大判例

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福岡地方裁判所大牟田支部 昭和57年(ワ)108号 判決 1983年3月18日

原告

永尾廣久

被告

岩崎和子

ほか一名

主文

1  被告岩崎和子は原告に対し六三万〇三六八円およびこれに対する昭和五六年三月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告の被告岩崎和子に対するその余の請求および被告本田淳二に対する請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用中原告と被告岩崎和子との間に生じたものはこれを五分しその三を原告の、その余を同被告の負担とし、原告と被告本田淳二との間に生じたものは原告の負担とする。

4  この判決の第一項は仮りに執行することができる。

事実

一  申立

原告は「被告らは原告に対し各自一七二万三九六六円およびこれに対する昭和五六年三月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、

被告らはいずれも「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

二  原告の主張

1  交通事故の発生

(一)  発生日時 昭和五六年三月一二日午後零時五〇分ころ

(二)  発生場所 福岡県大牟田市船津町四七三の一先路上(国道二〇八号線)

(三)  加害者 普通乗用自動車を運転中の被告岩崎

(四)  被害者 普通乗用自動車を運転中の原告

(五)  事故の態様 原告が前方交差点の赤信号で停止中に、後続車の運転手である被告岩崎が助手席の被告本田との会話に夢中のあまり脇見をしたうえ、本来ブレーキを踏んで停止すべきところをブレーキとアクセルを踏み違えてアクセルを強く踏み込んでしまつたため、前方の原告車に激しく追突して、原告に対しいわゆるむち打ち症の傷害を負わせるに至つた。

2  被告らの責任原因

(一)  被告岩崎は、加害車両の運転手として前方注視義務ならびに安全運転の義務を怠り漫然アクセルを踏みこんだ過失があるので民法七〇九条により原告に対し損害賠償すべき責任がある。

また同被告はその加害車の所有者であり自己のために運行の用に供する者として自動車損害賠償保障法第三条にもとづき原告に対し賠償責任がある。

(二)  被告本田は加害車両の助手席に同乗していたのであるから、被告岩崎の運転中はハンドル等の操作に支障を来さないよう話しかけるのを慎み、安全運転を妨げないようすべき義務があるのに、漫然被告岩崎に話しかけ会話に熱中させた過失があるので、原告に対しては民法七一九条にもとづき賠償責任がある。

3  原告の蒙つた損害

(一)  原告は前記事故により頸椎捻挫の傷害を負い、安静とポリネツクカラーによる頸椎固定等の治療を受けたが、そのため同年三月一七日から四月五日までの二〇日間の入院加療および、同年七月九日までの間実通院日数一四日間の加療を受けた。

(二)  休業損害

原告は大牟田市不知火町に事務所を構える弁護士であるところ、事故当時パートを含めて四人の事務員を雇傭していたが、その職業柄事務所を閉鎖することは出来なかつた。弁護士の収入は原告が事務所に出勤していてはじめて法律相談や事件依頼があるもので、事務員との間に何ら代替性はない。つまり原告は本件事故によつて三四日間休業せざるをえなかつたが、その間事務所経費は支出せざるをえないまま収入の途を絶たれていたのであつた。

従つて、原告は事故直前一年間の総所得額によつて平均日額を算定したうえ、その三四日間の損害を蒙つたわけであり原告の休業損害は一一五万八三六六円である。

総所得額から経費および税金を控除した残額を原告の損害日額とすることは全く根拠がない。なぜならば例えば後遺障害のある被害者の場合には死亡損害と異なり生活費控除はしないが、これは後遺障害のある者にとつて生活費の支出を免れるわけではないからである。原告の場合にも事務所経費の支出を免れたわけではないので、経費を控除すべきでないこと同論である。もし所得から経費を控除してしまえば、原告は経費を実際に負担したうえその補填がなかつたことになり、二重の被害を蒙ることになる。このことは税金についても同じである。

なお、原告について言えば、二〇日間の入院についても医師からはもつと長期療養を勧められていたが、事務所の存立が危くなつたので無理して退院を急いだのであり、さらにその後入院中のブランクを取り戻すべく必死の努力を余儀なくされたことをあえて付言する。

(三)  慰藉料

原告に対し被告らはほとんど全く誠意を示さなかつた。再三再四の要求にもかかわらず内入弁償にも応じなかつたし、原告の入院中も一度として見舞いにすら来なかつた。

このことを考えるならば、入院二〇日間、実通院一四日間であることをあわせて、慰藉料としては被告らに対する制裁的意味も加味して金一〇〇万円が相当である。

(四)  その他の損害および既払額控除

原告はハリ治療をして五万一〇〇〇円を要したほか、経費として一万四六〇〇円を要した。このほかにも通院タクシー代その他経費を要しているが、とりあえず右六万五六〇〇円を費用として請求する。

原告は被告岩崎加入の任意保険会社から内払金として五〇万円を受領しているのでこれを控除すると残額は一七二万三九六六円となる。

よつて原告は被告らに対し右の一七二万三九六六円およびこれに対する昭和五六年三月一二日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

4  被告岩崎は休業損害の算定にあたり、生活費と異なり必要経費が控除の対象になる根拠として、「生活費は原告自身が消費する費用」であり、必要経費は「原告が自己の収入を得る為に第三者に支払うべき費用」であるという両者の性質の相違を指摘する。しかしこうした性質の相違は控除の可否を論ずるにあたつては全く意味のないことである。

そもそも生活費について、死亡損害の場合に控除され、休業損害の場合に控除されないのは次の理由による。

すなわち死亡損害の場合生活費が控除されるのは、死亡により収入を失うとともに死亡により自己が収入を得るために支出すべき生活費の支出を免れることになるからであり、損害額から生活費を控除しなければ、死亡により被害者は生存すれば将来得べかりし利益よりも多額の利益を得ることになるため損益相殺の法理により控除されるのである。

これに対し、休業損害の算定にあたつて死亡損害の場合と異なり生活費を控除しないのは、死亡の場合と異なり生活費の支出を免れるわけではなく損益相殺を考慮する余地がないからである。

必要経費の控除についても、生活費と同様それが損益相殺の対象になるか否かという観点から考慮しなければならない。

原告が本件事故による休業のため事務所を閉鎖したのであれば、原告はその間収入を得られなかつたと同時に経費の支出を免れたことになるので損益相殺の法理により控除されることになろう(もつともこの場合でも控除されるのは事務所閉鎖中も支出を要する事務所賃料等の固定経費を除いたその余の経費である)。

しかし原告は休業中弁護士という職業柄事務所を閉鎖することはできなかつた。

つまり、原告は休業期間中収入の途を絶たれたまま経費の支出を余儀なくされたのであり。生活費におけると同様この場合の経費につき損益相殺の法理を適用すべき余地がないことは明らかである。

税金についても右と同様、被告岩崎の主張するようにそれが「国家に帰せしめられるべき金額部分」か否かが問題なのではなく、要は収入の途が絶たれたにもかかわらず支出を余儀なくされた金額であるので控除すべきではないということである。

現行法は人身損害の損害賠償金を非課税としている(所得税法第九条一項二一号)が、税金を控除するのはこの規定の趣旨にも反するし、これによつて得られる利益分はもつぱら税制に由来するもので本件事故とは無関係だから損益相殺の対象ともなしえないのである。

被告岩崎は、弁護士業務の一部が事務職員において代替可能であることを根拠に入院期間中の事務処理能力喪失率を約八〇パーセントであると主張する。

しかし、これは弁護士とその事務職員の業務の実際を全く理解しないものである。

法律事務所における事務職員の業務は秘書業務であり、弁護士の指導のもとに事実行為を代行するものである。弁護士自身が業務を行なえない状態のもとではいかなる意味でも収入獲得にむけた積極的行動はとりえない。

もちろん弁護士が現に事務所にいないような場合、例えば他都市に所在する裁判所に出かけるような場合にでも、事前の指示あるいは電話などで指示することはありうる。しかし、これはあくまで弁護士自身が業務を行なつている場合のことであり、入院などのため業務そのものを行なつていない場合には収入獲得に向けた役割は果たしえないのである。被告岩崎は「入院中の原告の指示をあおげば代替可能」と主張するが、いつたい原告が入院期間中も出張先からと同じような弁護士業務を行なうべきであつたとでも主張するのであろうか。

入院期間中の事務職員の業務は交渉あるいは訴訟の相手方に対する期日の変更やそのための手続、あるいはサービス業である弁護士業務の性質上信用を喪失しないために病気の経過等についての依頼者等からの問い合わせに対する受け答えなどもつぱら法律事務所としての存続を最少限維持するためだけの諸活動であり、これらが原告に対し何ら新たな利益を生まないことは明白である。

また被告岩崎は通院期間中につき、原告代理人堀良一が同一事務所であることなどを理由に喪失率五〇パーセントなどと主張するが、これもまた同様に弁護士業務と共同事務所の実際についての誤解にもとづく主張である。

弁護士業務はそれぞれ独立であり、事務所が共同であり補助することが可能であることと業務の独立性とは別問題である。

なお「弁護士の事務処理能力の喪失率」などということを問題にするのであれば、実は弁護士にとつて二〇日間もの長期間休めばその影響たるや数か月に及ぶという実情をもむしろ考慮すべきである。

依頼者というものはたいていの場合ある日突然法律事務所にとび来んできて事件を依頼するものでなく、一度まず相談に来てその後一定期間をおいてまた来て事件の依頼・受任という経過をたどることが多い。二〇日間の休業はその前段を不可能にしたわけであつて、弁護士業務が相談料収入でなく裁判受任によつて成り立つているという現状を考えるならば、この二〇日間というものの影響はその後相当期間にわたつて続くものなのである。

三  被告らの主張

原告主張の事実中1の(一)ないし(四)の事実、2の(一)の事実は認め、その余の点は争う。

被告岩崎運転の車両が原告車に追突して、それにより原告がむち打ち症の傷害を負つたことは認めるが、被告本田は本件事故については無過失である。同被告は被告岩崎運転の車に同乗していたが本件事故当時助手席で寝ており、原告主張のように被告岩崎と話に熱中していたことはない。

被告岩崎は原告に対し、(一)治療費四五万一〇二〇円(米の山病院四〇万〇〇二〇円、ハリ治療費五万一〇〇〇円)(二)通院費三九〇〇円(三)諸雑費一万円(四)文書料七〇〇円(五)休業損害六六万四七六八円(六)慰藉料三〇万円、以上合計一四三万〇三八八円で示談したい旨申入れたが原告と話合いがつかなかつた。

右のうちすでに治療費(米の山病院分)四〇万〇〇二〇円、内払金五〇万円は支払ずみであり、残存支払提示額は五三万〇三六八円となる。

本件事故に関し原告と被告岩崎間で争点となつた休業損害の範囲に関して、被告岩崎は次のように主張する。

(一)  必要経費の控除について

被告岩崎が従前から主張するとおり、休業損害とは事故による負傷者が事故にあわなかつたと仮定した場合に享受しえたであろう財産的利益の喪失を意味する。

原告は、休害損害において生活費が控除の対象とならないことを理由に必要経費もこれと同様と主張する。

しかし生活費は原告自身が消費する費用であり、その意味で原告の享受しえたであろう財産的利益といえるが(死亡の場合逸失利益より生活費が控除されるのは、この逸失利益の受取人が被害者自身ではなく相続人だからである)、必要経費は原告が自己の収入を得る為に第三者に支払うべき費用であつて、いかなる意味でも原告自身が享受し得たであろう利益とはいえない。

給与所得者の休業損害ですら、社会保険料等が必要経費として控除されるのであり、原告のような個人事業主の休業損害につき、必要経費が控除されるのは、判例・学説上も全く異論のないところである。

(二)  税金の控除について

休業損害の認定に際し所得税等の税金を控除するのも、前記必要経費と全く同様の考え方である。即ち被害者救済の名の下に、本来国家等に帰せしめられるべき金額部分を、被害者に得しめるため加害者に負担させなければならない理由は全くないのである。

もつとも税金の控除については、主として所得税法第九条一項二一号を根拠に非控除とする考え方がある。しかし右規定は事故にあわなかつたと仮定した場合の財産状態に復帰するため必要な額については非課税とする、というに止まるのであつて、その復帰の為必要な額を算出する過程において税額の控除を要するという理論と矛盾する規定ではない。

(三)  原告の休業期間中の事務処理能力の喪失率について

原告の職業は弁護士であり、その業務内容の性質上、濫りに他に委任することのできない部分のあることは認めるが、他方で弁護士業務の一部は、事務職員において入院中の原告の指示をあおげば代替可能な部分もある。

従つて原告の入院期間中(二〇日間)のその喪失率は約八〇%と考える。

又通院期間中(一四日)は、原告自身事務所に顔を出すことも可能であり、ことに昭和五六年四月以降は原告代理人堀良一もすでに弁護士として原告事務所に勤務し、原告を補助することが充分可能だつたのであるから原告のその喪失率は五〇%が相当である。

四  証拠〔略〕

理由

昭和五六年三月一二日午後零時五〇分ころ、福岡県大牟田市船津町四七三の一先の国道二〇八号線上において、被告岩崎運転の普通乗用自動車が原告運転の普通乗用自動車に追突して原告に対しむちうち症の傷害を負わせたこと、同事故発生につき被告岩崎に前方注視義務違反の過失があること、同被告が加害車の所有者であることは当事者間に争いがなく、同被告は原告が蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

原告は被告本田が加害車両の助手席に同乗していて被告岩崎に話しかけ会話に熱中させて運転をあやまらせた過失がある旨主張するが、被告本田が被告岩崎の運転をあやまらせたことを認めるに足りる証拠はなく、被告本田は原告に対し本件事故による損害賠償の義務を負担しないものと認められる。

そこで原告が本件事故により蒙つた損害について検討する。

成立に争いのない甲第一・第二号証、第七ないし第一二号証、原告本人の供述によると、原告は本件事故により頸椎捻挫の傷害を負い安静とポリネツクカラーによる頸椎固定等の治療を受けて昭和五六年三月一七日から四月五日までの二〇日間の入院加療および同年七月九日までの間実通院日数一四日間の加療を受けたことを認めることができる。

(一)  休業損害 六六万四七六八円

成立に争いのない甲第五号証、原告本人の供述によると、原告は昭和五五年度に一二四三万五四〇〇円の収入があり、これから必要経費四一三万〇六二〇円を控除した所得八三〇万四七八〇円を得ていたこと、これに対する所得税額は一一六万八三〇〇円であることを認めることができる。

そして原告の休業損害を算出するには原告の収入額から必要経費、所得税額を控除した純収入額を基準としてなすべきものと解されるので、前記三四日間の休業損害は六六万四七六八円となる。

(二)  慰藉料 四〇万円

本件に顕れた諸般の事情を考慮すると原告に対する慰藉料としては四〇万円とするのが相当である。

(三)  その他の損害 六万五六〇〇円

成立に争いのない甲第六号証、弁論の全趣旨を総合すると、原告は本件事故により受傷したことによりハリ治療費として五万一〇〇〇円、その他の経費として一万四六〇〇円を要したことを認めることができる。

以上のとおり被告岩崎は原告に対し本件事故による損害賠償として合計一一三万〇三六八円を支払うべき義務があるところ、原告がそのうち五〇万円を受領していることは原告の認めるところであるから、同被告は原告に対しその残額六三万〇三六八円およびこれに対する昭和五六年三月一二日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よつて原告の本訴請求中、被告岩崎に対するものは右の限度で正当として認容し、その余は失当として棄却し、被告本田に対するものは全部失当として棄却し、民訴法八九条、九二条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 糟谷邦彦)

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