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福岡地方裁判所 昭和48年(ワ)1247号 判決 1991年9月27日

原告

清川浩

清川正三子

清川基子

清川多代

右四名訴訟代理人弁護士

有馬毅

荒木哲也

高森浩

古川卓次

佐藤哲郎

永野周志

美奈川成章

被告

三西化学工業株式会社

右代表者代表取締役

石橋雅明

被告

三井東圧化学株式会社

右代表者代表取締役

笠間祐一郎

右両名訴訟代理人弁護士

清水稔

高崎尚志

被告

三光化学株式会社

右代表者代表取締役

安田理雄

右訴訟代理人弁護士

大石幸二

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告各自に対し、連帯して各金三五〇〇万円及び内金三四〇〇万円につき被告三西化学工業株式会社においては昭和四九年二月九日から、被告三井東圧化学株式会社においては同月一三日から、被告三光化学株式会社においては同月一二日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨及び仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、昭和二四年以来久留米市荒木町(旧三潴郡筑邦町荒木地区)に居住していたが、昭和四八年三月に肩書地に転出した家族である。

(二) 被告三光化学株式会社(以下「被告三光化学」という。)は、昭和二四年、農業薬品の製造販売等を目的として設立された会社であり、三井化学工業株式会社(以下「三井化学工業」という。)から原料の供給を受けて農薬であるペンタクロルフェノールナトリウム塩(以下「PCP」という。)の粒状加工等の事業を行っていたものである。

被告三西化学工業株式会社(以下「被告三西化学工業」という。)は、昭和三八年一〇月一〇日、農業薬品の製造、加工及び販売等を目的として設立された会社であり、被告三光化学から農薬製造の工場設備を買い受け、農薬であるPCPやベンゼンヘキサクロリド(以下「BHC」という。)、2、4、6―トリクロロフェニル―4―ニトロフェニルエーテル(以下「MO」という。)等の製造・加工・販売を行ってきた。

また、被告三井東圧化学株式会社(以下「被告三井東圧化学」という。)は、昭和四三年一〇月、東洋高圧工業株式会社が三井化学工業を合併してできた会社で、化学肥料、、化学工業製品等の製造・加工・販売を業とし、被告三西化学工業を設立した被告三西化学工業の親会社である。

2  被告らによる農薬生産について

(一) 被告三光化学

(1) 被告三光化学は、三井化学工業との間でPCP粒剤製造委託契約を締結し、福岡県久留米市荒木町白口一八六一番地(被告三西化学工業の本店所在地である。)所在の三井化学工業大牟田工業所久留米工場において、PCPの粒状加工事業を行うとともに、同所在の試験工場(以下同所々在の農薬製造工場を一括して「本件工場」という。)において、BHC製剤の生産を行った。生産量の推移は、以下のとおりである。

(2) 被告三光化学は、遅くとも昭和三六年五月には、PCP粒剤加工を開始した(日産一トン)が、同年九月、工場設備を拡大し、月産約九〇トンの試験工場を設置して、昭和三六年にはPCPを約一〇〇〇トン生産した。

被告三光化学は、その後昭和三七年二月に本格的な工場を稼働させ、生産能力を月産六〇〇トンに増やし、操業開始から昭和三八年二月までのPCPの生産量は、約八〇〇〇トンに及んだ。

(3) 被告三光化学は、昭和三七年当時、試験工場においてBHC粒剤を生産していた。当初の生産量は、月産約五〇トンであったと考えられ、昭和三八年六月末までの間に約九〇〇トン生産された。

(二) 被告三西化学工業・被告三井東圧化学

(1) 被告三井東圧化学の前身である三井化学工業は、除草剤PCP等の農薬の粉体を粒剤化して販売する方針を定め、昭和三六年一月一日、被告三光化学との間で、右PCPの粒剤化加工の委託契約を締結し、その後昭和三七年四月技術協定を締結したが、昭和三八年三月、右委託を中止し、造粒法の転換を決定し、押出し式造粒法に改めたのを契機に、同年一〇月一〇日にその出資により、被告三西化学工業を設立した。

設立された被告三西化学工業は、被告三光化学の本件工場設備を譲受けてその生産を引き継ぎ、三井化学工業の、昭和四三年一〇月以降は被告三井東圧化学の各指示により、PCP・BHC・MOその他の農薬の製造及び加工を行ったが、その生産量の推移は、以下のとおりである。

(2) 被告三西化学工業が設立後昭和三九年一二月までに本件工場において生産したPCPは、約九〇〇〇トンであり、BHCは、約一〇〇〇トンであった。

(3) 被告三西化学工業は、昭和四〇年から昭和四二年までの間に本件工場においてPCP粒剤及び新しく開発されたMO粒剤とを主として生産したほか、CNPとBHCの混合剤であるガンマMO粒剤、BHCを生産した。

この三年間に生産されたPCPは、約一五〇〇〇トンであり、MOは、約九〇〇〇トンであった。ガンマMOは、判明している分だけでも昭和四一年及び昭和四二年の二年間に約一七〇トン生産された。

(4) 三井化学工業が合併により被告三井東圧化学となった昭和四三年一〇月以降も、被告三西化学工業は、本件工場において農薬の生産を続けた。また、昭和四四年一二月には、粒剤だけでなく粉剤の生産も始まり、生産される農薬の種類も増え、昭和四三年から有機リン系、カーバメイト系、有機砒素系、抗生物質系の農薬が生産され、全体の生産量も増大した。

(5) 被告三西化学工業は、昭和四三年から昭和四七年までの間に、少なくともMO製剤を約六七〇〇〇トン、PCP粒剤(これは、昭和四五年一二月が最後の生産となっている。)を約八三〇〇トン、ガンマBHC製剤を約五〇〇〇トン、その他の有機塩素系農薬を約四〇〇〇トン生産し、有機リン系農薬を約四三〇〇トン、カーバメイト系農薬を約五七〇〇トン、その他の農薬を約六五〇〇トン生産した。

昭和四二年までの本件工場全体の生産量は、年間約九〇〇〇トンであったものが、昭和四三年以降は、年間約二〇〇〇〇トン前後へと増大したのであった。

昭和四七年九月以降は、主としてMOを生産していたが、昭和五八年七月三〇日、本件農薬工場において農薬製造の操業を一切廃止した。

3  農薬に含まれる不純物及び農薬の分解生成物

(一) PCPに含まれる不純物等

被告三光化学・同三西化学工業が用いたPCPすなわち除草剤としてのPCPナトリウム塩の製造方法によれば、生産されたPCPには、低塩素化フェノールあるいは過塩素化フェノールや重縮合物等が混入する。

また、PCPは、摂氏三〇〇度以上に長時間加熱すると熱分解を起こし、主としてオクタクロロジベンゾダイオキシンというダイオキシンの一種であるオクタジフェニーレンジオキサイドⅢを生じさせる。さらに、テトラクロルレゾルシンや数種のベンゾキノン等が分解生成物として発生する。

被告三光化学・同三西化学工業のPCP生産過程においても加熱乾燥工程があり、PCPの分解生成物が生じた。PCPに含まれるダイオキシンは、オクタクロロジベンゾダイオキシンが最も多く、ついでオクタクロロジベンゾフラン、ヘプタクロロジベンゾダイオキシン類が多いが、さらに他のダイオキシン類も含まれている。

(二) MOに含まれる不純物等

被告三光化学・同三西化学工業が用いたMOの製造方法によれば、その一過程である脱塩酸縮合反応に伴い、アルカリ塩化物の副生、未反応の2、4、6―トリクロルフェノールの残存などがみられる。

また、ポリ塩化ビフェニール(以下「PCB」という。)が混合機を加熱するための熱媒体として使用されていた。

さらに、MO粒剤には、粒剤製造のために添加された補助剤あるいは増量剤が含まれていた。

MO粒剤の有効成分CNPに含まれるダイオキシンは、1、3、6、9―あるいは1、3、6、8―のテトラクロロジベンゾダイオキシン類が最も多く、ペンタクロロジベンゾダイオキシン類、テトラクロロジベンゾフラン類が多いが、他のダイオキシンも確認されている。

4  農薬等の危険性について

(一) 農薬やそれに含まれる不純物、これらの分解生成物の危険性を問題にする場合、単一の農薬それ自体の危険性を問題とすることが必要であることはもちろんであるが、それとともに、複数の農薬が人体へ複合的に影響した場合の危険性も十分考慮されなければならない。

(二) 農薬の危険性

(1) 農薬は、農産物に付着する病原菌を死滅させ又は雑草を枯死させることを主目的とする化学物質であって、そもそも人体や生物に有害な物質であり、人や家畜が一時に大量に摂取すれば急性毒性によって死に至ることはもちろん、例え微量であっても長期間蓄積されることによって被害をもたらす性質のものであり、さらに、発癌性、催奇形性、突然変異原性があることが明らかになっているものである。

(2) 急性毒性について

イ 有機リン剤・カーバメート剤の急性毒性

有機リン剤・カーバメート剤は、神経毒である。すなわち、神経細胞は、アセチルコリンという物質によって刺激を伝達するのであるが、有機リン剤・カーバメート剤は、アセチルコリンを分解するアセチルコリンエステラーゼに結合してその機能を阻害する結果、神経細胞の接続部(シナプス)にアセチルコリンを蓄積させ、そのため神経の興奮状態を持続させ、神経障害を引きおこしたり、更には死に至らしめる。

その臨床症状としては、全身倦怠感、頭痛、悪心嘔吐、多量の発汗、流涎、歩行困難、言語障害、意識混濁、痙攣などがみれらる。

ロ 有機塩素剤の急性毒性

PCP・DDT・BHC・MO等の有機塩素剤に属する農薬は、脳や神経、さらに他の臓器の細胞の膜に局在するATP分解酵素(生体のエネルギー補給に関与する)の働きを強く阻害し、神経機能障害を引き起こす。

その全身症状としては、全身の倦怠感、頭痛、めまい、悪心嘔吐、発熱、多量の発汗、頻尿、反射の不安定、、思考力・記憶力・集中力の減退、不安興奮状態、知覚過敏または脱失、著しい協同運動障害、痙攣、意識消失、呼吸麻痺等があり、局部症状として、皮膚、眼、気道の障害を生じる。

DDTは、昭和四六年五月一日に、BHCは同年一〇月二三日に、それぞれ国内における使用禁止の行政措置がとられ、PCPも国内で使用規制対象の行政措置がとられている。

(3) 慢性毒性について

有機合成農薬のほとんどは、体内に蓄積される性質があり、特にPCP、DDTやBHC等の有機塩素系農薬は、体内に蓄積されやすい性質をもっている。

体内に取り込まれた農薬が体内の各部位に蓄積され、濃縮されることによって、慢性中毒被害が発現する。

(4) 特殊毒性について

イ 催奇形性

有機リン剤の中のパラチオン、ダイアジノン、メチルパラチオン、ドリチオン等は、動物実験により催奇形性があることが証明されている。

また、有機塩素系のPCPや2・4・5―Tのように塩化フェノールや塩化ベンゼンを通って製造されている農薬には、その工程中で副生した塩化ダイオキシン(PCDD)や塩化ジベンゾフラン(PCDF)が含まれており、これらは、後記のように強力な催奇形性を有していることが明らかにされている。

有機塩素系のMOも、その工業的合成法からみて、塩化ダイオキシンや塩化ジベンゾフランを含むのであるから、同様に強力な催奇形性を有する。

ロ 発癌性

有機塩素系のBHCやDDTは、動物実験により発癌性があることが明らかにされている。同じ有機塩素系に属するMOも右有機塩素系農薬と同一種に属することを考慮すれば、発癌性がある危険が大きい。

(三) 不純物及び分解生成物等の危険性

(1) ダイオキシン類

最も強い毒性をもつ2、3、7、8―テトラクロロジベンゾダイオキシンのみならずダイオキシン類はすべて毒性を有している。ダイオキシンの毒性としては、胸腺の退縮、精巣の変化をもたらし、生殖毒性、抵抗力低下、塩素ざ瘡、肝臓肥大、発癌性、催奇形性、免疫抑制などがみられる。

(2) PCB

ざ瘡などの皮膚症状、全身倦怠感、頭痛、咳、痰、月経異常などの自覚症状、気管支炎、爪の変形、血清ビルビリン減少などの所見がみられる。

(3) BHC

BHCには、七つの異性体があり、急性毒性が最も強いのは、ガンマBHCであるが、他の異性体も毒性をもつ。

ベータBHCは、慢性毒性が最も強い。

5  農薬やそれに含まれる不純物、分解生成物の工場外への流出と原告らの暴露

(一) 農薬の工場外への流出は、およそ考えられるあらゆる経路から発生している。生産工程が開放されていたために作業場が農薬で汚染されこれが工場外に洩れて直接原告らに侵襲した経路、集塵装置を介して大気汚染を引き起こし原告らが暴露された経路や土壌汚染を介して地下水が汚染されそれを飲料水としていた原告らが暴露された経路などである。

これらの経路から以下のとおり、原告らは、長期間にわたり農薬による暴露を受けてきた。

(二) 大気汚染

被告三光化学の本件工場における造粒過程は、大量生産を目的とするため、独特の製造方法を採用していたが、その生産方法は集率が低く、不合格品を繰り返し練和して用いるため、空気中の炭酸ガスに触れる時間が長く、PCPのナトリウム塩が一部中和されて遊離のPCPやTCPとなり、また、ローラーによる圧延過程の発熱が加わり、多量のPCP、TCP蒸気を発生させていた。

このため、被告三光化学が昭和三六年にPCP粒剤加工を開始して以来、悪臭が頻繁に発生した。

昭和三七年五月ないし六月の時点で、PCPが工場西側の原告宅において0.04ないし0.08mg/m3を検出され、また、同年九月、工場に接する社宅で0.04mg/m3、工場から一二〇メートル前後の地点で、0.001mg/m3が検出された。

昭和三八年九月、本件工場に一般集塵用煙突が設置され、煙突から一〇〇メートル付近においては、0.033mg/m3から0.01mg/m3へと減少したが、一五〇メートルの地点では、逆に0.007mg/m3から0.020ないし0.026mg/m3へと増加している。

(三) 工場排水及び排水路底質の汚染

昭和三九年一月、工場排水の測定が初めてなされたが、このとき、10.25ppmのPCPが検出された。その後昭和四六年三月一七日に測定されたときも、0.92ppmのMOが検出され、同年六月二九日には、工場排水から0.22ppmのMOが、工場側溝排水から0.37ppmのMOが検出された。

同年一〇月一六日には、工場排水口が通じる農業用水路の魚(フナ、ドジョウなど)が大量に死ぬということがあったが、同日採取された排水路の水からダイアジノンやツマサイドが検出された。

また、昭和四七年八月四日には、環境庁の委託により福岡県環境整備局が実施した測定により、工場排水口が通じる用水路でPCBが検出され(水質0.009ppm、底質六〇ppm)、その結果、土砂の除去をするよう行政指導された。

同月に、久留米大学医学部の井上が実施した調査により、工場排水が流入する用水路で死んでいたフナ及びドジョウから一三ないし六一PPMのPCBが検出された。

さらに、同年一二月、愛媛大学の立川により調査がなされ、排水口に通じる農業用水路の底質から三三ないし九七〇ppmの全MO、0.036ないし1.2ppmのBHC、0.069ないし0.24ppmのPCP及び2.8ないし三八ppmのPCBが検出され、その以前に工場廃液が流されていた農業用溜池の底質からは、一九ppmの全MO、2.3ppmのBHC、0.39ppmのPCP及び0.56ppmのPCBがそれぞれ検出された。

(四) 土壌汚染

昭和四六年一〇月当時、工場構内及び工場外近接地の土壌中の農薬は、工場内から工場外近接地へといくに従い、その濃度が減少していた。

また、昭和四七年一二月、工場内から運び出された廃土からも高濃度のCNP(MO)が検出されたほか、当時製造が中止されていたBHCやPCPも高濃度に検出された。さらに、工場周辺の農耕地から、北部九州の農耕地の平均的な数値をはるかに上回るMOが検出されたほか、高濃度のBHC、PCPやPCBも検出された。

これらのことから、農薬による土壌汚染がすすんでおり、しかも右土壌汚染は、工場に起因するものであることが明らかである。

(五) 地下水汚染

井戸水の水質検査は、住民が昭和四七年九月四日工場周辺の井戸から採取した井戸水を日本農村医学研究所に分析を依頼したことによりなされたのが初めてであったが、右水質検査の結果、原告方の井戸水からBHC及びPCPが検出された。

その直後に、久留米市や被告三西化学工業自身も工場周辺地区の井戸水の水質検査を実施し、同様にPCPが検出された。

6  原告らが被った健康障害

原告らに発現した身体症状は、当初農薬の急性中毒症状であったが、次第に慢性化し、多岐に渡る神経症状を中心とした全身症状へと進展し、その病像は複雑であり、症状は悪化の傾向を辿っている。

(一) 原告らの症状の推移

(1) 原告らは、被告三光化学の操業開始以前は、原告清川浩(以下「原告浩」という。)が左足下腿部に義足を装着していることを除けば、いずれも健康体で、特別な病歴はなかったが、右操業以来鼻血、咽頭痛、咳、痰や鼻汁がでる等の呼吸器系の症状や頭痛、眩暈、立ち眩み、吐き気、腹痛、下痢、結膜炎が発現した。

(2) その後、原告らは、扁桃腺を腫らし、咳にくるしむようになった。原告清川基子(以下「原告基子」という。)及び同清川多代(以下「原告多代」という。)は扁桃腺を痛め、高熱をだし、また、頻繁に気管支炎に罹患し、気管支拡大症になった。原告基子は、肋間神経痛で息苦しさをよく訴えた。

(3) 昭和三八年三月においても、原告基子は、鼻血をよく出し、原告清川正三子(以下「原告正三子」という。)、同基子及び同多代は、咽喉炎や気管支炎に罹患しており、原告正三子には、頭痛、眩暈、下痢等の症状がみられた。原告浩は、下痢を起こしたり、痰がよくで、また肝臓が悪くなった。さらに、原告らには皮膚疹が発現した。

(4) 昭和四〇年を過ぎた頃から、原告浩は、慢性咽喉炎に罹患し、痰がよく出た。原告正三子、同基子及び同多代らも、よく咳がでた。さらに、原告らには、激しい腹痛が続いた。

(5) 昭和四六年二月当時になると、原告浩には、慢性鼻炎、喉頭炎、頭痛、倦怠感、手の痺れ、慢性気管支炎等がみられ、原告正三子には、喉頭炎、眼の痛み、眩暈、腹痛、下痢、吐き気や倦怠感等がみられ、原告基子には、扁桃腺の腫れ、高熱、腹痛等がみられ、原告多代は、視力低下、鼻血等がみられた。

(6) 原告らは、昭和四七年五月二一日ないし二三日に、東京大学物療内科高橋医師及び佐久総合病院松島医師により検診を受けたが、その結果、原告浩については、①軽度の高血圧、②尿所見の異常、③心電図の異常、④コリンエステラーゼの低下がみられ、原告正三子には、①視力低下、②心電図の軽度の異常、③肝機能及び尿の軽度の異常、④コリンエステラーゼの低下がみられ、原告基子には、①咽頭・扁桃炎、②肝腫、③心電図の異常、④コリンエステラーゼの低下がみられ、原告多代には、①視力低下、②心電図の軽度の異常、③左下腿部の圧痛、④コリンエステラーゼの低下がみられた。

(7) その後、原告らの福岡市転居後の症状は、①全身倦怠感、疲労感、②身体各部の痺れと痛み、③胃痛、腹痛、④便秘、⑤立ち眩み、耳なり等であった。

(8) その後の原告らの症状は、慢性中毒化し、昭和五八年二月、三月、さらに七月に実施された大阪府阪南中央病院における診断の結果、原告浩には、①過敏性大腸症(便秘下痢交代型)②慢性気管支炎、肺気腫、③慢性結膜炎、④自律神経失調症が認められ、原告正三子には、①過敏性大腸症(下痢便秘交代型で低蛋白血症を伴う)、②慢性気管支炎、③角膜炎後遺症、④共同運動失調、⑤自律神経失調症、⑥情意障害、⑦聴力障害が認められ、原告基子には、①慢性気管支炎、②脳波異常、③四肢末端知覚障害、④角膜実質炎後遺症、⑤過敏性大腸症、⑥自律神経失調症が認められ、原告多代には、①過敏性大腸症(便秘下痢交代型)、②慢性気管支炎、③慢性皮疹、掻痒症、④角膜実質炎後遺症、⑤知覚異常、⑥自律神経失調症が認められた。

(二) 多種類の農薬による単独あるいは複合した影響を被った原告らの症状のうち以下の六つの症状は、農薬等による健康障害として特徴的である。

(1) 慢性気管支炎

被告三光化学の操業直後から原告らに生じている咽頭痛等の呼吸器系の症状は、日を増すごとに重篤化し、慢性化していったものである。

呼吸器系への障害作用をもつ農薬は、PCP、BHCその他の有機塩素系農薬、有機リン系農薬、ブラストサイジンS、ETMなどである。ハイカット粒剤としてMOと混合したMCPAにも肺や気管支を障害する作用がある。

(2) 角膜実質炎後遺症

被告三光化学の操業以来、原告らは、目の充血、目脂などで目の周囲がズルズルする等の症状が発現したが、これはPCPの刺激作用であり、後にはBHCによる作用も加わったものである。

その後に生産された農薬にも目に対する障害作用を持つものは多く、MOその他の有機塩素系農薬、有機リン系農薬、カーバメイト系農薬、ブラストサイジンS等に結膜炎、角膜炎及び白内障等の障害作用が認められる。

(3) 過敏性大腸炎

原告らは、被告三光化学の操業以来、腹痛、下痢及び便秘等の消化器系の症状が発現しているが、当初はPCPの刺激作用であり、BHCの胃腸障害も加わったものである。その後生産された農薬のうち、MCPAその他の有機塩素系、有機リン系、ブラストサイジンS及びネオアソジン等がある。

(4) 自律神経失調症

原告らは、被告三光化学の操業以来、頭痛、眩暈、立ち眩み、耳なり、イライラ、皮膚疹、手の痺れ、倦怠感、記憶力低下等の自律神経、精神症状を発現したものであるが、当初は、PCP及びBHCによる神経障害として発現したものであり、後に生産された有機塩素系農薬、有機リン系農薬、カーバメイト系農薬及びネオアソジン等の神経障害を生じさせる作用も影響しているものである。

(5) 脳波異常

原告らの神経系障害は、より器質的な所見としての脳波異常にまで段階的な拡がりをもった障害である。

(6) 皮膚炎

原告らには、被告三光化学の操業以来、皮膚の痒み、爪の変化等皮膚症状が発現しているが、これは、当初PCPの皮膚粘膜刺激作用によるものであり、BHCによる皮膚障害作用の影響もある。

その後生産された農薬のうち、MOや有機イオウ剤であるETMにも皮膚障害作用がある。

7  被告らの責任

(一) 被告三光化学・同三西化学工業の責任

(1) 立地上の責任

イ 本件工場周辺の荒木町は、久留米市の郊外の住宅地として発展性の高い地区であり、昭和三四年当時、本件工場東側は約一メートルの農道をはさんで住宅が数軒あり、北東から北にかけては八区の住家が建ち並び、本件工場西側は、国鉄荒木駅構内を挟んで約一〇〇メートル先から駅前商店街で家屋が密集しており、南側は、被告三西化学正面より約二〇メートルのところに住家が二ないし三軒あり、そこから約二〇〇メートル離れて住家が並んでいた。

昭和三四年当時、荒木町では、水道が敷設されたが、なお住民の約半数が井戸水を使用していた。

ロ 元来、荒木町の地盤は、砂層の上に粘土層があり、雨水排水等が地下浸透しにくい土質であるが、本件工場が建築された敷地は、もとレンガ工場が明治年間より存在し、、本件工場敷地からもレンガ製造用の粘土を掘り出し、その採取後に、レンガの破片等が多量に埋められたため、廃液等が地下に浸透しやすい状態となっていた。

ハ 被告三光化学は、以上のことを認識していたのであり、かつ、農薬の製造加工等をする工場を新たに建設するに当たっては、農薬の廃液、粉塵を工場外へ排出することにより近隣の土壌、地下水、大気を汚染し、住民の生活環境を破壊し、その健康を害することが予想されるのであるから、事前に排出物質の性質、量、工場や排出施設と居住地域との位置、距離関係、工場及び周辺地区の土質、気象条件等を総合的に調査研究し、安全を確認したうえで立地すべき義務があるところ、被告三光化学は、これを怠り漫然と立地し、本件工場設備を譲り受けた被告三西化学工業も右同様の安全確認義務を怠ったものである。

(2) 工場建物の構造上の責任

農薬の製造工場を設置し農薬の生産をする場合は、その工場の構造は、毒物ないし劇物である農薬等が工場外に飛散したり、漏れ出たり、しみ出たり若しくは流れ出たり又は地下にしみ込むおそれがないものとする義務があるところ、被告らは、右義務を怠り、以下に記載するとおりの不良な箇所を放置し、その結果として農薬等の粉塵を工場外に飛散させ、農薬等を含んだ排水を工場外に流れ出るままに放置し、地下に浸透させた。

イ 建物構造上の不良性

被告三光化学が操業を開始した当初の建物は、およそ危険な農薬を扱うには適さないレンガ工場の既存建物をそのまま利用しており、その構造は、農薬粉塵が容易に建物外に飛散するものであった。

ロ 機械設備の不良性

a 作業機械の不良性

農薬構造のための作業機械がきわめて不良であり、操業開始以来、その各所より農薬粉塵が洩れ出ていたものである。

b 集塵排気設備の不良性

本件農薬工場が本格的生産を開始した昭和三七年二月頃の集塵・排気設備は、サイクロン、バックフィルター、洗浄塔だけであった。しかも洗浄塔は、農薬粉塵を含んだ排気ガスを水に通してあぶくをたて、農薬粉塵を水に吸着させるという原始的なもので、集塵効果はきわめて不十分であった。また、バックフィルターや洗浄水の交換が極めて不十分であったため、集塵効果も不十分なものであった。また、昭和三八年八月頃に、ベンチュリースクラッパーとミストコレクターが新たに取りつけられたが、これも集塵効果は極めて不十分であった。

c 排水設備の不良性

本件工場の唯一の排水対策として、被告三西化学工業は、昭和四一年農薬を含んだ排水の流出を防止するためピットを設置したが、常にあふれており、雨の日ではなくても周囲がベトベトする状態であった。

さらに、農薬を含んだ雨水、小試験室や洗濯場などの農薬を含んだ廃液は、少なくとも昭和四六年頃までは何らの対策もとられていなかった。

(3) 操業管理の不良

被告らには、農薬等の粉塵が工場外に飛散しないように工場の窓を閉め切った状態にし、かつ農薬等の粉塵が工場内に堆積しないよう常に清掃する等の義務があるのに、これを怠り、農薬等の粉塵を工場外に飛散させていた。

昭和三七年五月一五日頃、福岡県衛生部が被告三光化学に対し、PCPが保険衛生上支障を生ずる程度に作業場内に飛散堆積しており、屋外にも飛散しているから、電気掃除機で掃除することを求める内容の改善命令がだされたが、同内容の改善命令は、その後三か月の間に合計三回も繰り返されており、電気掃除機による掃除という最も基本的かつ単純な管理さえ十分になされていなかったことを示しており、農薬を取り扱う者としての初歩的な管理義務を怠っていた。

さらに、作業場内に堆積したPCPが窓から飛散するので、窓を閉めることを求める内容の改善命令も、同年五月三一日及び八月三日と相次いで二回繰り返されており、農薬粉塵の拡散を防止する姿勢を有していなかったことを示すものである。

(二) 被告三井東圧化学の責任

被告三西化学工業は実質的には被告三井東圧化学の一部門というべきものであるから、被告三井東圧化学は被告三西化学工業と同様の責任を免れない。

8  原告らの損害

(一) 慰謝料

原告らが被った精神的肉体的苦痛を慰藉するに必要な金額は、原告らそれぞれにつきいずれも金三四〇〇万円が相当である。

(二) 弁護士費用

原告らそれぞれ各一〇〇万円。

9  よって、原告らは、被告ら各自に対し、共同不法行為に基づく損害賠償として、原告各自に対し各金三五〇〇万円及び弁護士費用を除く内金三四〇〇万円に対する訴状送達の日である請求の趣旨記載の各日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  被告三西化学工業・同三井東圧化学

(一) 請求原因1(一)及び(二)の各事実は認める。

(二) 同2(一)(1)ないし(3)の各事実はすべて知らない。同(二)の事実はすべて認める。

(三) 同3(一)及び(二)の各事実は認める。

(四)(1) 同4(一)は争う。

(2) 同(二)(1)は争う。

農薬とは、農産物を害する病原菌、害虫及び雑草の防除に用いられる殺菌剤、殺虫剤及び除草剤と農作物等の生理機能の増進又は抑制に用いられる成長促進剤、発芽抑制剤その他の薬剤をいい、その目的は、農作物を病虫害や雑草害から防護し、農業生産を維持増進せしめることである。

農薬が人体や生物に対して有害であるか無害であるかは、その物質が摂取された量との関係で相対的に論ぜられるべきであり、量を度外視して物質の有害性、無害性を論ずることは意味がない。このことは、急性毒性はもとより慢性毒性においても同様である。

(3) 同(2)イの事実中、有機リン剤、カーバメイト剤が動物の神経細胞について作用を及ぼすことがあることは認めるが、対象動物及び投与量との相関関係によってその作用の有無及び程度が著しく異なる。その余の事実は否認する。

同ロの事実中、DDTが昭和四六年五月一日に、BHCが同年一〇月二三日にそれぞれ国内における使用禁止の行政措置がとられ、PCPも国内で使用規制対象の行政措置がとられていることは認め、その余の事実については否認する。農薬の毒性は、通常薬剤の一回の投与によって投与された動物群のうちの半数が致死するときの投与薬量を示す半数致死量で評価されるが、MOの半数致死量は、動物の体重一キログラム当たり一万八〇〇ミリグラムであり、毒物や激物にも該当しない普通物であり、その毒性は、有機塩素剤のBHCや各種ドリン剤の約百ないし千分の一、各種有機リン剤の約十ないし百分の一である。また、MOの魚毒性は、通常の使用においては、問題のないA類に属し、数値的に比較するとPCPの数百分の一である。また、農薬の魚毒性は、薬剤を投入した水中にコイについては四八時間、ミジンコについては三時間の間それぞれ処理したとき、これらの半数が致死するときの投入薬剤の水に対する濃度を意味する半数致死濃度により評価されるが、MOは、問題のないA類に属し、PCPの数百分の一の数値である。

(4) 同(3)の事実中、PCP、DDTやBHCが体内に蓄積される性質をもっている事実は認め、有機合成農薬のほとんどが体内に蓄積される性質があるという事実は否認する。有機リン剤やカーバメイト剤は蓄積性はない。その余の事実は否認する。

(5) 同(4)は争う。

(6) 同(三)(1)ないし(3)の事実についてはすべて否認する。

(五)(1) 同5(一)の事実は否認する。

(2) 同(二)の事実中、昭和三六年から同三八年までの試験期間中において、造粒技術が未熟であったため、時として工場外に臭気が流れたことがあったことは認め、その余は知らない。

(3) 同(三)の事実中、昭和四六年一〇月一六日に、工場排水口が通じる農業用水路の魚(フナ、ドジョウなど)が大量に死ぬということがあったという事実は知らない。同日、被告三西化学工業の排水も流入する農業用排水路の流水から、ダイアジノン及びツマサイドが微量検出されたことは認めるが、被告三西化学工業との関係については否認する。

(4) 同(四)の事実は否認する。

(5) 同(五)の各事実中、昭和四七年、原告方の井戸水から、PCPやBHCが検出されたという事実は知らない。

(六) 請求原因6の事実はすべて否認する。

原告らにその主張のような身体的症状が存することに多大の疑問があるばかりでなく、被告らの農薬生産と原告らの被害との間に因果関係が存在しない。

(七)(1) 同7(一)(1)イの事実中、荒木町が久留米市の郊外住宅地として発展性があるという事実は不知、その余は否認する。

本件工場の西方向には、商店街及び住宅があるが、旧国鉄(現在のJR九州株式会社)鹿児島本線軌道及び同荒木駅舎をはさんで一五〇メートル以上の距離があり、本件工場の南、東及び北の方向は、住宅が数戸比較的近接して点在しているが、広く田畑に囲繞されている。

同ロの事実中、荒木町の地盤が砂層の上に粘土層があり、雨水排水等が地下浸透しにくい土質であること及び本件農薬工場の敷地がレンガ工場跡地であることは認め、その余の事実は否認する。

同ハの主張は争う。

(2) 同(2)イの事実中、被告三光化学が操業を開始した当初の建物がレンガ工場の既存建物を利用したものであった事実及び同ロcの事実中、昭和四一年に被告三西化学工業がピットを設置した事実は認め、その余はすべて否認する。

被告三西化学工業の工程設備は、完全循環システムを取っており、廃液を排出する機構とはなっていなかった。工程廃液以外の雑用水及び生活用水を少量排出していたが、このうち試験器具洗浄水及び洗濯水等に微量の農薬成分が混入していたので、これらの排出を防止し、回収水を農薬混練水として活用するために自動回収システムを採用したものである。

(3) 同(3)の事実中、被告三光化学工業が福岡県衛生部より作業場内の管理改善について数回にわたり指摘、指導を受けた事実は認めるが、その余の事実は否認する。

(八) 同8は争う。

2  被告三光化学

(一) 請求原因2(一)(1)ないし(3)の各事実はすべて認め、同(二)(1)の事実中、被告三西化学工業が同三光化学の本件工場設備を譲り受けてその生産を引き継いだことは認め、その余の事実はすべて知らない。

(二) 同1及び3ないし8の事実については、被告三西化学工業及び同三井東圧化学の認否に同じ。

三  被告らの抗弁(消滅時効)

昭和四五年一二月二一日以前の原告らの損害についての賠償請求権は、遅くともその時までには原告らは、損害及び加害者が被告らであることを認識していたのであるから、本訴提起の日の前日である昭和四八年一二月二〇日の経過により、民法第七二四条の消滅時効にかかるものであり、被告らは、昭和六一年七月四日の口頭弁論期日において右時効を援用する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する原告らの認否

原告らが昭和四五年一二月二一日までに損害及び加害者を知ったという事実は否認する。原告らは、昭和四七年五月に井戸水を採水し、同年七月にその水質検査の結果がでてはじめて損害及び被告らの加害行為が不法行為であることを知ったものである。

第三  証拠関係<省略>

理由

一当事者

1  原告ら

証拠(<書証番号略>、原告清川正三子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨)によれば、(1)原告浩は大正一二年一月二三日生、原告正三子は大正一五年一月三日生で、右原告両名は、昭和二六年一月婚姻した夫婦であること、(2)原告基子は昭和二八年五月九日生の右夫婦間の長女、原告多代は昭和三〇年九月一七日生の同夫婦間の次女であること、(3)原告浩は、昭和二四年から福岡県久留米市荒木町(昭和四二年の合併前は同県三潴郡筑邦町荒木地区。以下「荒木町」という。)に居住して時計店を営み、原告正三子は婚姻以降、原告基子及び同多代は出生以降それぞれ荒木町に居住していたが、原告らは、昭和四八年三月五日福岡市内に転居し以後同市に居住していること、(4)原告らが荒木町で居住していた住家は、本件農薬工場の中心から南西約二〇〇メートルの位置にあったこと、が認められる。

2  被告ら

証拠(<書証番号略>、証人新村清次、同深町潜の各証言及び弁論の全趣旨)によれば、(1)被告三井東圧化学は、昭和四三年一〇月東洋高圧工業株式会社に三井化学工業株式会社が合併したものであるが、三井化学工業は、昭和三六年一月被告三光化学に対し除草剤PCPの製造を委託し、被告三光化学は、昭和三六年五月から昭和三八年六月ころまでの間本件工場においてPCP粒剤のほか、殺虫剤BHCの製造をしたこと(周辺地域に対する悪臭の発生により昭和三八年二月ころから約半年間PCPの製造が中止された。)、(2)被告三西化学工業は、昭和三八年一〇月設立された会社で、被告三井東圧化学が大口出資者であるが、その設立に際して被告三光化学から本件工場の農薬製造設備を譲り受け、同年秋ころから右工場でPCP粒剤を主体とする農薬の製造を始めたこと、(3)三井化学工業は、昭和四〇年新たな水田除草剤としてMO粒剤を開発し、そのころから被告三西化学工業は、MO粒剤も併せて製造するようになり、以後次第にMOを主体とした製造が行われるようになったこと、(4)被告三西化学工業は、昭和四五年一二月PCPの製造を中止し、昭和五八年七月には前記工場における一切の農薬の製造を中止したこと、(5)被告三光化学、同三西化学工業の右PCP及びMOの製造は、いずれも農薬原体を製造するものではなく、既に他所で製造された農薬原体に賦形増量剤を水とともに添加混合して粒剤化する工程のみを行うものであったこと、が認められる。

二工場周辺の住民の工場に起因する農薬暴露の程度について

1  悪臭等の発生とその対応

証拠(<書証番号略>、証人尾崎松夫、同岩下泉、同岡田清、同新村清次、同鹿子島正人、同一木ヨシミの各証言、原告浩、同正三子各本人尋問の結果)によれば、次の事実が認められる。

(一)  被告三光化学が昭和三六年五月農薬の製造を始めて間もなくして、工場周辺地域にPCP粉塵の飛散による悪臭が発生し(PCPには強い刺激臭がある。)、その対策を求めて工場周辺住民が、工場関係者と交渉したり、福岡県に対する陳情を行ったりした。福岡県は、昭和三七年五月から同年九月までの間に九回にわたり係員を派遣して工場の実地調査をし、被告三光化学に対し、設備及び操業上の種々の改善を指示した。また、同年一〇月には、厚生省から東京医科歯科大学の上田喜一教授が派遣されて、工場内の実地調査を行い、工場内の大気がPCPによって汚染されていることが指摘された。

(二)  被告三光化学は、製造工程の改善のため昭和三八年二月ころから約六か月間PCPの製造を中止し、(1)粉塵の発生を減少させる生産方式への変更、(2)生産工程における集塵設備能力の向上等を行った。その結果、同年秋から被告三光化学から工場設備を譲り受けた被告三西化学工業による操業が開始されたが、周辺地域への悪臭は著しく減少し、同年一二月四日には、右問題に関する住民運動のリーダー的存在であった鹿子島正人外一名と福岡県衛生部長らとの間で、工場の操業状態につき現状を維持することなどを内容とする覚書が作成され、住民の抗議行動も一旦収束していたが、昭和四五年一〇月末PCPの短時間大気漏出事故が発生し、それが契機となって住民の間で再び本件工場の操業による健康被害が問題となった。

2  大気の汚染状況

(一)  証拠(<書証番号略>)によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告三光化学において設備改善がなされる以前の昭和三七年一〇月東京医科歯科大学の上田教授が調査した結果によると、本件工場の作業室内の大気のPCP濃度は、アメリカにおける労働作業環境許容限度である一立法メートル当たり0.5ミリグラムを大きく上回っていた。しかし、工場周辺地域におけるPCP濃度については、上田教授は、工場構内の大気中のPCP含有量から推定して、工場から一二〇メートル付近の地域で一立法メートル当たり0.01ないし0.037ミリグラムと算定し、同濃度は、前記労働作業環境許容限度量の一〇分の一をかなり下回っており、同時点においても地区住民にPCP汚染による健康被害が発生するおそれはないものと判断した。

(2) 福岡県は、本件工場の設備改善がなされて以降の昭和三八年一〇月から翌昭和三九年一二月までの間に七回にわたり工場周辺地域における大気中のPCP濃度を測定したが、その結果は、最も濃度の高いものでも一立法メートル当たり0.08ミリグラムであり、工場周辺二二〇メートル内の地域における平均濃度は一立法メートル当たり0.0067ミリグラムであった。上田教授は、周辺住民の許容限度は、前記労働作業環境許容限度の一〇分の一である一立法メートル当たり0.05ミリグラムとしており、県の測定結果は、右許容限度をはるかに下回るものであった。

(3) 福岡県は、昭和四六年五月及び六月に、工場及びその周辺における大気中のMO濃度を測定したが、その結果は、作業室内が一立法メートル当たり0.003ないし0.091ミリグラムであり、工場隣接地域の大気中からは全く検出されなかった。

(二)  証拠(<書証番号略>及び証人立川涼の証言)によれば、愛媛大学の立川涼教授は、本件工場周辺住民から依頼され、昭和五〇年二月本件工場周辺地域で採取された大気中のMO(右各書証ではCNPと表示され)濃度を測定したところ、最高一立法メートル当たり五五九エヌグラム(一エヌグラムは百万分の一ミリグラムで、五五九エヌグラムは0.000559ミリグラムに当たる。)が検出されたことが認められる。しかし、右濃度は、前記PCPの許容限度と比較しても極めて低い数値であり、本件全証拠によるも、右程度のMOによる大気汚染が、住民の健康被害を引き起こす可能性があることを認めるに足りる証拠はない。しかも、前記証拠によれば、立川教授の測定結果によっても、右初回の測定から四か月後の同年六月に工場周辺で採取された大気中のMO濃度は、最高で一立法メートル当たり僅か4.5エヌグラムであり、さらに翌昭和五一年三月の調査では、最高一立法メートル当たり二一エヌグラムに過ぎなかったことが認められる。

3  水質の汚染状況

(一)  証拠(<書証番号略>、証人松島松翠、同高橋晄正の各証言)によれば、(1)本件工場周辺の住民の依頼により、昭和四七年五月高橋晄正東京大学講師を中心とする医師団による自主検診が行われたが、高橋講師は同年七、八月ころ、同検診結果から井戸水汚染の可能性がある旨指摘したこと、(2)そのため住民は、同年九月、長野県にある日本農村医学研究所に井戸水等を送付してその分析を依頼したこと、(3)その分析結果によると、検査の対象となった三軒の井戸水のうち原告ら方井戸水から20.9ppb(一ppbは0.001ppm)という高濃度のPCPが検出されたが、他の一軒の分からは2.7ppbが検出され、残りの一軒の井戸水からはPCPが検出されなかったこと、(4)右分析による本件工場排水のPCP濃度は1.3ppb程度であったこと、(5)同年一〇月右研究所において再度工場周辺地域の水質検査をしたが、その検査結果では、九月の検査時よりも全般的にPCP濃度が低下しており、特に原告ら方の井戸水のPCP濃度は2.12ppbで、一か月前の約一〇分の一に減少したこと、が認められる。

ところで、右第一回の検査の際に、何故原告ら方井戸水から他から突出した高濃度のPCPが検出されたのか、しかも、何故その後僅か一か月でその濃度が激減するに至ったのか、本件全証拠によるも、これらの疑義を解明できる証拠はない。

また、証人一木ヨシミの証言及び弁論の全趣旨によれば、本件工場周辺には多くの農地が存在し、同農地では昭和四七年以前からPCPやMO等の農薬が使用されていたことが認められるから、農地に使用された農薬が周辺の水質に影響を及ぼすことも推測されるところ、本件周辺農地における使用農薬が水質に及ぼす影響の程度を明らかにする証拠はない。しかも、右水質調査がなされた時期は、前記一2に認定の本件工場においてPCPの製造が中止された昭和四五年一二月から既に二年近くが経過した時点であって、この点からも右検査によって検出されたPCPが本件工場に起因するものと即断し難いものがあるといわねばならない。

(二)  証拠(<書証番号略>及び証人岩下泉の証言)によれば、次の事実が認められる。

(1) 前記高橋講師の指摘を受けた住民からの要請により、久留米市は、昭和四七年九月一八日、原告ら方外荒木町内の二軒の家(うち一軒は工場から三〇〇メートルの位置にある矢ケ部清六方、他の一軒は工場から一〇〇メートルの位置にある一木悦治方)の井戸水を採取して、財団法人九州工業技術協会に水質の分析を依頼したところ、同協会の分析結果では、原告ら方井戸水からは0.047ppmの、矢ケ部方井戸水からは0.016ppmのPCPがそれぞれ検出されたが、右両家よりも工場に近い一木方井戸水からはPCPの痕跡が認められる程度に過ぎなかった。また、引き続き同市が、同年一〇月一一日、荒木町の工場周辺の一一箇所の井戸水を採取して右協会にその分析を依頼したところ、うち八箇所の井戸水からはPCPが検出されず、他の三箇所の井戸水にもPCPの痕跡が認められる程度に過ぎなかった。

(2) 福岡県は、昭和四七年一二月一四日、前記矢ケ部方及びこれに近接する家一軒の井戸水を採取して同県衛生研究所で分析調査したところ、BHCが2.641ないし6.815ppb、MOが0.075ないし0.151ppb検出されたのみで、PCP等他の農薬は全く検出されなかった。

(3) 被告三西化学工業は、昭和四一年七月、工場の排水を回収してこれを循環再使用する設備を設け、その後は工場外への排水は雨水及び雑排水に限定された。さらに、昭和四六年一二月には、雨水回収装置を設置し、大雨等により貯水槽から水が溢れ出ない限り、工場外への排水は、風呂及び食堂関係の廃水のみとなった。

(三)  右(一)、(二)に判示の事情を総合して考えると、結局本件工場周辺の井戸水が、本件工場の操業によって農薬汚染されたといえるだけの証拠はないといわざるをえない。

4  まとめ

以上のとおり、被告三光化学が操業を開始した昭和三六年五月ころからPCPの製造を一旦中止した昭和三八年二月ころまでの間、本件工場の操業によるPCP粉塵が飛散して大気を汚染し、周辺地域に悪臭を漂わせたことが認められるが、しかし、同期間中の大気汚染についても、これが住民に健康障害をもたらす程度に達していたことを認めるに足りる証拠はない(住民の健康障害発生の有無は後記三で検討する。)。その後被告三西化学工業が操業するようになってからは、各種の設備改善が図られており、同被告の操業中健康障害の原因となる程度の大気汚染があったことを認めるに足りる証拠はなく、また、右被告らの操業に起因する地下水の汚染があったといえる証拠もないといわざるをえない。

三工場操業に起因する健康被害発生の有無について

1  福岡県による健診の実施とその結果

証拠(<書証番号略>)によれば、次の事実が認められる。

(一)  健康に対する被害を心配する本件工場周辺の住民の要請により、福岡県は熊本大学医学部に住民の健康診断を委嘱し、同大学公衆衛生学教室の野村茂教授を中心とする医師団により、昭和三八年三月、同年八月及び昭和三九年三月の三回にわたり住民の健康診断が実施された。その際の調査項目は、質問調査用紙による自覚症調査、医師の問診・視診・聴打診等による検査、血液検査、尿検査及び血圧検査等であった。第一回の健康診断は三六四名が、第二回は二三二名が、第三回は一〇二名がそれぞれ受診したが、三回の健診を通じての検査結果は、住民に農薬に起因する健康障害は認められないとの結論であった。

(二)  昭和四六年に至り再度住民の間に再び健康に対する不安が生じ、工場周辺住民から再度住民の健康診断を実施してほしいとの要請があったため、福岡県は、昭和四六年五月、久留米大学医学部公衆衛生学教室の医師を主体とするメンバーによる健康診断を実施した。同健康診断は、県議会に提出された請願署名者一七名を対象として行われたが、その調査結果では、受診者の器質的肉体的障害と本件工場で製造される農薬との間に因果関係は認められないというものであった。

(三)  さらに、福岡県は、久留米大学医学部耳鼻咽喉科学教室、九州大学医学部耳鼻咽喉科学教室及び同大学医学部衛生学教室に、荒木町にある荒木小学校児童の耳咽頭疾患に関する調査を委嘱し、昭和四七年一月右各教室の医師団により、同小学校児童九六四名を対象として調査が実施されたが、その調査結果によっても、児童の耳咽頭の疾患と本件工場の操業による大気汚染との間に因果関係が認められないというものであった。

2  工場労働者の健康障害発生の有無

証拠(<書証番号略>及び証人新村清次の証言)によれば、(1)熊本大学野村教授により昭和三九年三月に実施された前記第三回めの健康診断の際に、本件工場でPCPを取扱う二九名の作業員についても健康診断が実施されたが、その調査結果によると、PCP粉末に直接暴露することによって生じたとみられる皮膚粘膜の刺激症状が約半数の作業員にあったものの、その他にはPCPによる健康障害を疑わせるようなものはなかったこと、(2)その後も本件工場におけるPCP取扱従業員に対しては、被告三西化学工業において定期的な健康診断が実施されていたが、従業員にPCP等の農薬による健康障害者は発生していないこと、が認められる。

3  高橋講師らによる自主検診の実施とその信用性

(一)  証拠(<書証番号略>及び証人高橋晄正の証言)によれば、(1)福岡県によって行われた前記検診の結果を不満とする住民の一部は、自主検診団を組織して東京大学医学部高橋晄正講師を中心とする医師団に住民の検診を依頼し、同医師団により昭和四七年五月住民一三四名を対象とする調査が実施されたこと、(2)同講師は、右調査結果で血清コリンエステラーゼ活性値(農薬中毒者の場合はその数値が低下する。)の低い者が多数いるとして、これは農薬の中毒によるものと判断したこと、が認められる。

(二)  ところで、右高橋証言によれば、高橋講師らは、コリンエステラーゼ活性値の正常値の下限を0.8として正常か否かの区分けをしたことが認められる。しかし、同証人自身、右基準値は正常か否かを識別するためには必ずしも適当なものではなく、通常精密検査の対象者とするか否かを選別するために用いている数値である旨証言しているところである。そして、<書証番号略>及び高橋証言によれば、コリンエステラーゼ活性値の正常値の下限を0.6とする専門医もあり、同数値を基準とすると、前記検診の際にコリンエステラーゼ活性値の測定を受けた一〇八名のうち異常者は僅かに八名位に過ぎないことが認められる。

(三)  <書証番号略>によれば、右高橋講師らの検診の結果によっても、右のほか農薬による健康障害であることが明確に肯定できるような症状等が受診者にみられたものとは認められず、主として、コリンエステラーゼ活性値の異常者が多いことを理由に農薬との因果関係を肯定する高橋講師らの右検診結果は採用できないものといわねばならない。

四原告らの健康障害と工場操業との因果関係

1  原告らが訴える症状等

原告らがその各本人尋問において健康障害として訴えるところは、原告浩が、喉の痛み、血痰、顔色の変色、胃腸・肝臓の不調、全身の倦怠感、便秘、肩・背部痛、口中の乾燥、口臭、手の皮膚の荒れ、爪の変色、手指の痺れ等、原告正三子が、鼻血、目の充血・痛み、目脂、喉の痛み、皮膚の痒み、吐き気、腹痛、眩暈、頭痛、首・肩の痛み等、原告基子が、目のかすみ、目脂、目の痛み、腹痛、下痢、便秘、腹部の膨満感、皮膚の斑点、全身の痒み、頭部のできもの、蕁麻疹、関節の痛み、首・肩こり、喉の発赤、呼吸困難、貧血、偏頭痛、月経の不順、思考力・記憶力の低下、活動意欲の喪失等、原告多代が、視力の低下、目の疲れ・痒み・充血・痛み、目脂、便秘、下痢、胃痛、吐き気、腹痛、皮膚の斑点、息切れ、鼻の乾燥・詰まり、関節炎、大腿部の痛み、血圧の低下、貧血、全身の倦怠感、首・肩こり、無気力、月経の量の不順等であり、極めて多種多様にわたっている。

しかし、右原告らの症状については、後記2の原告らが昭和五八年大阪府の阪南中央病院で受けた診断のほか、客観的にこれを裏付ける的確な診断書等がなく、原告らの発症の時期、症状の程度、特に原告らが福岡市に転居する以前にどのような疾患があったのかを客観的に確定することができない。

また、証拠(<書証番号略>及び原告基子、同多代各本人尋問の結果)によれば、(1)原告基子は、昭和四八年八月から福岡市内の福岡空港ビルディング株式会社に勤務しているが、同原告は、入社以来勤務先会社で行われる定期健康診断で健康上の異常を指摘されたことはないこと、(2)原告多代は、昭和四九年一一月から昭和五八年七月まで福岡市内の三愛株式会社に勤務していたが、同原告も勤務先会社で行われる定期健康診断において、昭和四五年に貧血症で要治療の診断を受けた(もっとも現実には貧血症の治療は受けなかった。)ほか、健康上の異常を指摘されたことはなかったこと、が認められ、同事実は、原告らが訴える前記症状の真否やその程度につき疑義を抱かせるものといわねばならない。

2  阪南中央病院の診断とその信用性

証拠(<書証番号略>、証人三浦洋、同村田三郎の各証言)によれば、原告らは、昭和五八年二、三月及び同年八月に大阪府松原市にある阪南中央病院において、同病院医師三浦洋、同村田三郎による検査を受け(但し、八月の受診者は原告浩を除く三名)、同医師らは、原告らにみられる種々の健康障害は、本件工場の操業を原因とする農薬中毒によるものと判断したことが認められる。

ところで、右証拠によれば、右医師らの結論は、同医師らが本件訴訟に証拠として提出されている資料を検討して、原告らが長期にわたりかなりの量の農薬に暴露されたことは間違いないと判断し、この判断を前提とするものであること、及び同医師らは、昭和三六年以降原告ら全員に急激に種々の病的症状があらわれ、その後一部に症状の変化はあるものの現在まで多様な健康障害が継続していると判断しているが、同判断の資料となった従前の症状は原告らからの事情聴取に基づくものであること、が認められる。

しかし、前記二に判示の事情に照らし、本件工場周辺に健康障害を引き起こすほどの農薬暴露があったとするには疑問があるものといわねばならない。

また、本件全証拠によるも、(1)本件工場周辺住民の中に原告らと同様の症状を呈する健康障害者が存在することを認めるに足りる証拠はないこと、(2)前記1に認定のように、原告基子、同多代は、職場における定期健康診断で、さほどの異常は指摘されていないこと、(3)原告基子は、昭和四〇年四月まで荒木町所在の荒木小学校に在学していたが(同原告本人尋問の結果)、同原告自身その本人尋問において、小学校時代同原告と同様の症状を訴える同級生や友人はいなかった旨供述していること、以上の事情に前記三に判示のように、福岡県が実施した健診等において、本件工場の操業による農薬中毒者の存在が否定されていることを考え合わせると、原告らの健康障害と本件工場の操業による農薬暴露との因果関係を肯定する前記三浦医師らの診断には、多大の疑義があり、採用できない。

3 したがって、結局原告らの健康障害と本件工場の操業との間の因果関係を認めるに足りる証拠はないといわねばならない。

五よって、原告らの本件請求は、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官湯地紘一郎 裁判官永野厚郎 裁判官片山憲一)

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