福岡地方裁判所 昭和44年(モ)2251号 判決 1970年10月08日
申請人
具島陽一
同
古賀勝
代理人
諫山博
外三〇名
被申請人
アール・ケー・ビー毎日放送株式会社
主文
一、当裁判所が、申請人両名、被申請人間の昭和四四年(ヨ)第七七七号休職処分効力停止等仮処分申請事件について、昭和四四年一二月一三日にした仮処分決定は、これを認可する。
二、訴訟費用は被申請人の負担とする。
事実および理由
第一、当事者の求める裁判
一、申請人ら
主文同旨の判決。
二、被申請人
主文一項掲記の仮処分決定を取消す、申請人らの本件仮処分申請を却下する、訴訟費用は申請人らの負担とする、との判決。
第二、当事者間に争いのない事実
被申請人会社は、福岡市に本社を置き、一般放送事業等を営むことを業とする株式会社であるところ、申請人らは昭和三二年四月にそれぞれ被申請人会社に入社し、昭和四〇年一〇月頃、申請人具島は東京支社報道制作課に、申請人古賀は東京支社経理課に勤務していた。
而して、毎月二〇日限りで被申請人会社から支払を受けることになつていた当月分の給与の額は、申請人具島が金八万四九〇円、申請人古賀が五万八、一九〇円であつた。
さて、申請人らは、昭和四〇年一〇月五日、別紙記載の住居侵入と傷害の事実に関して、東京地方裁判所に公訴を提起された。
ところで、被申請人会社の就業規則四九条は、本文において「従業員が次の各号の一に当該する場合は、休職とする」と規定し、各号中、(3)特別休職ロにおいて「刑事々件に関し起訴されたとき」と規定する。
そして被申請人会社は、同月二六日、右規定に該当することを理由に、申請人らを休職処分(以下本件起訴休職処分という)に付した。
ところが、右公訴の提起を受けた東京地方裁判所は、昭和四三年三月二三日、申請人らに対しいずれも無罪の判決を言渡した。
第三、争点
一、申請人らの主張
(一) 起訴休職制度の目的
民間企業において起訴休職制度を是認する合理的根拠があるとすれば、刑事被告人として勾留され、もしくは公判廷に出頭を義務づけられることによつて、起訴された従業員の通常の就業が不可能もしくは困難になる事態を避けることしか考えられない。
公務員の場合には、右のほかに官職の信用、名誉なども問題にされている。だがこれは、公務員が「全体の奉仕者」(憲法一五条、国家公務員法九六条、地方公務員法三〇条)であり、「信用失墜行為の禁止」(国家公務員法九九条、地方公務員法三三条)のように、私企業の労働者と異る特別の地位にあるためであつて、申請人らのような民間企業の労働者にそのままあてはまるものではない。
百歩を譲り、信用、名誉、秩序などという考え方が民間企業でも問題になるとすれば、それは一般的な信用、抽象的な名誉などが問題になるのではなく、企業の経営に具体的に影響を及ぼすような「企業秋序の破壊」「企業信用(名誉)の失墜」などに限定さるべきである。
何故なら、民間企業における労使関係は、もともと労働力の売買であり、労働者が人格的に会社に従属する関係ではないからである。
(二) 就業規則四九条(3)ロの解釈
被申請人会社の就業規則四九条(3)ロを字義どおり読めば、被申請人会社の従業員が「刑事々件に関し起訴されたとき」は、被申請人会社は、人事権の行使として、事案の軽重、事情の如何を問わず、当然、一律に該従業員を休職処分に付し得るかの如くである。しかし、右に述べた起訴休職制度の本来の趣旨、目的からいつて、被申請人会社の人事権の行使における裁量にも自ら合理的な限界が存するというべく、就業規則四九条(3)ロは起訴された者が当然に休職処分にされることを規定したものと解すべきではない。
もし然らずとすれば、かかる就業規則は憲法一一条(基本的人権の尊重)、同二九条(生存権の保障)、同三七条(勤労の権利)、民法一条(権利濫用の禁止)同九〇条(公序良俗違反)などに違反して無効である。
(三) 本件起訴休職処分の無効
1 本件起訴は、民放労連山陽放送労働組合の組合員柳井宜二が昭和四〇年のメーデーに参加し、山陽放送株式会社から顛末書の提出を命ぜられたことに端を発している。そして右顛末書の提出命令は、メーデー参加という労働者の正当な組合活動に対する不当な攻撃であつた。申請人らは山陽放送株式会社のこのような不当な攻撃に抗議するため、民放労連東京支部連絡員約二〇名とともに、同社の東京支社に赴き、同社の不当なやり方に抗議し、顛末書提出命令の撤回を要求した。これは民放労連東京支部連絡会としての正当な組合活動であり、もともと刑事々件として問題になるようなこではなかつた。しかも、本件は被申請人会社の義務遂行と全く無関係に生じたもので、事件の内容もいわゆる破廉恥罪ではなく、まして会社の企業秩序、名誉、信用などを損うものではなかつた。
2 さらに、申請人らは、昭和四〇年八月二四日に逮捕され、同月二七日まで身柄を拘束されたが、その後勾留請求却下によつて釈放されてのち無罪判決言渡までの東京地方裁判所における年間の審理回数は多い年で一八回、少ない年で三回で、いずれも申請人らの有している年次有給休暇請求権の行使により消化できる程度のものである。
従つて、申請人らが刑事々件で起訴されたことは、会社の業務遂行には何らの支障も与えない。この点から申請人らを休職処分にする合理的根拠は見出せない。
2 申請人具島は東京支社所属の放送記者であり、申請人古賀は東京支社経理課で伝票処理などを主たる義務としていたものである。しかして申請人らが被告人の身分のままで会社における自己の業務を遂行することによつて、被申請人会社の経営に具体的に影響を及ぼすような「企業秩序の破壊」「企業信用(名誉)の失墜」などはない。また、申請人らが被告人のまま業務遂行にあつたたとしても、そのことによつて被申請人会社の一般的な名誉ないし抽象的な信用を損うこともない。
4 起訴休職処分は懲戒処分ではないとされているが、従業員にとつて、現実には懲戒処分に劣らない深刻な影響を与えるものである。即ち、被申請人会社において休職処分になれば、仕事ができないだけではなく、毎月の給与および夏、冬の一時金が支払われるか否か、支払われるとすればその額の如何、或いは休職期間を勤続年数に算入するか否かなどは、全く会社の一方的な裁量にまかされている。
因みに、本件において被申請人会社は、休職処分後、申請人らに毎月の給与は基本給の六割、年二回の一時金は約三割しか支払わず、また時間外手当、特別厚生手当など一切の手当を全く支払わない。そのうえ、休職期間は勤続年数に算入しないと明言する。
それ故、申請人らが本件起訴休職処分を受けたことによつて蒙つた経済的損失もしくは今後蒙るべき経済的損失は甚大であり、しかもかかる苛酷な休職処分は、間に無罪判決の宣告をはさんで、すでに四年以上も継続しているのである。
5 以上によれば、被申請人会社が申請人らに対する前記の起訴を理由に申請人らを苛酷な休職処分に付し、剰えその休職処分を長期に亘つて継続しているのは、就業規則四九条(3)ロの解釈適用を誤り、もしくは人事権を濫用したものとして無効である。
(四) 仮処分の必要性
申請人らはいずれも被申請人会社からの賃金のみで生計を維持している労働者である。申請人具島は妻子三名、申請人古賀は妻子二名の家族をそれぞれ有し、右家族はいずれも申請人らの賃金のみで生活している。
ところが、本件休職処分により申請人らとその家族の生活は極度に窮迫するに至つた。しかも、申請人らは長期間に亘つて就労の機会を奪われているため耐え難い精神的苦痛を受けている。まさに、申請人らとしては、本案判決の確定を待つていては、将来回復することのできない損失を蒙るおそれがあるといえる。
二、被申請人の主張
(一) 被申請人会社の起訴休職制度
被申請人会社の就業規則四九条は、前示のとおり、「従業員が次の各号の一に該当する場合は、休職とする。……(3)特別休職……ロ刑事々件に関し起訴されたとき……」と規定し、五〇条は「前条の休職期間は次のとおりとする。……(3)特別休職者の休職期間は、次の各号による。……ロ前条第三号ロに該当する者、その事件の判決が確定するまでの期間」と規定し、五一条(3)は「特別休職者の休職の事由が消滅し、会社が復職を認めたとき」に復職を命ずる旨定め、さらに五三条2項は「休職期間中の給与は、別に定める規定による」と規定し、これをうけて給与規定二二条は「休職期間中の給与は次の各号による。……(3)特別休職の場合は実情により定める」と規定する。
(二) 起訴休職制度の趣旨、目的
1 さて、従業員の解雇につき、被申請人会社の就業規則五五条は、一般退職として「従業員が次の各号の一に該当するときは退職させるかまたは解雇する。……(9)刑事上の罪科により刑罰をうけ、以後の就業が不適当と認められたとき……」、六六条は、懲戒として1項に「従業員が次の各号の一に該当するときは……懲戒する。(1)この規則またはこの規則に基いて作成される諸規定に違反したとき……(5)従業員としてふさわしくない行為があつたとき……」、2項に「特に次の各号に該当する場合は、その程度に応じて懲戒解雇または諭旨退職とする。……(2)他人に暴行脅迫を加えまたは業務を妨害したとき……(14)法律上の罪を犯し、従業員としての体面を汚したとき……」とそれぞれ規定するから、申請人らを含む従業員が刑事上の犯罪を行つたときは、被申請人会社は、右規定に則り、該従業員との間の雇用関係を終了せしむることができる。
しかし、犯罪を行つたか否かは、社会通念上、刑事起訴にかかる事実につき裁判所の(有罪)判決が確定したとき初めて社会的に判明するものである。
従つて、従業員が刑事々件に関し起訴された場合、被申請人会社において、判決の確定をもつてその従業員との雇用関係を終了せしむるか否かを判断することになるが、右判決の確定をまつまでの間に機能するものとして被申請人会社の就業規則上に規定されたのが、前記(一)の起訴休職制度である。
2 もとより刑事々件に関し起訴されたとしても、有罪判決が確定するまでは未だ嫌疑の段階にすぎず、被告人は無罪の推定を受けるのであるが、右嫌疑は、国家の訴追機関によつてある程度客観性を付与され、将来の有罪判決につながる高度の可能性を有する嫌疑であつて、一般人が被告人に対し刑罰法令違反者として一応の疑惑をかけることは十分首肯し得るところである。
この理は被告人が被申請人会社の従業員である場合も変わらない。殊に被申請人会社は、公共物たる電波の寄託を受け、公器として公共性ある報道事業を営むにあたり、自ら「社会正義の確立、社会秩序の維持、勤労意欲の向上を目的とし、自由且つ公正な放送を行うとともに……」などとする放送憲章を設け、その放送基準においても「法の権威を尊重する、これを軽視するような取扱いはしない」など定め、他面時宜に適した特集報道活動を行い、近時、暴力の追放等の企画を逐次実施し来つているものであつて、その業務遂行に関する正確性、信頼性、道徳性は社会的にも高く評価され且つ自負するものである。従つて、起訴された従業員の職場の上司や他の従業員は勿論、取引先或いは一般聴視者がその起訴にかかる事実を真実であろうと考えることも無理からぬところであり、かかる疑惑を受けている者を引き続き勤務させるときは、その者の職種、起訴事実の如何にもよるが、一般的に、その人格ないし職務遂行の厳格性に対する信頼感を失つた他の従業員は、その者と共同の作業秩序に組み入れられることを嫌い、取引先等の第三者も、被申請人会社に対し懐いていた信頼度を失い、ひいては経済的信用をも低下せしめるであろうことは見易いところである。即ち、一般に、刑事々件により起訴せられた従業員を引き続き勤務せしめることは、企業秩序の維持、業務遂行の円滑性、企業内外関係者からの信頼性、企業外からの信用等を損い、少なくとも損う危険を生ずるものであつて、業務遂行の支障となる。
従つて、被申請人会社の前記の起訴休職制度は、以上の業務の支障、危険の発生を避けるため就業規則上に規定、制度化されたものといえる。
3 さらに、従業員が刑事々件に関し起訴される場合は、刑事被告人として勾留され、或いは公判廷に出頭を義務づけられることによつて通常の就業が不可能もしくは困難になるのみならず、判決が確定するまでは該従業員は、訴訟の経過、準備に心を砕き、努力を傾けるので、反面自己の職務に専念することが極めて困難であることも予想されるところである。
それ故、この点も被申請人会社の就業規則上、起訴休職が制度化された一の根拠である。
(三) 起訴休職制度の合理性
被申請人会社の前記(一)の起訴休職に関する就業規則上の規定を解釈すれば、(イ)従業員にしていやしくも刑罰法規に触れる行為をなし、国家機関より刑罰を受けることが担当であるとして訴追を受けるに至つた場合は、被申請人会社は、その事案の軽重、事情の如何を問わず、当然一律に該従業員を起訴休職処分に付することができ、また付することを要し、(ロ)右起訴休職処分の期間は判決が確定するまでであり、(ハ)その間の給与を支給するかしないか、或いは支給する場合の金額は被申請人会社が起訴休職処分をなすにあたつて個々に定めるということになる。
そして、右のように解釈しても、起訴休職に関する前記(一)の諸規定そのものが不合理なものとして無効ということにはならない。
蓋し、(イ)の当然、一律適用の点は、前記(二)で述べた起訴休職制度の趣旨、目的に沿うことからも、また使用者の恣意を排して適用の斉一化を図り、もつて多数の従業員に対する取扱いの公平を期することからも、むしろ合理的であり、(ロ)の起訴休職期間の点については、前記(二)の起訴休職制度の趣旨、目的に合致するものであつて、最も合理的であり、さらに(ハ)の給与の点についても、起訴休職処分によつて労務給付が履行されず或いは不能となるとしても、それは起訴休職に関する就業規則の存在を知悉する従業員が敢えて自らの責任において刑事訴追を受ける行為に出た結果であり、使用者である被申請人会社の責に帰すべき事由によるものとはいえないこと勿論であつて、従業員の賃金請求権は本来発生しないものといわざるを得ない。それ故被申請人会社が起訴休職者に対し仮に給与金額を支給しないと就業規則上規定しても何ら合理性に欠けるところはないからである。
(四) 本件起訴休職処分について
1 被申請人会社は、東京地方検察庁において調査の結果、申請人らが前示の事実で起訴されたものであることを確認したので、前記(二)の起訴休職制度の趣旨、目的をも考慮したうえ、就業規則四九条(3)ロに則り、申請人らを起訴休職処分に付したのである。
即ち、起訴事実によれば、申請人らの行為は、同業者たる山陽放送株式会社を被害者とする暴力事犯或いは破廉恥犯であり、その法定刑も最高一〇年の懲役刑と定められ、決して軽微な犯罪とはいえない。のみならず、申請人具島は、本件起訴にかかる事件当時、報道部東京報道課に属し、所謂放送記者として東京支社において報道資料取材を担当していた者であり、部外第三者との接触を主とし、その職務の性質上、接触する相手方に対しては常に公器として公共性ある報道事業を遂行する被申請人会社の実態を理解せしめる窓口的役割を担う立場にあつた。従つて、同人は、他の一般企業の従業員はもとより、被申請人会社内の従業員に比しても、会社従業員として己を持するにより厳なることが求められて然るべきであり、会社の性格をより体する言動が期待せられていたのである。申請人古賀は、本件起訴当時、東京支社経理課に属し、会計業務を担当していたのであり、特に第三者との接触を主とする者ではないが、昭和三五年本社より転勤し、所謂東京在勤者としての言動が要請されたのであつて、被申請人会社の品位、体面、信用を損う如きことは到底許されない立場にあつた。
以上のことと前述した被申請人会社の報道機関としての公共性、特質等を考慮すれば、前記起訴事実につき申請人らの有罪が確定した場合は、被申請人会社としては、就業規則に徴し当然相当の懲戒処分を行う要のあるものと考えられたところであつて、申請人らを引き続き勤務せしめれば、その客観的嫌疑の故に、社内的には会社秩序を紊し、対社外においては会社が維持している前記業務の信頼性、品位、体面を損う危険のあることが判然としていた。一例を挙げれば、被申請人会社は長期に亘り報道および事業を通じ明るい街づくり運動や暴力追放特集等を実施しているのであつて、申請人らを起訴後なお引き続き勤務せしめるならば、直ちにその特集は不誠実であるとの非難を免れない。
それ故、被申請人会社が本件起訴事実につき申請人らを起訴休職処分に付したのは、就業規則の適用上当然のことであつて、右をもつて就業規則四九条(3)ロの適用解釈の誤りとする申請人らの主張は何ら理由がない。
また、すでに述べた如く、被申請人会社が休職期間中、申請人らに仮に給与を全く支給しないとしても、権利の濫用と評価されるべき筋合ではなく、まして会社は申請人らに休職処分後も給与の六割相当を支給しているのであるからなおさらのことである。起訴休職の場合、前述のとおり、その期間は判決確定までとするのが必然であつて、その期間中給与面の減少が継続するのはやむを得ないところである。
従つて、本件起訴休職処分をもつて人事権の濫用をいうのは全く当を得ないのである。
2 さらに、申請人らは、本件起訴休職処分がすでに四年以上継続していることおよび本件起訴事実に関し一審裁判が無罪の判決を言渡したことを強調し、これらを理由に人事権の濫用を主張するかの如くである。
しかし、特定の権利の行使が適法であるか否か、権利の濫用に亘るか否かは、民事、商事の取引上の権利の行使の場合はもとより、雇用契約上の権利もしくは人事権の行使の場合も同一法理に服し、いずれも権利行使の時期における権利行使の目的、方法、態様等を比較衡量して評価判断されるべきものであり、それら諸条件を判断すべき基準時期が当該権利行使の時期と一致すべきことは学説・判例において異説をみない。
而して、本件起訴休職処分は、前述した如く、権利の行使時期において、人事権の濫用に亘らずと判断される以上、適法に発生した起訴休職の効果が、その後の後発的事実の発生、例えば休職期間の長期化もしくは無罪判決の宣告などによつて、当然に、換言すれば、被申請人会社の復職命令など何らの意思表示ないし作為を要せしめられ、その起訴休職処分が人事権の濫用に帰するということはあり得ない。この間、権利濫用の法理をさしはさむ余地はないというべきである。
(四) 仮処分の必要性について
申請人らは、本件起訴休職処分後今日まで引き続き基本給の六割のほか、夏期および冬期一時金の約三割の支給を受けている。のみならず、申請人らは、休職処分による給与および一時金の減収分をその所属する民放労連RKB毎日労働組合から完全に補償されていて、休職処分前と同程度の生活を維持しているのである。そして、右組合の補償は、それが貸付金であるかどうかはともかく、組合規約上、後日被申請人会社から未払賃金の支払を受けるときは組合に返済することと定められているから、申請人らが今直ちに組合よりその返還を迫られるはずもない。従つて、申請人らが仮処分をもつて休職の効力停止および給与の仮払を求める緊急性、必要性は全く存しない。特に、申請人らは、本件公訴事実につき一審の無罪判決があつてからすでに一年半以上も経過したのち、本件仮処分申請に及んでいるのであつて、このことからも申請人らに緊急の必要性のないことは明白である。
第四、疎明関係<略>
第五当裁判所の判断
一、<証拠>によれば、被申請人会社の就業規則および給与規定上に、起訴休職に関し、被申請人がその主張(一)で主張するような各規定の存することが窺われる。
そして、被申請人会社が起訴休職に関し右の各規定を設けた趣旨ないし目的が、単に、申請人の主張するような身柄拘束もしくは公判廷への出頭義務に基く就業不能もしくは困難のおそれに対する配慮ばかりではなく、被申請人がその主張(二)で述べる如く、公訴の提起を受けた従業員をそのまま職務に従事させることにより、対内的には職場の秩序が紊され、対外的には、特に公共性ある報道事業を営むものとして、暴力追放等のキャンペーンを展開するなどして長年月に亘つて培つてきた被申請人会社の社会的、経済的信用が損われることに対する配慮にあつたことは、証拠および弁論の全趣旨に徴して明らかである。
二、そこで、まず右各規定の合理性ないし効力について検討するに、刑事々件に関し起訴された者は、有罪判決の確定するまでは、勿論、無罪の推定を受けるとはいえ、国家の訴追機関によつて公訴がなされた点、嫌疑がある程度客観化していることは避けられないところであり、被申請人会社において、前示の配慮から、公訴の提起を受けた従業員につき、その者の身分を保有させたまま職務に従事することを拒絶する措置としての起訴休職の制度を就業規則上に規定することは、決して不合理であるとはいい得ない。
(一)(起訴休職中の給与に関する規定の効力)
ところで、起訴休職の制度は、右の如く、従業員の身分を保有させたまま職務に従事することを拒絶する制度であると理解すべきであつて、その効果は休職期間中の従業員の就業を拒むという事実上の効果(この点については、さらに後述する)のほか、従業員が雇用契約上使用者に負担する日々の労務提供義務を予め休職期間に限り免除する(従つて、従業員がその間使用者に労務を提供せずとも債務不履行の責を問われることはない)ことに尽き、起訴休職とされた従業員が使用者に対し賃金請求権を有する否かは、起訴休職の効果と直接関係なく、民法五三六条二項の労務給付の不能が使用者の責に帰すべき事由によるものか否かの問題というべきである。
しかして、被申請人会社の就業規則五三条2項および給与規定二二条は、「休職期間の給与は実情により定める」旨を規定し、これは一見被休職者が趣訴休職の効果として本来は当然無給であることを前提とした趣旨のようにも思われる。なるほど、起訴休職は使用者が従業員の客観化された犯罪の嫌疑による業務遂行上の支障を主たる根拠として、該従業員の就労を拒否するものであり、これが一般に民法五三六条二項にいう使用者の責に帰すべき事由に該当せず、従つて被休職者に賃金請求権の発生しない場合が多いであろうことは否定できない。しかし、起訴休職の全てに賃金請求権が発生しないとすれば、右法条との関連において、使用者に右帰責事由がないと判断される場合に限つて休職処分が許されるということになる筈である。当被判所としては、起訴休職がそのように限定さるべきものとまでは考えていない。
とすれば、前記賃金に関する規定は、当然に賃金請求権を否定するものではなく、また民法五三六条二項の帰責事由がなく、使用者が法的には賃金債務を負担しない場合であつても従業員の生活保障等を考慮することは当然のことであるから、その点諸般の事情を斟酌して給与を定める旨述べたにすぎないものと解すべきである。その限りにおいて、右規定には格別問題はない。
(二)(起訴休職の要件に関する規定の効力)
しかして、公訴の提起を受けた従業員を起訴休職処分に付するか否かは、もとより使用者の人事権行使の問題である。しかしながら、従業員にとつて休職処分により休職期間中の就業を拒否されることは、その間賃金が完全に支払われ待遇その他について何等不利益がないならばともかく、通常は多かれ少なかれ経済的には勿論、精神的にも苦痛を強いるものである。その点、公訴にかかる犯罪事実は有罪の確定判決がない以上、無罪の推定を受くべきものであり、当該従業員にその責を問いえないことはいうまでもないし、また右公訴の提起を受くるに至つた経緯について、この段階で責任を云々することももとより正当でない。
従つて、被申請人会社が右人事権の行使としてその従業員を起訴休職処分に付するにあたつては、前示起訴休職制度の設けられた趣旨ないし目的を考慮するのは勿論、右従業員の被る不利益をも併わせ判断するのが相当であつて、その裁量権の範囲には自ずから合理的限界が存するというべきである。
而して、起訴休職の要件を規定した就業規則四九条(3)ロが、文字どおりに、刑事訴追を受けた従業員を、当然、一律に起訴休職処分に付する趣旨と解すべきものとすれば、それは右に述べた裁量権の行使に内在する合理制約の存在を無視した不合理なものとして無効の疑を免れないであろうが、右規定は、当然、右の合理的限界を付して解釈すべきである(それ故、被申請人会社が右合理的限界を逸脱して従業員を起訴休職処分に付するときは、右の処分は人事権ないし裁量権の濫用として無効というべきである)から、その表現にかかわらず、無効な規定ということにはならない。
(三)(起訴休職の期間に関する規定の効力)
され、前掲疎乙六号証によれば、被申請人会社の就業規則上に、被申請人主張の如き懲戒規定が存することは明らかであるから、被申請人がその主張(二)で述べるように、起訴休職が被休職者に対し将来懲戒権を発動するための準備、熟慮期間として機能することは否定できないところである。しかして、通常一般に、使用者は起訴された事実に関する裁判所の公権的判断を待つて被休職者に対し懲戒権を発動しようとするのであるが、裁判所の判断を尊重し、懲戒権の発動に慎重を期する点で、使用者の右心情は納得できるところである。けれども、前示懲戒規定自体からも明らかな如く、被休職者に対する懲戒権の発動が有罪判決の確定を待つてなされねばならない必然性は見あたらず、ために起訴休職の期間が当該事件判決の確定するまでの間でなければならない理由もない。
その上、起訴休職処分の効果は、前示のように、使用者の従業員に対する労務給付義務の免除と休職期間中の就業の拒否に尽きるところ、後者は事実上の効果にすぎない。即ち、もともと従業員には、通常の場合、就労請求権は認められないというべきであるから、起訴休職処分といつても、それは使用者の従業員に対する「今後、休職期間に限り労務給付の義務を免除する、休職期間中は就労しようとしてもこれを拒絶する旨の意思表示ないし観念の通知にすぎず、就業の拒否の方は、雇用契約における労務提供が日々行われることに対応して、日々の労務提供があるつどはじめてそれが現実化するのである。その意味において、就業の拒否に関する限り、使用者は日々新たな休職処分を行うといつても過言ではない。そうだとすれば、右の日々新たな休職処分についても前示の裁量権の行使に内在する合理的制約の存在を無視することはできず、従つて、最初のうちは右合理的限界を逸脱していなくとも、日々休職処分、即ち就業の拒否が行われる間に合理的限界を逸脱するに至つたときは、その段階において、就業の拒否、即ち休職処分は人事権ないし裁量権の濫用として許されなくなる、即ち無効になるというべきである。
かくて、起訴休職の期間を定めた就業規則五〇条(3)ロを、「常に」その事件の判決の確定までと解釈するとすれば、右に述べた二点において合理性を欠くということになるが、右規定も前同様、その表現にかかわらず、裁量権の行使に内在する合理的限界を逸脱するに至らないという限度で、被休職者の就業を拒否できるという趣旨に解するならば、いわば当然のことを定めた規定として、これを無効とするに及ばないであろう。
三、次に、本件起訴休職処分が前示裁量権行使に内在する合理的限界を逸脱している否かについて検討するに、<証拠>を綜合判断すれば、一応被申請人の主張する(四)1の点が肯認でき(もつとも、公訴事実と弁論の全趣旨とに照すなら、起訴事実が確定的に証明される場合、申請人らは懲戒解雇などの相当重い懲戒処分に値するとの主張はにわかに賛同できない)、少なくとも被申請人会社が申請人らを最初に起訴休職処分に付した昭和四〇年一〇月二六日の段階においては、休職処分が、前示起訴休職制度の設けられた趣旨もしくは目的に徴して、右合理的限界を逸脱したものとまで認めるに足りる疎明はない。
しかし、本件起訴処分が人事権ないし裁量権の濫用か否かの判断にあたつては、すでに前項(三)で詳述したように、本件起訴休職処分後の日々の就業拒否が裁量権行使に内在する合理的限界を逸脱するものであるか否かを検討することを要する。この点、被申請人は本件起訴休職処分が昭和四〇年一〇月二六日の段階で人事権の濫用に亘らずと判断される以上その後に発生した事情は、権利行使の適法性別断の基準時である「権利行使の時期」以降の従発的事実として、検討無用であると主張するが、これは失当である。なぜならすでに判示したように、本件起訴休職は、形式上は一回限りの処分でしかなかつたものの、実質は日々新たな人事権の行使として就業拒否という休職処分がなされたといつても過言ではないのであつて、ここで当裁判所が検討しようとするのは、まさに日々新たに行われ継続した人事権行使のさいの事情であつて、「権利行使の時期」以降の後発的事情ではないからである。
ところで、公訴の提起による嫌疑の客観化といつても、国家の訴追機関による公訴があつたという一事かもつて嫌疑が客観化したまま固定してしまうわけではなく、例えば無罪判決の宣告があつた場合など、その確定前といえども、特段の事情のない限り、一般人においても公訴の提起により一旦懐いた疑惑をそれなりに改めることが予測されるのであつて、その意味で起訴により一旦客観化した嫌疑が無罪判決の宣告により客観化する以前の単なる嫌疑に戻つたとも解されるのである(国家の訴追機関によつて起訴、上告が維持されているという意味で、なお客観化された嫌疑と呼びうるにしても、その嫌疑は著しく減殺されたものである)。
そうとすれば、申請人らが、昭和四三年三月二三日、起訴事実に関しそれぞれ無罪判決の宣告を受けたことは前示のとおりであつて、右特段の事情の主張も疎明もない本件においては、無罪判決の宣告の結果、被申請人会社の他の従業員、取引先である第三者或いは一般視聴者も申請人らに対し一旦は懐いた、起訴にかかる事実が真実かも知れないとの疑惑を改め、解消したと見るべく、しかも公訴の提起後すでに二年五ケ月の時の経過を考えるならば、無罪判決宣告後は、申請人らをその職務に従事させることによつて、対内的に職場秩序が紊され、対外的に被申請人会社の信用が損われることのおそれは、上訴審においてなお有罪判決が言渡される可能性が存する点で全く解消したとまではいえないにせよ、大巾に消滅したというべきである。
然るに、被申請人会社が、無罪判決宣告後もなお、申請人らが刑事々件で起訴されたという外形的事実と休職期間に関する就業規則の前記規定を楯に、申請人らの就業を拒否するのは、右に判断したところからいつて、明らかに起訴休職制度が設けられた本来の趣旨ないし目的に徴し不当というほかなく、結局、人事権ないし裁量権の濫用として無効と解するのが相当である。
それ故、申請人らは少なくとも無罪判決宣告後においては、被申請人会社に対し申請人らを休職中でない従業員として取り扱うことを求める権利を有するというべきである。
四、続いて、本件起訴休職処分後の申請人らの賃金請求権の有無について検討するに、すでに述べたように、起訴休職中の賃金請求権の有無は直接起訴処分の効果と関係がないから、無罪判決宣告後の起訴休職処分が無効であるとしても、そのこと故に直ちに申請人らの賃金請求権が肯定されることにはならない。
しかし、結局、起訴休職処分が無効である場合、被申請人会社の就業拒否には格別正当な理由がないことに帰し、これに基く申請人らの労務給付の不能は、民法五三六条二項にいう使用者の責に帰すべき事由によるものというべきであつて、申請人らは、少なくとも無罪判決宣告後、厳密にいえば被申請人会社がこれを知り休職処分の継続の当否を判断しうる相当期間を経た以後において、前示の金額の賃金請求権を有することが明らかである。
五、而して、<証拠>によれば、申請人具島は妻子三名、申請人古賀は妻子二名の家族を有し、いずれも被申請人会社から支給される賃金のみにて妻子ともどもの生活を維持していたところ、起訴休職処分後は、被申請人会社において前示就業規則五三条二項および給与規定二二条に則り、基本絡の六割に相当する給与しか支給しないため、家族を抱えて東京でのこれまでのような生活が維持できず、止むなく妻の内職と所属労働組合からの右差額に相当する賃金補償(後日会社より賃金差額の支給を受けたときは組合に返済すべき性質のものである)とによつて漸く生計を支えている現状であり、しかもそれが四年以上もの長期に亘つている現在、特に無罪判決宣告後もなお就労の機会を奪われていることから生ずる申請人らの耐え難い精神的苦痛をも考え併わせると、本案判決の確定を待つていては、将来回復することのできない損失を蒙るおそれがあるものと認められる。そして、右によれば、本件仮処分申請以降は少なくとも、賃金仮払の必要性のみならず、申請人らが被申請人会社に対して有する、申請人らを休職中でない従業員として取り扱うことを求める権利を被保全権利とする休職処分の効力停止の必要性の存することは明白である。
六、よつて、右休職処分の効力停止と仮処分の裁判の正本送達の日以降毎月二〇日限り給与の月額である前示金員の支払を求める申請人らの本件仮処分申請は理由があるから、これを認容すべく、これと同旨にでた当裁判所の昭和四四年一二月一三日付仮処分決定は相当であるから、これを認可し、訴訟費用について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。(権藤義臣 油田弘佑 三宮康信)