福岡高等裁判所 平成17年(ネ)922号 判決 2007年12月06日
控訴人兼被控訴人(一審原告。以下「一審原告」という。)
A野太郎 他1名
上記両名訴訟代理人弁護士
池永満
黒木聖士
山﨑あづさ
野中貞祐
被控訴人兼控訴人(一審被告。以下「一審被告」という。)
株式会社麻生
上記代表者代表取締役
麻生泰
上記訴訟代理人弁護士
春山九州男
藏健一郎
安田聡剛
上記春山九州男訴訟復代理人弁護士
春山佳恵
主文
一 一審原告らの控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。
(1) 一審被告は、一審原告らに対し、各二一九〇万七三二五円及び上記各金員に対する平成一三年七月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 一審原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
二 一審被告の控訴を棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審を通じて、これを三分し、その二を一審被告の負担とし、その余を一審原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項(1)に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
一 一審原告ら
(1) 原判決を次のとおり変更する。
(2) 一審被告は、一審原告らに対し、各三七九一万一五〇〇円及び上記各金員に対する平成一三年七月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は、第一、二審とも一審被告の負担とする。
(4) 仮執行宣言
二 一審被告
(1) 原判決中一審被告敗訴部分を取り消す。
(2) 一審原告らの請求をいずれも棄却する。
(3) 訴訟費用は、第一、二審とも一審原告らの負担とする。
第二事案の概要(略称等は原判決の例による。)
一(1) 本件は、一審原告らが、その二女であるA野松子(松子)が気管支ぜん息等の診断で、一審被告の経営する飯塚病院(一審被告病院)に入院したところ、入院中に麻疹に罹患し、急性心筋炎により死亡したことについて、一審被告の担当医師の不適切な治療により松子が死亡したと主張し、一審被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を請求している事案である。
(2) 原審は、一審被告の担当医師(主治医)に説明義務に違反した過失があると認めたものの、その余の診療上の義務違反及び過失は認められないとして、一審原告らの不法行為に基づく損害賠償請求のうち、損害の一部(各慰謝料二〇〇万円(松子の慰謝料を相続したもの。)及び各弁護士費用二〇万円)及び遅延損害金を認容したが、その余の請求をいずれも棄却した。
(3) これを不服として、一審原告らは、前記第一の一のとおり、一審被告は、前記第一の二とおり、それぞれ控訴した。
二 事案の概要は次のとおり原判決を補正し、三のとおり当審における当事者の補足的主張を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 二頁八行目の「はしか」を「麻疹」に(以下、同様に改める。)、三頁一二・一三行目の「停止したので」を「停止した。B山医師らは」に、一四行目の「肺蘇生薬」を「心肺蘇生薬」に改め、同行目の「確保し」の次に「、再び」を加える。
(2) 六頁二三行目の「部長」を「小児科部長」に改め、二四行目の冒頭に「C川医師は、一審被告病院の小児科部長であり、小児科の責任者であるところ、」を、一七頁六・七行目の「過失がある」の次に「(以上のB山医師らの過失に基づく松子の心筋炎による死亡を、以下『本件医療事故』ということがある。)」を加え、一八頁九行目の「、肺蘇生薬」を削り、一二行目の「小児科の部長」を「小児科部長のC川医師」に改める。
(3) 一九頁一七行目の「相続持分割合」を「相続分割合」に改める。
三 当審における当事者の補足的主張
(1) 一審原告ら
ア 説明義務違反と死亡との因果関係について
麻疹の合併症として心筋炎を発症する可能性があることは、医師として一般に知り得べきことであり、予見可能であった。そして、松子に対しγグロブリンを投与した場合には、麻疹の発症を予防し又はその重症化を防止し、死の結果を避けることができた可能性は極めて高く、このことは、合併症として発症した疾患が心筋炎であっても、他の合併症と変わるものではない。
一審原告花子は、B山医師から、γグロブリンを投与すると以後三か月はBCG接種ができなくなる、経過を見ていけば大丈夫である旨の死亡に至る可能性を事実上否定するなど、誤った説明を受けたため、松子にγグロブリンを投与しないこととしたものであるから、B山医師から、適切な説明を受けたならば、当然γグロブリンの投与を承諾したはずである。
したがって、B山医師の説明義務違反と松子の死亡との間には因果関係が認められる。
イ 麻疹発症防止等措置についての注意義務違反について
(ア) γグロブリンの投与
麻疹ウイルスに暴露した場合の予防措置は、第一選択が麻疹生ワクチン接種、第二選択がγグロブリン投与とされており、γグロブリンは、麻疹の発症を予防する効果としては四〇ないし七〇パーセント、軽症化の効果まで含めるとほぼ一〇〇パーセントの有効性がある。
松子の場合、ぜん息で入院中の乳児という健常児より免疫状態が低下しているうえに、ステロイド剤投与により免疫機能が抑制されていたのであるから、麻疹が重症化する可能性が高い状態にあった。
上記のγグロブリン及び麻疹生ワクチンの有効性からすれば、いずれかを投与・接種していたならば、松子の麻疹の重症化と急性心筋炎という重篤な合併症の発症、少なくとも死亡という最悪の結果はほぼ確実に避けることができたのである。
しかるに、一審被告病院では、このいずれも行わなかったのであるから、注意義務違反は明らかである。
(イ) ステロイド剤の投与
ステロイド剤が麻疹を重篤化させるということは、当時において一般的な医学的知見であった。
松子は、二回目の入院中のうち最初の八日間に限ってみても、通常の三倍近い大量のステロイド剤を投与されたから、松子に投与されたステロイド剤が麻疹の重症化に寄与したことは明らかである。
B山医師は、松子に対するステロイド剤の使用を中止、又は、少なくとも感染症免疫に影響を与えない量まで減量すべき注意義務があったにもかかわらず、大量のステロイド剤の投与を継続したのであるから、ステロイド剤使用における注意義務に違反したことは明らかである。
ウ 経過観察及び麻疹等の診断・治療における注意義務違反
B山医師は、平成一三年七月一二日の診察においても、急性心筋炎の診断が遅れ、したがって、その治療が遅れたものであり、早期に心筋炎に対する適切な治療が行われていたならば、松子の死亡を避けることができた可能性が高い。
(2) 一審被告
B山医師の説明義務違反と松子の死亡との間に因果関係がないのであるから、松子及び一審原告らの損害は否定されるべきである。
そもそも、一審原告らは、説明義務違反それ自体による損害賠償請求をしていない。
第三当裁判所の判断
一 事実経過等及び当時の医学的知見等について
事実経過等及び当時の医学的知見等についての認定判断は、次のとおり補正するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第三 争点に対する判断」一に記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 二一頁一一行目の「に低下した」を「を維持した」に改め、一四行目の「ころ」を削り、二二頁八行目から一〇行目までを「平成一三年六月二七日(松子の二回目の入院当日)午後八時三〇分ころ、男児が肺炎の診断を受けて入院し、松子の隣のベッドに寝かされた。男児の主治医は、翌二八日午前九時ころ、男児を診察し、麻疹と診断し、男児を別室に隔離した。男児の主治医は、松子が麻疹の予防歴も罹患歴もないことを確認し、松子が麻疹ウイルスに暴露し、麻疹を発症するおそれがあると判断し、直ちに、B山医師にその旨を連絡した。」に、一一行目の「平成一三年六月二八日午前九時ころ」を「同時刻過ぎころ」に、一二行目の「はしかが発症した」を「麻疹(以下、同様に改める。)が発症した」に改め、二三頁一三行目の次に改行して「なお、その当時、一審被告病院では、γグロブリン投与を行っていたが、麻疹生ワクチンの接種は行っていなかった。」を加え、一四行目の「同日夜」を「同月二八日夜」に改め、二四頁一三行目の「点滴、」を削り、一四行目の「輸液療法」の次に「、吸入療法」を加え、二五頁一〇行目の「肺蘇生薬」を「心肺蘇生薬」に改め、一一行目の「確保し」の次に「、再び」を加える。
(2) 《証拠の追加及び訂正略》
(3) 二六頁七行目の「ほとんどない」の次に「(もっとも、小児の臨床ウイルス学(小児科診療一九九一年四月号)掲載の論文『麻疹』は心筋炎を挙げている。)」を加え、一一行目の「はしかに暴露した後」を「麻疹ウイルスに暴露した後」に改め、二七頁七行目の末尾に「なお、感染から三日(七二時間)以内に、γグロブリンを投与すると発症が予防されるとの医学文献もある。」を加え、二〇行目の「小児ぜん息」を「乳児ぜん息」に、二八頁三行目の「くらいを」を「を四日くらい」に改め、九行目の次に改行して次のとおり加える。
「カ ステロイド剤
ステロイド剤は、末梢リンパ球(特にT細胞)の減少、免疫グロブリン値の低下をもたらし、小児に特有な副作用として麻疹、水痘などの感染症の重篤化や長期投与の場合成長障害にも注意を要するとされ、また、インターフェロン合成を抑制し、ウイルス増殖が促進され、広範な心筋え死を起こしやすいとされる。なお、免疫抑制薬の薬理作用等は、上記イのとおりとされている。」
二 説明義務違反(争点(1))について
説明義務違反についての認定判断は、次のとおり補正するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第三 争点に対する判断」二に記載のとおりであるから、これを引用する。
(1) 二八頁二三行目の「されること」の次に「、麻疹には中耳炎、肺炎等の合併症が発症することがあり、まれに脳炎、また、ごくまれに心筋炎等の合併症が発症することもあり、合併症が重篤化すると最悪の場合は死に至ること」を加え、二九頁一〇行目の「はしかは」から一二行目の「至ること」までを「麻疹には合併症が発症することがあり、合併症が重篤化すると最悪の場合は死に至ること」に改め、三〇頁一四行目の「、本件において」から一五行目の「中等症程度であり」までを削り、三一頁一〇行目の「合併症により」を「γグロブリンを投与しない場合は、合伴症が発症することがあり、合併症が重篤化すると」に、一三・一四行目の「考えられる」を「認められる」に、同行目の「診療契約上」を「診療上」に改める。
(2) 三一頁二五行目から三二頁初行までを次のとおり改める。
「(3) 上記(2)の判示と前記一の事実によれば、一審原告花子は、B山医師から、松子に麻疹が感染する可能性があることなどの説明を受けた際、B山医師に対し、麻疹ウイルスによって脳炎を発症して死亡することがあると聞いているが、松子は大丈夫であるかと尋ねたのであるから、B山医師が、一審原告花子に対し、γグロブリンを投与しない場合は、合併症が発症することもあり、合併症が重篤化すると最悪の場合は死に至ること、γグロブリンを投与しても、BCGを接種することが可能であること、ステロイド剤投与中は予防接種を受けられないことなど、適切な説明をしていたならば、一審原告花子は、松子にγグロブリンを投与することを承諾したものと推認するのが相当である。」
三 麻疹発症防止等措置についての注意義務違反について(争点(2))について
(1) 前記二(1)の判示と前記一の事実によれば、松子が麻疹に感染する可能性は極めて高かったところ、松子は、ぜん息で入院中の生後約九か月の乳児で、健常児よりも免疫機能が低下しているうえ、ステロイド剤の投与により免疫が抑制され、麻疹が重症化する可能性が高かったことが認められるから、松子にγグロブリンを投与しない場合は、麻疹の合併症が発症して重篤化し、最悪の場合は死亡するおそれがあったものであり、このことはB山医師にとって予見可能であったものと認められる。
そして、麻疹の発症予防ないし重症化防止の措置は、麻疹生ワクチン又はγグロブリン投与以外に有効な方法はないところ、前記二(3)の判示と前記一の事実によれば、一審原告花子は、B山医師から適切な説明を受けたならば、松子にγグロブリンを投与することを承諾したものと推認されるから、松子が麻疹に罹患した男児と最初に接触した時(平成一三年六月二七日午後八時三〇分ころ)から三日(七二時間)以内に松子にγグロブリンを投与することができたものであり、γグロブリンを投与することにより松子の麻疹の発症を予防し又は重症化を防止して、急性心筋炎による松子の死亡を避けることができたものと推認することができる。
したがって、B山医師には、説明義務違反の結果、一審原告花子の承諾を得ることができず、松子の麻疹の発症予防ないし重症化防止の措置を講ずべき注意義務に違反した過失があるものというべきである。
(2) 前記一の事実と証拠(当審証人A田夏夫の供述書、鑑定)によれば、松子の麻疹の潜伏期にあった可能性の高い二回目の入院(平成一三年六月二七日)から八日間に、通常の三倍近いステロイド剤が投与されたことが認められる。
ところで、前記一の事実によれば、ステロイド剤は、末梢リンパ球(特にT細胞)の減少、免疫グロブリン値の低下をもたらし、小児に特有な副作用として麻疹、水痘などの感染症の重篤化があるとされ、また、インターフェロン合成を抑制し、ウイルス増殖が促進され、広範な心筋え死を起こしやすいとされている。そして、証拠(当審証人E田春夫)によれば、E田春夫は、このステロイドの大量投与により松子の感染防御免疫が抑制され、麻疹が重症化した可能性は高いと判断していることが認められる。
上記事実と前記一の事実によれば、B山医師は、同月二八日午前九時過ぎころ、松子が麻疹ウイルスに暴露し、麻疹を発症するおそれがあることを知った段階で、松子に対するステロイド剤投与を減量し、松子のぜん息の症状を観察したうえで、適宜、投与量を加減し、もって、松子の麻疹の重篤化を防止すべき注意義務があったにもかかわらず、これを怠った過失があるというべきである。
四 一審被告の不法行為責任について
以上によれば、B山医師が、一審原告花子に対し、麻疹の合併症の発症やその重症化のおそれ及びγグロブリン投与について適切な説明をし、その承諾を得たうえ、松子にγグロブリンを投与し、合わせてステロイド剤の減量をしていたならば、少なくとも松子の麻疹が重症化することを防止することができ、松子の急性心筋炎による死亡を避けることができたものと認められるから、B山医師の説明義務違反及び注意義務違反と松子の死亡との間には因果関係が認められるというべきである。
そして、B山医師は、一審被告の設置する一審被告病院の医師であるから、一審被告は、B山医師の使用者として、一審原告らに対し、B山医師の診療上の過失により松子及び一審原告らが被った後記損害を賠償する責任があるものというべきである。
五 損害(争点(4))について
(1) 松子の逸失利益 一八六一万四六五一円
松子は、死亡当時満零歳の女子であったところ、本件医療事故がなければ、一八歳から六七歳まで四九年間にわたり稼働可能であり、その間、平成一三年賃金センサス第一巻・第一表・産業計・企業規模計・学歴計の女性労働者の全年齢平均年収額三五二万二四〇〇円を下らない収入を得ることができ、全期間について生活費として収入の三割を必要とするものと推認することができるから、以上を基礎とし、ライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して、本件医療事故当時の現価を算定すると、一八六一万四六五一円となる(円未満切捨て)。
(計算式)
3,522,400×(1-0.3)×(19.2390-11.6895)=18,614,651円
なお、一審原告らは、松子の逸失利益の算定について、全労働者の全年齢平均年収額を基礎とすべきであると主張するが、年少者の逸失利益の算定に当たっては、できる限り蓋然性のある額を算定すべきであるから、現実の労働市場の実態を反映する賃金センサスにおける女子の平均賃金を基礎とすることは合理性を欠くものではない。
(2) 松子の慰謝料 一八〇〇万円
本件医療事故における過失の態様及びその程度、松子の年齢その他本件に顕れた一切の諸事情を考慮すると、松子の精神的苦痛に対する慰謝料は、一八〇〇万円が相当と認められる。
(3) 葬儀関係費用 一二〇万円
本件医療事故と相当因果関係のある松子の葬儀関係費用は、一二〇万円が相当と認められる。
(4) 相続
上記(1)から(3)までの合計は三七八一万四六五一円であるところ、一審原告らは、松子の父母であるから、松子の死亡により、法定相続分に従い、その各二分の一に当たる一八九〇万七三二五円を相続したものである。
(5) 一審原告らの慰謝料 各一〇〇万円
一審原告らは、本件医療事故による松子の死亡によって多大な精神的苦痛を被ったものと認められるところ、本件医療事故における過失の態様及びその程度、松子の年齢その他本件に顕れた一切の諸事情を考慮すると、一審原告らに対する慰謝料は、各一〇〇万円が相当と認められる。
(6) 弁護士費用
本件訴訟の内容、審理経過及び認容額等諸般の事情に照らすと、本件医療事故と相当因果関係のある弁護士費用は、一審原告らにつき各二〇〇万円と認めるのが相当である。
六 まとめ
以上によれば、一審原告らの不法行為に基づく請求は、それぞれ損害合計二一九〇万七三二五円及びこれらに対する本件医療事故の日である平成一三年七月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない(なお、債務不履行に基づく請求については、その認容額が上記額を上回るものではないから、判断しない。)。
第四結論
よって、一審原告らの不法行為に基づく請求は、前記の限度で理由があるから、一審原告らの控訴に基づき、これと異なる原判決を変更し、一審被告の控訴は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 丸山昌一 裁判官 川野雅樹 金光健二)