福岡家庭裁判所 昭和55年(少ハ)1号 決定 1980年2月19日
少年 T・T(昭三四・一一・二九生)
主文
本人を昭和五五年八月二五日まで、大分少年院に継続して収容する。
理由
一 本件申請の趣旨及び理由は、別紙記載のとおりである。
二 当裁判所の調査、審理の結果によると、
1 本人は、傷害、虞犯保護事件により、当裁判所において昭和五四年二月二六日付で特別少年院送致決定を受け、同年三月一日大分少年院に収容されると同時に二級下(新入時教育課程)に編入され、同年四月一二日付で二級上(中間期教育課程前期)に、同年八月一六日付で一級下(中間期教育課程後期)に各進級したこと、
2 この間、本人においては、更生への意欲もみられる一方で、同年四月下旬頃及び七月下旬頃にそれぞれ喧嘩、喫煙等の規律違反を惹起し、更に、同年一一月二八日にはボールペンで他少年の下顎付近を刺してかすり傷を負わせるという事件に及んだことから、同年一二月五日付で謹慎二〇日、減点一〇〇点の処分に付されたこと(なお、この間、少年院法一一条一項但書により、昭和五五年二月二五日まで収容継続がなされたものと認められる。)、
3 そのため、本人に対する処遇は当初の計画通りはこばなくなり、結局、予定より約一か月半遅れた昭和五五年一月一七日付で一級上(出院準備教育課程)への進級がなされたこと、
以上の各事実が認められるところ、右は、おおむね本件申請の理由中において記載されている内容と合致するものである。
三 このように、本人に対する処遇は全体的にみて一進一退の経過を辿りつつ、現在ではどうにか一級上にまでに進級することができたのであるが、入院以来の、右のような規律違反を含む本人の行動には、前記特別少年院送致決定の対象となつた非行との類似点が随所に見受けられるのであり、現状では、未だ、従前から本人にかかわる問題点として指摘されているところの暴力団への親和性が完全に払拭され、その犯罪的傾向が矯正されたとは言い難いと考えざるを得ない。
四 他方、本人が収容されて以来、保護者は、手紙により本人との意思疎通を図つてはいるものの、面会に訪れたことは一度もなく、また、父においては現在入院中であるなど、本人退院後の保護的環境が十全であるとはにわかに断じ難い状況にあると言える。
五 以上によれば、本人に対する今後の処遇が順調に経過したとしても、通常、出院準備教育のためには約四か月程度の期間が必要とされていることから、本人についての収容期間満了日である昭和五五年二月二五日までにそれを履修させるのは困難と解されるうえ、右の履修半ばで本人を退院させ、以後における矯正、保護の手を打切るとなると、収容以来これまでの本人に対する矯正教育の効果が無に帰するにひとしい結果となることも予想され、したがつてまた、本人において再び暴力団へ接近、復帰するのではないかという懸念も強まり、その予後に多大の不安が残つてくると言わざるを得なくなるのである。
その他、本件申請がなされたことについては、本人自身も、自己に非があり己むを得ないものと認めていることをも考慮すると、右収容期間の満了をもつて本人を退院させるのはこの際不適当と判断されるのである。
そこで、本人の更生を十分なものとするためには、本件申請のとおり、本人に対する収容期間を昭和五五年八月二五日まで更に六か月間継続するのが相当と認められる。
六 但し、如上の諸事情のほか、本人においては、現在一応落着きを取戻し、退院後は自動車整備関係の仕事を目指したいとの意向を示し、最終的な処遇目標の達成に向つて積極的に取組もうとする姿勢をみせはじめていることも窺えるので、右期間のうち、当初のおおむね一か月半をもつて所定の教育課程を履修させることを含めた矯正教育期間とし、これが修了した時点で本人を仮退院させ、残りのおおむね四か月半をもつて保護観察による社会復帰のための指導、援助期間に充てることが望ましいと思料される。
よつて、少年院法一一条四項を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 石村太郎)
別紙
一 収容継続の期間
昭和五十五年八月二十五日まで(所定の教育課程を修了させるための期間おおむね二か月半と保護観察期間約三か月半を見込む。
二 収容継続申請の理由
1 本人については、個別処遇計画に基づき「暴力団からの離脱」、「勤労意欲、忍耐力の高揚」、「自己どう察の深化」、「生活設計の確立」を個人別教育目標とし、そのそれぞれに段階別到達目標を設定して処遇しているところである。
2 入院当初は、暴力団への志向や暴力団員的態度はみられたが、陰茎の玉入れの除去を申し出るなど意欲的なところもみられた。中間期教育課程(前期)に編入間もなく規律違反(けんか)を起こしたが、その後は自重した生活態度を示していた。しかし同課程の修了直前になつてグループによる規律違反(喫煙)を行つたので中間期教育課程(後期)への編入を二週間保留して、強くその自覚を促するための指導を行つた。
中間期教育課程(後期)編入後は、無事故賞(十二週)職業補導努力賞、文化賞等を受賞するなど前向きの姿勢がうかがわれたが、昭和五十四年十二月五日、同僚少年に対する暴行、傷害事故を起こしたため謹慎二十日減点百点の処分に付し、改めてその自覚と反省を促すための指導を行つているところである。
3 本人は、今後順調に良好な成績で推移するとしても、収容期間の満了日である昭和五十五年二月二十五日までには、当院での矯正教育の仕上げの段階である出院準備教育課程の大部分を履修できない状況にあり、そのまま出院させることはそれまでの当院での矯正教育の効果を実効のないものとしてしまう恐れがある。
しかも現在までの時点では、暴力団からの離脱の意志も明確でなく、入院以来の規律違反の内容も、入院前の非行との類似点が多く、その行動傾向も改善されたとは言い難い。
4 右のような状況から、本人については出院準備教育の全課程を履修させ、その段階別到達目標を達成した時点で仮退院させて、保護観察による施設外処遇へ移行させることが、本人の更生には不可欠であるものと思料される。
以上