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福岡地方裁判所小倉支部 昭和44年(ワ)679号 判決 1972年2月28日

原告

板越タミ子

被告

塩崎猛

ほか二名

主文

一  被告塩崎猛、同岩下昌己は各自原告に対し、金五五二、九二一円およびこれに対する昭和四四年八月一五日以降完済まで、年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告塩崎猛、同岩下昌己に対するその余の請求、および被告永原義章に対する請求は、これを棄却する。

三  訴訟費用中、原告と被告永原義章との間に生じたものは原告の負担とし、原告と被告塩崎猛、同岩下昌己との間に生じたものは、これを六分し、その一を原告の負担とし、その余を右被告ら二名の連帯負担とする。

四  この判決は、第一項に限り被告塩崎猛、同岩下昌己に対し、各金一〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、その被告に対し、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告らは各自原告に対し、金三、〇九四、八七二円およびこれに対する訴状送達の翌日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決、ならびに仮執行の宣言を求め、請求原因として、

一  本件事故の発生と原告らの受傷

被告永原義章は、昭和四三年二月二五日午後四時一〇分頃軽四輪貨物自動車(以下事故車Aという)を運転して北進し、福岡県京都郡勝山町黒田の鶴田給油所前附近の交差点にさしかゝつた際、交差点の中央附近で突如停車したゝめ、田川市方面より東進してきた被告塩崎猛の運転する普通乗用自動車(以下事故車Bという)が、事故車Aと衝突しようとしたので、被告塩崎はこれを避けようとして事故車Bのハンドルを切つたゝめ、折しも前記給油所前でタクシーを待つていた原告および訴外丸山義光(原告の内縁の夫)に事故車Bが衝突し、そのため訴外丸山は同月二八日行橋市宮城病院において死亡し、原告は骨盤骨折、右下腿骨々折、左腓骨々折、小頭骨折、左下腿背開放性骨折の傷害を受けた。

二  被告らの責任原因

(一)  被告塩崎、同永原は、共に自動車運転車として交差点を通過するに際して遵守すべき前方注視義務、徐行義務に違反して、漫然本件交差点に進入した過失により本件事故を惹起したものであるから、右事故によつて原告らの蒙つた後記損害を賠償すべき義務がある。

(二)  被告岩下昌己は、本件事故車Bの所有者で、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、本件事故によつて原告らの蒙つた後記損害を賠償すべき義務がある。

三  本件事故による損害 合計金四、八八〇、〇〇〇円

(一)  原告の休業損害 金四八〇、〇〇〇円

原告は、本件事故当時廃品回収業杉山啓子方に雇われ、日給一、三〇〇円、平均月収金三〇、〇〇〇円を得ていたが、本件事故のため昭和四三年二月二五日より昭和四四年六月二五日まで一年四ケ月間休業を余儀なくされ、その間の給料合計金四八〇、〇〇〇円を取得できず、同額の損害を受けた。

(二)  原告の労働能力減退よる逸失利益 金九〇〇、〇〇〇円

原告は三八才の女子であるところ、本件事故による前記傷害のため、労働能力が半減したので、三八才の現在より今後一〇年間に前記月収の半額合計金一、八〇〇、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失することになり、これからホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除すると、現価額は金九〇〇、〇〇〇円となり、これが原告の得べかりし利益の喪失による損害である。

(三)  原告の慰藉料 金三、五〇〇、〇〇〇円

原告は、本件事故による前記傷害のため事故当日の昭和四三年二月二五日より同年三月九日まで宮城病院に、同日より昭和四四年二月二八日まで小倉市立病院にそれぞれ入院し、その後現在まで同病院に通院しているが、後遺症がのこり完治不能であり、そのため絶大な精神的苦痛を受け、また、原告は内縁の夫丸山義光と昭和四一年三月以来内縁関係を結んで同棲していたものであるが、同人が本件事故によつて死亡したゝめ、前途の光明を失い、言語に絶する精神上の苦痛を受けた。原告の右苦痛を慰藉するには、原告自身の受傷による分として金一、五〇〇、〇〇〇円、内縁の夫丸山の死亡による分として金二、〇〇〇、〇〇〇円、合計金三、五〇〇、〇〇〇円が相当である。

四  損益相殺 金一、七八五、一二八円

原告は、治療費以外に被告岩下の自動車損害賠償責任保険より、昭和四四年一一月一一日ないし一三日に金四六〇、一三二円の支払いを受け、また、被告永原の自動車損害賠償責任保険より同年一〇月三〇日に金八九二、二九六円の支払いを受け、さらに被告永原より示談金として、同年一〇月一一日金一四〇、〇〇〇円、被告塩崎より昭和四三年二月二五日から昭和四四年八月一六日までの間二一回にわたり生活費として金二九二、七〇〇円の各支払いを受けた。従つて以上合計金一、七八五、一二八円を前項の損害合計金四、八八〇、〇〇〇円より控除すると、残額は金三、〇九四、八七二円となる。

五  結論

よつて、原告は被告らに対し、各自三項の損害合計金四、八八〇、〇〇〇円から四項の金一、七八五、一二八円を控除した残額金三、〇九四、八七二円およびこれに対する本件訴状送達の翌日から支払済みに至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めて本訴に及んだ。

被告永原訴訟代理人および被告塩崎、同岩下は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決ならびに被告ら敗訴の場合仮執行免脱の宣言を求め、答弁として、

一  被告塩崎は

(一)  請求原因一項のうち、訴外丸山義光が原告の内縁の夫であつたことは不知、その余は認める。

(二)  同二項(一)のうち、被告塩崎に損害賠償義務のあることは争い、その余は認める。

(三)  同三項のうち、原告がその主張のとおり入院し、かつ退院後通院していることは認めるが、その余は不知。仮に被告塩崎に損害賠償義務があるとしても、その額は争う。

(四)  同四項は認める。

二  被告岩下は

(一)  請求原因一項は不知

(二)  同二項(二)のうち、事故車Bが被告岩下の所有であることは認めるが、その余は否認する。事故車Bは、被告岩下が明公自動車修理工場に修理に出していたところ、被告塩崎が同岩下の三男優と共に本件事故当日右工場に赴き、たまたま事故車Bの修理が完了していたので、被告岩下の長男倍己に告げて事故車Bを引取り、これを被告塩崎が運転しているうち、本件事故を惹起したもので、被告岩下は長男倍己から被告塩崎が工場を出発後、同被告が事故車Bを運転して出たことを知らされて、はじめてそのことを知つたが、やむなくこれを承認したものであり、また被告岩下は運転免許を有せず、事故車Bは専ら長男倍己が運転していたものであるから、同車の運行供用者は被告岩下ではなく、長男倍己である。

(三)  請求原因三項は不知。

三  被告永原訴訟代理人は、

(一)  請求原因一項のうち、被告永原が事故車Aを停止させたのが、交差点の中央附近であることおよび訴外丸山義光が原告の内縁の夫であつたことは否認し、原告の傷害の部位は不知、その余は認める。同被告が事故車Aを停止させたのは、交差点の中央より手前であつた。

(二)  請求原因二項(一)の被告永原の過失は否認する。被告永原は事故車Bを運転して本件事故現場の十字型交差点にさしかゝつた際、先づ右方の安全を確認し、次で左方の安全を確認したとき、被告塩崎の運転する事故車Bが、猛スピードで進行してくるのを認めたので、交差点の中心よりやゝ手前の地点で事故車Aを停止せしめたところ、これを見た被告塩崎があわてゝハンドルを左に切つたゝめ、原告らに事故車Bを衝突させたもので、本件事故は専ら被告塩崎が制限速度を超過し、適切なハンドルおよびブレーキ操作をとらなかつたゝめに惹起されたものであるから、被告永原には何の過失もない。

(三)  請求原因三項は不知。

(四)  同四項は認める。

と述べ、抗弁として、

第一  被告永原訴訟代理人は、被告永原は昭和四四年一二月一二日原告との間に、本件事故による損害賠償について、示談(和解)契約を締結し、この契約において、原告は本件につき一切の損害賠償請求権を放棄した。

と述べ、

第二  被告永原訴訟代理人および被告塩崎は、

原告と訴外亡丸山義光との生活関係は、正常な内縁関係とはいえないが、仮に正常な内縁関係であつたとしても、訴外丸山梅春は、亡義光死亡による慰藉料として、被告岩下、同永原の自動車損害賠償責任保険より合計金六、〇〇〇、〇〇〇円の支払いを受け、そのうち金一、〇〇〇、〇〇〇円を原告に支払つたので、右義光の死亡による原告の精神的損害は、右金一、〇〇〇、〇〇〇円をもつて充分慰藉されている。

と述べた。

原告訴訟代理人は、抗弁に対する答弁として、被告永原の抗弁第一は否認する。被告永原、同塩崎の抗弁第二は、原告が訴外丸山梅春より金一、〇〇〇、〇〇〇円を受領したことは認めるが、右は内縁の夫義光の死亡による慰藉料ではないと述べた。〔証拠関係略〕

理由

第一本件事故について

原告主張の日時に、その主張の交差点内において、被告永原の運転北進する事故車Aが突如停車したゝめ、被告塩崎が運転東進する事故車Bが、事故車Aとの衝突を避けるべくハンドルを切つたところ、右交差点附近の鶴田給油所前でタクシーを待合せ中の原告および訴外丸山義光に衝突し、そのため右丸山が原告主張の日に死亡し、原告が負傷したことは、原告と被告塩崎、同永原との間で争いがなく、〔証拠略〕を綜合すると、次の事実が認められ、この認定を覆えすに足る証拠はない。

(一)  本件事故現場は、行橋市方面から田川市方面に向けて東西に走る幅員約七・九米のアスフアルト舗装の国道二〇一号線と、京都郡勝山町大字稗田方面から同町大字黒田方面に向けて南北に走る幅員六・七米の未舗装の町道との交差点で、交通整理は行われておらず、同交差点附近は、その西南側角に鶴田石油店があるのみで、他に家屋等はなく、見透しは良いが、南側町道から国道二〇一号線に出る場合は、左角に右石油店の給油機があるので、左方の見透しは不良であり、事故当日は、前日降つた雪が道路両端に約一米幅残つており、両端以外の路面も溶けた雪で湿つていた。

(二)  事故直前被告永原は、事故車Aを運転して前記町道を南から北へ向けて進行し、本件交差点にさしかゝつたので、その入口で一旦停車し、左右の安全を確認したが、進行車両を認めなかつたので、そのまゝ発進し、時速一〇ないし一五粁位で、交差点内に約四米位進入したとき、国道二〇一号線上を左方から東進して来る被告塩崎の運転する事故車Bを約三〇米位の地点に認めたので、衝突の危険を感じ、直ちに急停車の措置を講じた。

(三)  一方被告塩崎は、国道二〇一号線を田川市方面から行橋市方面に向け、時速約七〇粁位で進行中、本件交差点の右(南)側から、交差点内に進入してくる被告永原の運転する事故車Aを約五〇米手前で発見したが、同車がその場で停止してくれるものと思い、幾分減速し警音器を吹鳴して、そのまゝ通過しようとしたところ、事故車Aが停車しそうにないので、同車に約一四米位接近したとき衝突の危険を感じて急制動を施し、同時にハンドルを左に切つた。そしてこれより僅か前に急制動をかけた事故車Aも多少スリツプして停車したので、両車の衝突は免れたが、被告塩崎運転の事故車Bは、そのまゝスリツプして、折しも本件交差点の北西角附近に立つていた、原告および訴外丸山義光に同車が衝突した。

(四)  右事故によつて、訴外丸山義光は前記のとおり死亡し、原告は左下腿複雑粉砕骨折、右下腿粉砕骨折、左右手背擦過創、左後頭部挫創、右股打撲傷を受け、事故当日の昭和四三年二月二五日より同年三月八日まで宮域整形外科医院に、同年三月九日より昭和四四年二月二八日まで北九州市立小倉病院にそれぞれ入院し、その後同年九月一日まで同病院に通院し、一応治療したものとされたが、両足関節の可動制限、左下腿の変形、左下肢短縮、疼痛の後遺症が残り、それは今後一生不治である。

第二被告らの責任

(一)  前項認定の事実によると、被告永原は交通整理の行われていない本件交差点に進入する際、左方の安全確認が不充分であつたゝめ、被告塩崎運転の事故車Bの発見がおくれたゝめ、被告塩崎をして事故車Bに急制動をかけるの止むやきに至らしめ、また、被告塩崎は、右交差点にさしかゝる両被告永原運転の事故車Aを認め、かつ、当時路面が湿つていてスリツプし易い状態であるのに、事故車Aの動静を注視し、減速して交差点に進入すべき注意義務を怠り、漫然高速度で進入したゝめ、本件事故が惹起されたものであるから、両被告の過失は明らかであり、両被告は直接の共同不法行為者として、本件事故の責任を負わなければならない。

被告永原は、本件事故につき無過失であると抗争するが、右認定のとおり同被告にも過失があり、この認定を覆えして同被告の無過失を認めるに足る証拠はない。

(二)  事故車Bが被告岩下の所有に属することは、当事者間に争いがない。同被告は、事故車Bを自己のため運行の用に供するものではない旨運行供用者責任を否認し、〔証拠略〕によると、同車は被告塩崎が、友人の訴外岩下倍己(昌己と、あるのは倍己の誤記と認める)から借り受けてこれを運転中本件事故を惹起したことは認められるが、被告岩下の主張によると、同被告はその所有の事故車Bを事実上長男倍己の使用に委ねていたもので、しかも被告塩崎が同車を倍己に告げて借受けて運転して出た後とはいえ、倍己から知らされて、右運転を承認したというのであるから、右主張自体から、被告岩下が事故車Bに対する運行支配を有していたものというのを妨げず、従つて同被告は自賠法三条の「自己のために自動車を運行の用に供する者」というべく、同条により本件事故のため原告らの蒙つた損害を賠償すべき義務がある。他に被告岩下が事故車Bを自己のために運行の用に供する者でないことを窺わせるに足る証拠はない。

第三被告永原と原告との間の和解契約について

〔証拠略〕によると、昭和四四年一二月一二日被告永原と原告との間に、本件不法行為によつて原告の蒙つた損害の賠償額を同日までに原告が被告永原から受領していた金一九五、〇〇〇円と、自動車損害賠償責任保険より受給していた保険金一、二八〇、〇〇〇円の外治療費未払分として新たに被告永原が同日支払いを約した金一〇五、〇〇〇円の合計金一、五八〇、〇〇〇円とし、今後本件事故に関して原告は、被告永原に対していかなる名義であるかを問わず、金銭その他の請求をしないこと等を内容とする示談が成立し、同日被告永原から原告に右約定の金一〇五、〇〇〇円が支払われた事実を認めることができる。原告は、右示談に際し作成された示談書(乙第一号証)は、原告がその内容を誤解して署名押印した旨主張するので、それは右示談契約の要素に錯誤があるとの主張と解されるが、〔証拠略〕によれば、原告は右示談内容を読み聞かせてもらつてこれを了承し、署名押印したことが認められ、〔証拠略〕のうち、右認定に反する部分は、たやすく信用し難く、他に右示談契約に当り原告に何らかの錯誤が存したことを認めるべき証拠はない。

また、右示談契約は昭和四四年七月七日の本訴提起後五ケ月余にして成立しており、かつ前記第一項(四)認定の原告が一応治癒と認定され、後遺症の存在も判明していた昭和四四年九月一日より約三ケ月後に成立しているので、当然右後遺症の存在はもちろん本訴請求の全損害の存在を前提として示談契約がなされたものと推定すべきであつて、この推定を覆えすに足る証拠はない。

さらにまた、右示談契約後に予想外の損害が生じる等著しい事情の変化が生じ、若しくは示談内容が信義則に反する点があることを窺わせる事実もないので、結局右示談契約は有効で、原告は前記示談金以外の本件事故による損害金請求権は、仮りにそれがあるとしても一切請求しないことを約したものというべきものであるから、原告は、その主張の本件損害賠償請求権を本訴において請求することは許されないものといわなければならない。

第四本件事故による原告の損害

一  休業損害 金四八〇、〇〇〇円

〔証拠略〕によると、原告は、訴外杉山に雇われ廃品回収に従事して、日給一、三〇〇円、平均月収金三〇、〇〇〇円の収入を得ていたが、本件事故による負傷のため、昭和四三年二月二五日より昭和四四年二月二八日までの前記認定の入院期間内および退院後当分の間稼働できなかつたことが認められる。そして、退院後の稼働不能期間は明らかでないが、前記認定のとおり原告が昭和四四年九月一日まで通院していたこと、および原告は、退院後その時期は不明であるが、一時水商売を開業していたことが原告本人の供述(第二回)によつて認められる事実を併せ考えると、原告の退院後における稼働不能の期間は、原告主張のとおり昭和四四年六月二五日までと認めるのが相当である。

そうすると、昭和四三年二月二五日より昭和四四年六月二五日までの一年四ケ月の稼働不能期間における一ケ月金三〇、〇〇〇円の割合による休業損害は、合計金四八〇、〇〇〇円となる。

二  得べかりし利益の喪失 金八五八、〇四九円

原告には、前記第一、(四)で認定したとおり、本件事故による負傷のため両足関節の可動制限等の後遺症があり、それは一生不治であつて、〔証拠略〕によると、原告は右後遺症のため、足を使う仕事、重い荷物を提げたり、走つたりする仕事は不適当であるが、退院後一時水商売をしていたことは前記のとおりであつて、原告がこれを廃棄したのは、経営不振のためであつて、右後遺症によるものではないことが認められるので、職種の選択をすれば、原告主張のように五〇パーセントもの収益の減少はもたらさないものと考えられるので、彼此考慮すると、原告の労働能力喪失割合は、稼働期間全体を通じて三〇パーセントとみるのを相当とする。

ところで、〔証拠略〕によると、原告は昭和六年五月一八日生であることが認められるので、前記認定の原告の稼働不能期間の最終日昭和四四年六月二五日当時は、満三七才であり、その翌日より二六年間就労可能である(政府の自動車損害賠償保障事業損害査定基準による)ところ、原告はその範囲内である一〇年間の逸失利益を求めているので、右期間内における前項認定の平均月収金三〇、〇〇〇円の三〇パーセントに当る金九、〇〇〇円(年額金一〇八、〇〇〇円)の得べかりし利益の昭和四四年六月二六日当時における現価額をホフマン式計算法(複式、年別)によつて中間利息を控除して算定すると、金八五八、〇四九円(円未満切捨て)となる。

三  慰藉料 金一、〇〇〇、〇〇〇円

原告は本件事故によつて受けた傷害のため、前記第一(四)認定のとおり入院約一年、通院約六ケ月を要し、かつ両足関節の可動制限等の不治の後遺症がのこつているので、多大の精神的苦痛を受けたものと認められ、原告の受傷程度、年令その他諸般の事情を考慮すると、原告の右苦痛を慰藉するには、金一、〇〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

なお、原告は、訴外亡丸山義光は原告の内縁の夫であり、原告は右丸山が本件事故によつて死亡したことによつて受けた精神的苦痛に対する慰藉料請求権があると主張するので、その当否を検討するに、婚姻届出をしなくても、事実上婚姻と同様の関係にある内緑の配偶者にも、民法第七一一条を類推適用して慰藉料請求権を認める余地があるので、原告と亡丸山との間に内縁と目すべき関係があつたかどうか考える。そもそも内縁とは、婚姻とはいい難いが、実質的には婚姻と認められる関係でなければならないから、両当事者の婚姻の意思が必要であるところ、訴外丸山は既に死亡していて、直接同人から原告との婚姻意思を確認する術がないので、外形的標識によつてこれを推知するほかなく、その外形的標識としては、(一)慣習上の婚姻の儀式をあげたこと、(二)明確な証書または証人が存すること、(三)相当期間、少くとも数年継続した共同生活のあることが考えられる。そこでこれら標識となる事実の存否を調べてみる。原告本人は、原告は丸山義光と昭和四一年二月頃から行橋市の義光の妹の家で同棲生活に入り、同年四月から一一月までは同市内の義光の両親の許で生活し、その後北九州市小倉区延命寺で生活していた旨供述し(第二回)、〔証拠略〕によると、原告と義光とが延命寺に同棲中両名は外形上夫婦のような生活をしてたし、近隣の者達も両名を夫婦として扱つていたことが認められるが、それだけで、義光に婚姻意思があつたものというには不充分であり、かえつて、〔証拠略〕によれば、義光は父梅春に原告を友人であると告げており、梅春としても、義光と原告とがいかなる関係にあるか知らなかつたことが認められ、〔証拠略〕によると、原告は本件事故後司法警察員の取調べに対し、義光を同居人と称していることが認められるうえに、原告と義光とが結婚式をあげた形跡もないので、右両名が約二年間同居生活を送つたとしても、実質的な婚姻関係にあつたかどうか極めて疑わしく、他に右両名、殊に亡義光に婚姻意思のあつたことを認めるべき証拠はない。そうすると、原告と義光とが内縁の夫婦であることを前提として、義光の死亡による慰藉料請求権の存在をいう原告の前記主張は採用することができない。

四  損益相殺

原告が、治療費を除きその主張のとおり合計金一、七八五、一二八円の支払いを受けたことは、原告の自認するところであるので、これを前記一ないし三の損害金合計金二、三三八、〇四九円より控除すると、残額は金五五二、九二一円となる。

第三結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、被告塩崎、同岩下に対し、右金五五二、九二一円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四四年八月一五日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これを正当として認容し、右被告らに対するその余の請求、および被告永原に対する請求は理由がないから、失当としてこれを棄却することゝし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 森永龍彦)

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