福岡地方裁判所八女支部 昭和52年(ワ)17号 判決 1979年3月14日
原告 樋口定吉
原告 樋口トヨ子
原告ら訴訟代理人弁護士 岩城和代
被告 合資会社小浜観光ホテル
右代表者無限責任社員 木村澤治
右訴訟代理人弁護士 山下誠
主文
被告は原告ら各自に対しそれぞれ金六一〇万五〇〇〇円とこれに対する昭和五一年五月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決の一項は原告らが各自金二〇〇万円の担保を供するときはそれぞれ仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告ら各自に対しそれぞれ金一五〇〇万円とこれに対する昭和五一年五月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 一項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告らは夫婦であり、訴外樋口勝行(以下、勝行という。)は昭和一九年一月一日原告らの間に出生した次男であり、輪業樋口自転車店を営んでいた。
被告は肩書地たる小浜温泉の中心街において通称小浜観光ホテル(以下本件ホテルという。)という温泉旅館、料理店、湯屋等を経営するものである。
2 事故の発生
勝行は、同業者五三名とともに、昭和五一年五月二三日訴外株式会社井上輪業の招待を受け、午後六時頃より本件ホテルで開催された宴会でビール、酒等を飲食し、同日午後八時一〇分頃、同ホテル八階の展望大浴場で入浴し、同所の開いていた窓からベランダに出た際、バランスを崩し、ベランダから約二四メートル下のコンクリート路上に転落して、即死した。
3 責任原因
(一) ところで、このような不特定多数の客が利用するホテルにおいては入浴者が夜景等に関心を寄せてベランダに出ることが予想されるところ、本件窓は幅が一・二六メートルあり、その下部から上部との中間にある手摺まで約〇・五八メートルの空間があり、その外部の、玉砂利の敷かれたベランダの奥行は約〇・八八メートルあるのに、ベランダ外壁の高さは僅か約〇・四メートルにすぎず、人間の重心より低位置にあるのに、それには手摺、柵等転落防止の設備が全然設けられていなかったから、転落する危険が大きかったのである。
(二) だからこそ、建築基準法施行令一二六条一項は、「屋上広場又は二階以上の階にあるバルコニーその他これに類するものの周囲には安全上必要な高さが一・一メートル以上の手すり壁、さく又は金網を設けなければならない」と定めているのである。
(三) 従って、右のような本件窓、ベランダの状態は、不特定多数人たる宿泊客、飲食客、入浴客が常時利用する温泉ホテル等の展望大浴場として最小限設備すべき転落防止の施設を欠いていたものであって、本件事故は民法七一七条一項にいわゆる「土地ノ工作物ノ設置又ハ保存ニ瑕疵アルニ因リテ」発生したものというべきであるから、被告は同条の規定により、本件ホテルの占有者および所有者として本件事故により原告らが蒙った損害を賠償する責任がある。
4 損害
(一) 勝行の逸失利益 三二三〇万円
(1) 勝行は本件事故当時三二歳の男子であったから、昭和五〇年賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、小学・新中卒三〇ないし三四歳平均給与年額二三一万七三〇〇円の収入を基礎とし、稼働余命年数を三五年、控除すべき生活費を三割とし、年五分の割合による中間利息をホフマン式計算法により控除して、同人の逸失利益の事故時における現価を算出すると、三二三〇万円となる。
(2) 勝行に妻子はなかったので、その両親である原告らが勝行の右逸失利益の賠償債権を相続により二分の一宛の相続分をもって取得した。
(二) 勝行の葬儀費用 四〇万円
原告らは勝行の葬儀費用として各自金二〇万円ずつを支出して同額の損害を受けた。
(三) 慰藉料
(1) 勝行の固有の慰藉料 一〇〇〇万円
原告らはこれを前記相続により二分の一宛の相続分をもって取得した。
(2) 原告ら固有の慰藉料 四〇〇万円
(四) 弁護士費用 勝訴額の一割
5 結論
そこで、原告らは各自被告に対し以上の損害金内金一五〇〇万円とこれに対する本件事故発生の日である昭和五一年五月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1のうち、勝行が輪業樋口自転車店を営んでいたことは否認するが、その他の事実は認める。右自転車店の経営者は原告樋口定吉である。
2 同2のうち、勝行が当日午後八時一〇分頃本件ホテル八階の展望大浴場で入浴し、同所の開いていた窓からベランダに出た際バランスを崩したことは知らない。その他の事実は認める。
3(一) 同3の(一)のうち本件窓外部のベランダに玉砂利が敷かれ、その奥行が約〇・八八メートルであることは認めるが、その他の事実は否認する。後に過失相殺の抗弁の項において述べるとおり、本件大浴場およびベランダの構造からして客が本件ベランダに出ることは皆無であったし、全く予想されないことであった。
(二) 同3の(三)のうち被告が本件ホテルを占有し、かつ所有していることは認めるが、その他の事実は否認する。
4(一) 同4の(一)のうち原告らが勝行の両親であり、勝行が本件事故当時三二歳の男子であったことは認めるが、その他の事実は否認する。仮に賃金センサスによるのであれば、その収入は中卒男子の初任給を基礎とし、生活費は五割を控除すべきである。
(二) 同4の(二)の事実は否認する。
(三) 同4の(三)の(1)、(2)の事実は争う。
三 抗弁
1 勝行の逸失利益
勝行は原告樋口定吉の営む樋口自転車店の従業員として昭和五〇年度には年収七二万円を得ていたにすぎないのであるから、その逸失利益はこれを基礎として算定すべきである。
2 過失相殺
本件ホテル八階の大浴場から本件ベランダに出るための出入口はなく、展望は右大浴場隣室の脱衣室に置かれた椅子、テーブルからなされるようになっていたものであるし、また右ベランダは、建築法規の要請による落下物防止のために設置されたもので、その幅も狭く、人が出入りするような場所ではなく、そのための設備もなされていないのである。
そればかりでなく、勝行は当日午後七時三〇分頃原告主張の大浴場に隣接する女性大浴場に全裸で入り、入浴していた女性客二名から再三退出を要請されながらこれに応ぜず、同女らをして入浴を切り上げることを余儀なくさせ、その後一階バーに行ってビール一本を飲んでエレベーターに乗り、同所で被告会社の従業員である訴外松尾三夫から大浴場に行くことを制止されながら、これを振り切って右大浴場に入室し、同所の窓を無理に開け、洗場から約一・二メートルの高さのバーの上もしくは右バーとコンクリート壁の間にある約〇・六二メートルの空間から相当無理な姿勢でベランダに出、同所から女性用大浴場に行くべく外部のコンクリート壁を乗り越えようとして安定を失い、転落したものと推測される。
従って、本件事故の発生については、勝行にも重大な過失がある。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実は否認する。勝行は前記自転車店の営業により昭和五〇年当時一九二万七〇一四円の年収を得ていたものであるから、これを基礎とし、請求原因4(一)(1)と同様の方法でその逸失利益の事故時の現価を算出すると、二六八六万六二二〇円となる。
2 抗弁2のうち、勝行が当日本件ホテル八階の女性浴室を男性浴室と取り違えて入浴し、その場に居合わせた客より再三指摘されて同所を出て行ったことは認めるが、その他の事実は否認する。本件大浴場真中の窓は開閉可能であり、その手摺の下は容易にくぐれる状態にあり、かつ本件大浴場の窓際に立って外を眺めても全くと言ってよい程危険を感じないのであり、その反面一旦ベランダに出れば危険が高いのである。
第三証拠《省略》
理由
一 当事者
請求原因1のうち勝行が輪業樋口自転車店を営んでいたこと以外の事実は当事者間に争いがない。
二 事故の発生
請求原因2のうち、勝行が当日午後八時一〇分頃本件ホテル八階の大展望大浴場で入浴し、同所の開いていた窓からベランダに出た際、バランスを崩したこと以外の事実は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、右(除外)事実を認めることができ、右認定を動かすにたりる証拠はない。
三 責任原因、過失相殺
1 被告が本件ホテルを占有し、かつ所有していることは当事者間に争いがない。
2 《証拠省略》によると、本件ホテルはその西側の海(千千石湾)に面して建築され、八階の展望大浴場の西側は洗場から約〇・五七五メートルの高さまでがタイル張りの鉄筋コンクリート造腰壁になっているほかはその上約二・三八六メートルの高さに達するまで殆ど一面にアルミサッシ窓ガラスになっていて、大浴場から千千石湾等の外界を展望できるように構築されていること、大浴場は男子浴室と女子浴室に別れ、両者はその間のコンクリート壁によって隔絶され、女子浴室の南隣に男子浴室が、男子浴室の南隣に男子脱衣室があり、右脱衣室には応接セットも一組置かれていること、男子浴室のアルミサッシ窓ガラスは幅約一・三メートルのもの各三枚を一組として設置され、両端の二枚は窓枠に固定され、中央部の一枚が開閉可能であり、これを全開にすると幅約一・二メートルの開口部ができること、右窓の下部から約〇・五八六メートルの高さにアルミ製横桟が設置されているけれども、腰を屈めるか、これを少しまたげば簡単にベランダに出られる外観を与えていること、右大浴場の外部にはこれに接して奥行約〇・八八メートルの鉄筋コンクリート造ベランダが設置され、その床面は浴室の洗場より低められて玉砂利が敷かれ(なお、本件窓外部のベランダに玉砂利が敷かれ、その奥行が約〇・八八メートルであることは当事者間に争いがない。)ベランダの西側端には高さ約〇・四メートル、厚さ約〇・一四六メートルのコンクリート壁が築造され、男子浴室に面したベランダの南西隅床面には上方に向け照明灯が一個設置されているが、ベランダには他に転落防止設備は設けられていなかったこと、当時男子浴室にはベランダへの立入を禁止する旨の標識は設置されてなく、更に勝行がベランダに出る当時男子浴室の窓は約五〇センチメートル位開いていたこと、男子浴室の窓際に立って外界を眺めても右ベランダに遮られて真下が見えないため八階という高度による恐怖感がなく、まして五月頃の夜間においてベランダの前照灯が点灯されると、外界が暗いのにベランダと浴室が明かるいためベランダがあたかも平家建建物における縁側ないし涼み場所であるかのような錯覚を生ぜさせること、従って飲酒した入浴客等が男子浴室から右ベランダに出るおそれがあり、しかも一旦入浴客がベランダに出るとベランダの西側端のコンクリート壁の高さは約〇・四メートルにすぎず、人体の重心よりはるかに低いため転落する危険があったこと、勝行は右男子浴室に面したベランダ西側端の北端付近から約二六・五メートル下の地上に転落したことを認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はない。
なお、《証拠省略》によると、勝行は当日午後七時三〇分過頃五十数歳の姉妹の女性客二人が入浴している八階の前記女子浴室に入浴し、その二人から退出を求められながらすぐには退出せず、約五分後に退出したことを認めることができるけれども、右事実と前記転落態様によっては勝行が当時右ベランダから前示女子浴室に行くべくそのコンクリート壁を乗り越えようとして安定を失ったため転落したことを推認することはできず、他にこれを認めるにたりる証拠はない。
右認定事実によると、飲酒した入浴客を含む多数の飲食客、宿泊者、休憩者が利用する温泉旅館、料理店、湯屋として本件窓およびベランダの右のような危険な状態は、まさに民法七一七条一項にいわゆる「土地ノ工作物ノ設置又ハ保存ニ瑕疵アル」場合に該当するといわざるをえない。
従って、被告は本件ホテルの占有者および所有者として、同項の規定により、原告らが前記転落事故のため蒙った損害を賠償すべき責任を免れないのであって、右展望大浴場から本件ベランダに出るための出入口はなく、展望は大浴場隣室の脱衣室に置かれた椅子、テーブルからなされるようになっていたとか、右ベランダは落下物防止のために設置されたもので、その幅も狭いとかいった被告主張の事実は右の結論に影響を及ぼさない。
3 しかし、前記認定事実によれば、本件事故の発生については、勝行にも通常の人の出入口でない窓から前示のような危険なベランダに出、しかもその中でも危険度の高いベランダ西側端付近に至った過失があるから、これを損害賠償額を決するにつき斟酌することとし、その減額割合は五割とするのが相当である。
四 損害
1 勝行の逸失利益 五九〇万円
勝行が本件事故当時三二歳の男子であったことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、勝行は事故当時原告樋口定吉と共同して輪業樋口自転車店を営み、パンク修理代による年収八〇万円、その他の営業収入一二五万九九三四円位の合計二〇五万九九三四円位を得ていたが、その寄与率は七割であることが認められるから、その年収は一四四万一九五四円であることが認められる(本件では賃金センサス等の統計によることなく被害者の収入を確定することができるから、右統計は採用しない。)。
従って、右年収を基礎とし、稼働余命年数を三五年、控除すべき生活費を五割とし、年五分の割合による中間利息をライプニッツ式計算法により控除して、勝行の逸失利益の事故時における現価を算出すると、次のとおり一一八〇万円となる。
一四四万一九五四円×〇・五×一六・三七四一=一一八〇万円(一万円未満切捨)
しかし、前示の過失相殺によってその五割を減額すると、五九〇万円となる。
ところで、原告らが勝行の両親であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、勝行に妻子はなかったことが認められるので、原告らは勝行の右賠償債権を二分の一宛の相続分をもって各二九五万円宛取得したことになる。
2 葬儀費用 二〇万円
《証拠省略》によると、請求原因4の(二)の事実が認められるが、過失相殺による五割の減額をすると、原告ら各自につき各一〇万円となる。
3 慰藉料 五〇〇万円
勝行が本件事故により死亡したために蒙った原告らの精神的苦痛に対する慰藉料としては、勝行、原告らの年齢、身分関係、その他諸般の事情を考え合わせると、原告ら各自に対し各金五〇〇万円が相当であるところ、前示の過失相殺による五割の減額をすると、各金二五〇万円となる。
ところで、原告らは原告固有の慰藉料の他に、勝行が死亡するまでの間に蒙った精神的苦痛に対する慰藉料請求権を取得し、これを原告らが相続した旨主張する。
しかし、被害者死亡の場合は被害者自身が自己の死亡に基づく慰藉料請求権を取得することはありえず、ひいてその慰藉料請求権を相続するということもないのであって、むしろその場合には被害者の有した権利の相続としてではなく、遺族固有の権利として被害者の近親者たる父母、配偶者および子らに対し特別に被害者の死亡による慰藉料請求権が認められるのであるから、被害者が受傷から死亡までの間に蒙った苦痛はこの遺族固有の慰藉料算定について十分斟酌されることを要し、かつそれをもってたるというべきである(実際問題としても、慰藉料の基準額は慰藉料請求権者の数如何や、同一人が遺族固有の慰藉料と別に死者本人の慰藉料請求権の相続請求権を請求しているかどうかにかかわらず総額を定めたうえ遺族を中心として個別的慰藉料額を決定するのが相当であって、遺族固有の慰藉料と別に死者本人の慰藉料請求権の二本立を認めることは、法律関係を複雑にするだけで、被害者側の保護に役立つとは限らない。)。
従って、原告らのこの点の主張はそれ自体理由がない。
4 弁護士費用 一一一万円
《証拠省略》によると、原告らは被告から任意の弁済を受けられず、右債権取立のため本件訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任し、その費用および報酬として勝訴額の一割を支払うことを約束したことが認められ、かつ事案の難易等を考慮するとそれは被告に賠償を求めうべき相当額と認められる。
そうすると、以上の賠償額の一割は一一一万円となる。
五 結論
以上の次第で、被告は原告ら各自に対しそれぞれ右損害金合計六一〇万五〇〇〇円とこれに対する本件事故発生の日である昭和五一年五月二三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき責任があるというべく、原告らの本訴各請求は右認定の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を適用し、なお仮執行免脱宣言の申立については相当でないからこれを却下して、主文のとおり判決する。
(裁判官 池田憲義)