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福岡地方裁判所 昭和57年(ワ)235号 判決 1984年2月24日

原告 猪口蔦栄

<ほか四名>

右五名訴訟代理人弁護士 山田敦生

被告 博多運輸株式会社

右代表者代表取締役 川中春子

右訴訟代理人弁護士 真鍋秀海

主文

被告は、原告猪口蔦栄に対し金三八五万円、及び内金三五〇万円に対する昭和五五年六月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員、原告猪口はつ子、同桜井京子、同大庭美津子、同猪口嘉幸に対し、各金二九四万七、〇二六円、及び内金二七四万七、〇二六円に対する右同日以降完済に至るまで右同割合による金員をそれぞれ支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

原告ら訴訟代理人は、「被告は、原告猪口蔦栄に対し金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和五五年六月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員、原告猪口はつ子、同桜井京子、同大庭美津子、同猪口嘉幸に対し、各金七〇五万円及び各内金六四一万円に対する右同日以降完済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行宣言を求め、

被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

一  請求原因(原告ら)

1  原告猪口蔦栄(以下単に蔦栄という。)は亡猪口三氏の妻、その余の原告らは両者間の子であり、原告ら五名が三氏の相続人であるところ、三氏は、昭和五五年六月六日午後一時二〇分頃、被告の従業員として、福岡市中央区須崎八号岸壁で船倉からの鋼材荷揚げ作業に従事中、鋼材と船壁に挾まれて、頭蓋骨々折等の傷害をうけ、翌七日午前五時脳挫傷により死亡した。

2  三氏は、生前、被告の鮮魚部で、鮮魚及び飲料等の荷揚げ作業を担当し、事故当日、臨時に鋼材の荷揚げ作業に従事していたが、事故の際、偶々、他の作業員が、クレーンで約九〇糎吊り上げられた鋼材の上に、「引き金具」が乗っているといったため、それを取るべく鋼材の上に上半身を乗りだそうとしたとき、デッキマンの訴外吉崎峯雄が、船のローリングの隙を窺うことのみに気をとられ、三氏の動きに留意せず、クレーン運転士にクレーンの急発進(ゴー・ヘイ)を指示したため、三氏が危険を感じ身を引こうとしたが及ばず、頭部を船壁と鋼材との間に挾まれ、前記傷害をうけたものである。

3  船の荷揚げ作業のデッキマンは、作業を総合的に把握し、その安全確保を業務にしているところ、本件の場合、デッキマンの吉崎峯雄は、事故当時、岸壁に平行に積まれていた船倉の鋼材のうち、手前岸壁側の高さ約一五〇糎の鋼材の山、三ブロックに密接して、その向う側、反対側船壁との間にある高さ約六〇糎、長さ七メートルの鋼材四束中、手前の二束にワイヤーをかけさせ、クレーン運転士に指示して、まず、右ワイヤー張らせ、次いで約二〇糎吊り上げさせた。

そして、右鋼材二束、重さ約五トンの吊り上げのため、自然の波に加え、右五トンの荷重がなくなったことによるバランスの乱れにより、船が横ぶれ(ローリング)するが、デッキマンは、そのままローリングの合い間をみて、徐々に約九〇糎まで吊り上げを指示し、一時停止後、更にローリングの隙をみて、手前の鋼材と反対側の船壁にぶっつけないように、クレーン運転士に急発進(ゴー・ヘイ)の合図をするのである。

従って、このような場合、デッキマンの吉崎峯雄としては、船のローリングのみに気をとられることなく、三氏が船壁側の鋼材の上にいて、船壁の中ハッチの蔭に身をかがめ、僅かに避難していたのであるから、同人の動きにも十分気を配り、同人が鋼材と船壁との間に挾って負傷したりすることのないようにすべき業務上の注意義務があった。

しかるに、吉崎峯雄は、右注意義務を怠り、前記のとおり漫然とローリングの合い間だけを窺ってクレーン運転士に急発進(ゴー・ヘイ)の合図をしたため、その直後三氏が身を乗り出しているのを認め、クレーン運転士に急停止を命じたものの既に及ばず、本件事故を発生せしめ、三氏を負傷、死亡するに至らしめたものである。

しかして、本件事故は、被告の被傭者である吉崎峯雄の右業務執行中の過失により発生したものであるから、被告は、同人の使用者として、民法七一五条により右事故による損害を賠償すべき責任がある。

4  本件事故による損害は次のとおりである。

(1) 原告蔦栄の損害 合計五五〇万〇、〇〇〇円

(イ) 慰藉料 五〇〇万〇、〇〇〇円

(ロ) 弁護士費用 五〇万〇、〇〇〇円

(ハ) 原告蔦栄は、労災保険の遺族補償年金として年間七〇万七、三二五円、厚生年金保険遺族年金として年間五〇万一、六〇〇円の各支給をうけているので、亡三氏の逸失利益損害の相続分については請求をしない。

(2) その余の原告ら四名の損害 各自合計七〇五万〇、〇〇〇円

(イ) 亡三氏の逸失利益損害相続分 各自三九一万〇、〇〇〇円

三氏は、生前被告会社に勤務して、少くとも月額二二万一、九三〇円の収入を得ており、死亡時五〇才で、六七才まで一八年間就労可能であったから、生活費として三〇パーセントを控除し、新ホフマン方式により年五分の中間利息を控除した、その逸失利益総額の現価が二、三四九万五、一二四円であり、原告蔦栄を除く原告ら五名の相続分が各自六分の一ずつ、一万円未満を切り捨てて、各自三九一万円である。

(ロ) 慰藉料 各自二五〇万〇、〇〇〇円

(ハ) 弁護士費用 各自六四万〇、〇〇〇円

5  よって、被告に対し、原告蔦栄は五五〇万円及びうち弁護士費用を除く五〇〇万円に対する三氏死亡の日である昭和五五年六月七日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、その余の原告らは、それぞれ七〇五万円及びうち弁護士費用を除く六四一万円に対する右同日以降完済に至るまで右同割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  答弁並びに主張(被告)

1  請求原因1は認める。

2  同2、3のうち、三氏が被告の市場支店に属する荷揚げ、荷卸し作業員であり、鮮魚等に限らず、各種物品の荷揚げ、荷卸しに必要な玉掛免許(ワイヤーをかける作業技能の免許)を有すること、事故当時、原告ら主張の船倉からの鋼材荷揚げ作業に従事していたこと、そして、鋼材の上の「引き金具」をとろうとしたものと思われるが、吊り上げられようとする鋼材の上に上半身を乗り出した結果、鋼材と船壁(船壁に取りつけられた中ハッチの角)に挾まれ、主張の傷害をうけ、死亡したことは認める。

しかし、その余の事故の態様を争い、デッキマン吉崎峯雄の過失及び被告の賠償責任はいずれも否認する。

3  同4は争う。

4  本件事故の態様は次のとおりである。

(1) 本件事故は、原告主張の岸壁に接岸していた伊予丸(一九九トン)の船倉から鋼材を荷揚げする際発生したところ、事故当時、右船倉には、別紙一、断面見取図、及び別紙二、平面見取図記載のとおり、船底の岩壁と反対側の船壁から順に、幅約一・二五メートル、長さ約七メートル、高さ約〇・六メートルの鋼材二束(以下A鋼材という。)、同じ幅、同じ長さ、同じ高さの鋼材二束(以下B鋼材という。)、幅約一・五メートル、高さ一・二メートルないし一・五メートルの鋼材(以下C鋼材という。)が積まれており、船倉内に三氏と訴外広瀬泰広、同永露昭の三人の作業員、岩壁側の上デッキにデッキマンの吉崎峯雄がいたほか、船外に船側作業員二名とクレーン操縦士がいた。

(2) 鋼材の荷揚げは、まず、鋼材にワイヤーを通し、クレーンで一〇ないし二〇糎程吊り上げて様子をみたうえ、ゆっくり船底から一・二メートルないし一・五メートル位の高さまで吊り上げて一旦停止し、ロープの掛り具合、荷の傾きの有無、手前の鋼材及び反対側の船壁との関係等が点検されたのち、船倉内の作業員の安全な場所への退避後、デッキマンによって、船外のクレーン操縦士に最終のクレーン捲き揚げを命ずる「ゴー・ヘイ」の合図がなされる順序で行われた。

(3) 本件事故時、前記AないしCの鋼材のうち、最初に真中のBの鋼材の荷揚げが行われていたところ、デッキマンの吉崎峯雄は、右順序どおり、B鋼材を一・二メートルないし一・五メートルまで吊り上げて一旦停止させ、前記安全の点検をし、僅かな振れがおさまるのを待ち、三氏ら船倉内の作業員の退避を確認したうえ、船外のクレーン操縦士に右最終の「ゴー・ヘイ」の合図をした。

(4) ところが、吉崎峯雄の右「ゴー・ヘイ」の合図と殆んど同時に、偶々、中デッキの蔭に退避していた三氏が、右吊り上げようとするB鋼材のうえに上半身を乗り出したため、それを目撃した吉崎峯雄が突嗟に大声と身振りでクレーン操縦士に捲き揚げ停止の合図をしたけれども、結果的にB鋼材が更に二、三〇糎吊り上げられた位置で停止し、三氏も乗り出した上半身を引こうとしたが及ばず、右鋼材と中デッキの角に挾まれ、原告ら主張の傷害を負ったものである。

(5) しかし、三氏が右上半身を乗り出したことについて、他の作業員が「引き金具が乗っている。」などといったことはない。「引き金具」は、ワイヤーロープを鋼材の下に回すときに使用する道具であるが、鋼材のうえに置き忘れられ、荷物と共に船外に運ばれることも時々あるのであって、全員が退避し、デッキマンが最終の捲き揚げ合図にかかろうとしている時に、他の作業員がそのような注意とか警告とかをすることはあり得ない。

(6) つまり、三氏は、中デッキの下に退避して、クレーンの捲き揚げを待っている間に、自ら、目前のB鋼材の上の「引き金具」に気をとられ、最終の捲き揚げ合図をしようとするデッキマンの動静を顧慮することなく、突嗟に、中デッキの蔭から上半身を乗り出したものであり、それは、デッキマン吉埼峯雄の「ゴー・ヘイ」の合図に一瞬おくれ、殆んど同時であった。

(7) このような荷揚げの場合、船倉内の作業員としては、積荷が吊り上げられるとき、安全な場所に退避して、そこから積荷の状態を見守り、監視すべきものであって、デッキマンとしても、最終の捲き揚げのため、最後の点検確認を行っているときに、船内作業員が突然荷物の上に飛び出すことなど、全く予知不可能である。

5  右の次第であって、本件事故の発生につきデッキマン吉崎峯雄に過失がある旨の原告らの主張は理由がない。

第三証拠《省略》

理由

原告蔦栄が三氏の妻、その余の原告らが両者間の子であり、原告ら五名が三氏の相続人であること、三氏が昭和五五年六月六日午後一時二〇分頃、被告の従業員として、福岡市中央区須崎八号岸壁で船倉からの鋼材荷揚げ作業に従事中、鋼材と船壁に挾まれて、頭蓋骨々折等の傷害をうけ、翌七日午前五時脳挫傷により死亡したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

原告らは、右事故につき、当時、デッキマンとして荷揚げ作業を指揮していた被告の従業員吉崎峯雄が、鋼材の吊り上げによる船のローリングのほか、三氏らの周辺の作業員にも気を配り、安全を確認したうえ、クレーンによる捲き揚げを指示すべき注意義務を怠り、漫然と右ローリングの合間だけを窺い、クレーン操縦士に急発進(ゴー・ヘイ)の合図をしたため、偶々、その鋼材の上にあった「引き金具」をとろうとして身を乗り出した三氏が負傷し、死亡するに至った旨、右吉崎峯雄の過失による被告の使用者責任を主張し、被告は、吉崎峯雄が三氏ら作業員の退避を確認後、右最終の「ゴー・ヘイ」の合図をしており、三氏がその合図と殆んど同時に、退避中の中デッキの蔭から身を乗り出し、本件事故に至ったもので、デッキマンの吉崎峯雄に過失がなく、被告に使用者責任がない旨右原告らの主張を抗争する。

そこで、以下まずこの点について判断するに、《証拠省略》を総合すると、次のように認めることができる。

すなわち、被告は、港湾荷役その他を業とする会社であり、亡三氏(当時五〇才)及び訴外吉崎峯雄、同広瀬泰広、同永露昭、同須賀某は、いずれも、作業員として被告に雇傭されていたものであって、そのうち吉崎峯雄は、本件事故当時いわゆるデッキマンをしていたこと、本件事故当日、三氏及び右吉崎峯雄らは、被告の業務として、福岡市中央区須崎八号岸壁で、接岸中の伊予丸(約三五〇トン)の荷役に従事し、午後船倉底部に積まれていた鋼材の荷揚げをしていたこと、当時、船倉に残されていた鋼材は、略々被告主張の別紙一、断面見取図、別紙二、平面見取図記載のとおり、船底の岩壁と反対側の船壁から順に、長さ約七メートルの鋼材二束(断面が一辺約一五糎の正方形をした長さ約七メートルの鉄パイプを一〇数本束ねて金具で留め、梱包してあるもの二束、高さ約〇・六メートル、幅約一・二メートル、以下A鋼材という。)、同じく長さ約七メートルの鋼材二束(前同様のもの、以下B鋼材という。)、及び長さ約一・五メートルの鋼材の束山が右A、B鋼材と平行に二、三山(断面が一辺約一〇糎の正方形をした長さ約一・五メートルの鉄パイプを何拾本が束ねて金具で留め、梱包してある何束かが一山となっているものの、二山ないし三山であり、全体の高さ約一・五メートル、長さ約三メートルないし四・五メートル、幅約一・二メートルないしその前後のもの、以下C鋼材という。)であったこと、そして、船倉内に三氏と前記広瀬泰広、永露昭の三人の作業員、岸壁側の上デッキのうえにデッキマンの吉崎峯雄がおり、岸壁のクレーン車のクレーンで右鋼材を吊り上げ、陸揚げする作業が行われていたこと、右作業手順としては、デッキマンが船倉内を直接見ることのできないクレーンの操縦士に合図をして、クレーンの操作を行わせつつ、まず、クレーンのワイヤーロープで鋼材を僅かに浮かせ、船倉内の作業員が鋼材の二個所に別のワイヤーを通したうえ、そのワイヤーにクレーンのロープの先のフックをかけ、その後正式に吊り上げが行われること、しかし、デッキマンとしては、荷重がなくなることによる船の横揺れや、吊り上げられた鋼材のバランスの具合等を確めつつ、接触、衝突、荷くずれ、或いはワイヤーの破損等による鋼材の落下、その他不測の事故を避けるため、安全な段階までクレーンの捲き揚げを徐々に行わせしめ、鋼材がある程度の高さに達し安全になったところで、クレーン操縦士に急発進を意味する「ゴー・ヘイ」の合図をし、一気に吊り上げさせていたこと、本件事故発生時、右AないしCの鋼材のうち、真中のB鋼材から荷揚げされることになり、右作業手順のとおり、長さ約七メートルの鋼材二束、重さ約五トンに、三氏ら船倉内の作業員がワイヤー二本を通し、そのワイヤーにクレーンのフックをかけたのち、デッキマンの吉崎峯雄がクレーン操縦士に合図をしつつ、まず、ワイヤーロープの緩みがなくなるまでクレーンを捲き揚げさせ、一旦停止したこと、そして、その段階で、船倉内の三氏ら作業員に「巻くぞ」と声をかけたうえ、徐々に鋼材を吊り上げ、前記のような安全に気を配りながら、吊り上げに伴う船の横揺れ(ローリング)の合い間をみて、手前側のC鋼材、また反対側の船壁等に接触、衝突しないように、当初数拾糎、次いで右C鋼材と同じ一・五メートル程度の高さまで捲き揚げさせたこと、その頃、三氏ら船倉内作業員は、略々、別紙一、断面見取図、別紙二、平面見取図記載の各位置に退避しており、そのうち、三氏は、中デッキの下方に位置するA鋼材のうちに乗り、中デッキの下にやや身をかがめるような姿勢で、右B鋼材の吊り上げを見守っていたこと、なお、船倉内作業員は、このような積荷吊り上げの途中、デッキマンの指示で積荷を押したりして、その安定を手伝ったりすることもなくはないこと、ところが、吉崎峯雄が右約一・五メートル程度の高さまで吊り上げたB鋼材につき、今度は特に船倉内に声をかけることなく、両手を肩の上にあげてクレーン操縦士に急発進の「ゴー・ヘイ」を合図した際、偶々、右鋼材の上に「引き金具」(長さ一メートルないし一・五メートル位の棒状の先端をかぎ形にした金具であり、積荷の下にワイヤーを通すとき、ワイヤーに引っ掛けて引き出すための道具である。)が置き忘れられていたため、三氏が右金員をとろうとして鋼材の上に身を乗り出したこと、吉崎峯雄は、上デッキから右三氏の動きを認めるや、大声を発しながら、クレーン操縦士に即刻捲き揚げの停止と逆にその捲き戻し方を指示したが、既に急発進による捲き揚げが始った直後であり、右鋼材が、前記約一・五メートル位の高さから更に何拾糎か垂直に吊り上げられたのち停止し、なお、急停止及び急降下等に伴い上下にぶれたりしたこと、そして、三氏も、危険を感じ身を引いたが及ばず、結局、右鋼材と中デッキの角とに挾まれ、前記頭蓋骨々折等の傷害をうけ、死亡するに至ったこと、以上の各事実を認めることができ、右認定に反する証拠は存しない。

右認定した事実によれば、港湾荷役の場合、クレーンによる積卸し作業のいわゆるデッキマンは、岸壁側のクレーン操縦士と船倉内作業員らの中間にあって、クレーン操作による作業の全体を総合的に把握、指揮し、特に鋼材のような重量物については、途中の接触、衝突、荷くずれ、落下等不測の事故を避けるため、常に慎重な安全の確認を行うべき注意義務があり、とりわけ、荷揚げの際の吊り上げ直後と急発進の「ゴー・ヘイ」を指示したりするときには、当該積荷及び周囲の状況判断をより適確に行わなければならないものと解せざるを得ない。

そして、本件事故当時、吊り上げ途中のB鋼材の上に、「引き金具」が残されていたことは、デッキマンの吉崎峯雄にも当然現認できた筈であり、付近の作業員が突嗟にそれを取り除く行為に出ることも予測できなくはない、というべきであるから、同人としては、船の横揺れと積荷との関係等のほか、船倉内作業員の状況、動向にも十分気を配るべき注意義務があったといわねばならず、既に、急発進「ゴー・ヘイ」が行われる客観的状況であったとすれば、必ずしも大きな非難を加え得ないとはいえ、右「ゴー・ヘイ」の合図をする際、その様子がみえた筈の三氏の動静に対する確認が不十分であった点で、なお過失を免れないと認めるべく、逆に、三氏がデッキマンの吉崎峯雄の方を顧慮した形跡がない点は、上デッキの同人によって見守られているという判断があってのことといえないではなく、以上の結論を左右するに足りないと考えられる。

してみると、被告は、右吉崎峯雄の使用者として、民法七一五条により本件事故による損害を賠償すべき義務があるので、次に右損害額につき判断するに、《証拠省略》によると、亡三氏は、昭和四年四月一三日生まれ、本件事故当時満五〇才の男性であり、当時、昭和五五年一月一日以降事故による死亡の同年六月七日まで一五九日間に、被告の従業員として、合計一一五万四、〇四〇円の給与を得ていたことが認められ、これに反する証拠は存しないところ、右給与収入を基準に、亡三氏の年間収入を二六五万六、四六九円(1,154,040×366÷159=2,656,469)(但し、小数以下切捨、以下同じ)、就労可能年数を六七才まで一七年(67-50=17)、同人の生活費を右全期間を通じ平均五割として、ライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除し、右期間中の逸失利益総額の現価を算出すると一、四九七万四、五一五円(2,656,469×0.5×11.2740〔17年のライプニッツ係数〕=14,974,515)である。

そして、原告蔦栄を除くその余の原告ら四名が、亡三氏の子であり、原告ら五名が相続人の全部であることは、前記のとおり当事者間に争いがないので、昭和五五年法律第五一号、附則二条による改正前の民法九〇〇条により、原告蔦栄以外の原告ら四名は、亡三氏の子として、右逸失利益損害の三分の二、同原告ら一人宛六分の一ずつ相続取得したものであるが(但し、亡三氏の妻である原告蔦栄は、労災保険の遺族補償年金その他を受給しているため、右逸失利益損害についての相続分を請求していない。)、前記認定した本件事故発生時の状況によれば、本件については、被害者である三氏の側にも、「ゴー・ヘイ」の急発進が予測されるなか、あえて危険な行動に出ている点で相当の落度があるといわなければならず、双方の過失割合は加害者側七対被害者側三と認めるのが相当であり、これを斟酌すれば、前記逸失利益損害のうち被告の賠償すべき額は、一、〇四八万二、一六〇円(14,974,515×0.7=10,482,160)、原告蔦栄以外の原告ら一人宛一七四万七、〇二六円(10,482,160÷6=1,747,026)ずつとなる。

また、原告らの慰藉料の額については、本件事故の態様及び前記過失割合等本件に表われた一切の事情を総合して、原告蔦栄につき三五〇万円、その余の原告ら四名につき各一〇〇万円ずつ(原告ら五名で総額七五〇万円)と認めるべく、原告らが負担するそれぞれの弁護士費用についても、本件訴訟の内容、経緯、後記認容額等を考慮し、原告蔦栄関係三五万円、その余の原告ら四名の関係でそれぞれ二〇万円ずつを被告に賠償せしめるべき損害として認めることとする。

以上により、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告蔦栄が慰藉料三五〇万円と弁護士費用三五万円の合計三八五万円、及び内金慰藉料三五〇万円に対する三氏死亡の日である昭和五五年六月七日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、その余の原告ら四名が、それぞれ、逸失利益損害相続分一七四万七、〇二六円と慰藉料一〇〇万円、並びに弁護士費用二〇万円、合計二九四万七、〇二六円、及び内金弁護士費用以外の二七四万七、〇二六円に対する右同日以降完済に至るまで右同割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由がある。

よって、原告らの本訴請求中、右部分を認容すべく、その余の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、なお、仮執行宣言は不相当と認め付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中貞和)

<以下省略>

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