大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所久留米支部 昭和60年(つ)1号 決定 1990年10月17日

主文

本件請求を棄却する。

理由

第一本件被疑事実及び請求の趣旨

一  被疑事実

被疑者Pは、福岡県巡査部長として福岡県警察本部に勤務していたものであるが、昭和五九年四月二〇日午後六時二〇分ころ、福岡県久留米市小頭町において、A(当時三八歳)を公務執行防害等の現行犯人として逮捕する職務を行なうにあたり、同人を追跡して同町久留米中央病院路上に至り、同所において、同人に対し所携のけん銃を発射し、発射弾丸を同人の右上腕部に貫通させ、さらに右胸上部に射入させ、よって、同人に対し右上腕部の貫通銃創並びに両肺部銃傷の傷害を負わせ、同人をして、即時同所において、両肺部銃創による両肺損傷に基づく失血のため死亡するに至らせたものである。

二  請求の趣旨

請求人は、被疑者の右所為は特別公務員暴行陵虐致死の罪(刑法一九五条一項、一九六条)に該当するとして、昭和五九年一二月一二日福岡地方検察庁久留米支部検察官に告発したところ、同支部検察官は、昭和六〇年七月二二日、右告発事実につき公訴を提起しない旨の処分をなし、同月二三日その旨請求人に通知されたが、請求人は右処分に不服であるから、刑事訴訟法二六二条により右事件を裁判所の審判に付することを請求する。

第二本件請求の適法性

本件記録によれば、請求人の告発にかかる本件被疑事件につき、昭和六〇年七月二二日福岡地方検察庁久留米支部検察官は、「被疑者の行為は刑法三五条に定める法令に因りなしたる行為に該当すると認められるので罪とならない。」として不起訴処分をなし、同月二三日その旨請求人に通知したこと、これに対し、請求人は右処分を不服として同月二四日本件請求書を同支部検察官に提出して本件請求に及んだことが認められるので、本件請求は適法になされたものと認められる。

第三本件請求の理由の有無

そこで、以下に本件被疑事実についての不起訴処分の当否について検討するに、関係証拠によれば次の事実が認められる。

一  本件当日までの経緯

1  Aの経歴等

Aは、農業を営んでいた父B、母C子の五男として昭和二〇年八月二九日福岡県甘木市で出生し、昭和三六年一〇月高等学校を中退後大阪府茨木市に赴き工員として稼働したが、昭和三八年には甘木市の実家に戻って農業を手伝い、昭和四一年から同四四年まで同県久留米市所在の「甲野米菓」に勤務し、その間同所に勤務していたD子と知合い結婚し(昭和四二年三月二八日届出)、長女E子(昭和四二年九月一三日生)、長男F(昭和四四年七月四日生)を儲けた。他方、昭和四五年ころにはスナックホステスG子と知合い、D子と別居してG子と内縁関係に入り、福岡、甘木、久留米、大牟田等の各市でG子と同棲を続け、同女との間にもH(昭和四六年五月九日生)、I子(昭和四七年四月一五日生)の二児を儲けた(昭和五四年二月二一日認知届出)。そして、昭和五一年六月二四日にD子と協議離婚し、昭和五四年一二月にはG子との内縁関係も解消したが、右結婚及び内縁関係からその各解消を経て本件発生に至るまでの前後を通じ、前記「甲野米菓」に勤務した以外には殆んど見るべき定職に就くことなく、内妻G子の収入に頼り、しばしばG子に小遣銭を強要し、実家の母親にも再三金銭を無心するなどしながら競艇等の遊興に耽り、無為徒食の生活を続けていた。

Aは、平素はさほどでないけれども、些細なことに異常に反応して激昂する性格で、若くして甘木地方の暴力団組員となり、少年時に暴力行為によって保護観察処分を受けたほか、D子と婚姻中の昭和四一年一一月には暴行、傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反の各罪により、また、昭和四二年一一月には傷害罪によりそれぞれ執行猶予付の懲役刑(なお、後者につき保護観察付)に処せられた。そして、妻D子との関係も当初は安定していたが、長男出生のころから生活が荒廃するようになり、同女に対して理由もなく、また、家族や人前なども憚ることなく殴る蹴るの激しい暴行を加えるようになり、前記のとおり別居した後も時々同女のもとを訪ねては同様の暴行をくり返していたが、昭和五一年六月窃盗、暴力行為等処罰に関する法律違反の各罪により懲役一年六月の刑に処せられ服役したのを機に離婚した。しかし、出所後も実家に戻っていたD子につきまとい、「出て来ないなら殺す」とか「久留米に住まわれないようにする」などと脅して呼び出してはその度に激しい暴行を加えて金銭の無心(時には肉体関係の要求)を続け、報復をおそれて耐え忍んできたD子が遂にたまりかねて告訴に及んだことにより、昭和五四年三月同女に対する傷害罪により懲役七月の刑に処せられ再び服役した。しかるに、Aは出所後依然としてD子につきまとい、仕返しをすると称して以前にも増して同女の全身を所かまわず殴る蹴るし、さらには筑後川提防に停車させた自動車内に同女を監禁し、ナイフ等を示して「殺す」と脅して前同様の暴行に及ぶなどし、D子の受傷を知った長女E子が「父を殺して自分も死ぬ」と泣いて口走ったこともあるほどで、D子やその父母、子供ら一家はAの所業に対する恐怖から毎日身の縮むような生活を余儀なくされていた。

一方、Aの前同様の暴力は内妻G子に対しても加えられた。そのため、G子は身体各所に怪我や痛みが絶えず、憔悴して実家の母J子のもとに逃げ帰ることも多く、見かねた隣人が警察官に通報したこともあり、Aは右母や警察官には表面上従順を装いながら、裏では却って暴力を倍加する有様で、J子の夫Kは「(Aを)殺してしまえ、Aのことを知れば裁判官も許してくれる。」と口走る等のこともあった。

Aのこれら暴力の原因については、同人の激し易い生来的性格もさることながら、捜査官に対する各供述調書において、右D子は、「身を寄せるような所もなく、相談する相手もおらず、日頃のうっぷんを、私に暴力をふるうことで、自分のうさを晴らしていたのではなかろうかと思います。」「ここ最近のAは、以前とは人が変ったように乱暴になっており、見境いがつかないようになっておりましたが、これは私の推測ですが、前に車の中で腕に注射をしていたことがありましたので、覚せい剤を射っていたのではなかったのだろうかとも思います。」と述べ、右J子は、「Aの実母に金の無心に行く、前妻に金の無心に行く、金が出来なければG子を殴るという貧困と暴力の生活が多かったのです。」「娘は私にAは覚せい剤を射っていると言っておりました。そんな関係で暴力もひどくなったものと思います。」と述べ、また、Aの少年時代からの友人Yは、「最近のAですが、何か気持ちがイライラしているのではないかというような感じを受けておりました。私なりに原因を考えますと、お金が無かったこと、自分の住むところが無かったこと等ですが、それとは別に覚せい剤を射っているのではないかと思われるようなことがあったのです。それは、人を怪我させた、警察が俺を追いよる等、覚せい剤常習者が口走るような症状である被害妄想のような言動をしていたからです。」と述べており、右各供述調書により認められる状況並びに本件当時Aが使用していた普通乗用自動車の後部トランク内にあったバッグの中から注射器一本及び注射針一本が発見され、また、Aの死体内の尿から痕跡程度ではあるがメタンフエタミンが検出された事実によれば、Aの常習的な覚せい剤使用の影響によるのではないかとの疑いが強く認められるものである。

2  本件前々日の暴行等

Aは、昭和五九年四月一八日午後一時ころ、その数日来頻繁にD子に呼出しの電話をし、やむなくこれに応じた同女を自分の運転する自動車の助手席に乗せ、ドアロックをして人影の全くない筑後川河川敷(久留米市東合川町字丹保一九〇九番地の一、九州自動車縦貫道筑後川大橋先)に赴いた。そして、停車するやいなや、同車内において無言のままD子の右側腹部を革靴履きの左足で力一杯蹴りつけ、激痛のため一瞬目がかすみ、息もできない状態となり腹部を押えてうずくまる同女に対し、狂気の形相で、「俺はお前を許さん、お前を殺す。」と言いながら、長さ二五センチメートル位のドライバー様の凶器をもって同女の右腕を引続き数回突き刺し(そのため、右腕は電撃痛が走り、しびれて感覚が減摩した。)、同女はその言葉のとおり殺されるのではなかろうかと戦慄した。Aはその後も「許して下さい」と必死に哀願するD子に対し、約三時間に亘って間けつ的ながら数え切れないほどの多数回手拳で頭部や顔面を殴り、腕や足を蹴りつける等の暴行を加えて同女の意識がもうろうとなるまで痛め続け、午後四時過ぎころようやく同女をその自宅に送り届けた。そして、同女の父親が旅行で不在なのをよいことに同女方に上り込んでいたところ、横臥中の同女の下腹部が急に痛みだし、陰部から多量の出血(血尿)を見たために、同女が同行を断るのも聞入れずに右自動車で同女を聖マリア病院に送って行った(D子は、Aが強って送って来たのは、警察への届出をおそれて監視するためであったことが帰途の会話から判明した旨供述する。)。同病院において、D子はAを意識して転倒した旨を医師らに説明したが然らざることを看被され、内々に事実を説明するとともにAに対する口止めを依頼した。診察の結果、右腎外傷、右上腕及び右大腿部打撲、右側腹部挫傷が認められ、そのうち右腎外傷は相当に重篤で、二週間の絶対安静と即時入院を要する旨診断された(なお、医師松島進作成の診断書には、右病名により約二週間の通院治療を要するとの記載が認められるが、これは、即時入院のすすめに対し、D子から理由については口を濁しながらも強い帰宅の要望があったため、自宅における絶対安静と毎日の通院治療を条件に帰宅を許した経緯によるものである。)。

二  本件当日の本件発射に至る経緯

1  AのD子に対する暴行とD子の父の警察相談

Aは、前記暴行の翌々日である四月二〇日午前一〇時三〇分ころ、D子方を訪れ、同女が断るのも聞かず、むりやり同女を自分の運転する自動車に乗せ前記病院まで送って治療を受けさせたが、その帰途の午後一時過ぎころ、又もや同女を助手席に乗せたまま人影のない筑後川提防下(久留米市東櫛原町四五六番地の一、水資源開発公団筑後川下流用水建設所先)に連れ出した。そして、「お前には仕返しをせねば俺の気がすまぬ、俺はお前がにくい。」と言いながら、前回と同様に革靴履きの左足でD子の右下腹部を力まかせに蹴りつけ、激痛に漸く耐えて必死に謝る同女に対し、鬼面のような顔貌で、「お前を殺す」と言いながら身体各所を足蹴り殴打し、さらには所携の切出しナイフを脇腹に突きつけて脅迫し、遂には今日こそは殺されると観念してうなだれたままの同女に対し思いのままに同様の暴行を加え続けた。このようにして午後四時ころ漸く同女をその自宅に送り届けたが、その際Aは一万円を作るよう要求するので、同女はやむなく一時間後に近くの遍照院で渡す約束をして帰宅した。そして、D子は以上の経過のすべてを父Zに話したので、父は事態に驚くとともに同女の生命の危険をも憂慮し、直ちに同女の妹L子とその夫(M)に連絡をとり、午後五時三〇分ころ三人で久留米警察署防犯課に出頭し、事情を説明して相談した。

2  警察の対応

事情を聴取した久留米警察署防犯課長Q警部は、D子とその家族に危害が及ぶおそれがあると判断し、午後五時四〇分ころ、当直勤務中のR巡査部長にAの発見とD子らの保護方を指示し、合せてAが刃物を携帯していること、覚せい剤呆けの疑いがあること等を指摘して注意した。R巡査部長は、直ちに他二名の係官とともに捜査用自動車(久留米四一号)でD子方に向け出発したが、途中でD子方近くの遍照院境内(久留米市寺町五六番地)に駐車中のA車を発見し、職務質問のため同車に接近したところ、Aは急発進して逃走した。同巡査部長らは直ちにD子方に急行し、午後五時五二分ころ、防犯課長あてAが逃走したこと等を電話通報したが、その直後ころ、AからD子に対し警察への届出を非難するとともに櫛原駅に出て来るよう同女を呼出す電話があったのでこの事実も防犯課長あて通報した。防犯課長は以上の経緯にかんがみ、福岡県警察本部刑事部に所属し久留米警察署に常駐する機動捜査隊筑後地区班(以下、機捜隊という。)等の出動を要請する必要があるものと判断し、午後五時五七分ころ、機捜隊のS巡査部長にAの捜査に関して応援を要請するとともに、同人についてはD子に対する傷害の容疑が存在すること、刃物を所持していること、覚せい剤症状を呈している疑いもあることを説明し、同人を発見した場合には任意同行を求めるべきこと及び状況によっては緊急逮捕も可能であること等を説明して出動方を要請し、さらに午後五時五八分ころ、同署当直主任のT警部に連絡して待機中の警ら用パトカーにも出動を求めた。

機捜隊は、右要請に即応し、午後六時ころ、被疑者P巡査部長(当時三八歳)(以下、被疑者という。)運転、V巡査(当時三〇歳)同乗の捜査用無線自動車(福岡四六一号)及びU巡査(当時三一歳)運転、S巡査部長(当時三一歳)同乗の捜査用無線自動車(福岡四六二号)の二台が久留米警察署を出動し、一方、T警部の指令により同署外勤課無線自動車警ら係勤務のW巡査部長(当時四四歳)運転、X巡査部長(当時四四歳)同乗の警ら用パトカー(久留米三号)もそのころ同署を出動した。機捜隊の各員は私服を着用し、けん銃、特殊警棒、手錠各一個を携帯するほかその各車両に二個あて木製警杖が装備され、無線自動車警ら係の各員は制服、白ヘルメットを着用し、それぞれけん銃と警棒を携帯していた。

3  N子方及びその付近における状況

遍照院境内から逃走したAは、午後六時前ころ、久留米市《番地省略》N子(D子の妹)方に現われ、同人方電話を借用してD子方に再び電話をしたので、同女方に居たR巡査部長らは直ちに久留米四一号車の無線をもってAの現在地等を防犯課長に通報した。

この無線を傍受した前記警察車両三台は間もなく相前後してN子方付近に到着し、N子方玄関前路上に停車中の無人のA車を発見したので、前記警察官六名はAがN子方に居るものと判断して付近に張込みの態勢に入った。Aは約二分を経過したころN子方から出て来て自車の運転席ドアに手をかけようとしたので、被疑者、S巡査部長及びV巡査の三名がAに近づき、S巡査部長はD子に対する傷害の容疑によって任意同行を求める意思のもとに、Aの背後から近づき警察手帳を示しながら同人に、「Aか、警察の者だが。」と声をかけたところ、Aは振返りざま、「警察が何か、貴様ぶっ殺すぞ。」と叫びながら右手に握る切出しナイフ(昭和六〇年押第四四号の1)を右斜め上方から振り下すようにしてS巡査部長に切りつけ、同部長は身体をひねって後退したが右額部分に切傷(長さ四・五センチメートル)を受けて出血した。そのため、S巡査部長やこれを現認した現場の各警察官は、AをS巡査部長に対する殺人未遂ないし傷害及び公務執行妨害容疑の現行犯人として逮捕しようと決意した。Aは続いて自車運転席のドアを開けて乗り込んだが、S巡査部長が咄嗟に押えたドアによってまだ車外に残っていた右足を挟まれたので、開いていた窓越しに前記ナイフを突き出し、S巡査部長が危険を避けて飛び退いた隙に車外に飛び出し、近くに居た被疑者やX、W各巡査部長らにも右ナイフを突きつけたり切りかかったりした後N子方玄関から同家屋内に逃げ込んだ。

Aは続いてN子方浴室に入り、窓ガラスを割って屋外に逃走しようとしたが、追跡してきたS、X両巡査部長から警杖や警棒で叩かれ妨害されたため、前記切出しナイフを振るって反撃に転じ、後退して仰向けに転倒し、警棒を取り落したX巡査部長の復部を目がけて突き刺そうとしたが、その瞬間S巡査部長から警杖(昭和六〇年押第四四号の4)で叩かれ阻止された(なお、右警杖は以上の経過の中で一部が断裂した。)ので、今度は右ナイフを振るってS巡査部長に迫り、後退する同部長を追って玄関から戸外に出た。そして、近くに駐車中の捜査用無線自動車(福岡四六一号)の運転席に素早く乗り込んだが、エンジンキーがなかったため直ちに下車して又もやN子方に逃げ込み、整理タンスを動かして作ったバリケードによってS巡査部長の接近を妨害しながら再び浴室に至り、浴室の窓枠を取外して屋外に飛び出し、N子方裏側の駐車場空地を通って公道に遁走した。

折から、右公道上を乙山一郎(当時五八歳)が婦人用自転車に乗って通りかかったが、Aはその前面に至り、いきなり右手に持ったナイフを乙山の面前に突きつけたうえ、右自転車を奪いとろうとして左手でその前籠部分を鷲掴みにして引っ張り、取られまいとして引っ張り返す同人に対し、「貴様殺すぞ」と怒鳴りながら右ナイフを同人の腹部めがけて突き出したが、同人が咄嗟に自転車から飛び下り後退したため危うく刺突を免れた。

丁度その時、被疑者とU巡査がその場に駆けつけ、それぞれ所携の警杖でAの身体を叩いたので、Aは自転車もろ共に転倒したが直ちに起き上り、今度は右両警察官にナイフを振って激しく襲いかかり、そのため後退しようとしたU巡査は足がもつれて路上に転倒したので、Aは同巡査の足許まで迫って突き刺そうとしたが、被疑者がAの右肩付近を警杖で一撃して阻止し間一髪こと無きを得た。

そのころには、S、W、X各巡査部長やV巡査らもそのすぐ近くに駆けつけていたが、Aはナイフを振るいながら各警察官の側を走り抜け、N子方の西方約九五メートルに位置する旭タクシー株式会社本社営業所車庫の方に逃走した(以下、N子方及びその周返路上を第一現場という。)。

4  旭タクシー車庫における状況

旭タクシー株式会社本社営業所車庫(久留米市本町一二番地の一所在)では、折からタクシー一〇六号車(通称六号車)の運転手丙川二郎が同車を車庫内配車室横に車首を正面出入口側に向けて停め、その右後方に立っていた。Aは午後六時過ぎころ、裏出入口から同車庫内に駆け込むや、「のけのけ」と怒鳴りながらナイフを丙川の顔前に突きつけ、同人が飛び退いた隙に素早く六号車運転席に乗り込んだ。車を奪われると察した丙川運転手及び同僚の丁原三郎運転手の両名は、開いていた運転席横の窓から同時に手を差入れてエンジンキーを抜き取ろうとしたが、Aが窓からナイフを突き出したり切りつけたりするので危うくのけぞって抜き取ることができず、Aはその隙にエンジンを始動した。

そのころにはすでに被疑者、S巡査部長及びV巡査少し遅れてW巡査部長が車庫に到着し(なお、U巡査はN子方近くに駐車した警察車((福岡四六二号))の無線によって応援要請の連絡中であり、X巡査部長は遅れて車庫に向う途中であった。)、V巡査は運転席横の窓から所携の警杖を突込んでAの身体を突いたり叩いたりし、被疑者は助手席側ドアを開いて上半身を車内に入れ、所携の特殊警棒でAの左肩や左腕を殴りつけたりしたが、Aは何らひるむことなく「ぶっ殺す」と叫ぶながら機敏にナイフを繰り出して応戦した。また、W巡査部長は拾って所持していた長さ七四・七センチメートルの古角材(昭和六〇年押第四四号の3)を六号車の左後輪とフェンダーの間に差込み発進を阻止しようつとしたが、Aはさらに激しくエンジンをふかせて発進の態勢を示したので、同車左前部付近に居たS巡査部長は、咄嗟に車の強奪と逃走を阻止するためにはけん銃を発射してタイヤをパンクさせる以外に方法はないと考え、左脇のホルスターから所携のけん銃(コルトディテクチブ・回転式三八口径)を取り出し中腰になって両手で構えながら、Aに対し大声で「止まれ、止まらんと撃つぞ。」と二回ほど警告した(相前後して被疑者が「タイヤを撃て」と叫んだ)が、Aはエンジンの轟音を一段と高くして全くこれに応ずる気配を見せなかった。そこで、S巡査部長は同車左前輪のタイヤを狙って実弾一発を発射したが、その直後Aは同車を一旦急後退させた後に急前進したので、S巡査部長は引続き左前輪を狙って実弾二発を発射し、その発射音は車庫内に大きく反響した。しかし、Aは何らひるむ様子もなくそのまま急前進し、タイヤ音を軋ませながら車庫表口から左折し、表側道路(主要地方道久留米・柳川線)を本町四丁目交差点方向に向け猛スピードで逃走した(以下、旭タクシー車庫を第二現場という。)。

5  Aの逃走と被疑者の追跡の状況

被疑者は、Aの運転する六号車(以下、A車という。)の後を追って車庫から表側道路に出たところ、道路脇に駐車中の旭タクシー所属一〇二号車(通称二号車、戊田春夫運転手)を認めたので、A車の追跡方を頼んで助手席に飛び乗り、戊田運転手運転の二号車(以下、戊田車という。)で追跡を開始した。

被疑者は追跡の途中、自らタクシー無線のマイクをとり、「タクシーを追跡中、西鉄方向と一一〇番してくれ。」と二、三回繰り返したが、混信状態のため右通報が受信されたか否かは確認できなかった。そして、車庫に残った警察官らがN子方近くに停車中の警察車まで駆け戻って追跡を開始したとしてもA車の発見は困難であろうと考え、自分一人だけの追跡に不安を覚えながらも、絶対にA車を見失ってはならないと期するとともに、Aの凶暴な行状にかんがみ、けん銃の使用を必要とする事態の発生も予測して、左脇ホルスターの安全止め金のホックを外して早急の取出しができるよう準備を整えた。

逃走するA車は、高速のまま本町四丁目交差点続いて小頭町派出所前交差点をそれぞれ左折し、さらに小頭町交差点を左折(この時は赤信号を無視し、反対車線にはみ出して信号停止車両二台を追越した。)して県道一丁田・久留米停車場線を北進し、戊田車は同道路中央線寄り第二通行帯をA車の後方五〇メートル位で追尾していたが、そのうち同じく中央線寄りを進行中のA車は突然スピードを落して道路左側に寄って行き、久留米中央病院玄関前において歩道の縁石すれすれの位置に停車した(なお、旭タクシー車庫から久留米中央病院までの走行距離は六七六・二メートルである。)。後刻判明したところによれば、右停車の原因は、S巡査部長が前記車庫において発射した弾丸が貫通したことによる左前輪のパンクのためであったが、それを知る由もない被疑者は、Aが反撃あるいは車外への逃走を図って停車したものと考え、戊田運転手にA車の後方への停車と応援依頼の通報方を指示し、A車の四ないし五メートル後方の地点で戊田車の停止直前に右手に特殊警棒を持って飛び下り急いでA車の方へ駆けつけた。戊田運転手は、その後若干前進してA車の後方二メートル位の中央線寄りの地点に停転し、直ちに車内無線により配車係に、「中央病院前で犯人が停った。すぐパトカーをやってくれ。」と連絡した。

6  久留米中央病院前における状況(本件の発生)

A車が停車した久留米中央病院(久留米市小頭町三番地の八所在)玄関前の現場は、国道二〇九号線と県道久留米・柳川線が分岐した本町交差点の五差路より南東方へ走る県道一丁田・久留米停車場線上で久留米市のほぼ中心に位置し、付近には同病院のほか商店、民家が密集する日ごろ交通頻繁な場所で、歩車道が区別され、車道は片側二車線となっており、当時歩道には通行人もあり、車道には間断なく車両が通行している状況であった(以下、久留米中央病院玄関前を本件現場という。)。

被疑者は、本件現場の右状況、Aの凶暴な行動及びそれまでの経緯等にかんがみ、Aが車外に出るときは一般市民にまで危害を加える危険性が高いと判断し、同人を車内に閉じ込めて逃走を阻止しながら応援の到着を待ち、隙があれば制圧、逮捕しようと考えていた。

被疑者がA車の運転席ドア近くに駆け寄ると、Aは運転席に座ったまま被疑者を睨みつけ、「貴様ぶっ殺すぞ」と怒鳴りながら右手に持った切出しナイフを全開された窓起しに被疑者の胸部めがけて鋭く突き出したので、被疑者は危うく一歩飛び退いて所携の伸長した特殊警棒(鉄製三段式・伸長時の長さ四一センチメートル)でナイフを叩き落そうつとしたが、Aが素早くナイフを引込めたので空を切った。被疑者は、このようにAの繰り出すナイフの動きに応じてドアに近づいたり離れたりの動きを何度か繰り返した後、危険を避けてドアのやや斜め後方に移動したところ、今度はAが左手でドアを押し開け、少し開いた隙間からナイフを繰り出すので、被疑者はそのドアを右足を上げて革靴底で押し返したり足膝で押したりしたが、靴底が滑りあるいはAの抵抗により結局は押えつけることができなかった。この間、被疑者は大声で何度も、「抵抗するな、刃物を捨てろ。」と説得し、引続き特殊警棒でナイフを叩き落とそうと試みたが、Aはますますいきり立ってナイフを使って激しく抵抗し、全く聞きいれようとしなかった。

そのうち、Aは今までよりも大きくドアを押し開けて左手で支え、その右足を地面に下して車外に出る態勢を示したので、被疑者はドアの開口部前面に立塞がる形をとったところ、Aは被疑者の胸元近くまで何度も激しくナイフを突き出し、被疑者はその都度飛び退いたり前進したりをくり返しながら特殊警棒でナイフを叩き落とそうとしたが、Aのその動きが相変らず機敏なため奏功しなかった。被疑者は、いよいよAが逃走を図ったものと考えたが、同人のそれまでの行動や抵抗の現況等に照らし、特殊警棒のみをもっては同人の逃走を防止し、制圧、逮捕することは不可能であり、しかも、Aは現にナイフを振るって反撃し、その勢いは一向に衰える様子もないのにいまだに応援の到着はなく、それまでに試みた応援の要請や現在地の通報が警察当局に到達したか否かの確認もできていない状況にあって、右Aに対して一人で対処することは自分自身の生命の危険さえ危惧されたので、Aの逃走を防止し、制圧、逮捕するためにはもはやけん銃を使用する以外他に方法はないと判断した。

そこで、被疑者は、右手の特殊警棒を左手に持ち替え、右手で左脇下のホルスターから所携のけん銃(スミスアンドウエッソン・回転式三八口径)を取り出し、最初は引き金に指をかけないままAに向けてこれを構えたが、同人は驚いた様子もなく、さらに、被疑者が大声で「抵抗すると撃つぞ、刃物を捨てろ。」と数回警告したが、Aはこれにも全く応ずる気配がなく、依然としてナイフを繰り出し抵抗するので、被疑者は右けん銃を構えたままその動きに応じた後退、前進等の動作を何度か繰り返しながら、Aの生命に対する危害の発生を避け、かつ、逃走防止、制圧、逮捕の目的を達するため、身体の枢要部は避けてナイフを持つ同人の右腕を狙おうと考えていた。そのうち、Aは運転席から腰を浮かせ、路面に下した右足をさらに踏み出し、上半身を車外に乗り出すようにして右手に持ったナイフを被疑者の胸元近くに突き出したので、被疑者は咄嗟に突き出された右腕の肘関節部付近を狙い、銃口から同部付近までの距離三〇センチメートル位で、かつ、銃口の延長線は運転席床に達し、弾丸は肘関節部付近を貫通しても右床上方面に至るとの瞬時の判断のもとに、ダブルアクションで引き金を引き弾丸一発を発射した。ところが、その瞬間、Aはドアをさらに開け、上半身をのり出しひねるようにしてナイフを持つ右手を突き出しながら被疑者の方にさらに接近したため、右上腕部が銃口に近接する状況となり、弾丸はAの右上腕部外側から貫通したうえ右脇下から胸部に貫入した。その結果、Aは尻を座席に落し、体を座席後部にもたれかかるようにして抵抗できない状態となったので、被疑者は直ちにAの右手からナイフを取りあげたうえ、その手を小手返し状に掴んで同人を逮捕したが、Aは右銃弾の胸部貫通(胸部射創に基づく左肺、右肺及び肺動脈損傷による外傷性出血)により、救急車で病院に搬送される途中ころの午後六時二五分ころ死亡するに至った。

三  本件発射行為の適法性

1  被疑者の殺意の有無

請求人代理人は、警職法七条但書一、二号によって認められる武器使用は、犯人の身柄の確保を目的として行われるものであり、犯人を逮捕して刑事手続にのせ、その刑事上の責任を明確にすることを前提として行うものであるから、殺意をもって行う武器使用はこの条項では許容されないのであって、本件において、被疑者は、Aの死の結果の発生について確定的認識(確定的故意)をもっていたか、少くとも未必的認識(未必的故意)をもっていたものであるから警職法七条の適用はなく、正当防衛の要件を具備しない限り被疑者の本件発射行為は違法であるとし、被疑者に正当防衛の要件を具備しないことを縷々主張する。

よって、まず被疑者の殺意の有無について検討するに、前記認定の事実によれば、被疑者は本件現場では依然として激しい抵抗をするAに唯一人で相対し、自己の生命、身体に対する不安感と警察官としての職責、使命感の相克から相当にせっぱ詰った心境にあったこと、また、本件発射に当っては、車外に出たAの右足を射つことも不可能ではなかったと考えられるのにその挙に出なかったことが明らかで、右は殺意の存在を推認せしめる事実とみえないではない。

これに対して、被疑者は、本件発射行為に出たのは、警察官としての職責上あくまでAの抵抗、逃走を防止し、同人を殺人未遂等の現行犯人として制圧、逮捕するためであって、Aを死亡させる意図はなく、同人の死亡を予測、認容したこともない旨供述する(被疑者の検察官及び司法警察員に対する各供述調書並びに裁判官に対する供述)ところ、前記二の6に認定の本件発射時の諸事実、とりわけ、被疑者は、Aの追跡中に予め所携のけん銃の安全装置を外して火急の使用に備えていたのに、同人に追いついた後にも直ちにこれを取り出すことなく、また、取り出した後にも直ちに発射することなく、相当の時間に亘って何回も同人に対して説得や警告を試みたこと、発射に当ってはAの身体の枢要部を避け、ナイフを持つ同人の右腕肘関節部付近を狙い、しかも、銃口の延長線上に運転席床を認めていて、狙った部位を貫通した弾丸は同床上に達すると判断していたこと、被疑者はけん銃操法上級の技能を有するものであり、本件発射当時の銃口とAの右腕肘関節部の距離は三〇センチメートル位の至近距離であったこと、断射弾丸も装てん五発のうち一発のみに止めていること、本件発射後、被疑者はAの右手からナイフを取りあげたうえ、救急車の到着直前まで逮捕行為としてその右手を小手返し状に掴み続けていて、Aに致命傷を与えたと認識していたことを窺わせる状況は存在しないこと等に徴すると、被疑者の右供述は信用するに足りるものである。もっとも、被疑者の狙った部位、方向、距離等が右のとおりであったとしても、当時Aがその上半身部で激しい動きを示していて、その動きの状況、程度の如何によっては、発射した弾丸が胸部に命中して同人に対する死の結果が発生するに至ることを予見し得たとも認められないではないが、Aが本件現場で示した動きは、ナイフを持つ右手を被疑者に向けて突き出す屈伸の動作が主であり、本件発射の直前にはドアを開け、腰を浮かし、上半身を車外に乗り出すようにはしていたが、ドアの開きは六五センチメートル位でさほど広くはなく、下半身の尻の部分はまだ運転席側に残った状態であったのであるから、被疑者がAにおいて上半身をのり出しひねるような大きな身体的変化をするとは予測せず、緊迫した状況下における瞬時の判断として、弾丸は狙ったとおりにAの右腕肘関節部を貫通して傷害するのみであると考えたとしても強ち不自然ではないというべく、結局、被疑者には確定的殺意はもとより未必的殺意もなかったと認めるのが相当である。

してみると、被疑者に殺意が存在したことを前提とする請求人代理人の主張は理由がない。

2  本件発射行為の正当性

以上によれば、本件は、警察官たる被疑者が、犯人Aの抵抗及び逃走を防止して同人を逮捕するために、職務行為として、その右腕肘関節部付近を狙って本件発射行為に及んだものであるが、予測を超えた同人の身体的変化のためその銃弾が同人の胸部を貫通し、よってAを死亡させたというものであって、特別公務員暴行陵虐致死(刑法一九六条、一九五条一項)の構成要件に該当する。

そこで、本件発射行為が警職法七条所定の人に危害を与える武器使用が許される場合に当たるか否かにつき判断すべきところ、請求人代理人は、同条項にいわゆる人に危害を与える武器の使用が許される場合のうち、その武器がけん銃である場合は、実質的に正当防衛の要件を具備する場合か、それ以上に、けん銃を使用せざるをえない高度の危険性と厳格な補充性が存する場合に限られる旨主張するので、まずこの点につき検討する。

請求人代理人の右主張は、けん銃が各種武器のうちでも格別に高い殺傷能力を有することにかんがみ、警察官のけん銃使用によってもたらされる個人の生命、身体等に対する侵害と警察官による私的制裁の危険性を防止するため、警職法七条に厳格な解釈を加えようとするものであって、警察官けん銃警棒等使用および取扱い規範(昭和三七年五月一〇日国家公安委員会規則第七号)の規定や「受傷事故防止を中心とした警察官の勤務及び活動の要領」と題する警察庁次長通達(昭和三七年五月一〇日付)が示すけん銃使用基準例等をも考慮に入れた注目すべき見解といわなければならない(警職法一条二項)。しかしながら、同法七条においては、その本文で威嚇的武器使用の要件が定められ、但書において、加害的武器使用が、正当防衛、緊急避難に該当する場合のほかに、その各号において規定する場合にも許される旨明記されていて、請求代理人の主張は、同条の文言と相容れないものであるうえ、そもそも、警察官にあっては、一般に、個人の生命、身体、財産を保護し、犯罪を予防するとともに、既に起こった犯罪を鎮圧し、犯人の刑事責任を明らかにすべく法定の手続に従って捜査を遂げる等の職責を有するものであり(警察法二条一項)、その職務の特殊性、職務遂行の必要性から警察官には警棒、けん銃等の武器の携行が許されているところ、警職法七条は、かかる武器の使用が警察官個人の恣意に委ねられるものとすれば、その危険性大なるところから、武器使用の準則として定められ、その使用に厳格な制限を加えたものと考えられるが、他方、同条の制限内における武器の使用は、警察官としての前記職務を全うせしめるという観点から許容されたものと思料されるのであって(警職法一条一項)、かかる観点に立てば、加害的武器の使用についても、その武器がけん銃であれそれ以外であれ、自己又は他人に対する緊急の侵害行為を排除するための正当防衛の場合における(ないしより厳格な状況下における)被侵害利益の保護に限定されるものではなく(正当防衛の要件が具備する場合に武器の使用が許されることは警職法七条によるまでもない。)、正当防衛の要件に該当しなくとも、警職法七条所定の要件に該当する場合には、法は、警察官としての職務遂行に必要なものとしてこれを許容している趣旨であると解するのが相当である。そして、このように解して、はじめて、正当防衛のおよそ考えられない犯人の逃走防止のために武器を使用する場合を含め、警職法七条但書各号所定の場合を統一的に説明することも可能となるのである。

なお、かかる解釈は、請求人代理人主張の見解に比し、警察官による加害的武器使用の許容範囲が広くなることは否定できないが、警職法七条による加害的武器使用の許容基準は、のちにみるとおり相当厳格なものであるうえ、事後的に許容性を判断するに当たっては、同法一条二項の趣旨を尊重し武器の使用が制限的なものであるとの立場を堅持すべきことに照らせば、同法七条によって加害的武器使用が許容される範囲は、なお限局されたものということができ、法は、警察官の職務の特殊性にかんがみ、正当防衛の成立する範囲は超えるものの、かかる限局された範囲においては、なお加害的武器使用を許容しているものと解さざるをえない。

したがって、警職法七条により加害的武器使用が許されるか否かは、それが正当防衛の要件を具備するか否かとは別個に検討することが可能であり、かつ、当該武器使用が正当防衛の要件を備えない場合であっても、同条によって許容される場合がありうるというべきであって、加害的武器使用の行為が同条所定の要件に該当する場合には当該行為は正当な職務行為(刑法三五条)として違法性を阻却するものというべきである。

よって、以下、本件けん銃発射行為が警職法七条所定の人に危害を与える武器使用が許される場合に当たるか否かについて判断する。

(一) Aが犯した罪の兇悪性

警職法七条但書一号によれば、危害発生を伴う武器使用が許容されるためには、犯人が、「死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる十分な理由のある者」であることを要するところ、前記のとおり、Aは、第一現場において任意同行を求める意思の下に警察手帳を示しながら身分を明かして接近したS巡査部長に対し、所携のナイフでその頭部に切りつける殺人未遂ないし傷害及び公務執行妨害の罪を犯し、右罪の現行犯人として逮捕しようとした被疑者を含む警察官らに対し、右ナイフを振るって突き刺そうとしたり切りつけるなどして激しく抵抗する公務執行妨害の罪を犯し、また、逃走するに当り、自転車に乗って通行中の乙山一郎の胸部に右ナイフを突きつけてその自転車を強奪しようとした強盗未遂の罪を犯し、さらに、第二現場においても、逃走のため、タクシー運転手や警察官らに対し、右ナイフを振るってタクシー一台を強奪する強盗罪等を犯し、続いて、本件現場においても、第二現場から引続き追跡してきた被疑者に対し、右ナイフを激しく何度も突き出して抵抗する公務執行妨害の罪を犯したものであって、これらの各罪が「長期三年以上の懲役又は禁錮」にあたる犯罪であることは明らかであり、しかも、各犯行の具体的状況、とりわけ、Aが極度の興奮状態の下で、刃体の長さ一二・六センチメートルのナイフを振るって激しく各犯行に及び、警察官六人が相当時間に亘り同人を逮捕しようとしてそれぞれ警棒、警杖を使用し、あるいは、けん銃を取り出し、警告や発射をしても制圧できず、同人の抵抗、反撃によって警察官らが生命の危険を感じる場合もあったほどであることに徴すれば、右は「兇悪な」犯罪に該当すると認められるのであって、警職法七条但書一号前段の要件を満たすというべきである。

(二) けん銃使使用の必要性

次に、同号後段によれば、危害発生を伴う武器使用が許容されるためには、犯人が「その者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき(……省略……)これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合」であることを要するところ、前記認定の本件けん銃発射までの経緯によれば、被疑者の本件発射行為は、警察官として、犯人たるAの抵抗及び逃走を防止して同人を逮捕するためになした職務行為であったことは明らかである。

ところで、他に手段がなかったか否かの点に関し、請求人代理人は、被疑者は、(1)他の警察官の応援を待って対処することができた。(2)Aは完全に車外に出てはいなかったのであるから、A車のドアを足蹴りして当面のAの反撃を防いで応援を待つことができた。殊に、Aの右足が車外に出ていたのであれば、この方法によってドアと車体の間に右足をはさみ込んで脱出を断念する程度に打撃を与えることができた。(3)所携の特殊警棒を使用してAを制圧することができたと主張するのに対し、被疑者は、右主張の各方法を考えたり一部はこれを実行したりしたものの、結局はこれらの方法によっては制圧の可能性がなかった旨供述している(被疑者の検察官及び司法警察員に対する各供述調書並びに裁判官に対する供述)。

そこで順次検討するに、右(1)に関しては、なるほど、被疑者が第二現場に残ったS巡査部長ら五名の警察官において被疑者の後から追跡、探査に努めてくれるであろうとは考えていたこと、被疑者は追跡の途中に自ら戊田車のタクシー無線を使って応援を求める発信をなし、また、本件現場でも戊田運転手に応援依頼の通報方を指示していたことは前記認定のとおりであり、さらに関係証拠によれば、本件発射の直後ころO警郎補らが本件現場に到着し、その後も次々と警察官らが駆けつけたことが認められる。しかしながら、被疑者としては右の各応援依頼の通報が警察当局に到着したかについては確認ができていず、第二現場に残った警察官その他の来援を期待しながらも応援の動きの具体的状況は一切不明であり(O警部補らも本件現場を知って到着したものではなく、V巡査の発した無線を傍受して異変を知り探査中にたまたま遭遇したものである。)、早期の発見、来援は無理であろうと悲観的な考えをしていたのであって、このような状況下において、被疑者は本件現場でAに対し特殊警棒を用いるなどして対処していたがなお応援が現われず、Aの抵抗は衰えないばかりか、車外に足を踏み出す態勢をとるなど差し迫った事態に立ち到ったことから、警察官六名でも制圧できなかった第一現場以降の経過をも考え、被疑者において、もはやAが車外に逃走するまでに警察官らの応援が到着することを期待できる状況にないと判断したのはまことにやむを得ないことであったというべきである。

次に、右(2)、(3)に関しては、被疑者が本件現場においてその方法を尽くしたことは前記二の6に認定のとおりであって、第一現場及び第二現場において被疑者を含む六人の警察官が特殊警棒や警杖等を使用してもAを制圧することができなかったところ、本件現場においては、それまでと異なり被疑者一人のみであり、しかも、Aはいわば自動車の運転席内に立て籠った形となり、狭い窓や扉の隙間からナイフを繰り出す同人の動きは依然として俊敏なため、被疑者は身の危険を感じるとともに特殊警棒の狭い車内へ向けての効果的な使用は制限されるなどこの方法による制圧は奏功しない状況であり、また、ドアを押えたり足蹴りする方法も右同様に身の危険を感じるほかにドアの表面に足が滑って思うに任せない状況であり(なお、第一現場においても、Aが自車に乗り込んだ際にS巡査部長が同様の方法をとろうとしたが、Aが窓から突き出すナイフのために身の危険があって奏功しなかったことがあることは前記二の3に認定のとおりである。)、遂にはAが車外に出ようとするに至ったものであって、以上のとおり、被疑者は請求人代理人の主張する方法を尽くしたものの、Aの異常というべき激しい抵抗に遭って同人を制圧することができなかったものである。

さらに、右(4)に関しては、なるほど、本件現場が人車の通行の多い街の中であったとしても、上空に向けるなどの方法で威嚇発射をする余地はあったものといわなければならない。しかしながら、前記のとおり、Aは第一現場から本件現場に至る間終始衰えを見せない激しい抵抗と俊敏な行動を示したばかりか、第二現場においては、S巡査部長がけん銃を取り出し警告をしたうえAが強奪して発進しようとするタクシーのタイヤ目がけて三回に亘って発射したのにも何らひるむことなく発進して逃走したものであり、本件現場においても、被疑者がけん銃を構えて大声で数回警告をしたのに、これに驚いたり応じようとする気配は全くなく、けん銃を構える被疑者に対し依然としてナイフを突き出し立ち向っていたものであって、このような経緯にかんがみると、Aがけん銃の威嚇発射によってひるんだり被疑者の説得に応じるに至る状況にあったことは認めることができず、したがって、本件現場において予め威嚇発射をしなかったことが直ちに被疑者の本件発射行為を違法ならしめるものとはいいがたい。

以上、請求人代理人の主張する点はいずれも理由がなく、第一、第二現場における経緯及び本件現場におけるAの抵抗と被疑者の制圧行為の状況等の事実を考え合わせると、被疑者においてAの抵抗、逃走を防止し、同人を逮捕するためには、Aの身体に対しけん銃を発射する以外には他に手段がないと信ずるに足りる相当な理由があったものと認めるのが相当である。

(三) けん銃使用の相当性

さらに、武器の使用により危害の発生が許容される場合であっても、警職法七条本文により、その武器使用は「その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において」なされるものでなければならない。

この点に関し、請求人代理人は、Aがドアを開き足を下したのであれば、被疑者は致命傷を避けるため、Aのその足を狙ってけん銃を発射することが十分に可能であり、それによってAの抵抗や逃亡を防ぐことができたと主張する。なるほど、Aが右足を車外に下してから本件発射に至るまでの間には相当の時間的余裕があったし、その足を狙ってけん銃を発射することは、Aと被疑者の近接した位置関係や体勢等から若干の無理は伴うものの物理的には可能であったと認められ、Aの生命に対する危険性を避けるためには、車外に下したその足を狙うのがより適切であったと考えられる。しかしながら、足を狙うためには、被疑者において腰を落として構えるとか後退して間隔をとるなど若干の体勢の変更を要すると考えられるところ、当時の緊迫した状況下で腰を落すことはそれだけAの攻撃を受け易く、自己の危険性につながる不利な体勢であり、後退することはそれだけAの逃走の余地を広げる行為であって、これらの行為に出ることは必ずしも容易でないと認められるのであり(この点、請求人代理人は、被疑者は一、二歩後退して足を狙うことができたと主張するが、Aのそれまでに示した機敏な行動力にかんがみると、被疑者が後退することは前記のとおりそれだけAの逃走を容易にする危険性が増加することとなるところ、本件現場は住民や通行人も多い繁華街の一画であって、被疑者はこれら市民の安全を守り、犯人を逮捕すべき警察官としての職責上一歩も後退することは許されないと自覚していたものである。したがって、被疑者がAの繰り出すナイフの動きに応じて咄嗟に後退することはあっても、意識的に後退することは全く念慮の外に置いていたものであるから、これを期待することは困難であったというべきである。)、むしろ、Aを制圧するためには、まずナイフを握る同人の右腕自体を狙ってけん銃を発射しようと考えるのは、その置かれた事態下の判断としてはやむを得ないところであり、しかも狙った部位は突き出された右腕の肘関節部で身体の枢要部から離れており、被疑者にはAに対する確定的殺意はもとより未必的殺意も存在しないのであって、このような状況下で被疑者がけん銃で足を狙わずに右腕の肘関節部を狙ったことは、合理的に必要と判断される限度内におけるけん銃の使用であったものと認めるのが相当である。

(四) してみると、被疑者がAの右腕肘関節部を狙ってなした本件けん銃発射行為(これによって予想されるAの同関節部受傷の結果を含む。)は、その限度において警職法七条但書一号所定の要件を満たすものというべきである。

第四結論

以上の次第であるから、被疑者の本件けん銃発射行為は正当な職務行為(刑法三五条)としてその違法性が阻却され(これを超えるA死亡の結果につき過失致死罪が成立するか否かはともかく)、結局、請求人の請求にかかる特別公務員暴行陵虐致死の被疑事実については罪とならないものであって、被疑者に対する検察官の不起訴処分は正当というべく、本件請求は理由がない。

よって、刑事訴訟法二六六条一号により請求人の本件請求を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 矢野清美 裁判官 林田宗一 永井裕之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例