福岡地方裁判所 昭和48年(ワ)99号 判決 1977年2月15日
原告
伊東春吉
同
伊東ヌイ子
同
原田見
同
原田マサエ
同
一木大吉
同
一木ヨシノ
右六名訴訟代理人
荒木邦一
被告
本田技研工業株式会社
右代表者
河島喜好
右訴訟代理人
石川泰三
外四名
被告
飛賀正孝
同
大分交通株式会社
右代表者
小野浩
右両名訴訟代理人
臼杵勉
主文
一 被告飛賀正孝および同大分交通株式会社は各自、原告原田見および同原田マサエに対しそれぞれ金二二一万六六〇三円並びにこれらに対する昭和四四年一二月八日以降支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告飛賀正孝および同大分交通株式会社に対する右原告両名のその余の請求およびその余の原告四名の各請求を棄却する。
三 被告本田技研工業株式会社に対する原告ら全員の各請求を棄却する。
四 訴訟費用中、原告原田見、同原田マサエと被告飛賀正孝、同大分交通株式会社との間に生じた分を五分し、その二を同被告らの負担とし、その余はすべて原告らの各負担とする。
五 この判決は一項に限り、仮に執行することができる。
ただし、被告飛賀正孝、同大分交通株式会社において原告原田見、同原田マサエに対し各金一〇〇万円の担保を供するときは、それぞれ右仮執行を免れることができる。
事実《省略》
理由
一本件事故の発生
当事者間に争いのない事実と、<証拠>により認められる事実とによれば以下のとおりである。
昭和四四年一二月七日一二時五五分ないし一三時ころ、福岡県田川郡香春町大字鏡山一一五五番地先国道二〇一号線道路上において、仲哀トンネルを出て田川方面へ進行中の、伊東正晴運転にかかる被告本田技研製造の本件軽自動車(所有者一木英憲)と、田川方面から仲哀トンネル方面へ向けて進行中の、被告飛賀運転にかかる被告大分交通所有の本件バスとが衝突し、右伊東正靖および本件軽自動車に同乗していた原田正信は即時同所において、又前記一木英憲は同日午後二時三〇分ころ前同町所在岡田外科・整形外科医院において、それぞれ死亡した。
二本件事故の態様
<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
本件事故現場は前記国道上の仲哀トンネル出口から田川方面へ約二〇〇ないし三〇〇mの地点であるが(検証調書添付見取図の左下隅に仲哀トンネルまで七〇〇mとの記載が存するが、これは誤記と認められる)、アスフアルト舗装が施されセンターラインで上下両車線が区別された幅員8.4mの道路上であつて、右道路は仲哀トンネル出口から田川方面へ向かつて、平均勾配約2.8%のゆるい下り勾配でかつ内径約四〇〇mのゆるやかな右まがりのカーブとなつていた。又、当日は朝から雨が降り続き、一二時五五分ないし一三時ころにはかなり強い雨が降つており、路面は非常にすべりやすく、見通しは約一五〇m位であつた。ところで、被告飛賀は前記日時ころ本件バスを時速約五四Km(秒速一五m)で走行させて本件事故現場付近にさしかかつた際、本件バスが走行中の自車線上約八〇m先を本件軽自動車が時速七〇ないし八〇Km(秒速19.4ないし22.2m)で、センターラインに対し車体が約三〇度の角度をもつて対価進行してくるのを認めたが、自動車がカーブをまがる際にセンターラインを越えて走行することは日常しばしば見かけるところであつたので、本件軽自動車も同様であり、すみやかに本来の車線へ戻るものと考えて減速措置をとることなく進行したところ、本件軽自動車はいつたんは本来の車線へ戻るかの如き動向を示したが、突然右前輪を中心に車体後部を左へ振り、車体をセンターラインに対し約八〇度の角度を持した状態のままで本件バスの進路前方へ滑走して来たので、被告飛賀は突嗟に急制動措置をとつたが間に合わず、本件バスは時速約九Kmにまで減速されたところ(前記発見地点より約三〇m進行した地点)で本件軽自動車の左側前に衝突し、これを仲哀トンネル方向に約19.5m押し戻して停止した。
以上の事実が認められるところ、<証拠判断、省略>
更に、<証拠>を総合すると、一木英憲は昭和四四年七月三日に本件軽自動車を中古車として藪栄から購入したが、当時本件軽自動車は既に約六〇〇〇Km走行していたもののタイヤ等の損耗には問題はなかつたこと、しかしながら同年八月二八日には前輪タイヤのはげしい損耗を理由に右藪方において本件軽自動車の前後輪の各タイヤが入れ替えられ、比較的損耗の少ない後輪タイヤが前輪に取り付けられたこと、同年一〇月下旬ころに藪栄が一木英憲に対して全タイヤの取り替えを勧めたこと、本件事故当時の本件軽自動車のタイヤトレツドの状態は、比較的溝の残つている左前輪のタイヤでさえどうにか使用に耐え得る程度のものにすぎなかつたことがそれぞれ認められる。もつとも、この点について原告らは、本件軽自動車の事故当時の走行距離がいまだ約一万一八〇〇Kmにすぎなかつたことに照らしても、前掲乙二号証の記載ないし同添付写真の程度にまでタイヤが摩耗することは有り得ず、何者かによつてタイヤが取り替えられた疑いがある旨主張し、<証拠判断、省略>他に原告らの右主張に沿う証拠は見当らず原告ら主張の如き事実は認められない。
三被告本田技研の責任
標記の件につき原告らは要するに、本件自動車は高速走行中安定性を失い、蛇行した結果本件事故が発生したとの事実を前提として、右蛇行運動は、ホンダN三六〇が一般的に有するところの、高速度走行中の減速又は緊急回避措置の際に車体の横ゆれ、蛇行運動が生じるという製造上の欠陥に基づくもの、或いはホンダN三六〇は前部機関前輪駆動であるために、高速走行時左右折に際して減速するとハンドルがきれすぎる特性等を有するところ、その他諸欠陥とあいまつて高速走行時の安定性に欠けるという製造上の欠陥を有し、右欠陥が原因で前記蛇行運動が生じた旨主張する、しかし、その前提事実はさて置き、ホンダN三六〇一般に右主張の如き製造上の欠陥が存していたことにつき、原告らの立証は必ずしも尽くされておらず、<証拠>によつても、これを肯認せざるに十分でない。却つて、本件事故に際しての次の如き諸事情を併せ考えると、事故の原因を本件軽自動車の製造上の欠陥に結びつけることはますます困難といわざるを得ない。すなわち、第二項で認定したように、本件事故現場付近では事故当時かなり強い雨が降つており、そのためアスフアルト舗装の路面は滑走しやすい状況になつていたところ、本件軽自動車の各タイヤの摩滅状態はすでに限界に近いものであつたこと、本件軽自動車は本件バスの走行車線を走つていたが、いつたん自己車線に戻りかけ再び突然に車体をセンターラインに対し約八〇度の角度で斜めに向けたまま対向車線にすべるように入り込んで来たというのであるから、本件軽自動車のハンドルは左に切られたままで対向車線に入り込んできたものと考えるのが経験則にかなうこと等の諸事情が存するところ、これらの事情は、本件軽自動車のいずれかのタイヤにハイドロブレーニング現象が生じて、スリツプのため対向車線に車体を前記のように斜めにしたまま進入して来たものではないかとの推認を高度の蓋然性をもつて起こさせるものである。であるとすれば、本件軽自動車のタイヤ等の管理の不十分や運転態度等の車の保有者・運転者側の事情が本件事故発生の一因であつたことは認められても、原告らが主張するように本件軽自動車の構造・製造上の欠陥が本件事故を招来せしめたと認めるに足りる証拠は存しないのであり、従つて、本件事故により生じた結果に対して被告本田技研が責任を負うべき根拠は何らないので、原告らの被告本田技研に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、すべて理由がない。
四被告飛賀、同大分交通の責任
被告飛賀が、自己車線上約八〇m前方に対面進行して来る本件軽自動車を認めた際に減速措置をとらなかつたとの事実は、既に第二項で認定した。そこで争点は、カーブを高速で走行する軽自動車がセンターラインを越えて自己の車線に入つているのを認めたバス運転手たる被告飛賀が、右軽自動車はすみやかに本来の車線に戻るものと信頼してそのまま走行したことが過失となるか否かにあると思料されるところ、成程カーブを走行する自動車がセンターラインを越えて対向車線を走行し、その後すみやかに自己車線へ戻るという事態は経験則上常日頃見受けられることである。しかしながら、当時はかなり強い雨が降つていたうえに、センターラインに対し本件軽自動車の車体が約三〇度の角度をもつて自車線を対面進行してくるという異常な事態であつた事実を併せ考えると、本件を天候の良好な日における問題と同一に論じることはできないのであつて、雨中を時速七〇ないし八〇Kmの速度で進行してくる本件軽自動車を認めた被告飛賀としては、軽自動車が本来の車線に戻りかけたのを認めても、何時スリツプして自己の進路前方へ飛び出して来るかもしれないという虞れを念頭に置いて、とりあえず減速又は制動措置をとり本件軽自動車と安全に離合できる態勢をとるべき注意義務があつたといわざるを得ず、この点において右の措置を怠つた被告飛賀には本件事故に結びつく過失があつたものである。
であるとすれば、本件バスの所有者であることを争わない被告大分交通は、その余の抗弁事実につき判断するまでもなく、本件事故に対する運行供用者責任を免れないものである。
五損害
1 逸失利益
(一) <証拠>によれば伊東正晴は本件事故当時満二〇歳(昭和二四年一月九日生れ)の男子であつたことが、<証拠>によれば原田正信は本件事故当時満二一歳(昭和二三年六月二六日生れ)の男子であつたことが、<証拠>によれば一木英憲は本件事故当時満二〇歳(昭和二四年七月二一日生れ)の男子であつたことがそれぞれ認められる。更に、<証拠>によれば、伊東正晴および一木英憲は当時、金融業を営む川崎信用金庫に勤務し、それぞれ昭和四四年分の給料常与として合計三〇万九三〇三円および二八万七〇五〇円の支払を受けた事実が認められる。そして、原田正信については当時自衛隊を退職したばかりで未だ定まつた職を有しなかつたことが、<証拠>から窺われる。
(二) そこで、満二〇歳であつた伊東正晴および一木英憲については、六三歳に達するまで四三年間、満二一歳であつた原田正信については同じく六三歳に達するまで四二年間、それぞれ稼働し得るものとして逸失利益を算定するのが相当であるところ、原告らは昭和四六年度賃金センサス福岡県金融保険業・男子労働者・企業規模計あるいは同じく福岡県産業計・男子労働者・企業規模計の各年令別平均給与額によつて別紙(一)および(二)の損害を主張する。しかしながら、事故の翌年である昭和四五年一月一日からの得べかりし利益を算定するについて、昭和四六年度の賃金センサスを参照することはもともと不合理であるのみならず、伊東正晴および一木英憲らが昭和四四年に現に支給を受けた前記給与額に照らすと、原告ら掲示の資料はいささか高額に過ぎ、そのまま採用することはできない。
これらの事情を考慮すると、昭和四五年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者の平均給与額(毎月の給与額六万八四〇〇円、年間賞与等二〇万六一〇〇円)を採用するのがむしろ相当と認められるから、これからそれぞれ生活費として五割を控除し、年五分のライブニツツ方式によりその逸失利益の現価額を求めると、次の算式により伊東正晴と一木英憲は各九〇〇万八九四二円、原田正信は八九四万五九四二円となる。
六万八四〇〇円×一二+二〇万六一〇〇円=一〇二万六九〇〇円
102万6900円×(1−0.5)=51万3450円
(伊東・一木)
51万3450円×17.5459=900万8942円
(原田)
51万3450円×17.4232=894万5942円
2 慰藉料
前記認定事実並びに諸般の事情を考慮して、死者一人につき五〇〇万円をもつて相当と認める。
3 相続
<証拠>によれば原告伊東春吉および同伊東ヌイ子は伊東正晴の実父母であり他に相続人はいないことが、前掲甲七号証の二七によれば原告原田見および同原田マサエは原田正信の実父母であり他に相続人はいないことが、又<証拠>によれば原告一木大吉および同一木ヨシノは一木英憲の実父母であつて他に相続人はいないことがそれぞれ認められるので、右各人の死亡によつて、各自その子の右1の逸失利益および2の慰藉料請求権の二分の一ずつ、それぞれ相続によつて取得したことになる。
4 葬儀費用
<証拠>によれば、原告らはいずれも死者一人あたり三〇万円の葬儀費用を要したと推認するのが相当である。
5 過失相殺等
前記認定の本件事故の態様から推せば、被告飛賀に過失が認められるのは否定できないにしても、その程度は極めて小さいといえるのに比し、本件軽自動車を運転していた伊東正晴の過失も容易に推認され、その程度が極めて大きいことは明らかであり、その割合は一対九と解するのが相当である。そして、前記認定の本件軽自動車が一木英憲所有であつたことを考えると、同人も被害者側として同割合の過失相殺を免れられない立場にあるといわざるをえない。
また<証拠>に前記認定の事実を合わせると、原田正信は伊東正晴・一木英憲とかねて友人関係にあり、事故の当日も本件軽自動車に同乗して魚釣りに出かけ、その帰途本件事故に遭遇したこと、伊東正晴・一木英憲らは平素からかなりのスピードで車を運転するということで、とかくのうわさがあり、本件事故も雨の中スリツプしやすいアスフアルト舗装道路を毎時七〇ないし八〇Kmの高速で走行させていたことが認められこれによると、原田正信は本件軽自動車の無償同乗者というにとどまらず、自らもなにがしかの責めは免れない。そこで、同人の関係では損害額の二五%を減殺することとする。
6 損害の填補
本件交通事故にかかる自賠責保険等により、原告伊東両名はそれぞれ二〇〇万〇五〇〇円を、原告原田両名はそれぞれ三一二万五六二五円を、原告一木両名はそれぞれ二五一万五二九〇円を受領したことは当事者間に争いがないので、右各金員はそれぞれの損害額より控除されるべきである。
7 未填補額
前記1ないし5により算出された損害額は、原告伊東両名および原告一木両名についてはそれぞれ七一万五四四七円、原告原田両名についてはそれぞれ五三四万二二二八円であるので、それぞれから前記6の各金額を控除すると、原告伊東両名および原告一木両名についてはすでに填補ずみであり、原告原田両名についてそれぞれ二二一万六六〇三円を残すのみとなる。
六結論
以上の次第であるから、原告らの本訴請求は被告飛賀および同大分交通に対して原告原田両名がそれぞれ二二一万六六〇三円及び右金員に対する事故後の昭和四四年一二月八日以降各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、右被告らに対する右原告らのその余の請求および原告伊東両名および同一木両名の各請求並びに原告ら全員の被告本田技研に対する各請求はいずれも理由がないので棄却することとし、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(権藤義臣 簑田孝行 古賀寛)
別紙(一)〜(三)<省略>