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福岡地方裁判所小倉支部 昭和39年(わ)546号 判決 1965年3月24日

被告人 加治正一

昭一八・一・二〇生 作業員

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、「被告人は昭和三九年七月二八日田端繁行の友人から些細なことに因縁をつけられて殴打され一旦仲直りしたものの前記田端が翌二九日午後四時頃小倉区大字小森中根健一方において被告人に対し前記二八日の出来事について因縁をつけてきたので同人を殺害しようと決意し同大字小森中元繁明方から刺身庖丁一本を持ち出し同日午後四時頃同大字市丸市丸小学校々庭において同人の前胸部を前記庖丁にて一回突刺して刺創を負わせて因て間もなくして同大字八一番地林満弘方において失血死に至らしめ以て殺害したものである。」というのである。

二、被告人の当公判廷における供述、証人山村高春、同山下成美の当公判廷における各供述、証人たなかたかよし(以下田中高義)の尋問調書、田中賢治、山下稔、山村高春、田中高義、山下成美の検察官に対する各供述調書、田中高義の司法警察員に対する供述調書、押収にかかる刺身庖丁一本(昭和三九年押第一八七号の一)、掛札東雄作成の鑑定書、被告人の司法警察員に対する自首調書、被告人の司法警察員に対する供述調書二通、被告人の検察官に対する供述調書二通の各証拠によると、

被告人が公訴事実の日時、中根健一方において、田端繁行から因縁をつけられて、中元繁明方から刺身庖丁一本(昭和三九年押第一八七号の一)を持ち出し、市丸小学校々庭において、右庖丁で右田端の前胸部を一回突き刺し、よつて間もなく、同人を林満弘方において、右心耳刺創による出血のため失血死に至らしめた事実が認められる。

三、弁護人は、「被告人の本件行為は、田端繁行の急迫不正の侵害に対し、自己の生命、身体を防衛するため已むことを得ざるに出でた正当防衛行為であり、仮に然らずとするも防衛の程度を超えた過剰防衛行為である。」旨主張し、検察官は、「被告人の本件行為は、田端の急迫不正の侵害に対する自己の生命、身体を防衛するため己むを得ざるに出でたものではないから正当防衛行為ないし過剰防衛行為にはならない。」と論断するので、その当否を審究するに、前掲各証拠に受命裁判官の検証調書、当裁判所の検証調書、司法警察員作成の実況見分調書の各証拠を加えて総合すると、

(一)  被告人は、北九州市小倉区呼野の三菱セメント工場の下請をしている竹中鉱業所の作業員として働いていたものであるが、昭和三九年七月二八日午後三時頃、友人である山下成美と同区小森にある飲食店「一休」に行つた際、同店すでに同区新導寺の田中賢治、田中高義、山下達、大畑厚、田端繁行(当二七、八年)および同区母原の山村高春の六名の一団グループが来ていてテーブルを囲んでおり、被告人が同店に入るやいきなり右田中賢治、山下達より下腹部や顔面を殴られ、何の理由もないのにと腹が立つてきたが、相手は大勢でもあることから我慢し、別テーブルに坐つて冷しむぎを食べていたところ、今度は右田中高義、山下達より「加治、一寸用があるから来い。」と呼び出しを受け、日田線の鉄道線路を越えて畑の中まで連行されたうえ、地面に坐らされながら、右両名より「山村が単車を売つたら、気持だけでもしてくれ、この前の分もあるから。」と言い出してきたので、前に被告人が大阪方面に働きに出るため不用となつた自分の単車を右山下成美に頼んで売つてもらつた金で、山下成美、山村高春らにだけ奢つてやり、田中高義らには何もしてやらなかつたことを根に持つての脅かしだと思い、同人らに奢つてやる義理はないが、以後又どんな危害を加えられるかも知れないと恐しさの余り、その場は「山村の車を売つたら何ぼかでもします。自分が悪かつたから済みません。」と謝つたので一応話しがつき同人らと別れたこと、

(二)  ところが翌二九日午後四時頃、同区中小森のバス停留所前元菓子店の中根方で山村高春、山下成美、山下稔らと一緒に中根のおばさんと話しをしていたとき、田中高義と血相を変えた田端繁行の二人が入つて来て、被告人と山村に対し「お前達は横着らしいぞ。俺は明日執行猶予がとれるけ、とれたらやれつぱなしに何でもやつてやる。今日は一杯飲んどるけ誰れも恐しい者は居らん。昨日は黙つとつたけんど。」等と因縁をつけてきたので、被告人は「昨日のことは済んだけ、いいぢやないか。」と言つたところ、田端は「何や。」と喧嘩腰で言い返してきたが、その際田端のズボンの中にチラツと光るものが見えたので刃物を持つとるなと直感し、やられるかもしれないと考え同所から逃げ出したこと、

(三)  そして同区市丸栄町の中元繁明方に行き、学校の同級生である中元敏雄に対し「昨日のことは済んだのに田端が出刃持つて来よるけ、何か無いやろうか。」と言いながら、同家炊事場に至り、包丁掛けに差してあつた刺身庖丁一本(昭和三九年押第一八七号の一)を抜き取り、右中元には、絶対使わんと言つて炊事場にあつた古新聞で右刺身庖丁を巻き、ズボンと腹巻の間に刺し込んでいるうち、中元方に山村、山下成美、田中高義らが来て「もういいから来い。」と話しがついたかのような旨の言葉をかけたので、被告人も一人遅れて右刺身庖丁を携行したまま中元方より約一三米先の県道に出たところ、右県道角から約九米田川寄りの辺より田端が新品の刺身庖丁を抜身のまま提げてこちらに来るのが見え田端ら新導寺の者の勝手な言動に憤激をおぼえていたが、この時傍にいた田中高義が「するな。」と言つて被告人を捕まえにかかつたものの、更に田端が来いと手招きしながら小走りに被告人の方に来る姿を見て恐しくなり、県道を逆に小倉方向約二四米下つた所にある同区大字市丸北九州市立市丸小学校に入る道を通り、田端もその後を追い、被告人は同校々舎東側便所附近まで走り去つたこと、

(四)  間もなく同校東側にある金網塀の外側塵焼場附近に先廻りしたと思われる田端が来ているのが見えたので、なお同校々庭西側の方に逃げかけたところ、既に被告人らの後を追うようにして右便所前附近に来ていた山村、田中高義、山下成美らのうちの山下が被告人の方に寄り進み「もうするな、庖丁をかせ。」と言つたが、田端がその時右金網塀を乗り越えて右校庭に入ろうとしていたので、右山下に「向こうの庖丁を先に取つてくれ。」と言うと「俺を信用出来んのか。」と重ねて言うので、同人が田端からも刃物を取り上げてくれるものと思い、前記携行の刺身庖丁を山下に渡したこと、

(五)  次いで、山下は金網塀を乗り越えて塵焼場附近に来ていた田端から所携の刺身庖丁を取り上げようとしたが、田端はそれを振り切つたばかりか右刺身庖丁を握り替えて被告人に突きかかるようにして寄つて来たので、被告人は同校西側便所方向に向きを変えて五、六歩走りかけたが、再び又山下の「逃げるな。」と言う声を聞くに及んで振り返えると同時に、山下が先刻被告人より預つた刺身庖丁を被告人の足許附近に投げてきたのでそれを右手で取り上げ、更に逃げかかつたところ、既に田端が被告人の前一、二歩位の所に来ていて所携の刺身庖丁を振り上げて今にも被告人を刺そうという状態にあつたのが目に入り、咄嗟に被告人は身の安全を守るためには、自らも前記所携の刺身庖丁をもつて立ち向うも已むなしと考え、同人の右攻撃を防ぐようにして同人の前胸部を一回突き刺し、そのまま更に攻撃を加えることなく逃げ去つたこと、

が認められる。

四、以上の各認定事実に基き、昭和三九年七月二八日から二九日にかけての被告人および被害者田端の一連の行為を全体的に検討してみると、被告人が中根方において田端から因縁をつけられ、同人の喧嘩腰の態度にも沈黙を守つて、田端らとの対立を円満に解決しようと意図し、終始消極的守勢的態度に出ていたことが認められるので、当日田端が兇器を所持しているのを現認するに及んで、中元方から刺身庖丁を借り受け携行したことは、田端の兇器を所持しての横行に対抗して危害を予防するための勢力的均衡を保つために備えたもので(例え中根方から中元方へ行く間に時間的余裕が存していたとしても)、未来の侵害を慮つて予め防衛の準備を為すことそれ自体は何等不法のものと言うことはできない。もつとも被告人の検察官に対する供述調書(「先月二八日の午後三時頃」という書出しで始つているもの。)によると中根方では「庖丁でもかりて来て田端と喧嘩をしてやろうと決意し」とあり、更に加えて証人田中高義の尋問調書、同人の検察官に対する供述調書によると中元方を出て県道で田端と対面した際、被告人が「やるなら来い。」と言つて市丸小学校の方に先に走つて行つたとあるが、それ等の言動は前記認定事実に照らすと、田端が兇器をもつて喧嘩をしかかつて来る積極的態度に出ていたので田端が喧嘩するなら対抗上防衛的に喧嘩をしようという意図であつたと解せざるを得ないので、右の言動をもつてただちに被告人の田端に対する積極的攻撃的態度であるとして喧嘩が始つたとみることはできず、従つて又被告人と田端とが互に対立し容易に話合いの機会を得なかつたこともこれをもつてただちに喧嘩と断ずることはできない。又被告人が先になつて小学校に赴いたことも、田端が金網塀の外側に廻つていたこともともにこれを肯首させるに足る合理的根拠がなく、却つて被告人や田端の前示行動態様から考えると県道上での田端の言動に刺激された被告人が恐しさの余り他意なく小学校の方に逃げ去つて行き、田端がこれを追いかけ途中から先廻りして金網塀外側に行つたとみるのが合理的であり、他にこれをくつがえすに足る特段の事情もない。

更に小学校々庭東側金網塀外側に田端の姿を現認した被告人が前示のように山下成美と言葉のやりとりをしたうえ、同人の言葉に従い、田端の兇器も取り上げられ田端よりの攻撃がなくなることを信じて山下に所携の出刃庖丁を渡したのであるから、被告人の意思の推定からも又力の均衡関係からも田端の劣位にあつたというべく、被告人自らの積極的攻撃意思とその行為はないものというべきであるから、田端との対立状態が続いているとはいえ少くともこの時点では喧嘩が行われているとはいえない。

以上の諸点を併せ考えると被告人において本件行為は予想だにしなかつたことである。即ち攻撃しないと考えていたのに突如として山下の制止を振り切つた田端が被告人に刃物をもつて攻撃を加え続けたもので正に急迫不正の侵害というべきである。この攻撃に対し被告人はこれから逃れることもできず、しかもそのままにしておれば田端から刃物をもつて攻撃を加えられること必定の事情にあり、死の結果をも招くかも知れない状況であつたこと前掲証拠によつて認められる。このようなとき被告人はたまたま投げてくれた(もつとも証人山下成美の当公判廷における供述によると山下は自分の身の危険―田端よりの―を感じて投げたと言つている。)出刃庖丁を取り上げて、逃げれば追いかけて来る田端を一回突き刺すと直ちに手を引いて逃走したもので更に加害行為をすることはなく、全く本能的に防衛行為に出たに過ぎないものであつて、右行為が一面において田端を含む新導寺の者に対する立腹、憤激の余り出た点があるにしても、自己の生命、身体の防衛上已むを得ざるに出たものというべく、本件のような事情のもとにおいて、その場で屈伏せよということはできず、被告人の前示加害行為は社会通念上相当性あるものとしてそれを是認できる。もつとも証人田中高義の尋問調書、証人山下成美の当公判廷における供述、司法警察員作成の実況見分調書によると(距離に幾分の差はあるが)、被告人が包丁を拾い上げて後、田中高義が被告人の所に行きその庖丁を取り上げようとしたが、それを振り切つてから更に逃げたとあるが右調書および供述によるも、被告人は終始追われる態勢で(証人田中高義の尋問調書によると被告人のもとに行つた際、田端が包丁を振り上げて来たので自分の身が危いと思い逃げたとある。)、田端に対する攻撃的態度は見られず又田端よりの追跡から逃げうる間はなかつたことが認められ、已むを得ず相当な防衛行為に出でたものというほかない。結局市丸小学校において、被告人は田端の兇器を所持しての攻撃を避けるべく咄嵯に所携の出刃包丁で本件行為に及んだものと認められ前記認定をくつがえすに足る証拠および資料もない。

よつて、被告人の本件行為は、刑法三六条一項に該当し、正当防衛行為として罪とならないものであるから、刑事訴訟法三三六条前段により、被告人に対し無罪を言渡すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 白井美則 井上武次 高橋一之)

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