昭和四七年法律第六一号罰金等臨時措置法の一部を改正する法律による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号を適用する。なお、以下本判決において、罰金等臨時措置法の各規定について新旧比較して軽い行為時法を適用すべきときは「刑法六条、一〇条、改正前の規定」と略記する。)

刑種の選択 懲役刑を選択

主刑 被告人 古賀春吉 懲役八月

同   中屋親盛 懲役七月

同   平田憲二 懲役四月

同   山本行満 懲役四月

刑の執行猶予 刑法二五条一項(被告人古賀春吉および同中屋親盛に対し各二年間、被告人平田憲二および同山本行満に対し各一年間猶予)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項但書(不負担)

(二)  被告人人藤澤孝雄に対し

判示第一の所為 暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条)、罰金等臨時措置法三条一項二号(刑法六条、一〇条、改正前の規定)

判示第二の所為 刑法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条、改正前の規定)

判示第五の所為 刑法六〇条、一三〇条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条、改正前の規定)

刑種の選択 右各罪についていずれも懲役刑を選択

併合加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(刑および犯情の最も重い判示第五の罪の刑に法定の加重)

主刑 懲役一年

刑の執行猶予 刑法二五条一項(三年間猶予)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項但書(不負担)

(三)  被告人森田満明に対し

判示第四の所為 暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二二二条一項)、罰金等臨時措置法三条一項二号(刑法六条、一〇条、改正前の規定)

判示第五の所為 刑法六〇条、一三〇条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条、改正前の規定)

刑種の選択 右各罪についていずれも懲役刑を選択

併合加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の重い判示第五の罪の刑に法定の加重)

主刑 懲役六月

刑の執行猶予 刑法二五条一項(二年間猶予)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項但書(不負担)

(四)  被告人小山一弘に対し

判示第一の所為 暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条)、罰金等臨時措置法三条一項二号(刑法六条、一〇条、改正前の規定)

判示第三の所為 包括して暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条、二二二条一項)、罰金等臨時措置法三条一項二号(刑法六条、一〇条、改正前の規定)

判示第五の所為 刑法六〇条、一三〇条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条、改正前の規定)

刑種の選択 右各罪についていずれも懲役刑を選択

併合加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(最も犯情の重い判示第五の罪の刑に法定の加重)

主刑 懲役六月

刑の執行猶予 刑法二五条一項(二年間猶予)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項但書(不負担)

(五)  被告人山田邦恭および同古賀健治に対しそれぞれ

判示第三の所為 包括して暴力行為等処罰ニ関スル法律一条(刑法二〇八条、二二二条一項)、罰金等臨時措置法三条一項二号(刑法六条、一〇条、改正前の規定)

判示第五の所為 刑法六〇条、一三〇条後段、罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条、改正前の規定)

刑種の選択 右各罪についていずれも懲役刑を選択

併合加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の重い判示第五の罪の刑に法定の加重)

主刑 被告人 山田邦恭 懲役六月

同   古賀健治 懲役六月

刑の執行猶予 刑法二五条一項(各二年間猶予)

訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項但書(不負担)

四、弁護人らの主張に対する判断

(一)  弁護人らは、被告人らの本件各所為はいずれも犯罪を構成しないとして、次のように主張する。

(1)  本件鉱長室への坐り込み(判示第五の行為)は、昭和四四年四月二八日に三池労組の組合員らと会社側職員との間で生じた繰込み時の点呼をめぐる紛争に端を発し、会社側が当該組合員らを懲戒解雇をするに際し組合側に対してこれをいわゆる刑事事件にしない旨約束しながら、約束に反して右問題を警察に通報して、当該組合員が逮捕されるに至ったため、組合がこのような会社側の背信行為に抗議するとともに、右懲戒解雇の撤回を要求し、また日ごろ会社側の保安軽視により組合員らの生命を脅かされていた折から、坑内保安に関する組合側の主張を受け入れさせるなどを目的として行なった争議行為であり、その目的、手段、態様など諸般の事情に照らし、労働組合法一条二項の適用を受ける正当行為である。

(2)  被告人らが鉱長藤吉重敏、採鉱副長中平光邦、坑内係長友田公および同山本幸良に暴行や脅迫を加えたなどとされている点については、被告人らは検察官主張のような暴行や脅迫を加えた事実なく、仮に外形的には暴行や脅迫の概念にあたる行為があったとしても、組合活動として会社側の背信行為に抗議したり保安要求をしたりしたのに対し、相手がこれを無視する態度をとったため、多少声を荒げるなどしたにすぎず、これらの行為も労働組合法一条二項にいう「団体交渉その他の行動」ないしはこれに類する行為として正当行為であり、または諸般の事情に照らし実質的に可罰的違法性を欠く罪とならない行為である。

(二)  第一に被告人九名の判示第五の鉱長室への坐り込みについて検討すると、三池労組の組合員らが昭和四四年六月九日に判示鉱長室に入り込むに至った経緯、その動機や目的、その後同室内で坐り込みを続けた態様、これをめぐる三池労組と会社側の交渉の状況、さらにその背景となる労使間の緊張関係などは、前記一、認定事実中の「本件犯行に至る経緯、背景事情等」として認定したとおりである。

そこでまず、本件坐り込みの目的が正当かどうかであるが、これが当初はいわゆる四月二八日事件の井上睦美および江上正弘が警察に逮捕されたことに関し、三池労組側としては会社がしたと考えていた右事件をいわゆる刑事事件にしないとの約束の破られたことに抗議し、会社側に右両名の釈放方について努力するよう働きかけることにあり、そのうち次第にその重点が二重の不利益を受けることになった右両名に対する懲戒解雇を会社側に撤回させることに移っていったものと認められる。ところで、一般的にいえば、ある者に対し刑事処分を行うかどうかは公益上の問題であり、当事者間でどのような話合いが行われても、警察官は独自に捜査を開始することが可能であるし、また本件のように傷害という個人的被害が発生したときは、被害者が自己の責任において捜査機関に告訴や被害の申告をすることもその権利であって、会社や労働組合にこれを許したり許さなかったりする権能は一切ないから、その意味である事件をいわゆる刑事事件にするかどうかということは、原則として労使間で交渉の対象となるものでもなく、また、組合員のある者が逮捕されたことについて会社側の捜査協力があったとしても、これに対する抗議のために労働組合が争議行為に出ることが直ちに許容されるということもない。しかしながら、労使間の労働慣行やこれをめぐる紛争に絡んで発生した事件などにおいて、それが極めて軽微なものであって、社会全体の秩序維持の見地からさほど重要でなく、かつ、それを契機に労使間で円満な話合いが行なわれ健全な労使慣行の樹立への努力が続けられているようなときには、国家機関もそれが刑事事件であることの一事をもって直ちに介入しその努力を無にするようなことは差し控えるのが妥当な場合もあり、そのような場合には労使間の話合いの過程で告訴その他刑事問題としての処理について協議し、互いにその協議結果を尊重するよう求めることも可能である。そして、このような見地から本件をみるに、前記のとおり本件は繰込み時の点呼に返事を要するかどうかという労働慣行についての会社側と三池労組側の主張の喰い違いに問題の根源があり、右井上ら両名が逮捕される原因となった直接の事件もさほど重大な事案ではなく(福岡地方裁判所大牟田支部の判決謄本によれば、右両名はそれぞれ罰金四万円に処せられた)、一方、会社側が右両名を懲戒解雇することについて三池労組側と話合った際、組合側がこれを刑事問題とするかどうか何度も確めたのに対し、会社側がすでに実際には警察の捜査に協力していながら交渉の席では刑事問題としないつもりだと組合側に受け取られるような言を弄し、そのため組合側が会社においてその旨約束したものと信じて懲戒解雇そのものに対してはこれに直接対抗する激しい行動に出なかったという事情が存するから、右両名が逮捕されたことにより会社側に背信行為があったと考えた三池労組がこれに抗議したり、懲戒解雇の撤回を求めて再度話合いを求めたりして、会社に団体交渉を要求し、争議行為を行うということも、労働組合の団体行動として必ずしも許容されないものではない。すなわち、本件坐り込みがその目的において労働組合の団体行動として許される範囲外にあるということは、いまだ相当でない。

これに対し、本件のような坐り込みが争議行為の一種であることはいうまでもないところ、坐り込みという争議型態は会社の施設管理権能を直接的に侵害するものであるから、その正当性の有無については、坐り込みの場所、態様、期間などについてとくに慎重な検討を要する。そして、本件鉱長室は、判示のとおり面積約二六〇平方メートルで、鉱長事務室、会議室、控室および更衣室の四区劃があり、鉱長事務室には、宮浦鉱鉱長のほか副長四名、係長一三名らの執務用机や、坑内主要機器運転表示盤、出炭表示盤、CO警報装置、一斉指令電話装置などの運転保安関係の装置が置かれた宮浦鉱の操業のための心臓部ともいうべき部屋であること、そして、同室内に坐り込んだ組合員らは、判示六月一七日午前一一時ごろまでは、単にその場に滞留していただけであって、執務用の机を持つ係長らの出入りを妨害したり右運転保安関係の機器類の操作に障害を生じさせたりしたことはないものの、同室内に常時一〇〇名ないし二〇〇名の組合員らがたむろしていたこと自体、右係長らの事務能率を低下させ、かつ同室の正常な機能にかなりの阻害を生じさせていたことも明らかであること、さらにその期間も前記六月一七日には六月九日からすでに一週間以上経過していることなど考えると、これによって生じた会社側の犠牲は極めて大であったものと窺える。ただ、本件坐り込みを始めた動機、目的は前記のとおりであって、組合側が会社側において重大な背信行為を行なったと考えてもやむをえないような状況が存したこと、さらに、判示のとおり右六月九日夜三池労組側と宮浦鉱鉱長らとの間で折角交渉が開かれながら、いったん休けいしたのち、会社側は、話合いによる解決をしないという強硬方針を決定し、組合側からの交渉再開を求める連絡に対しては「なお協議中」などと詐言を使って引き延ばし、結局一方的に電話で交渉打切りを宣したこと、その後も会社側は、三池労組の側の団体交渉の申入れやいわゆるトップ会談の要求などを一切拒否し、警察当局からの労使間の話合いによる解決を求める勧告にも耳を藉さず、ひたすら警察力による実力排除のみを志向していたことなどの事情が存するから、本件鉱長室への当初の立入りの態様が若干暴力的であったことを考慮しても、右六月九日当日や翌一〇日ごろの段階においては、三池労組の組合員らの坐り込みが会社側の一片の退去要求で直ちに違法性を帯びるに至ったとはいいがたい。しかしながら、右ような健全な労使関係の常識からは逸脱した会社側の態度を考慮に入れても、前記のとおり会社にとって操業の中枢部である鉱長室において、本件のように長期に坐り込むことは、その期間の点から、いわゆるストライキのように組合側にも失うものも多い争議手段に比し、会社側に一方的に過大な犠牲を強いることになるものというべく、とりわけそれが会社の施設管理権に対する直接的な侵害を伴っているという意味において会社の受忍すべき限度を越え、結局、判示六月一七日午前一一時半過ぎごろ会社側の最終的な退去要求がなされた際には、それ以上坐り込みを継続することが正当とはいいえない状態に立ち至っていたと認めるのが正当である。さらに、三池労組側は、判示のとおり右退去要求を受けるや、むしろ組合員らに動員をかけて坐り込みの人員を増加させ、坐り込む場所の範囲も拡げ、机やロッカーなどでバリケードを築き、従来は出入りを妨げなかった会社側職員の出入りを禁じるなど、完全に会社の施設管理権を排除する態様に移行しているのであるから、右時点における坐り込みはもはやいかなる意味でもその正当性を主張しえなくなったものというほかはない。

以上要するに、本件における鉱長室への坐り込みは、諸般の事情に照らし、その初期の時点においてはともかく、右六月一七日の退去要求後は労働組合法一条二項によって保護を受けうる労働組合の団体行動として正当なものであったとはいいえず、したがって被告人九名の判示第五の所為が不退去罪を構成するものであることは明らかである。

(三)  次に、被告人藤澤および同小山の判示第一の所為、被告人藤澤の判示第二の所為、被告人山田、同小山および同古賀健治の判示第三の所為ならびに被告人森田の判示第四の所為について考えると、判示第一、第三および第四の所為は、いずれも相当長時間にわたるいわゆる吊し上げとして行なわれたものであって、その個々の行為としてみればさほど強度のものではなくても、全体としては暴行または脅迫としてかなり激しいものであり、また、判示第二の所為は全く個人的な激情による暴行であって、その程度においてもこれまた軽微なものということができず、結局、いずれも労働組合法一条二項但書にいう「暴力の行使」にあたり、前記一、認定事実中の「本件犯行に至る経緯、背景事情等」において詳細認定した本件争議の全過程に照らし検討しても、右各所為を正当化すべきなんらの事由も存在しないことが明らかである。

(四)  以上の次第で、被告人らの判示各所為が正当行為または可罰的違法性を欠き被告人らはいずれも無罪であるとする弁護人らの前記各主張は失当であり、これを採用することができない。

五、無罪部分の理由

(一)  本件公訴事実の要旨は、次のとおりである。

(1)  被告人藤澤孝雄は、昭和四四年六月九日午後三時一〇分ごろ、福岡県大牟田市西港町一丁目七〇番地所在の三井鉱山株式会社三池鉱業所宮浦鉱総合事務所の二階鉱長室内において、同鉱事務副長樋口傳雄に対し、その胸倉を掴んでゆさぶる暴行をした。

(2)  同被告人は、同月一七日午後二時五〇分ごろ、同事務所三階保安教育係事務室入口において、同所扉にはめ込んであった同会社所有の板ガラス一枚(時価五六〇円相当)を手拳で叩き割り、もって器物を損壊した。

(二)  まず右(1)の樋口傳雄に対する暴行の点について審究するのに、第一四回公判調書中の証人樋口傳雄の供述部分、第一七回および第一八回各公判調書中の証人中平光邦の供述部分、司法警察員井上優ほか二名作成の実況見分調書によれば、被告人藤澤が右(1)記載の日時場所において、その際右鉱長室に多数の三池労組組合員らが入り込んだことについて樋口傳雄から右組合員らを室外に出せという趣旨のことをいわれるや、興奮し、同人に対し、「出しきるなら出してみろ」などと言いながら、その着用するワイシャツとネクタイの襟首を右手で一瞬掴んで突き上げるようにした事実はこれを肯認することができる。

しかしながら、右各証拠によれば、同被告人が右樋口のいわゆる胸倉を掴んだのは右のようにほんの一瞬にすぎず、直ちに同人から振り切られて手を離し、それ以上の行為には出ていないこと、襟首を掴んだ強さもそれによって首が絞つけられるというような強度のものではなかったことが明らかであり、さらに前記「本件犯行に至る経緯、背景事情等」として認定した本件の全体的経過に照らせば、右樋口の側には同被告人から詐術を弄したと責められてもやむをえないような非のあったこと、本件の際室内全体が騒然として、同被告人も右樋口もともにかなりの興奮状態にあったこと、両者間の言葉のやりとりも売り言葉に買い言葉といいうるような状況にあったことなどが窺えるから、これらの諸事情を総合して判断すれば、同被告人の右のような樋口の胸倉を一瞬掴むという行為は、口論の際などに激して一瞬相手方の肩に手をかけたり、目前の机を拳でどんと叩いたりするのと同じく、自己の感情の激しさを表わす一つのジェスチャーにすぎなかったものと認めるのが正当である。すなわち、同被告人の右のような行為は、社会通念に照らし、いまだ刑法二〇八条にいわゆる「暴行」の概念に該当しないというべきである。

(三)  次に、前記(2)の器物損壊の点について検討するのに、第二三回および第二四回各公判調書中の証人中山繁敏の供述部分、有吉和夫の検察官に対する供述調書、司法警察員井上優ほか二名作成の実況見分調書、司法警察員蔵座弥嘉人作成の「証拠写真撮影報告について」と題する書面、被告人藤澤の当公判廷における供述によれば、被告人藤澤が前記(2)記載の日時ごろ同記載の保安教育係事務室入口において、同室に設置されている電話を借りようとして室内に入ろうとしたところ、同入口扉(幅一メートル位、高さ一・八メートル位で木製。上部に幅〇・六五メートル、高さ〇・六八メートルのすりガラスがはめ込まれている)に錠が施してあったため、右扉を手でかなり激しく叩きながら中にいる者にこれを開けるよう求めたこと、内部にいた者がこれを拒絶するや、同被告人が「開けんと打ち破るぞ。電話を借りるだけだから開けろ」などと怒鳴ったこと、そして同被告人が扉をなおも叩き続ける間に、右扉にはめ込まれたガラスの下方三分の二位が割れ落ちたこと、その直後同被告人が右ガラスの破れた穴から手を内側に差し入れてノブ式の錠を解き扉を開け、「開けんけんたい」と申し向けたことなどの事実が明らかである。そして、右各事実を総合すれば、右扉にはめ込まれたガラスが割れた原因は、同被告人が右扉を手で激しく叩いたことにあることも容易に推認できるものといわなければならない。

しかしながら、同被告人は、その当公判廷における供述中で、右ガラスを割るつもりはなくこれが割れたのは全くの偶然であり、ガラス自体を叩けば割れる可能性のあることは知っていたからガラスの部分を避けてその下の木の部分を叩いていたところ、一〇回位叩いたらガラスが割れて自分もびっくりしたという趣旨の供述をしている。そして、たしかに本件全証拠によるも、同被告人が右ガラスの部分を直接に叩いたことを窺わせる資料は全くなく(目撃していた前記中山らも「扉」を叩いたと述べるのみである)、同被告人が申し向けた前記「開けんと打ち破るぞ」という言葉も、扉全体を押し開くという意味に近く、ガラスのみを叩き割るという意思を示す言葉としてはふさわしくなく、なおガラスの割れたのちに言った「開けんけんたい」という言葉も、割れたことに対する弁解ではあるがそれ自体あらかじめ「割る」意思のあったことを窺わせる言葉ではないから、同被告人が積極的に右ガラスを叩き割ろうという意図を有していたことを推認させるような直接および間接の証拠はこれを見出すことができないというべきである。いいかえると、右ガラスが割れたのは過失であってむしろその割れるのを避けるために扉の他の部分を叩いたとの同被告人の右弁解も、これが真実でないと断定しうる資料はないのである。

してみると、刑法二六一条に定める器物損壊罪はいうまでもなく故意犯であって、過失による場合を処罰する規定はないから、本件においてはその全証拠によるも、右に述べたように同被告人が右ガラスの割れることを未必的にでも認識しかつ認容していたことについてなお合理的な疑いが残る以上、その犯罪の証明がないというほかはないのである。

(四)  以上の次第で、被告人藤澤に対する本件公訴事実中、前記(一)(1)の暴行の点および同(2)の器物損壊の点についてはいずれも、罪とならないかまたは犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条に則り被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

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