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福岡地方裁判所小倉支部 昭和35年(ワ)580号 判決 1967年12月26日

原告 中村繁夫

被告 東京製鋼株式会社

主文

被告は、原告に対し、一九二万〇、八二〇円及びこれに対する昭和二八年七月一日以降完済にいたるまで、年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し二二二一万九、〇七二円及びこれに対する昭和二八年七月一日以降完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求原因を次のように述べた。

「一、原告は、昭和二〇年一一月一九日被告から、別紙目録<省略>記載の建物(以下単に本件建物という)をその敷地及び付属什器具備品その他全部と共に、二八万円で買受け、即日内金三万円を支払い、残金二五万円は移転登記完了後支払うこと、そして原告は、右売買契約成立と同時に本件建物に移転し、修理に着手することができることになつた。

二、原告は、右売買契約締結と共に本件建物の明渡を受け、昭和二〇年一二月二二日から潮風園の商号で料亭を経営していたところ、被告は昭和二三年一月一二日原告を相手どつて、福岡地方裁判所小倉支部昭和二三年(ワ)第一四号をもつて、本件建物につき売買契約無効確認の訴を提起し、ついで同年八月一六日原告を被申請人として、原告の本件建物に対する占有を解き、執行吏の保管に移し、右建物の現状不変更を条件として、原告に右建物の使用を許す旨及び原告の本件建物の処分を禁止する旨の仮処分命令を申請し、同月一九日申請どおりの仮処分命令(同裁判所昭和二三年(ヨ)第七五号)を受けた。

三、右本案訴訟は、昭和三〇年九月八日被告敗訴の判決が言渡され、ついで福岡高等裁判所昭和三〇年(ネ)第七三五号事件として係属し、昭和三二年七月三一日控訴棄却の判決の言渡があつて、右判決は昭和三二年八月二九日確定し、被告は同年九月一一日前記仮処分を解放するにいたつた。

四、本件仮処分は、被告が本件建物の所有権を有しないこと、従つて被告に被保全権利のないことを知りながら、故意に原告の営業を妨害する目的でなしたものである。

凡そ特定不動産の所有権は、特別の事情のない限り、売買契約成立に伴い買主に移転するが、殊に原告は売買契約と同時に本件建物の所有権を取得し、かつ売買代金の一部を支払つたのであるから、本件建物の所有権は売買が成立した昭和二〇年一一月一九日に原告に移転したことは明らかであるにかかわらず、被告は敢えて本件仮処分申請に及んだものである。

五、仮に故意がなかつたとしても、被告には次のような過失がある。

即ち

被告は、本件建物等の売買契約は、その敷地の地番が相違するから契約の要素に錯誤があることに帰し、売買契約は全部無効であるとして、本件建物の所有権を主張し、本件仮処分申請をなし、申請どおりの仮処分命令を得て執行したのであるが、しかし売買契約の目的である本件建物の敷地の地番に錯誤があつたとしも、売買の目的たる敷地は当初から本件建物の敷地であることが特定しているので、地番の錯誤は契約の要素の錯誤とならない。しかるに、被告が地番の錯誤をもつてたやすく契約の要素の錯誤であると解釈し、本件建物の売買契約の無効を主張して、本件仮処分の執行をしたことは、被保全権利の不存在を知らなかつたことにつき過失があつたものである。

六、右の事情に鑑みると、被告のなした仮処分申請は、故意少くとも過失によるものであつて、かかる行為は不法行為を構成する。

七、原告は、突如本件仮処分の執行を受けて現状の変更を禁ぜられたまま、一切の修理、造作、補修、模様替等はもとより、風呂場の新設もすることができないまま、料亭を経営していたが、昭和二三年ごろから景気復興し、殊に昭和二四、五年ごろの朝鮮動乱による好景気に伴い料亭の繁栄を招来し、建物の造作風致の斬新が顧客の喜ぶところとなつて、同業者は建物の改造を競い、顧客は右の風評を慕つて集まり、建物の造作構造が新しければ新しい程、料亭の営業成績に著しい影響を及ぼすという状況下において、原告は建物の増改築修理を一切封ぜられて、昭和二〇年末施行した修理のままの旧態依然たる現状を保持していたため、客足は次第に遠のき、営業成績は衰退の一途を辿るのみであつた。

そこで、せめて朽陋廃した部分だけでも改修し営業の維持を図るべく、昭和二八年六月応急の修築改造にかかつたところ、忽ち被告より執行吏を通じて建物明渡の請求を受けるにいたつたが、しかしながら右のごとき僅かの修理をなしてさえ、その後の業績は一躍倍加し、本案訴訟確定の直後に新設した風呂場の増築のみによつても、一段と業績の向上をみた程で、料亭における建物の改修がいかに営業成績に重大な影響があるかが明らかであると同時に本件仮処分の執行によつて、原告の蒙つた損害がいかに甚大であつたかが判明する。

八、原告は、被告の右不法行為により、次のとおりの損害を蒙つた。

<1> 仮処分を執行した昭和二三年八月から、昭和二八年五月の応急修理までの間の損害

仮処分中の一月平均売上高一五万九、六六二円と仮処分を解放し修理完成後の一月平均売上高二二二万二、〇四一円の差額二〇六万二、三七九円の一八%(利益率)に当る三七万一、二二八円が一月平均の利益額であるから、この期間の得べかりし利益は二一一五万九、九九六円となる。

<2> 昭和二八年六月の応急修理から昭和二八年八月の営業廃止までの間の損害

応急修理後の一月平均売上高二七万二、〇八三円と、仮処分を解放し修理完成後の一月平均売上高二二二万二、〇四一円の差額一九四万九、九五八円の一八%に当る三五万〇、九九二円が、一月平均の利益額であるから、この期間中の得べかりし利益は、一〇五万二、九七六円となる。

従つて、右<1><2>の合計額二二二一万二、九七二円が全損害額である。

九、よつて、原告は被告に対し、損害金二二二一万二、九七二円とこれに対する昭和二八年七月一日から完済にいたるまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決ならびに担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求め、次のように答えた。

「一、請求原因第一項は認める。原告は、昭和二〇年一一月二六日内金一〇万円を支払い、同二八年六月一六日残金一五万円を弁済のため供託した。

二、第二項中被告が原告を相手どつて、原告主張どおりの訴を提起したこと及び被告が原告を被申請人として仮処分申請し、その結果原告主張どおりの仮処分命令を受けたことは認めるが、その余は否認する。

三、第三項は認める。

四、第四ないし八項は否認する。

五、本件建物の所有権が売買契約によつて原告に移転した時期は売買代金の支払を完了した昭和二八年六月一六日であるから、被告はその所有権に基づいて本件仮処分を執行したのであつて、原告の主張するごとき不法行為の発生する余地はない。

六、仮に被告に本件建物の所有権がなく、従つて被保全権利がなかつたとしても、被告にその不存在を知らなかつたことにつき過失はない。即ち

被告が本件仮処分申請をなしたのは、<1>本件売買の目的である建物の敷地が他人の所有であつたこと、<2>売買の目的物のうち、動産類は通常建物に付属する什器類を含む趣旨であるところ、当時本件建物には被告所有のぼう大な数量の動産類があつて、その価格のみでも優に売買の目的である不動産の価格を超過するものであつたことにより、売買契約は意思表示の要素に錯誤があるから無効であり、又詐欺による意思表示にも該当するので、これを取消すことを理由としたものであり、更に仮処分の申請をするか否かについては、予め第一東京弁護士会所属弁護士荻野定一郎及び福岡県弁護士会所属弁護士渡辺恒雄にその検討を依頼し、慎重なる調査を遂げ、両弁護士のその理由がある旨の結論に基づき、その申請に及んだものであつて、被告は本件仮処分の執行につき、出来る限りの注意を尽したものであるから、仮に被保全権利がなかつたとしても、被告にはその不存在を知らなかつたことにつき過失はない。

七、仮に原告主張のごとき損害があつたとしても、右損害は、終戦後の社会事情の異常な変化に伴い、料理屋営業に異例の好景気が到来したものとして、その業蹟の発展を期待し得べかりし利益の損失を算定するのであり、その損害は特別事情による損害であつて、被告はこれを予見せず、又予見し得べかりしものでもない。

八、仮に本件仮処分の結果原告が損害を蒙つたとしても、右仮処分による争いは、もともと原告と被告間の当初の売買契約の内容の不備不明確に基因するのであつて、それは右契約を締結した原告にも過失の責があり、又仮処分による損害を防止するためには、仮処分に対する異議又は取消の申立をする等の手続をとることによつて、損害の発生を防止することができたにかかわらず、何らの手続をも講じなかつた原告にも重大な過失がある。

九、仮に被告に損害賠償責任があるとしても、原告の本訴提起のとき又は請求の拡張申立のとき既に損害賠償請求権発生から三年を経過しているので、右請求権は時効により消滅し、又右損害賠償請求権の消滅時効の起算点が本案判決確定時である昭和三二年八月二九日であるとしても、昭和二三年八月以降同二四年一二月まで(請求の拡張申立の部分)の損害賠償請求権は請求の拡張申立のとき既に損害賠償請求権発生から三年を経過しているので、右請求権は時効により消滅しており、被告は本訴において右時効を援用する。」

原告訴訟代理人は、右抗弁に対し、次のように述べた。

「一、抗弁事実八のうち、原告が本件仮処分に対し異議の申立又は仮処分取消の申立をしなかつたことは認める。しかし、本件仮処分執行当時は、既に本案訴訟は係属審理中であり、原告が仮に異議又は取消の申立をして勝訴しても、更に被告はこれに対し上訴の挙に出るべく、結局本案判決の結果をまつ以外終局の方法はなかつた。

二、不法行為による損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、被害者が損害及び加害者を知つたときであつて、しかも損害を知るとは、加害行為が不法行為であることをも合せ知ることをいうので、仮処分の理由が存在しないことが裁判上確定したことを知つたときより時効が進行する。

しかるに、本件仮処分の理由がないことの裁判が確定したのは、昭和三二年八月二九日であるから、消滅時効はこの時から進行するものというべく、従つて本訴が提起された昭和三五年八月二六日は未だ消滅時効は完成していない。」

証拠<省略>

理由

一、請求原因第一、二、三項の事実は、後記部分を除き、当事者間に争いなく、成立に争いのない甲第一一号証の二、第一六号証の二、第一八号証の三、証人井津川嘉六の証言、原告本人尋問の結果によると、原告は、売買契約締結と同時に本件建物の明渡を受け、右建物において昭和二〇年一二月二〇日過ぎごろから、潮風園の商号で料亭を経営していたことが認められる。

二、仮処分の結果損害が生じた場合の賠償責任につき考えるに、仮処分申請人が本案訴訟で敗訴し、その判決が確定すると、仮処分は被保全権利がないのに執行されたことになるところ、この場合判例は、仮処分申請人が権利の存在を確信し、それが相当の理由によるものであれば過失がないとし、過失責任の理論を適用するけれども、しかし仮処分は、実体法上の権利の存在を終局的に確定することなく、疎明だけで裁判所の判断を受け、申請人の一方的利益のために、被申請人の受忍の下に行うものであるから、申請人はその執行から生ずる損害を賠償すべき全責任を負担するのが妥当であり、従つて本案訴訟で敗訴し、被保全権利のないことが判明した以上、仮執行宣言につき無過失責任を認めた民訴第一九八条二項を類推し、仮処分申請人に無過失責任を認めるのが相当である。

そして、賠償すべき損害の範囲は、通常の損害賠償の場合と同様、仮処分と相当因果関係に立つあらゆる損害を含み、従つて営業上の損失もまた、仮処分と相当因果関係にある限り、当然損害賠償の対象となると解するのが至当である。

三、そこで、損害の点につき判断しなければならないが、その前にまず被告の主張する消滅時効につき判断した上で、損害の発生及びその額につき言及する。

不当な仮処分に基づく損害賠償請求権は、仮処分の不法が裁判で確定し、被害者が損害の発生のみならず、加害行為の違法である点を知つたときからその時効が進行するから、本件損害賠償請求権の消滅時効は、本案判決が確定した昭和三二年八月二九日から進行を開始するところ、本訴提起のときは別としても、原告が請求拡張の申立をした少くとも昭和四二年一〇月二五日には三年を経過し、右申立により請求する昭和二三年八月以降同二四年一二月末日までの間の損害賠償請求権は、既に時効によつて消滅しており、従つて被告が本訴においてなした右時効の援用は右の限りにおいて有効である。

すると、原告が蒙つた損害のうち、昭和二五年以降に発生した分だけを検討すればよいことになる。

四、被告が本件仮処分命令を受けたのは、昭和二三年八月一九日であるにかかわらず、原告が右仮処分に対し何ら不服申立の方法を講じなかつたことは、原告の認めるところであるが、本案訴訟が一、二審を通じ原告の勝訴に終つた点からすると、少くとも仮処分異議の申立が認容されて仮処分が取消されたであろうことは当然予想されるから、不服申立を講じなかつた原告にも、仮処分による損害を拡大させた責任の一半があるものというべく、しかも仮処分が取消されると、その効果の速かなることを期し、仮執行宣言が付せられるのが普通であることを考慮に入れると、なおさらである。

そして、本案の第一審判決が、昭和三〇年九月八日に言渡されたことゝ、仮処分申請当時本案は審理にはいつていたことを考え合わせると、仮処分異議訴訟はその迅速性からして、遅くとも昭和二七年末にはその言渡があつたものと推定するのが相当である。さすれば、原告が本件仮処分によつて蒙つた損害は、昭和二五年一月以降同二七年一二月までの間の営業上の損失を算定することによつてその結論がえられることになる。

被告の主張する爾余の過失相殺は理由がない。

五、鑑定人藤井正一、同樋口勇、同前正春の各鑑定の結果によると、料亭の店舗、設備の改修は営業成績を向上させるためには絶対欠くべからざる要素であること、そしてその工事は、玄関の改装、客間の模様替、便所浴室の改造等が三年ないし五年毎に、畳、襖は殆ど毎年これを行わないと、たちまち営業成績に多大の影響を及ぼすことが明らかなところ、昭和二五年ないし二七年ごろの本件建物は、開業当初補修したままであつたからその朽廃著しく、料亭としての設備に欠けるところがあつたことは、証人末広弥太雄、同山口妙子の証言、原告本人尋問の結果及び検証の結果によつてこれを認めることができ、そして、その原因は本件仮処分にあると認めるのが相当である。

六、福岡県小倉財務事務所長の昭和三九年一〇月二八日付回答、小倉税務署長の昭和四〇年三月六日付回答、証人樋口勇の証言、鑑定人樋口勇の鑑定の結果によると、

<1>  昭和二五年一月一日より本件建物の改修工事を行つた昭和二八年六月までの間の潮風園の売上高は、一月平均一六万九、二七二円であるのに対し、改修工事を施した後の同三二年一二月末日までの間のそれは、一月平均七七万五、〇五六円と約五倍に上昇している。

<2>  開業間近いころの営業成績が、その後年数を重ねて上昇することを考慮にいれると、昭和二五年は改修工事後の一月平均売上高の八〇%、同二六年は九〇%、そして同二七年は一〇〇%とみるのが相当であるから、昭和二五年一月一日から同二七年一二月末日までの売上不足額は

25年(775,056×12×80%)-(169,272×12) = 5,409,273

26年(775,056×12×90%)-(169,272×12) = 6,339,340

27年(775,056×12×100%)-(169,272×12)= 7,269,408

〔計〕 19,018,021(円)

となる。

<3>  次の表に示された財務事務所売上高と税務署申告所得税とを対比すると、平均利益率は一〇、一%となるから、<2>の売上不足額に右利益率を掛けた一九二万〇、八二〇円が、適宜の加修工事を怠つたことによる営業上の得べかりし利益の喪失である。

財務事務所売上高 税務署申告所得額

昭33年          1,341,200

34           1,806,480

35 24,385,501     2,603,082

36 26,738,239     2,574,900

37 28,259,147     2,767,908

38 27,275,120     2,837,414

106,658,007(円)  10,783,304(円)

右認定に反する鑑定人前正春の鑑定の結果、原告本人尋問の結果は採用しない。

その他にも証拠はない。

以上によつて明らかなように、原告は被告に対し、仮処分執行によつて受けた損害中一九二万〇、八二〇円と、これに対する不法行為の後である昭和二八年七月一日以降完済にいたるまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を請求することができる。

七、なお右に掲げた数字は、当時の社会情勢が料理屋営業に異例の好景気を招来した事情を背景にしたものではあるが、成立に争いのない甲第一八号証の三、原告本人尋問の結果によると、昭和二〇年一二月一九日の潮風園の開園式には、当時の被告会社工場長も列席し、本件建物が料亭に使用されるものであることを知悉し、かつ当時の社会情勢が右のとおりであつたことは、公知の事実であるから、被告も右事情は十分承知していたものと解するのが妥当である。

八、よつて、原告の本訴請求を右の限度において認めて、その余を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴第八九条、第九二条を適用し、仮執行宣言をつけないこととして、主文のように判決する。

(裁判官 田畑常彦)

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