福岡地方裁判所 昭和55年(ワ)3048号 判決
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【判旨】
四そこで、昭和二二年一一月一九日の取得時効の主張について判断する。
1 <証拠>によると次の各事実を認めることができる。
(一) 原告は、昭和七年一一月一〇日以降本件(一)土地上の医院で周三郎らと同居して診療にあたつてきたが、昭和一六年七月三〇日ころ軍隊に招集され、その後満州に赴き、昭和一九年一〇月一五日ころには原告の家族も呼び寄せられて満州へ赴いた。
(二) 原告が満州に赴いた後である昭和一七年五月二八日に憲治が、同年七月三日周三郎がそれぞれ死亡し、同年八月三日、被告が周三郎を家督相続した旨戸籍役場に届け出られたが、その後も右医院にはヨ子、カヨ及び原告の妻子(原告の妻子が満州へ赴いた後は、ヨ子及びカヨ)が本件医院に居住し、周三郎の遺産の管理にあたつてきた。
(三) 原告は、昭和二二年一一月一九日に福岡に引き揚げてきたので、カヨはただちに原告に対し、本件医院を明け渡し、同日以後原告が本件医院でヨ子と同居しながら診療にあたつて本件(一)の土地を占有するとともに、本件(二)、(三)の土地の小作料を収受し、本件各土地の固定資産税等を周三郎の納税管理人として納税するなどして本件各土地の管理にあたり、本件各土地を占有した(昭和二二年一一月一九日に原告が本件各土地を占有していたことは当事者間に争いがない。)。
(四) 原告は、昭和三一年の九月一五日ころ、妻を伴つて対島へ移り、昭和三四年四月まで同所で医院を営み、その後、昭和三五年八月ころまで大島に居住した後、再び本件医院で医院を営むに至つた。
(五) 原告は、右の対馬及び大島に居住していた間、本件医院の留守番を妻の両親である長井岩吉、ミヨシ夫妻に依頼し、右長井岩吉・ミヨシ夫婦が原告の三男有吉徳雄及び四男同曠とともに本件医院に居住し、本件(二)、(三)の土地の小作料等を受け取つていた。また、その間原告は、本件各土地等の固定資産税等も継続して納入していたほか、盆、彼岸等には本件医院に帰り、法事等を営むこともあつた。
<反証排斥略>
以上の事実によると原告は、昭和二二年一一月一九日及び昭和三二年一一月一九日のいずれにおいても本件各土地を占有しており、(四)認定のとおり、その間の昭和三一年九月一五日ころ、本件(一)の土地を離れて対島に移り住んでいるが(五)認定の事実に照らすとこれにより本件各土地に対する占有を失つたと認めることはできない。
2 次に、被告は、昭和二二年一一月一九日以後原告が本件各土地を占有していたのは、被告が原告に対し本件各土地を無償で貸し渡したものであつて、原告の右占有は他主占有である旨主張するが、被告と原告の間で、被告が原告に対し本件各土地を無償で貸し渡す旨の契約が締結されたことを認めるに足りる証拠はない。また、原、被告各本人尋問の結果によると、原告は、昭和二二、三年ころなど二回にわたり周三郎の遺産である不動産の一部を売却したことがあるが、その際には被告から委任状の交付を受け、被告の代理人として売却の手続を取つたことが認められるが、これは、単に売主に対する登記手続を簡略化するための便法にすぎないと見る余地もあり、右事実から直ちに原告が本件各土地が被告の所有であることを知つており、ひいては原告の本件各土地についての占有が他主占有であると認めることはできない。かえつて、原告本人尋問の結果によれば、昭和二二年一一月一九日当時、原告は、昭和七年一一月一〇日に周三郎、憲治その他の親族の協議により原告を周三郎の跡継ぎとすることが了解されたことをもつて、周三郎がその場において本件各土地を原告に贈与したものと信じていた事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。他に原告の右本件各土地の占有が他主占有であると認めるに足りる事実の主張立証はない。
3 そこで、原告が本件各土地が自己の所有でこれを占有することができる権原ありと信じたことについて過失がなかつたか否かを判断するに、先に認定した二の2及び四の1の(三)の各事実と証人伊東セイ及び同赤間富寿の各証言によつて認められる原告の姉妹も原告が周三郎の財産を「相続」した旨考えている事実を総合勘案すれば、周三郎が原告に本件各土地を承継させる方法として、如何なる法律的手段を用いるつもりであつたかはともかくも、少なくとも周三郎において自己の死後、本件各土地を原告に承継させる意思があつたことが推認され、右認定を覆すに足りる証拠は存しない。そうだとすれば、周三郎の死後である昭和二二年一一月一九日当時、昭和七年一一月一〇日以来原告が信じていた贈与の事実を改めて検討することもなく信じ続けていたとしても、そう信じることにつき過失がなかつたと認めるのが相当である (水上勉)