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福岡家庭裁判所久留米支部 昭和34年(家イ)68号 審判 1959年9月22日

申立人 太田キヨ(仮名)

相手方 太田正治(仮名)

主文

一  申立人と相手方とを離婚する。

二  申立人と相手方との間の未成年の子

長女加代子(昭和二四年一二月○○日生)

三男忠三(昭和二六年一一月○○日生)

四男芳康(昭和三一年七月○日生)

の親権者を申立人と定める。

理由

申立人は主文同旨の調停を申立て、その申立にかかる実情の要旨は次のとおりである。

申立人と相手方とは、昭和二〇年一一月○○日中村大作の媒酌により事実上の婚姻をして式をあげ、昭和二四年一二月○○日婚姻の届出を了し、爾来夫婦として同棲し、その間長女加代子、三男忠三、四男芳康(長男二男は早世)をもうけた。相手方の父太田忠吾は、田畑約一町一反歩の自作農を営み、申立人は、相手方と共にその手伝をするかたわら、主婦として誠実に相手方および相手方の両親につかえて今日に至つているのであるが、相手方は生来放蕩癖があり、女遊びや賭博等にふけつて金銭を浪費し、金策に窮してはひそかに父の耕作米を持出して闇売りを行い食料管理法違反のかどで処罰を受けたことも数回におよび、あまつさえ相手方は、約三年前以来今日に至るまで山中カズ(当四〇年位)と関係を結び、現在は熊本県鹿本郡○○村大字○○番地不詳田坂松吉方に同棲して申立人の家庭を顧みず、ためにその間申立人は、相手方の老齢の父母を扶けて農業にはげんで孝養をつくすと同時に、上記三名の子女の教育に専念しながら、相手方がその非を反省悔悟して申立人の家庭に帰来するのを待つているのであるが、相手方は、少しも反省の色を示さず依然として上記のように山中カズと同棲し、悪意をもつて妻たる申立人を遺棄しているので、申立人は、これを原因として相手方との離婚を求め、あわせて、相手方の両親や親族の意向、資産生活の状況、上記三名の子女の幸福等諸般の点から見て、同三名の子女の教育は、申立人の手もとでするのが至当であると思料されるので、その親権を行う者を申立人と定められたく、本件調停の申立におよぶ次第である。というにある。

本件調停の経過をみるに、相手方は事件について適式の呼出を受けながら第一、二回の調停期日に、いずれも出頭しないために、調停はついに成立の余地がない。ところが、申立人本人の審問の結果及び証人太田忠吾の証言、申立書添付の戸籍謄本、相手方作成名義の裁判長家事審判官あての各書面の記載を綜合すれば、実情は申立人の申立てるとおりであるのみならず、相手方の父太田忠吾は、相手方の素行がおさまらないのにひきかえ、かげひなたのない申立人の忠節に感動し、忠吾の妻ミヨと共に余生を申立人に託すべく財産の安全をはかり、相手方が忠吾の推定相続人たることの廃除の確定審判をえて、昭和三一年一月一六日その届出を了し、申立人と相手方との離婚ならびに、上記三名の未成年の子女の親権を行う者を申立人と定めることについては、相手方自身においても何らの異議を存しないことが認められる。もつとも、このような措置は人間通常の生活からすれは異例に属するところであり、この点については、父忠吾においても深く思いを致しているところであつても、もし相手方において真実飜然悔悟し、その非を改め、事実をもつてそのことを示し、申立人のもとに帰来するときは、周囲の事情の許すかぎり、相手方を喜こび迎え入れるのにやぶさかでないのはもとより、申立人自身もまた同様の心情であることは、これを窺知するに難くないではあるが、事態現在の状況のもとでは、本件調停申立の趣旨を容認するのが相当であると認められるので、調停委員中島ツネヨ、同緒方時義の意見をきき、当事者双方のため衡平に考慮し、一切の事情を勘案し、家事審判法第二四条に則り、事件解決のため、主文のとおり審判する。

(家事審判官 柳原幸雄)

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