大判例

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福岡地方裁判所小倉支部 昭和44年(ワ)854号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕(一) 昭和四三年九月三〇日原告と被告季夫とは北九州市において森松親子(被告季夫の従兄の妻)、藤井房子(原告の伯母石生谷コウメの友人)両名の紹介によりいわゆる見合をし、翌一〇月一日も会つて、共に将来を語り合つたり、被告季夫の姉中島直子方を訪問したりなどした。その後、堺市に帰つた被告季夫から原告に父である被告次司に会つてくれとの電話があり、原告は同月一七日頃右森松親子、石生谷コウメと共に北九州市八幡区高見神社でその宮司をする被告次司と会つた。ついで、同月二四日頃も堺市から来た被告季夫は、被告と会い、共に将来を語り合うなどした。その後、被告季夫から原告に父のところを訪問するようになどと電話するなどして、原告と被告季夫とは交際した。

そして、被告季夫は原告と結婚する気持となり、被告次司もこれに賛成し、右森松親子夫妻に媒酌人になつてもらつた。そこで、右森松親子は、前記藤井房子と共に同年一一月一一日原告方を訪ね、被告季夫との結婚を承諾した原告およびその両親と結納の日を同年一二月二九日、結婚式を昭和四四年二月二三日とし、その他結婚式の費用等について取り決めた。二、三日後右森松が右取決めを堺市の被告季夫に電話したところ、被告季夫はこれを了承し、被告次司も右取決めを了承した。その後昭和四三年一二月中旬頃まで原告は被告季夫に手紙を出したり、電話したりなどしていた。

(二) ところが、被告季夫は、原告の性格が物足りないなどさしたる理由もないのに、原告との結婚の意思を失い、同月二一日頃堺市から来て原告と会つた際も原告に対し冷淡な態度をとり、被告次司や姉中島直子が原告との結婚をすすめるのもきき入れず、右森松を通じて原告に対し結婚を延期する旨伝え、逆に、被告次司もやむなく原告と結婚しないことに同意し、被告次司の発案で、被告季夫は、原告に対し昭和四四年一月四日到達の被告次司代筆の封書で被告季夫の健康を偽つて理由とし原告とは結婚しない旨を告げた。

ことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

右認定(一)の事実によれば、まだ結納は交していないが、すでに結婚式の日取りまで取り決めたものであるから、昭和四三年一一月一一日原告と被告季夫との間には婚約が成立したものというべきである。そして、右認定(二)の事実によれば、被告季夫は原告に対し右封書をもつて右婚約を破棄したものであり、右認定のような理由で婚約を破棄することは、正当な事由がないものというべきで、被告季夫は、原告に対し右不法な婚約破棄行為により原告が受けた損害を賠償する責任がある。

<中略>

(3) 慰藉料、金三五万円

<証拠>によれば、原告は、昭和一九年八月二五日生で、右婚約により、被告季夫と結婚する決意を固め、親族、会社の同僚からお祝を貰うなどしていたのに、右婚約破棄にあい、悲嘆にくれ、数日間寝込んだり、鼻血を出したり、一〇数日間不眠に悩まされるなどし、遂に勤務先の会社を退職したこと、被告は、昭和一五年六月一四日生で、新日本製鉄株式会社に勤め、現在月収約金六万三、〇〇〇円であることを認めることができる。

以上の事実に、前記認定の原告の職業、収入、右婚約破棄の経緯その他諸般の事情を考慮すると、原告の右精神的苦痛に対する慰藉料は、金三五万円が相当である。(矢頭直哉)

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