福岡地方裁判所 昭和45年(ワ)745号 判決 1976年3月24日
原告
住田美千子
右訴訟代理人
謙山博
外二名
被告
西日本鉄道株式会社
右代表者
吉本弘次
右訴訟代理人
山口定男
外一名
被告
博多自動車有限会社
右代表者
吉嗣正喜
右訴訟代理人
植田夏樹
外一名
主文
一 被告博多自動車有限会社は原告に対し金一、六四八、四二二円及びこれに対する昭和四一年一一月三〇から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告博多自動車有限会社に対するその余の請求及び被告西日本鉄道株式会社に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用中、原告と被告博多自動車有限会社との間において原告に生じたものの五分の一を同被告の負担とし、その余は各自の各負担とし、原告と被告西日本鉄道株式会社との間においては全部原告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実《省略》
理由
一請求原因1の事実、同2(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。
二被告らの責任の有無
1 本件事故の態様は前示請求原因2(四)のとおりであるところ、<証拠>を総合すると、
(一) 本件電車が呉服町電停を発車し、信号機作動中の本件交差点を直進するべく、同交差点にかかり、車体の前部が交差点内に入つた時、左後方から追い抜いて来た被告博多自動車の本件タクシーが同電車の前方約四、五メートルの軌道敷内地点で突然無謀にも電車進路をさえぎつて右折を始めた。
(二) 一瞬、本件電車の運転士相園求は、本件タクシーと衝突する危険を感じ、とつさに非常制動措置は講じたので、当時、電車軌条は小雨に濡れて制動効果の点では不利な条件下にあつたが、非常制動が効いて危く衝突を免れ、電車は停止し、他方タクシーは右折して走り去つた。しかし電車の乗客であつた原告は、この非常制動のシヨツクで尻餅をつくような恰好から仰向けに転倒し、腰背部を強く打つた。
(三) 本件電車は、前記停留所を発進し、速度を一ノツチから次第に加速して四ノツチ位まで上げ、非常制動時には時速約一〇ないし一五キロ程度に達していた。
なお、本件電車には当時数十名の乗客があり、乗客の中には立つている者も居たが、右非常制動によつて転倒した者は原告以外にはなかつた。
との事実を認めることができる。<証拠判断略>
2 そして、<証拠>によれば、本件電車が乗客六五名を乗せて小雨の中で直線、平坦な軌条を進行していた場合に非常制動をかけたと仮定すれば、その全制動停止距離は理論上は、時速一〇キロメートルの場合5.73メートル、時速一五キロメートルで11.36メートルであることが認められる。
3 この計算値と前示1認定の事故発生状況及び天候とを合わせ考えれば、相園求運転士にとつて本件タクシーの無謀な右折は予想できなかつたことであり、衝突の危険を回避するため、とつさに非常制動をかけたことは、電車運転士として業務上当然の注意義務に基づく措置であり、同運転士には本件電車の安全運転について注意義務を怠つた過失はなかつたものと認めることがきる(本件電車に道路交通法上の優先権があることは後記4のとおりである)。
他に右認定を覆えすだけの証拠はない。
してみると、被告西鉄に対して、旅客運送人としての責任を問う原告の請求は、その余の点を論ずるまでもなく失当である。また同被告に対して使用者責任を問う請求は、原告の全立証その他の本件証拠によつても相園運転士に過失を認め得ないから、これまた失当である。
4 もつとも、本件電車が非常制動措置を講じたのは、前示1の認定のとおり、本件タクシーが追い抜きをして、直進中の本件電車の直前四、五メートルの軌道敷内で突然右折にかつたために、これとの衝突を避けようとしてのことである。そうすると、本件タクシーには、必要な車間距離を保つことができないのに進路を変更して他車(電車)の前面に出た過失(旧道交法二六条二項)、後方から接近してくる路面電車の正常な運行に支障を及ぼさないように注意すべき義務を怠つた過失(同法二一条三項)、交差点における直進優先の原則に反した過失(同法三七条一項)及び安全運転義務違反の過失(同法七〇条)が重複して存在し、これが原因となつて本件電車の非常制動を招き、原告を転倒させる結果を招いたものであることは明らかである。
したがつて、本件タクシー運転者の過失を理由に、被告博多自動車の使用者責任を問う原告の請求は、その限りで理由がある(本件の場合、右タクシー運転者の氏名は詳らかでないが、本件タクシーが右被告所有のタクシーであることは争いがないから、特段の事情がない本件では、その運転車は同被告の被用者と推認して妨げない。民法七一五条の使用者責任を問う上では、被用者の氏名の解明は必要条件ではないと解すべきである)。
三治療経過及び後遺症
1 <証拠>を総合すると、
原告は事故当日から現在まで請求原因2(五)のとおり各病院に通院(但し九大付属病院にはその後も昭和四五年五月まで断続的に通院)、入院治療し、事故当時は頭痛、両下肢のしびれ、腰痛、脱力感等の愁訴があつたが、現在は頸腕硬直、頭と腰のしびれ等の愁訴を有し、依然として週一回程度の通院及びマツサージを受けている。それにもかかわらず原告は現在なお稼働できない状態であると訴えている。
との事実は認めることができ、この認定を覆えす証拠はない。
2 しかし<証拠>によれば、
(一) 本件事故後、原告が最初に診断、治療を受けた山田病院の医師山田徹は左前胸部打撲傷と診断したが、次に診断、治療を受けた九大附属病院(主として整形外科)では、原告の愁訴が「頭痛、両側下肢しびれ感、両腕の抜ける感じ、左肘関節末稍に力が入らない」等の多彩なものであつたにもかかわらず、筋電図検査の結果では異常が認められず、腕反射も正常であつたので、昭和四二年四月一五日に至つて病名を単に「腰痛症」と診断した。
(二) 原告(大正一二年一二月二〇日生)には脊椎粗しよう(鬆)症(頸椎、胸椎、腰椎とも中等度のもの)があり、昭和四二年、同四五年、同四八年と経年的に骨粗しようの程度が強くなつているが、外傷性と認められる骨変化は脊椎には全く認められないことがレントゲン所見で明らかになつている。
(三) 原告には右肩関節周囲炎兼拘縮が認められ、右肩関節周囲に疼痛が著明であり、右肩の運動性低下が認められる。
もつとも、原告は内田病院入院中の昭和四五年一二月二二日、同病院内で転倒し、右肩(右上腕骨大結節部)骨折を起しており、現在レントゲン所見では同骨折部に異常所見を認めないが、骨折の既往がいわゆる外傷性右肩関節周囲炎等を招いたことは十分考えられる。しかしながら他方、昭和四三年一〇月一六日国立別府病院の診断で、すでに原告には右肩関節の運動制限が認められているから、右肩関節周囲炎等の現症状の中には、内田病院入院中の転倒骨折とは無関係に本件事故に因り発症していたものがあることは否定できない。
(四) 原告は依然として頸、背、腰筋痛を多彩に訴え、本件定時にも「右片まひ様歩行」を呈するけれども、四肢腕反射筋緊張は正常で左右差なく、疼痛は訴えるが放散痛はなく、脊椎粗しよう症でも説明がつかないほど疼痛の部位、程度は多様かつ著名であり、しかも脳神経に異常は認められず、けつきよく右現症は「片まひ」の患者をまねた交態性の状態と判定される。
(五) のみならず、神経内科的見地から言えば、原告の疼痛の愁訴は心理的因子に由来する面が多く、原告の訴える症状には多分に心因反応(csychosonatic reaction)が認められる。
との事実を認定することができる。
3 そして、右1、2の認定事実と証人内田集司の証言のうち「内田病院における治療中(昭和四四年一〇月八日から同四五年末まで)の原告の症状は、当初よりむしろ増悪している。しかし、第四、第五頸椎間狭少や第二ないし第四腰椎の変化、手のしびれ等の頸肩腕症候は医師としての経験からみて外因性ではなく、本件事故によるものとは考えられない。原告は性格的に神経質と見受けられる。」との趣旨の部分、証人住田義雄の証言のうち「国立別府病院の医師から『退院して電話番ぐらいせよ。精神科に移れ。』と言われたことがある」旨の部分、および原告本人尋問の結果のうち「九大附属病院から国立別府病院に転医したのは、『九大ではこれ以上治療がないから温泉治療するように』と言われたからである。国立別府病院から中村病院に転医したのは『固定して治療の方法がない』と言われたからである。今も千鳥橋病院に通院しているが同病院でも『これ以上は治らぬ』と言われている。」との趣旨の部分とを合わせ考えれば、本件事故により仰向けに転倒した原告は腰部から背胸部頸部にかけて打撃を蒙つたが、すでに身体的には老化が始まり、経年性の脊椎粗しよう症が発症していたこと及び原告の神経症ないしは心因反応的な因子も加わつて、腰背部、頸部筋肉痛、右肩関節周囲の疼痛等の諸症状は頑固なものとして発現し、容易に消失せず、さらに昭和四五年一二月二二日には右肩骨折(本件事故と相当因果関係は認められない)を併発し、現在認められる右肩関節周囲炎兼拘縮に至つているけれども、本件事故との間に相当因果関係の認められる前示の頸背部、頸部筋肉痛及び右肩関節周囲の疼痛等の諸症状は国立別府病院の治療を受け終つた昭和四三年九月二八日には症状固定に達したものと認定するのが相当である。
4 そうすると、右症状固定時以後の原告の症状は、損害の算定に当つては、いわゆる後遺症として法律上評価されるべきものであるが、前示のとおり原告には右肩骨折の既往があるので、現在認められる右肩関節周囲炎兼拘縮の全部が本件事故と相当因果関係にあるとは認められないし、原告の訴える後遺症(愁訴)の中には「片まひの患者をまねた交感性の状態」や、そこまで至らないとしても多分に心因的要素に支配されているものがあることは前示認定のとおりである。
本件に特異な右の事実と原告の現症のうち「頸、背、腰筋痛症は局部に頑固な神経症状を残すものとして自賠責後遺障害等級表の第一二級相当」、「右肩関節周囲炎兼拘縮は、その全部を後遺症とするならば同第一〇級相当の著しい関節機能障害」であるとの鑑定人徳永純一の鑑定結果とを合わせ考えれば、本件事故と相当因果関係にある原告の後遺症の程度(労働能力喪失率)は、症状固定の当初において同表第一一級(第一二級の併合加重相当程度)であつたが、原告の年令から推してその労働能力喪失の期間は長く(現に本件鑑定時においても後遺症の存在がなお認められるのであるから)、症状固定から五年間は第一一級相当の二〇パーセント、以後三年間(昭和五一年九月二八日まで)は九パーセントと認めるのが相当である。
四損害の算定
1 治療費 金五三、四五〇円
<証拠>によれば、原告は治療費として昭和四四年一二月末までに被告西鉄において支払をした分を除いて、金五三、四五〇円を要したことが認められるから原告は同額の損害をうけたものと言える。
2 休業補償費
金四九三、四三三円
<証拠>によれば、原告は家庭の主婦であるが、本件事故当時から昭和四五年五月末に至る迄、治療に専念し、家事に従事しなかつた事実が認められるけれども、前示三のとおり、本件事故と相当因果関係にある範囲の傷害を治療するための休業は、昭和四三年九月二八日の症状固定時までに限つて容認され、その後は後遺症による労働能力の低下として評価すべきものである。
ところで右休業期間中である昭和四二年四月における全産業女子労働者、企業規模計の賃金平均は別紙計算書〔Ⅰ〕(一)のとおりであるから(労働統計年報昭和四二年度一三六頁所掲)、原告の右期間中の休業補償額はこれに基づいて算定された同計算書〔Ⅰ〕のとおり金四九三、四三三円を下らないものと認めるのが妥当である。原告は日額一、〇〇〇円の割合で算定すべき旨を主張するが、右に採用した統計資料を越える合理性があるとはにわかに認められないから、採用できない。
3 逸失利益(後遺症)
金六〇一、五三九円
前示三4のとおり、症状固定の昭和四三年九月二九日から同四八年九月二八日までは自賠責後遺障害等級表第一一級に相当する二〇パーセント、その後昭和五一年九月二八日までは同第一三級に相当する九パーセントの各限度で、後遺症と相当因果関係にある逸失利益を是認できるが、算定の基礎となる女子労働者の平均賃金は、昭和四七年一一月二八日までの期間についてはその中間である昭和四五年度の賃金構造基本統計調査報告中の女子労働者、全産業、企業規模計、学歴計の平均賃金(民事裁判資料一〇九号五八頁所収)を用い、昭和四七年一一月二九日以降については昭和四八年度同平均賃金(前同二八頁所収)を用いるのが妥当である。
そうすると中間利息を控除した原告の逸失利益は別紙計算書〔Ⅱ〕(一)ないし(六)のとおり算定され、その小計は金六〇一、五三九円となる。
4 慰謝料 金五〇〇、〇〇〇円
前記認定した本件事故の発生年月日、傷害の程度、後遺症、治療経過とくに、本件事故と相当因果関係の認められない症状の存在ならびに心因反応による治療の長期化などの諸事情を斟酌すると、その身体的、精神的苦痛の慰謝料は、症状固定時までの分として金二五〇、〇〇〇円、後遺症分として金二五〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。
五過失相殺の成否
前示三のとおり、原告は右肩骨折の傷害を本件事故後に併発しているし、また、原告はどちらかと言うと神経質で、治療のために病院を転々としているだけでなく、原告の愁訴には心因反応と認められるものが多分にあることは、被告博多自動車主張のとおりである。しかし、この事実は原告の治癒への願望が切実なものであり、他方、損害の填補についての関心が甚深であることを示すものであつても、それだけで原告に損害を拡大した過失があつたことにはならない。むしろ右のような事情は、前示三のとおり、本件事故と相当因果関係が認められる損害の範囲を固定するに当つて彼此混同することのないように慎重に吟味さるべき事項であるに過ぎない。
また、被告博多自動車は、原告の乗車の仕方に過失があるとも主張するが、<証拠>によれば、原告は本件電車に空席がないため、後部運転席の鉄柱(バツクスクリーンポスト)につかまつていたところ、非常制動のために手が離れ、転倒したことが認められる。そうであれば、乗客としての原告の所為は正常なもので、そこに過失はなく、他に原告に乗車中になんらかの過失があつたことを認めるに足る証拠もない。過失相殺の抗弁はいずれも失当である。
六弁済の抗弁について
<証拠>を総合すると、なるほど被告西鉄は原告に対し、治療中の諸雑費をまかなうものとして計一五四、八〇〇円を交付した事実が認められないではない。
しかしながら、被告西鉄が原告に対して損害賠償義務を負うものでないことは前示二のとおりであり、しかも同被告が損害賠償義務の存在を終始否定してきたことは<証拠>に照らして明らかなところである。
してみると、被告西鉄が原告に交付した右金員の性質は、その名目どおり生活補償すなわち贈与もしくは貸与であつて、損害賠償の趣旨ではないと解さざるを得ない筋合のものでおり、さすれば弁済金として支払つたものではないことに帰着する。
従つて、相被告博多自動車においても、これは損害の賠償すなわち弁済として援用することはできず、他に本旨弁済の事実を認めるに足る証拠はないから、その弁済の抗弁は失当である。
七結論
以上のとおり、原告の本訴請求は、被告博多自動車に対し金一、六四八、四二二円及びこれに対する本件事故の翌日である昭和四一年一一月三〇日から完済まで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるものとして認容し、その余の部分及び被告西鉄に対する請求はいずれも理由がないものとして棄却すべきものである。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。 (山本和敏)
計算書<略>