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福岡地方裁判所 昭和55年(行ウ)12号 判決 1983年11月25日

原告

田中モト

辻ミツ子

右二名訴訟代理人弁護士

安部千春

前野宗俊

三浦久

吉野高幸

高木健康

中尾晴一

田邊匡彦

住田定夫

配川寿好

被告

北九州市

右代表者市長

谷伍平

右指定代理人

藤吉隆

坂野博

渡辺昭

右訴訟代理人弁護士

苑田美穀

山口定男

立川康彦

大久保重信

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告らがいずれも被告の職員たる地位を有することを確認する。

2  被告は、原告らに対し昭和四七年一月一一日以降毎月二〇日限り各六万円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告田中モトは、昭和三〇年六月一日旧小倉市立菊陵中学校に、原告辻ミツ子は、昭和三二年四月一日同市立富野中学校にそれぞれPTAによって学校図書館事務員として雇用され、以来図書館事務に従事してきた。

2  昭和三八年二月旧小倉市ほか四市が合併し、北九州市が発足したのに伴い、原告らは同年一〇月一日被告によって形式上嘱託として任用され、学校図書館事務員を委嘱されたが、以来一〇回にわたって一年以内の期間を限って嘱託が更新、継続される形式の下にそれぞれ従来の学校での学校図書館事務に従事してきた。

3  ところが、被告は、昭和四六年一二月二八日原告らに対し嘱託期間の満了という理由で、昭和四七年一月一〇日限り原告らを免職(更新拒絶)する旨の意思表示をなした(以下「本件免職処分」という。)。

4  しかしながら、右意思表示は次の理由により無効である。

(一) 原告らは、前叙のとおり、形式上嘱託の身分を有するとはいえ、実質的には、地方公務員法上の一般職の職員(当然任用期間は無期限である)であるから、同法第二八条、第二九条に該当する事由のない限りその意に反して免職されることはないところ、原告らに右事由の存しないことは明白であるから、本件免職処分は違法であり無効である。

しかして、原告らが期限の定めのない一般職の職員であると主張する理由は次のとおりである。

(1) 原告らを含め当時PTA雇用であった学校図書館事務員が被告の職員として任用されるにあたっては、昭和三八年七月一七日被告と北九州市職員労働組合(以下「市職労」という。)との間で、全員を一般職として任用する旨の合意(昭和三八年七月一七日付確認書)がなされたのであるが、その際特に原告らについては比較的高齢であったところから、他の職場との均衡上、形式的には嘱託の名の下に任用されるが、右七月一七日付合意の趣旨に従い、その実質は一般職として任用されるのであるから、勤務条件は一般職として任用される他の学校図書館事務員とすべて同一とする、従って退職金を除き給与も同一であり嘱託期間も一般職員の例による旨の合意(昭和三八年一〇月四日付確認書)がなされた。

そして、原告らの選考方法は、地方公務員法一五条の「任用の根本基準」に反することはなく、また北九州市の「職員採用試験規則」にも反しておらず、その採用にあたっては、右規則四条の口述試験と身体検査が行われている。

また原告らの採用にあたっては、期限の定めのない辞令書が交付された。しかして昭和三九年四月一日以降の辞令が期限を付しているのは形式にすぎず、このことは辞令書の交付が一年も遅れることがあったことからも明らかである。

(2) 学校図書館事務員は、高度の専門的知識と経験の蓄積が要請される職務であり、地方公務員法三条三項三号の臨時または非常勤で務まる仕事ではなく、また同法二二条二項の「緊急の場合、臨時の職に関する」仕事でもなく、市の「職員の臨時的任用に関する規則二条」の規定する臨時的任用が許される場合にもあたらないのであって、専門的・恒常的な職務である。

(3) 勤務の実態についていえば、給与は一般職として任用された図書館事務員と全く同一に取扱われ、通勤手当、超過勤務手当、期末手当、勤勉手当の支給を受け、勤務時間についても他の教師、事務員と同一であり、毎日出勤し、出勤簿も用意され、日曜・祝日の休日及び年休も認められ、その次年度繰越も認められていた。

(4) 右(1)ないし(3)から明らかなとおり、原告らの任用の経緯、職務の性質及び勤務の実態等に鑑みれば、原告らの身分は、非常勤嘱託という形式をとっていても、その実質は一般職の常勤職員にほかならず、原告らは常勤一般職職員として期限の定めなく任用されたものである。

(二) 仮に原告らが一般職の職員でないとしても、原告らは前記昭和三八年一〇月四日付合意に基づき期限の定めなく任用されたものであり、かつ前叙の如き職務内容、勤務の実態を有することを考慮すれば、一般職とまったく同様に身分を保証されるべきであって、その分限、懲戒等については、地方公務員法二八条、二九条が類推適用され、右各条所定の事由のない限り免職(更新拒絶)できないと解すべきである。

(三) また、右各法条が類推適用されなくとも、前記のような採用の経過、その後の労働条件さらにその職務の内容からして、原告らを免職(更新拒絶)するには合理的理由の存することが必要であるが、本件免職処分には何ら合理的理由がなく、権利の濫用である。

5  原告らは、本件免職処分以前三箇月、被告から毎月二〇日限りそれぞれ六万円の給与の支給を受けていた。

6  右のとおり、本件免職処分は無効であり、原告らは依然として北九州市の職員たる地位を有するから、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項の事実は知らない。

2  同第2項の事実中、被告が、原告ら主張の日に原告らを嘱託として任用したうえ学校図書館事務を委嘱し、以降その主張どおり嘱託の更新を繰り返してきたことは認める。

3  同第3項の事実は争う。

原告らは期限付で任用されたのであり、任用更新拒絶がなければ当然に従前の任用が更新されるという約款ないし条件は付されていなかったから、最終期限である昭和四七年一月一〇日の経過をもって期限の到来により当然に被告の非常勤嘱託としての地位を失ったのであって、被告からの更新拒絶によってその地位を失ったのではない。

4  同第4項(一)の事実は争う。

原告らは、地方公務員法三条三項三号にいう特別職たる非常勤の嘱託員であり、一般職の職員ではない。

(一) 同項(一)(1)の事実中、原告らが、その主張のような選考方法によって任用されたことは否認する。

また原告らの採用にあたっては、昭和三八年一〇月一日付の、期限の記載のない辞令書が交付されたことは認めるが、原告らに対する各辞令書の交付が一年も遅れたことがあったとの事実は否認する。

当時「嘱託」職員は、各年度ごとの一年以内の期間を限って任用され、一般職の職員に係る給料表の適用がなく、嘱託報酬が支給されるものであるとする理解は、一般常識的なものとして周知のことであった。したがって、昭和三九年四月一日付の嘱託任用辞令書には任用期限が明示されるとともに、その後の任用についてはすべて当該各任用の辞令書に任用期限が明示されているが、このことについて原告らも市職労も何らの異議を述べず、当然のこととして当該辞令書を原告らは受領しているのである。

仮に、昭和三八年一〇月一日付の嘱託任用辞令書に任用期限の記載のないことが、原告らに対する嘱託としての期限付任用の手続に瑕疵があったとしても、昭和三九年四月一日付で任用期限を昭和四〇年三月三一日までとする新たな嘱託任用辞令書が交付されており、しかもこれに対して原告らが遅滞なく異議を述べなかったことによって、その瑕疵は治癒されているものというべきである。

(二) 同項(一)(2)の事実については、公務員の従事すべき職種と当該公務員の身分の関係を固定的、一義的に解釈しなければならないいわれは全くなく、例えば、常勤職員であって臨時的な職務のために任用されるものがあって当然であるのと同様、非常勤職員であって恒常的、専門的な職務のために任用されるものがあって然るべきであることは多言を要しないところであり、職務の性質が恒常的か専門的であることを原告らが一般職であることの一証左と主張することは適確を欠くものであるし、学校図書館法附則二項によれば、学校には当分の間司書教諭を置かないことができるとされているのであって、現行法上あるいは制度上常に学校図書館事務が地方公務員法三条三項三号にいうところの「臨時又は非常勤」では努まらない職務とは到底考えられない。

(三) 同項(一)(3)の事実について、非常勤嘱託員に対しては、費用弁償を別にすれば、報酬のみが支給され、その額は条例で定める額を限度として市長が定めることとされている。原告らは、特別職の職員であるから、同人らに対しては一般職の職員に係る給料表の適用はなく、したがって、昇給はあり得ない。ただ、常勤の一般職の職員の給与改定が行われた場合等に、これに準じて報酬額の改定がなされただけである。また、原告らには、賞与、通勤手当、暫定手当、退職手当等は支給されておらず、一般職の職員との均衡を考慮し、報酬額を改定する際、通勤手当及び暫定手当相当額を斟酌して決定し、期末手当に相当する報酬を支給したことがあったというだけのことである。

また、特別職の非常勤嘱託員としての勤務時間、休日等については、任用の都度任命権者が定めるものである。したがって、原告らの勤務時間、休日等がたまたま他の一般職の職員と同様であったとしても、それは決して特別職の非常勤嘱託員としての勤務時間、休日等の枠外にあるべき程度のものではなく、人事行政上なるべく一般職の職員と同一に取り扱い、現場における差別感を少なくするよう配慮した結果に過ぎない。原告らが特別職として任用されたことと同人らが他の一般職々員と同様に扱われたことは必ずしも矛盾するものではなく、原告らの勤務の形態及び勤務条件の実態が一般職の職員と変わりないからといって原告らが主張するように同人らが一般職々員として任用されたものと断ずることはできない。

年次休暇については、たとえ外形上原告らが一般職の職員と同様に休暇ないし欠勤をし、それにもかかわらず報酬額の減額がなされなかった事実があったとしても、右は、本来欠勤の有無とは無関係に決定支給されるべき非常勤嘱託員の報酬の性格からして当然の事柄であり、原告ら主張のように、一般職と同様に年次休暇がたてまえとして保証されていたことの証左となるものではない。

5  同第4項(二)の事実は争う。

昭和三八年一〇月四日付確認書については、その文面上明らかなとおり、原告らは確認書締結の当事者としての地位を有さず、原告らと北九州市教育委員会との間の確認書と称することはできない。また、原告らは、右確認書の作成には全く関与せず、訴訟を提起した後、審理の段階でその存在、内容を知ったものである。さらに右確認書は労働協約ではない。

ある法令を類推適用することが許されるためには、類推適用されるべきある事柄につき法令の規定の存在しないことが前提であるところ、地方公務員法四条二項は、「この法律の規定は、法律に特別の定がある場合を除く外、特別職に属する地方公務員には適用しない」と明文の規定を置いているので、法律に特別の定めのない原告ら特別職には、地方公務員法の規定を類推適用する余地は全くないものであり、原告ら主張のように同法二八条、二九条を類推適用する余地は、そもそもあり得ないのである。

6  同第4項(三)の事実は争う。

期限付任用に係る公務員についてその期限の経過をもって任用が終了するのは当然であるのみならず、原告らが昭和四七年一月一一日以降も嘱託として任用される旨期待する客観的状況にもなかったものであることは明白であり、権利の濫用を論ずる余地は全くない。

仮に被告が任用しないことが権利の濫用にあたり許されない場合であるとしても、このことから当然に原告らに対する任用行為があったものということはできないから、原告らの主張は、いずれにしても失当である。

7  同第5項の事実中、原告らは、嘱託期間満了前三箇月、北九州市教育委員会から毎月二〇日限りそれぞれ六万円の報酬を支給されていたことは認める。

三  被告の主張

1  被告は、昭和三八年一〇月一日、原告らを地方公務員法上の特別職である非常勤嘱託員として任用したうえ、学校図書館事務を委嘱し、その後昭和四七年一月一〇日に至るまで一〇回にわたりそれぞれ一年以内の任期を限って嘱託の更新を反覆してきたものであるが、原告らは、同人らに対する最終の嘱託発令である昭和四六年八月一日付の期限付任用に付された昭和四七年一月一〇日までの期限の到来により、同日の経過とともに被告の職員たる地位を当然に失ったものである。

およそ公務員の任用は、厳格な要式行為であるから、その任用が特別職であるか一般職であるか、期限付であるか否かは辞令書の記載によって決定されるべきものであり、この点からしても原告らが期限付の非常勤嘱託員として任用されたことは明白であるが、右任用の経緯を少し敷衍すれば、次のとおりである。

原告らの任命権者たる北九州市教育委員会は、PTAの負担軽減のため、従来PTAによって雇用されていた学校図書館事務員を市の一般職の職員として定数化(一般職化)する方針を樹て、昭和三八年七月一七日原告らが所属する市職労との間でその細目につき、(1)定数化の対象者は、昭和三八年二月四日現在、市立小中学校における学校図書事務に従事するためPTAに雇用され、同事務に従事する者のうち、選考試験に合格した者とする。(2)定数化の時期は、昭和三八年一〇月一日とする。なお、採用に当たっては面接並びに健康診断を実施する。(3)定数化対象者の決定並びに第一項の選考試験に合格しなかった者の取り扱いについては別途協議するなどの点で合意に達した。

ところで、職員を採用する場合の競争試験又は選考の実施権限は人事委員会にあるが、原告らは、当時、人事委員会の定めた選考試験の受験資格年限を超えていたため、選考試験を受けることができず、一般職の職員としての任用の余地が全くなく、定数化の対象者から除外された。したがって、原告らを引き続き被告の職員として任用する義務が被告にないのはもちろん、その必要性もなかったのであるが、市職労と特別に協議した結果、昭和三八年一〇月四日市職労との間で原告らの取扱いにつき、別途原告らを「嘱託」として任用することで合意に達した。原告らが人事委員会の定めた職員の選考試験の受験資格要件を欠くことについては、同人らも市職労もいかんともしがたく、原告らについて特別職としての「嘱託」任用を了承しているのである。

そこで、原告らの任命権者たる北九州市教育委員会は、昭和三八年一〇月一日付をもって、PTAに雇用されていた者で受験資格があり市職員の選考試験に合格したものについては一般職の職員である事務職員としての任用発令をし、原告らについては一年以内の期限を特別職である非常勤嘱託員としての嘱託発令をしたものである。

のみならず、昭和四六年八月一日付の嘱託期限を昭和四七年一月一〇日までに限った最後の辞令を発するに当たっては、北九州市教育委員会と原告らの代理人である市職労書記長門司洋一らとの間において、原告らが特別職たる嘱託員であることを前提として、報酬月額六万円、任用期限は昭和四七年一月一〇日まで、その後の任用は行わないという明確な合意が成立し、原告らもこれを了承したうえ、北九州市教育委員会の委託を受けた。

したがって、右任用期限の経過とともに原告らが被告の特別職の嘱託員たる身分を失うのは当然である。

2  被告が、原告らをいずれも、昭和四六年八月一日付をもって、学校図書館事務を昭和四七年一月一〇日まで委嘱する旨の嘱託発令をし、以後、任用の更新をしなかったことについては次のとおり正当な理由がある。

(一) 学校に置かれる事務職員は、本来、県費負担教職員(市町村立学校職員給与負担法一条及び二条に規定する職員をいう。以下同じ。)であり、給料その他の給与を都道府県と国とが負担すべきものである(同法一条及び義務教育費国庫負担法二条)。

(二) ところが、北九州市が設置される合併前の小倉市、戸畑市、八幡市、門司市及び若松市(以下総称して「旧五市」という。)においては、県費負担教職員である事務職員(以下「県費負担事務職員」という。)の不足を補うため、市費負担の事務職員を学校に配置し、あるいはその給与費をPTAが負担するいわゆるPTA雇用事務職員を学校に置くなどしていた。そして、この形態が、旧五市の合併によって設置された北九州市にそのまま引き継がれた。このため、北九州市における学校事務職員の配置は、県費負担事務職員と市費負担の事務職員とが入りまじり、その数も各区間、学校間に多くの不均衡がみられた。なお、市費負担の事務職員を配置しているのは、全国的に見ても少なく、北九州市が最高である。

(三) 北九州市教育委員会は、右の状況を是正するため、学校事務職員の適正配置を検討し、昭和四四年から福岡県において、公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律に基づく県費負担事務職員の複数配置が昭和四八年を目標に進行することとなったことに伴い、同県教育委員会に県費負担事務職員の増員を要望して折衝を重ね、現に補充的に配置されている市費負担の事務職員を、臨時的任用職員及び非常勤嘱託員から漸次県費負担事務職員に切り替えていく方針を決定した。

(四) 右に加えて、北九州市では、旧五市の合併によって引き継いだ職員の新陳代謝を促進し、職員構成の適正化を図るうえから、満五五歳に達する日から満五八歳に達する日までの間の退職を高齢退職として退職手当上優遇措置を講ずるとともに、満五八歳を超えてなお在職する職員を対象として、毎年強力な退職勧奨を実施していた。

(五) このようなことから、北九州市教育委員会は、原告らについて、満五八歳を超える者の嘱託任用を行わないこととし、昭和四六年三月二六日、原告ら及び原告らの所属する市職労の役員に対し、その旨を通知したのである。すなわち、同日、北九州市教育委員会事務局総務部総務課長津本拓男及び同学務部職員課教職員係長三宅清種が、原告ら及び市職労中村匡貴及び同本部中央委員久保山敦に対し、原告らに対する非常勤嘱託員としての任用は、とりあえず同年四日一日から同年七月三一日までの一学期間についていずれも任用更新を行うものとするがその後は、満五八歳を超える者の嘱託任用を行わない旨を通知した。これに対し、同役員らはその問題についての話合いの継続を要求した。そして、原告ら及び原告らを代理する市職労役員は、同年六月二二日から嘱託任用期限ぎりぎりの同年七月三一日までの間、計五回にわたって当局とねばり強く折衝しているのである。

(六) そして、昭和四六年七月一九日の北九州市教育委員会事務局総務部長小田太一、前記津本総務課長、同三宅教職員係長らと市職労本部執行委員(教育担当)金子弘光及び前記中村との話合いの結果、その時点で満五八歳に達していない原告辻ミツ子については、同人が満五八歳に達する昭和四七年一月一〇日まで現行報酬六万円のまま嘱託任用する、またすでに満五八歳を超えている原告田中モトについては現行報酬六万円を三万円として同年三月二〇日まで嘱託任用し、その後の嘱託任用は行わないということで合意に達したが、昭和四六年七月三一日に至ってこの合意をくつがえし、原告らを代理する市職労役員門司洋一、同榊原健二、同中村匡貴からさきに合意した内容について、期間については、原告辻ミツ子が満五八歳に達する昭和四七年一月一〇日に報酬額は現行どおりの六万円への増額を再考してもらいたい旨の申出があり、北九州市教育委員会としては、一旦合意に達した内容ではあったが、市職労及び原告らの要望を入れて、同人らについて、いずれも報酬額について現行のままの金六万円、期限を昭和四七年一月一〇日までとする相手方申出に合意し、その後の嘱託任用を行わないことを回答したうえ、昭和四六年八月一日、原告らに対し、「学校の図書事務を昭和四七年一月一〇日まで委嘱する。報酬月額六万円を給する」委託を行った。そして、その後嘱託任用の更新に関する話は、同人らからも市職労からも全くなく、折衝も行われていない。

(七) かくて、昭和四七年一月一〇日をもって原告らの右嘱託期間は満了したのであるが、原告らは、それぞれ事務引継をなし、また、それぞれ失業保険金受領の手続をなしたうえ、保険金を受領し続けてきたものである。

右のごとく原告らは、右の嘱託任用がその任用に付された期限の到来によって当然にその任用が終了するものであることを知っていたことは、右の経過からみて明らかである。

(八) このように原告らを非常勤嘱託員として昭和三八年一〇月一日から昭和四七年一月一〇日までの間各年度ごとに一年以内の任期を限って任用し、学校の図書事務を委嘱して来たのは、あくまで暫定的、経過的な措置である。

(九) 右嘱託期限到来後、原告らと被告との間の身分関係は消滅したのであるが、昭和四七年二月二二日、市職労役員金子弘光から原告らの就職世話の相談が北九州市教育委員会になされ、同年三月三日、原告らが来庁、再就職について相談があり、北九州市教育委員会は、前記三宅教職員係長がこれに応接し、その再就職に努力することを約し、その方法として原告らの教員免許を活用して報酬等では従来とあまり変わらない産休代替の補助教員として市立小・中学校に配置すること等についての勤務条件の説明を行った。

同月一一日、市職労役員門司洋一、同金子弘光が北九州市教育委員会に来庁し、原告らの再就職について再度話合いをなし、前記三宅教職員係長が前述の産休代替の補助教員のほか、市立図書館等への臨時職員等の勤務条件についても説明をした。

同月一四日には原告ら本人が再び来庁し、北九州市教育委員会は右の条件を細部にわたり説明し、話合いを進めた。

しかるに、同月二九日、北九州市教育委員会から産休代替の補助教員か、市立図書館等の臨時職員か、本人の希望を早く決定してもらうべく、前記金子弘光に返事の督促をなしたところ、早急に返事するとのことであったが、翌三〇日右金子弘光から原告らが嫌といっているとの返事があり、その後、話合いが途切れたままとなったものである。

四  被告の主張に対する原告らの反論

被告の主張はすべて争う。

被告は、原告らが当時人事委員会の定めた受験資格年限をはるかに超えていたから一般職としての採用の余地はなかったというが、この当時、受験資格年限が規則等に定められていたわけではない。権限は人事委員会にあるから採用試験を受けさせようと思えばいつでも可能であったものである。

第三証拠(略)

理由

一  被告が、昭和三八年一〇月一日、原告らを少くとも形式上は嘱託として任用し、学校図書館事務を委嘱し、以来それぞれ一〇回にわたり一年以内の期間を限り嘱託を更新する形式で任用を継続してきたことは当事者間に争いがない。

また、(証拠略)によれば、被告の原告らに対する最終の嘱託発令は、昭和四六年八月一日であり、辞令上の任期は昭和四七年一月一〇日までとなっていることが認められる。

二  次に、前記被告の原告らに対する昭和三八年一〇月一日付委嘱が、期限の定めのない地方公務員法上の一般職の職員としての任用であるか同法上の特別職たる非常勤嘱託員としての任用であるかについて判断する。

1  (証拠略)を総合すれば、原告田中は、昭和三六年六月一日旧小倉市立菊陵中学校において、原告辻は、昭和三二年四月一日同市立富野中学校においてそれぞれPTA雇用の事務員として図書館事務等に従事してきたこと、旧五市の職員労働組合は、昭和二八年ころから、恒常的職務に携わっていながら臨時的任用職員及び非常勤嘱託である者の身分を安定させ、労働条件を向上させることを目的として、これらの者を一般職として任用する(「定数化」)ことを市当局に対して要求してきた(いわゆる定数化闘争)こと、昭和三四年当時、小倉市の臨時職員である調理員について定数化闘争が進められ、右調理員の中には、年齢五〇歳以上の者が約一五名含まれていたが、同年四月一日、全員が市の一般職員として任用(定数化)されたこと、小倉市職労は、原告らを含む学校図書館事務員の定数化について、同市教育委員会と交渉したところ、前記調理員と同等の取り扱いをすることで大筋の合意を見ていたが、その段階では原告らの年齢の問題は出なかったこと、旧五市合併後、市職労は、旧五市の職員労働組合の方針を引き継いで定数化闘争を進めてきたこと、一方、昭和三八年二月一一日に旧五市が合併した後、被告は、従来PTAによって雇用されていた学校図書館事務員について、変則的雇用関係を解消しPTAの負担を軽減するため、これを市の一般職の職員として任用(定数化)する方針を樹て、同年七月一七日原告ら所属の市職労との間で、その細目につき、(1)定数化の対象者は、昭和三八年二月四日現在市立中学校における学校図書館事務に従事するためPTAに雇用され、市立小中学校の学校図書館事務に従事する者のうち、選考試験に合格した者とする。(2)定数化の時期は、昭和三八年一〇月一日とする。なお、採用に当っては、面接及び健康診断を実施する。(3)定数化対象者の決定ならびに選考試験に合格しなかった者の取扱いについては、別途協議する、など六項目の合意に達し、右合意内容を文書化した確認書が、被告教育委員会と市職労との間で取り交されたこと、原告らは、被告人事委員会の定めた選考試験の受験資格年限(四〇歳)を超えていたため(当時、原告田中は五一歳、原告辻は四九歳であった。)、定数化対象者から除外されたこと、そこで、被告は、前記合意(3)に基づいて市職労と特別に協議した結果、昭和三八年一〇月四日市職労との間で、原告らの取扱いにつき、原告らに学校図書館事務を嘱託し、給与は退職金を除き、昭和三八年一〇月一日付で被告の教育委員会に採用される他の事務職員の給与と同条件とし、嘱託期間については一般職員の例による旨の合意に達しこの合意は確認書と題して書面化されたこと、原告らも市職労の役員から、嘱託の身分で採用され、他の定数化対象者と身分を異にすることについて説明を受けた上でこれを了承したので、同年一〇月一日付で、原告らに対し、学校図書館事務を委嘱する旨発令され、その趣旨の記載のある辞令書が後日交付されたこと、以上の各事実が認められる。

右認定の原告らの採用の経過・形態、予定された退職一時金の支給がないとの待遇、辞令の内容等からすれば、原告らは、特別職たる非常勤嘱託員(地方公務員法三条三項三号)として任用されたものというべきである。

すなわち、まず、一般職職員の任用については、地方公務員法一五条ないし二一条が定めるとおり、任命資格、任命方法について厳格な要件の下に行われることになっているが、その趣旨は、任用基準を明確にして猟官運動を排し、厳正な能率主義を貫く建前に基づくものであり、右要件を欠く一般職の職員の任用行為はありえないところであるから、原告らが、前記認定のとおり人事委員会の定めた受験資格年限を超えていたのである以上、一般職の職員として任用される余地は全くなかったものというべきである。

また、一般職の地方公務員その他常勤の職員は地方自治法二〇五条により退職年金又は退職一時金の支給を受けることができるところ、原告らについては前認定のとおり退職金の支給をしないことが被告の教育委員会と市職労の間で合意され、原告らもこれを了承した上で任用されているのであるから、この点からも原告らが常勤の職員として任用されたものではないと言わざるを得ない。

更に、原告らは、前認定のとおり辞令の形式上においても嘱託として任用されているが、なるほど地方公務員については、国家公務員の任用の場合に人事異動通知書を交付する旨の規則(人事院規則八―一二第七五条)が存するのとは異なり、辞令等の文書の交付を求めた法規は見当らないが、さればといって地方公務員の場合も前記のような任用基準の厳格性を考慮に入れると、任用について辞令が交付されたときは、特段の事由ある場合を除き辞令の記載のとおりの任用がなされたものと解すべく、原告らについても、特段の事由は認められないから少なくとも一般職としての任用とは解し難く、嘱託としての任用であると解さざるを得ない。

2  右に反し、原告らは、原告らが形式上は、非常勤の嘱託であってもその任用の経緯、採用選考の方法、当初の辞令に期限が付されていなかったこと及びその後の辞令の交付時期並びに原告らの待遇・勤務の実態及び職務の性質を根拠に実質上は一般職であるとするから、その根拠としてあげるところを、以下逐次検討する。

(一)  原告らの任用の経過は、前認定のとおりであり、これが原告らが一般職として任用されたとの根拠とはなり得ないことは前説示のとおりである。

(二)  原告らの採用選考の方法についてみるに、(証拠略)によれば、原告らは、採用されるに先立ち、昭和三八年七月終りか八月初めころ、定数化の対象者と共に、小倉区内の図書館で面接を、戸畑区保健所において身体検査をそれぞれ受けたことが認められ、右「面接」は、定数化の対象者にとっては選考の一方法である口頭試問に該当するものと解される。しかし、原告らが、右定数化対象者らと共に、同様の形式による面接及び身体検査を受けたからといって、直ちに原告らについて一般職の選考が行われたものと解することはできず、むしろ、前認定の定数化の経緯とそこにおける原告らの身分の取扱いの推移等からすれば、原告らについて右のような面接及び身体検査が実施されたのは、身分(一般職か非常勤嘱託か)以外は、できるだけ定数化対象者と同一に取り扱おうとする方針が、被告にあったためと解するのが相当である。

(三)  原告らに交付された辞令についてみるに、原告らの採用にあたり昭和三八年一〇月一日付で交付された辞令に期限の記載がなかったことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、原告らに対する嘱託の辞令の交付は、当該辞令に記載された発令日より数箇月遅れたこともあったことが認められる。

しかし、(証拠略)によれば、その後原告ら各自に対し、昭和三九年四月一日付で昭和四〇年三月三一日まで、同年四月一日付で昭和四一年三月三一日まで、同年四月一日付で昭和四二年三月三一日まで、同年四月一日付で昭和四三年三月三一日まで、同年四月一日付で同年九月三〇日まで、同年一〇月一日付で昭和四四年三月三一日まで、同年四月一日付で昭和四五年三月三一日まで、同年四月一日付で昭和四六年三月三一日までそれぞれ学校図書館事務を委嘱する旨の各辞令、原告田中モトに対しては昭和四一年四月一日付で嘱託の月手当を三万六六〇〇円に改正する旨、同年一〇月一日付で報酬月額四万一二〇〇円を給する旨、昭和四二年一月一日付で月手当四万三四〇〇円を給する旨の各辞令、原告辻ミツ子に対しては、昭和三九年一〇月一日付で月手当二万五一〇〇円を給する旨、昭和四〇年一〇月一日付で昇給通知書と題し、嘱託として三万四三〇〇円を給する旨、昭和四一年五月一八日付で通知書と題し昭和四〇年九月一日から報酬月額三万二一〇〇円を給する旨、昭和四一年一〇月一日付で報酬月額四万一二〇〇円を給する旨、昭和四二年一月一日付で月手当四万三九〇〇円を給する旨、昭和四三年一月一日付で通知書と題し同日から報酬月額四万八六〇〇円を給する旨、昭和四四年四月四日付で通知書と題し昭和四三年七月一日から報酬月額を五万八七〇〇円に改定する旨、昭和四五年三月二三日付で通知書と題し昭和四四年六月一日から報酬月額を五万九一〇〇円に改定する旨の各辞令がそれぞれ発令され、原告らはこれらを異議なく受領してきたことが認められる。

そして、一般職への任用とされるためには前記説示のような制約が存することに鑑みると、当初の辞令に期限が付されていなかったことや、辞令交付が遅延したことが、その辞令中の文言(「嘱託」、「委嘱する」、「報酬」等)にもかかわらず、原告らの身分が当初から一般職であるもの又は当初嘱託として任用されたが一般職に転化したものとまで解する根拠にはならないものというべきである。

(四)  原告らの職務の性質及び待遇・勤務の実態についてみる。

(1) (証拠略)を総合すれば、原告らは、いずれも学校図書館事務の嘱託としていわゆる図書館司書ないしは学校司書の職務に従事してきたものであって、その職務内容は、図書の整理(収集、注文、受け入れ、分類、目録の作成、装備、配架)、レファレンス、利用指導その他多岐に亘り、かつ専門的知識及び経験を要するものであって、他の職員がこれを兼務するものとするとその需要に応じることが容易ではなく、学校図書館に期待される本来の機能が充分に発揮されない虞れの存することが窺われ、恒常的に勤務することが、当該学校図書館にとり望ましい事務であることが認められる。

ところが、現行学校図書館法上、学校図書館において前記のような専門的職務を掌ることが予定されている司書教諭については、同法五条一項は、学校には右職務を掌らせる為司書教諭を置かなければならない旨規定しながら、同法附則は、学校には当分の間司書教諭を置かないことができる旨規定しているのであって、少なくとも現行法は、学校図書館についての専門的職務を掌る学校司書ないしは司書教諭の恒常的な設置を必ずしも予定していないものと解される。

(2) (証拠略)を総合すれば、原告らの勤務時間は一般職と同様八時間勤務であり、毎日勤務し、給与(報酬)は、当初から昭和四二年末まではその増額の方法も含めて一般職化された者の最高齢者と同様に取扱われ、交通費、暫定手当、超過勤務手当、勤勉手当、夏期・冬期の賞与、いわゆるベースアップに伴う差額、年度末手当等にそれぞれ相当する金員が支給されたほか、出勤簿があり、朝礼・職員会議等の学校行事へも参加して一般職と同様に校務を分掌し、いわゆる年休の繰越に相当するものも認められていたが、退職金の支給はないことになっており、昭和四三年三月三一日に被告が昭和三八年一〇月四日付合意を破棄して後は、暫定手当にあたるものは廃止され、昇給率(報酬の増化率)が一般化されたものの最高齢者に比して低下し、したがって少なくとも昭和四三年三月三一日までは、原告らの勤務条件は、退職金の定めを除き、一般職の職員とほぼ同様に取り扱われ、その勤務の実態は常勤の職業的公務員であったものと認められる。

非常勤嘱託員の給与については報酬以外は原則として支給できないことになっている(地方自治法二〇四条の二)。しかし、原告らに支給された前記諸手当に相当する金員は、報酬以外のものとして支給されたのではなく、報酬としてその枠内で前認定の被告の教育委員会と市職労の間の昭和三八年一〇月四日の合意にのっとり支給されたものであり、他の勤務条件についても、同時に採用された一般職の職員との均衡を考慮したものと解することもできる。

(3) ところで、地方公務員法三条三項三号に規定されるいわゆる非専務職は、恒久的でない職又は常時勤務することを要しない職である点で一般職に属する職と異なるものであるが、具体的な場合に同号の職に該当するか否かは、職務の内容、勤務の実態を考慮して決すべきである。しかし、逆に、現にある職員が従事している職務の性質が恒常的なものであるとか、勤務実態が一般職の職員と同様であることから直ちにその者が常勤の一般職の職員であると断定することはできない。そして、本件においては、右(1)及び(2)の事情に照らせば、原告らの職務の性質と勤務実態は、同号の非専務職と相容れないものではないから、原告らの職務の性質、その待遇・勤務の実態を原告らが一般職の職員とする根拠とはなり得ない。むしろ、前説示のとおり、原告らの待遇中原告らが退職金を支給されないとされたことは、原告らが常勤の一般職の職員であることとは相容れないものと言わざるを得ない。

(五)  前記(一)ないし(四)のとおり、原告らの採用経過、方法、辞令の記載や交付時期、勤務の実態・待遇及び職務の性質は、それのみでは原告らが一般職として任用されたとの根拠として十分でないばかりか、これらを総合考慮してもなお前1の原告らが地方公務員法上の一般職として被告に任用されたものではなく、同法三条三項三号の非常勤嘱託員として任用されたものとの認定を左右するに足りない。

3  結局、原告らは、地方公務員法三条三項三号の非常勤の嘱託員として任用され、その後一年毎に嘱託期間が更新されることにより、その勤務の実質が常勤的なものになったに過ぎないものと解すべきである。

三  次に、原告らは、仮に原告らが一般職でなく非常勤嘱託であるとしても、その嘱託期間については期限の定めのないものであると主張するのでこの点について検討する。

1  市職労と被告の教育委員会との間の昭和三八年一〇月四日付合意中、原告らの嘱託期間につき一般職員の例による旨の条項のあることは前記認定のとおりであるが、右合意の法的拘束力の有無につき検討する。

市職労が地方公務員法五二条に規定された「職員団体」に該当することは、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる(証拠略)及び弁論の全趣旨により認められるところであり、職員団体は、当局との交渉により団体協約を締結する権利を含まないとされている(地方公務員法五五条二項)。すなわち職員団体と当局との交渉は、民間の労働組合と使用者との間で行われる契約ではなく、協議及び意見交換であるというべきであり、そこにおける合意に法的拘束力を認めることはできない。そして、職員団体は、法令・条例・地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に牴触しない限りにおいて当該地方公共団体の当局と書面による協定を結ぶことができる(同条九項)。右書面協定の効力は、同条二項の趣旨に照らせば、原則として当事者の道義的責任を生じさせるにとどまるものであり、当局は、書面協定の内容を実現すべく努力すべきことになるのである。

本件についてみるに(証拠略)によると前記昭和三八年一〇月四日付合意の当時、原告らは市職労の構成員だったものであり、原告らが被告に任用された後の勤務条件は、市職労と被告との交渉事項に含まれていたといえるが、右昭和三八年一〇月四日付合意は、地方公務員法五五条九項にいうところの書面協定と解されるから、嘱託期間についての前記条項も、被告が市職労に対し、これを誠実に履行すべき道義的責任を生じさせるものであるにとどまるのみならず、右条項自体、一般職の職員が通常被告から退職を求められ、かつ退職することの多い年齢、すなわちいわゆる勧奨退職年齢に達するまで嘱託としての任用を更新する趣旨と解することができないわけではないから、いずれにしろ右合意から、原告らが期限の定めなく任用されたものと認めるのは相当ではない。

2  原告らに対しては、昭和三八年一〇月一日付で期限の定めのない嘱託員の辞令が交付されたことは当事者間に争いがなく、前記二2(三)で認定したように、原告らに対しては、被告の教育委員会から昭和三九年四月一日より昭和四六年三月三一日まで各一年あるいは六箇月ごとの期限を付した辞令が交付されており、原告らはこれらの辞令を異議なく受領してきたものであるが、右期限の記載のない辞令と原告らの嘱託期間の関係を検討する。

前記認定のように、原告らは地方公務員法三条三項三号所定の特別職たる非常勤嘱託として任用されたものである。ところで、地方公務員には、任期の定めのないものと存続期間が限定され又は、任期の定めのあるものとがあり、一般職の職員は同法二二条所定の臨時的任用の場合を除き前者にあたり、特別職の職員は後者にあたる。そして一般職の職員の任用の要件については、同法一五条ないし二一条に厳格な定めがなされていることは、前記説示のとおりであり、非常勤嘱託でありながらなお任期の定めのないものとするなど一般職の職員と同様の取扱をすることは、右任用の基準を定めた法規定を潜脱し、同法の趣旨を没却することになり、許されないところというべきである。

したがって、昭和三八年一〇月一日付の原告らに対する辞令中に期限の定めの記載がないとしても、当初から存続期間に限定のあることは嘱託として任用する旨の記載(辞令では「委嘱する」となっている)のうちに暗黙の前提として含まれていたものというべく、その後昭和三九年四月一日に新たな辞令が発せられていることに鑑みると、前記昭和三八年一月一日からの嘱託期間は六か月であったと認めるのが相当である。

そして、特別職に属する職員には法律に特別の定めのある場合の外、地方公務員法の規定が適用されないことは同法が明定するところであるが(同法四条二項)、右のように原告らは期限を定めて嘱託として任用されたものであるから、原告らに対し同法二八条、二九条が類推適用されるべきものとする原告らの主張は、その前提を欠き失当といわざるを得ない。

3  (証拠略)によれば、次の各事実が認められる。

(一)  原告らは、昭和四六年三月二六日、原告らの同月三一日までの嘱託につき、市職労小倉支部長中村匡貴、同本部中央委員久保山敦らとともに、被告の教育委員会総務部総務課長津本拓男、同学務部教職員係長三宅清種らと交渉し、報酬の一般職並化と原告らの雇用継続を要求したが、三宅らは、一般職並の報酬引き上げは考えられず、一般職の職員のうち五八歳以上の者は退職勧奨の対象であることとの均衡からも、原告らが、五八歳に達した後の雇用は基本的にはしないが、一応同年四月時点では雇用しその雇用期間内で折衝を続ける旨回答し、被告は同年四月一日、原告らを同年七月三一日までの嘱託として採用し、原告らはその旨の辞令を異議なく受領した。

(二)  昭和四六年六月二二日及び同年七月一二日、中村、久保山及び市職労本部執行委員金子光弘らと、三宅との交渉がなされ、市職労側は、従来どおり原告らの雇用継続を要求したのに対し、被告当局側は、一般職の職員の五八歳以上の者につき退職勧奨をしていることの均衡上、原告辻については五八歳の誕生日まで継続雇用するが、原告田中についてはすでに五八歳を超えているので嘱託期間満了の同年七月三一日以降は雇用しない旨又同人を継続雇用するとしても、現行報酬ではできない旨回答した。

(三)  同年七月一六日、原告らと三宅の交渉においても、三宅は期限なしの継続雇用は考えられないが、報酬を下げたうえ同年一二月末までの雇用との案を出した。

(四)  同月一九日、金子、中村と三宅、津本及び被告教育委員会総務部長小田太一らとの交渉において、原告辻については、従来どおりの報酬六万円で同年八月一日から同人が五八歳に達する昭和四七年一月一〇日まで雇用し、それ以降の措置はその時点で考え、原告田中については報酬月額三万円で雇用期間は昭和四六年八月一日から昭和四七年三月二〇日までとし、それ以降は雇用しないとの合意に達した。

(五)  ところが、昭和四六年七月三一日、中村、市職労本部書記長門田洋一及び同本部書記次長榊原健二ら市職労幹部は、前記合意には原告らが納得しないとして、原告らについて同年八月一日からの報酬を共に六万円とし、期間については共に原告辻が五八歳に達する昭和四七年一月一〇日までとせよとの要求を出し、被告の教育委員会事務局の小田、三宅らはこれを信義に反するとしながらも、内部協議の結果、原告らのためにもなるとしてこれを了承し、以後の雇用はしない旨の合意を市職労側となした。

以上の経過について、原告田中本人尋問の結果中には昭和四七年一月一〇日以降雇用しない旨の合意はなされていない旨の部分が、また、原告辻本人尋問の結果中には、原告らの当時の家庭状況等から昭和四七年一月一〇日をもって嘱託期間を満了させ以後雇用しない旨の合意はありえない旨の部分がある。さらに(証拠略)には、昭和四七年一月一〇日は、一応の期限として合意したものでその後の雇用を継続しないという趣旨ではなく、それ以降の継続の有無については市職労と被告との間で意見の一致をみなかったので、同日までの間に両者が話し合う旨の確認がなされていたとの部分がある。

しかし、(証拠略)によって認められる前記交渉の経過及びその後の市職労、原告らと被告との交渉経緯すなわち当時被告は五八歳に達する職員を対象に退職勧奨を実施していたこと、原告らの嘱託期間更新については昭和四六年三月三一日まで何ら問題なくなされてきたのに原告らの退職勧奨年齢である五八歳の前後に問題とされたこと、門司らは三宅に対し、昭和四七年一月初め、原告らの同月一〇日以降の取扱につき話し合いを申し入れたところ、三宅は、現在のままの身分では雇用継続は難しく、これに代る別の形態の身分とすることを考えている旨回答し、同年二月ころ原告ら及び市職労は原告らの再就職の要求をし、被告当局からいくつかの提案が出されたが、結局双方の主張する条件が折り合わず物分かれに終わったことなどの事情を総合すると、前記昭和四七年一月一〇日までとする嘱託期間の合意は、単なる勤務条件恒定期間ではなく、その後の措置につき双方で何ら取極めのない以上、同日をもって嘱託期間を終了させる旨の合意であると認めるのが相当である。

4  右の認定事実によると、原告らの嘱託員としての嘱託期間は、昭和四七年一月一〇日の経過により終了し、これによって、原告らは被告の教育委員会の嘱託員としての地位を失ったと言うべきである。

四  原告らは、被告が原告らの任用期間を更新しないことは権利の濫用であるから原告らは被告の職員たる地位を有する旨主張する(請求原因4(三))が、右はそれ自体失当な主張である。

けだし、原告らは、前記のように嘱託期間の満了によって当然に被告の嘱託員たる地位を失ったものであり、仮に、更新しないことが権利の濫用として許されないとしても、改めて任用の更新という被告の行為がなければ、原告らの嘱託たる地位は生じないものというべきだからである。

五  以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁件長裁判官 麻上正信 裁判官 水上敏 裁判官 河野泰義)

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