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福岡地方裁判所 昭和52年(ワ)1428号 判決 1979年7月13日

原告

江崎ミチヱ

被告

後藤哲也

主文

被告は原告に対し金六九万二〇三七円及びこれに対する昭和四九年一〇月五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決の第一項は仮に執行することができる。

被告において金二〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

(申立)

一  原告

「被告は、原告に対し、金一一七四万六七七〇円及びこの内金一〇七四万六七七〇円に対する昭和四九年一〇月五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決及び敗訴の場合、仮執行免脱の宣言

(主張)

一  原告の請求の原因

1  事故の発生

原告は、次のとおり交通事故によつて受傷した。

(一) 発生日時 昭和四九年一〇月四日午前八時三〇分頃

(二) 発生場所 福岡市南区向野東町一二一二番地先路上

(三) 加害車両 普通乗用自動車(福岡五〇な四〇一一)(以下、「被告車」という。)

(四) 運転者 被告

(五) 被害者 原告

(六) 態様 原告は、本件事故発生場所の、東から西に向う幅員二・八メートルの道路に被告車と他の一台の自動車が停車していたので、その間の狭い帯状の部分を歩いていたが、被告が突然発進したためか、右足を轢かれ、そのため身体の平衡を失い、仰向けに倒れて、右肩及び上腕部を路面に強打した。

(七) 傷害 右足部圧挫傷、右肩胛部及び上腕挫傷

(八) 後遺症 右の上肢及び下肢の運動をすることができず、全く用を廃している。

(九) 本件事故と原告の現在の症状との因果関係について

(1) 原告は、昭和四八年六月一〇日から、脳血栓症、糖尿病の病名で入院し、右片麻痺の症状があつた。そして、福岡赤十字病院及び公立学校共済組合九州中央病院での入院加療の結果、軽快して、一人で杖なしに歩行することができるようになつた。糖尿病も、軽症のため、食事療法だけで治癒した。

(2) 原告は、退院後、殆ど以前と同様の状態に回復して、通常の生活に戻つていた。

(3) 仮に原告に軽度の麻痺が残つていたとしても、本件事故による負傷がなければ、現在のような重症にはならなかつた筈である。原告は、本件事故に遭遇するまでは、自由に歩行し、働くこともできたのに、本件事故のため入院したのを契機に、右上肢及び右下肢の運動ができなくなり、全く用を廃するに至つたからである。

2  責任原因

被告は、加害車両を保有し、これを自己のために運行の用に供していたから、自動車損害賠償保障法第三条により、本件事故によつて生じた原告の損害を賠償する責任がある。

3  損害

(一) 診療費 金三七万一五六〇円

(1) 浦門整形外科病院 金一一万〇四四〇円

ア 昭和四九年一〇月四日及び五日の二日間入院

イ 同月六日及び七日の二日間通院

ウ 同年一一月七日から翌五〇年二月二八日までの一一四日間のうち四七日間通院

(2) 上田外科医院 金二六万一一二〇円

ア 昭和四九年一〇月七日から同月三〇日までの二四日間入院

イ 同月三一日から同年一一月六日までの七日間のうち二日間通院

(二) 入院諸雑費 金一万五六〇〇円

原告の入院中諸雑費を要したので、一日金六〇〇円の二六日分。

(三) 付添費 金一三万八五〇〇円

(1) 入院付添費 金六万五〇〇〇円

原告の入院には家族が付き添つたので、一日金二五〇〇円の二六日分。

(2) 通院付添費 金七万三五〇〇円

原告の通院にも家族が付き添つたので、一日金一五〇〇円の四九日分。

(四) マツサージ代 金五万円

原告は、前記病院の診療を受けた後現在まで、度々マツサージを行つている。そのために、少くとも金五万円を支弁した。

(五) 逸失利益 金七六六万円

原告は、本件事故時、五四歳で、ウエス加工に従事し、一か月金六万五〇〇〇円の収入があつたが、本件事故により全く歩行ができず、他人の介添えがなければ何事もできないので、労働能力を一〇〇パーセント喪失したものというべきであるから、六七歳までの一三年間就労が可能であるとして、ホフマン式(係数九・八二一一)により中間利息を控除すると、得べかりし利益の喪失現価は、金七六六万円(一万円未満切捨て。)となる。

(六) 慰藉料 金五〇〇万円

原告に対する自動車損害賠償責任保険の後遺障害認定は、七級四号となつている。しかし、本来ならば、一級五号又は三級にも匹敵するものである。その他一切の事情を考慮すれば、原告の精神的苦痛を慰藉するのは、少くとも金五〇〇万円が相当である。

(七) 損害から控除すべき填補額 金二四八万八八九〇円

(1) 自動車損害賠償責任保険から金二一七万八八九〇円

(2) 被告から金三一万円

(八) 弁護士費用 金一〇〇万円

原告は、被告が任意に損害賠償の支払いをしないので、原告訴訟代理人に本訴の提起追行を委任した。本件事故による損害としての弁護士費用は、金一〇〇万円が相当である。

4  よつて、原告は、被告に対し、損害賠償金一一七四万六七七〇円とこの内金一〇七四万六七七〇円に対する不法行為の後たる昭和四九年一〇月五日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被告の答弁

1  請求の原因1の事実について

(一) 同1の事実の認否は、次のとおりである。

(1)同(一)乃至(五)の各事実は認める。

(2) 同(六)及び(八)の各事実は争う。

(3) 同(七)の事実のうち原告が右肩胛部及び上腕挫傷の傷害を受けたことは争う。その余の事実は認める。

(4) 同(九)の事実のうち原告がその病名で入院したことは認める。その余の事実は争う。

仮に原告にその主張のような症状が現在でもあるとすれば、それと本件事故との間の因果関係の存在を否認する。

(二) 本件事故の態様は、次のとおりである。

被告は、原告主張の本件事故発生日時、発生場所において、対向車両と離合すべく車両渋滞中のところを、先行自動車の進行につれて、少し前進しようとしたとき、偶々加害車両の右後車輪付近にいた原告の右足に右後車輪を接触させた。

従つて、このときの原告の受傷は、極めて局部的なものであつて、約一か月で治癒した。

(三) 原告の傷害と本件事故との間に因果関係がない。その詳細は、次のとおりである。

(1) 原告は、昭和四三年から同四四年頃、福岡赤十字病院の診断では、両手の痺れ、右足の痺れ、完全に近い右片麻痺、右顔面神経麻痺、構音障害、右上下肢粗大力殆どゼロ、右半身触覚痛覚殆ど脱失という症状があつた。そして、昭和四八年六月二六日には、足踏み練習、歩行器による歩行練習、手足の屈伸練習の開始という機能回復訓練を受けていた。これらの神経障害の原因は、既往症である糖尿病、脳硬塞(脳血栓)、梅毒である。

(2) その後、原告は、九州中央病院へ転院した。昭和四八年七月一三日には、片足麻痺による機能回復訓練中で、右下肢には矯正器具が必要であつた。同月一九日には、杖なしで一人で歩けるが、ベツトに寝ていると、右膝関節を屈曲することができず、右上肢は、殆ど動かない状態であつた。

(3) 原告は、昭和四九年五月二二日、浦門整形外科で、種々の神経障害を惹起する頸椎症性神経根性右上下肢運動麻痺があり、主要症状として、右肩及び右腕の疼痛及び麻痺、右下肢運動障害があると診断された。更に、同年九月にも、同様の主要症状が見られた。原告は、その後、本件事故直前まで、殆ど毎日治療を受けていた。

(4) 原告の本件事故直後の症状は、右足部圧挫傷しかなかつた。数日経過後、右上下肢の不全麻痺あるいはその他構音障害が見られたが、これは、いずれも本件事故前からあつた既往症であつて、脳血栓後遺症による神経障害症状が遷延することは、よく知られているところである。従つて、原告の本件事故前後の症状は、完全に一致している。既往症が完治していない以上、本件事故によるものではない。

(5) 原告は、浦門整形外科で、本件事故以前から治療を受けていたが、本件事故直後も、更にその約一か月後から三か月間に亘り、浦門医師の治療を受けていた。従つて、同医師は、原告の症状を相当詳細に把握している者である。同医師は、本件事故後約半年を経て、「右足背部の運動痛及び圧痛あり。又、右肩胛部より右上腕にわたる疼痛あり。症状遷延するも、加療により全治す。」「後遺障害なし。」と診断した。

(6) 自動車損害賠償責任保険では、当初、本件事故による受傷として、後遺障害等級表七級該当と認定した。この認定の基礎になつた診断は、原告に右既往症があることを知らずに、誤つて下されたものである。例えば、九州大学では、本件事故による受傷が軽微な割りに重篤な後遺障害があるため、色々推測し、脳の直接の外傷を疑つていたが、検査の結果、外傷を否定し、脳血栓によるのを最も妥当なものとした。しかし、原告からその既往症について申告がなかつたため、頭部外傷による脳血栓もあり得るということで、因果関係を肯定したようである。それでも、なお疑いを捨て切れず、心因的因子さえ疑つていた位である。その後、原告に既往症があることが判明したものの、一旦なされた認定を維持せざるを得ず、苦慮した挙句、救済のために加重障害の取扱いがなされた。当初から、原告が既往症のあることを申告しておれば、因果関係が否定されていたであろう。

以上のとおり、原告の主張する障害は、本件事故によるものではない。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実について

(一) 同(一)の各事実は知らない。

(二) 同(七)(1)(2)の各事実は認める。なお、同(2)の事実は抗弁のとおり。

(三) その余の事実は否認する。

(四) 仮に被告に幾分かの責任があるとしても、付添看護について、浦門整形外科では不要と診断されていることを考慮すべきである。また、逸失利益及び慰藉料の算定にあたつても、相当の減額が必要である。

三  被告の抗弁

1  示談の成立

原告は、昭和四九年一一月七日、被告との間に、江崎美朝雄立会いのもと、本件事故による損害賠償につき、被告が原告に対して金三一万円を支払うことで、原告が被告に対し裁判上裁判外において一切異議請求をしない旨の示談をし、即日、被告に対して、金三一万円を支払つた。

2  損害の填補

(一) 被告の支払い(前記1のとおり)

被告は、昭和四九年一一月七日、原告に対して、金三一万円を支払つた。

(二) 自動車損害賠償責任保険

(1) 後遺障害補償金一五七万円

(2) 治療費として上田外科病院及び浦門整形外科病院へ支払われた分 金三七万一五六〇円

(3) 原告に対して支払われた分 金三五万一三三〇円

(三) なお、参考までに、被告は、その他に、原告のため、果物等の見舞品の交付、看護費用や薬品代等金三万五〇九五円を支出した(自動車損害賠償責任保険から受領した金一一万四〇〇〇円を除く。)。

四  抗弁に対する原告の認否

抗弁事実は認める。

五  原告の再抗弁

1  原告が被告主張の示談に応じたのは、本件事故発生後約一か月の時期に、原告において傷害が全治するものと信じ、それを前提としたからであつた。しかし、その後、予期に反して、長期間に亘つて、治療を要し、症状が固定して、後遺症となつた。原告の示談の意思表示は、その重要な部分に錯誤があつたというべきであるから、右示談は無効である。

2  仮に示談が全部無効でないとしても、自動車事故による傷害の全損害を正確に把握し難い状況のもとで、被告の求めによつて早急に結ばれた被告主張の示談契約の中に、少額の損害賠償金の支払いをもつて、その他には裁判上裁判外で一切異議請求をしないという約定があつても、その後原告の確認し得なかつた著しい事態の変化によつて、原告の損害が異常に増加したのであるから、被告主張の権利放棄の約定は、その効力を失うというべきである。

六  再抗弁に対する被告の認定

再抗弁事実は否認し、主張は争う。

(証拠)〔略〕

理由

一  請求の原因1(一)乃至(五)の事実及び原告が右足部圧挫傷の傷害を受けたことは、いずれも当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第一一号証の四一、乙第四号証、証人佐々木岩雄の証言、原被告各本人尋問の結果を綜合すると、本件事故の起つた道路は、東大橋と向野本町を結ぶ幅員四・一メートルの道路から塩原方面へ向つて分れた幅員二・八メートル、直線、砂利敷きの市道であつたこと、本件事故発生時頃は、路面が乾燥し、凹凸があつたけれども、見通しよく、この道路を東方へ行けば西鉄電車大牟田線の踏切りがあるため、往来する自動車が多かつたこと、被告は、西から東へ向つて進行していたが、同方向へ進む自動車が前後に多く、渋滞して、小刻みに、進行しては停車する状態であつたこと、偶々、対向車が一台来たが、道路内で離合することができず、道路南側にある大橋不動産商事の車庫前空地に、車体の半分以上を入り込ませて、東へ向う自動車の通過を待つていたこと、原告は、佐々木岩雄とともに、この道路を東から西へ向つて歩いてきて、停車していた前記対向車の右後角あたりにいたこと、被告は、対向車の前方二・一メートルあたりに停車していたとき、原告の姿を認めたこと、そして、先行車がやや前進したので、被告もまた時速五キロメートル位で追尾して進んだこと、原告は、前記対向車と被告車との間の五、六〇センチメートル位の間隙を歩いてきて、被告車が発進したとき、右足の甲を右後輪で轢かれて、転倒したことを認めることができる。

証人佐々木岩雄の証言及び原告本人尋門の結果中には、原告が被告車に轢かれ、仰向けに倒れて、真青になつていたとか、意識がなくなつていたとかいう部分がある。これからすれば、原告が転倒したことによつて受けた打撲がかなり強大であつたかの如く見受けられるが、成立に争いのない乙第三号証の三及び同第七号証の三によれば、原告が本件事故直後浦門整形外科の医師浦門忍に対して、自動車に右足甲を轢かれた、転倒したと訴えたことが窺われるだけであるのに対して、成立に争いのない甲第一一号証の一四及び六〇によれば、原告が昭和五一年一〇月二一日溝口外科において、車に引掛り、引き曳られて、横のライトバンへ衝突して倒れたと述べた(もつとも、「被告書と本人自供とに相違がある」との記載もある。)ことが窺われるので、これらを通じて見ると、原告は、本件事故時の模様を供述するのに際し、時日の経過につれて、その表現が次第に強大になつて行くと認められる。このことに照して考えると、前記供述部分をそのまま採用することは困難であるといわなければならない。

のみならず、証人佐々木岩雄の証言によれば、同人は、原告の前を歩いていたとき、また、被告本人尋問の結果によれば、被告は、原告と擦れ違つた後で、いずれも原告の声を聞いて、本件事故の発生に気付いたことが認められるので、原告本人ひとりを措いて、他に本件事故を直接知る者はいないことになる。従つて、微速ながら、直進する自動車の右後車輪に歩行者の足の甲が轢かれたという本件事故の態様は、原告本人尋問の結果によるも、これ以上明確にすることはできない。

二  そこで、原告の受傷について検討する。

1  先ず、本件事故後の診断、治療の経過について調べてみる。

(一)  証人佐々木岩雄の証言及び原被告各本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故後、直ちに浦門整形外科に担ぎ込まれたことが認められる。

そして、前顕乙第三号証の三、同第七号証の三、成立に争いのない甲第三号証、同第一一号証の四三及び四六、乙第三号証の二、同第五号証、同第七号証の二、同第二一号証の一によれば、医師浦門忍は、原告から、自動車に右足甲部を轢かれて転倒したとの訴えを聞き、右足背部の腫脹及び疼痛あり、歩行困難なり、エツクス線上骨に異常所見なしとして、右足部圧挫傷全治約五日間と診断したこと、そして、原告は、昭和四九年一〇月四日、五日通院し、同月六日、七日入院したことが認められる(なお、前顕甲第一一号証の一四及び六〇によれば、医師溝口博の昭和五一年一〇月二一日付後遺障害意見書には、「浦門整形にて傷病名にはないが、肘、肩に皮下溢血があつたこと。(附添人がみたと言う)」との記載があることが認められるが、本件において、これを確認する証拠は他にない。)。

(二)  前顕第四号証、成立に争いのない甲第二号証、同第五及び第六号証、同第一一号証の一三、四二、四七及び四八、乙第八号証によれば、原告は、昭和四九年一〇月七日、上田外科病院において、医師上田力浅に、右足部疼痛圧痛、右肩右肘疼痛を訴え、右足轢傷、右肩部挫傷、右肘部挫傷と診断され、同日から同月二〇日まで入院、翌二一日から同月二三日まで通院、翌二四日から同年一一月二日まで再び入院、翌三日から同月六日まで通院したが、その経過中言語障害を訴え、右上肢不全麻痺があつたこと、同病院では、頭痛あり、曇天雨天時著明、右下肢腱反射著明亢進病的反射不明、右手右下肢知覚鈍麻が見られ、投薬、静脈注射、湿布の治療を受けたこと、結局、右上肢下肢筋萎縮あり、右手指自動運動不能、右肘関節屈曲運動可能なるも、僅かに腕の重力を支えるのみにて、物を持つことできず、用を廃す、右上肢の挙上運動全く不能、右膝関節屈曲不能、右下肢の運動殆ど不能で、用を廃し、介助を得て僅かに歩行し得るのみと診断されたことが認められる。

(三)  成立に争いのない甲第四号証、同第一一号証の二八及び四四、乙第二一号証の二によれば、原告は、昭和四九年一一月七日から翌五〇年二月二八日までの間、四七回、再び浦門整形外科に通院したこと、医師浦門忍は、右足、右肩のエツクス線写真を撮り、右足部圧挫傷、右肩胛部、上腕挫傷と診断し、ホツトパツクの治療をし、最終日には、右足背部の運動痛及び圧痛あり、また、右肩胛部から右上腕にわたる疼痛あり、症状遷延するも、加療により全治す、後遺症なしと診断したことが認められる。

(四)  前顕甲第一一号証の一四及び六〇によれば、原告は、昭和五一年九月七日、九州大学医学部付属病院脳神経外科の診断を受けたかの如く窺われるが、その結果は、本件においては明らかではない。

(五)  右書証によれば、医師溝口博は、昭和五一年一〇月二一日、原告を診察し、同日付で、自動車損害賠償責任保険後遺障害意見書を作成したが、これには、(1)自力歩行、起居ともに不能、常に介補を要する、応答は少しく不明瞭であるが、可能である、(2)右半身は上下肢ともに麻痺し、筋肉萎縮し、病的に腱反射亢進す、右下肢は膝蓋摘搦、強陽性で、バビンスキー陰性、(3)右上肢は肩胛関節、肘関節、手関節ともに麻痺、機能を全廃、(4)右下肢も股関節、膝関節、足関節ともに機能は麻痺性に全廃、(5)以上の症状は左脳半球の障害に基因すると診断したうえ、疑問を抱きながら、本件事故に基因するならばとの条件付で意見を述べたことが認められる。

(六)  成立に争いのない甲第一一号証の九及び五七によれば、自動車保険料率算定会は、昭和四九年一二月四日、福岡調査事務所に対して、前記症状の本体が何か、外傷との因果関係の有無等について、九州大学医学部付属病院脳神経外科の診断を仰ぐよう指示したことが認められる。

成立に争いのない甲第九号証、同第一一号証の一五及び五九によれば、同病院脳神経外科の医師米増祐吉は、同月二〇日から二三日までの間、二日間に亘つて、原告を診察した結果、頭部外傷後遺症、外傷性神経症、左大脳半球障害(脳血管障害疑)と診断したが、これは、原告から、言葉がはつきり言えない、右上下肢が思うように動かない、歩けない、衣類の着脱ができない、右半身の知覚が鈍い、排泄の処理ができないと訴えられ、既存障害の申告がないまま、失語症ではないが、構音障害がある、支えて立つことはでき、足を運ぶこともできるが、通常の片麻痺状態に比べると、極めて異様な動き方をする、右手で着衣を胸部に支えるような運動はできる、指の運動も認められる、右上下肢全体は軽度の筋萎縮があり、廃用性と思われる、顔面を含む右半身に知覚の鈍麻があるなどの他覚症状が認められるとともに、頸椎の後屈が軽度に障害されて、軽度の変形性脊椎症の変化があるが、脳波は正常であつて、CTスキヤンで、左側脳室の軽度の拡大があるほかには異常なく、エツクス線でも頭蓋に特別の異常を認めないという検査結果に基づいて、脳挫傷による不全麻痺の残存、外傷に伴う脳浮腫、血腫など直接脳の外傷によるもの及び高血圧性脳出血によることはすべて否定し、結局、中等度の動脈硬化が眼底にあるので、これが発症の誘因となることや比較的軽度の頭頸部外傷に伴つて起り得るということから、心因的因子が関係しているとはいいながらも、内頸動脈または中大脳動脈の栓塞(内塞)によるものと診断したことが認められる。

2  ところが、成立に争いのない甲第一一号証の六及び一六によれば、前記福岡調査事務所は、昭和五二年二月二四日に至つて、原告が本件事故以前から、脳血栓の既存障害を有していたことを知つたことが認められる。

(一)  成立に争いのない乙第二号証の一、同第六号証の一によれば、原告は、昭和四八年六月一〇日、右片麻痺発症のため、救急車で、福岡赤十字病院へ入院し、医師中野昌弘の診察の結果、完全に近い右片麻痺、右顔面部神経不全麻痺、構音障害、嚥下障害、右半身触覚痛感脱失、右上下肢粗大力零、梅毒血清反応陽性から、糖尿病(軽症)、潜伏梅毒、脳血栓と診断され、足踏み練習、歩行器による歩行練習、手足の屈伸練習などリハビリテーシヨンを開始したが、家族が公立学校共済組合九州中央病院への転院を希望したため、同月三〇日退院したことが認められる。

(二)  前顕甲第一一号証の一六、成立に争いのない乙第二号証の二乃至四、同第六号証の二乃至四によれば、原告は、昭和四八年七月三日、前記九州中央病院に入院したが、当初の問診に対して、四、五年前から両手の痺れ、舌の縺れがあつたと答えたこと、同月五日には、物に掴つて歩けるようになり、顔面や構音の障害が消失し、同月九日には、ひとりで便所へ行けるようになつたものの、右膝関節の屈曲はできず、同月一三日には、下肢矯正装具を整形外科に依頼し、同月一九日には、脳貧血で倒れたものの、その後、ひとりで杖なしで歩ける程度に軽快したが、右上肢殆ど動かず、右膝関節の屈曲は依然できなかつたこと、同月二一日からは外泊し、同月二三日、希望によつて退院したことが認められる。

(三)  前顕乙第三号証の二、同第七号証の二、成立に争いのない乙第三号証の一、同第七号証の一によれば、原告は、昭和四九年五月二二日から、浦門整形外科に通院し始め、当初は、頸椎症性神経根症(右肩右腕麻痺)、右上下肢運動麻痺(右足運動障害)、急性気管支炎(咳)と診断されたこと、その後、同年六月一六日口内炎、同年七月一二日急性一酸化炭素中毒、同年一〇月一日急性気管支炎に罹患し、更に、本件事故後も、同年一一月七日、糖尿病性神経症、昭和五〇年一月一七日、感冒に罹つたが、治療は、一貫して、ホツトパツク、索引、機能訓練を行つていて、昭和四九年九月始めも通院しており、同年一〇月については、一日から七日までの間五回通院していたことが認められる。

なお、前顕乙第三号証の一乃至三、同第七号証の一乃至三を仔細に検討すると、浦門整形外科は、原告の診療にあたつて、本件事故による右足部圧挫傷等の治療と本件事故受傷以外の脳血栓後遺症を中心とする治療とは峻別し、診療録も別個に作成していたことが認められる。

(四)  なお、成立に争いのない甲第一二号証によれば、原告は、昭和五〇年一二月一八日、福岡市立第一病院において、糖尿病に関する精密検査を受け、医師福元孝三郎は、葡萄糖負荷検査の結果、境界型に分類され、その中でも急峻高血糖と呼ばれる特殊型と診断したことが認められる。

3  原告が自動車損害賠償責任保険から、後遺障害補償として金一五七万円の支払いを受けたことは、当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第一一号証の七及び八によれば、右保険は、九州大学医学部付属病院の前記診断を基に、後遺障害を自動車損害賠償保障法施行令別表の七級三号(現在の四号)該当と認定したが、原告の既存障害が判明したので、結局、加重障害として取り扱い、既存障害を同表の九級一四号(現在の一〇号)該当と認定し、その差額を支払うことに決めたことが認められる。

4  証人佐々木岩雄の証言及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分、就中、福岡赤十字病院では脳血栓でないと言われたとか、九州中央病院では、もう大丈夫と言われて退院したとか、その後浦門整形外科へ通院したのは、念のため薬を貰うためであつたとか、あるいは、血圧を計るためであつたとかの部分は、前記認定に供した証拠と対比して、到底採用することができない。

また、証人佐々木岩雄及び同泉静子の各証言並びに原告本人尋問の結果中には、本件事故に遭遇する前の原告は、跛行することなく、体に不自由さがなく、孫と走つたり、まり投げをしたり、買物にも行き、炊事もし、御殿場の妹の所へ行つたなどという部分があつて、口を揃えたように、原告が健康であつたことを強調する。前顕甲第一四号証の一四及び六〇によれば、前記溝口博医師の意見書には、疑問点として列挙した中に「本人の自供によれば受傷前の健康については証人ありという。」との記載があることを認めることができる。しかし、前記認定のように、九州中央病院退院時にやや軽快していたとはいえ、浦門整形外科へ通院して機能回復訓練等の治療を受けていた事実と対比するとき、前記証拠をそのまま採用することはできない。

5  以上の認定事実を基礎にして考えると、原告の右上下肢麻痺を中心とする現症状は、明らかに脳血栓及びその後遺症であるといわなければならないであろう。そして、原告に脳血栓の既往症があり、本件事故以前にも、全く同様の症状を呈していたことから考えれば、本件事故時やや軽快していたとはいえ、現症状が右足甲の轢過という本件事故から直接生じたものということはできないと考えられる。しかし、この両者の関係を判断するのは、極めて困難ではあるが、前記認定の九州大学付属病院脳神経外科の診断のように、外傷による発症を全く否定しきれない以上、本件事故以前のやや軽快していた症状が元の状態へ増悪したこともまた、同様に考えるほかなく、本件事故との因果関係を全く否定するわけにはいかない。

もつとも、九州大学の診断には、前記認定のとおり、既存障害欄には、「申告なし」とされている。通常、医師が診察に先立つて、かなり詳細に受診者の既往病歴等について問診することは、公知の事実である。前顕乙第二号証の二、同第六号証の二によれば、九州中央病院では、原告の家族歴として、両親の死亡原因まで記載されていることが認められるので、この点の質問があつたことが窺われ、右のことが十分裏付けられるところである。従つて、右の場合も、九州大学の米増医師が通常尋ねるべきことを省いたことは、到底考えられず、当然、問診した筈であつたと思われる。もしそうであつたならば、「申告なし」というのは、原告として単に既往症を秘匿したというだけでなく、むしろ、積極的に虚偽の事実を告げた場合に等しいといわなければならず、自動車損害賠償責任保険における後遺障害認定のための診断を受ける者としては、極めて不誠実な態度であるとの非難を免かれない。前記診断によれば、右医師は、原告の現症状の究明に苦心し、あらゆる可能性を想定して、その挙句それらを否定的に解さざるを得なくなり、遂に外傷による脳血栓発症の可能性だけを否定し得なかつたことが十分窺われる。もし原告が正直に既往症を告げていたならば、果して同一診断が下されたかどうか甚だ疑問であるという被告の主張は、恐らく正当なものであるというべきかもしれない。しかし、原告が米増医師に対して既往症を申告しなかつたことをもつて、殊更、本件事故と結びついた診断を得んがためなしたとの認定がなされた場合は格別、本件においては、原告が同医師に対して本件事故の態様をどのように説明したかさえ明らかでない。恐らく、原告の供述の変遷が前示のとおりであることから推して、少くとも、溝口医師に説明したのと同じ程度のことを述べたであろうと思われる。米増医師の診断に、それがどの程度作用したかを窺う資料もない。そうであるならば、仮定の前提に立つた推測で、同医師の診断を排斥するのは、やはり躊躇せざるを得ない。他に右判断を動かすような証拠はない。

三  次に、被告の責任について検討する。

1  請求の原因2の事実は、当事者間に争いがない。従つて、被告は、運行供用者として、自動車損害賠償保障法第三条によつて、原告に生じた損害を賠償しなければならない。

2  ところで、抗弁1の事実は、当事者間に争いがない。

原告は、右示談について錯誤があつたので無効であると主張する。成立に争いのない甲第八号証、証人佐々木岩雄の証言並びに原告及び被告各本人尋問の結果によると、原被告は、本件事故の態様から考えて、爾後の治療が鍼、マツサージで済む程度と考えていたことから、被告が原告に対して鍼、マツサージの費用として金三〇万円、交通費として金一万円を支払い、原告は如何なる事情が起つても、裁判上裁判外において一切異議請求の申立てをしない旨約したことが窺われる。本件事故の態様だけから考えると、右示談は相当というべく、右示談金も、鍼等の名目に拘らず、一切の損害を含めたものと解される。そして、原告のその後の症状がかなり重篤なものであることは、前示のとおりであるけれども、右示談当時、即ち、上田外科病院において治療を受けていたときの症状は、本件事故前に福岡赤十字病院で九州中央病院で治療を受けていたときの症状と比較すれば、ほぼ同じようなものであつて、完治することが困難であり、しかも長期間に亘ることが予想されるものであつたと見ることができる。原告もまた当然これを知り、予測し得た筈であつたというべきであるから、現症状だけをもつて、右示談の錯誤を云々することはできないものというのが相当である。

3  しかし、原告が本件事故前から現症状と同様の身体的条件を有するとはいえ、本件事故と現症状との因果関係は極めて微妙なものであつて、これを否定し得ないことが確実に判明したのは、前記認定のとおり昭和五二年一月四日九州大学医学部付属病院における診断によつてであるから、右示談当時、これを正確に把握し難い状況にあつたといわねばならない。このような状況のもとで、原告が損害賠償請求権を放棄したとしても、その効力は、前記診断結果によつて始めて判明した損害には及ばないと解するのが相当である。

四  原告の損害について検討する。

1  治療費について

(一)  前顕甲第三、第四号証、同第一一号証の二八、成立に争いのない同第一〇号証、同第一一号証の二七によれば、原告が浦門整形外科で第一回目の治療を受けた費用が金二万六八〇〇円、第二回目のそれが金八万三六四〇円、合計金一一万〇四四〇円であつたことを認めることができる。

(二)  前顕甲第五、第六号証、同第一〇号証、同第一一号証の二七、同第一一号証の四七及び四八、成立に争いのない同第一一号証の三七によれば、原告が上田外科病院で治療を受けた費用が金二六万一一二〇円であつたことを認めることができる。

2  入院諸雑費について

原告は、前記認定のとおり二五日間(昭和四九年一〇月七日は、浦門整形外科を退院し、そのまま上田外科病院に入院)入院していたので、その間諸々の雑費を要したであろうことは、容易に推認することができる。その額は、一日金四〇〇円が相当であると考えるので、その合計は、金一万円となる。

3  付添費用について

(一)  原告が浦門整形外科及び上田外科病院に入院したことは前示のとおりである。前顕甲第一一号証の四二によれば、医師上田力浅は、原告が入院したうち昭和四九年一〇月七日から同月二〇日までと同月二四日から同月二六日までの一七日間に関して、付添の必要があつたと判断したことを認めることができる。そして、前顕甲第一一号証の四二、成立に争いのない同第一一号証の二及び三、同第一一号証の三〇及び三一、同第一一号証の五三、同第一一号証の五六を綜合すると、自動車損害賠償責任保険において、前記福岡調査事務所が主治医に照会した結果、原告の知人が付き添つたことを確認したうえ、被告が福岡市南区大橋団地二四―三五居住の山田アイ子に看護費用として支払つた金五万四〇〇〇円のうち金二万二五〇〇円をその費用として是認したことが認められる。右事実によれば、原告の入院中の付添費用は、医師が必要と認めた一七日間について、これを認めるべく、それ以上に必要性を認めるに足る証拠はない。その費用として一日につき金一五〇〇円が相当であると考えるので、その合計は、金二万五五〇〇円となる。

(二)  原告が浦門整形外科及び上田外科病院へ少くとも原告主張のとおり四九回通院したこと、原告の症状が通院のため介助を要するものであつたことは、前記認定のとおりであるから、その費用として金八〇〇円が相当であると考えられるので、その合計は、金三万九二〇〇円となる。

4  マツサージ代について

原告本人尋問の結果によれば、原告は、マツサージを受け、そのために少くとも金五万円を支弁したことが認められる。これにより遙かに多額を支弁したとする証人佐々木岩雄の証言は、採用することができない。そして、前顕第八号証によれば、原被告の示談の内容もまたこの費用が主たるものであることが窺われるうえ、前記症状や治療の経過に鑑みるとき、この費用は相当なものとして肯認することができる。

5  逸失利益について

(一)  甲第七号証の記載並びに証人佐々木岩雄、同泉静子の各証言及び原告本人尋問の結果中には、原告が本件事改以前ウエス加工に従事し、相応の収入を得ていた旨の部分がある。しかし、前記認定のような原告の本件事故以前の病状から考えて、果して、原告がそのような稼働をしていたかどうか、疑問が残る。前顕甲第一一号証の一四、同第一一号証の六〇によれば、原告が昭和五一年一〇月二一日前記溝口医師の診察を受けた際、本件事故以前の健康を強調するのに、パチンコ屋で働いたり、孫と遊んだりしたと述べたことが認められるし、また、成立に争いのない甲第一一号証の四九、五〇では、自動車損害賠償責任保険において、佐々木岩雄が原告の内縁の夫であるとの回答を得て、原告を主婦として取り扱い、逸失利益を算定したことが認められる。これらの事実と対比するとき、前記証拠のうち本訴において原告がウエス加工に従事していたとの部分は、採用することができない。他に原告が定職について収入を得ていたことを認めるに足る証拠はない。

(二)  しかしながら、前顕甲第一一号証の四九及び五〇に原告本人尋問の結果を綜合すると、原告は、大正九年八月二六日生、本件事故当時五四歳で、近くに成人した子女が住んでいるとはいえ、兄と同居したこともあつて、主婦の立場にあることが認められるので、逸失利益の算定については、これに従い、一か月につき原告の主張するのと同額程度の損害があつたものと認めるのが相当である。ところで原告の損害額算定にあたつて、原告の既往症がかなり重篤であり、本件事故時にもなお治療継続中であつた反面、本件事故そのものによる直接の受傷が右足部圧挫傷という比較的軽微というべきものであつたこと、従つて、原告の前記身体的条件がなければ、前記認定の現症状のような重大な結果を招来するには至らなかつたものと推測し得るので、前記症状の発現には、前記のような既往症あるいは身体的条件の寄与を無視することはできない。このように、事故以前から病状があり、その治療を受けている者が、交通事故によつて、通常生ずべき損害よりも、更に重大な損害を受けた場合には、増大した損害については、その身体的条件等の影響を斟酌し、これが寄与する限度または程度に応じて、損害額を算定するのが相当である。本件において、前記治療費、付添費用、マツサージ代については、一応、本件事故によるものと認められるが、逸失利益の算定にあたつては、必ずしもすべてが本件事故によると認められない。そうすると、自動車損害賠償責任保険と同様に、一か月金六万五〇〇〇円(一か年金七八万円)の五六パーセント(前記七級該当の労働能力喪失率)の一三年分(ライプニツツ方式による係数九・三九三五七二九九)から、同様に三五パーセント(前記九級該当の労働能力喪失率)の一三年分(前同様)を控除した残金一五三万八六六七円が原告の逸失利益と見るのが相当である。

6  慰藉料について

原告が現在もなお受けている精神的肉体的苦痛は図り知れない。このことは、既に認定判断してきたところから明らかである。そこで、慰藉料額につき考えるに、原告が本件事故によつて直接受けた傷害の部位程度、これによつて生じた症状の部位程度、既往症あるいは継続していた身体的条件とこれが右症状に及ぼした影響の程度、その他本件に現れた一切の事情を斟酌すると、金一二〇万円が相当である。

7  損害の填補について

原告が自動車損害賠償責任保険及び被告から合計金二六〇万二八九〇円を受領したことは、当事者間に争いがない。そこで、これを前記1乃至6の合計金三二三万四九二七円から控除すると、残金六三万二〇三七円となる。被告主張のその余の支出(見舞等)については、当事者間に争いがないが、これを損害の填補と見るのは相当でない。

8  弁護士費用について

原告が弁護士山田敦生に委任して、本件訴訟を追行していることは明らかである。そこで、本件訴訟の難易、認容額等諸般の事情を勘案して、原告の負担する費用のうち、本件事故による損害としてのそれは、金六万円が相当である。

五  してみれば、被告は、原告に対して、金六九万二〇三七円とこれに対する不法行為の後である昭和四九年一〇月五日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は、この限度で理由があるから認容し、その余は、棄却を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行及びその免脱の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富田郁郎)

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