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福岡家庭裁判所久留米支部 昭和48年(少)259号 決定 1973年10月13日

少年 K・Y(昭二九・九・一二生)

主文

この事件について、少年を保護処分に付さない。

理由

一  本件送致事実の要旨

少年は、昭和四八年七月一五日午前一時三〇分ごろ、久留米市○○町×丁目××番地○○生命○○○ビル前道路上において、久留米警察署によつて無謀操縦する多数の違反自動車、いわゆる暴走族の取締りがなされているのを見物中の群衆が車道にはみ出し一般車両の通行に危険を生ぜしめたので、同所において久留米警察署応援の福岡県警察機動警ら隊員が警告のうえこれら群衆を車道から排除しようとしていた際、採証検挙班員(写真係)としてその状況を撮影していた福岡県巡査○松○憲(当時三三歳)に対し、「お前は何ばしよつとか」などの怒声を発しいきり立つ群衆約三〇〇名の先頭に立つて同巡査の胸を手で押しついでその体を押したり引いたりするなどの暴行を加えたものである。

二  当裁判所の判断

少年は、本件で現行犯逮捕されてから終始一貫して自らは○松巡査に暴行はしていない旨強く主張し、当審判廷においてもこの旨争つている。

そこで、非行事実の存否について審究するに、○松○憲の検察官に対する供述調書、同人作成の「申立書」と題する書面の謄本、K・Gの司法巡査に対する供述調書謄本、K・T子の検察官に対する供述調書、司法巡査○松○憲ほか二名作成の現行犯人逮捕手続書、司法警察員○野○機作成の現行犯人逮捕手続書謄本、少年の司法警察員に対する供述調書および当審判廷における供述を総合すると、昭和四八年七月一五日午前一時三〇分ごろ、高速度で自動車および原動機付自転車等の無謀操縦を行なういわゆる暴走族が国鉄久留米駅方向から久留米市のメインストリートである明治通り(国道二六四号線)を大分県日田市方向に走り去つた後暴走族を見物に来ていた多数の群衆が久留米市日吉町附近の明治通り車道上に喚声をあげていつぱいにひろがり混乱状態になつたので、機動隊がこれを直ちに歩道上に排除したが、その際同町×丁目××番地○○生命○○○ビル前明治通り車道上で群衆が歩道上に排除されるのを撮影していた公安捜査隊採証検挙班写真係の○松○憲巡査ら三-四人の私服巡査が一たん両側の歩道上にあがつていた約三〇〇人の群衆に突然そのぐるりをとりかこまれて胸ぐらをつかまれたり、蹴られるなどの暴行を加えられ、このため規制を終つてその場をひきあげていた機動隊が救出にかけつけて群衆を排除したこと、その際少年は○松巡査と応援の機動隊員の○田巡査、○添巡査に暴行の現行犯人としてその場で逮捕されたことが明らかである。

前記のとおり、少年は本件非行事実を強く争つており、前掲関係各証拠によると、本件現場には少年の母や兄も居合せたのであるが、少年の逮捕される直前の行動については、現場が混乱していて、母、兄はもとより逮捕にあたつた○田、○添の両巡査もこれを現認していないので、少年の非行事実の存否は少年および○松巡査の各供述がどの程度信用できるかにかかつてくるものといわざるを得ない。

○松○憲作成の「申立書」と題する書面および同人の検察官に対する供述調書によると、○松巡査は当時の状況について、「写真撮影していたところ、歩道上の群衆の一部が「何ば写しよるか、やつつけろ」などと叫ぶと同時に歩道上の群衆が一致団結したように両側の歩道や安全地帯からざあつと押し寄せてきて取り囲まれ、その勢で胸ぐらをつかまれたり蹴られたりした。自分はカメラをとられないように腹のところでカバーし転倒しないようにしていた。群衆は機動隊がくるとくもの子を散らすように逃げた。少年は両手で自分の胸とか肩を前から突いたと思う。この男は機動隊が来たとき逃げおくれたというか自分の横にいたので逮捕した。暴行を加えたのはこの男だけに限らず数百人の群衆が自分に押し寄せてきて腹を突く者もあり、足を蹴る者もいて自分をもみくちやにした。」旨述べている。しかしながら、○松巡査の供述は少年の暴行の態様についてあいまいであるうえ、前記の事実から明らかなとおり、暴走族見物中の群衆は○松巡査の写真撮影に刺激されて興奮状態におちいり、同巡査らのまわりに押し寄せ多数でもみくちやにして暴行しており、○松巡査もカメラと自己の身体をまもることに夢中であつたと認められ、このような本件現場における興奮状態、混乱状況を考慮すると、○松巡査の供述は直ちには採用し難いものである。

ところで少年は当審判廷において「自分は歩道と車道の緩速地帯の外側(車道側)にある安全地帯(グリーンベルト)の上にいたが、カメラマンが自分達のいる方に近づくと群衆が「ワアー」といつて動き出し、後方の歩道上にいた人から押されて車道上に押し出されそうこうするうちに警察官に逮捕された。カメラマンは新聞社の人と思つていた。自分はののしつたりしていないし、指一本触れていない。当時仕事場でヂャッキを右足首におとして右足を痛めていたので人に乱暴できる状態ではなかつた。本件当時は下駄をはいていた。逮捕されたとき何もしていないと抗議したが聞きいれてもらえなかつた。」旨供述し、足の負傷の点をのぞいては警察官に対してもほぼ同様の供述をしている。そして右の供述および前掲関係各証拠によると、少年が安全地帯にいたことから本件当時群衆の先頭部分に位置し○松巡査らと接触した可能性はあるが少年が本件当時右足を負傷し(この事実は少年の父であるK・Xの当審判廷における供述、母であるK・T子の検察官に対する供述調書により明らかである。)、十分に行動の自由がきかなかつたこと、群衆が逃げ去つた後もその場にとどまつていたため逮捕されたこと(少年は何も悪いことをしていないので逃げなかつた旨供述している)、逮捕現場で自分は何もしていない旨抗議し、その後も本件非行を否認し続け、当審判廷における供述態度も真摯であること等を考慮すると、少年の供述を単なる弁解として直ちに否定し去ることはできない。

以上のとおり、本件非行の唯一の証拠である○松○憲の供述は、少年の供述ならびに前掲関係諸証拠に照して採用し難く、結局本件は前記非行があつたことを認めるに足る証拠がないことに帰するので本件は非行なしとして終局させるのが相当である。従つて、本事件について少年を保護処分に付することができないので、少年法二三条二項前段により主文のとおり決定する。

(裁判官 吉本徹也)

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