福岡家庭裁判所小倉支部 昭和54年(少)3862号 決定 1980年1月11日
少年 N・H(昭三九・五・一八生)
主文
少年を初等少年院に送致する。
理由
(審判に付すべき事由)
少年は昭和五四年春頃から生活が乱れ、暴走族の青少年と交際し毎晩のように深夜外出を繰返えしていたが、次いで外泊家出に発展、繰返えし不特定の異性と性関係を結ぶに至つた。この為同年六月一八日北九州市児童相談所において養護施設である○○○○園に措置されたが、少年は同園に馴染まず、喫煙、飲酒、シンナー遊び、異性との交遊等、園の指導に反発して勝手気儘な行動に終始していた。この結果同年九月一九日北九州市児童相談所に一時保護されるに至つたが累次に亘り同所を無断で脱け出し放浪生活を繰返えしていた。同年一一月五日少年の所在が判明し、児童相談所に一時保護された上前同月九日教護院である山口育成学校に措置されたが、その翌日である一一月一〇日には同院を脱け出し、偶々知り合つた男性と共に九州一円は勿論大阪、富山など全国各地を車で放浪し、同年一二月一七日大分県内で保護されるに至つたものである。
以上の次第であり、少年は保護者の正当な監督に服さず、シンナー吸飲、不特定の異性と性関係を結ぶなど自己の徳性を害する性癖があり、この儘放置すればその性格環境に照らし刑罰法令にふれる行為をする虞れがあるものである。
(法令の適用)
少年法三条一項三号イ、ニ
(処遇決定の理由)
一 少年の生育歴、家族関係等
少年は一歳時実母と生別、二歳時継母を迎えたが当時実父は土工として飯場を転々継母は飯場の賄婦をしていた等の事情から飯場の土工らのペツトのような存在で幼時期を過した模様である。少年が小学校に入学する直前頃、三重県四日市市の市営住宅に入居し、暫くは落着いた生活を送ることができたのであるが、その生活も一年足らずで実父が交通事故で急死したため破れてしまつた。その後北九州市在住の伯父夫婦に引き取られ、伯父夫婦との間に養子縁組もなされ、以来最近に至る迄外形上は一応安定した環境の中で生活をして来ている。然し乍ら、伯母は養子縁組は勿論、少年を引き取ることにも強く反対していたもので、事毎に少年に冷たく当つていた模様である。少年は小学校在校当時から屡々金品持出し等の形で伯母に反抗を示していたが、昭和五四年春頃から深夜外出、外泊更には家出等公然たる反抗の姿勢を示すに至つたものである。なお昭和五四年一〇月三一日少年の強い希望により養親子関係は解消されている。又実母、継母は現在のところ所在が判つていない。
二 少年の資質、性格等
知能はすぐれている。(IQ=一二〇)、上記の生育歴の影響か、誰とでもすぐ親しくなれる社交性と、どんな環境にもすぐとけ込んで行く適応力を身につけ、不快なことはすぐに忘れ去つてしまい、次々と新しい事態に取組んで行く積極性を持つて居り、就中その行動力は抜群といえる程のものを持つている。
ところが規範意識、価値観が内面化されておらず衝動のままにすぐ行動に移して行くため、親しい人を次々と裏切る結果となり然も悪いことをしたという意識が乏しくケロリとしており裏切り行為を責められると、時に激しい攻撃行動に出ることもある等のことから周囲の人総てから見捨てられる状態に陥つてしまつている。この結果最近においては暴走族など若い男性と次々に性関係を結び、やさしくしてくれる人甘えさせてくれる人を求めて放浪生活するに至つているものである。
三 本件は強制措置申請であるが、児童相談所当局は本件申請後、鬼怒川学園の担当官を交え検討の結果、少年の資質性格等にその優れた行動力と知能(悪知恵という表現をとらざるを得ない)の点からたとえ強制措置の許可が得られたにしても教護院の処遇の限界を超えていると判断に傾き、少年院送致を強く希望するに至つている。以上の諸点から、本件申請には虞犯事件の通常送致の趣旨が予備的に含まれているものと解し、少年を初等少年院に送致するのを相当と認め、尚この場合本件強制措置申請はその必要がないからこれを許さないこととし、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 助川武夫)