福岡高等裁判所 平成11年(う)196号 判決 1999年9月07日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中八〇日を原判決の刑に算入する。
理由
一 本件控訴の趣意は、弁護人江口仁提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。
二 論旨は、要するに、原判決は、被告人が、本件当時殺意を有しなかったのに、殺意をもって被害者A(当時「B」)の頚部を絞めた旨認定しており、仮に殺意があったとしても、被告人は、頚部を絞める右行為を任意に中止したにもかかわらず、中止犯の成立を認めていないのであるから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認、ひいて法令適用の誤りがある、というのである。
そこで、まず殺意の有無について検討するに、関係証拠によれば、原判決が説示するとおり、被告人は、被告人の暴力等を嫌って実家に逃げ出した被害者(当時被告人の妻)に対し、執拗に復縁を迫ったものの、これを断られたことから、激昂の余り本件犯行を敢行したものであり、その態様も、自動車内において、運転席に座っていた被害者に対し、助手席から、両手でいきなり頚部をその意識が薄らぐ程度まで力一杯絞め、一旦逃げ出した被害者を連れ戻したのち、更に左手で体重をかけて力任せに頚部を絞め、同女がぐったりとなり気を失ったのちも約三〇秒間絞め続けたというものであり、その後、被害者は三〇分ないし一時間位意識を失ったままであり、犯行後被害者の顔面の全面、頚部、眼球等には顕著な溢血、うっ血が現われ、被害者は、五日間の入院治療を受け、本件後一週間を経過しても、なお眼球結膜のうっ血が消失していないことが認められ、右事実によれば、被告人が本件に及んだ動機は殺意を抱く理由として了解できないわけではなく、被告人の攻撃はかなりの時間にわたる強力なもので、被害者の生命に対し、現実的な危険性を生じさせたものと認められる。加えて、被告人は、被害者の頚部を絞める行為を止めたのち、同女が息をしているかどうかを確認するなどしている(原審検乙八号)が、これは、被告人が被害者死亡の結果を予期しつつ本件に及んだことを裏付けるものというべきであり、また、同女の意識が戻ったのち、被告人は、同女に対し、「俺には、わいはやっぱり殺しきれんやった。」と述べ(原審検甲二、五号)、同女を殺害しようとしたことを告白する言動に及んでいるうえ、捜査段階のみならず、原審公判廷においてさえも、殺意を肯定する趣旨の供述をしているのであり、これらの事情を総合すると、被告人は、本件当時、確定的な殺意をもって本件犯行に及んだものと認めることができる。
所論は、本件においては、被告人が殺意を抱くほどの理由が見当たらないというのであるが、自分の許を逃げ出した妻に対して復縁を迫り、拒否されたあげく殺害に及ぶ事案は、巷間稀ではなく、特に、被告人が短気で、気に入らないことがあれば直ぐに激昂する性格であることは、被告人自身認めるところであり、現に、被告人が、本件前、被害者にしばしば理由のない暴力を加えてきた状況にも徴すると、被告人において被害者殺害の理由が薄弱であるとはいえないことは明らかである。
次に、所論は、中止未遂の成否に関し、被告人は、実行行為を終える前に、自らの意思で被害者の頚部を絞める行為を止めたのであるから、それ以上、結果発生を防止するための積極的な行為は要求されていないのに、原判決が、被告人において、被害者を病院に連れて行くなどの救助活動をしなかったことを理由として、中止未遂の成立を否定したのは不当である、と主張している。
しかしながら、被告人は、被害者の頚部を絞め続けている途中、翻然我に返り、被害者が死亡することをおそれてこれを中止したというのであるが、その際は、前示のとおり、客観的にみて、既に被害者の生命に対する現実的な危険性が生じていたと認められる(医師中園一郎の警察官調書によれば、生命に非常に危険な状態に陥ったものとされている。)うえ、被告人においても、このような危険を生じさせた自己の行為、少なくとも、被害者が気を失ったのちも約三〇秒間その頚部を力任せに絞め続けたことを認識していたものとみ得るから、その時点において、本件の実行行為は終了していたものと解され、被告人に中止犯が認められるためには、原判決が説示するとおり、被害者の救護等結果発生を防止するための積極的な行為が必要とされるというべきであり、被告人がそのような行為に及んでいない本件において、中止犯の成立を認めなかった原判決は、正当というべきである。
その他所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せ考慮しても、原判決に事実の誤認、法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。
三 よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中八〇日を原判決の刑に算入し、刑訴法一八一条一項但書を適用して当審における訴訟費用は被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 清田 賢 裁判官 萱嶋正之 裁判官 林田宗一)