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福岡地方裁判所小倉支部 昭和55年(ワ)736号 判決 1983年6月01日

原告 梅谷秀德

原告 梅谷佳子

右両名訴訟代理人弁護士 三代英昭

右訴訟復代理人弁護士 岡田基志

被告 西日本鉄道株式会社

右代表者代表取締役 吉本弘次

右訴訟代理人弁護士 大和虎雄

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告両名に対し、それぞれ金一三〇三万七七三六円宛及びこれに対する昭和五五年七月五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文第一、二項同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (事故の発生)

原告らの長男梅谷大輔(昭和四九年一一月四日生、以下(亡)大輔という。)は、次の事故により昭和五四年六月九日死亡した。

(一) 発生日時 昭和五四年六月九日午後六時二〇分ころ

(二) 発生場所 北九州市小倉北区金田二丁目一番一七号地先道路

(三) 事故車 訴外竹迫秀喜運転の被告会社路面電車(番号第一〇四〇号)

(四) 態様 (亡)大輔が、西鉄北九州線の軌道がある右道路を東側から西側に向って横断中、軌道敷内の敷石につまづいて転倒したところ、折から金田電停から竪町電停に向って進行中の加害電車に轢過されて死亡した。

2  被告の帰責事由

右事故は、運転士竹迫秀喜の電車運行に際して採るべき次のような注意義務に違反した過失によるものである。

(一) 市街地を走行する路面電車の運転士は、進行前方を注視し、軌道敷を横断しようとしているものがあるときは減速、徐行し、又は停車するなどして、不測の事態に即応して適当な措置がとれる状態にて運転すべき注意義務がある。

(二) (亡)大輔は、当時四歳の幼児であり、本件道路脇に在る西小倉公園にいたが、竹迫運転士が金田電停を発車して間もなく、約一〇〇メートル前方の道路を右側から左側に横断すべく、凹凸の多い敷石がある軌道敷内を渡ろうとしたものであり、何人の目にも転倒のおそれを感じる状況であった。

(三) 従って、このような場合路面電車の運転士としては警笛を吹鳴するとともに、急制動により電車を停車あるいは減速せしめて、幼児が無事安全な位置に到達するのを確認して進行すべきである。

(四) しかるに竹迫運転士は、前方注視を怠って(亡)大輔を約三〇メートル位の近くに至って初めて発見し、停車の措置を講じたかあるいはこれを発見したものの漫然、安全と過信し停車の措置が遅れたかのいずれかにより間に合わず、軌道内に転倒した(亡)大輔を轢過した。

本件事故は、被告会社の被用者である竹迫運転士が、その業務に関し生ぜしめたものであるから、被告会社は民法七一五条により(亡)大輔及び原告両名に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

3  損害

(一) (亡)大輔関係 金二一四七万五四七二円

(1) 逸失利益 金一四四七万五四七二円

死亡当時四歳であったから、昭和五四年度男子労働者平均給与年額三一五万四九三五円(昭和五三年度賃金センサス男子労働者平均給与年額三〇〇万四七〇〇円の一・〇五倍とする。)、就労可能年数を高校卒一八歳から六七歳までとしてのライプニッツ係数九・一七六四、生活費割合を五〇パーセントとして次のとおりになる。

315万4935×0.5×9.1764=1447万5472円

(2) 慰藉料 金七〇〇万円

(二) 原告両名関係 各金二三〇万円

(1) 慰藉料 金一〇〇万円

(2) 葬祭料 金三〇万円

右は葬祭料金六〇万円の二分の一である。

(3) 弁護士費用 金一〇〇万円

被告は任意の支払に応じないので、本件訴訟を弁護士に委任したが、そのうち各原告分金一〇〇万円は被告が負担すべきである。

(三) 相続

原告ら両名は(亡)大輔の両親であるから同人の相続人であって、同人を各二分の一の割合で相続した。

4  よって原告らは被告に対し、それぞれ右合計金一三〇三万七七三六円宛とこれに対する本訴状送達の翌日である昭和五五年七月五日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  第1項中(四)の事故の態様は否認するが、その余の事実は認める。

2  第2項中、(一)の路面電車運転士の一般的注意義務については争わないが、その余の事実は否認する。但し、竹迫運転士が被告会社の社員であり、本件事故がその業務中に発生した事故であることは認める。

3  第3項はすべて不知。

三  被告の主張

訴外竹迫は、金田電停を出て推定時速三五キロメートルで進行中、右側歩道上に(亡)大輔を含む二、三名の子供が佇立しているのを認めていたが、子供らの前の車道を普通貨物自動車が通過し、その直後(亡)大輔が右斜前方三五・五メートルの軌道線外一・五メートルの地点から事故車の軌道に走り込むのを発見し、急制動措置を執ると共に警笛を吹鳴したが、要制動距離内であったため事故を避け得なかったものである。従って、同訴外人に過失はなく原告らの請求は理由がない。

四  原告の反論

訴外竹迫は、時速三〇キロメートルを下廻る低速で事故車を運転していたもので、(亡)大輔らが歩道上に佇立していたのを現認し、それからやや斜め北側向きに三・七メートル程度車道に走り込むまで約三秒間の間前方不注視により同人を発見し得なかったか、又はこれを発見しながら何らの措置を執らず、この時点に至って初めて減速制動措置を執ったうえ、事故発生直前に相当低速となって初めて急制動措置を執ったに過ぎず、又警笛を吹鳴することもないまま、原告ら主張のとおりの注意義務に違反して本件事故を惹起したものである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因第1項は(四)の事故態様を除いて当事者間に争いがなく、同第2項中訴外竹迫秀喜運転士(以下単に訴外竹迫とのみいう。)が被告に使用され、本件事故がその業務執行中に発生したものであることも当事者間に争いがない。

二  そこで、本件事故の態様についてみるに、《証拠省略》を綜合すると次の事実が認められる。

1  本件事故現場は、これを南北に走る県道竪町到津線上で、道路中央に被告北九州線の路面電車軌道(複線)が敷かれ、東側が南行、西側が北行軌道となっており、後記接触(事故)地点は金田電停から竪町電停に向け、北方約一一三・八メートルの地点である。そして、右現場の県道幅員は約一四メートル、軌道敷部分のそれは約六・七メートルで、その東側は幅員約三・八〇メートルの南行車道、西側は同約三・五〇メートルの北行車道で車道部分はアスファルト舗装され、軌道敷部分は、例えば乳母車を押して横断するのに難を感じる程度の凹凸のある敷石が敷かれている。又同道路の東側は幅員約三・二メートル、西側は同約一・三メートルの歩道となり、現場付近は北に向って一〇〇〇分の二〇の下り勾配となっている。

2  金田電停から竪町電停に向けては直線道路で南北いずれからの見透しも良く、制限速度は時速四〇キロメートルとされており、事故当時の天候は雲、交通量は普通程度であった。

3  訴外竹迫は、乗客約六〇名を乗車させた事故車(車幅二・四〇メートル、定員一三〇名)を運転し、金田電停から竪町電停に向け徐々に加速しながら北進し、発車間もなくの三・四〇メートル進行した地点で右方前方七・八〇先の歩道上に(亡)大輔外二名の子供が佇立していたのには気付いていたが、そのままさらに三五ないし四〇メートル余り進行したところで子供達の前の南行車道を南に向けて普通貨物自動車が通過し、その影になって同人らの動静は一瞬見えなくなったが、同自動車の通過直後(亡)大輔が小走りに道路横断を開始して南行軌道の外軌から一・四メートルまで至っているのを発見し、危険を察知して突嗟に空気、電気両ブレーキによる急制動措置を執ると共に短急警笛を一回吹鳴した。右の急制動措置が執られたとき事故車は後記のとおり接触地点にすでに三四メートル余まで接近し、時速約三〇キロメートル程度で走行していたが、(亡)大輔は事故車の急制動、警笛吹鳴に気付かないままやや北に向け斜めに北行軌道内の接触地点まで走り込んだところで事故車の接近に気付き、急制動のためその直前で殆んど停止するに近い緩慢な速度で向って来る事故車を凝視したまま動かず、結局これに接触転倒して轢過され、事故車はさらに約四・九メートル進行して停止した。

以上の事実が認められる。

三  本件では、原告らの主張は事故直後司法警察員により作成された実況見分調書の記載に、被告らの主張は右実況見分の直後に被告社員により作成された事故報告書(乙第一号証)に依拠してその主張を展開するところではあるが、右各証拠はいずれも訴外竹迫の事故直後の鮮明な記憶を基礎としながら、最も重要な急制動措置を執った地点が八・二メートルも喰い違うなど顕著な対立を示している。宮田証言によると、右乙第一号証は、同人らが実況見分終了直後に現場において再び訴外竹迫から事情を聴取し、関係距離を検尺のうえ、帰社後宇都宮指令主任にこれを報告し、現場に赴いていない同指令主任の責任で作成された内部報告文書であり、しかも一貫して事故車が通常この地点を時速約三五キロメートルで走行しているとの前提に立ち、従って、その内容はこれに要する制動距離との関係が矛盾なく説明される形となっている。右の点からすると、事を辻褄合わせに過ぎぬとする原告らの主張もあながち理由のないことではなく、右主張を直ちに排斥し難く他に特段の事情のない限り、司法警察員により作成された前記実況見分調書をして一応証拠としての証明度をより高いものとして採用せざるを得ない。ただしかしながら、原告らは、右実況見分調書中には、「訴外竹迫は接触地点から約四四・七五メートル手前に差しかかった際右斜め前方三四・七メートルの歩道上に(亡)大輔らを認め、さらに八・二メートル進行した地点で、歩道から斜め北に約三・七メートル車道に侵入した同人を認めて危険を感じた。」との記載があることを根拠に、当時四歳であった(亡)大輔が右のとおり三・七メートルも進行するについては三秒を下廻らない時間を要するから、この間において事故車が八・二メートル程度しか走行していないことになると、急制動開始当時の事故車の速度は相当の低速で進行中であった(逆算すると時速約九・八キロメートルとなる。)とし、乗客の中に急制動措置による激しいショックを感じた者の無いことをもその証左となると主張する。

しかしながら、《証拠省略》によると、

1  本件事故車が金田電停を発車して、七・八〇メートル進行した地点では、通常その速度は三五キロメートル程度に加速されており、本件事故直前において訴外竹迫にして通常の状況と異なって特に低速走行しなければならない事情もなかったこと。

2  ちなみに、事故車の事故当時と同一条件下における要制動距離とその所要時間は

(時速)

(距離)

(時間)

三五キロメートル

四二・九メートル

七・八秒

三〇 〃

三一・五 〃

六・六〃

二五 〃

二二・〇 〃

五・三〃

二〇 〃

一四・六 〃

四・二〃

であること

3  路面電車の急制動措置を執っても、自動車と異なり一般に乗客の転倒など急激なショックは必ずしもこれを伴うものではなく、又当時事故車の乗客は大半が座席に着いていたこと

がそれぞれ認められ、この事実によると急制動措置を執る直前の事故車の速度は、時速三〇キロメートル程度と推認でき、一方他にこの点に関する目撃証人等のない本件では、実況見分調書のこの部分(特に運転台の前方約三〇メートル余の瞬時の(亡)大輔の動きを訴外竹迫において精確に認識していたとするのは無理である。)の記載のみから逆に事故車の速度を推認するには躊躇せざるを得ず、この点に関する前記二、3の認定を妨げる証拠は無いというべきである。

四  併用軌道を走行する路面電車の運転士は、その軌道上に人車の進入する可能性が極めて高く、その際自ら進路を変更してこれら障害物を避譲することができないのであり、加えてその要制動距離が自動車等に比し相当長いのであるから、特に前方の安全を確認して軌道上の障害物の早期発見に努めることは勿論、要制動距離内にこれら障害物が進入する危険のある場合は直ちに減速、徐行して万一これらが軌道内に進入した場合は何時でもその直前で停止できるよう、又状況によっては直ちに急制動措置を講じて一旦停車するなどして、事故を未然に防止すべき義務があるといわねばならないことは原告ら主張のとおりである。

これを本件についてみる場合、前記認定事実によると、訴外竹迫は金田電停を発車して間もなく、七・八〇メートル前方の歩道上に二・三名の幼児を発見したというのであるが、本件現場道路は、幅員約一四メートルもあり、進行軌道と反対側の歩道上に幼児が佇立しているのを認めたとしても、これが道路を横断する態勢にあるなどの特段の挙動が認められない限り、直ちに南行車道、南行軌道を越えて北行軌道に進入するとまでは通常予測できないのであるから、この段階で同訴外人に直ちに減速、急制動措置を執るまでの注意義務は存しないものといわねばならない。

又、訴外竹迫が前方不注視の過失により(亡)大輔の発見が遅れて本件事故を惹起せしめたというためには、同訴外人が本件接触地点から制動に要する三一・五メートルの地点に至る前に(亡)大輔が北行軌道に進入し、又は進入する危険を認め得たこと、これにより急制動措置を執り得たことを要すると解されるが、前記認定事実によると、歩道上に佇立していた(亡)大輔は、その直前を通過した普通貨物自動車(なお、その直前を通過した貨物自動車が存在したことは、運転士である訴外竹迫が前記実況見分時から一貫して主張するところであり、十分にこれを認めることができる。)の通過直後道路に走り出したもので、竹迫から見れば同児が小走りに横断を開始した当時は右貨物自動車の死角となってこれを認め得ず、再び同人を認めて危険を感じて急制動措置を執った時点では、すでに事故車は接触地点の手前約三〇メートルの地点に至っており、その結果急制動措置の甲斐もなく本件事故に至ったものであるから、訴外竹迫に前方不注視の過失があったとはいい難い。本件事故により、将来ある我子を失った原告らの心情には察するに余りあるものがあるが、訴外竹迫に右のとおり過失が認められない以上、右過失の存在を前提とする原告らの被告に対する民法七一五条に基づく請求も理由がない。

五  してみると、原告らの請求はその余の点につき判断するまでもなくいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡邉安一)

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