福岡地方裁判所小倉支部 平成元年(ワ)596号 判決 1993年3月18日
原告
野依勇武
同
中村利彦
同
古川和彦
同
金子信一
同
宮崎範喜
同
栗原益郎
同
佐多道人
同
橋本馨
同
荒川徹
同
上村為助
同
上原文雄
同
磯部哲夫
同
守田邦彦
同
福薗輝三夫
原告ら訴訟代理人弁護士
佐藤裕人
同
年森俊宏
同
吉野高幸
同
住田定夫
同
配川寿好
同
江越和信
同
荒牧啓一
同
河邉真史
同
前田憲徳
同
安部千春
同
田邊匡彦
同
横光幸雄
同
尾崎英弥
同
前野宗俊
同
高木健康
原告ら訴訟復代理人弁護士
中村博則
被告
日本道路公団
右代表者総裁
鈴木道雄
右訴訟代理人弁護士
佐藤安哉
右指定代理人
齋藤博志
外二名
右訴訟代理人
稲垣忠男
同
高橋誠
同
田中愼二郎
同
畑村雄二
同
千葉雅隆
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告らに対し、別紙(1)不当利得金目録の不当利得金欄記載の各金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1(一) 原告らは、北九州市若松区(以下同市内の区を表示する場合、同市を省略する。)、戸畑区等に居住し、社会生活上毎日のように有料道路若戸大橋(路線名一般国道一九九号の一部、以下「若戸大橋」という。)を通行している者である。
(二) 被告は、日本道路公団法に基づき設立され、若戸大橋を建設、管理するとともに通行する者から料金を徴収している公法人である。
2 若戸大橋の平成元年六月一四日当時の料金は、次のとおりである。
(一) 普通自動車
乗用 三一〇円
貨物 三六〇円
(二) 小型自動車(乗用、貨物共)
一五〇円
(三) 軽自動車、小型二輪
三〇円
(四) 特殊自動車
小型 三〇円
大型 五二〇円
(五) 乗合自動車
路線 四一〇円
その他 五二〇円
(六) 原動機付自転車 三〇円
原告らは、前同日、若戸大橋を別紙(1)不当利得金目録車種欄記載の車種の車両により通行し、被告に対し、料金として同目録不当利得金欄記載の各金員を支払い、被告はこれらを受領した。
3 被告が右料金を受領するについて、次のとおり、法律上の原因が存在しない。
被告が、一般有料道路(以下、「有料道路」という。)を建設し、その通行者から料金を徴収するには、道路整備特別措置法(昭和三一年法律第七号、以下「道特法」という。)三条一項所定の要件、即ち、同項一号の、当該道路の通行者又は利用者がその通行又は利用により著しく利益を受けるものであること(以下「受益性の要件」という。)、同項二号の、通常他に道路の通行又は利用の方法があって、当該道路の通行又は利用が余儀なくされるものでないこと(以下「選択性の要件」という。)、という二要件を充たさなければならない。
しかしながら、若戸大橋の場合、確かに、若松区、戸畑区間には、洞海湾を迂回する経路が存在するが、若戸大橋を通行する場合に比べ、距離的に遠く、時間も要し、原告ら及びその周辺住民の生活状況からして、若戸大橋を通行せざるを得ないのが実情であり、選択性の要件を充たしていない。したがって、被告が若戸大橋を有料道路として建設し、料金を徴収することは、法律上の根拠を欠いている。
4 よって、原告らは被告に対し、不当利得返還請求権に基づき、別紙(1)不当利得金目録不当利得金欄記載の各金員の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実は認める。
3 同3の事実につき、道特法三条一項の規定はそのとおりであるが、その余は否認する。
三 被告の主張
1 若戸大橋建設の経緯は次のとおりである。
若戸大橋建設以前は、旧門司市、小倉市等と洞海湾を隔てている旧若松市とを結ぶ交通は、国道三号から国道一九九号を経由して洞海湾を大きく迂回する経路(その一つの例は、昭和三三年当時の国道三号と同一九九号との接点である小倉北区砂津一丁目交差点(別紙(2)A地点)から国道三号を八幡西区本城東五丁目交差点(同B地点)へ向かい、同交差点から国道一九九号を若松区本町三丁目(同C地点)へと至る26.4キロメートルの経路)によるか、又は旧若松市、戸畑市間を結ぶ渡船に依存していた。前者は多大の時間と経費がかかり、後者も危険を伴っており、いずれも急増する交通量に対応することが不可能な状態となっていた。そこで、被告は、その根本的解決のため橋梁を新設し、旧若松市、戸畑市を直結させ、交通の一貫性を確立するとともに、新しく造成されていく臨海工業地帯の開発に伴う輸送力の増加に対応すること、また、当時交通量の増大で飽和状態にあった国道三号から旧若松市方面への交通については、国道一九九号に転換させることも目的として、国道一九九号の改築の一部として若戸大橋の建設を計画した。そして、被告は、道特法三条一項に基づき、建設大臣に本件事業の許可申請をし、昭和三三年八月二六日許可を受け、約四年間の工事期間を経て、昭和三七年九月二七日供用を開始した。その事業費は五一億円であり、料金徴収期間は供用開始の日から三〇年間(平成四年九月二六日まで)であった。さらに、若戸大橋の利用交通量の増加により、著しい混雑を来すようになったので、被告は、若戸大橋を四車線に拡幅することにし、道特法三条四項に基づき、建設大臣に事業変更許可申請をし、昭和五九年四月二四日許可を受け、現在拡幅工事を実施しており、その事業費は二八一億円であり、料金徴収期間は供用開始の日から五二年間(平成二六年九月二六日まで)である。
2 道路の通行については、道路無料公開の原則が存在するが、例外的に有料道路として建設できる場合について、道特法三条一項がその要件を規定しており、若戸大橋は、その要件をいずれも充足している。
(一) まず、選択性の要件の意味を検討する前提として、道路無料公開の原則及びその例外としての有料道路制度の趣旨ないし根拠を考察する。
道路は、本来一般公衆の使用に供することを目的とする公共施設であるから、何人も他人の使用を妨げない限度でその用法にしたがい、許可その他の行為を要せず自由に使用できる。しかし、こうした道路の自由使用は、道路がその供用の開始により一般交通の用に供された結果、その反射的利益として一般公衆が享受しうるにとどまるという公法上の関係であって、利用者に、道路管理者に主張し得る権利としての使用権ないし通行権が与えられているのではない。有料道路の利用関係についても、管理者である被告と利用者との間の関係は、右と同様であり、有料道路の利用は、それが一般交通の用に供されたことにより、その反射的利益として享受するにとどまる関係である。
(二) このような原則を前提としつつ、有料道路制度が認められている趣旨は次の点にある。
道路は、一般交通の用に供されるのであるから、一般財源(税収)により支出維持されるのが望ましいが、国家財政、地方財政等の状況から道路に対して充当される一般財源には限界がある。他方、道路として早急に整備すべきものが存在し、一般財源のみでは激増する道路交通需要に対処できない。そこで、財源上の制約と道路整備の緊急性とを調整する制度的方策として、借入金により有料道路を建設し、通行料金収入により右借入金を償還するという民間資金を活用する方法が考えられた。
(三) 道特法三条一項が規定する選択性の要件は、有料道路を利用することが余儀なくされないということが普通であることを意味している。代表的な事例としては、在来の道路がそのまま存続する、あるいは有料道路の設置区間に代替道路が存在する場合等である。
選択性の要件について、若戸大橋の場合を考察すると、前記1のように、昭和三三年当時別紙(2)A地点から同B地点へ向かい、同C地点へ至る26.4キロメートルの経路が存在し、これは、右A地点から若戸大橋を通行して右C地点に至る8.1キロメートルの経路にとって、選択性の要件を充足する迂回路たり得ている。即ち、若戸大橋は、道特法三条一項の要件を充足する典型的な事例である。
そして、選択性の要件には、「通常」という限定があり、同要件全体にかかるのであるから、迂回路の存在は、絶対的ではなく、原則として充たされるべきものであり、例外的措置を排除するものではないと解するべきである。たとえば、従来渡船施設によっていた離島に建設する橋梁等は、早期整備の必要性が高い状況にありながら、建設に多額の費用を要して早期整備が困難であるから、有料道路制度が活用されるべき典型である。
3 なお、選択性の要件は、当該有料道路建設時に充足していれば足りるのであって、料金徴収時において充足することまで要求されていない。有料道路制度は、道路無料公開の原則の例外として、一般財源で支えきれない巨額の建設費用を料金収入で償還していく方法であるから、その後の事情変更により料金徴収をなし得ないとすると、右方法自体が成立しない。道特法三条一項各号所定の要件に該当することを示す書面は、当初の許可申請時に申請書添付が義務づけられている(道特法三条二項)のも、供用開始後の事情変更により料金徴収等の道路管理行為の性格が左右されるものではないからである。
4 また、選択性の要件は、これに違反したからといって、被告の通行者に対する料金徴収行為の効力を否定するまでの意味はないと解釈すべきである。有料道路の建設には、被告が建設大臣の許可を受ける許可申請主義が採られているところ、被告は、有料道路を建設、管理し、利用者から料金を徴収する関係では、国と一体をなし、機能的には建設大臣の下部組織を構成するものとみられるから、この建設大臣の許可は、行政機関相互間の内部行為と解される。通行者又は利用者が当該道路が有料道路であることを知るのは料金の額及び徴収期間に係る官報公告のあったときからであり、料金徴収の対象は通行により利益をうける「人」ではなく、通行により受ける便益額及び交通量について計測可能な「車両」を単位としている。してみると、選択性の要件は、行政組織内部においてその妥当性をあらかじめ検証することを目的とするもので、直接、利用者の具体的な利益を保護することを目的としていない。
5 さらに、有料道路は、国にとり重大な利害を有するので、料金及び料金の徴収期間の決定、変更には建設大臣の許可が必要とされ(道特法三条一項ないし四項)、料金の決定基準も法定され(道特法一一条二項、三項、同法施行令二条)、料金の徴収については国税滞納処分の例により強制徴収することができ(道特法二五条、道路法七三条一項ないし三項)、被告が法に基づいてした処分その他公権力の行使に当たる行為に不服がある者は、建設大臣に対して行政不服審査法による審査請求をすることができるとされている(道特法二九条)等私法上の行為にはみられない手続的規制、強制徴収権、不服申立手続が存している。そうすると、その徴収する料金は、公法上の負担金に類似し、租税類似の負担金としての性質を有すると解することができ、料金徴収行為は、公権力の発動たる行政行為と解する余地もあり、かかる行為にはいわゆる公定力的な通用力が生ずることになる。
したがって、仮に、料金徴収行為に何らかの瑕疵があるとしても、取消されるか、無効でないかぎり、なお通用力が存することになるが、料金徴収行為に取消されたものは存在しないし、無効というためには、瑕疵が重大かつ明白でなくてはならないが、重大かつ明白な瑕疵があるとはいえない。
6 以上のとおり、本件料金徴収には法律上の原因がないということはできない。仮に、道特法三条一項の要件を効力規定と解したうえ、これに違反する料金徴収の効力も否定されるならば、従来徴収してきた巨額の通行料金も返還せざるを得なくなり、徴収の対象が車両であることからしても、被告には料金返還の方法もない。
四 被告の主張に対する原告らの反論
1 若戸大橋建設の経緯ないし意義は次のとおりである。
若戸大橋建設以前の旧門司市、小倉市、戸畑市と旧若松市との交通については被告の主張1のとおりである。さらに、昭和五年の渡船の転覆事故等があったりしたため、渡船に代わる交通設備が求められ、昭和一三年には若戸トンネル工事が認可されたものの、戦争で中止された経緯がある。その後、旧北九州五市(旧門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市)合併(昭和三八年二月一〇日発足、以下「五市合併」という。)における合併実現の大前提として、都市機能の統一の必要等から若戸大橋建設を要望する市民の声が高まり、右建設が実現された。
2 若戸大橋は、選択性の要件を充足していない。
(一) 道路の無料公開の原則の根拠は、まず、道路が物の運搬、人の移動のため必要不可欠であり、国民の生活、経済にとり極めて重要で、高度の公共性を有することに求められる。道路は、人間が日常生活を営むうえで不可欠な生活道路と、トラック輸送等のための物流幹線道路に分かれ、後者の公共性が高いのは勿論であるが、前者は、住民が移動する場合にその道路を使わない限り移動できないというように市民生活とは切っても切り離せない関係にあるため、公共性が一層高いというべきである。
かかる見地からすると、物流幹線道路の場合は、大型車が重量物を運搬して道路を大幅に破壊しているので、利用者に何らかの負担があるのはやむを得ないが、生活道路は、それなくして社会生活が遂行できないという役割を持つものであるから、無料でなくてはならない。
(二) 道路無料公開の原則は、交通権の概念からも導くことができる。交通権は、フランスにおいて一九八二年に交通基本法ができたことにより権利として確立されたが、その要点は、第一に、どの地域に住んでいる者も移動の自由を有すると認めて交通権を保障したこと、第二に、道路だけではなく総合的な交通体系として整備されなくてはならないということ、第三に、地元に密着した交通施策をするために地方分権を進めたこと、第四に、地元の住民が民主的に管理運営に参加し整備していくということ、以上四点である。この概念は、我が国でも憲法一三条の幸福追求権、一四条の法の下の平等、二二条の移動の自由に法的根拠をもつものとして認められるべきである。
道路無料公開の原則は、右の交通権を保障するための当然の帰結であって、生活道路としての役割が極めて強い道路が有料とされるならば、住んでいる地域が異なるために移動の際に負担を余計にしなければならないということになり、交通権の侵害となる。
(三) 道路無料公開の原則は、人間の社会生活に必要不可欠な憲法上の権利といえるものであるから、その例外である道特法三条一項について、とりわけその選択性の要件は、限定的に解釈されるべきである。
即ち、単に迂回路があるだけでは足りず、距離的、時間的に同質の代替道路があることを意味するものと解するべきである。住民にとって、どちらの道路を通っても同価値の目的が達せられる場合、換言すると、住民がどちらの道路を通るかの自由な選択権を持つ場合に、初めて道路の有料性が認められるのである。
若戸大橋の場合、周辺住民にとって、次のとおり、生活道路としての面が強い。地方卸売市場としての青果市場は、旧各市にそれぞれ分散していたが、合併後、小倉北区の中央卸売市場の開場に伴いすべて廃止され、若松区の売買参加者はすべて若戸大橋を通って中央卸売市場まで行かなければならなくなった。また、救急医療について、夜間、休日急患センターを小倉北区に、救急急患センターを八幡東区に置き、市内全域の救急患者を集中させる体制をとっているが、若松区におけるこれらの患者は、当然若戸大橋を利用するのであって、洞海湾を迂回するのは非現実的である。さらに、行政機能が集中している市役所本庁(小倉北区所在)への来庁、小倉、八幡に集中している体育、文化施設の利用、市周辺のレクレーション施設の利用、通勤、通学、通院、買物等のため若戸大橋の利用は日常的であり、今や自動車の利用が年間一四〇〇万台、一日三万九〇〇〇ないし四万台に達し、若戸大橋は生活全般に関わる道路となっている。
なるほど、若戸大橋建設以前から、それ以後も、被告のいうように別紙(2)A地点から同B地点へ向かい、同C地点へと至る洞海湾を迂回する経路が存在する。しかし、距離的、時間的に若戸大橋と同質の代替道路とはいえない。つまり、若松区所在の若松市民会館から戸畑区所在の戸畑市民会館まで右迂回路を乗用車で通行した場合、若戸大橋を通行するのに比べ、時間的に四、五倍、距離的に五、六倍を要する。このような生活状況からして、若松、戸畑間を通行する原告らは、若戸大橋を通行せざるを得ないのが実情であり、若戸大橋は、道特法三条一項のうち、選択性の要件を充たさない。
(四) さらに、現在計画承認されている黒崎バイパスは、国道三号のうち八幡東区中央町から八幡西区陣原間を既存の国道三号と並行してバイパスでつなぐものであり(別紙(3)点線)、事業費が総額七〇〇億円を越えるとされているが、一般財源で建設し、無料公開の予定とされている。右バイパスにとって、既存の国道が迂回路として存在することは明らかであり、そうであるのに無料公開とされており、本件若戸大橋の場合、なおさら無料とされるべきである。
3 選択性の要件は、有料道路建設時に充足しているばかりでなく、料金徴収時にも充足していなければならない。
道特法三条一項の要件が、道路建設許可申請時のものであるとの文言はなく、また、そうであれば費用償還後は原則に戻って無料になるべきところ、その旨の規定も存在しない。原告らは、若戸大橋通行の際、料金支払を余儀なくされているのであるから、右条項は、料金徴収時の要件である。
4 選択性の要件に違反した場合でも料金徴収行為の効力は否定されないという被告の考え方は、納得し得ない。
道特法三条一項の規定に違反して建設された有料道路についても、当該条項により料金徴収できるとすると、料金徴収行為の効力を肯定する根拠は何かとの根本的疑問が生ずる。被告は、右条項は行政組織内部の規定であり、通行者に対する規範ではないというが、では、通行者の料金支払を義務づける規定はどこにあるのか疑問といわざるをえない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。
なお、被告の特質ないし性格について、その要点を摘記すると次のとおりである。(以下、証拠の記載は括弧書きにする。)
被告は、日本道路公団法に基づいて、その通行又は利用について料金を徴収することができる道路の新設等を総合的かつ効率的に行うこと等によって、道路の整備を促進することを目的として設立された法人で、有料道路の新設、改築その他の管理を行うことを主たる義務とし、その資本金は全額政府の出資にかかり、その総裁は建設大臣が任命し、毎事業年度、予算事業計画等について建設大臣の認可を受け、その資金について国が貸付けし、又は道路債権を引受けることができ、所定の法令の適用については被告をもって国の機関とみなすことになっている。こうして、被告は、組織的には国から独立しているが、実質的、機能的には国の監督下にあり、有料道路の整備という国家目的のため設立された公法人であり、若戸大橋を建設、管理し、料金を徴収している者である。(<書証番号略>、弁論の全趣旨)
二請求原因3について検討する。
1 若戸大橋建設に至る経緯は、次のとおりである。
旧若松市と旧戸畑市とは、洞海湾を約四〇〇メートル隔てて相対しているが、若戸大橋が建設される以前は、古くから渡船によって連絡されてきたほか、国道一九九号を経由する等いずれも洞海湾を迂回する経路に依存していた。しかし、渡船は、風が強いと交通が途絶するだけでなく、多くの危険を伴っていた。特に、昭和五年四月二日若松恵比寿神社春季大祭初日、渡船「第一わかと丸」が沈没し、七〇名を越える水死者を出すという惨事が発生した。また、洞海湾を迂回する経路を利用すると、多くの時間と経費を必要とした。こうして、昭和一一年ころから若戸連絡の必要性が説かれ、海底トンネル建設が計画されたりしたが、戦争により中止された。戦後になって、昭和二五年ころから起きた五市合併論と併せて、若戸連絡の計画が今度は橋梁の建設という構想として再燃した。若戸大橋は、五市合併の実現(合併による北九州市の発足は昭和三八年二月一〇日)における道路交通の一体化、都市機能の統一の必要、新たに造成される臨海工業地帯の開発に伴う交通量の急増に応ずる必要等のほか、旧若松市、戸畑市を中心とする地元の架橋促進についての永年の強い要望もあり、被告の主張1記載の手続を経て、資金運用部資金、道路債権等による借入金を建築資金とし、約四年間の工事の後、昭和三七年九月二七日供用が開始された。(<書証番号略>、原告野依勇武本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
2 原告は、被告の行う若戸大橋の料金の徴収は、道特法三条一項所定の選択性の要件を充足していず、法律上の原因を欠くものであると主張するので検討する。
(一) まず、道路の通行については、原告ら及び被告の主張するとおり、道路無料公開の原則が存在する。これは、道路が人の移動、物資の運搬等に必要不可欠な存在で、国民の生活、経済に極めて重要な施設であるため、高度の公共性を有するものであることに、その根拠があると考えられる。
道特法三条一項は、右道路無料公開の原則の例外となる有料道路の建設について、その要件を定めるものである。右条項の解釈にあたっては、道路無料公開の原則の趣旨を没却しないように留意しなければならないことは勿論である。
しかしながら、他方、有料道路を建設する趣旨を考えるに、それは、道路の建設がすべて一般財源により支出維持されることが望ましいことは言うまでもないが、これには限界があり、一般財源による公共事業費のみでは到底激増する道路交通需要に対処できないという実情に鑑み、借入金により道路を建設し、当該道路の料金収入により右借入金を償還する方法を採用し、もって道路整備の促進と交通の利便を図ろうとするものであって、この制度が必要であることも無視できない実情である。
(二) 以上を前提に、道特法三条一項の要件について検討するに、まず、同条項の選択性の要件について、原告らが主張しているところの骨子は、右要件を充足しているというためには、若戸大橋と距離的、時間的に同質の代替道路が、若戸大橋の建設時(許可申請時)のみならず、本件料金徴収時にも存在していなければならないとすることにある。
しかしながら、選択性の要件の解釈をするにあたり、また、その基準時を判断するにあたっては、有料道路制度の趣旨のほか道特法上の他の条項との整合性も考慮に入れて検討する必要がある。
道特法三条一項は、受益性、選択性の両要件を同時に充足すべきことを求めている。受益性の要件においては、当該有料道路の著しい利便性ということが問題とされている。この著しい利便性とは、従来の通行方法に比べての意味であることは明らかである。
そうすると、同法は、一方で著しい利便性を掲げ、他方で選択性の要件を挙げているのであるから、もし、選択性の要件を原告らの主張するように、距離的、時間的に当該有料道路と同質の代替道路が建設時に必要であると理解するならば、そもそも右利便性の要件は意味をなさなくなり、このようなことは、道特法の予定するところではないといわなければならない。この意味で、道特法の要求する選択性の要件は、当該有料道路の建設時においては、従前の道路が存在するということをもって足り、右有料道路の開設に伴い従前の道路が供用廃止される等当該有料道路の通行を余儀なくされることが通常予測される等の特段の事情の存する場合でない限り、右要件を充足すると解するのが相当である。
次に、原告らは、右選択性の要件は、料金徴収時においても存在する必要があると主張する。道特法上、この点に関する明文の規定はないが、仮に、有料道路の建設時には従前の道路を供用廃止する予定はなかったが、その後においてこれが供用廃止されたという場合を想定してみると、料金徴収時に選択性の要件が必要でないと解するならば、このような場合は有料道路の通行を余儀なくされる事態が発生することがあるにもかかわらず、料金の徴収は可能となり、結局道特法の趣旨に反する結果を招来しかねない。このような意味において、選択性の要件は、料金徴収時にも具備される必要があると解され、原告らの右主張は、この限りで正当というべきである。
そこで、当該有料道路の許可申請時には、従前の道路が存在していて選択性の要件を充足しているとして、その後の料金徴収時の道路が如何なる状態である場合に選択性の要件が充足しているといえるかについて検討する。これについては、当該有料道路が完成した後において、右有料道路と従前の道路とが距離的、時間的な通行、利用の点からみて同質か否かを問題にするべきものではなく、従前の道路と利便性において劣らないだけの道路が代替道路として確保されているか否かを問題にすべきであり、これを、当該有料道路の建設時から料金徴収時に至る時間的経過の中で、社会的、経済的要素を考慮しながら、社会通念に即して判断すべきであると解される。道特法の旧法(昭和二七年法律第一六九号、なお、道特法三条一項については現行法と同じ。)成立の際、国会の建設委員会で審議がなされているが、この議論の中でも、代替道路について有料道路と同質性を要するとの点が議論の対象となった節は窺えない。(<書証番号略>)
以上のとおり、選択性の要件についての原告主張の解釈は、一部を除いて妥当とはいいがたく、少なくとも、有料道路の建設時及び料金徴収時に、当該有料道路建設時の道路が存在し、あるいは前記のような意味の代替道路が存在すれば、右要件は充足されるものと解すべきである。
(三) そこで、本件について、若戸大橋の建設時から本件料金徴収時に至る代替道路の確保状況を検討すると、以下のとおりである。(<書証番号略>、原告野依勇武本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
(1) 若戸大橋建設以前の昭和三三年当時、旧門司市、小倉市から旧若松市を結ぶ経路としては、国道三号と国道一九九号の接点である小倉北区砂津一丁目交差点(別紙(2)A地点)から旧国道三号を経て八幡西区本城東五丁目交差点(同B地点)に至り、さらに同交差点から旧国道一九九号を経て若松区本町三丁目(同C地点)に至る経路26.4キロメートルが存在した。このうち、小倉北区金鶏町から八幡東区前田三丁目までは、別紙(2)で「(旧)国道3号」とし、点線で表示した経路であった。
(2) その後、若戸大橋の建設を経て、本件料金徴収時までに、洞海湾を迂回する経路として、右従前の経路のほか少なくとも次のような経路が整備された。国道三号は、右の別紙(2)の点線で表示した経路に加え、実線で表示された経路が新設された。国道一九九号も、若松区二島から八幡西区折尾に至るバイパスが開通した。また、前記A地点、同B地点、同C地点を結ぶ経路を短縮するものとして、県道本城熊手線が八幡西区本城から同区熊手まで開通し(別紙(2)参照)、都市計画道路が若松区二島から八幡西区本城まで開通した(後記(四)項(1)参照)。
以上によると、若戸大橋については、建設時から本件料金徴収時まで、洞海湾を迂回する経路として、従前と同質のもしくはより利便性の増加した代替道路が存在しているということができ、選択性の要件を充足しているというべきである。
なお、付言すれば、選択性の要件において、「通常」という文言が付されているのは、迂回路の存在は原則として充たされるべきであるが、例外を排除するものではないという趣旨であって、被告が例示するように、従来、陸路が無く渡船によっていた離島の場合等にも、橋梁を建設し、有料道路の新設をすることが可能になると判断される。
(四) 原告は、その主張の解釈を導くに当たり、道路無料公開の原則の根拠がその公共性(特に、生活道路の概念)及び交通権にあるとし、特に、生活道路という概念を、物流幹線道路と対比して主張する。たしかに、若戸大橋が周辺住民の社会生活上担っている役割について、以下のような事実を認めることができる。
(1) 原告らが、若松市民会館から戸畑市民会館まで道路混雑のない状況下で乗用車で通行してみたところ、若戸大橋を通行した場合と洞海湾を迂回する二つの経路を通行した場合では距離と時間で次のような差があった。後者のうち、若戸大橋建設時、代替道路といわれた経路(若松市民会館を出て、国道一九九号を西に向い、本城、陣原を経て高炉台公園の北方を直進し、牧山を経て戸畑市民会館へと至る経路。<書証番号略>)では、距離約二四キロメートルを約五五分で、その後建設された都市計画道路による経路(若松市民会館を出て、国道一九九号を西に向い、二島工業団地付近から、新しい都市計画道路に入り、本城東を経て、戸畑市民会館に至る経路。<書証番号略>)では、距離約二二キロメートルを約四七分でそれぞれ通行した。他方、前者の場合、約四キロメートルを約一一分で通行できた。このとおり、後者が前者に比べ、距離的に五、六倍、時間的に四、五倍かかることになる。(<書証番号略>、原告野依勇武本人尋問の結果)
(2) 旧五市時代には、地方卸売市場として、青果市場が門司港、旧八幡市、小倉市等に、水産市場が門司港、旧戸畑市等に散在していたところ、合併後は、小倉北区の中央卸売市場に集中されることになった。このため、生産農家も小売店も中央卸売市場まで行かなければならなくなった。そこで、北九州市は、若戸大橋を通行して来る売買参加者に対し、同市場の業務が開始された昭和五〇年七月一四日から昭和五七年三月三一日まで、若戸大橋の通行料の助成をする措置をとった。(<書証番号略>、原告野依勇武本人尋問の結果)
(3) 北九州市では、救急医療体制としては、市立の夜間、休日急患センターを小倉北区に、救命急患センターを八幡東区内に置いている。若松区内にも夜間に救急患者を受け入れる医療機関が三箇所あるが夜間、休日となると右の一箇所のみである。若松区で救急患者が発生し、右若松区外の医療機関を利用するとなると、若戸大橋を通行し、入院するとすれば、家族等も若戸大橋を利用する。そして、救急車は別としてタクシー等を利用すると料金を徴収される。昭和六二年の若戸大橋の拡幅工事により若戸大橋が利用できなかった際には、救急医療の車で若松区内で対処できないものは、海上保安庁の船で戸畑に渡る体制がとられた。また、北九州市の行政機能は、小倉北区所在の市役所本庁に集中しているから、若松区民が各種許認可を受けようとすると、同所まで行く必要があり、若戸大橋を通行することになる。このように、若松区の住民を中心として、各種の営業活動、文化、体育施設の利用、通勤、通学、買物等のため、若戸大橋の利用は日常的なものとなっており、今日、一日の平均通行台数は三万九〇〇〇台、年間通行台数は一四〇〇万台に達している。(<書証番号略>、原告野依勇武、同荒川徹各本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
(4) 原告ら個人についてみてみる。原告上村為助の場合は、戸畑区に居住して家具建具製造販売業を営んでいるところ、若松区に建具製造工場があるため、通勤、仕入れ等に若戸大橋を普段に利用し、平成二年の一年間で、回数にして二〇〇〇回位通行し、通行料金として約二〇万円を支出した。原告上原文雄の場合は、戸畑区に居住して洋服仕立業を営んでいるところ、昭和三〇年ころから、外商のため、毎週一回、毎月末二回若戸大橋を通行した。原告守田邦彦の場合は、八幡西区に居住して金属販売業を営んでいるところ、若松区内にある鉄鋼メーカーにスクラップを納入するため、一日一回若戸大橋を通行した。原告栗原益郎の場合は、若松区に居住して個人タクシー業務をしているところ、若松区内から戸畑、小倉区等に客を乗せるとき、若戸大橋通行の料金を往復分請求する扱いをしている。(原告上村為助、同上原文雄、同守田邦彦、同栗原益郎各本人尋問の結果)
(5) 学者のなかには、道路は、生活道路と物流幹線道路とに分かれるが、市民が移動する場合その道路を使わない限り移動できないというような、市民生活の中で切っても切り離せない関係にある生活道路は無料にしなければならないとの主張がある。このような生活道路を重視する主張は、一九六一年イギリスの運輸大臣により設置された調査委員会の報告書(いわゆるブキャナンレポート)において、住民の居住環境、生活を営む場所に注目し、足元道路(生活用道路)を重点に都市道路を整備するべきであると論じられているとのことである。また、試みに、若戸大橋の費用便益分析(ここでは、直接便益の中の時間価値のみ)を行ってみると、若戸大橋を通行した方が、洞海湾を迂回するより四四分早く行けるとすると、一日の通行車両が三万五一七五台(昭和六二年)であるので、一台当たり四四分節約できるとみて二万五七九五時間が節約できることになるが、ここで、一時間当たりの賃金を八〇〇円とみると、一日、二〇六三万六〇〇〇円の時間価値が発生していることになり、その他、周辺の立地が良くなり、経済活動が活発化する等公共性が高く利用者から料金を徴収することには疑問があるという。(<書証番号略>、証人柴田悦子の証言)
(五) 以上認定の事実からすると、若戸大橋は、周辺住民の永年の希望の実現であり、北九州市の都市機能の統合、臨海工業地帯の開発のための輸送力の拡大等のほか、とりわけ、その周辺住民の社会生活上、極めて重要な役割を担っており、原告主張の生活道路としての側面をも強く持っていると認めることができる。
しかしながら、生活道路という概念が法律上のものとして成立するかどうか未だ明らかではなく、また、交通権の憲法上の権利としての意義、性格、効果等も未だ確立したものを見出し得ないという他なく、これを基礎とする原告らの主張は採用することができないといわざるを得ない。
(六) なお、原告らは、黒崎バイパスの無料化と対比して、本件若戸大橋の場合も選択性の要件に欠け、有料道路とすることはできない旨主張する。
これについては、北九州市の副都心黒崎地区では、交通混雑緩和のため、国道三号黒崎バイパス(八幡東区中央町、八幡西区陣原間、全長7.2キロメートル)の建設が計画されており(別紙(3)点線)、これは、従前の国道三号とほぼ平行して走ることになっていて、その事業費は七〇〇億円を越え、当初は、財政当局から有料化が求められていたが、北九州市長が議会で関係各位の努力により無料化できることになったとの答弁をしたことが認められる。(<書証番号略>、原告野依勇武本人尋問の結果)
そうすると、黒崎バイパスの場合は、当時の財政事情や関係当局の努力によってその無料化が可能となったものであって、建設費用を一般財源から支出することによりこれを無料化するかどうかは、行政裁量の問題というべく、若戸大橋の場合は、前示のように有料道路としての要件を具備している以上、黒崎バイパスと対比してこれを直ちに無料化しなければならないものではなく、原告らの右主張もまた採用できない。
3 以上のとおり、被告が若戸大橋を有料道路として建設し、原告らから料金を徴収したことは、道特法三条一項の要件に欠けるところはなく、右要件を充足していないことを前提に、法律上の原因がなかったとする原告の主張は採用することができない。
したがって、原告ら主張の不当利得は成立しないことに帰する。
三よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官関野杜滋子 裁判官榎下義康 裁判官和食俊朗)
別紙(1)ないし(3)<省略>