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福岡地方裁判所 昭和62年(ケ)345号 決定 1990年10月02日

主文

別紙物件目録記載の不動産について、上記の者に対する売却を不許可とする。

理由

一  一件記録によれば、次の事実が認められる。

当裁判所は、社団法人しんきん保証基金の申立により、昭和六二年四月一六日、別紙物件目録記載の土地、建物(以下「本件土地、建物」という。)について不動産競売開始決定をした。昭和六三年七月一一日、評価人が本件土地の評価額を一七〇万九〇〇〇円、本件建物の評価額を四八〇万九〇〇〇円とする評価書を提出したので、当裁判所は、これに基づき昭和六三年七月二五日、本件土地、建物を一括売却に付することにするとともにその最低売却価額を六五二万円と決定した。その後、期間入札の方法で売却が実施されたが入札者がなかったため、昭和六三年一〇月四日、当裁判所は、特別売却の方法で売却を実施することとしたところ、甲野春子(以下「甲野」という。)が買受申出をし、平成二年二月二六日、同人が最高価買受申出人と定められ、同年三月五日、売却許可決定期日が同年三月一二日と指定された。

ところが、甲野は、買受申出をした後になってはじめて、本件建物において元所有者が自殺したことを知り、売却許可決定期日の前である平成二年三月七日、当裁判所に対し売却不許可を申出た(甲野が提出した申出書に明言されてはいないが、右申出は民執法七五条一項、一八八条に基づくものであることは明らかである。)。その際、甲野は、右自殺の事実を述べる近隣の住民二名作成にかかる陳述書と、右自殺の経緯について述べたものでかつて隣地に居住し元所有者と同じ会社に勤務していた者の陳述を録取した書面を提出した。

当裁判所で警察署長に照会したところ、元所有者は昭和五八年八月九日に死亡したことが判明した。

しかしながら、七年前に元所有者が本件建物内で自殺したことは、前記評価書、現況調査報告書及び物件明細書のいずれにも記載されておらず、最低売却価額の決定に際してもこのことは考慮されていなかった。

そこで、当裁判所は、自殺があったことを前提とした評価額につき、評価人の意見を求めたところ、評価人は、平成二年三月一九日、当裁判所に対し、右自殺があったことを前提とする評価額は建物につき前の評価額より三〇パーセント減価すべきである旨記載した意見書を提出した。

二  以上の事実をもとに、以下民執法七五条一項、一八八条の適用につき検討する。

(1) まず、自殺と交換価値の減少の関係につき検討する。

およそ個人の尊厳は死においても尊ばれなければならず、その意味における死に対する厳粛さは自殺かそれ以外の態様の死かによって差等を設けられるべきいわれはなく、それゆえ自殺自体が本来忌むべき犯罪行為などと同類視できるものではなく、また自殺という事実に対する評価は信条など人の主観的なものによって左右されるところが大であって、自殺があったそのことが当該物件にとって一般的に嫌悪すべき歴史的背景であるとか、自殺によって当該物件の交換価値が直ちに損なわれるものであるとかいうことは、とうてい客観的な法的価値判断というに値するものではない。

しかして、以上のような問題に係わり、人の居住用建物の交換価値が減少をきたすというためには、買受人本人が住み心地のよさを欠くと感ずるだけでは足りず、通常一般人において住み心地のよさを欠くと感ずることに合理性があると判断される程度にいたったものであることを必要とすると解すべきである。これを本件においてみると、今もなお、近隣の住民が上記自殺について遍く知悉しており、買受人である甲野も買受申出後すぐに右事実を知らされ、かつ、その求めに応じて前記書面の作成をする程度の諸状況が存在していることから、七年前の出来事とはいえ近隣のうわさは依然として根強いものが残っていていまだ旧聞に属するなどとはとてもいえないこと、そして、本件土地の周囲の状況が農家や住宅が点在してはいるが、山間の田園地帯であり、必ずしも開放的な立地条件であるとはいえず、これらの諸環境からして、この後も、近隣のうわさが絶えることは簡単には期待し難いこと、現に、本件土地、建物は、近時、売却率がかなり高く、一物件当たりの入札者も多い当庁の期間入札では入札者がなく、特別売却を実施してから一年以上経過してようやく買受申出人が現れたこと等を併せ考慮すると、本件建物に居住した場合、上記自殺があったところに居住しているとの話題や指摘が人々によって繰り返され、これが居住者の耳に届く状態が永く付きまとうであろうことは容易に予測できるところである。

してみると、本件建物がなお以上のような生活的環境に取り囲まれているということは、一般人において住み心地のよさを欠くと感ずることに合理性があると判断される程度にいたる事情があり、本件建物につき交換価値の減少があるということは否定することができない。

(2) 次に、本件のように、物理的損傷以外のもので、かつ、買受け申出以前の事情による交換価値の減少の場合にも民執法七五条一項、一八八条が適用されるかについて検討する。

民執法七五条一項、一八八条にいう天災その他による不動産の損傷とは、本来、地震、火災、人為的破壊等の物理的損傷を指すものと解されるが、買受人が不測の損害を被ることは、右の物理的損傷以外で不動産の交換価値が著しく損なわれた場合も同様であるから、右の場合も同条項を類推適用しうると解すべきである。また、同条項の文言によると、右損傷は、「買受けの申出をした後」に生じた場合に限定しているが、買受けの申出の前に生じた損傷についてもこれが現況調査、評価人の評価、それに基づく最低売却価額の決定及び物件明細書の記載に反映されていない場合もあり、買受申出人が買受け申出前に右事情を知らない限り、買受申出人にとってみればそのような場合も買受け申出後に損傷が生じた場合となんら選ぶところがないから、右のような場合も同条項を適用しうると解すべきである。

これを本件においてみるに、前示のように元所有者の自殺に起因した住み心地のよさの欠如による交換価値の減少が認められ、また、買受けの申出の七年前に生じた事情ではあるが、それは、現況調査、評価人の評価、これに基づく最低売却価額の決定及び物件明細書の記載に反映されておらず、買受申出人甲野も買受け申出前には右事情を知らなかったことが認められるから、本件においても民執法七五条一項、一八八条の適用を妨げないというべきである。

(3) また、前示のように、平成二年三月一九日に提出された評価人の意見書では、自殺があったことについての評価理論上の取扱いはともかく、これを前提とする評価額は建物について前のそれより三〇パーセント減価すべきものとしていることを考慮すると、前記交換価値の減少は軽微なものといえないことは明らかである。

以上によれば、本件において元所有者が本件建物内で自殺したということに縁由した上記生活的環境は、結果的に、本件建物の交換価値に著しい減少をきたしたということができるから、前記のように民執法七五条一項、一八八条の類推適用があると解すべきである。また、本件建物が本件土地と一括売却になっていることにかんがみ、本件土地についても売却を不許可とすることが相当である。

したがって、民執法七一条五号、一八八条により、本件売却を不許可とすることとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 澤野芳夫)

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