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福岡地方裁判所 昭和63年(行ウ)6号 判決 1991年8月08日

原告

藤本富栄

右訴訟代理人弁護士

徳本サダ子

被告

直方労働基準監督署長上野徹郎

右指定代理人

宮城清英

調所和敏

伊藤国彦

花房章司

古賀恒次

下川直俊

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が昭和五七年一一月二九日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による障害補償給付支給に関する処分を取り消す。

第二事案の概要

一  争いのない事実等

1  原告(昭和三年一月一六日生)は、株式会社大和銀行直方寮の寮母として勤務中の昭和五四年七月下旬と同年八月一六日の二回にわたり、寮生が予告なく使用したくん煙殺虫剤(バルサンPジェット)の煙に晒され、その結果、接触性皮膚炎を発病した。

2  原告は、右疾病を理由に昭和五五年八月二二日被告より業務上の災害の認定を受け、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく療養補償給付を受けていたが、被告は、昭和五六年六月三〇日に右疾病は症状固定により治癒したと認定して、同日右給付を打ち切った。

そこで、原告が被告に対し右疾病による残存障害について労災保険法に基づく障害補償給付を請求したところ、被告は、昭和五七年一一月二九日付けで、労災保険法施行規則別表第一障害等級表(以下「障害等級表」という。)の障害等級第一四級の九(以下、障害等級はすべて同表所定のものを指す。)の「局部に神経症状を残すもの」に該当するとして、同等級相当額の障害補償給付金を支給する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

同年一二月一日本件処分の通知を受けた(<証拠略>)原告は、本件処分を不服として、昭和五八年一月一〇日福岡労働者災害補償保険審査官に対し本件処分の審査請求をしたが、同審査官は同年五月六日付けで右請求を棄却し、同月一一日右棄却決定は原告に通知された(<証拠略>)。そこで、さらに、原告は、同年七月七日付けで労働保険審査会に対し再審査請求をした(同月八日受理)が、同審査会も昭和六三年一月二二日付けで右請求を棄却し、右棄却決定は同年二月一日原告に通知された(弁論の全趣旨)。

二  争点(本件処分の違法性の有無)

本件の争点は、原告の右疾病による残存障害が、本件処分が前提として認定した障害等級第一四級(の九)を超えるものであるか否かである。

1  原告の主張

(一) 原告の疾病は、原告が前記殺虫剤に晒された昭和五四年八月一六日直後ころから顔面が発赤して紫色に腫れ上がっただけでなく、動物性蛋白を摂取したり、合成樹脂を素材とするいわゆる新建材、殺虫剤、紫外線等に接触すると顔面に紅斑ができ、その部分に痛痒を感じたり、眼球が充血して痛みがあったり、前頭部にも痛みが生ずるという症状であったが、その後、顔面の発赤や腫れなどの急性症状はなくなり、腫れがひいた部分の黒い色素沈着も軽小化したが、動物性蛋白を摂取したり、新建材等に接触した場合に顔面の蕁麻疹様紅斑や痒み及び両眼球結膜の充血や痛みなどを発症する症状は、症状固定後の残存障害として現在まで続いている。

(二) 右症状のため、原告は、昭和五四年一一月から定年退職した昭和六三年一月一八日まで、ほぼ三か月に一度の割合で、雇主の大和銀行に対して、医師の診断を受けたうえ長期欠勤願いを提出して欠勤及び休職の承認を受けていた。

(三) したがって、原告は、右症状により現実に定年まで稼働できなかったばかりか、現在に至るまで労務に服することができないのであるから、障害等級としては、神経系統の機能障害により労務に何らかの支障を来す第三級の三、第五級の一の二、第七級の三、第九級の七の二のいずれかに該当する。

2  被告の反論

(一) 本件残存障害は、動物性蛋白を摂取したときなどに発生する顔面の痒みや眼球結膜充血による眼の痛みであって、顔面に局限した神経症状である。

したがって、障害等級第一二級以下の局部の神経系統の障害にとどまり、原告主張の障害等級第三級ないし第九級の神経系統の機能障害には該当しない。

(二) 次に、局部の神経症状障害については、「がん固な」神経症状であるか否かによって障害等級第一二級の一二と第一四級の九が区別されているが、その認定基準として、疼痛等感覚異常については、「労働には通常差し支えないが、時には強度の疼痛のためある程度差し支える場合があるもの」が同第一二級、「労働には差し支えないが、受傷部位にはほとんど常時疼痛を残すもの」が同第一四級となると解釈・運用されていること及び労災保険法上の障害補償が障害による労働能力喪失に対する損失てん補を目的としていることからすると、結局そのいずれに該当するかは、障害の程度が労働に差し支えることがあるか否かによって決められることとなる。

そこで、原告の右症状について、右基準によりその障害等級を考えると、右症状は動物性蛋白を摂取するなどに限って発生するものであるし、また、それは原告の基礎疾病としての女子顔面黒皮症に前記殺虫剤が一時的に増悪因子として作用した接触性皮膚炎によって発病したもので、その増悪部分の残存障害の程度は軽微と考えられることから、労働に差し支えないものであると評価できるものであり、したがって、原告の業務上の災害と因果関係のある障害の程度は、せいぜい障害等級第一四級の九の「局部に神経症状を残すもの」に該当するにとどまる。

第三争点に対する判断

一  証拠(<証拠・人証略>)によれば、次の事実が認められる。

1  原告の既往症

原告は、昭和四八年秋以降、大和銀行の健康診断の際皮膚の異常を指摘され、顔面の色素沈着(しみ)や痒みが原因で、昭和四九年五月ころから飯塚市所在の西園医院に通うようになり、「顔面湿疹兼肝斑(軽いしみ)と診断され、主にしみ取りの治療をおよそ週一回の割合で本件くん煙殺虫剤(バルサンPジェット)に晒される直前の昭和五四年八月一六日まで受けていた。右症状は、治療により軽快はしていたが、慢性化していて完治してはいなかった。また、前記のとおり昭和四八年一一月二九日の医師の健康診断所見で顔面の皮膚が暗褐色調と指摘されて以来、その後の健康診断においても度々同様の所見が記載されているが、原告の顔色は、主治医である西園医師からみても、さほど黒みがかった褐色ではなく、右所見は前記のとおり肝斑の症状であると診断された。

2  本件被災による皮膚炎発病とその治療の経緯

原告は、前認定のとおりくん煙殺虫剤の煙に晒されたが、その二回目の昭和五四年八月一六日直後から顔面に異常を覚え、翌日になると、顔が紫色に発赤して腫れ、目も腫れふさがり、目の奥が疼いて痛むようになった。原告は、お盆休み中でもあったため、とにかく診てもらえる医者に応急処置をしてもらい、その後の同月二〇日以降は、以前から通院していた西園医院で治療することとした。同医院での治療の結果、同年一〇月末ころは、顔面の腫れが少しずつひいて、炎症により赤みがかっていた部分が黒くなってきた。そして、翌年になると、原告の前記顔面の紫色の腫れはかなり軽快し、同年末には、顔の腫れは普通の状態に戻り、遅くとも昭和五七年一〇月ころには、顔面の色素沈着も人前に出て恥ずかしくない程度に消失、軽快していた。

3  また、原告には、同じく昭和五四年八月一六日直後ころから、肉、卵、魚介類等の動物性蛋白を摂取すると、顔面に蕁麻疹様紅斑や痒み、両眼球結膜の充血や痛みなとが発生し、その後、西園医師等において、右症状は動物性蛋白摂取時に出ることが確認されたが、本件被災前には、原告に右症状が発現したことはなかった。前記のとおり昭和五四年一〇月末ころから顔の腫れがひいてきた反面、右紅斑等の症状が目立ち初め、しかもそれが容易に治癒しなかったことから、西園医師は、右症状を「慢性蕁麻疹」と診断し、九州大学医学部附属病院で診てもらうことを勧めた。原告は、その指示に従って、同五四年一一月一二日、右病院での診察を受けた。その結果、「女子顔面黒皮症」と診断されたが、この診断結果は、主として前記した顔面の腫れがひいた部分が黒くなったことに対するものであり、原告の既往症である前記「顔面湿疹兼肝斑」とは異なるものである。

更に、原告は、右症状が動物性蛋白を摂取したときだけでなく新建材に触れたときなどにも発生すると訴え、その治療を続けているが、その発生を抑止することはできず、現在も同様の症状が残っている。

すなわち、動物性蛋白の摂取、ホルマリン、新建材、殺虫剤等との接触によって、顔面だけに紅斑が発生し、同個所に痒みを生じ、眼球結膜が充血し、痛みを伴う。発症した場合の紅斑の大きさは、大きいもので小指の先程度、小さいもので米粒大くらいで、その数は、多いときで四、五個、少ないときで一、二個であり、発症したときは、三、四時間か長いときでも一週間くらいすれば消失治癒するものである。右症状はアレルギー性のものである。

4  原告は、前記主張のとおり、右症状のため、寮母としての仕事ができないとして、大和銀行に対して、昭和五四年一一月二八日から、ほぼ三か月に一度の割合で、医師の診断に基づき長期欠勤願を提出して、欠勤及び休職の承認を受け、昭和六三年一月一八日に六〇歳の定年を迎えて退職した。

5  被告は、原告の本件被災による残存障害として、動物性蛋白を摂取した時に発生する顔面の痒み、眼球結膜充血による眼の痛み等を認定した上で本件処分を行った。

二  以上の事実を前提にして、原告の残存障害の態様、程度及びそれが障害等級第一四級を超えるものかを以下に検討する。

1  右認定事実によれば、原告には、既往症として「顔面湿疹兼肝斑」があり、それが本件において基礎疾病として多少作用したことは否定できないとしても、くん煙性殺虫剤の煙に晒されたことが、前認定の原告の顔が紫色に腫れる等の急性症状が当初出現し、また、動物性蛋白を摂取したり、新建材に触れたりする度に紅斑等のアレルギー性の症状出現の原因となっていること、そのうち、当初出現した急性症状に関しては、顔の腫れがひき、その後の色素沈着も軽快したが、アレルギー性の症状については、現在も治癒していないこと、被告は、右アレルギー性の症状を残存障害として本件処分をしたことが認められ、右事実によれば、本件業務上災害に基づく後遺障害として右アレルギー性の症状が残存していることを認めることができる。

そして、アレルギー症状については、抗原抗体反応をその機序の中核とし、その結果放出されるケミカルメディエータやリンホカインの組織反応により発症するものであって(<証拠略>)、厳密にいえば、神経系統の障害又は神経症状といえるかどうか問題は残るが、障害等級表の適用に当たっては、同表中神経障害に関する身体障害の系統の障害等級のいずれかに該当する、又はこれに準ずるものと解するのが相当である。

2  ところで、神経障害が神経障害に関する障害等級表のいずれの等級に該当するかについては、同等級表の分類からすると、文理上、神経系統の機能に障害があるのかそれとも局部に神経症状を残すものなのか、更に、右障害により、労務に服することに支障を生ずるか否かがその基準となるように解されるが、右障害等級表の分類は、脳、脊髄等の神経系統自体の損傷による重篤な機能障害は必ずしも局部に限定されない上、労働能力に与える影響も大きいのに対し、症状が局部に限定される神経障害は、一般的には、軽度で労働能力に与える影響はより少ないという通例に照らした分類のように考えられること、障害補償給付の目的は労働能力喪失に対する損失てん補にあること、「障害等級認定基準について」(昭和五〇年九月三〇日基発第五六五号労働省労働基準局長通達)別冊「障害等級認定基準」(以下「認定基準」という。)によっても、神経系統の機能障害についての障害等級の認定基準として、局部に症状が限定されるかどうかを厳格な基準として記述してはおらず、むしろ日常生活及び労働に与える支障や程度や、医学的な障害の証明度を主たる基準として第一級から第一二級までを説明していることからすると、被告主張のように、発現部位が局部であるというだけで、いかにその症状によって労働能力に制約を受けたとしても第一二級を超える認定はできないものと断ずるのは相当でない。

そこで、本件障害についての障害等級の認定に当たっては、残存する症状が発現する部位、当該症状の発現する原因、頻度、強度、持続時間などを考慮し、労働に支障を及ぼす程度を判断して認定すべきであり、特に、本件症状に照らせば、認定基準のうちの神経障害中、頭痛ないし疼痛等感覚異常に関する基準を類推して判断するのが相当と解されるところ、同基準によれば、例えば、右症状が労働には通常差し支えないが、時には労働に差し支える程度の症状が起こるものであれば第一二級の一二に、労働に差し支えないほど軽微であるが、当該部位にほとんど常時、あるいは頻繁に症状を発現するものであれば、第一四級の九に該当するものと解すべきである(認定基準中、頭痛や疼痛等感覚異常に関する説明部分参照)。

3  そこで、本件についてみると、前認定事実及び証拠(<証拠・人証略>)によれば、右アレルギー性の症状は、動物性蛋白を摂取したり、新建材に触れるなどアレルゲンに接触した場合にのみ顔面に発現し、大きいもので小指の先程度の紅斑が、多いときで四、五個発現するが、三、四時間ないし一週間で消失すること、他の身体部位には障害を発生しないこと、また、産業医科大学病院(<証拠略>)や西園医師(<証拠略>)の診断書によれば、右症状により労務に服することは終身困難であると記載され、現に、原告は、前認定のとおり昭和五四年一一月以来、欠勤ないし休職扱いになっているが、原告の主治医である右西園医師は、右診断書記載の意味は、栄養素の動物性蛋白が摂取できないため体力がつかないから仕事に差し障りがあるとの趣旨で記載したということであり、仕事を休むまでの症状ではないと判断していることがそれぞれ認められる。

右の事実によれば、原告のアレルギー性の症状は、顔面に限った症状である上、アレルゲンとの接触を避けることによってある程度発症を防止できること、右症状は、原告の主観は別として、労働それ自体を休まざるを得ないほどの態様、程度のものではないことが窺われ、発症により労働に差し支える場合があることを肯定するには足りない。

4  なお、前認定のとおり原告には「顔面湿疹兼肝斑」の基礎疾病があり、しかもその治療を本件被災前の約五年間続けていて完治していなかったのであるから、もともと原告の顔面の皮膚が弱かったことが窺われ、そのことが、右症状の発生、持続と何らかの関係がないとまではいえないことが認められる。そうすると、右残存障害のすべてを本件被災に基づくものとして障害等級表を適用することにも問題が残る。

5  以上の事実を総合すると、右症状は、食餌が制約されはするものの、所与の条件が具備して初めて発症するもので回避も可能であり、非発症時はもとよりのこと、発症時でも労働に差し支える程度のものでないと認めるのが相当であるから、障害等級第一二級の一二にいう「局部に『がん固な』神経症状を残すもの」に該当するものとさえいえず、したがって、被告が評価した障害等級の第一四級の九にいう「局部に神経症状を残すもの」を超えるものと認めることはできない。

よって、被告が原告の右残存障害を障害等級第一四級の九に該当するものとしてした本件処分を取り消すべき違法は認められない。

(裁判長裁判官 川本隆 裁判官 川神裕 裁判官 佐々木信俊)

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