大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和58年(ワ)538号 判決 1985年10月03日

原告(反訴被告)

杉谷光登

被告(反訴原告)

田中茂宏

主文

一1  被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、金一七一万二八一四円及びこれに対する昭和五八年五月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告(反訴被告)のその余の請求を棄却する。

二1  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、金八万八五三〇円及びこれに対する昭和六〇年一月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告(反訴原告)のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じて、これを三分し、その一を原告(反訴被告)の負担とし、その余は被告(反訴原告)の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告(反訴被告)

1  被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、金三五九万七二八四円及びこれに対する昭和五八年五月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告(反訴原告)の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、本訴反訴を通じて被告(反訴原告)の負担とする。

4  第1項につき仮執行宣言

二  被告(反訴原告)

1  原告(反訴被告)の請求を棄却する。

2  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、金八万八五三〇円及びこれに対する昭和五八年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、本訴反訴を通じて原告(反訴被告)の負担とする。

第二当事者の主張

一  本訴請求原因

1(一)  原告(反訴被告)(以下「原告」という。)は、昭和五六年五月二一日午前六時五〇分ころ、福岡市南区横手郵便局前交差点付近をバイクを運転して進行中、田下利雄の運転する乗用自動車に衝突され、右下腿骨折等の負傷をした。

(二)  原告は、救急車で被告(反訴原告)(以下「被告」という。)開設の田中整形外科病院(以下「被告病院」という。)に運ばれ、同日から入院のうえ被告の治療を受けた。そして、同年一二月二〇日被告病院を退院し、以後通院治療を受けていた。

2  被告は、昭和五七年四月一四日、診断を受けに来た原告に対し、「新しい骨が出来てつながつているから、もう大丈夫である。六月ころには抜釘してもよい。」と説明し、同年五月一四日、右交通事故の加害者側の保険担当者として原告と示談交渉に当つていた木下重雄に対しても、同様の説明をした。

3  そこで、原告は、被告の右説明を信じて、同年五月二五日、田下利雄との間で右交通事故による損害について示談契約を締結した。

4(一)  しかしながら、原告の右下腿骨はつながつておらず、原告は、再手術とその後の治療を必要とした。

(二)  原告は、被告の診療契約上の右診断の誤りにより、田下利雄に対する損害賠償債権を放棄し次のとおりの損害を受けた。

(1) 休業損害

(ア) 昭和五七年七月以降の二七四日分一一九万六二八四円

(イ) 夏季・冬季ボーナス分 三五万円

(ウ) 農業収入減少分 三万五〇〇〇円

(2) 慰謝料 一五〇万円

(3) 入院中諸雑費(一四五日分)一一万六〇〇〇円

(4) 弁護士費用 四〇万円

よつて、原告は、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、金三五九万七二八四円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年五月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  本訴請求原因に対する認否

1  本訴請求原因1(一)の事実のうち、原告が交通事故により右下腿骨折等の負傷をしたことは認めるが、右事故の内容は知らない。同1(二)の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。

被告は、原告及び木下重雄に対し、「骨の出来が悪いから、骨を移植する手術をするようになるかもしれない。」と説明した。

3  同3の事実は否認する。

示談の成立は、昭和五七年四月一四日前であり、したがつて、被告に説明の誤りがあつたとしても、右説明と損害の発生との間には因果関係がない。

4  同4(一)の事実は認める。(二)の事実は否認する。

原告と田下利雄との間の示談については、その前提事実たる原告の治癒の状態について錯誤があつたのであるから、原告としては、田下利雄に対し右錯誤の主張をすればよく、原告には何らの損害もない。

三  反訴請求原因

被告は、原告との間の診療契約に基づき、昭和五七年一〇月一日から同年一一月一九日まで原告の前記右下腿骨折等の診療をした。右診療報酬は、昭和五七年一〇月分が一八万三四九〇円、同年一一月分が一一万一六一〇円である。

よつて、被告は原告に対し、右診療報酬額のうち国民健康保険法による本人負担分の三割に当たる金八万八五三〇円及びこれに対する昭和五八年一二月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  反訴請求原因に対する認否

反訴請求原因事実のうち、診療報酬額は知らないが、その余の点は認める。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

理由

一  本訴請求について

1(一)  成立に争いのない甲第一号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告主張の日時、場所で原告が主張するような態様の交通事故が発生したことが認められ、原告がその結果右下腿骨折等の負傷をしたことは当事者間に争いがない。

(二)  請求原因1(二)(治療経過)の事実は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第八号証、乙第一号証、第二号証の一、三、四、六及び七、第三号証、第四号証の一ないし八、原告及び被告(第一、二回)本人尋問の結果によれば、原告は、右事故当時五三歳の男子であり、右下腿骨折は、粉砕骨折であつたこと、原告は、昭和五六年六月二日に右骨折部を釘で固定する手術を受けたこと、同年一二月二〇日に被告病院を退院した後、昭和五七年一月二五日までの間に一七回通院し、その後同年四月一四日と六月八日にそれぞれ通院したこと、そして、同月一四日に再入院し、翌一五日に抜釘手術を受け、更に、同年七月一三日に腸骨片を骨折部に移植する骨移植手術を受け、同年一一月一九日に退院したこと、そして、原告の右骨折部は、間もなく完治したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(三)  前掲甲第一号証、証人木下重雄の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告と田下利雄は、昭和五七年五月二五日、本件交通事故について、<1>田下利雄は原告に対し同月一五日までの治療費全額及び損害賠償金三二八万七一八六円を支払う、<2>原告は田下利雄に対しその余の損害賠償債権を放棄する旨の示談契約を締結したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  次に、右示談成立の経緯について判断する。

(一)  原本の存在及び成立に争いのない甲第三号証の一、成立に争いのない乙第五号証の一二、証人木下重雄の証言及び原告本人尋問の結果によれば、被告は、昭和五七年四月一四日、診察を受けに来た原告に対し、右下腿骨折部の治癒の程度について、その日撮つた患部のレントゲン写真を見ながら、「新しい骨が出来てつながつているので、もう大丈夫である。六月ころには抜釘してもよい。」旨説明したこと、原告は、同年五月一一日、当時田下利雄が加入していたいわゆる自動車保険の保険者たる福岡市農業協同組合の貯蓄共済課係長木下重雄にそのことを話したこと、木下重雄は、同月一四日、被告に面談し、右と同様の説明を受け、そのころ、原告にその旨を伝えたこと、原告は、被告が相前後して自己及び加害者側の保険担当者に対し右のとおり治癒の診断をしたことから、右抜釘手術のために今後一週間程度の再入院が必要であることを除けば、本件交通事故による損害が更に拡大することはないものと考えて、同月二五日、右手術に伴う損害を含むものとして、前記示談に応じたことが認められ、次の(二)の被告本人の供述を除いて、右認定に反する証拠はない。

(二)  右診療結果の説明について、被告は、原告及び木下重雄に対し、「骨の出来が悪いから、骨を移植する手術をすることになるかもしれない。」旨説明したと主張し、被告本人は、右主張に沿う供述(第一、二回)をしているが、右供述は、次の事実に照らして採用することができない。

(1) 当時原告の右下腿骨折部が治癒していなかつたことは、前記認定に係る、その後の治療経過に照らして明白である。のみならず、証人杉谷シゲ子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告自身、治癒したという自覚はなく、患部に痛みを感ずることもあつた上、当時、原告の妻シゲ子は、示談は早すぎるという意見であり、他方、原告が示談交渉を委任していた職場の同僚からは、早期解決を勧められていて、原告としては、示談に応ずるべきかどうか迷つていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右のような状況の下において、主治医が右のような悲観的な意見を述べたとすると、当事者としては、示談の成立をしばらく見合わせ、さほど先のことではない(前記のとおり、実際には示談成立の二〇日後に行われている)抜釘手術の結果をともかく待つのが自然の成り行きであろう。現に示談が成立している事実は、被告が前記のような楽観的な説明をしたことの左証というべきである。

(2) 前掲乙第一号証によれば、昭和五七年二月五日の時点で、済生会福岡総合病院の医師横田清司は、被告に対し、原告の症状について仮骨の状態が少し不良の様子なので六か月程度経過を観察されてはどうかとの意見を述べており、前掲乙第五号証の一二及び被告本人尋問の結果(第二回)によれば、同年四月一四日の時点で、被告は、前記レントゲン撮影の結果から、一方で仮骨の形成が依然思わしくないと思いながら、他方で、骨の出来の良い部分もあり、レントゲン写真だけからは骨移植が必要かどうか十分には分からないので、しばらく経過をみた上、最終的には抜釘して骨の状態を直接診る必要があると考えており、被告の当時の主観的な判断によると、骨移植の必要性の有無は五分五分であつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上の事実からすれば、被告は、原告の症状について比較的楽観的な見方もしていたのであるから、被告がこの楽観的な側面のみを原告らに強調して説明したと考える余地は十分にあり得ることであり、そう考えても不自然ではない。

(3) 木下重雄が被告から聞いた前記説明の内容を上司に報告した昭和五七年五月一五日付の調査報告書である前掲甲第三号証の一の記載内容が詳細かつ具体的で説得力があるのに対し、被告本人の供述は、原告の症状についての診断内容、骨移植の必要性の程度等について変遷があり、肝心な点で微妙な食い違いがみられる。

以上の理由で、被告本人の前記供述は採用しない。

(三)  以上の認定事実によると、被告は、原告が交通事故の加害者と示談契約を締結するについて被告の診断を求めていることを知り又は知り得べき状況の下において、原告の症状を説明するに当たり、客観的事実はもとより自己の主観的判断にも反して、直接又は間接に、既に治癒した旨の意見を述べ、そのため、原告において自己の症状について誤つた認識を持つた結果、前記示談の成立をみるに至つたのであるから、被告は、右示談により原告が何らかの損害を受けたときは、原告との間の診療契約上の債務不履行により右損害を賠償すべき義務があるものと解される。

ところで、右示談は、前記のとおり当事者双方が被害の状況を正確に認識しないまま成立したものである。しかし、その成立時期は事故の発生から既に一年を経過しており、賠償額もそれほど少額のものではない上、もともと、客観的には損害を正確に把握することが困難な状況の下でされた示談ともいえないので、本件示談の拘束力は、前記骨移植手術に伴つて拡大した損害にも及び、原告は、右損害の賠償を田下利雄に求めることは最早できないというべきである。

よつて、被告は、原告が適時に示談をしておれば得べかりし損害賠償金と前記示談による損害賠償額との差額を原告に賠償する義務がある。

3  そこで、得べかりし示談金について判断する。

本件示談による示談金は、前記のとおり治療費を除いて総額三二八万七一八六円である。内訳は一切分らないが、右示談金は、前記のとおり入院約七か月を含む事故後約一年内に生じた損害についての示談金であり、これとの対比で考えると、原告が適時(例えば、昭和五七年一二月ころ)に示談をした場合の示談金は、原告が本訴において請求している費目に限定していえば(弁護士費用は示談交渉費用の趣旨と理解する。)骨移植手術に伴う入院が約五か月に及んでいること等の諸事情に鑑み、総額五〇〇万円をもつて相当と認められる。

よつて、原告が得べかりし示談金と現に得た示談金との差額は、一七一万二八一四円と算定される。

二  反訴請求について

1  反訴請求原因事実は、診療報酬額を除いて、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第六号証によれば、被告主張の診療報酬額が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  被告の右診療報酬請求権は、特段の弁済期等について主張立証のない本件においては、期限の定めのない請求権と解され、したがつて、原告は、催告の効力を有する本反訴状の送達の時から遅滞の責に任ずべきところ、右送達の日が昭和六〇年一月二四日であることは、記録上明らかである。

三  結論

以上のとおりであつて、被告は、原告に対し、債務不履行による損害賠償債務の履行として、金一七一万二八一四円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五八年五月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は、失当であるからこれを棄却する。

また、原告は、被告に対し、診療報酬金八万八五三〇円及びこれに対する本反訴状送達の日の翌日である昭和六〇年一月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、被告の反訴請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は、失当であるからこれを棄却する。

よつて、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

なお、原告の仮執行宣言の申立は、相当でないから、これを却下する。

(裁判官 小長光馨一 橋本良成 金光健二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例