福岡地方裁判所 昭和60年(ワ)491号 判決 1990年4月09日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金四四三四万四四〇三円及びこれに対する昭和五四年八月二三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
原告は、昭和五四年八月二二日午後五時一三分ころ、熊本県荒尾市西原町一丁目八―二四先交差点手前で停車中の光永元行運転の普通乗用自動車(以下「原告車」という。)の後部座席に乗車していたところ、前方から進行してきた、被告の従業員である酒井光夫が運転する乗合自動車(以下「被告車」という。)が、右の交差点を左折しようとした際に、被告車後部を原告車の側面に衝突させたため、頸髄不全損傷、膀胱直腸障害等の傷害を負つた。
2 被告の責任
本件事故は、酒井が被告車を運転するに際し、前方注視義務を怠り、漫然と左折進行したために発生したものであり、酒井の過失に基づくことは明らかである。そして、本件事故は、被告の従業員である酒井が、被告の業務執行中に発生させたものであるから、被告は、民法七一五条一項により、酒井の使用者として、原告の、本件事故による傷害に基づく損害を賠償すべき義務を負う。
3 原告の損害
(1) 逸失利益 二六三四万四四〇三円
本件事故により、原告には頸髄不全損傷の後遺症が残り、右後遺症は、昭和五八年九月二〇日症状固定した。原告は、右後遺症によつて、全身麻痺の状態に陥つた。原告に労働能力喪失率は、自賠法施行令の後遺障害等級表の第一級第三号に該当するから、一〇〇パーセントである。
原告は、本件事故当時、四〇歳であつたから、賃金センサスの学歴計・四〇歳の女子の平均給与額二一八万四七〇〇円にホフマン係数一二・〇七六九を乗じて計算すると、原告の逸失利益は、二六三四万四四〇三円となる。
(2) 後遺症慰謝料 一六〇〇万円
原告は、本件事故による後遺症によつて、今後労働はもちろん通常の日常生活を営むことさえ不可能になり、一生介護を受けて生活することを余儀無くされ、死にも匹敵する精神的苦痛を被つた。
右の精神的苦痛に対する慰謝料としては一六〇〇万円が相当である。
(3) 弁護士費用 二〇〇万円
4 よつて、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、金四四三四万四四〇三円及びこれに対する本件事故の日の翌日である昭和五四年八月二三日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1のうち、原告車と被告車が衝突したこと及び本件事故当時原告が原告車に乗車していたことは否認し、原告車が停車中であつたことは争うが、その余の事実は認める。原告車と被告車とは、衝突したのではなく、極めて軽微な接触をしたにすぎない。また、原告は、当時、原告車に乗車しておらず、本件接触事故後、光永が原告を入院先の病院から連れ出して乗車させたものと考えられる。仮に、原告が原告車に乗車していたとしても、本件事故によつて、原告が頸髄不全損傷、膀胱直腸障害等の傷害を負つたことは否認する。原告は本件接触事故の前から長期入院状態にあり、原告が主張する傷害が本件接触事故によつて生じることは考えられない。
2 請求原因2のうち、酒井が被告の従業員であること及び本件接触事故が被告の業務執行中に起きたものであることは認めるが、その余は否認する。
3 請求原因3の事実は否認ないし争う。
三 抗弁
1(和解)
原告と被告との間で、昭和五四年一一月七日、(1)被告は原告に対し慰謝料、付添看護料その他を含む示談金二三万五〇〇〇円を支払う、(2)原告の治療費は昭和五四年一〇月三一日まで被告が負担する、(3)本件事故に起因する後遺症が東外科医院で立証された場合は保険を限度として被害者請求をする、(4)以上で一切を円満に解決し、今後被告及び担当乗務員に対し、異議申出をしない、との和解が成立した。
2(消滅時効)
本件事故が発生したのは昭和五四年八月二二日であり、また、同年一一月七日には前記の和解が成立している。それらから三年を経過しているので原告の本件事故に基づく損害賠償請求権は時効によつて消滅した。
被告は、右時効を援用する。
四 抗弁に対する認否
抗弁の主張は争う。
第三証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
理由
一 請求原因1項のうち、昭和五四年八月二二日午後五時一三分ころ、熊本県荒尾市西原町一丁目八―二四先交差点付近で、被告車が、右の交差点を左折しようとした際に、被告車後部を原告車の側面に接触させたという限度においては、当事者間に争いがない。
成立に争いのない乙第二号証の三・四、証人内野三郎の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる乙第一五号証並びに証人光永元行の証言により原告車を撮影した写真であることを認めることのできる丙第二号証の一・二によれば、本件事故は、被告車が、右の交差点手前約三メートルの地点で一旦停車し、対向して進行してくる原告車と離合する際、時速約三キロメートルの速度で約三メートル進み、やや左に転把し約一・八メートル進行した時、被告車が原告車の側面に接触したという、接触事故であり、被告車を運転していた酒井が、異音を感じたため停車し、下車して確認したところ、原告車の側面に痕跡が残つていたことから、はじめて原告車と接触していたことに気づいたという程度のものであること及び原告車については、修理工場で、フエンダー部分を切り替える修理がなされたことを認めることができ、証人光永元行の証言中、右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らして採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
被告は、原告は本件事故当時、原告車に同乗していなかつた旨主張するが、証人光永元行の証言によれば、一応、原告は本件事故当時、原告車に同乗していたことを認めることができる。
二 そこで、本件事故により、頸髄不全損傷、膀胱直腸障害等の傷害を負つたとの原告の主張について検討する。
1 成立に争いのない甲第一、第三号証、第六号証の一ないし五、乙第二号証の五、第七号証及び証人塩塚洋一の証言によると、原告の治療にあたつた東医師は、事故の当日、むちうち症、腰部挫傷の病名により、約二〇日間の加療を要する旨診断し、昭和五八年九月二七日には、むちうち症、腰部挫傷の傷病については、事故当日である昭和五四年八月二二日から同年一〇月三一日まで入院させたうえで治療したが、昭和五八年九月二〇日に症状固定したと診断していること、原告は、昭和五七年八月二八日から同年九月ころにかけて、頸髄症の傷病名で大牟田市立病院に入院したこと、原告が、頸髄不全損傷、膀胱直腸障害の傷病名で、昭和五八年八月二五日から昭和五九年一月三一日まで入院し、同年二月一日から同年三月二二日までは通院した、高橋整形外科医院の高橋医師は、本件事故による受傷として、右の頸髄不全損傷、膀胱直腸障害の傷病をあげ、昭和五八年九月二〇日に症状が固定した旨診断していること及び原告は、昭和五九年一〇月ころから、頸脊損による下半身麻痺、尿路感染症等の傷病名で何度か米の山病院に入院したが、同病院で原告の治療にあたつた塩塚医師は、原告を脊髄損傷による下半身麻痺であると診断し、その損傷の原因は外傷によるものと考えられる旨判断していることを認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
2 しかし、成立に争いのない乙第八号証の五によれば、原告は、本件事故当日にいたるまで昭和五三年三月二五日から、全身衰弱、低血圧、心悸亢進、腰仙部・右膝関節・右肘・右肩関節痛等のため、東外科医院に入院中であり、ことに、同病院から荒尾市福祉事務所に対し、同年一〇月五日に原告の衰弱が甚だしい旨及び昭和五四年七月二六日には原因不明の微熱が続いているので、精密検査を受けた方がよい旨の連絡がなされていることを認めることができる。さらに、原告は、本件事故の前後にわたつて、種々の病名によつて、いくつかの病院への入、退院を繰り返していたことが認められるのである。すなわち、
(1) 前掲乙第八号証の五によれば、原告は、<1>昭和四六年二月九日から同年一一月七日まで、東外科医院に全身衰弱、肝炎及び多発性関節リウマチにより、入院し、<2>昭和四七年一〇月末に、光永運転の軽乗用車に同乗中、停車中の車に衝突するという事故にあい、東外科医院に入院し、昭和四八年二月四日に退院するまで治療を受け、<3>昭和四九年一月一七日から同年九月一七日まで、東外科医院に、肝炎等の症状による衰弱などにより、入院し、<4>昭和四九年一月ころから昭和五〇年一〇月ころまで、膵臓、胃炎、るい痩症等の治療のため、中島医院に通院し、<5>昭和五〇年一一月六日から同年一二月六日まで、右悸肋部痛、胆石症の疑い等の理由で荒尾市民病院に入院し、<6>昭和五〇年一二月一二日から昭和五一年一月二〇日まで、下血のため、荒尾市民病院に入院し、<7>昭和五一年二月九日から同年四月八日まで、胆道ジスキネジー症で、白鳩診療所に入院し、<8>昭和五一年七月二七日から同年八月一三日まで腰痛症で、木通医院に入院し、<9>昭和五一年九月二〇日から昭和五二年一月二四日まで、腰痛症で、東外科医院に入院し、<10>昭和五二年六月六日から昭和五三年三月一七日まで、左膝関節打撲等により、東外科医院に入院していたことを、それぞれ認めることができる。
(2) 次に、成立に争いのない乙第六号証の一ないし三、第九号証の一ないし三によれば、原告は、東外科医院において、昭和五四年三月に、<1>腰殿部打撲、低血圧症、胃腸炎、<2>右肩・右肘関節ロイマチス、<3>心不全、<4>顔面・頸部湿疹、<5>右膝関節炎、<6>気管支炎、の傷病名で治療を受けており、同年七月及び同年八月には、<1>低血圧症、胃腸炎、<2>右肩・右肘関節ロイマチス、<3>心不全、<4>顔面・頸部湿疹、<5>右膝関節炎、<6>気管支炎、<7>腰痛症、<8>化膿性膀胱炎、という全く同じ傷病名で治療を受け、さらに、同年九月から一一月にかけて右の<1>ないし<7>及び<8>貧血症の傷病名で治療を受け続けていることを認めることができる。
(3) 成立に争いのない乙第一一号証の三によれば、原告は、昭和五七年一月一七日に大牟田市立病院において子宮筋腫で手術を受け、さらに、同年八月九日に腰痛、しびれ感、脱力感、歩行困難を主訴として大牟田市立病院に入院したことを認めることができる。
そして、成立に争いのない乙第三、第四号証によると、原告の治療にあたつていた東医師は、昭和五四年一一月六日には、原告の、むちうち症、腰部挫傷の病名については、同年一一月一日治癒し、後遺障害の有無については「無し」と診断していること及び昭和五八年一二月一七日には、昭和五四年一〇月三一日でむちうち症、腰部挫傷に対する加療を打ち切り、その後、他の疾病を理由に入院加療を継続し、原告には四肢の筋萎縮がみられるが、これは瘢痕性のものと考えられ、むちうち症、腰部挫傷とは無関係と思われると判断していたことを認めることができるのである。
3 なお、本件事故に関しては、前掲乙第二号証の三及び証人光永元行の証言によると、荒尾警察署の司法巡査は、捜査の結果、署長に対し、被告車を運転していた酒井の処分につき、(1)わずかに痕跡の残る程度の離合時の接触事故であること、(2)原告は病気入院治療中で、本件事故で受傷したかどうか不明であることの二つを理由として保留処分の伺いをしていること並びに原告車を運転していた光永は、本件事故によつて受傷せず、病院で診察を受けたこともなかつたことを認めることができる。
また、成立に争いのない乙第一号証によれば、昭和五四年一一月七日、光永の関与のもとで、原告と被告との間に、(1)被告は原告に対し慰謝料、付添看護料その他を含む示談金二三万五〇〇〇円を支払う、(2)原告の治療費は昭和五四年一〇月三一日まで被告が負担する旨の示談が成立したことを認めることができるのである。
右の2及び3において認定した事実に、一項において認定した本件事故の態様を考え合わせると、本件事故から、原告の主張するような重い症状が生じると考えることはできず、前記の1において認定したところから、直ちに原告の症状と本件事故との因果関係を認めることはできないし、他に、右の因果関係を認めるに足りる証拠はない。
原告の症状については、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認めることのできる乙第一二号証及び証人塩塚洋一の証言によれば、多発性硬化症の疑いも否定できないといわざるを得ないのである。
三 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないので、棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐久間邦夫)