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福岡地方裁判所 昭和48年(ワ)930号 判決 1979年5月31日

原告 吉田進

右訴訟代理人弁護士 春山九州男

右訴訟復代理人弁護士 稲澤勝彦

被告 福岡県

右代表者知事 亀井光

右指定代理人 武田正彦

<ほか八名>

主文

一  被告は原告に対し金二〇九万六六三〇円及びこれに対する昭和四七年七月一三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金四五九万九二九五円及びこれに対する昭和四七年七月一三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は、昭和四二年以来別紙油山川見取図記載のように油山川にかかる船底橋付近に居住するものである。ところで昭和四七年七月一二日福岡市内に集中豪雨があり、油山川の流水が船底橋付近からあふれ濁流となって原告方一帯に押し寄せ、原告所有の家屋の床下を洗い流し多量の土砂を流出させて家屋の基礎部分を破壊して家屋を傾かせた。

2  責任原因

(一) 責任主体

油山川は公共の利害に重要な関係があり河川法に定める二級河川の指定がされており、同法第一〇条により被告代表者県知事が管理する河川である。そして被告県がその管理の費用を負担している。

(二) 水害の原因

油山川は従前河幅約四メートルの河川であったが、被告が昭和四四年ころに改修工事を行ない船底橋より上流にかけての河幅は約一二メートルに拡張された。このため大雨などで流量が増えた場合改修部分は河幅が広いため多量の水を流すことができるが、船底橋付近にくると急に河幅が狭くなることになったので水位が急上昇することになる。また平時においても、従前は安定していた土砂の粒子が、前記改修工事のため流出し船底橋付近に堆積して水位を上げることになった。更に、従前より船底橋付近は橋脚のため流水とのまさつが大きくなるので平時においても水位は高くなる関係にあった。

それにもかかわらず、被告は上流の改修工事をするだけで船底橋付近の護岸築堤工事をすることもなければ、その付近の河底を浚渫して断面を広くするなどの応急措置を講ずることもなかった。

以上の事実、すなわち上流の河幅拡張工事及び工事後の下流の放置が本件水害の発生原因である。

(三) 管理の瑕疵

(ア) 右(二)「水害の原因」の項で述べた如く、一般に河川の上流を拡幅して流水量を多くした場合、下流に断面積の狭い部分があるとその地点の水位を上昇させ流水が河川外に流出することは容易に想像できることである。

したがって河川の拡幅工事を行なう場合には河川の下流から順次工事をして水位の上昇する地点が生じないようにすべきであるにもかかわらず、被告は船底橋付近及びその直下流を放置したままこれより上流の拡幅工事をしたものであって、被告代表者知事の油山川管理に瑕疵があったというべきである。

(イ) また下流の方から順次工事をすることが不可能な事情がある場合には、下流の浚渫、掘削その他の方法により下流の断面積を広くして上流からの流水が河川外に流出しないような措置を講ずべきである。

特に本件水害当時船底橋付近には相当の土砂が堆積していたのであるから、河川管理者たる被告代表者知事はこの付近で油山川の流水が河川外に流出することを当然予測できたはずである。それにもかかわらず被告代表者知事がこの堆積した土砂を取り除くことすらなく、いわんや護岸築堤工事その他の措置を講じることなく放置したのは、油山川の管理に瑕疵があったというべきである。

なお被告が船底橋付近の浚渫を行なったのは本件水害の後のことである。

(ウ) 船底橋より上流の拡幅工事が行なわれる以前は、船底橋より上流においては増水騒ぎがあったものの、少なくとも船底橋及びその直下流付近においては油山川が氾濫するということはなかった。ところが上流で拡幅工事後の昭和四七年六月二二日の大雨の際、船底橋付近で増水騒ぎが発生した。

したがって、同じような降雨がある場合には再び同じような増水騒ぎが発生することが予想され、しかも上流での拡幅工事完成前にはこのような増水騒ぎがなかったことを合せ考えると、増水の原因が拡幅工事に何らかのかかわりあいを有するのではないかと疑われるにもかかわらず、被告代表者知事は増水の原因及び拡幅工事との関連性等を調査し今後同様の増水騒ぎが起こらないような措置を講じる等といったことを一切しなかった。すなわち同知事の河川管理に瑕疵があったこと明らかである。

3  損害

原告の家屋は本件水害により基礎部分を破壊されたうえ多量の土砂が流出したため、改修に要する費用が新築費用を上回る。更に再度の事故防止のため盛土して宅地の高さを上げねばならないので、結局のところ旧家屋を解体して家屋の新築を余儀なくされた。そのための損害及びその他の通常損害として、原告は被告に対し、国家賠償法二条一項、三条一項に基づいて左記合計金四五九万九二九五円の賠償金および事故の翌日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(1) 家屋の解体及び新築費 金三六三万四〇六五円

(2) 登記手続費用 金一万四六三〇円

(3) 工事期間中の社宅入居使用料(昭和四七年七月一五日から同年一二月二七日まで)   金二万七〇〇〇円

(4) 電話移転料 金一万円

(5) 建築諸費用 金三万八六〇〇円

(6) 冠水ふとん代金 金七万五〇〇〇円

(7) 慰謝料 金五〇万円

(8) 弁護士費用 金三〇万円

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。ただし原告の居住開始時期については知らない。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二) 同2(二)の事実中、船底橋より上流にかけての油山川の河幅を拡張するための工事が行なわれたが船底橋付近は従来のままであった(ただし都市小河川改修事業による拡幅工事が下流より進められており、本件災害当時は筑肥線の国鉄橋まで工事が完了していた。)という事実は認めるが、水害の発生原因については後記(三、3)のとおり争う。

(三) 同2(三)(ア)の主張は争う。

同2(三)(イ)の事実中、本件水害当時、船底橋付近に相当の土砂の堆積があったとの事実は否認する。ただし被告が船底橋付近から下流の川辺の浚渫及び同所の護岸築堤工事をしていないことは認める。その余の原告の主張は争う。

同2(三)(ウ)の事実中、船底橋より上流での拡幅工事が行なわれる以前には船底橋付近においては増水騒ぎがなかったという事実は否認する。その余の原告の主張は争う。

3  同3は争う。

三  被告の主張及び抗弁

1  油山川の概要

油山川は、その源を福岡市の南端標高五六九メートルの油山及び標高三九五メートルの荒平山を結ぶ山地に発し、金屑川に合流する流路延長五・三キロメートル流域面積五・三平方キロメートルの二級河川である。

油山川の平地部は水田が多く、また河川も一部を除き未改修であるため、流域に降った雨が水田や低地を流下しながら徐々に河川に流入するわけで、油山川は滞水時間の長いいわゆる内水河川であるが、最近では流域における宅地開発の急速な進展に伴い流況が変化しつつある。

2  油山川改修事業

昭和三〇年代後半油山川下流域における宅地計画が出始めその上流域の開発が予測されたにもかかわらず、油山川は未改修河川で流過能力が劣っていたため、一定計画のもとに船底橋より油山川と金屑川の合流地点までの区間は別紙油山川見取図のとおり、昭和四〇年から被告によって金屑川中小河川改修事業(以下中小河川事業という。)として改修が施工され、これは昭和四六年からは金屑川都市小河川改修事業(以下小河川事業という。)に引き継がれた。そして工事は下流の金屑川との合流地点から上流の船底橋に向かって進められ、本件水害の直前の昭和四七年五月には船底橋付近の用地も一部は既に買収済であったもので、昭和四九年までには完成する予定であった。

また、船底橋直上流から上流約一・一キロメートルの区間は、昭和三八、三九、四一年と相次いで堤防欠損、溢水等の災害が発生したため、付近住民を可及的速やかに水害から守るべく、下流に流量増等の悪影響を及ぼさないことを確認したうえ、油山川災害関連事業(以下本件災害事業という。)として昭和四一年から改良復旧を行ない昭和四四年に完成した。

3  「水害の原因」に対する反論

(一) 船底橋より上流の河幅拡張工事は、本件水害の発生原因とは無関係である。すなわち、

(ア) 船底橋より上流の河幅を拡張した区間には洪水時に他から流入する水路は一本もないから、拡幅区間よりさらに上流の未改修部分における流過能力(毎秒約六トン)によって流量が決定され、しかもこの部分は未改修で河幅が狭く流下量に変化はないので、改修工事の後において油山川の流下量が増加するということはない。なお、拡幅区間終点直上流の野芥川と油山川との合流点付近での流過能力は毎秒約六トンであるが、船底橋付近での流過能力は毎秒約七トンである。

右のように拡幅工事以前と以後において流量に変化はないのであるから水位も従前と変わらないはずである。なお、船底橋直上流の拡幅工事終結地点においては拡幅した断面を約三〇度の角度で漸次縮少させて船底橋袖工に取り付けているので、幅部拡分と船底橋付近の水位差はせいぜい約三センチメートルであり無視して差支えない程度である。

(イ) 拡幅工事に際しては土砂が流出することのないよう鋼矢板等で締切って掘削したし、また工事完成後の堤防の構造はコンクリートブロック等で被覆したため土砂の流下は工事前よりむしろ少ない。

(二) 以上のように、水害原因として原告の主張するところは失当であり、本件水害の発生原因を推測すれば、左のとおりである。すなわち、昭和四七年七月一二日一一時から一四時にかけての連続的な集中豪雨と河口部の高潮時(当日一二時の博多湾潮位で標高約二メートル)との合致による油山川下流における流過能力の低下及び油山川流域の急速な宅地開発によって水田等の遊水量が減ったことによる油山川の流量増とが重なったこと、これが原因である。

4  不可抗力ないし回避可能性の不存在

本件水害は、前記油山川改修事業の途上において不幸にして生じたものであるばかりか、前項で被告が主張したように船底橋より上流にかけての拡幅工事は工事をする前に比べて船底橋付近に何の悪影響も与えていないのであり、本件水害はこの拡幅工事の有無にかかわらず生じたはずのもので、本件水害は、河川管理者の予測を超えた上流域における急激な宅地開発に、拡幅工事とは無関係な河口部の高潮と集中豪雨とが合致するという確率的にごくまれな事態があいまって発生したものである。したがって本件水害は不可抗力によるもの、あるいは油山川の管理者たる被告代表者知事において避けることのできる可能性がなかったものとしかいいようがない。

5  損害発生に対する原告の過失

本件水害によって床下浸水は原告方ほか二四戸、床上浸水は一戸の被害が船底橋付近に発生したが、原告を除き他はいずれも被害が軽微であった。それは原告家屋が近隣よりも比較的後の昭和四三年二月二三日に建てられたにもかかわらず、その場所が油山川の未改修流域に極めて近接し、しかも水田にわずかに地盛りしただけであり、さらに家屋の背後にブロック塀がL字型に設置されていたため溢流水がせき止められて敷地内に滞留したためである。

四  被告の主張及び抗弁に対する認否

1  被告の主張及び抗弁4の事実及び主張は、否認ないし争う。

2  同5の事実中、原告方を除き他はいずれも被害が軽微であったこと、原告家屋が油山川の未改修流域に極めて近接し、水田にわずかに地盛りしただけの場所に建てられていたこと、及び家屋の背後にブロック塀がL字型に設置されていたため溢流水がせき止められて敷地内に滞留したことはいずれも否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  事故の発生

請求原因1の事実(ただし、原告の居住開始時期を除く。)は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告は、昭和四二年一〇月一〇日福岡市西区小田部から船底橋近くの現住所に移り住むようになったことが認められる。

二  責任原因及び不可抗力等の抗弁

請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがない。

そこで、標記の事由につき、その判断に必要なその余の事実を一括して認定したうえで検討を加えることとする。

1  当事者間に争いのない事実と、《証拠省略》を総合すれば以下の事実が認められる。

(一)  油山川の概要

(ア) 油山川は、その源を福岡市の南端標高五六九メートルの油山及び標高三九五メートルの荒平山を結ぶ山地に発し、金屑川に合流する(金屑川は博多湾に流出している。)流路延長五・三キロメートル、流域面積五・三平方キロメートルの二級河川である。また、その流域の平地部には昔から水田が多く、流域一帯に降った雨水は水田や低地を一面に流下しながら徐々に河川に流入する、滞水時間の長いいわゆる内水河川である。

ところが最近では後記のとおり流域における宅地開発が進み、農地・山林が宅地に転用されて流況が変化しつつある。

(イ) 油山川には、別紙油山川見取図のとおり、後記災害事業の改修区間より上流約二二〇メートルの地点において、左岸に野芥川が、右岸に一本の水路が合流している(ただし、洪水時には油山川の水は右水路に逆流する結果となる。)。また、同改修区間内船底橋上流約一〇三〇メートル(稲塚橋直上流)の地点の左岸には、水路が東流して注ぎ込んでいるが、この水路には合流点に逆流防止の招扉が付設されており、油山川の水位が高くなれば自働的に閉じ、油山川の水が右水路へ逆流することを防止している。そして、船底橋上流においては他に油山川に流入する水路はない。

(ウ) 油山川は、従前河幅が狭く、自然のまま放置されていたので、土砂が堆積し、平時は河水はその中央をわずかに流れる程度であった。そのため従来から一時間当り二〇ミリメートル程度の雨が降れば、河水の増水を来たし、船底橋より上流部分において溢水して水田の冠水等の被害を及ぼすことがしばしばあったが、船底橋より下流において河水が道路面程度まで増水することが時にあったにもかかわらず、それより上流において溢水し河水が拡散していたため左程の被害は蒙っていなかった。

(二)  流域の開発

油山川流域は、市街地の周辺部に位置し、昭和三〇年代後半から山林・農地が宅地に転用される傾向がみえはじめた。その顕著な例が、別紙油山川見取図のとおり野芥川流域に約二〇ヘクタールの田を埋めたてて造られた星の原団地であるが、同団地は昭和四四年一二月ころ宅地造成の計画書が県に提出され、昭和四六年四月から一〇月にかけて宅地の造成がなされた。また宅地内の排水を河川内に流すには河川管理者の許可を要するが、右団地については昭和四六年一〇月その許可申請がなされた。

なお、油山川流域の野芥川合流点より上流の面積を四七〇ヘクタールとした場合に、昭和三六年、同四四年、同四八年における同流域内における宅地面積及びその割合を福岡市全体のそれと比較すれば次表のとおりである。

昭和三六年

昭和四四年

昭和四八年

福岡市

総面積(ヘクタール)

二四一七一

二四〇四九

二五五九一

宅地面積(ヘクタール)

三一七五

四四四五

五二八九

割合(パーセント)

一三・一

一八・五

二〇・七

油山川流域

流域面積(ヘクタール)

四七〇

四七〇

四七〇

宅地面積(ヘクタール)

九七

一〇七

一七七

割合(パーセント)

二〇・六

二二・八

三七・七

(三)  油山川改修事業

(ア) 中小河川事業及び小河川事業

油山川流域の宅地化の状況は以上のとおりであったところ、金屑川流域(流域面積六・六平方キロメートル)もまた同様に台風・集中豪雨がたびたび襲来し、宅地化による農地の埋立、山地の開発により出水時の被害が頻発していたので、昭和四〇年福岡県知事により中小河川事業として改修事業が実施され、これは昭和四六年四月福岡市の小河川事業に引き継がれた。金屑川の右改修事業は、金屑川の河口部から小田部橋付近までの河幅拡張等の改修を主とし、これに合わせて油山川の合流点から上流船底橋までの約七五〇メートルの改修を含むもので、その経費は、中小河川事業は県と国から二分の一ずつの補助をうけ、小河川事業は市、県及び国がそれぞれ三分の一を負担するものであった。

右各事業による油山川の河川拡幅等の工事は、金屑川への合流点から順次上流へ向けて進められたが、用地買収が難航したため予定より遅れ、昭和四七年七月の本件水害当時は別紙油山川見取図のとおり国鉄筑肥線と交わる地点よりもやや上流まで工事を終わった段階であり、船底橋まで改修を終えたのは、昭和五一年三月であった。

(イ) 本件災害事業

(1) 油山川は、前記のように船底橋より上流部分においては従前から出水のたびに溢水し流域全体が冠水する被害がしばしば生じていたが、昭和三八年、同三九年、同四一年には相次いで船底橋上流約一キロメートルに亘る区間で溢水のほか河岸の崩壊等の被害を生じた。そのため、昭和三八年、同三九年には被害の大きかった部分を、それぞれの年次に災害復旧事業として復旧にとりかかったが、昭和三九年の被害の一部が未復旧のまま残り、そのため昭和四一年の災害によりかなり広範囲に被害が拡大したので、昭和四一年から災害関連事業(本件災害事業)として被告県が改修を実施した。

なお、災害復旧事業は、公共土木施設災害復旧国庫負担法に基づき被災地につき原則として原形復旧をなすものであり、災害関連事業は、災害関連事業取扱要綱(建設事務次官通知昭和二九年八月一六日建設省発河第七五号)により原形復旧しても再度被害を受けるおそれのある場合又は被害の程度が大きい場合に、原形復旧ではなく改良復旧をなすものである。

(2) 本件災害事業は、船底橋から上流約一・一キロメートルに亘り、ほぼ従来の流れに沿って両岸及び河床を掘削して河幅を一四メートル程度に拡張したうえ、河床も改修し、両岸にはブロックを積むなどの護岸工事をし、また、特に河岸の低い船底橋直上流二百数十メートル間の左岸道路脇には高さ約八〇センチメートルのパラペットウォールを築くことなどを内容とするものであった。そして昭和四一年及び同四二年に用地買収を終り、昭和四三年、上流部分の被害が大きくまた用地買収も容易であったので上流から下流に向けて工事に着手し、昭和四四年に完成した。工事に当っては、土砂の下流への流出を防止するために全面に工事用矢板を打ち掘削した土砂をかき上げたうえで工事がなされた。また、船底橋より下流の未改修部分と右拡幅改修部分をつなぐについては、水位の急上昇を防ぐために改修部分の左岸が三〇度の角度でしだいに狭くなるように取り付けられていた。

なお、本件災害事業においては、計画高水流量は中小河川事業のそれにあわせて全区間毎秒六〇トンと設定された。

(四)  本件災害事業完了後の状況

(ア) 本件災害事業は、中小河川事業にあわせ同時に完了する予定で工事を始めたが、中小河川事業が遅れ、本件災害事業の方が先に完成をみたものであるところ、船底橋下及びその下流は、前述の中小河川事業及び小河川事業による改修部分を除き従来のまま放置され(河幅四、五メートル)、右未改修部分には子供達がその上で遊べる程度にかなりの土砂が堆積していたうえ、船底橋下流約三五メートルの箇所には橋桁の低い石橋(以下本件石橋という。)があって増水時には流れの妨げとなっていた。またその下流には二箇所に堰があり、その上流と下流では河床に高低差がみられた。

なお、船底橋上流の改修後は、船底橋下流においては、以前に比べ、雨が降ったときには、水量が急増しまた水流も速くなった。

(イ) 本件災害事業完了後の昭和四七年六月二二日、九州北部は継続的な集中豪雨にみまわれ、降水量は福岡市内において一三二・五ミリメートルを記録し、船底橋付近では河水が溢水し付近に床下浸水等の被害を及ぼした。右の水害後、付近の住民は町内会長や市議会議員を通じて区役所ないし市の河川課に対し、船底橋下流の未改修部分の浚渫を要請したが何らの措置はとられず、右未改修部分における災害防止の措置としては、わずかに右災害当日溢水を防止するために両岸に土のうが積まれた程度であった。そしてこのような状態で本件水害をむかえた。

なお、右水害当日の市内における降水量及び博多港における潮位の推移は、別紙雨量・潮位関係図(一)のとおりである。

(ウ) 本件水害

(1) 昭和四七年七月一二日は、福岡市内全域に亘る同月九日からの降雨のため油山川が増水し、午後零時半ころ船底橋直下流左岸の前記六月二二日の災害時に築いた土のうの切れ目から河水が吹き出すようにして溢れ出し、更に土のうを越えて激しい勢いで溢れ、原告方前(東側)の空地に集中して流れ、原告方を直撃した。河水は膝程の高さまで溢れ、音をたてて激しく流れ、足をとられる程度であった。消防団員及び近隣の者は、溢水が原告方へ流れ入るのを和らげるため原告方前空地に土のうを積んでこれを防ごうとしたが遂に及ばず、結局原告方家屋は右流水により床下の土砂を洗い流されて傾いてしまった。

船底橋より上流においては、河水は道路面程度まで増水しており、船底橋の橋桁につかえて溢水したが、大体において、道路脇のパラペットウォール下部の排水口から水が道路(逆流する程度でパラペットウォールを越えて溢水することはなかった。また。船底橋より下流においては、河水は本件石橋につかえてここから溢れ、それより下流はかえって左程の被害を蒙らなかった。

船底橋付近一帯における本件水害による被害は、床上浸水一世帯、床下浸水二五世帯であった。

(2) 本件水害当日における降水量は、福岡市内で一五二・五ミリメートルを記録し、同月九日から一三日までの雨量は計三六六ミリメートルに達し、これは次表のとおり昭和二〇年から昭和五〇年までの間に福岡管区気象台において観測した連続降水量の第四位にあたる。

順位

連続降水量

(ミリメートル)

生起年月日

(昭和年・月・日)

降水日数

六二三・一

自二八・六・二五

至二八・六・二九

五日

四二〇・二

自二六・七・六

至二六・七・一七

一二日

三七六・三

自三八・六・二八

至三八・七・一

四日

三六六・〇

自四七・七・九

至四七・七・一三

五日

三五一・三

自三八・五・六

至三八・五・一五

一〇日

潮位は、財団法人日本気象協会福岡本部発行の潮汐表によれば、博多港において満潮時一〇時二九分二・二三メートル、二三時二七分一・九二メートル、干潮時四時一九分〇・七三メートル、一七時一九分〇・一六メートルである(なお、当日は台風等の異常な気象状態ではなかったので、右の潮汐表による潮位と現実のそれとの偏差は無視してよいものと考えられる。)。

そして、降水量及び潮位の同日における推移は、別紙雨量・潮位関係図(二)のとおりである。

(エ) 本件水害後昭和四八年六月、福岡市により、本件石橋は撤去され、また船底橋下から本件石橋まで、堆積していた土砂約三〇立方メートル、トラック五、六台分が浚渫され、その両岸には、土のうが左岸に二段二列、右岸に一段一列に積み直された。

本件水害後は船底橋付近においては溢水の害はなかったが、昭和四八年七月三〇日から三一日にかけての降雨のため船底橋より下流、金屑橋との中間付近で河水が溢水して被害が生じた。その時の市内における降水量及び博多港における潮位の推移は、別紙雨量・潮位関係図(三)のとおりである。

以上の諸事実が認められこれを左右するに足る証拠はない。

2  そこで、右1の事実に基づいて標記の事由につき判断することとする。

(一)  水害の原因

本件災害事業前においては、油山川は、河幅が狭く自然のまま放置され、土砂が堆積し、河水はその中央をわずかに流れる程度であったため、一時間当りほぼ二〇ミリメートルの降雨があったときは船底橋上流において河水が溢水して被害を及ぼしていたが、船底橋下流においてはそのためかえってそれ程の被害を蒙らなかったこと右認定のとおりであるが、更に、その後本件災害事業において船底橋上流約一・一キロメートルが河幅約一四メートル(計画高水流量六〇トン)に拡張されたにもかかわらず、船底橋下及びその下流は従前の土砂が堆積した状態のまま放置されたこと、そして、右改修後は、船底橋下流未改修部分においては降雨時の水足が速くなり、水位の急上昇を来たすに至り、昭和四七年には本件水害を含め二度溢水の被害を蒙ったこと、本件水害当日には、午前一〇時から同一一時までに一六ミリメートル、同一一時から午後一時にかけては一時間当り二〇ミリメートルを超える降雨を記録し(別紙雨量・潮位関係図(二))、午後零時三〇分ころ河水が溢れ出したが、船底橋より上流においては溢水の被害はなかったこと、また本件水害後昭和四八年六月に船底橋下及びその下流の土砂約三〇立方メートルが浚渫されたうえその両岸に土のうが築かれたところ、その後同年七月三〇日から三一日にかけてかなりの降雨(三一日午前〇時から同一時までは二八ミリメートル、同一時から同二時までは四一・六ミリメートル右関係図(三))があったにもかかわらず船底橋付近では溢水の被害はなかったこともまた右認定のとおりであり、右の本件災害事業前後の諸事情を総合して考えると、本件水害は、従来降雨時に船底橋より上流において溢水、拡散していた河水が、本件水害時には、本件災害事業による河幅拡張等の工事により、溢水して水量を減じることなく船底橋まで流れて来て、従来のまま放置された船底橋下及びその下流において、その部分の流過能力を超えたため、特に河岸の低くなっていた原告方付近の左岸から急激に溢水して発生したものと認めるに難くなく、本件水害の原因は、船底橋上流において河幅が拡張され、また河岸の低い部分にはパラペットウォールも設けられたにもかかわらず、船底橋下及びその下流は土砂の浚渫、土のうの積み直し等の措置もとられず、従来の土砂が堆積した状態のまま放置されていたことにあるというべきである。

なお、《証拠省略》によれば、本件災害事業前昭和三七年七月及び昭和四二年七月船底橋付近においても水害の被害があったことが認められ、これが油山川の溢水によることは想像に難くないが、その河水が溢水した箇所が船底橋より上流部分であるのかあるいは下流部分であるのかについてはこれを認めるに足る証拠はなく、水害の原因についての右判断には何らの影響を及ぼさない。

ところで、被告は、本件水害の原因につき、船底橋付近の流水量は、本件災害事業による改修区間には洪水時他から流入する水路はないから更にそれより上流部分の流過能力によって決定され、しかも右上流部分は未改修であって流過能力は毎秒約六トンであるのに対し、船底橋付近の流過能力はこれより大きく毎秒七トンであること、及び右を前提とした場合船底橋付近において河幅が狭くなることによる水位の上昇は約三センチメートルにすぎないことから、本件災害事業による拡張工事は本件水害とは無関係である旨主張する。たしかに洪水時本件災害事業による改修区間において油山川に流入する水路のないこと右認定のとおりであり、《証拠省略》によれば、長野紘一は油山川の形状等についての実測又は推測に基づき、船底橋付近及び本件災害事業による改修区間より上流部分における流過能力並びに船底橋付近における水位の上昇につき、被告の右主張に沿う数値を算出していることが認められる。しかし、右の数値自体あくまで仮定の要素を交えた計算上のものであるのみならず、その改修部分より上流及び船底橋付近の流過能力を右計算のとおりであると認めたにしても、現実には本件水害時の改修区間における水量は、ほぼ道路面に達する程度まで増水していたのであるところ、《証拠省略》によれば、本件災害事業はその計画高水位をほぼ道路面と同程度の水位として設計されていることが認められる。そうすると、本件水害時、本件災害事業における計画高水流量(毎秒六〇トン)に相当する水量ほどではなかったにしても、毎秒七トンを上回るかなりの水量が船底橋付近に流れて来たことは疑いなく、毎秒約七トンの流過能力を前提として計算された船底橋付近の水位上昇については、その前提において誤っているものといわざるをえない。したがって、被告の右主張はにわかに肯認することはできない。

(二)  不可抗力ないし回避可能性の不存在

次に、被告は、本件水害の原因は、急激な流域の宅地開発に起因する油山川の流量増と、河口部の高潮及び集中豪雨の合致にあり、しかもこれらは河川管理者たる知事の予測を超えたものであるから、不可抗力ないし結果を回避することができなかった旨主張するのでこの点につき検討する。

(ア) 流域の開発

油山川流域の宅地化の状況につき、客観的にこれを認めうる資料としては、《証拠省略》が提出されており、これでみる限りは、たしかに本件災害事業の完了した昭和四四年後は特に、かなりの農地等が宅地化されており、前掲(1(二)の表によれば、その流域面積に対する割合からいって、昭和三六年から同四四年の八年間に二・二パーセントの増加を示すにすぎないのに比べ、昭和四四年から同四八年の四年間に星の原団地が造成されたこともあり一四・九パーセントも増加を示している。しかし、右の各証拠(これに前記1(二)のその余の事実を考え合わせたとしても)によるも、右の宅地開発が予測不可能であると認めるに十分ではなく、また金屑川改修事業が流域の宅地化を予測して計画されたこと及び油山川流域が市街地周辺部にあり、宅地化され易い所に位置していることを考えると宅地化の進展が予測できない程高度のものであったとは考えられない。

(イ) 雨量及び潮位

本件水害当日の雨量は一五二・五ミリメートルで、その推移は別紙雨量・潮位関係図(二)のとおりであり、同月九日から一三日の五日間の雨量は三六六ミリメートルで、これは昭和二〇年から同五〇年までの三〇年間における連続降水量の第四位にあたること前記認定のとおりであるが、雨量のみを考えるときは、三〇年間における連続降水量の第四位の記録であるということ自体が示すように、予測不可能な程稀な降水量であったということはできない。そこで、当日の雨量と潮位との関係について案ずるに、まず、雨が降った場合に、雨水が河口部まで到達する時間は、《証拠省略》によれば一時間ないし一時間半と認められるので、これが船底橋まで到達する時間を凡そ一時間程度と推測してこれを前提に考えると、別紙雨量・潮位関係図によれば、本件水害当日は午前一一時から午後一時までは一時間当り二〇ミリメートルを超える雨量があるところ、これと一時間ずらした午後零時から同二時の潮位は干潮に向かい、約二ないし一・一メートルである。そして船底橋直下流から溢水し始めた午後零時ころは約一・八メートルである。しかし、昭和四八年七月三〇日から三一日にかけての災害時についてみても、三〇日午前一時から同三時までの潮位は干潮に向かい、約一・六ないし一メートルと本件水害時をやや下回るものの、午前零時から同二時までの間に、一時間当り二八ミリメートル、四一・五ミリメートルと本件災害時を大きく上回る雨量があったのであり、本件水害時における集中豪雨と高潮位との合致はそれ程稀な事態というわけではないことが窺える。そして、昭和四七年六月二二日における状況、すなわち、集中して降雨のあった時間が干潮時(〇・六六メートル)にかかりその後の満潮にも潮位は一・四メートル程度であって、降水量も一時間当り最大一五ミリメートルを超えてはいない(もっとも継続時間は多少長い。)にもかかわらず、船底橋付近において溢水したこと及び船底橋下及びその下流の土砂が浚渫され土のうの積み直しが行われた後である昭和四八年七月三〇日、三一日には右のような状況であったにもかかわらず、船底橋付近では溢水の被害はなかったことを考えると、本件水害は、集中豪雨と高潮位の合致によるというよりも、むしろ潮位の影響はそれ程なく、船底橋付近の流過能力が劣っていたことすなわちこの部分を土砂が堆積したまま放置したことによるものと考えざるをえない。

(ウ) まとめ

以上のとおり、本件水害時における油山川流域の宅地化並びに河口部の高潮位及び集中豪雨の合致した状況は、左程異常な事態とはいえず、必らずしも予測不可能なものということはできない。そして本件水害は昭和四八年七月三〇日、三一日の状況と照らし合わせて考えると、船底橋下流の未改修であった部分の土砂を浚渫し両岸の土のうを積み直して護岸を築くことによって容易に避けえたものと認められるのであるから、被告の主張する不可抗力ないし結果回避可能性なしとの主張は失当というべきである。

(三)  管理の瑕疵

以上述べてきたところから明らかなように、本件水害の原因は、船底橋上流において河幅拡張等の工事がなされたにもかかわらず、船底橋下及びその下流が従来の土砂が堆積した状況のまま放置されたことにあるところ、本件災害事業により上流から拡幅工事がなされたこと自体河川の治水上疑問なしとしないが、この点はさて措き、やむをえず上流から改修せざるをえないような場合においては、その下流に何らの悪影響を及ぼさないような措置を講じたうえでその改修をなすべきであって、本件水害は船底橋下及びその下流の土砂を浚渫し土のうを積み直して護岸を築きさえしていたならば避けえたばかりでなく、右の浚渫及び土のうの築造は左程の経費、時間を要するものとは思われないのであるから、河川管理の特殊性を考慮に入れたとしても、油山川管理者たる知事においては、本件災害事業完了後も船底橋下及びその下流を土砂が堆積したまま何らの措置もとらずに放置した点においてその管理に瑕疵があったものといわざるをえない。

3  結論

以上のとおりであるから、被告県は、油山川の管理費用を負担する者として国家賠償法二条一項、三条一項に基づき、原告が本件水害により蒙った後記損害を賠償すべき責任がある。

三  損害

1  家屋及び敷地についての損害額 金一五七万円

当事者間に争いのない事実と、《証拠省略》によれば、本件水害により、原告方家屋の西側床下の土砂が洗い流されて家屋の基礎部分が破壊されたため同家屋が傾いたこと、そしてその改修費用が家屋を新築する場合の費用よりも高くなり、更に再度の事故を防止するため盛土をして宅地の高さを上げなければならなかったので、結局原告は、東野建設有限会社に依頼して、右家屋を解体し、盛土等の基礎工事をしたうえで新らたに家屋を建築することを余儀なくされ、工事代金として右会社に金三六三万四〇〇〇円を支払ったこと、右新家屋の建坪は、旧家屋のそれが一五・五坪であったのに対して、二一・五坪であり、材料も旧家屋より良質のものを使ったことが認められる。

ところで、《証拠省略》によれば、原告家屋の本件水害による損壊の程度は未だ滅失とはいえない程度であることが認められるところ、家屋の毀損の場合において、その損害額の算定に当っては原則としてその修復に要する費用をもってその損害額と認むべく、若しそれが本件におけるように新築費用を上回るといった特別の事情がある場合においては、滅失の場合に準じ、災害当時における家屋の交換価格をもってその損害と認めるのを相当とする。してみると、右の金三六三万四〇〇〇円を原告の損害として首肯しえないことはいうまでもないが、《証拠省略》によれば、原告は旧家屋を昭和四二年六、七月ころ岸田工務店に依頼して建築し、その代金は、義兄が家屋を建てたときの材料の余分を貰いうけて主にこれを使ったため金一二〇万円程度であったことが認められ、これによれば旧家屋の建築時の価格は金一二〇万円をかなり上回ったものと考えることができ、更にその後の物価の上昇をも考慮すれば、旧家屋の減価償却を勘案しても、本件水害当時の旧家屋の価格は金一二〇万円を下らないものと認めることができる。

なお、《証拠省略》によれば、原告が「家屋の解体及び新築費」として請求している中には、その敷地の原状回復に要した費用をも含んでいることが窺えるが、これは家屋の損壊とは別個に本件水害による敷地に生じた損害として認めるのが相当である。そして、右書証によれば、原告は敷地の盛土工事、石垣及びブロック工事として計三七万円を要したことが認められる(右書証中「基礎工事―五〇〇〇〇円」の記載は、その内容が明白でなくただちに敷地の原状回復の費用であるとは認め難い。)。

以上家屋ないし敷地の損壊については、その損害額は金一五七万円と認めるを相当とする。

2  登記手続費用 金一万四六三〇円

原告は、本件水害により家屋の新築を余儀なくされたこと前示のとおりであるが、《証拠省略》によれば、原告はそのため、旧家屋の滅失登記及び新家屋の所有権保存登記等の手続をとり、これらを依頼した司法書士及び土地家屋調査士に対し報酬、登録免許税等として計一万四六三〇円を支払ったことが認められ、右支出は、本件水害により原告の蒙った損害と認めるを相当とする。

3  社宅入居使用料 金二万七〇〇〇円

《証拠省略》によれば、原告は、新家屋建築中、昭和四七年七月一五日から同年一二月二七日まで日本電池株式会社社宅を借りうけ、右期間中の使用料として計二万七〇〇〇円支払ったことが認められるところ、右は本件水害による損害と認めるを相当とする。

4  電話移転料 金一万円

《証拠省略》によれば、原告は、昭和四七年九月四日及び四八年二月二八日、電話移転料として福岡西新電報電話局に対し計金一万円を支払ったことが認められ、右の電話移転は、家屋の新築に際し必要とされたものと窺うことができるから、家屋の新築が本件水害により余儀なくされたものである以上、右の費用もまた本件水害による損害と認めることができる。

5  建築諸費用

《証拠省略》によれば、原告は新家屋新築に際し、大工の昼食代として仙ちゃん食堂に対し金二万五〇〇〇円を支払ったこと、新家屋のための照明器具を購入した代金として塩田電気商会に対し金五五〇〇円を支払ったこと及び旧家屋の水道施設を使用できなくなったため水道工事費として有限会社喜志磨工業に対し金八一〇〇円を支払ったことがそれぞれ認められる。

しかし、大工昼食代については、これは家屋の新築費用に準ずるものというべきであって、これに含めて考えられるから、その支出を本件水害による損害と認めることはできない(新築費用の請求が認められないこと前述のとおりである。)。また、照明器具代についても、これが必要とされる理由については何らの立証もなく、かえって新・旧両家屋を比較してみると旧家屋に比べ新家屋の規模を大きくしたために必要とされたものであるのではないかとの疑問も生じるのであっていずれにせよ右代金の請求は失当である。次に水道工事代の支出についてもまた右と同様であって、本件水害によりどの部分に欠陥が生じ、いかなる工事が必要とされたかが明らかにされない限り、右支出を本件水害による損害と認めることはできない。

6  冠水ふとん代金 金七万五〇〇〇円

《証拠省略》によれば、本件水害により原告方のふとんが冠水したので、原告はこれを買い替え、そのため北本ふとん店に対しふとん代として金七万五〇〇〇円支払ったことが認められるところ、右支出は、本件水害による損害と認めるのを相当とする。

7  慰藉料 金二〇万円

本件水害の原因、態様、責任主体及びこれによる原告の被害の状況等諸般の事情を考慮するときは、原告が本件水害によって蒙った精神的苦痛に対する慰藉料としては金二〇万円をもって相当と認める。

8  弁護士費用 金二〇万円

原告が原告代理人に対し本件訴訟の提起、遂行を委任したことは記録上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、前記認容額等に照らすと、原告が被告に対し本件水害による損害として請求しうる弁護士費用としては金二〇万円をもって相当と認める。

9  合計 金二〇九万六六三〇円

四  過失相殺

被告は原告方における損害の発生を、被告の主張及び抗弁5で主張のとおり、原告方家屋の位置、盛土及びブロック塀の瑕疵に帰せしめているが、たとえ原告方家屋の位置並びに盛土及びブロック塀の状態が被告主張のとおりであるとしても、原告に対し河川の溢水といった異常な事態をも予測して、これらの点につき留意することを要求するのはいささか酷であるばかりでなく、原告方の被害が比較的大きかったのは、河水が溢水箇所から原告方前空地を通って原告方を直撃した結果であるとも窺えるのであって、原告方の右事情をもって、被告に責任なしとすることもできないし、また過失相殺の事由となすことも相当でない。

五  結論

以上によれば、原告の本訴請求は前記損害金二〇九万六六三〇円及びこれに対する本件水害の翌日である昭和四七年七月一三日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して(仮執行免脱宣言の申立てについては相当でないから却下する。)、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柴田和夫 裁判官 林田宗一 裁判官綱脇和久は転任のため署名・押印することができない。裁判長裁判官 柴田和夫)

<以下省略>

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