福岡地方裁判所久留米支部 昭和50年(ワ)164号 判決
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【説明】原告は「訴外内藤市郎(被相続人)は昭和四九年三月二三日遺言公正証書を作成したが、それには本件土地は三男である訴外内藤博好に相続させ、遺言執行者としてXを指定すると定められている。」として、被告名義で経由されている本件土地の所有権登記の抹消登記手続を求め、これに対しYは「市郎は被告(妻)に対し昭和三三年一月一〇日結婚した際、婚姻を条件に本件土地を贈与する契約をし、二人は同年三月一一日婚姻したので、右土地は被告の所有となつた。その後、昭和四一年九月三〇日付で作成された公正証書には市郎は被告に本件土地を遺贈すると記載されているが、右のような事情の下においては同公正証書の作成とその謄本交付は最小限前記贈与契約に基づく義務の履行たる性質をもつから、その後に市郎がこれを抵触する遺言をしても、それは無効であり、また禁反言の法理、信義則に照らして許されないと抗弁した。
【判旨】
二被告ら主張の抗弁1につき検討するに、<証拠>によると、市郎(明治三六年一月二一日生。昭和三三年三月一一日当時五五歳)は訴外姉川マサノ(明治三四年五月二日生)と婚姻して大正一三年二月七日その届出をし、同女との間に三男六女をもうけたが、昭和二一年一二月二一日マサノが死亡し、昭和三三年三月一一日当時までに右子のうち二男一女は死亡したので、当時二九歳から一六歳までの五女一男がいたこと、他方その間市郎は訴外江野マシ子(大正二年七月一〇日生)と婚姻して昭和二三年二月二〇日その届出をし、同女との間に一女をもうけたが、同二八年八月二一日マシ子と協議離婚をしてその届出をしたこと、市郎は農業を営んでいた者であるが、訴外山口鹿次郎を介して未婚の被告アイ子(大正七年一月一二日生。昭和三三年三月一一日当時四〇歳)に対し昭和三二年秋頃婚姻の申込をし、当初は断られていたが、何度も足を運んで見合をするまでにこぎ着け、その後も懇望を続けて同被告と婚約するに至つたこと、ところが市郎は翌三三年初頃結納としてわずかに粗末な喪服と帯一本だけを届けたので、被告アイ子やその長兄らの激怒を買い、これでは婚約を解消すると申し渡されたので、本件土地を被告に譲渡する、但し、子供達は結婚に反対だつたから今すぐ所有名義を移転しては子供達と不仲になるし、畑を結納代りにして若い嫁をもらつたとなると世間から笑われるから、その所有権移転登記は時機を見てさせてほしいと申し入れ、被告アイ子の承諾を得、同被告と婚姻して同年三月一一日にその届出をしたこと、被告アイ子は以後昭和四九年一月に家出するまでの間市郎と同棲し、自らが中心となつて家業の農業に従事してきたことを認めることができる。もつとも、<証拠>によると、市郎は被告アイ子に対し昭和四一年九月三〇日作成した公正証書をもつて本件土地を遺贈したことを認めることができるけれども、これは前掲各証拠と対比するとき、被告アイ子に対する前記義務の履行として最小限のことをしたにとどまるものと認めることができ、これによつて前記認定を動かすことはできず、他にこれを覆すにたりる証拠はない。
してみれば、市郎は被告アイ子に対し昭和三三年初頃同被告が市郎と婚姻する負担付で本件土地を同被告に贈与する契約をし、その後被告アイ子は市郎と婚姻し、約一六年の長期間夫婦共同生活を続けて右負担を履行したものというべきである。
ところで、負担付贈与においても書面によらない贈与に関する民法五五〇条がそのまま適用され、受贈者が負担を履行した後においても贈与者が履行を終わらないかぎり同人におて贈与契約を取り消しうると解するときは、本件のように負担が重い場合には両当事者の権衡を失するから、同条にいわゆる履行とは負担付贈与における負担の履行をも含むと解し、書面によらない負担付贈与において各当事者が取り消しうるのは両当事者とも履行を終わらない間にかぎり、いずれか一方が履行すればその後は各当事者はこれを取り消しえないものと解するのが相当である。
そうすると、本件負担付贈与契約が締結され、受贈者である被告アイ子が負担を履行した後になされた市郎の遺言は、前記贈与契約と抵触し、これを取り消す意思表示を含むものと解されるけれども、無効であつて、本件土地の所有権は被告アイ子に属し、遺言の目的たる財産に属しないものといわなければならない。
(池田憲義)
番号 目録
1 久留米市高良内町字村下四四二六番
畑 一八六一平方メートル
2 同所四四三一番一
畑 二一三七平方メートル