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福岡地方裁判所 昭和45年(行ウ)7号 判決 1974年11月19日

原告 中島定樹

右訴訟代理人弁護士 谷川富太郎

同 吉田雄策

同 石井将

被告 北九州交通局長 芳賀茂之

右訴訟代理人弁護士 苑田美穀

同 山口定男

同 立川康彦

被告指定代理人 光永俊司

<ほか四名>

主文

被告が昭和四五年一月三一日付で原告に対してなした解雇処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

主文と同旨

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1  原告は、昭和四五年一月三一日当時、北九州市交通局運輸課に技術吏員として勤務していた職員であり、同局職員をもって組織する北九州市交通局労働組合(以下北九交通労組という。)の執行委員長であった。

被告は、地方公営企業法の適用を受ける北九州市交通局の管理者であって原告の任免権者である。

2  被告は、昭和四五年一月三一日付で原告に対し、「昭和四四年一一月一三日北九州市交通局労働組合が始発時から六時までの間、時限ストをおこない、バスの運行を阻止し北九州市交通局に対し業務の正常な運営を阻害する行為をしたことについて、これに積極的に関与した」との理由で地方公営企業労働関係法(以下地公労法という。)一一条一項、一二条により解雇処分(以下本件解雇処分という。)をなした。

3  しかしながら、本件解雇処分は違法であるから、その取消しを求める。

≪以下事実省略≫

理由

第一、請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

第二、本件争議行為に至る経緯とその概要

一、原告の属する労働組合について

抗弁1(一)の事実は、当事者間に争いがない。

二、本件争議行為に至る経緯

1  北九州市交通局の財政事情、職員の給与改定等について

(一) ≪証拠省略≫によればつぎの事実が認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

昭和三八年二月一〇日発足した北九州市は、旧若松市より既に経営状態の悪化していた交通事業を引継ぎ、昭和三八年度から四〇年度にかけていわゆる自主再建を試みたが累積した赤字を解消するに至らなかった。そこで、昭和四一年七月地方公営企業法の一部が改正された(「第七章財政の再建」の追加)のを機に同法の適用の下に財政再建団体となり、再建を計る方針を決定した。そうして、翌四二年七月三日、財政再建計画について市議会の議決を経、同月一五日自治大臣の承認を得て、財政再建団体となった。(北九州市交通局が財政再建団体となっていることは、当事者間に争いがない。)

(二) ≪証拠省略≫を総合すればつぎの事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

イ、北九交通労組は、総評加盟の国家・地方公務員、政府、自治体関係労働者の組合をもって組織された日本公務員労働組合共闘会議(公務員共闘)に加入していると共に、全国公営交通事業関係三九労組の連合体である都市交(総評、公務員共闘加盟)にも加入している。

ロ、そうして昭和三八年二月の北九州五市合併以来昭和四四年三月まで、当局の五次にわたる合理化計画(諸手当制度の廃止、給与表切替、人員削減・ワンマンカーの増加等。その間、財政再建団体となったことは前記の通り。)の実施により、賃上げ額等で市長部局の一般職職員にくらべ不利益を蒙っていた北九交通労組は、第一〇次賃金闘争(以下一〇賃ともいう)を組織、昭和四四年六月二八日第二回中央委員会を開催し、基本賃金の一万円以上引上げ、最低賃金二万五、〇〇〇円、給与表一本化等を主な内容とする要求決定をなし、同年七月上旬当局に要求書を提出した。そうして北九交通労組は、同月一七日の団体交渉の際、右要求についての考え方を当局にただしたが、未だ人事院勧告が出ていない時期でもあったため、具体的な回答は得られなかった。その後、北九交通労組は同月二三日人事院と公務員共闘、都市交との階層別交渉に参加するなどしてきたが、八月一五日人事院勧告(ベースアップ一〇・二%、五月実施。平均五、六六〇円。)が出されたのを機に第四回中央委員会を開き、第一〇次賃金闘争では「市長部局と差別のない賃金引上げをかちとる。」こと等を決定した。

ハ、公務員共闘は、右人事院勧告に対し、同年八月一九日と九月五日の二回にわたり幹事会討議の結果「秋季年末闘争方針案」を決定し、人事院勧告完全実施、地方公務員・地方公営企業体職員の賃上げ財源確保、最低賃上げ幅四、〇〇〇円、期末手当〇・二増額等を闘争の重点目標に掲げ、最重要期は二時間のストライキ実施等を定めた。そうして同年九月一二日、地方代表者会議で右方針は確認され、一一月一三日を全国統一行動日と決定した。

ニ、都市交も右方針を確認し、右全国統一行動日に統一スト(早朝より一時間以上二時間、七時までの時限スト)を行うことを決定した。

ホ、北九州市人事委員会は、同年一〇月二一日勧告を出したが、翌二二日北九交通労組第五回中央委員会は、先に決定した「差別なしの賃上げを闘いとる」ことを確認した。そうして、現実には地方公営企業職員の給与改定は、一般職地方公務員についての人事委員会勧告、ひいては国家公務員についての人事院勧告の実施と密接な関係を持つため、前記都市交の決定をうけ、一一月一三日の早朝統一時限スト実施という都市交の方針をそのまま北九交通労組の方針とする旨決定した。

ヘ、その後も北九交通労組は、全組合員の意思統一をはかるため職場集会を重ね、最終的には、一一月六日から三日間にわたり、一一・一三スト実施についての賛否投票を行った結果、組合員投票総数三九八票のうち三一八票の賛成を得、ついで第六回中央委員会で具体的な闘争の形態、戦術や一般市民への事前通報等の問題について確認するとともに同月一〇日第二〇回臨時組合大会を開催し、一一・一三スト実施を決定しストライキの最終的な準備体制を整えた。

2  争議指令の発出と争議行動への突入

≪証拠省略≫によれば、左の事実が認められ右認定を動かすに足りる証拠はない。

公務員共闘会議は、十一月上旬までの間、全国から地方代表者を動員するなどして政府関係諸機関と交渉を重ねたが、結局要求について満足する回答を得ることはできなかった。そうして同月一一日政府は人事院勧告の六月実施を閣議決定した。ここにおいて公務員共闘は、常任幹事会、戦術委員会を開催して右閣議決定に不満の意を表明するとともに、これ以上交渉の進展も期待できないという判断の下に、既定方針どおり、一一・一三統一スト実施を決定した。

都市交は、右公務員共闘の決定を受け、直ちに中央執行委員会を招集、翌一二日の両日にわたる同委員会において先の公務員共闘の方針を批准し、同日各地方本部ならびに六大都市に口頭で行動指令を発した。

一方北九交通労組は、スト実施予定を翌日に控えた一一月一二日、既に提出してある賃金要求について当局側と第二回目の団体交渉を行ったが、合意成立の見通しを得るに足る具体的回答はなかった。かくして北九交通労組は、同日都市交本部からその九州地方本部を経由して、全国統一行動に参加、突入せよとの指令を電話で受け、同日速報用紙をもって各組合員に指令を伝達し、翌一三日ストライキに突入することとなった。

3  当局側のストに対する態度

≪証拠省略≫によれば、以下の事実が認められこの認定を左右するに足る証拠はない。

北九州市交通局は、昭和四四年一〇月下旬ころ、北九交通労組が中央委員会において一一・一三ストを実施する旨決定したことを知り、さらにその後もスト実施についての賛否投票を行なうなどしてその体制固めをしてきたことから、企画しているストは、地公労法違反の争議行為であると判断し、一一月一一日、違法争議行為に及ぶことのないよう厳重に警告するとともに違反者に対しては厳しい措置をとる旨付言した「警告書」を交通局津島総務部長を通じて北九交通労組小林書記長に手交した。更に各職員あてには、交通局長芳賀茂之名でほぼ同趣旨の「一一・一三時限ストに対する警告」と題する書面を各職場に掲示し、また同月一二日の団体交渉の席上でも、違法な争議行為をしないよう重ねて注意した。

三、一一月一三日における争議行為の状況

1  二島営業所

≪証拠省略≫を総合するとつぎの事実が認められ右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

当日午前四時すぎ、北九交通労組員、支援団体員ら約一二〇名が車庫出入口付近に集合し、その場で集会を開催し労働歌を合唱する等の行為を始めた。

そこに仕業点検を終えた四時三二分発のワンマン一番勤務始発車は、その五、六分前、石川運輸係長の誘導で集会をしている組合員らの直前まで進行しクラクションを吹鳴させて停車し、志水営業所長が携帯マイクを用いて数回退去要請をしたが組合員らはこれを聞き入れず、結局この始発車は運行に至らなかった。続いて五時発のワンマン二番勤務のバス以下ツーマン一番勤務、ワンマン一四番勤務、ワンマン一五番勤務の計四台のバスがそれぞれ一番勤務のバスと同じような状態をくり返した。

この間集会は、永松執行委員の司会で原告の挨拶のあと支援労組や社共両党からの激励の挨拶等が行われ午前六時に終了、組合員らは解散した。

2  折尾営業所

2  ≪証拠省略≫を総合するとつぎの事実が認められ右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

当日午前四時三〇分ころから、同営業所東側出入口付近に北九交通労組員ら約一〇〇名が集合し、川原執行委員の司会で集会を始めた。午前四時四〇分ころワンマン一番勤務のバスは、栗本運輸課長の誘導で東側出入口付近にいた組合員らの近くまで来て停止し一応出庫の態勢をとったが、筒井所長の携帯マイクによる数回の退去要請は無視され、出庫に至らなかった。その後に続く五台のバスについても同様の状況がくり返された。

この間、集った組合員らは労働歌を合唱し、小林書記長や支援団体、社共両党からの激励挨拶等を受け、午前六時に集会を終えて解散した。

3  小石営業所

≪証拠省略≫を総合するとつぎの事実が認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

当日午前四時五〇分すぎ、数名の支援団体員を含めた小石営業所勤務の組合員ら約八〇名は、同営業所正門出入口付近で集会を開催した。五時の一番バス出庫がせまった四時五五分ころ、宇佐美係長が場内マイクを使って出入口付近で集会をしている組合員らに対し、通路をあけてバスの出庫を妨げないよう数度要請をくり返すかたわら、石田管理課長は五時発の一番バスを出入口方向に誘導したが結局前記二営業所におけると同様出庫に至らなかった。ついで五時一〇分、五時五〇分にそれぞれ出庫時刻となった各バスについても類似の状況が反復され出庫に至らなかった。

集会では、岩本執行委員の経過報告のほか来賓者からの激励挨拶等が行われ、六時に集会を終えて組合員らは解散した。

4  バス出庫阻止の形態とその実態

≪証拠省略≫を総合すると、つぎの事実を認めることができる。

前記三営業所におけるストライキは、外形上は、集会に参加した組合員らによるバスの出庫阻止という形態がとられている。しかしながらスト時間中に乗務する予定の北九交通労組組合員らは、職場集会等の機会にあらかじめ説明を受けて納得しており、一応表向きには当局側の業務命令に従ってバスに乗務し出庫する態度をとるものの、内心は組合員として一一・一三ストに参加する意思を有し、他の組合員らによる阻止行為の有無にかかわりなく、バスを出庫させる意思はなかったものである。

組合がこのような争議行為の形態をとったのは、組合側としては、その主張(第二の四の1参照)の如く懲戒処分が一般組合員に対してなされるのを避け、団結の弱体化を防ぐためであった。これは昭和四二年ころから採用されてきた形態であって、この実態については、組合員自身はもちろん承知し、当局側も一応察知していたところである。

証人津島福一は、本件争議行為当日二島営業所で出庫を阻止されたバスの中には北九州市交通局新労働組合に属する職員の乗務するものもあった旨供述するが、それ以上、その姓名、人数等具体的内容について証言していないので、これのみでは未だ原告らによる積極的業務阻害の事実を認定することはできない。他に以上の認定を左右するに足る証拠はない。

5  業務の阻害状況

(一) ≪証拠省略≫を総合すると左の事実が認められ右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

本件争議行為はいずれの営業所においても、始発から午前六時までの間の二時間以内の範囲で実施され、このため運休となったバスは二島営業所で九本、折尾営業所で六本、小石営業所で七本の計二二本であり、これは運休した系統路線の一日ダイヤ総本数五五〇本の四パーセントに該当するにすぎず、また当時運休した当該バスに平常乗車していた利用客数は、合計三〇〇人足らずの人数であった。

(二)、(一) で認定した計数上の僅少性に加えて、さらに≪証拠省略≫を総合すると、本件争議にかかる路線は、多く若松区内であって、他に競合するバス路線は存在しない地域が多かったけれども、一一月一三日の早期始発時より午前六時まで争議行為が行われることは、予定の日が近づくにつれて新聞、テレビ等で報道されていた。更に当局側は同月一二日、争議行為で運休の予定されるバスの停留所毎に、北九交通労組による争議行為が予定されている旨の書面を掲示した。北九交通労組も同趣旨のことを主な内容とするビラを各停留所で配布し、あるいはニュース・カーで一般市民に対し争議行為の内容、趣旨を説明してまわるなどしてバス利用者に対する周知、対策を講じた。そうしていずれの営業所においてもラッシュ時に入る前に争議行為は終了していた。尚争議行為によって運休となった二二本のダイヤのうち一一本がその後廃止されている。以上の事実がそれぞれ認められるのであってこれらの事実をあわせ考えると、本件争議行為が市民生活に及ぼした影響はむしろ軽微なものであったというべきである。

≪証拠判断省略≫

第三、本件解雇処分と解雇権の濫用

ところで、本件解雇処分が地公労法一一条一項、一二条を適用して為されたことは、前記認定の通りである。しかして原告は当該条項の違憲性を主張して争っているのであるが(特に第二、五、1(一))、憲法判断は裁判所が他の論点で本案を処理できる場合、これをしなくてもよいと解される。

そこで本件につきこれをみるに、

一、地公労法一二条は、職員が争議行為の禁止等を定めた同法一一条一項に違反した場合に、当局はこれを解雇することができる旨規定する。しかし、同法一二条の解雇権は、当該職員の職種・職務内容、争議行為の目的・態様・規模、当該職員の争議行為に対する参画の度合、他の参加者に対する処分との均衡など諸般の事情を総合的に勘案して、必要な限度を超えない合理的な範囲内で行使されなければならずこれを超える処分は、妥当性、合理性を欠き同条の解釈を誤り解雇権を濫用したものとして違法というべきである。

二、これを本件解雇処分について検討する。

1  まず、原告自身の行為についてみるに、原告が北九交通労組の執行委員長であることは前記認定の通りである。そうして、≪証拠省略≫を総合すれば、原告は北九交通労組の執行委員長として本件争議行為全般の実行を具体的に企画・指導したほか、ストライキ当日は二島営業所に赴き四時三〇分ころ市職労ニュースカーを車庫出入口に横向けに駐車させるよう指示して車庫出入口をふさぎ、さらに動員された組合員ら約一二〇名をその前に集合させて集会を開き、そこで挨拶をするなどして志水同営業所所長の退去要請を無視し、前記認定の如くバス出庫妨害という形でストライキを行ったことが認められる。尚、原告がそれまで争議行為に関して解雇一回を含む停職等の懲戒処分を数回受けたことがある事実も認めることができる。この認定を左右するに足る証拠はない。

しかしながら前記原告の行動は、組合がストライキを行う場合において執行委員長として通常すべき職務行為の域を出ず、仮りにその指導的役割を果した事情を考えるとしても前記認定にかかる争議行為に至る経緯、並びに争議行為の状況、就中それが当該運休バス乗務員を含む組合員の意思決定に基くストライキであったこと、本件がいわゆる現業職員のストライキにかかるものであり、実際の業務阻害結果・市民生活に与えた影響も大きくはなかったこと等を考えると、特に原告を解雇に付さなければならないほどの事情は見出し難い。

3  してみると、原告が事前に争議行為を中止するよう当局から警告を受けていたことや、過去に争議行為を理由とする数回の処分歴があった事実などを考慮してもなお、原告に対する本件解雇処分は必要な限度を超えて苛酷に過ぎ合理性、妥当性を欠くもので地公労法一二条の解釈を誤り、解雇権を濫用したものとして違法というべきである。

第四、むすび

よって、その余の点について判断するまでもなく本件解雇処分は取消しを免れず、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡野重信 裁判官 宇佐見隆男 吉田哲朗)

<以下省略>

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