福岡地方裁判所 昭和55年(ワ)646号 判決 1981年11月20日
原告
堀大和
原告
堀フジエ
右原告ら訴訟代理人
吉田卓
被告
福岡県
右代表者知事
亀井光
右訴訟代理人
森竹彦
外三名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
一請求原因1(敏和の死亡)の事実は、当事者間に争いがない。
二請求原因2(敏和の死亡に至る経緯)の事実について判断する。
請求原因2(一)のうち、敏和がホテルロイヤルに休憩した時刻を除くその余の事実、同(二)のうち、敏和が警察官らに抵抗して暴力を振つたかどうかの点を除くその余の事実、同(三)のうち、原告ら主張の警察官らが、敏和の外傷について治療を施さなかつたこと、同(四)のうち、原告ら主張のとおりの経緯で、堀勝彦が敏和との面会を要求し、当直主任がこれを拒絶したこと、原告堀大和が出頭したこと、精神病院に架電し、田中病院が承諾したこと、同(五)のうち、当直主任が、一二日午前零時ころ敏和の保護を解除し、同人を毛布にくるんで原告らに引渡したこと、同(六)のうち、敏和が吐物の気道内吸引により窒息死したことは、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に加えて、<証拠>を総合すれば、次の各事実が認められる。
1 敏和は、一一日、福岡県直方市須崎町所在ホテルロイヤル桜の間において単身休憩していたところ、間もなく、覚せい剤中毒のため精神錯乱状態に陥り、全裸のまま支離滅裂なことを叫び、室内の備品類を転倒散乱させる等して暴れ、廊下を徘徊し始めた。そこで、右ホテル経営者宮崎は、同日午後九時二〇分ころ、右状況を直方署宛一一〇番通報し、これを受けた直方署の当直主任は、即刻同署刑事当直警察官筬島、中島、真木の三名を右ホテルに派遣した。
2 前記通報後、敏和は、別室松の間に無断侵入し、前記同様暴れていたが、前記筬島らが同室に臨場した際、暗室内に全裸で突つ立つたり、動き回つたりしながら、「天皇陛下を呼んでこい。皇后陛下が来る。」等支離滅裂なことを叫び、その両膝、大腿部等に数か所の擦過傷等を負つていた。そこで、右筬島らは、敏和が精神錯乱者であり、自己または他人の生命、身体または財産に危害を及ぼすおそれがあり、応急の救護を要すると判断したが、右三名では敏和を保護することが困難なため、右中島が電話で直方署に応援の警察官の派遣を要請した。右中島が架電のため現場を離れた後、敏和は、右筬島らに殴りかかろうとしたので、同人らは、敏和の両腕を取り抑えようとしたところ、敏和は、さらに激しく抵抗したため、右筬島が敏和を羽交締めにして畳の上に押し倒し、右真木と二人で敏和をその場に抑え付け、さらに電話口から戻つた右中島と三人掛りで敏和を抑向けに抑えつけていたが、敏和が全裸のうえ発汗しているため、その身体がすべり、その身柄を確保していることは容易でなかつた。
3 間もなく、直方署当直員から連絡を受けた駅前派出所の制服警察官飯田、鈴木二名がパトカーで現場に応援に駈け付け、前記筬島の命により右飯田が敏和に両手錠を施し、さらに寝室のシーツを同人の胸から膝下まで巻き付け、同人を搬出しようとしたが、その抵抗が激しく、さらに右鈴木の電話連絡により応援に駈け付けた制服警察官二名の加勢を得て、敏和を松の間から廊下まで搬出したが、その際、敏和が暴れてシーツが解け、同人は絨毯敷の廊下に足から落下したので、右筬島と真木を除いた五名の警察官らは、敏和の身体にシーツを巻き直し、その足首を布団カバーで縛り、玄関口に向けて運搬したが、玄関土間の手前の廊下で、再度敏和が暴れ落ちたため、シーツ等を巻き直し、パトカーに搬入しようとしたが、さらに玄関外で地面に暴れ落ちたので、シーツを巻き直し、麻ひもで敏和の足を縛り、パトカー内に運び込み、車内で暴れる敏和を直方署まで搬送した。また、右筬島と中島は、敏和を廊下に搬出した後、桜の間から、現金入りの給料袋を、松の間から、敏和の衣類を発見し、これを直方署に持ち帰つた。
4 敏和は、一一日午後一〇時一〇分ころ、パトカーで直方署署庭に搬入されたが、その際も暴れていたため、当直員が前記飯田らに加勢し、敏和を担架に乗せて、同署二階の留置場入口まで運搬し、同所から、一階の留置場に併設されているビニール製畳敷の保護室まで四人掛りで抱えて運搬し、敏和の身体からシーツを取り去り、全裸にして手錠を施したまま保護室に収容した。その際、敏和の全身にわたり、相当数の擦過傷、打撲傷等の外傷が認められたが、いずれも極めて軽度であつたため、治療は施されなかつた。
5 敏和を保護室に収容した直後、直方署当直員は、前記給料袋から判明した敏和の勤務先である丸亀タクシー株式会社に架電し、敏和の家族への連絡方を依頼した。他方、敏和は、保護室収容後、留置場係警察官松田淳から対面監視されていたが、大声を発し、寝たまま転げ回り、足をばたつかせ、壁や鉄格子を蹴る等して暴れていたため、間もなく、自傷事故を防止するため鉄格子の前に毛布が丸めて置かれ、一一日午後一一時すぎには一応静かになつた。
6 一一日一〇時四〇分ころ、前記丸亀タクシー株式会社々長堀勝彦は、直方署に出頭し、敏和の引取りを申し出たが、当直主任から、敏和が暴れているので観察期間を置くとの理由で右申出を拒絶されたため、さらに敏和との面会を求めたところ、当直主任は、前記敏和の保護の経過から、同人が覚せい剤中毒で、保護室から出すと暴れるおそれがあるため面会室まで連行するのが困難であるし、保護室における面会も、他の留置人の人権保護上好ましくないと判断し、右面会の要求を拒否し、右勝彦に対し、善後策として敏和を精神病院に入院させることを勧めた。そこで、右勝彦は、敏和の両親である原告らの判断を抑ぐため、原告堀大和に架電したところ、原告らは、一一日午後一一時ころ、直方署に出頭し、敏和との面会を要求したが、当直主任から、右同様の理由で拒否され、さらに、前記敏和の保護の経過説明を受け、同人を精神病院に入院させることを勧められたので、これを了解し、当直主任に対し、敏和の入院先のあつせんを求めた。その頃、敏和は、吐物を気道内に吸引し、窒息状態に陥つたが、その苦悶状態と覚せい剤による精神錯乱状態との識別が困難であるため、前記松田は、敏和の窒息状態に気付かず、間もなく、敏和が呼吸困難によつて危篤状態に陥つて静かになつたにもかかわらず、覚せい剤中毒が治まつて眠つているものと誤信し、当直主任に対し、敏和がおとなしくなつた旨報告した。そこで、当直主任は、右松田に対し、敏和の保護を解除する旨連絡するとともに、一一日午後一一時三〇分ころから、直方市内及び近郊所在の精神病院四か所に架電し、敏和の入院方を打診したが、その承諾を得られず、結局、福岡県田川郡方城町弁城三五五二番地所在田中病院が、おとなしくなつた覚せい剤患者であるということで、その受け入れを了解した。他方、保護解除の連絡を受けた右松田らは、一一日午後一一時四五分ころ、敏和の身体をタオルで拭き、ズボンをはかせ、手錠をはずし、同人を毛布に乗せて両端を持つて、同人を原告らの所まで運搬し、一二日午前零時ころ、敏和の保護を解除し、同人を原告らに引渡した。その際、原告らは、敏和の異常に気付いたが、右経過に照らし、その症状が覚せい剤に起因すると考え、右田中病院に敏和を搬送することにした。
7 原告らは、前記勝彦の運転する車の後部座席に敏和を乗せ、一二日午前零時三〇分ころ、前記田中病院に敏和を搬入し、夜間当直医李俊鎬の診察を受けたところ、敏和が危篤状態であることが判明し、吸引により食物残滓が排出されたが、敏和の症状の原因は不明であり、注射、点滴等の治療を施すも病状は好転せず、同日午前二時ころからは、同病院夜間当直医石松某に治療引継がなされたが、敏和は意識を回復しないまま死亡し、死後解剖の結果、死因は吐物の気道内吸引による窒息死であることが判明した。
三以上の各事実が認められるところ、右認定に至る経緯につき、さらに敷延する。
1 敏和の負傷の程度につき、<証拠>によれば、敏和の負傷自体は軽度であつたことは明白であり、前掲李証言中には、敏和が内臓破裂を心配される程重患であつた旨の部分が存するのであるが、同証言によつても、右重患の原因は不明であり、内臓破裂もなく、敏和の負傷が重度であることを断言していないことが認められるのであるから、いまだ右認定を覆すに足りず、前掲堀勝彦、堀大和の各供述中の右負傷が重度であつた旨の部分は、同人らが医療につき素人であり、かつ敏和の身内であることに照らし、直ちに措信し難い。
2 敏和が吐物を気道内吸引した時期につき、<証拠>によれば、一般的に、吐物の気道内吸引から窒息死まで通常一時間程度であることが認められるところ、敏和が保護解除された一二日午前零時から約六時間四〇分後に前記田中病院において死亡したことは、当事者間に争いがないので、以上の事実を前提とすれば、敏和が吐物を気道内吸引したのは、早くとも右田中病院搬送後であるとの観を呈するのであるが、<証拠>によれば、敏和は、保護解除の際、身体を拭かれ、ズボンをはかされても覚せいしなかつたことが認められ、<証拠>によれば、敏和は、保護解除当時から意識不明かつ呼吸困難であつたことが認められ、<証拠>によれば、敏和は、一二日午前零時三〇分、右田中病院に搬送されたことが認められ、<証拠>によれば敏和は、右田中病院搬入当初から、既に呼吸困難で危篤状態にあり、食物残滓が吸引により排出されたことが認められ、以上の事実を経験則に照らして考察すれば、敏和は、一一日午後一一時三〇分ころ、保護室内で吐物を気道内吸引して呼吸困難に陥り、外観上眠つたような状態となり、保護解除のため身体を拭かれたりしても意識を回復せず、一二日午前零時保護解除され、同日午前零時三〇分右田中病院に搬入され、直ちに右吐物の吸引排除措置が施されたため、同日午前六時四〇分まで延命したと認めるのが相当であり、右認定に反する<証拠>は信用できない。
3 敏和の死因につき、<証拠>中には、ショック死である旨の記載が存するが、<証拠>によれば、右ショック死なる診断名は、原因不明の急死という趣旨で付したにすぎないことが明白であり、かえつて<証拠>によれば、敏和の直接死因は、吐物の気道内吸引による窒息死であることが認められる。
また、右吐物の気道内吸引の原因については、前記外傷であるか覚せい剤であるかを認めるに足りる証拠はない。
判旨 四請求原因3(被告の責任原因)について
1 請求原因3の(一)記載の注意義務の趣旨は、抽象的で必ずしも明瞭ではないが、その趣旨が、警察官は、被保護者を保護する際、その自傷事故を制止する義務があるというのであれば、直方署警察官らが、右義務を怠つたことを認めるに足りる証拠はなく、また、右趣旨が、警察官は、被保護者に対して有形力を行使しない義務があるというのであれば、精神錯乱者を保護するため必要かつ相当な範囲で有形力の行使も許されると解するのが相当であるから、右義務も右範囲を逸脱して有形力を行使しないという限度で首肯できるところ、直方署警察官らが右範囲を逸脱して有形力を行使したことを認めるに足りる証拠はなく、他に、敏和を保護する際、直方署警察官らに過失があつたことを認めるに足りる証拠もない。
2 請求原因3の(二)について判断するに、先ず、警察官は、精神錯乱者を保護した場合、その外傷等については、その程度に応じた適切な治療を施せば足り、それが極めて軽度であれば何ら治療を施さなかつたとしても違法とはいえないと解するのが相当であり、前記二の4認定事実によれば、敏和の外傷は、その数こそ多いが、いずれも軽度であつたことが明白であり、その治療を施さなかつたことをもつて違法ということはできない。
次に、本件全証拠によるも、直方署留置場係警察官が、敏和の監視を怠つたことを認めるに足りず、かえつて、前記二の5認定事実によれば、留置場係警察官が、敏和を対面監視し、その自傷事故を防止する方策を講じていたことが明白である。
さらに、前記二の6、7認定事実によれば、原告らは、敏和の保護解除時の症状が覚せい剤中毒に起因すると考えていたこと、敏和の診察を担当した医師でさえ、敏和の危篤状態の原因を把握できなかつたことが明白であり、これに前記二認定の一連の経緯を併せ考えれば、直方署警察官らが、敏和が吐物の気道内吸引で危篤状態に陥つていたことに気付かなかつたとしても、無理からぬところというべく、これを過失ということはできない。
3 請求原因3の(三)について判断するに、警察官は、精神錯乱者を保護中、親族等の引取要求があつた場合、諸般の事情を考慮し、相当と認めれば、身柄拘束時から二四時間以内(警察官職務執行法第三条第三項)の限度で、右引取要求を拒絶できると解するのが相当であり、前記二認定の一連の経緯に照らせば、直方署警察官らの敏和に対する保護解除に至る手続に何ら過失はないというべきである。
五結論
よつて、原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(篠原曜彦 吉村俊一 遠藤和正)