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福岡地方裁判所 昭和49年(ワ)505号 判決 1976年5月13日

原告

坂田三男喜

右訴訟代理人

古原進

外一名

被告

草場保光

草場ハル子

右両名訴訟代理人

荒木新一

外一名

主文

一  被告両名は原告に対し連帯して七六五、三八八円およびうち六九五、三八八円に対する昭和四五年一二月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを六分し、その五を原告の、その余を被告両名の連帯負担とする。

四  本判決一項は仮に執行することができる。但し、被告両名が三〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実《省略》

理由

一事故の発生

請求原因1の(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。

二事故の態様

1  当事者間に争いない事実と<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

(一)  本件事故現場の状況

本件事故現場は、福岡市赤坂一丁目一三―一二先の国道二〇二号線路上で、北東(天神方面)から南西(西新方面)へ通ずる歩車道の区別のある同国道(車道の巾員約一九米、制限時速四〇粁)に南東(警固方面)から向う道路(巾員約8.3米)がT字型(但し、交差する両端は丸切りによりやや拡張されている。)に交差し(以下、本件交差点という)、同交差点より約二五米南西寄りの地点には、北西(昭和通り方面)から向う道路(巾員約5.1米)がT字型に交差し、各道路とも平担なアスフアルト舗装道路で国道二〇二号線の道路中央には市内電車の軌道が設置されている。

本件交差点には信号機が無く、又、交通整理も行なわれていなかつたが、見通しはよく、本件事故当時交通量は多くまた降雨中のため路面は湿潤の状態にあつた。(尚、本件事故現場付近状況の概略は別紙図面(以下図面と略する。)のとおりである。)

(二)  原・被告車の動静

(1) 被告保光は被告車を運転して国道二〇二号線を天神方面から西新方面に向け車道左側端から約4.3米、市内電車軌道から約0.9米の地点付近をまつすぐ進行し本件交差点に進入直前、一旦図面①点で停車し、対向車線から本件交差点を横断して警固方面に進行したタクシーをやりすごしてのち、発進したが、その際二〇二号線中央の電車軌道敷内を西新方面から警固方面に向け方向指示器を示して右折しようとして対面進行して来る原告車を図面⑦点(約17.3米右斜め前方)に発見見したが、原告車が右折しようとして方向指示器を示しているのを見過ごし、漫然時速二〇粁で同交差点を通過しようとしたところ、原告車が同交差点を警固方面に右折し始めたのを図面点(被告車の前方5.1米右斜め前方)に認め、ハンドルを左転把するとともに急制動をかけたがまにあわず、図面④・点で被告車を原告車に衝突させた。

(2) 他方原告は原告車を運転して、図面破線に沿い本件交差点の南西約二五米の地点の国道二〇二号線に交差する昭和通り方面からの道路を通つて国道二〇二号線に出て左折し、市内電車軌道敷内を斜め横断しながら本件交差点を右折するべく方向指示器で合図しながら徐行しつつ天神方面に向け進行し、同交差点に進入する約五米の図面点で一旦停車して対向車線上を進行してくる被告車を前方に認めたのであるが、自車が先に本件交差点を右折横断できるものと考え、同点から同交差点を警固方面に向け右折を始めたところ間に合わず、図面④・点で原告車左側を被告車前部中央付近に衝突させ、原告車は同車前部にだき込まれ、衝突地点から約九米南の図面⑤の地点で止まり、原告は図面の路上に転倒した。

2  なお、原告および被告保光各本人尋問の結果(いずれも第一回)中には右認定に反する重要な部分があるので、その証拠判断についての見解を述べてみたい。

(一)  衝突前後の原・被告車の軌跡について

この点については<証拠>を主に前記認定に達したが、原告本人(第一回)は右認定に反し、原告車は本件交差点に徐行しつつ進入直後「図面③点で一時停止し、国道二〇二号線の天神寄りの対向車線上を見たが、被告車が遠くに見えたので先に本件交差点を渡れると思い、発進して横断を開始したところ、被告車は相当スピードを出していたので、危険を感じ、自車もスピードを出したが被告車をさけることができず図面②点のやや南東寄りの地点で」本件事故を惹起した旨供述する。確かに<証拠>によれば、実況見分の立会人および指示説明者は被告保光だけであり(但し、<証拠>によれば、その補助的立場にあるものとして目激者一名も参加していたものと認められる。恐らく原告車の進行方向の図面破線は、その結果であろうと推測される。)、原告は全然関与していないことは明らかであり、その証拠価値を判断するに際して、若干の考慮は要するものである。しかし、<証拠>によると、右実況見分は本件事故発生後数分を経ずして開始されていることが認められるのであり、また被告保光の指示説明による衝突時の被告車の速度(時速約二〇粁)も、停止距離(約12.1米――当時は降雨のため本件アスフアルト舗装道路上は湿潤の状態にあつたことは前記した。)との関係からも十分首肯できるうえに(この点で、原告の被告車の速度に関する供述は割引して考えねばならない。)、被告保光が後日の法律上・道義上の責任を十分わきまえた上で原、被告車の軌跡につき全く事実に反する指示説明ができる精神的状況にあつたと推測できるに足る証拠は何ら見出しがたいこと、同号証の被告保光の指示説明は同被告本人尋問の結果(第一回)とも符合しており、その間に特に作為的なものを認めるに足る証拠もないこと、標記の点に関する原告の供述(第一回)は、本件事故後四年を経過しており、意識的に作為的供述をしているとは言えないが、前掲証拠に比してその客観性を担保するものに乏しいこと、以上彼此考えると、<証拠判断略>これらにより前記認定をするのにさしたる困難はない。

(二)  衝突直前の原告車の動静(右折合図、徐行一時停止)について

この点については<証拠>を主に前記認定に達したが、被告保光本人(第一回)は右認定に反し、「原告車は右折合図はしていなかつた」ので、どちらに進行するのかわからなかつたところ、図面点から「いきなり右折を開始して本件交差点の横断を開始し」たので、本件事故が発生した旨供述する。しかしながら、同被告は原告が図面点に進行しつつあるのを初めて図面②点で発見している(両点間の距離は約17.3米)ところ、当日は視界を遮る位の降雨であつたという(同被告本人(第一回)の供述による)のであり、しかも事故当時の日時を考慮すると、原告車の動静について十二分に留意していたかどうか疑問があること、交差点の右折横断における右折信号の合図を怠る者もいないわけではないが、励行する者が割合からいえば多いのも当裁判所に顕著であること(しかも、原告車はいわゆるバイクであり、対面進行してくる被告車は普通乗用自動車であつて、その衝突による被害の強弱の程度に格段の相違があることは誰にでもわかることにも思いを致すべきである。)、標記の点に関する原告本人尋問の結果(第一回)は、事故後四年を経過しているとはいえ、ことさら作為的なものを認めるに足りる証拠もないこと、以上彼此考えると、<証拠判断略>これにより前記認定をするのにさしたる困難はない。

3  その他、右1認定に反する証拠はない。

三責任原因

1  原告および被告保光の過失の有無ならびにその割合

以上認定の事実によれば、被告保光は本件交差点に進入通過しようとして図面②点付近にさしかかつた際、道路中央側より左側(自車線内)を対面進行して来ていた原告車を右斜め前方約17.3米の図面点に発見したのであるが、原告車はその位置から本件交差点を右折横断することが十分推認できることは勿論、方向指示器を出して本件交差点を右折横断する姿勢を示していたのであるから、原告車の動静を十分注視し、警音器を吹鳴して警告を発し、かついつ右折を始めても安全なように徐行して進行すべき義務があつたのに原告車が右折の方向指示器を出していたのを看過し、漫然時速約二〇粁で進行した過失により、約5.1米の至近距離に至つて始めて右折横断を開始した原告車を避けきれず本件事故が発生したものであるから、被告保光に過失があることは否めない。

他方原告は、本件交差点を右折横断する場合には、対向直進車の動静に注意し、その進行を妨げないようにすべき注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、図面点で一時停車し、被告車を対向車線上に認めながら、自車が先に本件交差点を右折横断できるものと軽信し、被告車の直近である図面点から漫然右折を開始したため本件事故が発生したのであるから、原告に過失があることも否めない。そして、以上の各過失が本件事故の原因をなしていることは前記認定の事実に照らし明白であるところ、その過失の割合は原告が七割、被告保光が三割と認めるのが相当である。

2  被告ハル子の責任

被告ハル子が事故当時被告車を所有していたことは当事者間に争いがなく、したがつて同人が事故時に被告車の運行供用者であつたことが推定されるところ、右推定を覆すに足りる証拠はないから、被告ハル子は自賠法三条により運行供用者としての責任がある。

四損害

<証拠>を総合すると、原告(大正一四年二月二〇日生れ)は本件事故により左下腿両骨近位瑞骨折、後頭部・背部及右鼠径部挫傷、左脛骨内踝骨折の傷害を受け、事故発生の日である昭和四五年一二月一二日から翌四六年四月三〇日まで一四〇日間福岡市中央区大名一丁目の秋本外科病院に入院し、その後、同年五月一日から同月二八日まで二八日間(但し、通院実日数は不明)同病院に通院して治療を受けたが完治せず、更に福岡市博多区大字堅粕の千鳥橋病院に昭和四七年三月二八日から同年五月二日まで三六日間入院、また、それをはさむ昭和四六年一二月三日から翌四七年三月二七日までおよび同年五月三日から同年一〇月三一日まで二九八日間(うち実日数三六日間)の通院治療を受けて、昭和四七年一〇月二七日に症状が固定したが、なお左下腿の知覚鈍麻、頭部前屈時の頸部の疼痛、左下肢の筋萎縮の後遺障害が残存していたが、今日に至るも左腓骨神経麻痺および左肩関節機能障害が頑固に存しており、その程度は自賠法施行令別表第一二級の一二号と六号に各該当するので、結局同表第一一級に該当するものと評価できることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。そして原告の右受傷に基づく損害は次のとおりである。

(一)  治療費 三二四、一三九円

<証拠>によると、原告の未払い分および既払分の治療費は三二四、一三九円であることが認められる。

(二)  付添看護料

<証拠>によれば原告の入院期間中の昭和四六年一月一日から一〇日までの一〇日間原告は付添看護を要したことが認められるが、<証拠>によると、一部は被告側においてその費用を支出していることも認められるところ、その未払分についての立証はないから、標記の費用に関する原告の主張を認めることはできない。

(三)  入通院に要した交通費

一〇、〇〇〇円

前認定の事実と<証拠>によれば、原告は本件受傷に基づく通院治療(秋本外科病院まで一回以上二八回以内往復、千鳥橋病院まで三六回往復)し、その交通手段としてタクシーとバスを利用していることが認められるが、これ以上の具体的な料金等の立証がない。以上を前提に標記の費用を算定すると、少くとも一〇、〇〇〇円は要したであろうと推認するのが合理的である。

(四)  入院雑費 五二、八〇〇円

原告は合計一七六日間入院治療したこと前記のとおりであるが、その間諸雑費として一日当り三〇〇円を下らない支出を余儀なくされたであろうことは経験則上推認できるところであるから、原告の支出した諸雑費は合計五二、八〇〇円と認めるのが相当である。

(五)  休業補償 四七二、二四六円

<証拠>によれば、原告は事故当時訴外第一土地開発株式会社に勤務し、昭和四五年六月から同年一一月まで計五〇〇、一四四円(月平均八三、三五七円、円未満切捨て)の給与を受けている(一二月分は賞与を別にして、一二日までの分として二七、八九六円の給与を受領)が、本件事故により昭和四五年一二月一三日から昭和四六年五月三一日までは就業できず、その頃右会社は解散したことが認められる。そうだとすると、昭和四五年一二月一三日から翌年五月三一日までの逸失利益は四七二、二四六円となる。

(八三三五七―二七八九六)+

八三三五七×五=四七二二四六

(六)  後遺症等による逸失利益

二、二四九、〇〇〇円

原告の前記後遺症の程度は、自賠法施行令別表第一一級に該当するものと評価できるところ、<証拠>によると原告は前記第一土地開発株式会社が昭和四六年六月一日頃解散した以降は妻の経営する生花店の手伝いをしていることが認められる。右後遺症によると原告の労働能力喪失割合は二割、原告の就労可能年数は、昭和四五年一二月一三日(同日現在原告は満四五年)から一八年間とみるのが相当であるので、前記訴外会社に勤務中の平均月収八三三五七円を基礎にその逸失利益の本件事故時の現価をライプニツツ式により年五分の割合による中間利息を控除して求める(昭和四七年当時の賃金センサス中産業計画男子労働者学歴計年令四〇才ないし四九才企業規模一〇人ないし九九人よつて平均月収を算定すると原告主張のとおり一〇八、一一六円(円未満切捨て)となるが、原告の本件事故時の就労による賃金を基礎に解するのが相当であり、右の経緯は慰謝料算定の際の一事情として考慮するをもつて足りると解する。)と、昭和四六年六月一日から同年一二月一二日までの分は一〇一、〇〇〇円(一、〇〇円未満切捨て。以下同じ。)となる。

83357×(6+12÷31)×

0.9523×0.2≒101000また昭和四六年一二月一三日から一七年間の分は二、一四八、〇〇〇円となる。

83357×(11.6895−

0.9523)×0.2≒

2148000

以上を合計すると二、二四九、〇〇〇円となる。

(七)  慰謝料 一、二〇〇、〇〇〇円

前記認定の事故態様、原告の受傷の内容、後遺症の内容等諸般の事情を考慮すると、原告に対する慰謝料としては一、二〇〇、〇〇〇円が相当である。

(八)  過失相殺と損害の填補

(1)  以上の(一)および(三)ないし(七)を合計すると、原告の本件事故に基づく損害額は一応四、三〇八、一八五円となるが、<証拠>によれば、原告は前記認定の治療費の他、前記秋本外科病院に四七八七一〇円の治療費相当の治療を受け、その分の費用は原告以外の手により弁済ずみであることが認められるから、結局証拠上認定できる損害額総計は四、七八六、八九五円となる。しかるに原告にも前記過失があるので、前記のとおり七割の過失相殺をすると、一、四三六、〇六八円(円未満切捨て)となる。

(2)  ところで、原告が七四〇、六八〇円の損害填補を受けていることは原告の自認するところであるから、これを前記額から控除すると、六九五、三八八円となる。

(九)  弁護士費用 七〇、〇〇〇円

<証拠>によれば、原告が本件訴訟追行のため原告代理人両名に委任したことが認められ、本件訴訟の全過程を考慮すると、被告らに支払を命ずべき弁護士費用としては七〇、〇〇〇円が相当である。

五消滅時効の抗弁に関する判断

1  以上によると、被告らは原告に対し連帯して七六五、三八八円とこれから弁護士費用を除いた六九五、三八八円に対する本件不法行為後の昭和四五年一二月一三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるが、被告らは消滅時効により右請求権は消滅したと主張するので、この点について判断を加える。

2  本件事故発生日が昭和四五年一二月一二日、本件訴えの提起が昭和四九年五月一九日であることは当事者間に争いがない。

3  「加害者ヲ知リタル時」はいつか

標記の点につき被告らは本件事故当日と主張し、原告は昭和四五年一二月一四日と反論するので、この点について判断する。

民法七二四条にいう短期消滅時効起算点である被害者が「加害者ヲ知リタル時」とは、その立法趣旨に鑑みれば、被害者が損害賠償請求をしようと思えば現実的に可能な程度の精神状況下で加害者を知つたことが前提となるものと解される。そして、被告保光は原告が同被告を知つたのは本件事故時の昭和四五年一二月一二日であると推認されかねない供述をしている(第二回)のであるが、前記認定の本件事故による傷害状況に、<証拠>をあわせ考えると、原告が右精神状況下に戻つたうえで加害者である被告保光を知つたのは、同年一二月一二日であるとの被告らの主張は動揺をきたし、他にこの主張を認めるに足りる証拠はなく、却つて消滅時効の起算点に対する関係では同年同月一四日に原告は加害者の被告保光を知つたものと認めることができる(まして、運行供用者責任を負うべき被告ハル子を知つたのが、同日以降であつたことは、容易に推認しうるところである。)。

4  催告の再抗弁について

<証拠>によれば、原告は被告両名に対し本件事故に基づく損害賠償請求を書留郵便に付して郵送し、右郵便は昭和四八年一二月三日一旦被告両名の住所宛郵便局員によつて配達すべく持参されたが、被告両名は不在であつたため、同日郵便局員は被告両名に書留郵便を配達郵便局である今宿局に留置期間を同月一三日までとして受領しにくるよう書面で通知(その後同月八日にも再度配達を試みたが、被告両名とも不在であつた。)したものの、右留置期間内に被告両名が受領しなかつたため、右郵便はいずれも原告に返戻されたものであることが認められる。このように郵便が名宛人不在のため留置期間満了後返戻された場合、催告(民法一五三条)による意思表示は右留置期間の間継続してなされていたものと解するのが公平の観念に合致するものである。仮にそうでないとしても、遅くとも留置期間の満了をもつて催告がなされたものと解するのが相当である。本件についてこれをみれば、原告の前記催告は昭和四八年一二月三日から一三日まで継続して(或いは遅くとも同年同月一三日)被告両名に到達したものと解されるから、本件損害賠償請求権が消滅時効にかかる昭和四八年一二月一四日の経過する以前に催告がなされ、その後六ケ月以内である昭和四九年五月一六日本件訴えが提起されたのであるから、原告の再抗弁は理由がある。

六結論

叙上の次第であるから、被告両名は原告に対し連帯して七六五、三八八円およびうち六九五、三八八円に対する昭和四五年一二月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払義務があるので、この限度で原告の請求を認容するが、その余は失当として棄却することとする。そして、訴訟費用の負担、仮執行および同免脱の各宜言につき民訴法八九条、九二条、九三条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(簑田孝行)

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