福岡地方裁判所 昭和59年(行ク)5号 決定 1984年4月05日
申請人(選定当事者)
中曽政暁
同
橋本忠夫
同
笠正義
同
森直之
同
池田忠志
同
益田勝美
右申請人ら代理人
清水正雄
清水隆人
被申請人
太宰府市教育
委員会
右代表者委員長
神山太道
右被申請人代理人
川井立夫
小野原肇
右申請人らから当庁昭和五九年(行ウ)第六号通学校指定処分及び転学処分取消請求事件について、行政処分執行停止決定の申請があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
本件申請をいずれも却下する。
申請費用は申請人らの負担とする。
理由
一申請人らの本件申請の趣旨及び理由は、別紙一ないし一一記載のとおりであり、これに対する被申請人の答弁及び意見は別紙一二、一三記載のとおりである。
二当裁判所の判断
1 本件疎明資料、及び申請人らと被申請人の主張の全趣旨を総合すると、次の事実が疎明される。
(一) 太宰府市の昭和五八年三月一四日改正後の太宰府市立学校の通学区域に関する規則では、当時太宰府小学校、太宰府南小学校等六校であつた同市立小学校のうち、太宰府小学校の校区は、北谷、内山等一七地区(秋山地区を含む)、同じく太宰府南小学校の校区が東ケ丘、星ケ丘等九地区と定められていた。
(二) ところが、太宰府市は、福岡市近郊の住宅地として、近年人口増加が著しく、昭和五七年四月に市制を施行しているところ、昭和五五、六年頃から生徒数の増加により、右太宰府小学校と太宰府南小学校が相次いで計画の三〇学級数を超えてマンモス化し、教室不足その他の種々な弊害を生ずるに至つたため、昭和五六年頃から同市の総合計画として、昭和五九年四月の開校を目途に、右両校区の一部ずつを包括する地域を校区とする第七小学校建設を策定した。
(三) そして、太宰府市は、その後、右第七小学校用地を現在の太宰府東小学校の所在地である太宰府市東ケ丘東側に決定したうえ、昭和五七年七月頃から校舎の建設に着手したところ、新設の第七小学校である太宰府東小学校は、同市南部東側の丘陵地を背に、山裾に位置しており、その校区としては必然的に右丘陵地の西方、同小学校の前面、左右(西方、南北)に広がる住宅地が予定された。
(四) 被申請人は、太宰府東小学校の校区につき、昭和五八年九月二八日太宰府市立学校通学区域審議委員会から賛成意見、反対意見の併記された答申を経たが、その前後を通じ、度重なる被申請人委員会での検討を経て、当初の原案から、西鉄太宰府線と国道を境に更に西側に位置する五条西地区と五条地区の一部(五条Ⅱ)をもとの太宰府小学校の校区に修正したうえ、最終的に、旧太宰府小学校々区中五条地区の一部(五条Ⅲ)と秋山地区、湯の谷西地区、旧太宰府南小学校々区中東ケ丘地区、星ヶ丘地区、五条台地区を太宰府東小学校の校区に決定した。
(五) 被申請人は、昭和五八年一二月二八日教委規則第4号により、太宰府市立学校の通学区域に関する規則の一部を改正する規則を制定し、前記のように太宰府小学校と太宰府南小学校の各一部を分割して、新設の太宰府東小学校の校区とする規則の改正を行い、昭和五九年四月一日から施行したところ、太宰府小学校、太宰府東小学校、太宰府南小学校の各位置、及び決定された太宰府東小学校の校区、その修正前の原案、校区内各地区の区境等は、別紙一四、通学区域図のとおりである。
(六) 右太宰府東小学校々区の決定については、主として、太宰府小学校々区から編入されることとなる五条西、五条、秋山、湯の谷西の各地区住民から激しい反対があり、申請人ら及び選定者らは、そのうち秋山地区に居住し、同地区が右太宰府東小学校の校区に編入されることにより、学齢期の児童を同小学校に就学させ、既に太宰府小学校に就学中の児童を転校させねばならない立場にあるものの大部分である。
(七) 申請人ら及び選定者らは、前記湯の谷西地区、五条地区住民らと同様、「秋山区太宰府小学校への通学を守る会」を結成するなどして、種々反対運動を行い、被申請人や太宰府市長への要望、異議申立、太宰府市議会への請願等を行つたが、いずれも採用されなかつたところ、秋山地区以外は、現在までに、前記五条西地区、及び五条地区の一部(五条Ⅱ)がもとの太宰府小学校々区に修正され、五条地区の一部(五条Ⅲ)と湯の谷西地区とが新設の太宰府東小学校への通学を受入れる形で一応結着した。
(八) 申請人及び選定者らは、多くのものが右反対運動の一環として、児童の住民登録を太宰府小学校々区内に移し、同小学校への通学を確保する手段に訴えたりしたが、太宰府市では、それらの実態調査を行つたうえ、その実態がないと判定できたものにつき、住民票の職権消除を行つたのち、被申請人が申請人ら及び選定者ら(但し、申請の趣旨第一、二目録の各通知書記載の日付欄に日付の記載があるものについてであり、且つ、そのなかにも右住民登録の移転、或いは太宰府市による職権消除のない人々もいると考えられる。)に対し、申請人ら主張の各太宰府東小学校への就学校指定通知、並びに就学指定学校変更通知を行つた。
2 そこで、まず、被申請人が昭和五八年一二月二八日行つた前記太宰府市立学校の通学区域に関する規則の改正で、太宰府東小学校の校区に秋山地区が加えられている部分の効力停止を求める、申請人らの申請について判断するに、被申請人が右規則で定めている各市立学校の校区(通学区域)は、教育委員会である被申請人が学校教育法施行令五条二項及び六条に基づき、太宰府市内にそれぞれ二校以上ある小、中学校に関し、児童の保護者に就学校の指定、または指定就学校の変更の通知を行うための運用基準としての意味を有するに過ぎないと解せられる。
すなわち、右校区を定めた規則は、それ自体法規としての性質を有するものではなく、また、右校区の設定、変更によつて、直ちに、児童の保護者の権利義務に変動を生ずるものでもなく、被申請人としては、必ず個々の保護者に対する就学校の指定、或いは指定就学校変更等の通知を行わねばならず、保護者側にも例外的に校区外への指定変更の申立権も認められており、右各通知によつて初めて、児童を就学等させるべき保護者の具体的な義務を生ずるに至るものであるから、右校区の設定自体は抗告訴訟の対象となる処分性を有しないものである。
従つて、被申請人のなした前記校区の設定(変更)が行政処分であることを前提として、その効力の停止を求める申請人らの右申請は不適法であり、却下を免れない。
3 次に、申請の趣旨第一、二目録の通知書記載の日付欄に日付の記載がある申請人ら及び選定者らに対する各就学校指定処分、及び各就学指定学校変更処分のそれぞれ効力停止を求める、申請人らの申請について判断する。
(一) 申請人らは、右各処分の前提として、秋山地区が太宰府小学校々区から太宰府東小学校々区に変更されたことが、合理的な理由を欠く権限濫用行為であり、違法行為であることを主張しており、その根拠として、事前の説明の不充分性、太宰府小学校々区に残された他地区との比較上の通学距離の不合理性、両小学校の生徒数からの不合理性、太宰府東小学校への通学の不便性等を列挙し、右のような合理性を欠く校区変更に基づく本件各処分を受けることにより、申請人ら及び選定者らないしその児童が回復困難な精神的人格的損害を受けると主張する。
そこで、以下検討するに、疎明資料によれば、右申請人ら主張の各点に関して、次の事実が疎明される。
(1) 被申請人は、新設の太宰府東小学校の校区を決定するに当り、各対象地区の住民に何時頃から具体的な校区の線引案を提示して説明したかは、必ずしも明確でないが、遅くとも昭和五八年七月頃から昭和五九年二月頃にかけ、少くとも二〇回以上五条地区、湯の谷地区、秋山地区等関係地区住民、或いはその代表者らに対する右新設校区についての説明会を開催し、そのうち申請人ら及び選定者らの秋山地区住民、代表者らにも五回程度右説明会での説明、ないし話合等の機会を設けた。
(2) 秋山地区は、太宰府小学校と太宰府東小学校との略々中間、むしろ距離的には太宰府小学校の方に近く、申請人らの調査によれば、児童が通学する場合、太宰府小学校への片道通学距離七四六メートルないし一、〇五八メートル、時間にして一五分ないし二五分であるに対し、太宰府東小学校へのそれが一、〇二四メートルないし一、六四四メートル、及び三〇分ないし四〇分である。
(3) 太宰府東小学校の校区設定に際し、当初の原案段階から太宰府小学校々区に残され、秋山地区との比較上、申請人らが最も問題にしている湯の谷地区(申請人ら主張の湯の谷南地区は湯の谷地区の誤り)は、太宰府東小学校々区に編入された湯の谷西地区の北東方向に接続する地区であつて、右両小学校との位置関係、申請人らの調査による児童の通学距離、所要時間も秋山地区と似通つており、大同小異である。
(4) 当初、原案段階で太宰府東小学校の校区に編入され、その後の修正で太宰府小学校々区に戻された五条西地区と五条の一部(五条Ⅱ)は、右両小学校のいずれからも比較的遠い位置にあるが、西鉄太宰府線及びそれと交差する国道の西側にあつて、右鉄道線路と国道により、その東側に位置する五条(Ⅲ)地区等太宰府東小学校々区とは一応截然と区別することができる。
(5) 秋山地区の児童は四七名位(新就学児童を含む、但し、申請人らによると、被申請人の案では五四名になつている、という。)であり、右修正後太宰府小学校々区に戻された五条西地区と五条地区の一部(五条Ⅱ)の児童数は百数拾名であるところ、被申請人は、原案段階で昭和五九年度の太宰府小学校の生徒数一、〇二八名、太宰府東小学校の生徒数九八八名、昭和六三年度がそれぞれ一、一二八名と一、二二四名とのことであり、両小学校の生徒数を平均化するため秋山地区を太宰府小学校々区に残し得ない、と説明していた。
しかし、右修正の結果、昭和五九年度の太宰府小学校の生徒数約一、一九〇名、太宰府東小学校の生徒数約八三〇名、昭和六三年度がそれぞれ約一、三一〇名と約一、一四〇名になり、被申請人が申請人らに説明したところと矛盾するものとなつた。(この点について、被申請人側は、太宰府東小学校の生徒数増加の判断を改めたのと、右修正された地区住民の意見を容れたためである旨口頭釈明をしている。)
(6) 太宰府小学校は、西鉄太宰府線の終点、太宰府駅の近く、太宰府市の中心部に位置し、現在も北谷地区、内山地区等同市北部の広大な地域を校区に含むと共に、同市の中心街のほか、もと、五条地区等同市の南部方面も広くその校区に含んでいたが、既述のような人口増のため、生徒数が増加し、生徒数一、二九〇人余であつた昭和五〇年太宰府南小学校を新設分離した。
しかし、その後も同市の南部を中心に人口増が続き、太宰府東小学校開校前年の昭和五八年当時、太宰府小学校の生徒数が一、三六五名、太宰府南小学校の生徒数が一、四〇八名であり、いずれも適正規模を超え、マンモス校化していた。
(7) 太宰府市の今後の人口動向や生徒数の増減を予測することは困難であるが、西鉄太宰府線の終点太宰府駅付近を中心に考えると、現在のところ、太宰府小学校北方の同校々区に急激な人口増加の気配はなく、反面、新設の太宰府東小学校々区及び前記太宰府南小学校々区付近に、更に人口ひいて児童数の増加が見込まれる状況である。
(8) 新設の太宰府東小学校は、計画段階で予定されていた校舎の床面積四、三一四平方メートル、階段数三、普通教室二四、図工、理科、音楽等の特別教室五、プール、体育館、給食室等を備えており、学校教育施設として特に劣るものとは考えられない。
(9) 秋山地区から太宰府東小学校への通学条件は、東南に接する湯の谷西地区と略々同一であり、主として湯の谷西地区の西側、東ケ丘地区の東側を曲折する市道によることとなるところ、その一部に東側丘陵山裾の山腹部にあたる部分もあるが、太宰府市では、同小学校の開校に向けて、右通学路の拡幅、改良(旧市道の幅員は四メートル、拡幅後の新道は車道六メートル、歩道2.5メートル、計幅員8.5メートル)街路灯の設置、同道路への階段の整備等を行つており、同小学校前面(西)住宅街の通学路の改良と共に、主に秋山、湯の谷西地区等からの前記道路の改良を中心として、同小学校関連交通安全施設費、総額五、〇〇〇万円余の費用をかけ、現に右工事を行つている。
(二) 右疎明された事実によれば、前記説明の不充分性の点はともかくとして、申請人ら及び選定者らの秋山地区、申請人らが問題にしている湯の谷地区、その他原案に上がつた各地区、或いは更にその周辺地区等が新設の太宰府東小学校の校区の対象として検討されたであろうことは当然であるが、原案段階から秋山地区と略々同じ条件にある湯の谷地区が編入されていないことや、西鉄電車の線路と国道で区別されるとはいえ、修正後太宰府小学校々区に戻された五条西地区、及び五条の一部(五条Ⅱ)の関係で、従前の被申請人の説明に矛盾がでてきたこと、そのような矛盾を生ずる結果となる右五条西地区等の要望を容れ、原案を修正したことなど、本件太宰府東小学校校区の設定については、被申請人側にいくらかの落度ないし不手際が窺われ、それが新校区に編入された地区住民の反対運動を特別に刺激し、とりわけ太宰府小学校々区への残留を熱望し、且つそれが正当と信じている申請人らの不協力的姿勢を助長して行つたものと考えざるを得ない。
もつとも、新設校区を設定する場合、どの範囲の地区、地域を分離、編入するか等の点は、マンモス校の解消など当該事案の目的に照らし、関係地区、地域の児童の通学事情、将来の児童数の増減見とおし、住民の意向、その他あらゆる要素を総合して、行政庁の合目的裁量に委ねられていると解するほかはなく、特に、最少の行政区劃である地区を単位に校区を定めるとして、各地区の形状がまちまちであることから、すべての地区住民が全く公平になる校区の線引をすることは至難というべきであるから、偶々、地区相互間に生じたアンバランスにつき、そのアンバランスが特に顕著であるとかの事情がない限り、行政庁に権限の濫用があるとか、その校区の設定について違法があるとまでは断じ得ないと解せられる。
しかして、本件の場合、特に申請人らの主張の湯の谷地区と申請人らの秋山地区が別々の校区に振り分けられた理由につき、右湯の谷地区民が太宰府市議会議員に立候補予定でのちに当選した者に、票集めを条件とする働きかけをしたとか、五条西区等が修正段階で太宰府小学校々区に戻されるにつき、他の同市議会議員らや県会議員・国会議員らの政治的圧力が加えられたためである、等という申請人の陳述書による疎明資料が提出されているが、右資料のみではその具体的な事実関係を的確に認定、判断できるとまではいうことができない。
(三) ところで、申請人ら及び選定者ら秋山地区の児童が既に就学している太宰府小学校での学校関係、人間関係を継続することに一定の利益を有し、逆に太宰府東小学校への就学を望んでいないことは容易に推認できるところであり、現にその趣旨の疎明資料も多く提出されているが、右に述べたとおり、本件の場合、限られた時間と疎明資料によつて、秋山地区の校区編入、引いて申請人ら及び選定者らに対する本件各処分が違法かつ不合理であるか否かを判定することは困難といわなければならず、結局この点の解明は本案訴訟の審理を待つほかない。
以上の検討結果によれば、通学中ないし就学予定の学校を、被申請人の合理的理由を欠く処分によつて一方的に変更されたことにより申請人ら及び選定者らないしその児童が回復困難な精神的人格的損害を受けるとの申請人らの主張は必ずしも疎明されたということはできない。
よつて、本件については、行政事件訴訟法二五条の、処分によつて生ずる回復困難な損害を避ける必要がある場合、という執行停止の要件の疎明が十分でないものとして、効力停止の申請を認めず、各処分の適否につき本案訴訟の審理により最終的解決を計る、とするのが相当である。
三以上により、申請人らの本件申請はいずれも理由がないので、その余の判断を省略してこれを却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。
(田中貞和 山口毅彦 池谷泉)
別紙一〜一四<省略>