大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和59年(わ)415号 判決 1984年8月30日

主文

被告人を懲役五年に処する。

未決勾留日数中八〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は弁論分離前の相被告人大場英世の知人であった者、山口侃は佐賀市に本拠を持つ暴力団石川一家山口組の組長であった者、岡万猛留は同じく石川一家岡組の組長であった者、弁論分離前の相被告人上原こと黒木清正は右岡組の組長であった者、大場英世は右山口の知人であった者であるところ、山口、岡、黒木及び大場の四名は、かねてから右石川一家と対立抗争の関係にあった浜田会浜田組の幹部橋口勲(当時三三歳)を殺害するとともに右浜田会の資金源である覚せい剤を奪取しようと企て、右橋口と面識のあった大場が、覚せい剤取引を口実に橋口をホテルにおびき出したうえ、右黒木がけん銃で橋口を殺害するとともに、大場において橋口の持参した覚せい剤を強取する旨の共謀を遂げ、昭和五八年一一月一一日午前二時ころ、右大場において、右橋口を福岡市博多区博多駅前二三番七号所在の松島ホテル三〇三号室におびき出すとともに、覚せい剤取引の仲介を装い、橋口の持参した覚せい剤約一・四キログラムを買主に見分させると称して同人から受け取り同室から搬出した直後、右黒木において、大場と入れ替わりに右三〇三号室に入り、至近距離から橋口目掛けて所携の自動装てん式けん銃で実包五発を発射し、いずれも同人の左上腕部・背部・腹部等に命中させて前記覚せい剤を強取したものの、同人が防弾チヨッキを着用していたため、同人に対し全治二か月間を要する左上腕貫通銃創・左上腕骨々折等の重傷を負わせたに止まり、殺害するに至らなかったものであるが、被告人は、大場らの右犯行に際し、前記共謀の内容を知悉しながら、いずれも大場の指示・命令により、(一)同日午前一時ころ、黒木とともに、橋口をおびき出すホテルを捜し、前記松島ホテルにおいて三〇三号室と三〇九号室の二室を予約し、(二)同日午前一時四〇分ころから午前二時ころまでの間、覚せい剤の買手と売手である橋口との取り次ぎ役を装って、大場と橋口のいる三〇三号室と売手がいると称する三〇九号室を行き来したり、橋口の面前において、大場が「まだ、向こうは品物を見せんといかん、言いよるんか。」「やっぱりつまらん言いよるんか。」と問うたのに対し、いずれも「はい。」と答え、あたかも三〇九号室には真実覚せい剤の買手がいるかの如く装い、(三)同日午前二時ころ、橋口が持参した覚せい剤を買手に検分させることを了承するや、右三〇三号室から三〇九号室に覚せい剤を搬出・運搬するとともに、さらに三〇九号室において所携のショルダーバックに右覚せい剤を入れ、大場とともに、右ショルダーバックを持って直ちに右松島ホテルを脱出し、もって大場らの前記犯行を容易ならしめてこれを幇助したものである。

(証拠の標目)《省略》

(共同正犯の訴因に対し幇助犯を認定した理由)

検察官は、被告人が自ら財物である覚せい剤を三〇三号室から搬出し奪取している以上、被告人はまさに実行行為の重要な一部を分担したものであるから、共同正犯者としての刑責を免れない旨主張する。

よって検討するに、なるほど、被告人は、判示のとおり、橋口のいた三〇三号室から三〇九号室に前記覚せい剤を搬出し、さらに三〇九号室においてショルダーバックに右覚せい剤を入れ、これを持って大場とともに松島ホテルを脱出しており、この点で、被告人が本件強盗殺人未遂の実行行為の一部を担当したことは明らかである。

ところで、およそ共同正犯が成立するためには、各行為者にそれぞれ共同実行の意思が認められることも必要であることは多言を要しないが、行為者が実行行為の一部を分担する場合、一般にほとんど右共同実行の意思が問題にならないのは、右実行行為一部分担の事実のみから、通常極めて容易に共同実行の意思が推認されるからであろう。しかしながら、実行行為一部分担の事実も、結局は共同実行意思認定の一つの有力な判断材料にすぎないことに鑑みると、当該行為者が右実行行為に及んだ事情や当該犯罪全体に占める右行為者の行為の意義の如何を問わず、単に実行行為の一部を分担したことの一事のみで、常に共同実行の意思ありと解するのは相当でないと言うべきであって、前記推認を覆すに足りるような特段の事情の存する場合においては、たとえ当該行為者が形式上実行行為の一部に該当する行為を行なった場合であっても、共同実行の意思の存在を否定して、幇助犯の成立を認めるのが相当である。

そこで、本件において右特段の事情が認められるか否かについて判断するに、前掲各証拠を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  被告人は、名古屋市千種区にあるゲーム喫茶「ドル」でアルバイトをしていた昭和五八年一〇月終り頃、知り合いの暴力団員稲葉和夫から当時名古屋市中区に居住していた大場を紹介され、以後大場と付き合うようになったが、右付き合いの程度は、被告人が大場のマンションに何回か遊びに行ったり、また大場が右「ドル」に遊びに来たりという程度のもので、特に深い付き合いもなく、また被告人が大場の世話になって恩義を感じているということもなかったこと。

(二)  被告人は、同年一一月八日をもって右「ドル」をやめたので、その旨伝えるため翌九日、前記大場宅を訪問したところ、大場は、「俺、明日博多まで行かないかんけど、お前一緒に行かんか。」と誘い、日帰りで帰れるし、汽車賃も自分が出す旨言うので、被告人は、どうせ日帰りで帰れることでもあるし、久しぶりの九州ということもあって、大場の右誘いを軽く考えて、これを承諾したこと。

(三)  翌一〇日午後一時ころ、被告人は、大場とともに新幹線で名古屋をたち博多に向かったが、車中、博多に行く目的を尋ねたところ、大場は、一言、「ギャングたい。」と答えたこと、被告人は、一瞬はっとしたが、大場の言い方が冗談っぽく聞こえたことから、多少気にはなったもののその言葉の意味をあまり真剣には考えなかったこと。

(四)  被告人と大場は、同日午後六時半ころ博多駅に到着すると、山口、岡及び黒木ら三名の出迎えを受けたが、被告人は右三名とはその時が初対面であり、大場からは「佐賀の石川一家の人間やから。」とのみ紹介を受けた(その後、右石川一家が暴力団であることを知るようになった。)こと。

(五)  その後、被告人を含む右の五名は、岡の運転する車で、福岡市内の焼肉屋に行き次いで佐賀市内へと向かい、この間、車中において、山口、岡、黒木及び大場の四名の間で、判示の謀議がなされたが、被告人は、この時初めて、大場ら四名がこれから橋口(もっとも、「橋口」の名前自体は全く出なかったので、被告人は、終始相手が何者か知らなかった。)に対し強盗殺人に及ぼうとしていることを知ったこと、そして、被告人は、「大変なことに巻き込まれてしまった、自分はどうなるのだろう。」と畏怖し、気が動転したが、このような話を聞いてしまった以上、他の四名の男はいずれも暴力団員か又は元暴力団員であり、しかも凶器も持参していることから、仮にも帰らせて欲しいなどと言おうものなら、逆に口封じのため、まず自分が殺されることになりはしないかと考え、とても脱けさせて欲しいなどとは言い出せず、仕方なく大場らに付き従っていくことにしたこと。

(六)  なお、右謀議の際、被告人は全く口をはさまず終始黙したままであったし、大場ら四名の者も被告人の役割については全く話題にしなかったこと、かえって、大場は、覚せい剤奪取の方法に関しても、黒木に対し、同人が橋口をけん銃で撃った際、「その時、俺が覚せい剤を持って逃ぐるから。」と、自ら覚せい剤を搬出する役を担当する旨述べていたこと。

(七)  右謀議の結果、強取した覚せい剤は、すべて大場のものとする旨決せられたが、被告人と大場との間では、大場が被告人に対し、右強取した覚せい剤の一部を分け前として与えるとか、大場やその他の共犯者がその他の利益を報酬として与えるとかの話は、全くなされなかったし、現に、大場が被告人に対し何等かの報酬を与えたこともなかったこと。

(八)  被告人ら五名の乗る車は、同日午後一一時半ころ博多駅の裏に到着し、ここで被告人は一人降ろされ、大場から近くのホテルに橋口をおびき出す部屋を二室確保してくるよう命ぜられ、その後大場ら四名は喫茶店へ入るべく再び他に走り去ったこと、したがって、この機会に、被告人は、大場らから逃げようと思えば逃げられたし、被告人自身も、一度は、そのまま逃げてしまおうかとも考えはしたが、当時の所持金の少なさ等から名古屋への帰着に手間取ることになれば、その間、大場らが被告人の内妻に危害を加えるおそれがあるなどと考え、逃走を断念したこと。

(九)  その後、大場と黒木は、博多駅近くで岡の運転する車を降りて山口らと別れた後、タクシーを拾って被告人がホテルを捜している付近に帰って来たが、この間、大場は、黒木に対し、犯行方法に関し、それまでは謀議の結果、買手を装って黒木が橋口のいる部屋に入室し、ここで黒木が橋口を射殺するとともに大場が橋口の持参した覚せい剤を奪取することとなっていたのを、大場がまず橋口と交渉のうえ口実を設けて橋口持参の覚せい剤を部屋の外に持ち出した後、大場の合図に応じて、黒木が入れ替わりに部屋に入って橋口を射殺することと変更するよう指示したこと、しかし、右実行方法の変更は、被告人に全く知らされなかったこと。

(一〇)  被告人は、大場及び黒木とともにホテル捜しを続けたが、大場が松島ホテル近くのホテル「和」を指して「あそこで部屋二つ取っとけ。」と命じたので同ホテルで部屋を取ろうとしたが、黒木が突然松島ホテルの方が良いと言い出したため、結局右松島ホテルにおいて三〇三号室と三〇九号室の二室を予約したこと。

(一一)  翌一一日午前一時四〇分頃、大場が橋口を連れて松島ホテルに到着し、三〇三号室に入って行ったので、被告人と黒木は三〇九号室において待機していたところ、大場が三〇九号室に来て、被告人を三〇三号室に連れて行ったが、その際、大場は、「なんでも、はい、はいって言っとけよ。」と被告人に命じたこと、大場は三〇三号室に入ると橋口の前で、被告人に対し、「まだ、向こうは品物を見せんといかん、言いよるんか。」と尋ね、被告人が「はい。」と答えたところ、大場は橋口に「素人は、これやけん好かんもんな。」と述べるとともに、被告人に対し、「もう一回行って説得してこい。まだ、つまらんか聞いてこい。」と命じたこと、被告人は、大場の命令の趣旨を理解して、一度三〇三号室を出て三〇九号室に赴き、一、二分後、再び三〇三号室に戻ると、大場は、また「やっぱりつまらん言いよるんか。」と問うたので、被告人も、これに応じて「はい。」と答えたこと。

(一二)  その後、大場と橋口との間で覚せい剤を見せるのが先か、金が先かでしばらくやりとりがあり、大場が今度は一人で三〇九号室に出かけて行ったりもしたが、同日午前二時ころ、橋口が先に覚せい剤を見せることを了承したので、大場はたまたま三〇三号室に居合わせた被告人に対し、「お前、これ、向こうの部屋に持って行って見してこい。」と命じたこと、そこで、被告人は、橋口の前に置いてあった覚せい剤結晶入りビニール袋一〇数袋を、橋口の差し出したウイスキーの箱様の物の中につめ込んだうえ、やはり橋口の持ってきていた茶封筒の中にそれを入れて、三〇九号室に持ち運んだこと、すると大場も、すぐ三〇九号室に来て、被告人に対し、「これをバックに箱のままなおせ。」と命じたので、被告人もその通り従ったところ、大場は、黒木に対し「あんた、今から行ってやらないかんばい。」と指示するとともに、被告人に対し「もう、出かける用意せい。」と命じたこと、そのため、被告人ら三名は、直ちに靴を履くなどしてすぐに出られる準備をしたが、これが終ると、大場は、黒木に対し「あんた、行きない。」と指示し、さらに被告人に対し「お前、行け、車、止めとけ。」と命じたこと、そこで、被告人は、覚せい剤の入ったショルダーバックを持って三〇九号室を出て階段をかけ降り、一階で、後からすぐ降りてきた大場と合流するとともに、そのまま一緒に松島ホテルを出て、近くでタクシーを拾うと、これに乗り込み逃走したこと。

(一三)  その後、被告人は、大場とともに、小倉を経て山口県小郡まで逃走し、同日午後七時か八時ころ、小郡のモーテルに入ったが、その夜、被告人は、大場の就寝中に、大場の財布から一万円を盗むとともに、橋口から強取した覚せい剤のうち、一袋を自己のポケットに入れて、大場から逃走したこと。

(一四)  さらに、被告人は、名古屋に着いた後、右大場から盗んだ覚せい剤を李百合子らに合計三九万円で売却処分し、この金員は大場らからの追及を免れるため、名古屋を引き払って故郷の日田に帰るための費用に充てたこと。

以上の事実が認められる。

右認定の事実によれば、①被告人は、大場から騙され、知らぬ間に本件犯行に巻き込まれたものであって、大場らの犯行計画を知った時(前示(五)の段階)には、既に犯行から離脱することがかなり困難な状態にまで陥っていたものであること、②被告人自身、大場に対し恩義を被っていたとか、特に深い付き合いがあったとかの事実はなく、他の共犯者とも本件犯行前は全く面識がなく、さらに本件被害者たる橋口に対しては何の恨みもなかったことはもとより、被害者が何者であるかさえ知らなかったのであり、また、覚せい剤自体を必要とする事情があったわけでもないのであるから、被告人には、大場らとともに橋口に対し強盗殺人を働かねばならぬ理由は全くなかったものといわざるをえないのであって、それにもかかわらず、被告人が本件犯行に加担したのは、そうしないと自己やその内妻にも危害が加えられるおそれを感じたからであること、③他方、他の共犯者にとっても、被告人はせいぜい大場の手下程度の者にすぎないのであって、謀議の際にも何等その役割が定められなかったし、被告人自身も行きがかり上仕方なくその場にいたにすぎず自ら進んで謀議に加わる意思があったとも思われないこと、④被告人に対しては、大場からも、他の共犯者からも、本件犯行への加担に対する報酬付与の約束は全くなされなかったし、現実に報酬が与えられた形跡もないこと、⑤本件犯行に際しても、被告人は、自己の意思に基づいて行動したのではなく、すべて大場のその場その場の命令に従って、大場から言われるままに、判示の加担行為を行なったこと、⑥覚せい剤を三〇三号室から搬出した行為について見ても、それは、被告人がたまたまその時三〇三号室に居合わせたから、大場が被告人に対し右搬出を命じたにすぎないのであって、仮に被告人が居合わせなければ、当然大場自身が右搬出行為を行なったものと考えられ、大場が前記謀議の際及び黒木への実行方法変更の指示の際に、覚せい剤は自ら搬出する旨明言していたことをも考慮すると、右搬出行為が被告人によって行なわれること自体にさほど重要な意義があったとも認められず、本件犯行を全体として見れば、被告人は本件犯行において不可欠の存在であったとは考えられないこと、などの諸事情を窺うことができるのであって、これら諸事情を総合的に検討する限り、被告人自身、実行行為の一部を担当した事実があるにもかかわらず、大場ら他の共犯者と共同して本件強盗殺人を遂行しようとするような正犯意思、すなわち共同実行の意思は到底認めることができない。

そうすると、結局、被告人には、前記推認を覆すに足りる特段の事情があったというべきであって、前記認定の諸事実を総合すると、被告人は幇助の意思で判示の幇助行為を行なったものと認められるから、被告人には、共同正犯の成立を否定して、幇助犯の成立を認めるのが相当である。

なお、弁護人は、被告人が橋口を殺害することを認容していたとは認められないから、被告人には強盗殺人未遂の幇助犯の成立は認めることができず、せいぜい強盗致傷の幇助犯の限度で刑責を問われるにすぎない旨主張する。しかし、幇助犯の成立に必要な幇助の意思が認められるためには、当該行為者が、正犯者の実行行為を表象したうえ、自己の行為が正犯の実行行為の遂行を促進することを認識している事実が認められれば足り、正犯の行為の構成要件的結果についてまで認容していることを要しないと解されるから、弁護人の右主張は採用することができない(そして、右に述べた意味での幇助の意思が被告人に認められることは、前記のとおりである。)。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法六二条一項、二四三条、二四〇条後段に該当するところ、所定刑中無期懲役刑を選択し、右は未遂であり、かつ従犯であるから、同法四三条本文、六三条、六八条二号により一回法律上の減軽をし、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち八〇日を右の刑に算入することとする。

(量刑理由)

本件は、対立抗争する暴力団の一方の組員らが、他方の組の幹部を殺害したうえ、その組の資金源である覚せい剤を強取しようと企て、被害者である右幹部組員にけん銃を発砲して覚せい剤を強取したという事案であるが、右殺害行為の点は、被害者がたまたま防弾チョッキを着用していたため、被害者に重傷を負わせたにとどまり、未遂に終ったとはいえ、至近距離からけん銃を発砲したという本件犯行態様はきわめて危険なものであるといわねばならない。そして、かかる暴力団同志の対立抗争は、単に仲間内の殺し合いにとどまらず一般市民をも巻き添えにするおそれが多分にあり、その社会に及ぼす害悪のほどは計り知れないものがあるのであって、この意味において、いかなる事情があったにせよ、その情を知りながらかかる対立抗争に加担し、判示の幇助行為を行なって、大場らの本件犯行を容易ならしめた被告人の刑責は、やはり重いと言わざるをえない。さらにまた、覚せい剤の害毒については今更いうまでもないが、被告人が橋口から奪った大量の覚せい剤が、被告人自身の、あるいはまた大場の売却処分によってそのすべてが社会に流出してしまっていることもまた軽視できない事実なのであって、この点からしても被告人の刑責には、看過しえないものがあろう。

しかしながら、他方、被告人は、前記「共同正犯の訴因に対し幇助犯を認定した理由」において詳細に認定判断したとおり、同情すべき事情によって、本件犯行に巻き込まれ、その意に沿わぬ判示の各幇助行為をせざるをえなくなったものであるうえ、被告人の本件幇助行為も、本件強盗殺人未遂を全体として見る限り、必ずしも大きな地位を占めるものではなく、被告人自身、本件犯行において不可欠的な役割を果したものではないこと、被告人には業務上過失傷害の罰金前科が一犯あるだけであること、被告人は、弱冠二四歳の前途ある若者であり、本件犯行についても、素直に自己の犯行を申し述べ、深く自己の行為を反省していることなど、被告人のために酌むべき事情もあるので、これら一切の事情を考慮して、主文のとおり量刑した次第である。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 池田久次 裁判官 亀川清長 杉田宗久)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例