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福岡地方裁判所 昭和47年(ワ)1424号 判決 1976年5月27日

原告

小林広一

被告

山忠木材株式会社

主文

一  被告は原告に対し三三八万九〇六六円及びこれに対する昭和四五年五月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  本判決一項は仮に執行することができる。

事実

第一請求の趣旨

一  被告は原告に対し一〇〇九万八一三三円及びこれに対する昭和四五年五月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用被告負担。

三  仮執行宣言。

第二請求の趣旨に対する答弁

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用原告負担。

第三請求原因

一  交通事故の発生

1  日時 昭和四五年五月二五日午後三時一七分

2  場所 大阪市港区波除町五丁目九番地先交差点内

3  加害車 普通貨物自動車(泉四ほ六八九号)

運転者 安森重光

4  被害車 普通乗用自動車

運転者 原告

5  事故の態様 前記交差点内で直進する被害者の側面に左折してきた加害車が衝突

二  傷害の部位・程度、治療状況、後遺症と因果関係本件事故により原告の被つた傷害の具体的内容は以下のとおりである。

1  傷病名 頸部挫傷、右腰部大腿部打撲傷等

2  治療状況

(一) 昭和四五年五月二五日から同月三〇日まで六日間大阪市の西大阪病院に通院

(二) 昭和四五年六月三日から昭和四六年四月一六日まで三一八日間唐津市の唐津共立病院に入院

(三) 昭和四六年四月二一日から昭和四七年六月二九日まで四〇五日間福岡市の山下外科病院に入院

(四) 昭和四七年六月三〇日から今日まで引続き前記山下外科病院に通院継続中

3  後遺症

原告は昭和四七年九月頸椎挫傷、右腰部・大腿部打撲傷による後遺症が残つた(これは衝撃の大小と比例するものではない。)が、それは自賠法施行令別表第七級四号と労働者災害補償保険法施行令第七級の認定を受けたので、右認定程度の後遺症が現存する。

三  責任原因

被告は加害車の保有者である。

四  損害

1  休業補償 二八〇万円

原告は本件事故当時大阪市内でタクシーの運転手をし月収一〇万円であつたが、本件事故のため二年四ケ月の休業を余儀なくされた。

2  逸失利益 七〇七万七二四七円

原告は昭和四七年一一月(本件訴え提起)現在四二歳の男子で、今後少くとも二一年間労働に従事することができるところ、本件事故により労働能力の四六%を喪失し、終生回復の見込はないので、その逸失利益をライプニツツ式により算定する。

一〇〇〇〇〇×一二×一二・八二一一×〇・四六=七〇七七二四七

3  慰藉料 三〇〇万円

(一) 入院中の慰藉料は、その症状・期間などからして一二〇万円が相当である。

(二) 後遺症に対する慰藉料は、その部位・程度などからして一八〇万円が相当である。

4  損益相殺 三六九万七一二六円

(一) 自賠責保険から二三二万一三二五円

(二) 被告から二五万四四四五円

(三) 労災保険から昭和四七年九月一日まで一一二万一三五六円(なお労災年金の将来の給付分については、政府から初めの三年間分は加害者への求償がありうるが、四年目以降については求償がないのであるから、この分を控除することこそ不公平のそしりを免れない。)

5  弁護士費用 九一万八〇一二円

原告は被告に対し九一八万〇一二一円の損害賠償請求債権を有するところ、原告は原告訴訟代理人弁護士に本件訴訟追行を委任し、認容額の一割を成功報酬として支払う旨約した。

五  結論

よつて原告は被告に対し一〇〇九万八一三三円及びこれに対する本件事故発生日である昭和四五年五月二五日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四請求原因に対する答弁

一  請求原因一は認める。

二  同二は不知。この点についての被告の反論は以下のとおりである。

1  原告の症状について

本件事故による衝撃は軽微であつたに拘らず原告は強度の自覚状症を訴え、長期加療をなし、かつ重度の後遺障害認定を受けているのは奇異である。

2  後遺症の程度

原告の知覚障害は奇妙、不可解であるばかりでなく日常生活には何ら差支えがないのであるから、原告主張のように自賠法施行令別表第七級該当とは解されず、同表九級又はそれ以下というべきである。

3  因果関係について

原告の症状は心因的要素の寄与が明らかであるのみならず、頸部脊椎症(三〇歳頃より徐々に年齢を経るに従つて発現する年齢性のもの)が本件事故による衝撃と競合しているのであるから、この点を十分斟酌すべきである。

三  同三は認める。

四  同四は争う。損益相殺についての原告の主張は以下のとおりである。

1  現在まで原告は次の金員を受領済みである。

(一) 被告より

(1) 治療費 三万四一八〇円

(2) 損害金内金 二三万四四九五円

(二) 自賠責保険より

(1) 傷害分 二三万一三二五円

(2) 後遺症分 二〇九万円

(三) 労災保険給付

(1) 休業補償給付 三〇九万七七八八円

(2) 障害補償年金 六九万一四五二円

但し、昭和五〇年五月、八月、一一月、昭和五一年二月の四回分

2  原告は昭和五一年五月以降終生にわたり毎年二月、五月、八月、一一月の四期に分けて、一期当り一七万二八六三円の労災保険障害補償年金を受けとれる筈である(最判昭和五〇年一〇月二四日参照)ところ、原告が後遺症による将来の逸失利益を現在一括請求できることとの均衡から考え、将来受領できる労災年金も現在一括して差引くのが衡平であり、少なくとも当該後遺症の存続する期間は右年金を受給されるのであるから、その分は当然損害から控除されるべきである。

第五証拠〔略〕

理由

一  請求原因一(本件事故の発生)と三(責任原因)については当事者間に争いがない。

二  傷害の部位・程度・治療状況、後遺症と因果関係

成立に争いない甲第二号証の一ないし六、第四号証の二、乙第四号証の一・二、証人奥江章の証言および原告本人尋問の結果並びに鑑定の結果を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  傷病名

本件事故により原告(昭和五年三月一九日生、本件事故時四〇歳)は頸部挫傷、右腰部・右大腿部打撲症の傷害を受けた。

2  治療経過と態様

右傷害のため、原告は以下のとおり治療を受けている。

(一)  昭和四五年五月二五日(本件事故日)から同月三〇日まで六日間毎日大阪市の西大阪医院で通院治療(当時、原告は右腰部・右大腿部・頸部(特に後屈時の)の疼痛と軽度の眩暈を訴えていた。)

(二)  昭和四五年六月三日から昭和四六年四月一六日まで三一八日間唐津市の唐津共立病院で入院治療(昭和四五年九月頃まであつた頭痛、頭重感、頸部の自発痛及び運動痛、眩暈、悪心等の愁訴は治療の結果漸次消褪し、同年一一月頃は頸部の運動痛と高血圧症を訴え、その治療が以後も継続した。)

(三)  昭和四六年四月二一日から昭和四七年六月二九日まで四三六日間福岡市の山下外科病院で入院治療

(四)  昭和四七年六月三〇日山下外科病院で症状固定の診断を受けたが、以後も後頭部、項部及び右肩部の疼痛、眩暈、耳鳴及び意識喪失等の主訴のもとに、山下外科病院で通院治療を継続している。

3  後遺症

(一)  右症状固定日の検査結果によると、原告は毎月二、三回位眩暈とともに失神をきたし、頸椎の軽度の変形、両上肢の一過性の麻痺、前後屈時の後頸部の疼痛等が認められ、運転手(本件事故当時原告はタクシーの運転手をしていたことは後記する。)への復帰は不能と医師から診断された。

(二)  そして、原告は右後遺症の程度につき、関係機関により自賠法施行令別表第七級及び労働者災害補償保険法施行令別表第七級の各認定を受けるに至つたのである。

(三)  昭和四九年四月頃も、原告には後頭部、項部及び右肩部の疼痛、眩暈、耳鳴及び意識喪失の主訴があり、診察の結果軽度の筋力低下以外は運動機能に特に異常はないものの、著しい疼痛があり、右前額部から頭頂、後頭部、項頸部、肩胛帯、上胸部及び右上肢全体即ち右三又神経第一枝領域及び右第二頸髄節から同第四頸髄節にかけ全知覚の鈍麻が存在し、両下肢末端部には軽度の触覚低下、振動覚の全身的な軽度の鈍麻が認められる。右の意識喪失症状は原告の現在の不遇な環境に対する心因的な要素もからんでおり、原告の右症状は心因性要素を伴うバレー症候群と頸部脊椎症とにまとめられるが、これと本件事故との間には十分な因果関係が認められる。これについては、意識喪失症状を大きくみれば自賠法施行令別表第七級認定も相当と考えられるが、脳波検査によると異常が見られないので、同表第九級一四号相当との鑑定医の意見がある。

(四)  以上によると原告に現存する後遺症の程度につき、専門医の間で前記七級相当説と九級相当説とに分かれているので、当裁判所としてはその中間の八級相当と解するのが本件では至当と解する。

4  因果関係について

(一)  原告の前記後遺症について心因的要素が加わつていることも前示のとおりであるが、その程度が明確でなく、本件事故によつて前記症状は惹起されたのであるから、本件では損害との間に一定の割合の限度でのみ因果関係を認めるべしとの十分な根拠はないというべく後遺症による損害の全部につき因果関係を認めるべきである。

(二)  尚、被告は本件事故は軽微であつて、後遺症の程度が重いのは、原告の心因的要因に基因するものである旨主張するが、成立に争いない乙第一ないし第三号証、原告本人尋問の結果及び経験則によれば、本件事故は前記後遺症の程度が全く疑問と考えられる程度の軽微な衝突事故であつたとまでいうのは困難であり、右(一)の判断に消長をきたすものではない。

三  損害

1  休業補償 二四〇万四〇四〇円

成立に争いない甲第三号証と原告本人尋問の結果によると、原告は本件事故前の昭和四五年三月四日大阪市のタクシー会社に勤務し、同月二〇日頃まで拠点の教示を受けた後、運転手の仕事に従事し、本件事故時(昭和四五年五月二六日)までに二三万一六五四円(平均月収約八万五〇〇〇円)の収入を得ていたことが認められるが、当時の四〇歳ないし四九歳の企業規模計の全男子労働者の年収一三四万九一〇〇円(平均月収一一万二四二五円)にも思いを致すと、原告の本件事故当時の月収は原告主張の一〇万円はあつたものと推認するのが相当である。

しかも、前記治療経過と原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故により、少くとも昭和四七年七月二五日までの二年二ケ月程度の休業を余儀なくされたことは優に認められるから、この間の損害の本件事故時の現価をライプニツツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、二四〇万四〇四〇円となる。

一〇〇〇〇〇×一二×一・八五九四+一〇〇〇〇〇×二(二・七二三二-一・八五九四)=二四〇四〇四〇

2  逸失利益 三七〇万四三一〇円

原告は昭和五年三月一九日生れの男子であるから、本件事故後少くとも二、三年間は稼働可能であつたと解されるところ、原告は本件事故による前記後遺症のため昭和四七年七月二六日から九年一〇ケ月程度その労働能力の四五%を喪失するものと解するのが相当なので、その逸失利益の本件事故時の現価を前同様の方式で求めると三七〇万四三一〇円となる。

{一〇〇〇〇〇×一〇(二・七二三二-一・八五九四)+一〇〇〇〇〇×一二(八・八六三二-二・七二三二)}×〇・四五=三七〇四三一〇

3  慰藉料 三〇〇万円

前記入通院による治療経過及び後遺症の程度等諸般の事情を総合すると、慰藉料としては原告主張の三〇〇万円をもつて相当と思料する。

4  損益相殺

(一)  原告が自賠責保険から二三二万一三二五円を受領していることは当事者間に争いがなく、被告から二五万四四四五円の限度で一部弁済を受けていることも当事者間に争いがない。

そして、前掲乙第四号証の一・二によると原告は労働者災害補償保険法に基づき昭和四五年六月三日から昭和五〇年四月三〇日までの間の休業補償給付として三〇九万七七八八円、昭和五〇年五月一日より一〇月三一日までの間の障害補償年金として三四万五七二六円を受領していることが認められるので、これら六〇一万九二八四円を前記1ないし3の損害額九一〇万八三五〇円から差引くと三〇八万九〇六六円となる。

(二)  なお被告は将来受給できる労災年金をも損益相殺するのが相当である旨主張するが、損害賠償と労災保険とは、法的性質が異るものであることを考えると、本件のように障害補償年金がその対象となつている場合には口頭弁論終結時までに現実に受領済みのものに限つて損益相殺する以外にないと考える。(被告のあげる判決例は被害者が死亡した場合の遺族等に対する労災保険給付に関するものであつて、本件における原告のように被害者に後遺症が残り、その原告に対し障害補償年金が給付される場合とは事例を異にする。)

5  弁護士費用 三〇万円

弁論の全趣旨によると、原告は本件訴訟の追行を原告訴訟代理人弁護士に委任していることが認められるが、本件訴訟の全過程を一覧すると、被告に支払を命ずべき弁護士費用の本件事故時の現価は三〇万円をもつて相当と思料する。

四  結論

以上の次第であるから、被告は原告に対し三三八万九〇六六円及びこれに対する本件事故日の昭和四五年五月二五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。よつて、この範囲で原告の請求を正当として認容するが、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担、仮執行宣言につき民訴法八九条、九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 簑田孝行)

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