福岡高等裁判所 平成10年(う)4号 判決 1998年5月25日
本籍
福岡県嘉穂郡頴田町大字鹿毛馬一一一一番地
住居
右同所
会社役員
梅田親義
昭和一一年三月二五日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成九年一二月一日福岡地方裁判所が言い渡した判決に対し、検察官及び被告人から各控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官中野寛司出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年及び罰金一五〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは金二万五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
検察官からの控訴の趣意は、検察官櫻井正史作成の控訴趣意書に記載されたとおりであり、被告人からの控訴の趣意は、弁護人桑原昭熙作成の控訴趣意書に、これに対する検察官の答弁は検察官中野寛司作成の答弁書に、各記載されたとおりであるから、これらを引用する。
一 弁護人の控訴趣意
1 控訴手続きの法令違反の主張について
所論は、要するに、原判決は、被告人が梅田勝成(以下「勝成」という。)と共謀のうえ、原判示の第一ないし第三の所得税のほ脱行為に及んだ事実を認定しているが、本件起訴は被告人の単独行為として提起され、原審第一回公判での弁護人から検察官に対する求釈明で、検察官は「単独犯としての起訴である。」と明言したものが、第三回公判において勝成との共謀に訴因の変更請求がなされ、裁判所はこれを許可する決定をなしたものであるところ、被告人を単独犯とする本件起訴状を作成するに基にした証拠を、そのまま公判廷で証拠調べし、何ら別途新たな証拠の追加はなされておらず、また単独犯としての起訴であることを明確に釈明もしているのに、検察官は、共謀への訴因変更を請求したもので、検察官のかかる措置は、信義則に反し、誠実な権利行使とはいえず、権利の濫用であり、刑訴法一条、刑訴規則一条二項に違反し、またこれを許可した原審の決定は違法・無効であるから、共謀の事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明かな訴訟手続きの法令違反がある、というのである。
しかしながら、原審記録を検討するに、原審第一回公判において、検察官は「本件は、被告人の単独犯としての起訴であり、本件公訴事実としては共犯者はいない。」旨釈明し、引き続き、被告人及び弁護人とも、具体的なほ脱税額については定かでないとしながらも、公訴事実を認める陳述をなし、次いで第二回公判において、検察官から訴因変更を検討中である旨表明がなされたのに対し、弁護人からは訴因がどのように変更されるか明確になってから被告人質問をしたいとして、予定の被告人質問が第三回公判に延期され、第三回公判冒頭において、検察官は勝成との共謀に訴因の変更請求をなしたのに対し、弁護人から前記所論と同旨の異議の申出がなされたが、裁判所はこれを許可する決定をなして訴因の変更がなされ、被告人質問が実施され、弁護人からは格別証拠請求のないまま、第四回公判で結審にいたったこと、検察官請求証拠のうち、被告人と勝成との共謀を自白した検察官調書については、信用性を争うとしながらも、第一回公判で検察官請求の他の書証とともに同意がなされ、取り調べられていること等の経緯に鑑みるに、確かに審理手続きの進行において検察官の対応に適切を欠く面があったことは否めないが、被告人の防御に特段の不利益をもたらすまでのことはなく、その訴因変更手続きに何らの違法も認められないから、これを許可した原審の訴訟手続きに法令違反の廉はなく、論旨は理由がない。
2 事実誤認の主張について
所論は、要するに、被告人は本件平成四年から同六年度の所得について具体的な金額の認識はなく、しかも申告に係る所得額が正当な所得額より少ないことを認識したのはその申告後のことであって、ほ脱の故意自体の成立が認められないだけでなく、勝成に本件各年度の所得税のほ脱について何ら具体的な指示をしたこともなく、同人との間にほ脱の共同意思の形成はないから、被告人に対し、ほ脱の実行行為者である勝成との共謀を認定し有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼす事実誤認がある、というのである。
しかしながら、相互に符合し、内容も合理的であり(加えて被告人の供述は各年度の売上額等の認識の曖昧な点は曖昧なものとしてそのまま述べられ、自然な供述となっている。)、いずれも信用性があると認められる被告人及び勝成の各検察官調書を初め原判決挙示の関係証拠によれば、原判決が「事実認定についての補足説明」の項で概ね説示するとおり、<1>梅田石材店の商号で、墓石・石材の製造販売業を個人経営していた被告人は、平成二年から経理事務を担当させ、所得税の申告手続きにも当たらせていた長男の勝成に対し、平成三年一二月三一日ころ、平成三年分の所得税につき、前年分を少し上回るくらいの事業所得にしてほ脱するように指示し、勝成においてはこれに従い売上げの一部を抜いて事業所得を過少申告した所得税の申告手続きをなしたこと、<2>被告人は右指示をなした際、平成三年からの売上げ増の原因となった福岡市分譲の福岡霊園における墓石販売が同八年ころまで継続することが見込まれており、この間の所得についても過少申告するつもりであり、以後も勝成が被告人の意図を理解して従前同様に所得を過少申告して脱税を続けてくれるものと考えていたこと、<3>勝成は被告人から前記の指示を受けた後、被告人からそれを改めるようにとの指示も受けていないうえ、平成四年から同六年分の所得税確定申告について、後述のとおり税務署に当該申告書を提出する際に、被告人から異議を述べられなかったことから、被告人の当初の指示はそのまま継続しているものと了解し、本件脱税を続けたこと、<4>被告人は平成四年から同六年の自己の所得額の詳細は知らなかったものの、勝成から、右各年度の被告人の所得税確定申告に際し、その都度、申告手続き前に、当該年度の申告事業所得額及び申告所得税額の概算額の説明を受けていたが、申告所得額が実際の所得額を下回ったものであることに気付き、従前同様脱税していることを承知しながら、何らの異議をとなえることはなかったことが認められるところであり、以上認定の事実によれば、被告人と勝成との間には、被告人の平成四年から同六年度の各所得税のほ脱につき意思の連絡があったことは優に認められ、共謀の成立が認められる。
また、被告人には、右認定のとおり、平成四年から同六年度分の確定申告につき、正確な金額までは把握していないものの、所得の過少申告がなされ、所得税のほ脱に当たることの概括的な認識があり、故意の成立に欠けるところもない。
その他、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実調べの結果を併せ検討しても、原判決の証拠の取捨判断、事実認定に誤りはなく、論旨は理由がない。
二 検察官の控訴趣意
所論は、原判決は、原判示第一ないし第三の所得税法違反の行為を認定した上、原判決挙示の各法条により、主文において、「被告人に対し懲役一年及び罰金一五〇〇万円に処する。右罰金を完納することができないときは金一万五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。」旨の判決を言い渡したが、右判決は二年を超える期間の労役場留置を言い渡した点において法令の適用を誤った違法があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。
そこで検討するに、罰金の換刑処分を定める平成七年法律第九一号による改正前の刑法一八条三項は、罰金刑を併科した場合においては三年以下の期間労役場に留置することができる旨定めているが、右条項にいう罰金刑の併科は、併合罪でありながら、同法四八条二項の適用がないため、数個の罰金を科す場合及び確定裁判の介在により、併合罪関係がないため、各罪別に数個の罰金を科す場合を指称するものであり、本件は右場合に該当しないことは明白である。したがって、本件において、被告人を労役場に留置できる期間は、同法一八条一項により二年以下であるというべきであるから、原判決が被告人に対し罰金一五〇〇万円に処するとともに、換刑処分を一日一万五〇〇〇円とし、二年を超える期間の労役場留置となる言渡しをなしたのは、法令の適用に誤りがあり、判決に影響を及ぼすことは明らかである。
三 そこで、刑訴法三九七条一項、三八〇条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書に従いさらに判決する。
原判決の認定した罪となるべき事実に原判決と同一の法令を適用し、その処断刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年及び罰金一五〇〇万円に処し、右刑法一八条一項により、右罰金を完納することができないときは一日を二万五〇〇〇円に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、同法二五条一項を適用して、右懲役刑につきこの裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予することとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 清田賢 裁判官 坂主勉 裁判官 林田宗一)
控訴趣意書
被告人 梅田親義
右の者に対する所得税法違反被告控訴事件(平成一〇年(う)第四号)の控訴趣意を、左のとおり述べる。
一 原判決には、法令の違反がある。
原判決は、被告人が梅田勝成と共謀のうえ、本件ほ脱行為を行ったと認定した。
しかしながら、公判調書に明らかなように、検察官の起訴状朗読後、弁護人の「本件起訴は単独犯としての起訴か」との訴因に対する釈明につき、検察官は、「単独犯としての起訴である。」との釈明をなし、その後、検察官請求の証拠について、すべて証拠調べを行い、検察官の立証は終了した。
言うまでもなく「訴因」は審理の対象であると共に、検察官において、犯行事実につき法律的に構成した主張でもある。勿論訴訟手続きは、審理・証拠調べの経過につれ流動するものであり、その結果、検察官において、当初に構成した主張を変更すべき、すなわち、訴因の変更の必要性が生ずることを否定するものではない。ところで、刑訴法は、憲法三一条法定手続の保障の規定をうけ、刑訴法運用の基本理念として、一条及び規則一条を設けており、訴因の変更といえども、誠実にこれを行使し、濫用してはならず、基本的人権の保障を侵害してはならない。本件において、検察官は、第三回公判において、「共謀」に訴因変更の請求を行い、そこで、弁護人は、これに対し、刑訴法一条・規則一条二項に違反するとの意見を述べたが、原審は、この訴因変更を許可する決定をなしたので、弁護人は、直ちに刑訴法三〇九条の異議を申し立てたが却下された。右の経過に明らかなように、検察官は、公判廷において証拠調べを請求した証拠に基づいて本件起訴状を作成し、起訴したもので、訴因変更請求の時点まで、右証拠以外には、何ら新たな立証はなされていない。してみると、検察官は、右証拠に基づいて、被告人の本件所為は、単独犯であるとの判断により起訴し、それ故、検察官は、第一回公判において、弁護人の釈明に対し、本件は単独犯としての起訴であると明確に釈明をなしたものである。しかるに、証拠関係においては、起訴時と同一で、訴訟状態にも何ら変化がなく、訴因を変更すべき合理的な理由がないにも拘わらず、「単独犯」であるとの前言を翻し、「共謀」に訴因を変更せんとするのは、信義則に違反し、誠実な権利を行使とは言えず、権利の濫用であり、右規則に違反するものである。
本件訴因変更請求は、以上のとおり、刑訴法並びに規則に違反しているものである。しかるに、原審が訴因の変更を許可したのは、違法な訴因変更請求を許可したことになり、右は、刑訴法一条並びに規則一条二項に違反した違法な決定で無効である。してみれば、本件公訴は、被告人の単独犯としての起訴であり、原審が「罪となるべき事実」を共謀と認定したのは、不告不理の原則にも違反し、被告人の人権を侵害したもので違法な認定である。
二 共謀について
仮に、訴因の変更が有効であるとしても、原審の認定した共謀の事実は、ほ脱の実行行為者である勝成が、本件起訴の対象となっていない平成三年分の税金申告につき、被告人がほ脱の指示をし、平成四ないし六年分の申告について、その中止を指示せず、勝成が、引き続きほ脱を指示されていると考えたこと、被告人において、引き続き勝成がほ脱をしてくれると考えていたこと、申告後ほ脱を承知しながら異議を言っていないこと、以上の諸点から「共謀」ありとの認定をなしたものである。本件における共謀は、証拠関係から明らかなように「共謀共同正犯」である。実行行為をなしていない者が、正犯としての刑責を問われるためには、「二人以上の者が特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となって互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よって犯罪を実行した事実が認められなければならない。」(最大判昭三三・五・二八集一二-八-一七一八)ところで、ほ脱犯は故意犯であり、その故意については、個別認識説と、概括認識説があるが、本件における被告人の所得に対する認識は、平成三年度と同じぐらいという概括的な認識だけであり、具体的な数額は認識しておらず、個別認識説による限り、被告人には故意は認められず、概括説によるとしても、被告人は、申告に係る所得額が正当の所得額より少ないことを認識したのは、申告後のことであり、事前には認識しておらず、いずれにしても、被告人に故意の成立は認められず、故意なきところに共謀の成立はない。
仮に共謀が認められるとしても、それは起訴されていない平成三年分の申告についてだけは、被告人は経理担当者に、ほ脱の指示をしているのであるから、共謀ありとする余地はそんざいするが、起訴にかかる平成四ないし六年分については、前記のように、被告人は所得額について正確に把握しておらず、また、ほ脱やほ脱額についても何ら具体的な指示をしておらず、ほ脱の共同意志の形成は無く、現実に経理担当者によって行われた申告額との間には認識の同一性が認められず、二人の間に、ほ脱自体および如何なる額のほ脱について共謀が成立したのか不明である。
しかして、ほ脱犯は一年ごとに一個の犯罪が成立するものであるから、共謀というためには、その年度毎に共謀がなされなければならない。証拠関係によると、被告人の前記ほ脱の指示は、「今度の税金申告の時には」とあるように、平成三年分についてのみの指示であり、平成四ないし六年分についての指示は含まれておらず、また、その後も、何らの指示もなされていない。もっとも平成四年にどのくらいの収入、損金が発生するのか、前年に知り得るものではなく、まして、二年、三年先の平成五年、六年の経理状況など知り得るはずはなく、そうである以上、それらについて、平成三年にどのように指示すべきか判断のしようもなく、指示がないのは当然である。原審は、平成三年分の申告に際してのほ脱の指示が、平成四ないし六年分の申告に当たり、経理担当者に対して取消されておらず、勝成は、指示が続いていると考えていたというが、本件の指示は、すでに述べたように、平成三年分の申告限りのもので、指示の内容からして、その指示が後年度まで続いているというのは勝成の一方的な考えであり、また、原審の言う被告人の意思も、考えていたというだけの一方的な考えに過ぎない。ところでほ脱犯は、前記のとおり、一年毎に一個の犯罪が成立するものであるから、共謀の成立はその年度毎に明確に存在しなければならないことは前記のとおりで論ずる迄もないもので、或る年度分についてなされた犯罪の共謀が、その時点に存在しない将来の他年度の事実に関する犯罪の共謀として容認されるものではないし、被告人および勝成が、右のような考えであったとの原審認定は、事実誤認であり、原判決挙示の被告人の捜査段階の供述及び勝成の検察官調書は、検察官の一方的な言い分を認めさせられた部分が多く、到底信用し得ないものである。仮に、双方にそのような考えがあったとしても、そのような考えは、相手に対し、明示は勿論暗黙のうちにも相手に伝えられた事実はなく、互いに知る由もなく、これをもって、共謀共同正犯の成立要件としての謀議があったと言うことはできず、「指示を取り消していない」というが、それは不作為であり、不作為による共謀はありえず、原判決が共謀の認定に供した事実は、いかなる意味においても、共謀ありと評価し得るものではない。
三 されば、公訴事実すべてについて共謀は認められず、被告人は、ほ脱については何ら関与しておらず、結果的に、公訴事実記載のほ脱があったとしても、被告人には何らの刑責はなく、公訴事実については無罪であり、原判決は破棄を免れない。
平成一〇年二月一〇日
右弁護人 桑原昭煕