大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和50年(行ウ)21号 判決 1978年4月14日

原告 竹下登こと金錫泰

被告 法務大臣

訴訟代理人 武田正彦 吉田和夫 三島敕 ほか二名

主文

一  被告が原告に対し昭和四九年一〇月二八日付をもつてなした協定永住許可取消処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、大韓民国国民であつて、昭和四三年六月一九日、法務大臣より、日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法(以下、たんに特別法という。)一条に基く協定永住許可を受けていたものであるところ、被告は、原告に対し、昭和四九年一〇月二八日付協定永住許可取消通知書をもつて、右協定永住許可処分は許可要件を具備しないことが判明したとの理由で、これを取り消す旨の処分(以下、たんに本件取消処分という。)をなした。

2  しかし、原告は、大正一二年二月一三日山口県宇部市で出生して以来引き続き日本国に居住しており、右協定永住許可の要件を具備する者であつて、被告のなした本件取消処分は違法である。

よつて、本件取消処分の取り消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項の事実は認める。

2  同第2項中原告が昭和二〇年八月一五日以前から日本国に居住していたことは認めるが、その後引き続き日本国に居住して来たことは否認する。

三  被告の主張

1  特別法一条によれば、昭和二〇年八月一五日以前から申請の時まで引き続き日本国に居住している大韓民国国民が昭和四六年一月一七日までの間に協定永住許可の申請をしたときは、法務大臣はこれを許可するものとされているところ、原告は昭和二九年中二回にわたつて本邦に出入国しており、右許可の要件を具備しないものである。即ち、原告は、昭和二九年二月二七日外国入登録法に基づき兵庫県尼崎市から京都市下京区へ居住地変更登録の申請を行つたが、その後同年六月一日には申在鳳名義で韓国船第二〇大徳号(以下、たんに大徳号という。)の乗員(操機長)として韓国馬山港から和歌山港に入港し、同月二六日和歌山港から韓国馬山向け航行中、和泉灘本航路三番灯浮標付近において、他の乗員と共に関税法違反により神戸海上保安部員に現行犯逮捕され、同年九月二七日神戸地方裁判所において懲役六月執行猶予三年の判決言渡を受けた後、神戸入国管理事務所において、出入国管理令(以下、たんに令という。)二四条三号該当容疑者として退去強制手続を受けた結果、同年一〇月五日同所主任審査官から外国人退去強制令書を発付され、同月七日神戸港から韓国馬山に向けて強制送還された。しかるに、原告はその後再び金錫泰名義により同年一二月一一日京都市下京区長に対し登録証明書の引替交付を申請し、同月二七日登録証明書の交付を受けているのである。

右事実からすれば、原告は、昭和二九年二月二七日の居住地変更登録申請の時から同年六月一日の申在鳳名義で和歌山港に入港するまでの間に不法出国していたこと及び同年一〇月七日の強制送還後同年一二月一一日の登録証明書引替交付申請の日までの間に不法入国したことが明らかである。

被告は、いつたんは原告に対し協定永住許可をなしたものの、その後右不法出入国の事実が判明し、原告は特別法一条に定める協定永住許可の要件即ち「一九四五年八月一五日以前から申請の時まで引き続き日本国に居住する者」との要件を具備していないことが明らかとなつたので、原告に係る協定永住許可を取り消したのである。

2  原告は、特別法二条一項の規定に基づき、昭和四三年四月一五日、居住地の熊本県本渡市長に対し、同法施行規則一条一項に規定する永住許可申請書その他の書類及び写真を提出して申請をしたが、その際、右申請書並びに家族関係及び居住経歴に関する陳述書において、特別法一条に定める在日歴についての要件に係る事実について意識的に不真実な記載をしたのみならず、本邦を出国する場合(令二六条の規定による再入国の許可を受けて出国する場合を除く。)には、その者が出国する出入国港において入国審査官に登録証明書を返納しなければならない(外国人登録法一二条一項)のにかかわらず、前記の出国に際し、その所持する登録証明書を返納せず、継続して在留しているごとく装い、その後不正に切替交付(昭和四〇年六月一〇日付)を受けた登録証明書(<7>第五五九〇二一号)を提出して被告を錯誤におちいらせ、その結果、本件協定永住の許可を受けたものである。

ところで、特別法一条所定の協定永住許可の要件を満たす者に対しては裁量の余地なくこれを許可しなければならず他方、右要件を欠く者に対してはこれを許可することができないとされている。

もとより、瑕疵ある行政処分の取消しは、無制限になしうるものではないが、必ずしも法規上の定めがなくてもこれをなしうるものと解されているところ、本件協定永住許可処分は、前記のとおり原告の欺罔により違法になされたものであり、しかも、それは特別法一条に定める協定永住許可の最も重大な要件を欠く者に対してなされたものであつて、その処分の取消しにより失われる原告の権利、利益と、これにより得られる公共の利益及び法秩序の維持との比較において、後者を優先させるべき場合であることは明らかであるから、一般の行政行為の取消しの法理に照らし、当然に取り消しうべきものである。

よつて、本件取消処分には何ら違法はない。

四  原告の主張

1  原告には不法出入国の事実はない。即ち、

原告は、昭和二七年頃、外国人登録法違反により懲役一〇月の実刑判決を受け、刑期を終えると直ちに神戸入国管理事務所に約五カ月間拘束され、昭和二八年一二月頃同管理事務所を釈放され出所した。出所後の昭和二九年二月頃、同管理事務所で知り合つた森田某から同人の経営する大邱商店に働くように誘われたため、以後同年五月末頃までの間、京都市右京区西院三蔵町にあつた同商店に住み込んで働くこととなつた。

ところで、原告が申在鳳の名で昭和二九年六月二六日和歌山港から韓国馬山向け航行中の大徳号に乗船中関税法違反により現行犯逮捕されたことは被告主張のとおりであるが、原告は、韓国から大徳号に乗船したものではなく、前記大邱商店の経営者森田某から韓国船の船員になりすまして韓国の釜山まで反物を運ぶように依頼され、同人が入手した申在鳳名義の船員手帳を利用し、和歌山港に寄港した大徳号に乗船したものである。また、原告が申在鳳の名のもとに有罪判決を受けたのち外国人退去強制令書を発せられたこと、その後京都市下京区長に対し登録証明書の引替交付を申請したことも被告主張のとおりであるが、原告は、右退去強制により昭和二九年一〇月七日いつたんは大徳号に乗船したものの、神戸入国管理事務所の係官の隙を見て大徳号が出港する前密かに下船したので、同船で韓国へは行かなかつたものである。そして、下船後は、戦前宇部市で兄弟のように親しく交際していた竹下満を頼つて大阪市に行き、昭和二九年一〇月初めから同三〇年一月頃まで同市大正区三軒家西一丁目三八番地の同人方に同居し世話になつていた。

以上のように、原告は被告主張のような不法出入国をした事実はなく、引き続き日本国に居住していたものである。

2  仮に、被告主張のように原告が大徳号で強制送還された後に不法人国した事実があつたとしても、左のような理由で、原告に協定永住許可の要件に欠けるところはなく、本件永住許可は特別法に違反しない。即ち、

日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する地位協定(以下、たんに地位協定という。)及び特別法は、永住許可の要件を「一九四五年八月一五日以前から申請の時まで引き続き日本国に居住する者」と定めている(地位協定一条一項(a)、特別法一条)が、右要件はしかく厳密に解釈、適用されるべきではない。けだし、地位協定の前文は、「日本国及び大韓民国は、多年の間、日本国に居住している大韓民国国民が日本国の社会と特別な関係を有するに至つていることを考慮し、これらの大韓民国国民が日本国の社会秩序の下で、安定した生活を営むことができるようにすることが、両国間及び両国民間の友好関係の増進に寄与することを認めて」と述べ、地位協定の精神を掲げているところ、これは、在日朝鮮人の歴史と処遇の実態を前提にし、その生活の安定を図ることを目的とするものとみるべきである。しかして、「引き続き日本国に居住している者」とは、「生活の本拠が引き続き日本国にある」との程度で足り、生活の本拠を日本国に有しつつも一時国外に旅行した者や、いわゆる「一時帰国者」(日本の敗戦、朝鮮の独立によつて、家族を日本国に残し、あるいは、朝鮮の家族に会う目的などで、一時、朝鮮に帰国し、再び日本国に入国した人たち)なども、「引き続き日本国に居住している者」に該当するというべきだからである。

3  本件取消処分は処分権の濫用であつて、違法である。

(一) 被告は、原告が行政庁を欺罔し、錯誤におちいらせて本件協定永住の許可を受けた旨主張するが、そのような事実はない。却つて、原告は、昭和二八年神戸入国管理事務所において、昭和三四年福岡入国管理事務所において、いずれも金錫泰の本名のもとに退去強制事件の容疑者として審理を受けており、このことと、被告が常に在日朝鮮人を監視、調査して資料を集めていることを併せ考えるならば、被告は、原告について、被告主張にかかる永住許可条件不該当事由があることを知りながら本件永住許可処分をなしたものというべきである。したがつて、仮に本件永住許可につき瑕疵があつたとしても、被告がこれを取り消すことは、自らの責任を原告に転嫁するものというべく、極めて不当である。

(二) 本件協定永住許可処分が取り消されると、原告及びその家族の生活権は著しく侵害される。

原告は、昭和三〇年妻鄭孟順(昭和四年生)と結婚したが、現在肩書住所地において妻及び長男金学哲(昭和三五年生)の三人で生活し、竹下実業株式会社、平安物産株式会社、有限会社トーカイ興産及び東和開発株式会社の代表取締役等の役職に就き、ことに、原告が代表取締役をつとめる竹下実業株式会社(資本金一、〇〇〇万円)は、娯楽センター、土地開発等を目的とする会社であるが、主にパチンコ遊戯場を経営し、従業員は常時七〇名を雇用している。このような状況であるから、本件取消処分がなされると、原告及びその家族の生活権が著しく侵害されることは必至である。ところで、行政行為の成立に瑕疵があつたとの理由で無条件にその取消しをなしうるものではなく、既成の法律秩序を維持し、法律生活の安定を尊重するという見地から、現実に取消しをなしうべき場合については条理上の制限が存するものであり、当該取消しにより人民の既得の権利、利益を侵害する場合には、取消原因の存する場合においてもその取消は自由でないと解すべきである。

原告は、本件協定永住許可により合法的に日本に居住して来たものであるが、もしこれが取消されると、日本国に居住する権利を失い、被告の特別在留許可のない限り、出入国管理令二四条四号(ロ)に該当する者として、韓国へ強制送還されることになる。そうなれば、原告は、妻子と別離せざるを得なくなり、原告が関係する会社の経営も困難となり、多勢の従業員に対しても重大な影響を与えることになる。さらに、重大なことは、原告が韓国へ強制送還された場合、原告の日本における従前の諸活動に鑑み、韓国政府は「国家保安法」、「反共法」等の法律を適用して原告を逮捕、処刑するおそれが十分にあるということである。

他方、被告が原告の協定永住許可処分を取消さなかつたとしても、公共の利益に何ら影響するものではない。在日朝鮮人の在留権を一応認めようとする協定永住許可の趣旨からしても、以上のような原告が受ける重大な権利の侵害とその影響を考慮すると、被告のなした本件取消処分は、取消権の裁量の範囲を超え、権利の濫用にあたるというべきである。

(三) 疵瑕ある行政処分についての行政庁の取消権は、相当の期間内にこれを行使することを要し、相当の期間内に行使しないときは、信義誠実の原則に照らし、かつ法的安定の目的のため、もはや取消しをなしえないものと解すべきである。しかるに、被告は、協定永住許可処分後六年も経て取消権を行使したが、これは相当の期間を超えたものであり、取消権は既に失われていると解すべきである。仮に失権していなかつたとしても、六年間も放置して原告の日本における生活権を定着させた後に取消権を行使することは、権利の濫用として許さるべきではない。

第三証拠<省略>

理由

一  原告が昭和三四年六月一九日付で特別法一条に基づく協定永住許可を受けていたところ、被告が原告に対し昭和四九年一〇月二八日付協定永住許可取消通知書をもつて右永住許可処分を取り消す旨の処分(本件取消処分)をしたことは当事者間に争いがない。

被告は、その取消しの理由として、右協定永住許可後、原告は昭和二九年二月二七日外国人登録法に基づく兵庫県尼崎市から京都市下京区への居住地変更の登録申請をしてから同年六月一日申在鳳の名のもとに大徳号で和歌山港に入港するまでの間に不法出国していたこと、及び同年一〇月七日出入国管理令二四条三号該当者として外国人退去強制令書の執行を受け大徳号で韓国に強制送還されてから同年一二月一一日外国人登録法に基づき京都市下京区長に対し登録証明書の引替交付申請をするまでの間に本邦に不法入国したことが判明し、原告は特別法一条に定める協定永住許可の要件である「一九四五年八月一五日以前から申請の時まで引き続き日本国に居住する者」という要件を具備していない者であることが明らかになつたので、右協定永住許可を取り消す本件取消処分をなした旨主張するので、以下、この点につき判断する。

二  まず、原告に被告主張のような不法出国の事実が認められるか否かの点について検討する。

1  <証拠省略>によると、原告は昭和二九年二月二七日兵庫県尼崎市から京都市へ外国人登録法による居住地変更の登録申請をしていること、原告は同年六月二六日午後三時頃和泉灘本航路三番灯浮標付近を航行中の日韓貿易船第二〇大徳号五五・一一トンに申在鳳という名前を使い操機長という資格で乗船中神戸海上保安部の巡視船による立入検査を受けて関税法違反現行犯(繊維の密輸出容疑)で逮捕され、同年九月二七日神戸地方裁判所において他の乗組員六名とともに関税法違反の罪により懲役六月(三年間執行猶予)の判決言渡しを受けたことがそれぞれ認められるところ、<証拠省略>によると、大徳号は昭和二九年五月二八日韓国馬山港を出港し、同年六月一日午前零時過ぎ頃和歌山港に入港し、同月二六日午後零時過ぎ頃和歌山港を馬山港に向けて出港したものであること、そして和歌山港での大徳号乗組員の寄港地上陸許可申請の際の船員名簿には操機長として申在鳳の名前が記載されているうえ、当時の大徳号の出港状況に関する神戸入国管理事務所下津港出張所係官作成の報告書においては、大徳号の出港直前の点検では人員について何ら異常は認められなかつた旨の報告がなされていることが認められ、しかも、申在鳳なる者が大徳号に乗船していた経緯については、<証拠省略>(梁在用の供述調書)によると、同船船長梁在用は、前記のとおり同船乗組員が逮捕された後の昭和二九年七月一九日の神戸入国管理事務所における取調べの際に、操機長申在鳳は他の三名の乗組員とともに韓国から日本へ輸入する秋刀魚の荷主として乗船していた旨供述し、<証拠省略>によると、前記関税法違反被告事件における判決では、申在鳳は、他の三名の乗組員と共同出資で大徳号を傭船し、韓国から日本に太刀魚を輸入し、これを売却した資金で繊維製品、雑貨類等を買い付けてこれを韓国に輸入する目的で、昭和二九年五月二八日韓国馬山港を出港し、同年六月一日午前零時半頃和歌山港に入港したものである旨の認定がされており、また、<証拠省略>によると、申在鳳名義の原告は、前記のとおり関税法違反で逮捕された後の昭和二九年九月二八、二九日の神戸入国管理事務所における取調べの際に、同人は同年五月に韓国馬山海事局で申在鳳名義の船員手帳の交付を受け、大徳号の操機長として韓国馬山港から同船に乗船して同年五月三一日和歌山港に入港し、同年六月二六日和歌山港を出港して馬山港に向う途中逮捕された旨供述していることがそれぞれ認められる。

以上認定の各事実に照らすと、原告は昭和二九年二月二七日以降同年六月一日までの間に申在鳳なる名を用いて不法出国したものである旨の被告の主張は根拠がないというものではない。

2  これに対して原告は、申在鳳の名のもとに和歌山港から韓国馬山向け航行中の大徳号に乗船中関税法違反で逮捕されたことは認めるものの、韓国から大徳号に乗船して本邦に入国したものではなく、当時勤務していた大邱商店の経営者森田某から韓国の釜山まで反物を運ぶよう依頼され、森田某が入手した申在鳳名義の船員手帳を利用して申在鳳になりすまし、和歌山港から大徳号に乗船、出港したところを逮捕されたものであり、本邦から出国した事実はなく、昭和二九年二月頃から同年五月末頃までの間は京都市内の大邱商店で働き、そこに居住していた旨主張するところ、原告本人(第一、二回尋間)は、右主張に沿う供述をするとともに、逮捕後の取調べの際に虚偽の供述をした理由として、自首するような雰囲気にもなかつたうえ、事実が発覚して右森田や大徳号の船員に更に迷惑のかかることがないように思つたがためである旨供述し、また、右森田の息子である証人森田正夫こと李敬釈も、原告は昭和二八、九年頃には同証人方に同居しながら大邱商店で働いていたが、その頃、原告の写真の貼付された船員手帳を見たことがあり、原告が同証人の父に代り反物を持つて韓国に行くというようなことを聞いた(実際に行つたか否かは知らないが)ことがある旨証言している。

前掲の原告の供述によれば、原告はあらかじめ自己の写真を貼り付けた申在鳳名義の船員手帳を入手したうえ、大徳号が和歌山港に停泊していた昭和二九年六月一日頃から同月二六日頃の間に、韓国から乗船してきた原告ではない申在鳳と密かに入れ替つたことになるが、このようなことが可能であつたかどうか疑問はあるものの、全く不可能であるともいえないと思われる。少なくとも、原告が申在鳳名義の偽造の船員手帳を入手することができたことは事実であるうえに、原告が右船員手帳を韓国で交付を受けたとするには、その前提として原告が本邦を出国して韓国に赴く必要がある(原告が昭和二八年頃まで日本国内に居住していたことは当事者間に争いがない。)ところ、その頃原告が出国した事実を直接窺わせるような資料はなく、仮に原告が正規の手続を踏まず密かに出国したものとすれば、そのこと自体、当時の韓国人に対する出入国の管理は一般的に厳正を期し難い実情にあつたことを示すものということができよう。

なるほど、現在の入国管理体制を前提とすれば、寄港地上陸許可によつて上陸した後に、そのうちの一人が別人と入れ替つてしまうというようなことは不可能か極めて困難なことと思われるが、戦後一〇年も経過しない昭和二九年当時においては、寄港地上陸の際の入国管理事務所係官の点検も現在よりは緩やかで、上陸した船員の一人が係官に発覚することなく別人と入れ替るというようなことも実行しえたのではないのかと推測できないこともない(乙第三〇号証は当時の入国管理状況を報告した文書であるが、これによるも、寄港地上陸許可の更新の際の具体的な手続がどうであつたかは不詳である。)。

また申在鳳を名乗つていた原告としては、真実は金錫泰であることが発覚し、金錫泰として刑事処分及び強制退去等の手続の対象とされるよりは、別人ないしは架空人たる申在鳳として処理される方が後日のため有利であると考えるのはむしろ当然であつて、船員手帳偽造の事実の発覚を防ぎ、森田某に迷惑がかかることを避けるため黙秘していた旨の原告の弁解は、それ自体としては、何ら不自然なものであるとはいえないし、大徳号の船長梁在用の供述に関しても、同人が原告の立場を考慮して虚偽の陳述をしたと考えることに不自然な点はない。

3  以上1及び2に認定の各事実を彼此勘案すると、確かに、原告本人及び森田証人の各供述中には不明確な部分がある(<証拠省略>によると、過去四回にわたつて出入国管理令違反で取調べを受けてきた際の原告の各供述のうち、ことに原告の成育歴、生活歴、家族歴等については不明確或いは矛盾する供述部分が顕著であるといわざるを得ない。)が、だからといつて、右両名の各供述の信用性が全て否定されるわけではなく、当裁判所としては、依然として原告とは別人の申在鳳なる人物が韓国馬山港から和歌山港に入港し、その後原告がその別人と入れ替つて和歌山港から出港したのではないのかとの疑問を払拭しえず、従つて、原告が被告主張のように昭和二九年二月二七日の原告が居住地変更登録申請をした日から同年六月一日の大徳号が韓国馬山港から和歌山港に入港した日までの間に不法に本邦を出国したという事実を認めるには十分でないといわざるをえない。

三  次に、原告に被告主張のような不法入国の事実が認められるか否かについて検討する。

1  前認定のとおり、原告は昭和二九年九月二七日神戸地方裁判所において関税法違反により懲役六月(執行猶予三年)の刑に処せられたものであるが、<証拠省略>に、当事者間に争いのない事実を総合すると、その後引き続き原告は、申在鳳という名前のもとに出入国管理令二四条三号容疑者として、同年九月二八日から神戸入国管理事務所において入国警備官による違反調査を受け、翌二九日同事務所において入国審査官による審査を受けて、右同号に該当するので本邦外に退去強制する旨の認定を受け、同日特別審理官による口頭審理を放棄した結果、同年一〇月五日主任審査官から退去強制令書を発布され、同月七日退去強制令書の執行を受けるべく入国警備官によつて神戸港から韓国馬山港へ向けて出港する大徳号まで護送され、同船に乗船させられたこと、が認められ、また、<証拠省略>によれば、当日原告の退去強制令書の執行に立会つた入国警備官中西喜代治は、原告に関する執行の際の具体的状況については現在記憶にはないものの、当時の通常の執行方法のとおり原告らを入国警備官三、四名で護送して大徳号に乗船させ、船内を点検して人員を確認したうえ、同船が出発し第五航路から第二航路に入るまでの約一五分ないし二〇分位の間見送つたと思うので、途中誰かが脱船逃亡したりすることは絶対にありえない旨の供述をしていることが認められる。

以上認定の各事実に照らすと、原告は昭和二九年一〇月七日以降京都市下京区長に対し登録証明書の引替交付申請をなした同年一二月一日までの間に韓国から本邦に不法入国したものである旨の被告の主張は根拠がないというものでもない。

2  これに対し、原告は、申在鳳名義で昭和二九年一〇月七日退去強制令書の執行を受けて、神戸港から韓国馬山港向けの大徳号に乗船したことはあるが、同日原告を護送してきた神戸入国管理事務所係官の隙を見て、同船が出港する前密かに下船し逃亡したものであつて、本邦から出国した事実はない旨主張するところ、原告本人(第一、二回尋問)は右主張に沿う供述をしており、また、<証拠省略>によると、原告は同年一〇月頃、当時大阪市大正区三軒屋西一丁目に居住していた竹下満こと申順石宅を訪れ、以後昭和三〇年一月頃まで同人宅に同居していた事実が認められる(申順石の証言中一〇月一一日には原告が同人方に来ていた旨の日時の詳細な点については、古い出来事でもあり、どこまで正確であるかは疑問であるが、その年の秋に原告が同人方に来たことについては右各証言がいずれも一致するところであり、これらがすべて措信できないとする根拠はみあたらない。)。そうだとすれば、一〇月七日に大徳号で韓国に強制送還された原告が再び日本に密入国して来たとするには時間的に短かすぎると考えるのが自然であり、しかも、前述したように、昭和二九年当時の出入国管理体制は、現在のそれと同一には考えられないことをも考慮すると、神戸港において大徳号から出港直前に下船した旨の原告の供述の信憑性もたやすく否定することはできないというべきである。

3  以上1及び2に認定の各事実を彼此勘案すると、当裁判所としては、申在鳳名義の原告が退去強制令書の執行を受けた際に出港前の大徳号より下船したのではないのかとの疑問も払拭できず、従つて、原告が被告主張のように昭和二九年一〇月七日の退去強制令書の執行を受けた日から同年一二月一一日の原告が登録証明書の引替交付申請をなす日までの間に不法に本邦に入国したという事実を認めるには十分でないといわざるをえない。

四  ところで、特別法一条及び地位協定に定める協定永住許可の要件たる「一九四五年八月一五日以前から申請の時まで引き続き日本国に居住している者」の意義について考えるに、それは、原告主張の如く右の期間中生活の本拠が引き続き日本国にあれば足り、その間一時的に日本国に居住していない期間があつても妨げないとの広い意義に解すべきでなく、あらかじめ再入国の許可を得たうえ一時出国したような場合は別として、右期間中中断することなく日本国に居住していた事実の存在を必要とすると解すべきである。そして、右事実の存在は協定永住許可の要件なのであるから、右許可をなすには「引き続き日本国に居住していた」事実が認められるのでなければならないことは明らかである。ところが、原告の場合は、前記のとおり、韓国籍の貿易船に乗員として在船中密輸容疑で逮捕され、有罪判決を言渡されたうえ、外国船による送還の方法による退去強制の執行を受けたという客観的事実の存在は明らかでありへそれにもかかわらず現実には本邦を離れていない旨の原告主張については、これにそう証拠はあるものの、右主張事実を積極的に認定するには十分でないことも前記のとおりである。しかも、仮に事実関係が原告主張のとおりであつたとしても、原告は密輸の不法目的をもつて偽造の船員手帳を入手したうえ他人になりすまして外国船に乗り組み、逮捕後の取調べに際しても真実の身分を明かすことなく退去強制に応じたのであつて、ただその執行に際し密かに逃亡して不法に本邦に残留したにすぎないのであるから、このような者についてまで協定永住許可をすることができるかどうかは疑問の存するところである。してみると、原告につき協定永住許可の要件を具備しない事実が判明した旨の被告の主張は、理由のないものではないと考えられる。

しかしながら、本件で問題となつているのは、原告に対する協定永住許可処分の適否ではなく、原告に対しいつたんなされた協定永住許可を取り消す処分の適否なのであるから、協定永住許可申請に対する許否とは別個の観点から考えなければならない。即ち、

まず、原告が二回にわたり不法出入国をしたとの被告主張事実の存否については、本件全証拠によるもこれをいずれとも認定できないことは前記のとおりであるところ、右事実の立証が十分でないことによる訴訟上の不利益は、本件取消処分をなした被告の側において負担すべきものと解すべきである。

更に、一般に、個人に一定の利益を与える行政処分がなされたときは、行政庁は当該処分に瑕疵があつたとの理由で当然にこれを取り消しうるものではなく、当該処分の性質、内容、瑕疵の重大性等の諸般の事情に照らし、相手方から既得の権利、利益を剥奪してもやむをえないと認めるに足りる公益上の必要があるのでなければ、その処分を取り消すことはできないと解するのが相当である。

そこで、右の観点に立つて、本件取消処分の適否について、考えてみるに、原告の成育歴、生活歴、家族歴等の詳細については、本件全証拠によるも、明確に認定することは困難であるが、原告が昭和二〇年八月一五日以前から引き続き本邦に居住していたことについては当事者に争いがなく、<証拠省略>の結果によると、原告は現在肩書住所地において妻竹下昿代こと鄭孟順(昭和四年五月二九日生)と長男竹下祐輔こと金学哲(昭和三五年一一月二六日生)の三人で生活し(長男は進学しておれば高校生である。)、竹下実業株式会社及び有限会社トーカイ興産の各代表取締役、東和開発株式会社及び平安物産有限会社の各取締役に就任して右各会社の経営にあたつているほか、朝鮮人商工会の会長をしているなど、家庭的及び社会的に一応安定した生活を営んでいることが認められるところ、もし原告の協定永住許可が取り消されると、原告は、本邦に居住する権利を失い、被告の特別在留許可のない限り、韓国へ強制送還されてもやむをえない地位にたつことになるが、これは原告及びその家族にとつて極めて不利益であることは明暸である。

更に、地位協定の前文にも明らかなように、協定永住許可の趣旨が多年日本国に居住して日本国の社会と特別な関係を有するに至つた韓国人に対し日本国の社会秩序の下で安定した生活を営ませることにあり、従つて、いつたん協定永住許可を受けた者についても右の観点からその法的地位の安定が尊重されるべきものと解されること、原告について不法出入国が疑われる事実あつたのは本件取消処分から約二〇年も前のことであり、原告が協定永住許可を受けてから本件取消処分までにも六年余を経過していること、仮に被告主張のとおり原告に不法出入国の事実があつたとしてもその期間は比較的短かく、他方<証拠省略>の結果によれば原告は幼時から日本で育ち日本人としての教育を受けたため自国語の能力は十分でなく、韓国においては何ら生活の基盤を有しないと認められること等の諸般の事情に照らして考えるならば、原告につき不法出入国の事実を窺わせる(訴訟上右事実を認定するに足る証拠が十分でないことは前記のとおりである。)事由が判明したことを理由として原告に対する協定永住許可を取り消すことは、原告に及ぼす重大な不利益に比してこれに優る公益上の必要があるとは到底考えられない。

なお、被告は、原告は本件永住許可申請をなすに際し、特別法一条に定める在日歴についての要件に係る事実について意識的に不真実な申述をする等の方法により行政庁を錯誤に陥らせたものであると主張するが、原告が右申請に際しかつて申在鳳の名で退去強制処分を受けたことを秘していたことをもつて、殊更に偽計をもつて本件協定永住許可をなさしめたものとなすのは相当でなく、他に本件協定永住許可処分が原告の不正行為を機縁としてなされたことを認むべき証拠はない。

五  以上の諸点を総合して考えれば、本件取消処分は、既になされた協定永住許可の上に築かれた原告の法的地位を奪うに足るだけの相当な理由なくしてなされた点において違法なものといわざるをえず、取り消しを免れない。

よつて、原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 南新吾 小川良昭 辻次郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例