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福岡地方裁判所小倉支部 昭和48年(わ)119号 判決 1976年3月22日

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

第一本件公訴事実

被告人らに対する本件公訴事実は、次のとおりである。

一  本位的訴因

被告人小島二郎は、北九州市若松区浜町一丁目四番七号に本店を有し、港湾構造物築造、浚渫・埋立工事等を業とする若築建設株式会社(代表取締役有田一寿)の九州支店門司工事事務所(北九州市門司区西海岸一丁目六番五号所在)所長として、同工事事務所の業務一切を統轄掌理するもの、被告人永戸靖浩は同工事事務所現場主任として、同事務所の施工する工事・作業を直接指揮監督するものであって、昭和四七年六月二〇日ごろから、いずれも、同会社が三井不動産株式会社から請負った同市同区田の浦地先海域の太刀浦岸壁工事(施主運輸省第四港湾建設局)に先行する同海域海底の潜水探査および右若築建設株式会社がチャーターした瀬戸田海事工業株式会社所属瀬戸塩船団(浚渫船第二七瀬戸塩号、土運船第二八瀬戸塩号、同第三〇瀬戸塩号、ボート一隻および船員一一名をもって構成。)による同海底床掘工事の計画立案、施工等の指揮監督の業務に従事していたものであるが、右岸壁工事にあたっては、まず右工事を実施する海底の床掘工事を行なう必要があるところ、かねてから関門地区の海底には太平洋戦争当時に敷設された米軍機雷多数が未だに埋没している疑いがあり、前記第四港湾建設局が右岸壁工事に先立って、あらかじめ日本物理探鉱株式会社をして前記田の浦地先海底の磁気探査による調査をなさしめた結果も、同海底の二箇所(同市門司区田の浦地先・部崎灯台三〇一・六度、二一九八メートルの点を中心とする一辺五〇メートルの正方形内海底((以下部崎灯台先第一海底と略称する))及び右部崎灯台三〇三・二度、一八五〇メートルの点を中心とする一辺五〇メートルの正方形内海底((以下部崎灯台先第二海底と略称する)))において機雷埋没の疑いのあることを指摘していたので、前記岸壁工事に先行する床掘工事を開始するにさきだち、前記門司工事事務所においては、右床掘工事の安全を期するために、昭和四七年六月二五日から、前記田の浦地先海底における機雷埋没の有無を確認して埋没機雷があるときにはこれを除去する目的で、潜水探査を実施していたのであるが、右潜水探査の結果、同日すでに前記部崎灯台先第二海底からは埋没していた機雷一個を発見してこれを除去するに至ったのであるから、残る一箇所の指摘海底である前記部崎灯台先第一海底の潜水探査にあたっては、被告人小島二郎としてはみずから、または被告人永戸靖浩を指揮監督して、被告人永戸靖浩としては、みずから、右海底を渦巻式探査方法(潜水夫が、海底五〇メートル平方の中心部に一本の鉄棒を立て、右鉄棒に結んだロープを手に持って、右鉄棒を中心とした半径一メートルの海底を、長さ約一・五メートルの真鍮製探査棒をもって、移動しながら、自己の前後左右各五〇センチメートルの地点を突いて、異状物の埋没の有無を確かめ、漸次前記半径を一メートルずつのばして同様の遣り方を繰り返してゆく探査方法)によって潜水探査を実施する潜水夫に対し、特に慎重厳密に探査し、右方法による探査のみによっては機雷埋没の疑いの有無を十分に解明することができないときにはジェットポンプを使用して十分に探査するように指示し、かつ右指示の励行を指揮監督するほか、右渦巻式潜水探査の実施によって右海底から発見された金属類があるときは、その磁気量が前記磁気探査の結果指摘された磁気量に達するか否かを仔細に検討し、これに達しない場合には前記潜水夫を指示監督して再三渦巻式またはジェットポンプ使用の潜水探査を繰り返させて、同海底の機雷埋没の有無を確認し、埋没機雷を発見したときにはこれを除去し、もって同海底の床掘工事の実施にあたり床掘機器等が右海底に埋没している機雷に触れてこれを爆発せしめるが如き事態の発生を抑止しなければならない業務上の注意義務があるにもかかわらず、いずれもこれを怠り、同月二八日潜水夫をして前記部崎灯台先第一海底の渦巻式潜水探査を実施させるにあたり、当時右探査海底は泥水流入による視界不良等によって潜水夫の潜水探査に困難をきたす状況が付加されていたのに、被告人両名はいずれも潜水夫に対してなんら適切な指示をなさしめず、またはこれをなさないで、潜水夫白田昭二一名をして右方法による海底探査を一回なさしめたに止まり、しかも右方法による探査によって、同日右白田が右海底から、金属小缶一個を発見揚収したに過ぎず、右小缶一個のみをもってしては前記磁気探査の結果指摘されていた磁気量に達しないことが明らかであったのにかかわらず、その事実を知りながら、再三の渦巻式潜水探査、ジェットポンプを使用しての潜水探査、再度の磁気探査等の措置をなんら指示し、または実行することなく、右白田の前記探査によって前記部崎灯台先第一海底にはもはや機雷埋没のないことが明らかであると軽信して、同海底の探査不十分のまま、同月三〇日右潜水探査を打ち切らせ、またはこれを打ち切った被告人両名の過失の競合により、同年七月六日被告人永戸靖浩において前記瀬戸塩船団団長寺尾八俶に対し、前記部崎灯台先第一海底を含む前記田の浦地先海域海底一帯の床掘工事の開始を指揮したため、右船団において同海域における床掘作業を実施していた際、同年七月一七日午前一〇時五分ごろ、前記部崎灯台先第一海底を床掘していた前記第二七瀬戸塩号のバケットが同海底中に埋没していた機雷一個に触れて同機雷を破裂するに至らせ、よって、右第二七瀬戸塩号のバケット部、船底等、第三〇瀬戸塩号の船底等および前記第二八瀬戸塩号の甲板を損壊(損害額合計約七八〇〇万円相当)するとともに、右第二七瀬戸塩号において作業中の藤岡勝美に対し入院加療約一か月間を要する頭部、左肩関節および左下肢打撲傷等の傷害、同松田厳に対し通院加療三日間を要する顔面、右側胸部、左膝窩および右膝部裂創等の傷害、前記第三〇瀬戸塩号において作業中の横田幸治に対し入院加療約一〇か月間を要する右膝関節脱臼、頭部外傷等の傷害、同浜岡希に対し通院加療二日間を要する右前額部および右側頭部挫創の傷害をそれぞれ負わせたものである。

二  予備的訴因

被告人小島二郎は、北九州市若松区浜町一丁目四番七号に本店を有し、港湾構造物築造、浚渫、埋立工事等を業とする若築建設株式会社の九州支店門司工事事務所所長として、同工事事務所の業務一切を統轄掌理するもの、被告人永戸靖浩は同工事事務所現場主任として、同事務所の施工する工事、作業を直接指揮監督するものであって、いずれも昭和四七年六月二〇日ごろから、同会社が三井不動産株式会社から請負った同市同区田の浦地先海域の太刀浦岸壁工事(施主運輸省第四港湾建設局)に先行する同海域海底の潜水探査及び右若築建設株式会社がチャーターした瀬戸田海事工業株式会社所属瀬戸塩船団(浚渫船第二七瀬戸塩号、土運船第二八瀬戸塩号、同第三〇瀬戸塩号、ボート一隻および船員一一名をもって構成。)による同海底床掘工事の計画立案・施工の指揮監督並びに関門港長に対し右潜水探査結果を報告する等の業務に従事していたものであるが、かねてから関門地区の海底には太平洋戦争当時に敷設された米軍機雷多数が未だに埋没している疑いがあり、前記第四港湾建設局が右岸壁工事に先立ってあらかじめ日本物理探鉱株式会社をして、前記田の浦地先海底の磁気探査による調査をなさしめた結果も同海底の二箇所((部崎灯台三〇一・六度、二一九八メートル地点海底(以下第一海底と略称)、及び同灯台三〇三・二度、一八五〇メートル地点海底(以下第二海底と略称)))において特に高い磁気量を示し、機雷埋没の疑いのあることを指摘していたので、前記岸壁工事に先行する床掘工事を開始するに先立ち、前記門司工事事務所においては、右床掘工事の安全を期するために、昭和四七年六月三日に関門港長より港内工事作業許可を受けて同月二五日から、前記田の浦地先海底における埋没機雷の有無を確認してこれあるときは除去する目的で潜水探査を実施し、同年七月一日被告人永戸靖浩において作成した「北九州港(門司)太刀浦岸壁(マイナス一二メートル)(基礎工、本体工)外一件工事の海底探査工事完了報告について」と題する探査結果報告書を関門港長宛提出していたものであるが、渦巻式潜水探査により前記第二海底からは埋没機雷一個を発見除去するに至ったので、同海底と同一磁気量が指摘されている前記第一海底においても埋没機雷の存在する蓋然性が高かった上、前記床掘工事の着工条件として磁気量を示す原因を十分に解明し、その報告書を提出することが前記工事許可の内容とされていたのであるから、同海底の潜水探査に当たっては、潜水夫をして特に慎重厳密に渦巻式潜水探査をなさしめ、右方法による探査のみによっては機雷埋没の疑いの有無を十分に解明することができないときはジェットポンプを使用して探査せしめ、発見された金属類があるときはその磁気量が前記磁気探査の結果指摘された磁気量に達するか否かを細仔に検討し、これに達しない場合には右探査方法を順次繰り返して探査せしめて同海底の機雷埋没の有無を確認することはもとより、前記探査結果報告書を関門港長宛提出するに当たっては、前記探査により指摘された磁気量を発する原因を十分に解明し、機雷が残存する疑いが皆無となった後初めて真実の探査結果に添う探査結果報告書を提出すべきであって、機雷の残存する蓋然性が高い以上は右報告書の提出を差し控え、もって同海底の床掘工事に着工せしめて床掘機器等が同海底に埋没している機雷に触れてこれを爆発せしめるが如き事態の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、いずれもこれを怠り、同海底から金属性小缶一個を発見揚収したにすぎず、右小缶のみをもってしては前記磁気探査の結果指摘されていた磁気量に達しないことが明らかであったのにかかわらず、その事実を知りながら、潜水夫一名による渦巻式潜水探査を一回なさしめたのみで、再三の渦巻式潜水探査、ジェットポンプを使用しての潜水探査等の措置を講ずべき何らの指示をせずして、前記磁気量を発する原因の解明はなされ、もはや同海底に機雷の残存する疑いはないものと軽信して、同海底の探査不十分のまま同月三〇日潜水探査を打ち切らせるとともに、被告人永戸靖浩において同海底から発見揚収されていない鉄パイプ一本を恰も発見揚収したかの如き内容・虚偽の前記報告書を作成してこれを被告人小島二郎に提示し、同被告人は前記事情を知りながら前記内容を軽信して関門港長宛に提出することを容認したため、被告人永戸靖浩は、右報告書を同年七月一日北九州市門司区西海岸一丁目三番一〇号門司海上保安部港務課において関門港長宛提出した被告人両名の過失の競合により、前記床掘工事の条件は成就したものと関門港長を誤信せしめて、同港長をして何ら触雷事故防止の措置を講じさせぬまま、同月六日被告人永戸靖浩において前記瀬戸塩船団団長寺尾八俶に対し前記部崎灯台先第一海底を含む前記田の浦地先海域海底一帯の床掘工事の開始を指揮したため、右船団において同海域における床掘工事を実施していた際、同年七月一七日午前一〇時五分ごろ、前記部崎灯台先第一海底を床掘していた前記第二七瀬戸塩号のバケットが同海底中に埋没していた機雷一個に触れて同機雷を破裂するに至らしめ、よって右第二七瀬戸塩号のバケット部、船底等、第三〇瀬戸塩号の船底等及び前記第二八瀬戸塩号の甲板を損壊(損害額合計約七八〇〇万円相当)するとともに、右第二七瀬戸塩号において作業中の藤岡勝美に対し入院加療約一か月間を要する頭部・右肩関節及び左下肢打撲傷等の傷害を、同松田巌に対し通院加療三日間を要する顔面・右側胸部・左膝窩及び右膝部裂創等の傷害を、前記第三〇瀬戸塩号において作業中の横田幸治に対し入院加療約一〇か月間を要する右膝関節脱臼・頭部外傷等の傷害を、同浜岡希に対し通院加療二日間を要する右前額部及び右側頭部挫創の傷害をそれぞれ負わせたものである。

第二本件事故発生に至るまでの経緯

≪証拠省略≫によれば次の各事実が認められる。

(一)  被告人両名は、港湾構造物築造浚渫埋立工事等を業とする若築建設株式会社(以下単に若築建設という。)に勤務し、被告人小島二郎は同社九州支店門司工事事務所所長、被告人永戸靖浩は同工事事務所現場主任の各地位にあったものである。

(二)  右若築建設九州支店は、昭和四七年六月二〇日、三井不動産株式会社(以下単に三井不動産という。)九州建設支社から同社が運輸省第四港湾建設局(以下単に四建という。)から請負っている北九州市門司区田の浦地先海域の北九州港太刀浦岸壁外一件工事(以下単に太刀浦岸壁工事という。)に先行する同海域海底の潜水探査および床掘工事を総工費六、四四六万円で請負った。

(三)  右四建と右三井不動産との間に取り交わされた右工事請負契約書によると、右工事の概要は北九州港(門司港)太刀浦岸壁(マイナス一二メートル)取付の基礎工、本体工を施工するものであったが、同契約書の特記仕様書には、工事着工の許可条件として、磁気探査成果による異常点箇所(二万九四五六平方メートル)を潜水夫等により「港湾工事施行に際しての海中残留爆発物に対する危険予防措置」通達に基づき所謂潜水探査をなして安全を確認することとなっていた。

(四)  右潜水探査工事等は、若築建設九州支店門司工事事務所の所轄下にあったため、被告人小島は右事務所所長として、被告人永戸は同事務所現場主任として、右工事の計画施工および指揮監督等に従事することとなり、昭和四七年六月二二日、被告人両名を含む作業関係者は、北九州市門司区恒見所在の四建現場事務所において工期等につき打合せを行い、潜水探査期間自昭和四七年六月二四日至同年六月三〇日、床掘工事期間自昭和四七年七月一日至同年九月三〇日に決定し、次いで若築建設は、潜水探査を主たる営業とする会社でないため、本件潜水探査に必要な潜水夫の紹介を村上海事工業有限会社に依嘱することとし、昭和四七年六月二三日、若築建設門司工事事務所において、被告人両名と村上義夫は潜水探査期間および必要人員について具体的検討をなし、同社の紹介で機雷探査の経験を持つ潜水夫白田昭二、同西岡作次、同繩田定男の三名を決定した。

(五)  同年六月二三日、若築建設九州支店門司工事事務所は、四建から三井不動産を経由して日本物探作成の磁気探査工事報告書の交付を受けたが、右書面には、本件探査海域二万九四五六平方メートルの範囲内に二〇箇所の磁気を発する異常点箇所(潜水探査位置図No.1乃至No.20のポイント)が記載されており、これに従い、同月二四日、被告人永戸および補助者として若築建設九州支店洞海工事事務所から派遣された石光利三らは、前記田の浦地先海域において六分儀を使用して前記異常点箇所の具体的位置の割り出しをしたうえ目印として重りのついた竹を入れる所謂竹入れ作業を実施し、当日中に一八箇所、翌二五日に残りの二箇所につき右作業を行った。

(六)  前記各潜水夫らは、潜水探査方法につき被告人らから格別の指示を受けなかったが、当時の業界での一般的探査方法である渦巻式潜水探査方法によって探査することを当然と考えていた。これは、前記竹入れ地点を中心に、一メートル毎に半径を延しながら半径約二五メートルになる迄の範囲で円を描きながら、長さ約一・五メートルの真鍮棒(以下搗棒という。)で約五〇センチメートルの間隔に海底を突いて、その感触等により異常物を発見する方法である。各潜水夫は、六月二五日午前中から前記渦巻式潜水探査を実施したが、前記石光の指示に基づき、既に前日竹入れの完了していたNo.18のポイントからNo.1のポイントに向って各別に探査を始め、六月二八日にはNo.1からNo.20迄の各異常点箇所を一通り探査した。

(七)  ところで、北九州市門司区田の浦地先部崎灯台三〇一・六度、二一九八メートルの地点を中心とする一辺五〇メートルの正方形内海底(以下第一海底という。潜水探査位置図No.2のポイント)と同灯台三〇三・二度、一八五〇メートルの点を中心とする一辺五〇メートルの正方形内海底(以下第二海底という。潜水探査位置図No.13のポイント)はNo.1からNo.20の異常点箇所のうちで磁気量が最も高く、そのガウス値は、いずれも五〇ないし九九を示し、そのため、被告人らは、右両箇所については、四建係官から慎重に作業を進めるよう注意を受けていたところ、六月二五日前記第二海底(潜水探査位置図No.13)から機雷を発見したが、第一海底(潜水探査位置図No.2)からは、六月二七日頃の一回目の探査では何ら異常物を発見することができず、翌六月二八日の探査によって初めて小缶一個を発見した。しかし、右小缶一個のみではガウス値に見合わないので、さらに同月二九日、三〇日にも右第一海底の探査に当らせたが、異常物を発見することはできず、被告人永戸は、翌七月一日にも右第一海底の探査を実施する予定であったが、被告人小島に相談したところ、同人からそこまでする必要はないと言われたので、六月三〇日右予定を取り止め、潜水探査工事を終了することとした。

(八)  被告人小島は、昭和四七年六月二二日関門港長から前記太刀浦岸壁工事のうちの基礎床掘工事につき港則法三一条に基づく作業工事許可を得たが、その際右関門港長に提出した港内工事作業許可申請書において、潜水探査によって安全を確認した旨報告書を提出することを約していたため、これを受けて、被告人永戸は、前記のとおり探査を終了した後右報告書の作成にかかったが、ガウス値の高い前記第一海底の揚収物が小缶一個では書面上おかしいと思っていたところ、被告人小島の示唆があったので、門司区田の浦笠石海岸で鉄パイプ一本を拾ってきて、昭和四七年六月三〇日、前記第一海底から真実は小缶一個しか発見されていないのに、更に右鉄パイプ一本も発見揚収されたかの如く記載した虚偽の内容の海底探査工事完了報告書を作成し、翌七月一日午前九時過ぎ頃、北九州市門司区西海岸一丁目三番一〇号門司海上保安部港務課において、同課港務係帆代帆良に対し提出したところ、同日正午過ぎ頃、右帆代から床掘工事に着工してよいとの通知を受けた。

(九)  そこで、被告人永戸は、同月六日、若築建設九州支店が床掘工事のためチャーターした瀬戸田海事工業株式会社所属瀬戸塩船団(浚渫船第二七瀬戸塩号、土運船第二八瀬戸塩号、同第三〇瀬戸塩号、ボート一隻および船員一一名をもって構成。)団長寺尾八俶に対し前記第一海底を含む前記田の浦地先海域一帯の床掘工事の開始を指揮したところ、同月一七日午前一〇時五分頃、前記第二七瀬戸塩号において、藤岡勝美がバケットを操作して前記第一海底(部崎灯台三〇一・六度、二一九八メートルの点)付近を床掘していたところ、右第一海底の右地点から一一メートル離れた部崎灯台三〇一・五度、二二〇〇メートルの地点に埋没していた機雷(米式磁気沈底機雷((総重量八〇〇キログラム、長さ二・〇六メートル、筒の直径〇・六メートル))と推定)一個に右バケットが触れたため、同機雷が破裂し、その結果、公訴事実摘示の負傷者および物損が出る本件事故が起ったものである。

第三本件各訴因についての検討

(一)  検察官は、本位的訴因において、本件事故は、被告人らが本件潜水探査に際して、第一に再三の渦巻式潜水探査を、第二に再三のジェットポンプ使用の潜水探査を、第三に再度の磁気探査を、各実施して埋没機雷を発見除去すべき業務上の注意義務を怠ったために惹起されたものであると主張する。そこで、以下この点について順次検討する。

1  検察官が主張する再三の渦巻式潜水探査によって本件事故を回避しえたか否かを本件機雷の埋没深度および搗棒の探査深度の関係から検討するに、≪証拠省略≫によれば、本件潜水探査海域の底質は比較的硬い砂地であって、搗棒の探査深度は、普通二〇乃至三〇センチメートル位であり、強く押し込んで四〇乃至五〇センチメートル位であることが認められる。もっとも、この点につき検察官は、本件事故後探査深度のテストを実施したところ、本件機雷爆発地点付近で海底下一・二メートル突き刺すことができた旨主張し、右証拠として南部英治の司法巡査および検察官に対する各供述調書を挙示するが、右各調書によれば、右地点は、本件爆発事故のためできた穴の斜面であって、一時的に砂の堆積した柔い場所であるから、右数値をもって本件海底の在来地盤(砂地)における搗棒の探査深度のそれを推認する資料とすることはできない。また右南部英治によるもう一つの検査地点である本件機雷爆発地点付近の在来地盤でのテスト結果では、七〇センチメートル突き刺すことができたというが、これは搗棒の探査深度を測定すべく多分に意識的にした一回性の検査結果であるのに対し、ここで問題にしているのは、潜水夫が一連の作業において連続的に探査する場合の搗棒の探査深度であるから、右数値はその意味で少しく割り引いて考慮すべきであり、結局本件潜水探査海域の海底の在来地盤における搗棒の深度の限界は、深くても約五〇センチメートル程度と考えるのが妥当であろう。次に本件機雷の埋没深度について検討するに、本件事故は、第二七瀬戸塩号において、藤岡勝美がバケットを操作して床掘作業中右バケットが本件埋没機雷に接触したことによって発生したものであることから、右バケットの海底到達深度がその有力な手掛を与えてくれると考えられるが、≪証拠省略≫によれば、バケットを一回海底に降して床掘りをすると、バケットは少くとも一メートル以上の深度まで到達する能力を有していたことが窺われ、本件事故が発生したのは、バケットを吊っている二本のワイヤーがたるみ、したがってその爪が最大限海底に食い込んだ時であるから、右バケットは海底下少くとも一メートルの深さに到達し、その直後本件機雷に接触して右機雷が爆発したといえるので、右事実から推して本件機雷は少くとも一メートル以上の深さに埋没していたと考えるのが合理的である。検察官は、日本物探作成の磁気探査結果によれば、No.13の異常点箇所およびNo.2の異常点箇所の異常物の埋没深度がいずれも〇ないし〇・六メートルであったのに、No.13のポイントにおいて昭和四七二年六月二五日発見された機雷が実際は海底下一五乃至二〇センチメートルの地点に埋没していたのであり、このことは、本件機雷も同様浅い地点に埋没していたことを推認せしめると主張する。しかしながら、≪証拠省略≫によれば、磁気探査結果における埋没深度は、四回の探査結果(No.2のポイントの場合、一回目一メートル、二回目〇・六メートル、三回目〇・七メートル、四回目〇メートル)の平均値であって、右埋没深度はプラスマイナス〇・五メートルの誤差を免れないものであることに加え、No.13のポイントの異常物の埋没深度は〇ないし〇・四メートルであって、No.2のポイントのそれより小さい数値であったことが認められ、これによれば、本件機雷が海底下約一メートルの地点に埋没していた可能性が十分存在するし、これはまた前記バケットの到達深度から合理的に推認される本件機雷の埋没深度とも一致することからみて、検察官の右主張は理由がない。以上みたとおり、搗棒の探査深度の限界が約五〇センチメートル程度であるにもかかわらず、本件機雷の埋没深度が海底下少くとも一メートル強であったと推認しうる限り、被告人らが潜水夫をして再三搗棒による渦巻式潜水探査を実施せしめてみても、確実に本件機雷を発見揚収しえたとはいえない。

2  次に検察官は、被告人らは再三のジェットポンプ使用による潜水探査を実施すべきであったと主張する。ところで、≪証拠省略≫によれば、ジェットポンプは水あるいは空気を強圧の下にホースから噴出させて土砂等を排除する装置であるが、潜水探査に際しては、搗棒で異常物を覚知したものの、手で掘ることが不可能あるいは困難な場合に、当該特定地点に空気等を吹きつけて異常物を掘り出すためにのみ使用されていたもので、本件においても、潜水夫白田昭二、同西岡作二はいずれもジェットポンプを船に積み込み、六月二五日発見された機雷を掘り出す際にこれを使用している。右の如く、ジェットポンプの用途ないし効用は極めて限定されており、業界一般においてもかく認識されていたものであり、また被告人小島、同永戸としても、潜水夫らがジェットポンプを船に積載していることを知ってはいたが、ジェットポンプを特定地点においての探査のためにのみ利用するとの認識しかない。しかも右装置を使って広範囲の面積につき探査すべく土砂を排除すると、その土砂がその周辺に堆積してさらに他の地点の作業を進めることを困難にし、加えて多大の費用と時間を要することが認められるのであって、検察官が主張する如く、渦巻式潜水探査の実施される範囲である異常点を中心とする半径二五メートルの円全面についてジェットポンプの使用を要求することは、被告人らに不可能を強いるものといわざるをえない。もっとも、検察官は、本件において機雷が磁気探査工事報告書の異常点番号二二四(これは潜水探査位置図No.2ポイント内にある。)から一一メートル西方の地点に埋没していたのであるから、ジェットポンプが異常点を中心に重点的に異常物を探査する場合の探査方法としても用いられていることを理由に、ジェットポンプで探査しておれば、容易に右機雷を発見しえた旨主張し、これを裏付けるため、証人広瀬弘治の当公判廷における供述および池野広美の検察官に対する供述調書を挙示する。しかし、前者は要するに異常点箇所の特定の位置を中心にジェットポンプを吹きつけて深さ約一メートル、直径約五メートルの範囲に掘って異常物を探査したというものであり、つまりは特定地点の探査にジェットポンプを使用したものである。また後者は探査の一手段としてジェットポンプの利用という方法があるということを供述したにすぎず、その用途ないし効用が限定されているか否かについては何ら言及していないのであるから、直ちにこれをもって検察官の前記主張の根拠とすることはできない。また検察官はジェットポンプを重点的に使用すべきであった旨主張するが、本件機雷の位置は、本件事故の結果判明したものであり、本件潜水探査時には探査の「重点」となるべき地点の特定などは到底不可能であったのであって、結局検察官の右主張は、その実、被告人らに対し、ジェットポンプによって異常点を中心とする渦巻式潜水探査による通常の探査範囲である半径約二五メートルの円全体につき探査をすべきことを要求するものであり、これを被告人らに要求しえないことは前判示のとおりである。

3  さらに検察官は、被告人らは潜水探査により異常物を揚収したときは、これにより最初の磁気探査で示された磁気量(ガウス値)が消滅したか否かを確認すべく再度の磁気探査又は再度の簡易磁気探査を実施すべきであったと主張する。そこで先ず再度の磁気探査について検討するに、本件事故前後の行政指導の指針である通達をみると、

昭和四五年六月一一日付七警救第一四六号において、

「磁気探査を行い、異常値が測定された場合は潜水探査を行い、原因を確認すること」とあり、

昭和四七年六月八日付港建第七九号において、

「磁気探査を実施し、異常の感じられた箇所については潜水探査を行い異常物を除去した後更に安全を確認すること」とあり、

昭和四七年六月一五日付保警安第九八号において、

港湾工事等の実施に伴って、機雷の探査を行った結果、異常が探査された箇所については、従来通り、潜水探査により異常物を除去した後、再度の磁気探査等により異常物が除去されたことを確認すること」とある。右各通達の内容から明らかな如く、の通達の段階では、未だ再度の磁気探査ということはその内容とはなっておらず、それが内容となったのは、の通達においてであった。ところで、右の通達は、昭和四七年六月一五日付であるが、右通達が一般に周知徹底されるに至った経過をみるに、≪証拠省略≫によれば、昭和四七年六月二九日右通達が海上保安庁から第七管区海上保安本部を経由して門司海上保安部に届き、関門港長の事務を所掌する門司海上保安部港務課は、六月三〇日および七月一日、右通達にある再度の「磁気探査等」は潜水探査をも意味するか否か、右通達は既に許可済みの工事についても適用されるか否かなどについて検討していたが、その最中の七月一日午前九時過ぎ頃、被告人永戸から探査工事完了報告書を受取った。そこで右報告にかかる本件潜水探査が右通達の適用範囲内にあるか否か検討を重ね、同日正午頃、右通達に再度の「磁気探査等」とあるのは、磁気探査又は潜水探査と解し、また右通達は既に許可済みのものは除き、今後工事許可するものから適用するとの結論を出して、直ちに被告人永戸に対し、本件潜水探査には右通達を適用しないから、本件床掘工事に着工してよい旨伝えた。その後、昭和四七年七月一七日に至り、港湾建設協会なる会合が開催され、その席上右通達が業者に配布されたが、未だその内容についての指導がないまま、右同日本件事故が発生したため、七月一八日本件爆発事故の説明会、同月二〇日港湾工事等安全対策会議が開かれて、初めて右通達の内容とする再度の磁気探査についての具体的指導がなされ、右実施についての方針が決定されるに至ったことが認められ、本件事故発生前においては、前記の通達は行政官庁内部での検討段階にあり、業界はその内容について全く知る機会さえもなかったのである。したがって、本件事故当時の業界の潜水探査方法に関する理解としては、前記又はの通達の定めるところにあり、再度の磁気探査については到底思いも及ばなかったものである。もっとも、被告人永戸は探査工事完了報告書を提出した際、前記門司海上保安部総務課員帆代汎良から再度の磁気探査を義務づけている前記通達の存在を知ったのであるが、このことをもって、被告人永戸に再度の磁気探査を実施すべき義務を要求することは不当である。蓋し、その当時、門司海上保安部港務課においてさえ右通達にいう再度の「磁気探査等」の意義およびその通達の本件潜水探査についての適用の有無に関し検討中であったのであり、その後出した結論にしても、再度の磁気探査を必ずしも必要的なものとは考えず、潜水探査によっても代替しうるといった解釈をしていたのであるからである。また被告人小島においても本件事故に至る迄前記の通達およびその内容について全く知らなかったことが認められる。しかも、再度の磁気探査は当時迄その実施の例をみないし、本件において契約の内容となっていないのは勿論、予算措置も講じられていない。また磁気探査を実施しうる唯一の組織である日本物探においても、当時工事日程等の関係から容易にこれに応じうる態勢にもなかったことが窺われる。以上の事実からみて、被告人らに対し、本件潜水探査当時再度の磁気探査の実施を要求することが不合理であることは否めない。この点、≪証拠省略≫によれば、本件潜水探査当時、潜水探査を実施してもガウス値に見合う異常物が発見揚収されない場合、取るべき措置として再度の磁気探査等の方法があった旨供述しているが、前掲各証拠に照らしてにわかに措信しがたい。次に再度の簡易磁気探査についてみるに、≪証拠省略≫によれば、昭和四七年六月当時日本物探は簡易磁気探査機を一〇台弱保有し、同北九州出張所には、そのうち二、三台配備されていたが、右装置を使用したのは、搗棒による探査に代えて異常物を探査する場合であって、本件事故当時に至る迄確認探査のために簡易磁気探査機が使用された例は全くない。しかも、右装置が使用されたのは、洞海湾等の如くヘドロが深いため搗棒による潜水探査が不可能であるか、そうでないにしても右方法によるときは多大の時間と費用を要する場合であった。本件海底の如く底質が砂地である場合には右装置の使用はなかったのであり、また、右装置の使用には、日本物探の技術者の派遣を要し、その使用料も無視しがたく、これが使用されたのは、特に契約において右装置の使用が定められていた場合に限られていたことが認められ、加えて簡易磁気探査は限定された用途、効用しか有していなかったため、当時の業界ではその存在が必ずしも周知徹底されたものではなく、とりわけ潜水業を本業とせず、浚渫業を営む若築建設の一現場技術者である被告人らにおいては、いずれもその存在を知らなかったものである。したがって、本件事故当時、被告人らに対し簡易磁気探査機による再度の磁気探査をすべきであったと要求することは苛酷なものといわざるをえない。

4  以上のとおり検察官が本位的訴因において被告人らに要求されるとする注意義務について各検討したが、本件潜水探査当時、再三のジェットポンプの使用による潜水探査実施義務および再度の磁気探査実施義務は、いずれも被告人らの注意義務の限界を越えるものであり、また再三の渦巻式潜水探査実施義務にしても、前判示のとおり、一定の深度以上に埋没している機雷に対し、渦巻式潜水探査方法には致命的ともいうべき限界があって、これによって本件機雷を発見揚収しえたとは到底いえないのであるから、これを結果回避のための措置として被告人らに要求しても全く意味がないのである。結局、検察官が本位的訴因において主張する注意義務違反を理由に被告人に刑事責任を問うことはできない。

(二)  検察官は、予備的訴因において、(一)磁気探査結果により指摘された磁気量を発する原因を十分に解明し、機雷が残存する疑いが皆無となった後、初めて関門港長に対し探査結果完了報告書を提出すべき義務、(二)機雷の残存する蓋然性が高い以上、報告書の提出を差し控えるべき義務、(三)真実の内容を記載した報告書を提出すべき義務の三つの主張をなしていると考えられるので以下順次検討する。

1  先ず第(一)点についてみるに、検察官主張の如く「機雷が残存する疑いが皆無」となれば、これによって結果回避の措置としては万全であって、さらに右報告書の提出を要求しても、それ自体は結果回避の措置との関係では全く意味のないものであるから、検察官の右主張は、その内実において結局本位的訴因において主張するところと変りがないので、これを被告人らの注意義務として要求することは失当である。

2  次に第(二)点についてみるに、前記のとおり、第一海底の磁気量が第二海底のそれと同じく五〇ないし九九ガウスであったこと、第二海底から機雷一個が発見揚収されたが、第一海底からは小缶一個が発見揚収されたのみであったこと、被告人らにおいても第一海底のガウス値に比し、小缶一個では揚収物として小さく、したがって右海底に機雷が埋没しているかも知れないとの不安ないし危惧を抱いていたことが各認められる。しかし、前判示のとおり、被告人らは、第一海底から小缶一個を発見揚収した後二回、前後通じて四回潜水夫をして同所を探査せしめたのであって、しかも前判示のとおり、当時の技術をもってしては必ず機雷を発見揚収しえたとはいえなかったのであるから、一定の工期の下に工事を遂行すべき立場にある若築建設の一従業員である被告人らに対し、機雷埋没の蓋然性がなくなる迄確たる目途もないまま、いつまでも探査工事完了報告書の提出を差し控えるべきことを要求することは到底合理的な措置ということはできない。こうした場合、被告人らに要求しうることは、せいぜい報告書の名宛人である関門港長あるいは四建に対し、その後の対応策についての協議を求めることであろう。しかしながら、仮に被告人らが右協議を求めたとしても必ず確実な触雷事故防止の具体的措置が講じられその結果本件事故の発生を回避できたと認めるに足りる証拠はない。

3  さらに第(三)点についてみるに、被告人らが関門港長に対し本件爆発事故のあった第一海底から小缶一個のほか更に鉄パイプ一本も発見揚収した旨記載した虚偽の内容の報告書を提出したことは前記のとおりである。ところで、被告人らの右行為に刑事責任を問うためには、被告人らにおいて、第一海底からの揚収物が小缶一個であるとの真実の内容を記載した報告書を提出したならば、ガウス値と揚収物の比較照合等の結果、右小缶一個のみでは機雷埋没の疑いがあるとして関門港長らにおいて触雷事故の発生防止のための具体的措置を講じ、その結果本件事故の発生を確実に防止しえたとの事実が認められなければならないが、本件全証拠を精査しても右事実を認めるに足りる証拠はない。

4  結局、検察官が主張する予備的訴因をもってしても被告人に刑事責任を問うことはできない。

第四結論

以上のとおり、被告人らに対する本件公訴事実は結局犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により被告人らに対していずれも無罪を言渡すこととする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 永松昭次郎 裁判官 大山隆司 中路義彦)

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