福岡地方裁判所 昭和61年(ワ)2634号 判決 1988年2月09日
原告 甲野太郎
被告 前田証券株式会社
右代表者代表取締役 柴田宰
右訴訟代理人弁護士 佐藤安哉
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、八八〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一八日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、昭和六〇年一〇月一八日、被告との間で、国債先物取引委託契約(以下「本件委託契約」という。)を締結した。
2 原告は、本件委託契約に基づき別紙債権先物取引勘定一覧表1に記載のとおり、昭和六〇年一〇月一九日から同年一二月一七日までの間、被告に依頼して国債先物の売付及び買付を行い、その結果、七八〇万円の損害を被った。
3 原告は、「細心の注意ときめ細かなサービスによって要望に十分お応えできる。」「他社に劣らない情報網が整備されており、情報提供、奉仕の面で何ら他社に劣ることはない。」などという被告の言を信じて本件委託契約を締結するに至ったものであるが、被告は、証券会社として当然備え付けておくべき国債先物ボード及び国債現物ボード(国債指標ボード)の備付けをしなかったばかりでなく、(被告が当時所持していたのは、クイックのみであって、これでは高値、安値、現在値等の値動きが分からないから不十分である。)昭和六〇年一二月一〇日の取引に際しては、値上がりの危険があったにも拘らず、原告の質問に対して「上がる理由はない。」などと誤った情報を提供するなど、国債先物取引をするのに必要、適切な情報の提供を全くしなかったため、原告は前記損害を被ったものである。
よって、原告は、被告に対し、債務不履行に基づく損害の賠償として、先物取引による損害七八〇万円及び慰謝料一〇〇万円並びにこれらに対する契約締結日である昭和六〇年一〇月一八日から右完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否及び被告の主張
1 請求の原因1の事実は認める
2 同2については、原、被告間の取引内容は、別紙債券先物取引勘定一覧表2(以下「別表2」という。)のとおりであり、原告の損失額は、七八〇万円である。
3 同3は争う。
4 被告は、本件取引をするに際し、東京証券取引所(以下「取引所」という。)からの情報を初め、通常取得可能な情報機器による情報の提供を行っており、原告に対しても、その内容を説明した上で本件委託契約を締結し、取引を始めたものである。本件当時被告の有していた情報機器による情報システムとしては、株式会社市況情報センターから提供されるビデオ―1があったが、被告は、この他、債券先物取引を開始するに当たり、新たにビデオBMというシステムを導入することとして顧客の需要に応じる態勢を取りつつあった。ビデオ―1による情報量は、ビデオBMと比較するとはるかに少ないものであり、被告は本件当時ビデオBMを有していなかったが、これが債務不履行を構成するものではない。
第三証拠《省略》
理由
一 請求の原因1(本件委託契約の成立)の事実は当事者間に争いがないところ、《証拠省略》によれば、原告は、昭和六〇年一〇月一八日、被告との間で、同月一九日に開設される債券先物取引市場における国債の先物取引につき、取引所の受託契約準則等に従って取引すること等を内容とする本件委託契約を締結し、同月一八日ころ、委託証拠金として四〇〇万円及び二〇〇万円相当の債券を被告に交付したことを認めることができる。
二 次に、請求の原因2の事実(国債先物の取引)についてみるに、《証拠省略》によれば、原告は、被告南福岡営業所に勤務する被告の社員森光寿を介し、別表2に記載の通り昭和六〇年一〇月一九日から同年一二月一七日までの間、合計一八回にわたって長期国債標準物の売付及び買付を行ったこと(以下「本件取引」という。)、その際、売りないし買いの最終的な意思決定は全て原告が行い、値段についても原告の指値により売買が行われたこと、その結果、本件取引による原告の損益は、同表2の「決済損益」欄の記載の通り、合計七八〇万円の損失となったことを認めることができ(る。)《証拠判断省略》
三 そこで、請求の原因3(被告の債務不履行)の事実について以下判断する。《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができ、右認定を左右するのに足りる的確な証拠はない。
1 被告は、証券取引法に基づき、大蔵大臣の免許を受けて設立された証券会社であるところ、昭和六〇年一〇月の時点では、株価に関する市場情報を入手する手段として、株価通報回線を用いて取引所から株価情報を直接入手する方法と、株式会社市況情報センター(以下「センター」という。)が制作した株価等の情報システムであるクイックシステムを用いる方法とを有していた。この内、前者は、被告会社に設置された複数のテレビ画面に取引所から送られてくる最新の株価情報を四本値(始値、高値、安値及び現在値)表示方式で刻々と表示するものであったが、同システムは、当時、株式についてしか用いられておらず、国債の市場情報については全く扱われていなかった。次に、後者については、その情報の種類、内容により幾つかの方式に分けられていたが、当時被告が有していたのはこのうちの「ビデオ―1」と呼ばれるものであった。ビデオ―1(原告の言う「クイック」)は、センターが取引所から入手した最新の株価情報を、他の関連情報と共にテレビ画像を通じて迅速に顧客に流し、顧客はキーボードを操作することにより、送られた情報の中から取捨選択して必要なものを画面に引き出すという方法による情報システムで、これにより、刻々と変化する現在値を含めた株価の四本値や銘柄ごとの決算状況等の関連情報も入手することができた。そして、右情報の内、株価については、テレビの画面だけでなく、これと連動した表示板(指標ボード)にも表示することができるようになっていたが、被告は当時これを有していなかった。このビデオ―1の機器は、福岡市所在の本社の他、南福岡営業所にも設置されていた。
2 これに対し、債券先物取引については、同市場が昭和六〇年一〇月一九日に開設されたこともあって、取引価額等の情報を入手する手段は株式の場合に比べて限られており、開設当初は前記の通り株価通報回線が利用できなかったため、被告としてはクイックシステムに頼る他はなかった(同一機器が株式取引と債券取引とに併用されていた。)。そして、原告は、前記森光寿を介して、ビデオ―1から国債先物取引についての情報を入手していた。しかしながら、被告が当時用いていたビデオ―1は、システムとして債券先物取引についての四本値表示ができず、単に、国債の銘柄(限月)ごとに一日六回、その各時点における現在値のみが表示されるに止まるものであった(一本値表示)。そこで被告は、取引所での値動きに即応して銘柄(限月)別の四本値を刻々と表示し、これに加えてビデオ―1以上の様々な関連情報も表示できる「ビデオBM」と呼ばれるシステムを新たに導入することとして準備を進めた結果、昭和六〇年一〇月二五日に被告の本社に設置されるところとなり、現実に利用できる状態となった。しかしながら、被告南福岡営業所にはビデオBMは設置されず、従ってビデオBMからの情報を直接に利用することはできなかったが、本社に問い合わせることにより同一内容の情報を遅滞なく入手することが可能であった。なお、同月一九日の時点においては、ビデオ―1とこれと連動する表示板たる指標ボードは、いずれも一日六回それぞれの時点における現在値を表示することができるに止まり、現実の値動きの変動に即応した情報を迅速に入手することはできなかったから、一覧性に違いはあるものの、国債の最も新しい取引価格を知り得る時期という点では機能的に殆ど差異がみられなかった。
3 昭和六〇年一〇月一九日の時点において、福岡市内に本支店のある証券会社二〇社(本社があるのは被告のみ)は全てクイックシステムを採用していたが、この内、指標ボードを設置していたのは九社にすぎず、ビデオBMを設置していた会社に至っては皆無の状態であった。なお、刻々と変化する債券先物の取引値をビデオ―1がその都度直ちに表示できるようになったのは、昭和六一年三月のことである。また、福岡市において、取引所の株価通報回線を用いて債券先物の価格(四本値表示)及び取引量を知ることができるようになったのは、昭和六一年八月初めになってであった。
右認定の事実によれば、ビデオBMは、国債先物取引市場におけるその時々の最新の取引価格を瞬時に知ることができ、併せてその日の始値、高値及び安値も同時に把握できる上、関連情報も豊富に入手できるという意味で、昭和六〇年一〇月の時点では最も優れた情報入手システムの一つであるということができるところ、被告は、同月二五日に、福岡市における同業他社に先駆けて同システムを導入しており、これを直接利用できない南福岡営業所においても、本店に問い合わせることによって本社におけるのと同様の情報を遅滞なく知り得る状況にあったものと解される。この点に関し、原告は、証券会社としては国債先物ボード及び国債現物ボード(国債指標ボード)を当然備え付けておくべきである旨主張する(それが何を指すかは必ずしも明らかではないが、前者は先物取引についての表示板を、後者は現物取引についての表示板をそれぞれ指すものと解される。)が、ビデオBMの前記機能に鑑みるときは、右主張が理由のないものであることは明らかである。そうすると、少なくとも被告がビデオBMを導入した同月二五日以降については、債券先物取引に関する情報提供のシステムの面で被告に債務不履行(証券会社として通常有すべき情報機器を有していないこと。)があったということはできない。
次に、ビデオBMが設置される以前の状況についてみるに、前記認定の通り、被告は、債券先物の市場情報(特に取引価格)を知り得る手段としてビデオ―1しか備えておらず(同システムでは四本値の表示できなかった。)、これによっては、刻々と変動する取引価格を瞬時に把握することができなかったものではあるが、少なくとも一日六回は現在値が表示され、国債先物の値動きの概要は十分把握しえたと解されること、ビデオ―1のみに頼っていた期間が約一週間と短く、時期的にも債券先物市場が開設されて間もない過渡的な時期であったこと、福岡市内にある同業他社の各支店も情報システムの面では被告とほぼ同様の状態であったこと、ビデオ―1が株式の場合と同じく四本値表示となり、最新の現在値を瞬時に表示できるようになったのは昭和六一年三月であること、福岡市においては株価通報回線を用いた取引所からの情報は昭和六一年八月までは利用できなかったこと、最新の取引価格把握という面での指標ボードとビデオ―1との機能上の差異は当時殆どなかったことなどの諸事情に鑑みると、指標ボードを備えていなかったことを含め、被告が本件取引時に有していた情報機器等が証券会社として当然有すべきものに比して不十分であったとは解し難いところである。
また、本件取引に際して、被告が誤った情報を提供したことを認めるのに足りる的確な証拠はない。
以上によれば、被告は、本件取引に際し、当時通常取得可能であった情報機器を利用して国債先物取引に関する情報を原告に提供していたというべきであるから、被告が適切かつ必要な情報を全く提供しなかった旨の原告の主張が理由のないことは明らかというべきである。
四 以上の事実によれば、本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 奥田正昭)
<以下省略>