福岡高等裁判所 平成18年(ネ)424号 判決 2009年3月09日
主文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴人らの当審における新たな請求をいずれも棄却する。
3 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
以下,略語は原則として原判決の例による(ただし,「原告」を「控訴人」と,「被告」を「被控訴人」とそれぞれ読み替えるものとし,強制連行・強制労働の当事者の表記として,一審原告ら全員を「控訴人ら」ということがある。)。
また,原判決記載の控訴人の氏名のうち,「○○○」を「X12」に,「○○」を「X31」にそれぞれ改める。
第1控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2(1) 主位的請求
被控訴人Y2及び被控訴人Y1は,連帯して,X1ないしX15,X46,X17,X18,X47,X21ないしX33,X43及びX44の各控訴人に対し,被控訴人Y2及び被控訴人Y3は,連帯して,控訴人番号X19,X48ないしX52,X35ないしX42及びX45の各控訴人に対し,それぞれ別紙2「謝罪広告目録」<省略>記載1の謝罪広告を,西日本新聞,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,日本経済新聞及び産経新聞並びに人民日報(北京市<以下省略>),中国青年報(北京市<以下省略>),解放日報(上海市<以下省略>),河北日報(石家庄市<以下省略>),明報(香港市<以下省略>),山西日報(太原市<以下省略>)及び遼寧日報(瀋陽市<以下省略>)の各朝刊の全国版下段広告欄に2段抜きで,見出し及び被控訴人らの名は4号活字で,その余は5号活字で,1回掲載せよ。
(2) 予備的請求(当審における新たな請求)
被控訴人らは,連帯して,福岡高等裁判所が,別紙2「謝罪広告目録」<省略>記載2の広告を,西日本新聞,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,日本経済新聞及び産経新聞並びに人民日報(北京市<以下省略>),中国青年報(北京市<以下省略>),解放日報(上海市<以下省略>),河北日報(石家庄市<以下省略>),明報(香港市<以下省略>),山西日報(太原市<以下省略>)及び遼寧日報(瀋陽市<以下省略>)の各朝刊の全国版下段広告欄に2段抜きで,見出し及び裁判所名は4号活字で,その余は5号活字で広告するために要する費用を支払え。
3 被控訴人Y2及び被控訴人Y1は,連帯して,X1ないしX15,X16,X17,X18,X47,X21ないしX33,X43及びX44の各控訴人に対し,それぞれ2300万円及びこれに対する
(1) X1ないしX15,X46,X17,X18の各控訴人については平成15年4月2日から,
(2) X20,X21ないしX33の各控訴人については同年5月27日から,
(3) X43,X44の各控訴人については平成16年4月20日から,
各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4(1) 被控訴人Y2及び被控訴人Y3は,連帯して,X19,X35ないしX42,X45の各控訴人に対し,それぞれ2300万円及びこれに対する
ア X19の控訴人については平成15年4月2日から,
イ X35ないしX39の各控訴人については同年5月27日から,
ウ X40ないしX42,X45の各控訴人については平成16年4月20日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 被控訴人Y2及び被控訴人Y3は,連帯して,X48ないしX52の各控訴人に対し,それぞれ460万円及びこれに対する平成15年5月27日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
1 本件は,中華人民共和国の国民である控訴人らが,被控訴人らに対し,
(1) 第二次世界大戦中,被控訴人らが共同して控訴人らを日本に強制連行し炭鉱において強制労働させたとして,不法行為に基づき,
(2) 被控訴人らが,(1)の強制労働の際に安全配慮義務を履行しなかったとして,債務不履行に基づき,
(3) 被控訴人らが,戦後,控訴人らに対する保護義務ないし原状回復義務を負っていたのにこれを履行しなかったとして,保護義務の債務不履行又は原状回復義務違反の不法行為に基づき,
(4) 被控訴人らが,戦後も強制連行・強制労働の事実を認めず,証拠を隠蔽するなどし,控訴人らの権利行使を妨害したとして,不法行為に基づき,連帯して,謝罪広告の掲載並びに慰謝料・弁護士費用及び民法所定の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2(1) 原審は,控訴人らの請求をいずれも棄却したところ,控訴人らがこれを不服として控訴するとともに,予備的に上記控訴の趣旨2(2)の請求を追加した(以下「本件予備的請求」という。)。
(2)ア X46は,X16は平成16年(2004年)○月○日死亡し,その相続人である上記控訴人が本件に関する上記一審原告の権利義務を承継したと述べた。
イ X47は,X20は平成16年(2004年)○月○日死亡し,その相続人である上記控訴人が本件に関する上記一審原告の権利義務を承継したと述べた。
ウ X48,X49,X50,X51及びX52は,X34は平成15年(2003年)○月○日死亡し,その相続人である上記控訴人5名が本件に関する上記一審原告の権利義務を5分の1ずつ承継したと述べた。
(以下,上記各一審原告を,それぞれ,X16,X20,X34と表示する。)
第3前提となる基本的事実(1)(控訴人らを含む中国人労働者が日本に移入され,被控訴人会社ら等で労働に従事した経緯)
公知の事実並びに括弧内に掲記した各証拠及び弁論の全趣旨によれば,控訴人らを含む中国人労働者が日本に移入され,Y1ら等で労働に従事した経緯は,次のとおりである。
1 中国人労働者移入政策の背景と政策決定に至る経緯
(1) 太平洋戦争に至る経緯(証拠<省略>)
ア昭和6年(1931年)9月に始まった満州事変を経て,昭和7年(1932年)3月,満州国が建国され,日本は同年9月にこれを承認し,昭和8年(1933年)3月に国際連盟を脱退した。
イ日本は,昭和12年(1937年)7月7日に北京郊外で起きた蘆溝橋事件を契機に国民党の中華民国との間で交戦状態に入り,やがて全面戦争(以下「日中戦争」という。)に突入した。日中戦争は,中華民国の領土が広大なこと,国民党と共産党が内戦を停止したこと(第二次国共合作),国民党が政府を南京,武漢,重慶と転々と移しながら抗戦を続けたこと,共産党の八路軍も激しく抵抗したことなどにより,次第に持久戦となった。
また,日本は東南アジアにも進出したが,各地で抵抗運動に悩まされた。日本は,満州事変中,50万人の兵力を既に動員していたが,日中戦争開始後その兵力は100万人を超え,さらに,昭和16年(1941年)末までに約241万人,昭和17年(1942年)末までに約283万人,昭和18年(1943年)末までに約381万人,昭和19年(1944年)末までに約537万人に,兵力を大幅に増強した(証拠<省略>)。
ウ そして,昭和16年(1941年)12月8日,真珠湾攻撃をきっかけに,日本はアメリカ合衆国及びイギリスに宣戦布告し,太平洋戦争が開始された。
(2) 労働力不足とこれに対する被控訴人Y2及び企業の対応
ア また,日本は,軍備と生産力の拡充を目的として,昭和11年(1936年)6月,大陸政策と南方進出政策を確立するための「国策大綱」を決定し,次いで昭和12年(1937年)5月には陸軍が重要産業5年計画要綱等を定め,その中で,石炭の増産等の目標が示された(証拠<省略>)。
イ しかし,上記の大量の兵力動員と国内の生産力拡充は深刻な労働力不足を招き(証拠<省略>),被控訴人Y2は,この労働力不足の事態に対処するため,国内において,次のとおり法制を整備して,戦争遂行のための戦時経済体制を整えた。
(ア) 昭和13年(1938年)4月,国家総動員法を公布(施行日は同年5月5日)し,勅令により国民を徴用できる(同法4条)こと等を定め,昭和14年(1939年)7月,国民徴用令によって,国民総動員体制を築いた(証拠<省略>)。
(イ) 昭和16年(1941年)8月,国家総動員法18条に基づき,重要産業団体令を制定して,鉄鋼事業,石炭事業等12種を重要産業に指定し,1業1統制会の一元的統制機構として,各統制会が設立されることになり,同年10月には石炭統制会が設立された(証拠<省略>)。
(ウ) 昭和18年(1943年)10月,軍需会社法を制定して企業に対する国家の支配を強め,資材,資金,労働力を軍需会社に優先的に割り当てた(証拠<省略>)。
ウ また,被控訴人Y2は,当時植民地として支配していた朝鮮人にも当初から国家総動員法を適用してその労働力を活用することとし,昭和17年(1942年)2月,朝鮮人労務者活用に関する方策を閣議決定し,多数の朝鮮人労働者を日本内地に移入した(証拠<省略>)。
(3) 中国人労働者移入政策の決定
ア 昭和17年(1942年)閣議決定に至るまでの経過
石炭産業界その他の産業界は,昭和14年の石炭供給不足等を受けて,労働力不足の問題を検討し,外地労働力,特に中国華北地方の労働者移入政策を被控訴人Y2に提案した。これに対し,被控訴人Y2も,労働事情の調査その他,中国人労働者の内地移入に向けての具体的準備を行った。その主な経過は次のとおりである。
(ア) 昭和14年(1939年),北海道土木工業連合会内外地労働者移入組合発起人代表Aは,厚生,内務両大臣に対し,「支那労働者移入に関する方法並びに処遇方案」と題する書面を提出した(証拠<省略>)。
(イ) 昭和15年(1940年)3月,商工省燃料局内に,中国人労働者移入の検討のため官民合同協議会を設置し,石炭産業界における中国人労働者の移入方策の是非について官民一体となって協議,検討した(証拠<省略>)。
(ウ) 昭和16年(1941年)8月,石炭鉱業連合会と日本金属鉱業連合会は,企画院総裁,商工大臣及び厚生大臣にあてて,連名で,「鉱山労務根本対策意見書」と題する文書を提出し,外地労働力の移入を具体的に提案した(証拠<省略>)。
(エ) その後,興亜院(対中国政策一元化のために設置された機関)は,「華北労務者ノ対日供出ニ関スル件」と題する極秘文書を作成した(証拠<省略>)。
(オ) 昭和17年(1942年)10月15日,石炭統制会東部支部は,興亜院から説明等を受け,各支部に向けて「苦力使役ニ関スル件」と題する文書を発し,各支部の華北地方労働者採用希望の有無を調査した。
(カ)a 同年12月,企画院の主催で各官庁関係者と石炭統制会等各産業団体の希望者が参加して「華北労働事情視察団」が組織され,同月から翌昭和18年(1943年)初めころにかけて華北地方の労働事情の視察と労働者の素質の調査,及び華北労工協会等中国内における関係諸機関との協議が行われた(証拠<省略>)。
b 被控訴人Y1においても,a鉱業所の労務管理課長代理が同視察団に参加した(証拠<省略>)。
イ 昭和17年閣議決定
(ア) 昭和17年(1942年)11月27日,被控訴人Y2は,「華人労務者内地移入ニ関スル件」と題する閣議決定を行い,中国人労働者を日本国内に移入して重筋労働部面における労働力不足を補うこととし,差し当たり試験的に一定数の中国人労働者の移入を行い(試験移入),その成績により全面的実施(本格移入)に移すこととした(証拠<省略>)。
(イ) 同日,企画院は,「華人労務者内地移入ニ関スル件第三措置ニ基ク華北労務者内地移入実施要領」により,試験的に移入される中国人労働者の使用条件等について具体的実施細目を定めた(証拠<省略>)。
ウ 試験移入の結果
昭和18年(1943年)4月から同年11月にかけて,試験移入として,港湾荷役労働者としては伏木港港湾使役に,採炭労働者としては被控訴人Y1・a鉱業所及びb鉱業所に,合計1420人の中国人労働者を受け入れた(証拠<省略>)。
エ 昭和19年(1944年)次官会議決定
被控訴人Y2は,試験移入の成績がおおむね良好であったとして,昭和17年閣議決定に従い,中国人労働者の本格的移入を行うこととし,昭和19年(1944年)2月28日,「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」と題する次官会議決定により,中国人労働者を毎年度国民動員計画に計上することとし,その実施細目として「華人労務者内地移入手続」を定めた(証拠<省略>)。
(4) 中国における労働者供出機関の設立(証拠<省略>)
ア 被控訴人Y2は,昭和13年(1938年)11月,中国の開発を進めるため,国策会社として,華北に北支那開発株式会社,華中に中支那振興株式会社を設立した(証拠<省略>)。
イ また,昭和15年(1940年)3月,被控訴人Y2は,新たなかいらい政権として,南京に汪兆銘を主席とする中華民国国民政府(以下「新中央政府」ともいう。)を樹立したが,華北における日本の権益を守るため,それまでのかいらい政権であった中華民国臨時政府を改組して,新中央政府から外交面などで独立性を有する地方組織である,華北政務委員会を北京に設置させた(証拠<省略>)。
ウ 華北政務委員会と北支那開発株式会社は,折半で出資をして,華北における労務の一元的統制機関として,昭和16年(1941年)7月,華北労工協会を設立した。同協会は,華北内外(殊に満州)における労働力の供給,配分等を円滑化することを目的とし,華北内労働者の募集・供給及び募集・あっせん等を行った(証拠<省略>)。
華中には,労務の一元的統轄機関は設立されず,日華労務協会などが個別に労務供給事業を行っていた。
2 昭和17年閣議決定,昭和19年(1944年)次官会議決定及び企画院実施要領等その細目で掲げられた方策(証拠<省略>)石炭業界における中国人労働者移入政策の細目の概要は,次のとおりであった。
(1) 移入方策
ア 移入計画
(ア) 試験移入
約1000名を契約期間1年で荷役業及び炭鉱業に配置することとし,華北運輸会社から荷役労働者を,華北労工協会から炭鉱労働者を供出させる(証拠<省略>)。
(イ) 本格移入
昭和19年度国民動員計画において3万名を計上し,主として華北地方から華北労工協会の供出あっせんの下に,訓練を受けた元捕虜又は元帰順兵を受け入れるほか,募集を行う(証拠<省略>)。
イ 移入機構
(ア) 現地機構
試験移入に際しては,華北においては華北労工協会等が労働者の供出又はそのあっせんに当たり,本格移入に際しては,中央の計画に基づき,大使館,現地軍及び国民政府(華北の場合は華北労工協会)がこれに当たる(証拠<省略>)。
(イ) 中央機構
官庁側では,移入連絡は大東亜省が,労務の割当て及び管理は軍需省と運輸省の協議の下に厚生省が,取締りには内務省がそれぞれ当たる。
民間側では,華北労工協会と関係統制会が主としてその連絡,あっせんに当たる(証拠<省略>)。
ウ 移入条件
供出機関と雇用機関との契約に基づいて行う。
(ア) 40歳以下の心身健全な男子労働者を選抜し,現地において,一定期間訓練を施す。
(イ) 就労期間は,試験移入の際は1年間としたが,その後は原則として2年間とする。なお,労働者は,単身で来日する。
(ウ) 労働時間及び賃金は内地の標準によるが,賃金については,内地と現地との賃金,物価に差があることにかんがみ,留守家族への送金及び持帰金を考慮する。
(証拠<省略>)
エ 供出方法
(ア) 行政供出
中国側行政機関(華北政務委員会を指すものと解される。)の供出命令に基づく募集で,各省,道,県,郷村へと上級庁から下部機構に対し供出員数を割り当て,責任数の供出を行わせるもの。
(イ) 訓練生供出
日本現地軍が作戦により得た捕虜,帰順兵で,一般良民として釈放しても差し支えないと認められた者,及び中国側地方法院において微罪者として釈放した者を,華北労工協会において下渡しを受け,同協会の有する各地の労工訓練所において,一定期間(約3か月),渡日に必要な訓練をした者を供出するもの。
(ウ) 自由募集
主要労工資源地において,条件を示して希望者を募るもの。
(エ) 特別供出
現地において,特殊労務に必要な訓練と経験を有する特定機関の在籍労働者を供出するもの。
(証拠<省略>)
(2) 配置方策
試験移入においては荷役業及び鉱業等に配置することとし,本格移入においては,国民動員計画産業中の鉱山業,荷役業,国防土木建築業及び重要工業その他特に必要と認めるものに配置する(証拠<省略>)。
(3) 移入雇用申請
厚生省から華人労務者の事業主別移入雇用員数の割当予定通報を受けたときは,事業主は,華人労務者斡旋申請書を提出し,また,厚生省の割当がない場合も,該当事業主が華人労務者の移入を希望するときは,華人労務者斡旋申請書を提出し,厚生省がその割当を決める(証拠<省略>)。
(4) 処遇について
ア 中国人労働者は,気候,風土,習慣を異にする外国で就労するものであることを考慮し,健康上の取扱いについて特段の注意を払うよう留意する。
(ア) 事業場(移入された中国人労働者の使用を認められた事業場のこと。以下同じ。)に到着後,適当な休養を与え,徐々に普通の労務に服させる。
(イ) 労働時間と作業内容は,日本人及び朝鮮人に比較して,過激かつ危険な労務に服させないようにする。
(ウ) 食事は,なるべく中国人労働者の通常食を給する。食糧の手当については,農商省において特別の措置を講ずる。
(エ) 住宅は湿気予防に留意し,朝鮮人労働者の住宅とは接近しないように区別して設置する。
(オ) 慰安及び娯楽施設は,工場事業場において適当な施策をとる。
(カ) 事業場には現地から同行した日系指導員を責任者として,中国人労働者の連絡・世話に当たらせる。
(キ) 中国人労働者の使用に当たってはできるだけ供出時の編成を利用し,作業に関する命令は日系指導員又は中国人責任者を通して行うようにし,直接は行わない。
(ク) 4大節のほか,旧正月3日及び,端午節,中秋節各1日は必ず公休日とする。
(ケ) 就労時間は日本国内の例による。
(コ) 賃金は,日本国内における賃金を標準とするが,中国に残留している家族に対する送金及び持帰金を考慮する。
その後,「昭和19年度華人労務者給与規定要綱」(昭和20年2月5日次官会議報告)が定められ,昭和19年(1944年)4月1日にさかのぼって実施されることとされた。その内容は,郷里への送金及び持帰金を考慮し,食事の給与のほか,就業1日につき約5円とし,事業主としては,上記基準に従い,能率に応じて日本における賃金統制の基準により支給し,上記の額が5円に満たないときは不足額を国庫において負担するというものであった。
(証拠<省略>)
イ しかし,外国人を移入するという点に留意し,逃亡防止,防諜その他の観点から,「移入華人労務者取締要領」を定め,次のとおり,厳しい態度で臨むこととされた。
(ア) 作業場においては,朝鮮人,捕虜,満州人及び中国人船員と接触しないよう警戒する。
(イ) 住宅は,防諜及び公安風俗上支障のない場所を選定する。
(ウ) 宿舎には関係者以外の出入りを禁止し,特に在留中国人との連絡は厳断する。
(エ) 移入した中国人労働者の思想動向,経歴を十分調査し,その動静に注意して,不穏な動きや計画の察知に努める。
(オ) 外出は団体で行うものとし,真にやむを得ないときでない限り個人での外出を認めない。
(カ) 通信の発受は事業者が取りまとめて行い,検閲する。
(証拠<省略>)
3 中国人労働者の移入と就労及び処遇の実際-全体の状況-(証拠<省略>)
(1) 総論
外務省管理局は,中国人労働者の移入,配置,処遇等について,昭和21年6月ころまでに,中国人労働者が実際に働いた関係事業場から報告を徴した上,現地調査を行って,その結果を外務省報告書(証拠<省略>)にまとめた。
同報告書は,昭和21年(1946年)1月下旬ころ,当時の中華民国当局から中国人労働者の日本における就労状況について調査がなされることに備え,これに対処するため構想されたものである。
(2) 実際の移入状況
ア 供出人員(証拠<省略>)
(ア) 全体数
中国人労働者は,昭和18年(1943年)4月から昭和20年(1945年)6月までの間,試験移入及び本格移入を合わせて,合計3万8935人が供出された。
(イ) 地域別の人数
地域別に見ると,華北地域が約9割の3万5778人を占め,華中地域が2137人,満州が1020人であった。
(ウ) 華北出身者の詳細
華北出身者について見ると,華北労工協会がその97パーセントの3万4717人を供出した。同協会からの供出者は,行政供出が2万4050人(約69パーセント),訓練生供出が1万0667人(約31パーセント)で,自由募集と特別供出による者はいない。
(エ) 華北労工協会による供出の困難性
a 供出機関側の事情
華北労工協会の使命は,華北労働者の華北内配置及び華北外(主として満州)への供出であり,内地への供出に専念することはできなかった。
また,同協会の業務の中心は移出労働者の調整機関としての事務的活動をすることであって,地方農村における募集の指導をすることまではできなかった。(証拠<省略>)
b 支配地域の縮小
加えて,昭和18,19年(1943,1944年)ころには,八路軍の支配が優位となり,華北での日本軍の支配地域が20パーセント程度に狭まり,これに伴い華北労工協会が活動できる区域も縮小し,労働者募集は困難であった(証拠<省略>)。
c 当時の華北地方の経済状況
華北では,昭和19年(1944年)1,2月ころ,豊作,物価高,治安悪化により,農民の工場出稼意欲は極端に低下していた。その結果,自由募集に応じる者はほとんどおらず,一定人数の供出者を確保するには,行政供出の方法に頼らざるを得なかった(証拠<省略>)。
d 以上の事情により,華北労工協会が昭和19年(1944年)に供出した労働者総数は計画の85万人を下回る44万2000人にとどまった(証拠<省略>)。
イ 中国人労働者の素質等
(ア) 年齢
20歳から29歳までの者が1万7044人(43.8パーセント)と最も多く,40歳以上の者が7330人(18.8パーセント),15歳以下157人(0.4パーセント),70歳以上12人(0.03パーセント)であった(証拠<省略>)。
行政供出された労働者の年齢構成は,最年少が11歳,最高齢は78歳であり,40歳以上の者が22.3パーセントを占めていた(証拠<省略>)。
(イ) 健康状態(証拠<省略>)
特別供出及び自由募集による者はおおむね良好であった。
行政供出及び訓練生供出による者,特に,昭和19年(1944年)後半以降に行政供出の方法により供出された者は,健康状態が極めて悪く,多くの疾患を有していた。そのため,衰弱が激しく,本邦上陸時には辛うじて歩行できる程度の者が多かった。
ウ 訓練
(ア) 上記認定のとおり,中国人労働者は,移入に先立ち,できる限り,一定期間(1か月以内)現地の適当な機関において必要な訓練をすべきこととされていたが,外務省報告書中の「華人労務者移入・配置及送還表」には,訓練地の記載のない移送集団が数多くあった(証拠<省略>)。
(イ) ただし,本格移入前の昭和18年11月ころの石門臨時俘虜収容所では,中国人に対して,一定の訓練がなされていた(証拠<省略>)。
エ 輸送(証拠<省略>)
(ア) 当時,日本は,船舶事情が逼迫していたため,中国人労働者の輸送は,船待ちの予定がつかず,食糧その他の準備が不十分のまま急きょ乗船せざるを得なくなったり,逆に,予定以上に船待ちをして,衛生状態の悪い収容所に長期にわたって滞留してしまったり,備蓄食糧の不足を生じたりすることがままあった。
(イ) 海上はすべて戦場であり,航海は大変な危険を伴ったことから,輸送期間も見通しが立たず,集団輸送169件中,86件は9日以内(速いもので4日)で日本の港に到達したが,48件は10日から19日の航海を要し,20日以上かかったものが6件,30日以上かかったものも3件あり,最高で39日を要した。
長期間の航海を要した船舶では,航海途中に飲料水や食糧が欠乏することが度々あった。
(ウ) 航海中の食糧,特に白麺には,砂のような不純物が混入していることもあった。
また,航海には本来客船を使用することが予定されていたが,大陸からは,石炭,塩等多量の原料を輸入しており,その要請も充足する必要があった上,船舶事情も逼迫していたから,航海にはおおむね貨物船を利用し,移入労働者は長期間,船倉内の石炭,塩,鉱石等の上に寝起きしなければならなかった。
(エ) 最初のうちは船上輸送に医師の付添いがあったが,その後はその付添いもなくなった。
(オ) 上陸後は,直ちに配置先の事業場まで,汽車等により長時間輸送された。
(カ) 以上の諸事情から,輸送は中国人労働者の健康を大いに損ね,3万8935人の乗船人数に対し,船中において564人(1.5パーセント),事業場到着前において248人(0.6パーセント),合計812人が死亡し,そのほかの者も各事業場には到着したものの,その時点で既に健康を害し,疾患を有していたり,衰弱が甚だしい者も多く,事業場到着後3か月以内に死亡した者の数は2282人(5.9パーセント)に上った。
(3) 配置事情(証拠<省略>)
ア 昭和18年(1943年)4月に最初の試験移入が行われて以来,輸送途上で死亡した者を含め,3万8935人の中国人労働者が,35業者,135事業場に配置された。
イ 産業別の業者数,事業場数及び移入人数は次のとおりである。
業者数 事業場数 移入人数
鉱山業 15 47 16,368
土木建築業 15 63 15,253
造船業 4 4 1,215
港湾荷役業 1 21 6,099
合計 35 135 38,935
ウ 被控訴人Y1には,10の事業場に5517人,被控訴人Y3には,9の事業場に2709人の中国人労働者がそれぞれ配置された。
(4) 就労事情
ア 中国人労働者は,鉱業会社,土建会社,造船会社及び港運業界に配置され,その作業内容は,各種運搬,採炭採鉱,坑道隧道掘進その他土木補助的労務等であった(証拠<省略>)。
イ 中国人労働者には,疾病あるいは虚弱の者も多かったところ,実労人員の事業場受入人員に対する比率では,74パーセントにとどまり,作業実日数は,平均在留日数271日(終戦又は稼働停止後を除く。)であるが,疾病あるいは未訓練状態により実際に就労した日数は217日であり,稼働日数も80パーセントにとどまった(証拠<省略>)。
(5) 処遇の実情
ア 食糧
(ア) 戦時下においては,日本国内全体において食糧その他諸物資が不足していた。
(イ) 外務省報告書では,中国人労働者には,約3400ないし3900カロリーが支給されたとの各事業場の報告があるが,1日2500キロカロリーを超えるものではなかったものと推定しており,空腹に堪えかねて逃亡したと認められる事件も相当あったし,配給の不円滑,不十分等食料不足の事情もあったし,食糧の横流しや質の不良もあり,これらの諸事情は,事業場到着前に既に疾病にかかり衰弱している中国人労働者にとって,疾病失明及び死亡の原因の一つとなった(証拠<省略>)。
イ 衣料
外務省報告書には,給与した被服等は,戦時中の実情として,十分とはいえないが,これが死亡の原因となったとは認められないと記載されているものの,布団の用意不十分とか地下足袋の配給が遅れたことにより,凍傷にかかる者もあった(証拠<省略>)。
ウ 住宅(証拠<省略>)
(ア) 135事業場のうち67の事業場においては,中国人労働者のために宿舎を特設し,その他はそれまであった宿舎を改造,転用したものであった。
(イ) 居室は1人当たり平均0.63坪で,畳敷のものが45パーセント,アンペラ敷のものが27パーセント,その他ゴザ敷,板敷のものがあった。
(ウ) しかし,逃走及び諜報防止のため,窓等は少なく,通風採光は十分とはいえなかった。
(エ) したがって,居住環境は劣悪であった。外務省報告書は,移入労働者が現地で暮らしていた当時の住居と比べると悪いとはいえないなどと総括しているが,その根拠は不明である。
エ 医療衛生
各事業場からの報告によれば,135事業場のうち附属病院又は関係病院を有するものが79,専任又は嘱託医数201名,看護婦数500名である(証拠<省略>)。
オ 労働時間
外務省報告書は,全事業場の1日当たり平均労働時間は9.44時間であるが,これは入坑から出坑まで,あるいは宿舎出発から帰着までの時間であり,昼休み及び休憩時間並びに作業現場までの往復時間を考慮すると,これから2,3時間を差し引いた時間であるとしている(証拠<省略>)。
カ 指導取締り
防諜及び逃走防止の観点から,警察当局による厳重な取締りが行われた(証拠<省略>)。
終戦の際に中国人労働者を使用していた107事業場のうち,91事業場で,戦後,それまでの不満等を原因として紛争が発生した(証拠<省略>)。
キ その他
(ア) 中国人責任者に私刑を行わせたり,食糧その他の支給品の減配,横流しするなどの事態もあった(証拠<省略>)。
(イ) 概して,中国人労働者には処遇についての不満が大きく,多くの事業場で逃亡が起こっており,秋田県のc社d出張所では,日頃の取扱いへの不満が爆発し,数十名が監視者を殺害の上,集団で逃走する等,戦時中でも集団的な暴動,紛争に発展した事例(以下「△△事件」という。)もあった(証拠<省略>)。
(6) 死亡と疾病に関する事情
ア 死亡人数
供出された中国人労働者の総数は3万8935人であったが,そのうち,812人が事業場に到着するまで,5999人が事業場において,19人が終戦後送還前に死亡した(総計6830人)。これは移入中国人労働者総数の17.5パーセントを占めている(証拠<省略>)。
イ 供出機関との関連(証拠<省略>)
(ア) 供出機関別では,日華労務協会が華中から自由募集により供出した労働者の死亡率が24.4パーセントと最も高く,華北労工協会が18.3パーセントとこれに次ぎ,そのほかは1.3ないし5.7パーセントである。
(イ) 日華労務協会から供出された者の事業場内の死亡349人中の大半である311人(87.4パーセント)が事業場到着後3か月経過後の死亡であり,事業場の側に問題があると考えられる。
(ウ) これに対し,華北労工協会から供出された労働者は,輸送中ないし事業場到着後3か月以内の死亡率が他の供出機関の者に比べて圧倒的に高い。具体的には,事業場到着前の死亡者は合計812人であるが,そのうち華北労工協会からの供出者は804人であり,事業場到着後3か月以内の死亡者は合計2282人であるが,そのうち華北労工協会からの供出者は2211人である。
(エ) なお,華北労工協会から供出された者のうちでも,供出方法別では行政供出の者に,供出時期としては昭和19年(1944年)7月以降に供出された者に,年齢別では40歳以上の者に死亡率が高い傾向が認められた。
ウ 死亡原因
(ア) 総死亡者数6830人のうち,疾病死は6434人(94.2パーセント),傷害死は322人(4.7パーセント),その他自殺者が41人及び他殺者が33人であった。疾病死中,船中において死亡した者を含む病名不詳の者は583人,一般疾病による者は3889人,伝染病又は伝染性疾患による者は1962人であった(証拠<省略>)。
(イ) これを病種別に見ると,一般疾病においてはほとんど呼吸器病及び消化器病であって,前者は1271人,後者は1180人である。呼吸器病中では肺炎が圧倒的多数を占めて976人に上り,気管支炎が187人でこれに次ぎ,消化器病は胃炎及び腸炎が954人である。伝染病又は伝染性疾患では大腸カタルが最も多く662人,肺結核が360人,赤痢,敗血症,肺浸潤及び肋膜炎がこれに次いで多い(証拠<省略>)。
(ウ) 傷害死のうち,公傷死は267人,私傷死は55人である。公傷死の原因は落盤,落石,飛石によるものが最も多い。私傷死55人中35人は戦災死であって,渡船転覆等水難の事故による者も10人いた(証拠<省略>)。
エ 疾病,傷害及び不具廃疾
(ア) 員数
輸送中又は事業所内において疾病にり患した者の数は,延べ5万8954人(うち重症は1万4666人),傷害を負った者の数は6778人(うち重症は1448人),疾病又は傷害により不具廃疾となった者の数は467人である(証拠<省略>)。
(イ) 内訳と不具廃疾の程度(証拠<省略>)
不具廃疾となった者のうちでは,失明が圧倒的に多く,217人であり,46.4パーセントを占めた。次いで,視力障害が16.9パーセントに当たる79人であった。
肢指欠損又はその機能障害は合計160人であり,34.2パーセントに及んだ。
不具廃失となった者のうち,153人は全く労働能力を失い,9人が過激な労働には耐えられなくなった。
4 本件各鉱業所の状況(証拠<省略>)
(1) 被控訴人会社らの本件各鉱業所と華北労工協会ないし日華労務協会との契約(以下,併せて「移入契約」という。)
ア 試験移入について
(ア) 被控訴人Y1のa鉱業所及びb鉱業所が試験移入の対象となった。
(イ) a鉱業所は,昭和18年(1943年)6月18日,b鉱業所は同年9月10日,華北労工協会との間で次の内容の契約を締結した。
[1] 供出方法等
石門教習所に在留中の者から華北労工協会が適格者を選抜し,中国国内の塘沽において引き渡す。供出及び輸送にかかる経費は被控訴人Y1の負担とする。
[2] 契約期間は事業場到着後2年間,賃金は,訓練期間(最初の6か月間)は1日当たり1円,その後は出来高払い(ただし,就業1日につき1円を最低保障とする。)とし,労働時間は日本人と同じとする。
[3] 到着後6か月間は訓練期間とし,特に最初の1か月間は坑内作業を行わず,生活指導,日本語訓練,現場教育等に充てる。
[4] 最初の3か月間は外出を認めず,4か月目から集団的に引率者を付してこれを認める。
[5] 送還は,被控訴人Y1が責任者を付けて実施し,塘沽において引き渡す。
イ 本格移入について
(ア) 本格移入に際しては,被控訴人Y1は北海道及び九州の10事業所,被控訴人Y3は同じく9事業所でそれぞれ中国人労働者の移入を受け入れた。
(イ) a鉱業所は昭和19年(1944年)5月5日及び同年7月21日,e鉱業所は同年4月25日,b鉱業所は同年5月5日及び同年11月17日,f鉱業所は同年6月24日,それぞれ華北労工協会との間で,おおむね次のとおりの契約を締結した。
[1] 供出方法等
華北労工協会において適格者を選抜し,中国国内の集結地において引き渡す。供出及び輸送にかかる経費は被控訴人会社らの負担とする。
[2] 契約期間は事業場到着後2年間,賃金は,訓練期間(最初の3か月間。a鉱業所,b鉱業所及びf鉱業所では1か月間)は1日当たり2円,その後は5円及び出来高払い(a鉱業所では5円又は出来高払い,b鉱業所及びf鉱業所では5円)とし,労働時間は日本人と同じとする。
[3] 到着後の訓練期間は,生活指導,日本語訓練,現場教育等に充てる。
[4] 最初の1か月(a鉱業所では2か月の場合がある。)は外出を認めず,翌月から集団的に引率者を付して外出を認める。
[5] 送還は,被控訴人会社らが責任者を付けて実施する。
(ウ) また,g鉱業所の前身であるh株式会社(以下「h社」という。)は昭和19年(1944年)6月15日,日華労務協会との間で,おおむね次の内容の契約を締結した。
なお,被控訴人Y3は,被控訴人Y2の指示に基づき,昭和20年(1945年)5月8日,h社から同鉱業所を承継した(証拠<省略>)。
[1] 供出方法等
日華労務協会において募集し,中国国内の乗船地本船内において引き渡す。供出及び輸送にかかる経費はh社の負担とする。
[2] 契約期間は事業場到着後2年間,賃金は内地移入華人労務者移入要綱による。
[3] 送還はh社が内地乗船ふ頭において日華労務協会に引き渡す。
(2) 本件各鉱業所に対する供出の実態
本件各鉱業所に供出された労働者の人数と来日時期,在留中の死亡等に関する事情等の概要は,次のとおりである。
ア 供出機関・供出方法・移入数
(ア) 供出機関と供出方法
a鉱業所,e鉱業所,b鉱業所及びf鉱業所に供出された中国人労働者は,すべて,上記(1)の各契約に基づき,華北労工協会が供出機関となって,行政供出又は訓練生供出の方法により行われた。
g鉱業所に供出された中国人労働者は,上記(1)イ(ウ)の契約に基づき,日華労務協会が供出機関となり,自由募集の方法により行われた。
(イ) 供出人数
a鉱業所第二坑に対して372人,a鉱業所第三坑に対して297人,b鉱業所に対して651人,e鉱業所宮浦坑に対して574人,e鉱業所萬田坑に対して1907人,g鉱業所に対して352人,f鉱業所に対し189人であった。
(証拠<省略>)
イ 移入時期,訓練地,乗船地及び上陸地等
(ア) 上記各事業所に移入された中国人労働者の中国国内における集結地(訓練地)は上海,石門,塘沽又は保定であったが,e鉱業所へ配属された労働者は,中国国内における訓練地が決められていなかった。
(イ) a鉱業所,e鉱業所,b鉱業所及びf鉱業所に移入された中国人労働者は,すべて塘沽を出港し,g鉱業所に移入された中国人労働者は上海を出港してそれぞれ門司に到着した。
(ウ) 出港して事業場に着くまでの間に,116人が船中又は上陸後死亡した。
(エ) その結果,実際に受け入れた労働者の数は,次のとおり合計4226人であった。
[1] a鉱業所
(第二坑)昭和18年(1943年)7月と昭和19年(1944年)7月の2次にわたり合計371人
(第三坑)同年10月と同年11月の2次にわたり合計297人
[2] e鉱業所(萬田坑,宮浦坑,四山坑)
昭和19年(1944年)5月から昭和20年(1945年)3月まで6次にわたり,宮浦坑570人,萬田坑1802人(うち,694人は四山坑に転出)合計2372人
[3] b鉱業所
昭和18年(1943年)11月から昭和19年(1944年)12月まで3次にわたり,合計646人
[4] f鉱業所
昭和19年(1944年)10月に188人
[5] g鉱業所
昭和19年(1944年)9月から同年10月まで2次にわたり,合計352人(証拠<省略>)
(3) 控訴人らの来日の経緯等(証拠<省略>)
控訴人らが捕らえられた時期及び出港地等は別表1<省略>のとおりであり,来日の経緯に関するそれぞれの具体的な事情は別紙3<省略>「控訴人らの来日の経緯」のとおりである。
ア 上記認定の事実によれば,行政供出,訓練生供出された控訴人らは,日本に向かう船の準備を待つ際,直接又はいずれかの場所を経由して,一定期間塘沽の収容所に収容されたことが認められるところ,塘沽での生活は,いずれも,中国人警察官ないし日本兵が見張りをし,電流を通した鉄条網で囲まれた区域での拘束生活であり,逃亡しようとする者は,銃で撃たれたり,殴られたりした。
イ また,上記認定の事実によれば,自由募集に応じた控訴人らは,いずれも中国国内又は台湾で働くことを了承した者であって,日本内地に行くことに同意した者はいない。なお,同控訴人らは,いずれも日華労務協会による被供出者であり,台湾企業等の名で虚偽の募集広告を作成し,同控訴人らを募集したのは日華労務協会であるものと認められる。そして,拘束された後は,厳重な監視下におかれて,日本に移送された。
ウ 以上のとおり,控訴人らは,いずれも日本軍に身柄を拘束され,あるいは虚偽の募集広告によって欺罔されて,日本に連行されたものである。
なお,控訴人らは,中国ないしその港内の日本船内で,被控訴人会社らに身柄を引き渡されたが,多くの場合,その輸送船内にも日本兵がいた。
5 本件各鉱業所における処遇並びに控訴人らが受けた処遇及び従事した労働の実態(証拠<省略>)
(1) 本件各鉱業所における処遇
ア 宿舎
(ア) a鉱業所
a 1人当たり1.5畳(0.75坪)の広さの板張りの宿舎が提供された。
X14(試験移入(第1期))の寮は134人を収容し,他の寮とは別の場所にあった。本格移入された者の寮は,1箇所に4棟が並び,そのうち1棟には第2期の移入者のみが,他の3棟には第3期,4期の移入者が収容された。
b 日本人,朝鮮人の住宅とは区画を別にし,周りを鉄条網で囲われ,玄関には監視室があって監視されていた。
試験移入されたX14(第1期)の寮の監視人は武装していなかったが,本格移入されたX13,X44(以上,第2期),X15,X33(以上,第3期)らの各寮の監視人は少なくとも着剣していた。
(イ) e鉱業所
a 従前あった宿舎を改築するか新築して,労働者一人当たりの広さがいずれも1畳以内の宿舎が提供された(証拠<省略>)。
b 四山坑の宿舎は板張りであり,宮浦坑,萬田坑の宿舎は板張りと畳敷きのものがあった。
c 寝具は1人当たり1枚又は2枚が与えられた。
d 四山坑の宿舎には周囲に壁があり,警察官が敷地内を監視していた(証拠<省略>)。
萬田坑の宿舎には,周囲に板塀があり,日本兵によって監視されていた(証拠<省略>)。
宮浦坑の宿舎は周囲を板塀と鉄条網で囲まれ,門には見張り口があり,見張りがいた(証拠<省略>)。
e 四山坑,宮浦坑は宿舎に,萬田坑は坑口を出たところに浴場があった。
(ウ) b鉱業所
a 従前あった宿舎を改築して中国人労働者用に提供された。
b 労働者一人当たりの広さは1.1畳であった。
c 3棟が畳敷,4棟が板張りアンペラ敷であった。なお,アンペラとはカヤツリ草科の多年草をいい,茎の繊維が強いため,筵のように使用される(顕著な事実)。
d 寝具は1人当たり毛布1枚又は2枚が与えられた。
e 周囲には2メートル余りの高さの板塀が巡らされ,その上には鉄線があり,敷地入口付近には数名の警察官が詰める派出所があった。
f 宿舎に浴場があった。
(エ) f鉱業所
a 宿舎は,従前のものを改築したものと新築したものとがあり,労働者一人当たりの広さは1.5畳で,寝床は板張りアンペラ敷であった。
b 寝具は,事業場報告書には1人当たり毛布1枚,布団2枚が与えられた旨記載されているが,実際は,布団1枚が支給された。
c 周囲には高さ約2メートルの板塀が張り巡らされ,その上に鉄条網があり,日本人が監視に当たっていたほか,敷地入口には警察官の詰所があった。
d 宿舎に浴場があった。
(オ) g鉱業所
a 1人1畳の広さの,平家建ないし2階建ての宿舎が提供された。
b 寝具は,当初は2人1組,冬期以降1人1組が与えられ,寝床は,板張りアンペラ敷の宿舎と畳敷の宿舎があった。
c 周囲には高い板塀が張り巡らされ,その上には鉄条網があり,日本人が監視していた。
d 宿舎の前に露天の浴場があった。
イ 食糧
証拠<省略>によれば,食事は,1食ごとに饅頭が2つ配られるだけであったとする者もあれば,白湯のようなスープと漬け物がついていたとする者もあり,また,コウリャンと米のご飯を食べていたとする者もいるのであって,宿舎ごと,あるいは従事する仕事内容ごとに,異なる食糧事情であったことが窺われるが,肉や魚は与えられなかったこと,また,道端の野草を採ったり,捨てられたミカンの皮を拾って食べたりする者があり,見つかると食事の量を減らされたり,殴られたりしたことが認められる。
なお,事業場報告書には,食糧事情は日本人及び朝鮮人と同等又はより良好ないし優遇したなどという記載がある(証拠<省略>)が,同報告書の作成された上記経緯に照らし,たやすく信用することができない。
ウ 衣料
証拠<省略>によれば,作業衣,タオル,地下足袋等を1回支給されたのみであることが認められる。
他方,事業場報告書(証拠<省略>)によれば,作業服や支那服等を相当回数,十分に支給したとされているが,これら同報告書の記載をたやすく信用することができないことは上記イで判示したとおりである。
エ 労働の内容とその実態
(ア) 職種としては,坑内では,主として,採炭,掘進,仕繰に,坑外では炊事その他の雑役に使用された(証拠<省略>)。
(イ) 職場は,朝鮮人と厳密に区別され,坑内への移動及び宿舎への帰還にはほとんどの場合に日本人による監視がつき,全ての現場で中国人労働者と少数の日本人のみで(朝鮮人やアメリカ人は入らないで)労働に従事した。日本人は,立場としては同僚である場合もあれば,監督である場合もあったと推認されるが,同僚である場合も,中国人労働者は,日本人の指示には服従しなければならなかった。
(ウ) 労働時間は,原則として三交替8時間勤務とされていたが,現実にはこれを超える労働時間となることがほとんどだった。
(エ) 休日は,事業場報告書(証拠<省略>)では,e鉱業所は,内地の一般労働者に準じる4大節,旧正月2日及び端午節,中秋節の各1日とされ,f鉱業所を除くその余の各鉱業所にあっては毎月3,4日程度とされている。
しかし,証拠<省略>の多くには,重傷又は重病の場合を除き,休みは全くなかったとの記載があり,X17及びX30も同旨の供述をしていることからすると,上記各事業場報告書の記載はたやすく信用することができず,ほとんど与えられなかったものと認められる。
オ 賃金
滞日中の賃金は積立金として事業場において保管される(証拠<省略>)などしたため,終戦まで支払われず,その後の持帰金等についての取扱いは後記のとおりである。
カ 死亡者,傷病者の実態
(ア) a鉱業所における死亡者
同鉱業所における労働期間は,第1次受入れの134人は2年1か月,第2次受入れの237人は1年2か月,第3次受入れの179人は10か月,第4次受入れの118人は9か月にすぎないところ,受入労働者668人中,26人(3.9パーセント)が死亡した。
その死因は,落盤等労働災害による者が5人,病死が20人,その他が1人である(証拠<省略>)が,病死の者でも入院して病院で治療中に死亡した者は9人しかおらず,しかもそのうちの4人は終戦後の死亡であった(証拠<省略>)。
(イ) e鉱業所における死亡者
同鉱業所における労働期間は,宮浦坑第1次受入れの231人は1年3か月,第2次受入れの339人は10か月,萬田坑第1次受入れの412人は1年3か月,第2次受入れの551人(四山坑への転出者272人を含む)は7か月,第3次受入れの538人(四山坑への転出者273人を含む)及び第4次受入れの301人(四山坑への転出者149人を含む)は6か月にすぎないところ,受入労働者2372人中,383人(16.1パーセント)が死亡した(証拠<省略>)。
その死因は,落盤その他労働災害による者が68人,病死が315人である(証拠<省略>)。
(ウ) b鉱業所における死亡者
同鉱業所における労働期間は,第1次受入れの208人は1年9か月,第2次受入れの240人は1年1か月,第3次受入れの198人は9か月にすぎないところ,受入労働者646人中,69人(10.7パーセント)が死亡した(証拠<省略>)。
その死因は,落盤その他労働災害による者が2人,病死が67人である(証拠<省略>)。
(エ) f鉱業所における死亡者
同鉱業所における労働期間は10か月にすぎないところ,受入労働者188人中,19人(10.1パーセント)が死亡した(証拠<省略>)。
その死因は,落盤その他労働災害による者が1人,病死が17人,他殺が1人である(証拠<省略>)。
(オ) g鉱業所における死亡者
同鉱業所における労働期間は,第1次受入れの302人は1年,第2次受入れの50人は10か月にすぎないところ,受入労働者352人中,87人(24.7パーセント)が死亡した(証拠<省略>)。
その死因は,落盤その他労働災害による者が2人,病死が85人である(証拠<省略>)。
(カ) 公傷(証拠<省略>)
a 落盤その他の公傷による重傷者は,a鉱業所では19人であり,191人が軽傷を負った。
b e鉱業所では,124人が重傷,161人が軽傷を負った。
c b鉱業所では,24人が重傷,103人が軽傷を負った。
d f鉱業所では,10人が重傷,87人が軽傷を負った。
e g鉱業所では,19人が重傷,42人が軽傷を負った。
f そして,a鉱業所では3人,e鉱業所では26人,b鉱業所では6人,f鉱業所では1人,g鉱業所では8人が肢指欠損その他の機能障害を負い,不具廃疾となった。
キ 終戦後における不満の爆発(証拠<省略>)
a鉱業所,e鉱業所,b鉱業所,f鉱業所,g鉱業所のいずれにおいても,終戦後は,中国人労働者の不満が一気に爆発して,紛争が多発し,一部では戦勝気分もあったためか,集団的な略奪事件も発生した。
(2) 控訴人らの具体的な就労状況と処遇状況
ア 配属地と労働期間
控訴人らの具体的な配属先と実際に労働に従事した期間は,別表2<省略>のとおりである(証拠<省略>)。
当時の中国においては,成人になって名を変える風習があった上,戦乱のため確固たる戸籍制度がなく名の変更が比較的容易であったため,未成年で連行された者や,敵国日本で労働させられたことを恥辱と考えた者には,帰国後名を変えた者もいる。また,日本に親子で連行され,親が死亡したため現在は養父の姓を名乗っている者もいる。
イ 労働
(ア) 控訴人らは,事業場到着後2日間ないし1か月以上,坑内の見学や,道具の名前と使い方を教えられるなど一定の訓練を受けた者が多く,体力,年齢等により,採炭,掘進,坑道ないし炭車の修理・維持作業に従事させられた。
(イ) 昼間のみ労働する者(常一番勤務),2交替,3交替の勤務の者がいた。同一事業場でも,従事した作業の種類によって交替方法は異なり,同一種類の作業でも組み合わされた人数次第では交替要員を欠いて,常一番勤務となった者もあるものと推認される。
一日当たりの労働時間は,各坑ごと,各作業毎,各班毎で異なったが,おおむね,3交替の者が最も短く8時間程度であり,常一番勤務や2交代勤務の者は10時間程度と長くなる傾向があった。また,終戦間際には決勝増炭運動が繰り広げられ,12時間勤務などとなることもあった。
(ウ) 休日については,どの控訴人も,正月を除き全くなかったとしており,正月についても多くの者が休みがなかったとしているところ,昭和20年(1945年)当時の増炭の必要性に照らせば,休日返上で採炭作業が行われたとしても不自然でなく,休日は極めて少なかったものと認められる。
(エ) 作業は,日本人の指導・監督のもとに行われたが,意思疎通がうまくいかなかったり,目標の仕事を達成できなかったときなどには,殴られたり,蹴られたりの暴行を受けることがあった。その頻度は,様々であるが,多くの者は日常的に暴行を受けたものと認められる。暴行には道具が用いられることがあり,鞭,木棒,丸太,ハンマー,シャベル,ノコギリ,ヨキ(斧)などが用いられた。暴行は,場合によっては凄惨を極め,即死する者もいた。
a 四山坑では,現場まで日本人が付き添い,一人の日本人が数人の中国人の労働を監視し,仕事の能率が悪いなどの場合にはベルトや鞭で打たれたり,手拳や棒で殴打された(証拠<省略>)。
萬田坑では,作業に行く際は日本人の監督が宿舎から現場まで付き添い,仕事上の不手際があったり,ノルマを達成できなかったときには,日本人の監督に棍棒で殴られるなどされ,また,仕事中に眠って食事を与えられないこともあった(証拠<省略>)。
宮浦坑でも,作業の際は日本人監督1,2人が中国人労働者5人を連れて炭坑に入り,また,仕事上の間違いがあったときや作業が遅れているときなどには,監督が石炭の塊や棒などで中国人労働者を殴ることがあった(証拠<省略>)。
b a鉱業所では,作業のための移動については,宿舎から坑内まで日本人が付き添い,作業を監視する日本人が,作業が遅れたり止まったりすると,手拳のほか,金槌や棒などで殴ったり,足で蹴ったりし,また,食事を半分に減らすなどした(証拠<省略>)。
c b鉱業所では,中国人労働者が空腹のため仕事中に動けなくなって日本人監督から殴られたことがあった(証拠<省略>)。
d f鉱業所では,仕事が遅くなったり,目を盗んで休憩したりすると,日本人監督がハンマーや棍棒,手拳で中国人労働者を殴ったり蹴ったりし,また,坑内作業をしないで,毎日,「この畜生め。殺してやる。」とつぶやいていた中国人労働者は,いつも監督から殴られ,宿舎の中庭に両手を縛られて宙づりにされた(証拠<省略>)。
e g鉱業所では,休息しているところを監督に見つかると,ベルトや手拳で殴られたり足蹴にされたりし,中国人の班長に殴られることもあった(証拠<省略>)。
上記のような暴行により,X5,X24,X32はそれぞれ後遺症を負った。ことにX24はいじめられた仲間をかばおうと監督に言い返したところ,ナル木ですねを激しく叩かれ,骨折で2か月入院し,現在も歩行に杖が必要である。また,X10は,落盤で歩けないほどの打撲傷を負ったが,治療を受けられず,2日休まされて軽作業に移された。
(オ) 落盤等で作業中にけがをした者も多く,X12は膝に後遺症を負い,X29は前歯を3本折り,X38は前歯を2本折り,X41は腰に陳旧性骨裂の後遺症を負い,X44は指を骨折し今も曲げることができない。
ウ 賃金等
控訴人らのうち,終戦後,何らかの金品の支給を受けた者はいるが,就労中に,被控訴人会社らから,賃金や手当の支給を受けた者はいない(証拠<省略>)。
エ X39及びX45は,g鉱業所において,事業所到着の数日後に逃亡したことから,身柄拘束後取調べを受け,殴られ,蹴られるなどして十数日間勾留された。
その後,g鉱業所に戻され,所内の檻に半月ほど留置され,i北海道第一華人収容所(旧j事業所,不良華人収容所)に送られた。
同収容所は極寒の地であったが,麻袋のような厚さの衣服しかなく,軍事訓練や木の伐採をさせられた。軍事訓練では動作を間違えると棍棒で殴り倒された。木の伐採にはノルマがあり,達成できないときは食事を減らされた。
(証拠<省略>)
(3) 稼働の停止
ア a鉱業所は,昭和20年(1945年)8月24日,関係官庁から中国人労働者の稼働停止の指示を受け,直ちに控訴人らの就労を停止した(証拠<省略>)。
イ b鉱業所は,同月22日,関係官庁から同様の指示を受けたが,その前である同月20日,自発的に中国人労働者の稼働を停止していた(証拠<省略>)。
ウ f鉱業所は同月15日(証拠<省略>),g鉱業所は同月23日,いずれも自発的に中国人労働者の稼働を停止した(証拠<省略>)。
エ e鉱業所の稼働停止日は証拠上明らかでないが,他の鉱業所と同様,8月中には,稼働停止したものと推認される。
オ 北海道第一華人収容所は同月15日,作業を停止し,同月27日,被収容者をk平岸事業所に転出させた(証拠<省略>)。
6 企業に対する国家補償(証拠<省略>)
中国人労働者を受け入れた事業場は,就労の成果が上がらなかった,戦後仕事を中止して帰国するまでの間の中国人労働者に対する休業補償に多額の費用を要した,戦後中国人労働者による紛争事件が相次ぎ,施設その他に損害が生じたなどとして,国に対して国家補償を要求し,国もその要望を一部受け入れて,次のとおりの金員を支払った。
(被控訴人Y1)
[1] a鉱業所97万6631円
[2] e鉱業所360万8619円
[3] b鉱業所66万1362円
その余の事業所との合計額774万5206円の補償を受けた結果,被控訴人Y1の中国人労働者移入に関する損失純額は,1322万2046円に減少した。
(被控訴人Y3)
[1] f鉱業所17万0257円
[2] g鉱業所5万9451円
その余の事業所との合計額286万9060円の補償を受けた結果,被控訴人Y3の中国人労働者移入に関する損失純額はなく,むしろ96万5095円の利益を得た。
第4前提となる基本的事実(2)(戦時下の経済法制と労働法制)
1 国家総動員法(証拠<省略>)
(1) 昭和13年(1938年)5月5日,被控訴人Y2は,国家総動員法を施行し,次のとおり定めて,国防目標達成のために国の全力を発揮し得るよう,人的,物的資源を統制,運用することとした(証拠<省略>)。
ア 「政府は(中略)国家総動員上必要あるときは勅令の定むる所に依り帝国臣民を徴用して総動員業務に従事せしむること」ができる(4条)。
イ 「政府は(中略)国家総動員上必要あるときは勅令の定むる所に依り従業者の使用,雇入若は解雇,就職,従業若は退職又は賃金,給料其の他の従業条件」について必要な命令をすることができる(6条。ただし,昭和16年法律第19号による改正後のもの)。
ウ 「政府は(中略)国家総動員上必要あるときは勅令の定むる所に依り総動員業務たる事業に属する工場,事業場,船舶其の他の施設(中略)の全部又は一部を管理,使用又は収用すること」ができる(13条1項)。
(2) なお,石炭は総動員物資であり(2条7号),その生産は総動員業務とされ(3条1号),被控訴人会社らの採炭業務は同法の適用を受けた。
2 国民徴用令(証拠<省略>)
昭和14年(1939年)7月15日,被控訴人Y2は,国家総動員法4条に基づき,国民徴用令を施行し,以後,毎年,労務動員計画又は国民動員計画を作成して労働力不足に対処することとした。
3 重要産業団体令
被控訴人Y2は,昭和16年(1941年)9月1日,重要産業団体令を施行し,鉄鋼,石炭,鉱山等の重要9業種について,実質上のカルテルとして12の統制会を昭和17年(1942年)1月までに設立し,同年5月には更に6業種について9の統制会を設立し,それぞれ当該産業部門の企業を強制加入させた。石炭部門については,昭和16年(1941年)10月に石炭統制会を設立し,以後各企業への目標生産量の割当て,資材,労働力の配分や価格,利潤の決定を同統制会を通じて一元的に行った(証拠<省略>)。
4 工場事業場管理令,重要事業場労務管理令
(1) 工場事業場管理令(証拠<省略>)
被控訴人Y2は,総動員業務たる事業に属する工場,事業場等(以下「工場事業場」という。)を主務大臣により国家管理することを目的として,昭和13年(1938年)5月3日,次の内容の工場事業場管理令を公布し,同月5日から施行した。
ア 主務大臣はその管理に係る工場事業場における総動員物資の生産又は修理に関し,当該工場事業場の業務に付き事業主を指揮監督する(6条)。
イ 主務大臣はその管理に係る工場事業場に付き監理官を置き当該工場事業場の業務の監督に従事させる(7条)。
(2) 重要事業場労務管理令(証拠<省略>)
昭和17年(1942年)2月24日,被控訴人Y2は,国家総動員法6条に基づき,重要事業場(総動員物資の生産若しくは修理又は国家総動員上必要な運輸に関する業務を営む工場,鉱山その他の場所であって,厚生大臣の指定するものをいう。重要事業場労務管理令2条)における労務管理の指導,監督のため,次の内容を含む重要事業場労務管理令を定めた。
ア 事業主は命令の定めるところにより,従業規則,賃金規則,給料規則及び昇給内規を作成し,厚生大臣の認可を受けなければならず,厚生大臣は必要があると認めるときにはその変更を命じることができる(4条,10条)。
イ 厚生大臣は,必要があると認めるときは,事業主又は従業者に対し,従業時間の延長,休暇の制限,従業者の従事すべき業務等,従業者の使用若しくは従業に関する事項,また,従業者の賃金,実物給与等に関し,必要な命令をすることができる(証拠<省略>)。
ウ さらに,同大臣は,重要事業場につき,従業者の労務管理に関する事項に関し,事業主及び従業者の監督指導をさせるため,労務監理官を置き(20条),また,国家総動員法31条の規定に基き,重要事業場の労務管理の状況に関し事業主より報告を徴し又は当該官吏をして重要事業場に臨検し帳簿書類を検査させることができる(21条)。
エ 本件各鉱業所は,いずれも厚生大臣により,重要事業場に指定された(証拠<省略>)。
5 軍需会社法
(1) 昭和18年(1943年)12月17日,被控訴人Y2は,軍需会社法を施行し,次のとおり定めて,経済の軍需化を一層進めるとともに,軍需会社に対する被控訴人Y2の支配を強めた(証拠<省略>)。
ア 「(前略)軍需事業に従事する者は国家総動員法により徴用せられたるものと看做す」(6条1項)。
イ 軍需会社は命令の定めるところにより生産責任者を選任しなければならず,生産責任者は事業場における業務に関し生産担当者を任命することができ,生産担当者は政府に対して,生産責任者の指示に従い,担当業務遂行の責任を負う(証拠<省略>)。
ウ 政府は,軍需会社に対し,期限,規格,数量等を指定し軍需物資の生産,加工又は修理を命ずることができる(8条)ほか,勅令の定めるところにより,勤労管理等に関し,また,定款の変更や事業の譲渡その他の処分に関し,必要なる命令を発することができ,これらの命令違反には刑事罰が科せられる(10条,12条,23条)。
エ 「軍需会社の業務執行,株主総会(中略)其の他軍需会社の運営に関しては(中略)勅令を以て別段の定を為すこと」ができる(14条)。
オ また,政府は,軍需会社に対し,監督上必要なる命令を発し又は処分をすること,その業務及び財産の状況に関し報告を徴し又は当該官吏をして帳簿書類,設備その他の物件を検査させることができ,軍需会社の取締役若しくは監査役を解任し又は業務を執行する社員の業務執行権を喪失させることができるとされた(16条,18条,19条)。
(2) 昭和19年(1944年)4月27日,被控訴人会社らは,いずれも軍需会社に指定され,同法の適用を受けた(証拠<省略>)。
(3) 軍需会社の重要工場事業場には,軍需監理官が配置され,生産遂行の状況を常時考査し,生産推進上必要なあらゆる援助,指導,監督を行うものとされていた(証拠<省略>)。
6 労働者保護法制
(1) 労務者募集規則(昭和15年厚生省令第50号)(証拠<省略>)昭和15年(1940年)11月15日に制定された労務者募集規則は,違反者に刑罰を科すこととして,23条で募集従事者の次の行為を禁止していた。
ア 事実を隠蔽し,誇大虚偽の言辞を弄し,その他不正の手段を用いること(2号)
イ 応募を強要すること(4号)
ウ 応募者の外出,通信若しくは面接を妨げ,その他応募者の自由を拘束したり,過酷な取扱いをすること(12号)
エ 応募者の所在を隠蔽したり,偽ったりすること(13号)
(2) 強制労働禁止条約(証拠<省略>)
ア 被控訴人Y2は,ILOが昭和5年(1930年)6月10日に採択した「強制労働に関する条約」(第29号)を,昭和7年(1932年)11月21日,ILOに批准登録した。同条約は,同条約28条により批准登録から12か月後の昭和8年(1933年)11月21日発効した。
イ 同条約は,強制労働を「或者が処罰の脅威の下に強要せられ且右の者が自ら任意に申出でたるに非ざる一切の労務を謂ふ」と定義し(2条1項),「本条約を批准する国際労働機関の各締盟国は能ふ限り最短き期間内に一切の形式に於ける強制労働の使用を廃止することを約す」と規定する(1条1項)とともに,25条において,「強制労働の不法なる強要は刑事犯罪として処罰せらるべく又法令に依り科せらるる刑罰が真に適当にして且厳格に実施せらるることを確保することは本条約を批准する締盟国の義務たるべし」と定めている。
第5前提となる基本的事実(3)(終戦後の中国人労働者の送還の経緯と実態)
1 昭和17年閣議決定等で掲げられた送還に関する方策
(1) 2年の契約期間が満了した時は,事業場が旅費,実費を負担して,移入労働者を集結地まで送還する。
(2) 同一人を継続使用する場合は,2年経過後の適当な時期に本人の希望により一時帰国を認める。
(3) 疾病その他の理由により就労を継続できない者については,中途でも帰国させる。
(証拠<省略>)
2 中国人労働者の送還の実際-全体の状況-
(1) 終戦前の送還(証拠<省略>)
本格移入は昭和19年(1944年)から開始されたため,終戦前においては,1年の契約期間で試験移入されて期間が満了した者が一部あったにすぎなかった。
終戦前に期間満了により送還した集団は5件合計1001人にとどまり,健康上の理由等で就労不能となった者を送還したのも173人にとどまった。
(2) 終戦後の送還
ア 被控訴人Y2は,ポツダム宣言受諾後の昭和20年(1945年)8月17日,内務省主管防諜委員会幹事会を開き,中国人労働者全員を帰国させることを基本方針とし,被控訴人会社らを含む事業主が中国人労働者に対して差し当たり採るべき措置について,次のとおり申し合わせた(「華人労務者ノ取扱」)(証拠<省略>)。
(ア) 作業続行を中止し,現在地において保護収容する。
(イ) 中国人労働者に対して,契約による賃金,衣食を給し,可及的に処遇改善を図る。
(ウ) 中国人労働者に対する危害,暴行を厳に戒め,傷病者の看護に意を用いる。
(エ) 犯罪容疑をもって留置取調中の者は釈放する。
(オ) 食糧も,米,油,肉を特別配給する。
イ 戦後における送還(証拠<省略>)
(ア) 被控訴人Y2は,同年9月2日調印した降伏文書により,連合国俘虜及び被抑留者を直ちに解放し,その保護,手当,給養及び指示された場所への即時輸送措置をとることを,連合国から命じられた(証拠<省略>)。
(イ) 中国人労働者は,同年10月ころから,新潟,博多,室蘭,長崎等の港を出発地として,日本船により1万0924人が,その後,米軍の上陸用舟艇(LST)により1万9686人が同年12月7日までに集団で中国に送還された。
また,昭和21年(1946年)1月末までに,127人が個別に送還された。
(3) 残留者
昭和21年(1946年)2月末時点でなお日本に残留している中国人労働者は188人であった。うち100人は入院やその付添い,刑務所在監及び希望残留であり,88人は終戦後に逃亡した者や終戦前から不明の者であって,その所在が不明であった(証拠<省略>)。
(4) 賃金等について
ア 華人労務者帰国取扱要領(証拠<省略>)
被控訴人Y2は,終戦後間もなく,「華人労務者帰国取扱要領」を策定し,帰国する中国人労働者の労働条件に関する各事業場の義務等について,次のとおり定めた。
(ア) 契約期間と休業手当
a 昭和20年(1945年)8月15日現在の雇用主は労働者が帰国するまで雇用契約を継続し,この間の給与は従前どおり支給する。
b 就労しない場合の休業手当は,同日前3か月間の平均月収に相当する額の6割以上(その日額が3円に達しないときは3円)とする。この休業手当については国家補償の方途を講じることもある。
(イ) 賃金等に関する雇用主の義務
a 帰国に際して,雇用主は契約上の義務を完全に履行し,保管中の貯金の返還その他の清算を完結する。
b 雇用主は,契約上の義務を履行するほか,手当,賞与など可及的に優遇の方途を講じる。
c 給与の支給に当たっては,可及的に現物によるよう努める。
d 上記各事項の実施については,外務省,内務省,厚生省,運輸省,華北労工協会などが必要に応じて監査を行う。
(ウ) 持参金に関する措置
a 帰国に際し持参金は換金を行う。
b 貨幣換算率は,北支では51倍,中支では71倍とし,上陸地において指定銀行で両替をすることができる。
イ 華人労務者送金要綱(証拠<省略>)
被控訴人Y2は,さらに,具体的な持参金の送金要領につき,次の内容の「華人労務者送金要綱」を策定した。
(ア) 中国人労働者の持帰金は,雇用主が一括して所属統制会あてに送金する。
(イ) 統制会は,送金を受けた金額を横浜正金銀行(以下「正金銀行」という。)で連銀券建送金為替に組み,為替受取人を北京日本大使館あてとし,その為替を中国人労働者が帰国する船に同行する監督者に持参させる。
(ウ) 雇用主に自己の持帰金を預けた個々の中国人労働者は,下船後正金銀行天津支店に行き,雇用主から受け取った預金預証を提出し,邦貨の51倍に該当する額面の連銀券を受け取ることができる。
ウ 持参金処理方針の変更(証拠<省略>)
しかし,「華人労務者送金要綱」は,昭和20年(1945年)10月20日,連合国軍最高司令部の指示により,「華人労務者帰国持参金処理方変更ノ件」として,次のとおり変更された。
(ア) 中国人労働者の持帰金は,一人当たり1000円を限度とする。
(イ) 現地通貨との換算率は,連銀券は日本円と等価とし,儲備券は日本円18円に対し100円とする。
(ウ) 1000円の限度額を超える金額については,被控訴人Y2が責任をもって保管に当たることとし,出港地の海運局がその任に当たる。
(エ) 中国人労働者には,1000円を超過する金額について,各人あてに保管証を交付する。
エ また,同月22日に発せられた「華人労務者帰国持参金処理方ノ件」では,雇用主は,中国人の本籍氏名年齢寄託金額を記載した帳簿5部を出港地の海運局に提出することとなっていた(証拠<省略>)。
オ 華人労務者送金要綱を受けて,被控訴人ら雇用主は,所属統制会を通じて中国人労働者の持帰金を正金銀行天津支店に送金したが,控訴人らが,中国に帰国し,天津で持帰金を受け取る前に,既に同支店は閉鎖されており,結局,控訴人らは,持帰金を受け取ることができなかった。また,控訴人らの賃金等の1000円を超える部分については,海運局に保管された。
カ 昭和21年(1946年)8月27日,司法省民事局長は,「朝鮮人労務者等に対する未払金等の供託に関する件」と題する通達を発し,朝鮮人,台湾人,中国労務者の給与等で支払のできないものについて供託するものとし,昭和25年(1950年)2月28日,同年政令第22号として,国外居住外国人等に対する債務の弁済のためにする供託についての消滅時効は,民法167条1項の規定にかかわらず,別に政令をもって定める日まで完成しないものとし(7条),また,債権者への供託通知を必要ないものとした(11条)(証拠<省略>)。
3 控訴人らの送還の経緯
証拠<省略>によれば,控訴人らが次のとおり中国に送還されたことが認められる。
(1) X13,X14,X15,X33及びX44は,昭和20年(1945年)11月22日,各事業場を出発し,同月24日,日本船栄豊丸で日本を出国した。
(2) X16,X17,X18,X19,X34,X35,X36,X37及びX40は,同月6日,各事業場を出発し,同月7日,日本船江ノ島丸で日本を出国した。
(3) X1,X2,X3,X4,X5,X6,X7,X8,X9,X10,X11,X12,B,X21,X22,X23,X24,X25,X26,X27,X28,X29,X30,X31,X32及びX43は,同月22日,各事業場を出発し,同月24日,アメリカ合衆国のLSTで日本を出国した。
(4) X38,X39,X41及びX42は,同月24日,事業場を出発し,同月27日,日本船明優丸で日本を出国した。
(5) X45は,i北海道第一華人収容所から,同年8月27日,一旦k平岸に移され,同年中に帰国した。
第6前提となる基本的事実(4)(終戦後の資料廃棄,外務省報告書等の作成と公表等)
1 終戦直後の資料廃棄(証拠<省略>)
昭和20年8月14日にポツダム宣言の受諾が決定されると,Y2は閣議で機密文書の焼却を決定し,各省庁はこれに従って公文書を焼却した。上記の焼却命令は,戦争裁判に備えて口頭でなされた。
内務省は選別することなくすべての書類を焼却し,外務省は,これに先立つ同月7日から,極秘記録の非常焼却を開始し,焼却の優先順位は,中国関係,ソ連関係,枢軸国関係であった。
2 外務省報告書等の作成と公表
証拠<省略>によれば,以下の各事実が認められる。
(1) 外務省管理局は,中国の調査団が来日するとの情報を得て,被控訴人Y2の対応の内部資料とするため,中国人労働者が移入されるに至った経緯とその実情及び各事業場で実際に受けた処遇等について中国人労働者を就業させた135の事業所から事業場報告書を提出させ,調査員らによる現地調査報告の結果をまとめた現地調査報告書及び被控訴人Y2の関係資料を踏まえ,昭和21年(1946年)夏ころまでに,外務省報告書として取りまとめた。
(2) 外務省報告書は30部作成され,極秘扱いとされていたが,その後,外務省は,これを英訳してGHQに報告した後,戦犯追及に備える必要性がなくなったと判断し,その基礎資料を含め焼却した。
(3) 外務省報告書の作成に携わった調査員の幾人かが,外務省報告書及び事業場報告書を密かに持ち出して保管していたが,そのうちの1部は,昭和25年(1950年)ころ,東京華僑総会に保管を委託された。
東京華僑総会は,その後,上記両報告書を公表することによって,これらの持出しや保管に関わった者の責任追及や日中間に新たな紛争が生じることを危倶し,公表を控えてきた。
(4) 国会等において,戦時中の中国人労働者の移入問題につき,中国人労働者の意思に基づかずに行われた強制連行・強制労働ではないか等の追及がなされたが,被控訴人Y2は,平成5年(1993年)5月までは一貫して,中国人労働者らの就労は自由な意思による雇用契約に基づくものであった旨の答弁を繰り返してきた。
(5) その後,外務省報告書等が東京華僑総会に保管されていることがNHK記者に明らかとなり,同月17日,スクープ報道され,同年8月14日,外務省報告書の存在及びその内容について詳細な報道が行われた。
(6) そこで,外務省は,平成6年(1994年)6月22日,国会において外務省報告書の存在を公式に認め,中国人労働者の日本への移入が半強制的であったと評価する答弁を行った。そして,外務省報告書のコピーを外務省外交資料館において保管し,国民の閲覧に供することとした。
3 遺骨送還問題
(1) 上記認定のとおり,日本に移入された中国人労働者3万8935人のうち5999人が事業場において死亡したが,その一部の遺骨は送還されておらず,昭和24年(1949年)ころから,東京華僑総会等が,主として△△事件の犠牲者の遺骨を送還するよう被控訴人Y2に要求するなどしてきた(証拠<省略>)。
(2) そして,昭和28年(1953年)2月,日本赤十字社を含む15団体によって結成された「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」がその運動を進める中で,中国人労働者は食事その他の処遇や労働の内容等で残虐な扱いを受けたとして問題にした(証拠<省略>)。これに対し,外務省は「しかるべくあしらっておきました」とし,同省アジア局長は,△△事件の関係遺骨の送還問題については外務省の所管外であり,全く関知しない旨回答した(証拠<省略>)。
(3) 昭和29年(1954年)4月8日,株式会社lが遺骨の引渡について外務省に指示を仰いだところ,外務省アジア局長は,「政府の置かれている立場上,積極的に援助する考えはなく,同社において適当に対応を決定するように」回答した(証拠<省略>)
(4) しかしながら,被控訴人Y2も一定程度この問題に取り組むこととなり,赤十字船により一定数の遺骨が中華人民共和国に送還された(証拠<省略>)。
4 C事件とその後の被控訴人Y2の対応
(1) 日本に移入されてm株式会社昭和坑で働き,終戦直前に脱出して,戦争が終結したことも知らず山中で逃亡生活を続けていた中国人のCが,昭和33年(1958年)2月9日,北海道の山中で発見された(証拠<省略>)。
(2) Cからの強制労働を理由とする補償要求に対し,被控訴人Y2は,契約に基づいて働いていたものであるとしてこれを拒否したが,この問題をきっかけに,被控訴人Y2も,中国人労働者移入の問題を「調査する所存である」と答弁するようになった(証拠<省略>)。
(3) 同年3月12日,日本赤十字社等の4団体が,被控訴人Y2に対し,外務省報告書が存在するはずであるなどとして,これに基づく正確な殉難者の名簿の提示を要望した(証拠<省略>)。
(4) 同年6月ころ,被控訴人Y2は,これに対応して,以後,厚生省が遺骨の調査・発掘業務を,外務省が慰霊・送還業務を行うことを決定し,厚生省は,各都道府県に指示して実態調査等を行い,同年から翌年にかけて遺骨の名簿等を作成した(証拠<省略>)。
(5) 内閣,厚生省及び外務省の関係者による打合せ会における議論を踏まえ,外務事務官(アジア局長)伊関祐二郎は,昭和35年(1960年)5月3日,衆議院日米安全保障条約等特別委員会において,外務省には現在外務省報告書は1部も残っていないと答弁した(証拠<省略>)。
また,内閣総理大臣岸信介は,同月6日付けで,衆議院議長にあてて,「戦時中わが国に渡来した中国人労務者が国際法上捕虜に該当する者であったか否かについては,当時の詳細な事情が必ずしも判明していないので,いずれとも断定しえない」との答弁書を提出した(証拠<省略>)。
5 被控訴人Y2関係者の強制連行の事実に関する発言
(1) 参議院厚生委員会(昭和29年9月6日)における外務省アジア局長中川融の答弁(証拠<省略>)
「戦時中に中国から労務者をこちらへ連れて参りました際には,これはやはり労務者を募集いたしまして,それに応募して来たということになっております。」
(2) 参議院予算委員会(昭和33年3月29日)における内閣総理大臣岸信介の答弁(証拠<省略>)
「17年の東条内閣当時において,華人の労務者を日本に連れてきて何するということについて閣議決定があったではないかという御指摘でございます。これは私正確な記憶ではございませんが,当時,日本の労務者が足りなかったので,華人労務者を連れてくる。しかし,これはすべて契約によって当の本人が受諾してくる,任意の者を連れてくるという建前であったと,明瞭にそういうふうに記憶いたしております。」
(3) 衆議院外務委員会(昭和33年4月9日)における内閣総理大臣岸信介及び内閣官房長官愛知揆一の答弁(証拠<省略>)
ア 内閣総理大臣岸信介
「政府として当時の事情を明らかにするような資料がございませんし,それを確かめる方法が実は現在としてはないのであります。あの閣議決定の趣旨は,そういう本人の意思に反してこれを強制連行するという趣旨でないことは,あの閣議のなんでも明らかでありますが,しかし事実問題として,強制して連れてきたのか,あるいは本人が承諾して来たのか,これを確かめるすべがございませんので,政府として責任をもってどうだということを今の時代になって明らかにすることはとうていできないと思います。」
イ 内閣官房長官愛知揆一
「昭和17年当時でございますか,閣議の決定において,華人労務者の移入を取りきめた当時の事情というものは,閣議の決定としては,これはあくまで契約労務者の移入であったわけであります。」
(4) 衆議院外務委員会(昭和33年7月3日)における外務事務官(アジア局長)板垣修の答弁(証拠<省略>)
「これはもともと雇用契約で入ったものでありますから,戦時中就労中はもちろん賃金が払われておったものと思います。」
第7前提となる基本的事実(5)(戦後における日本と中華人民共和国及び中華民国との外交関係)
1 中華人民共和国の建国と中華民国との関係(公知の事実)
(1) 被控訴人国がポツダム宣言を受諾し,中国大陸及び台湾島等から兵力を撤退した後,中国国内では,蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党とが覇権を争い,昭和24年(1949年)10月1日には毛沢東らによって中華人民共和国の建国が宣言されて以後,両政権がそれぞれ正統性を主張し合う状態が続いた。
(2) 同年12月,蒋介石は台湾に逃れたため,中華民国が実効的に支配をしているのは台湾と澎湖列島だけとなり,大陸については,中華人民共和国が支配することとなった。
2 サンフランシスコ平和条約の締結(公知の事実)
(1) 第二次世界大戦後の冷戦状態の下で,日本国内では,平和条約をどの国との間で締結するかを巡って,いわゆる単独講和か全面講和かが問題となった。
(2) 被控訴人Y2は,最終的に単独講和を選択し,昭和26年(1951年)9月8日,第二次世界大戦における連合国(以下「連合国」という。)中の48か国との間で,戦争状態を終了させ(1条(a)),連合国が日本国民の主権を承認する(1条(b))とともに,領域(第2章),請求権及び財産(第5章)等の問題を最終的に解決するため,サンフランシスコ平和条約を締結した。
(3) しかし,同条約には,世界の有力国であるソヴィエト社会主義共和国連邦等は署名を拒み,インド等は招請に応じず参加しなかったし,中国についても,中華民国と中華人民共和国のいずれが正統性を有する国家か,諸国の間で意見が分かれたので,そのいずれも同条約の締約国とはならなかった。
(4) 同条約は昭和27年(1952年)4月28日発効した。
3 サンフランシスコ平和条約の主な内容
同条約中,本件と関係する重要な部分の内容は次のとおりであった。
(1) 賠償
ア 日本国は,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし,また,存立可能な経済を維持すべきものとすれば,日本国の資源は,日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される(14条(a)柱書き)。
イ 日本国は,現在の領域が日本国軍隊によって占領され,且つ,日本国によって損害を与えられた連合国が希望するときは,生産,沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによって,与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために,当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする(14条(a)1。以下,この規定による役務の供与を「役務賠償」ということがある。)。
ウ 各連合国は,日本国及び国民等のすべての財産,権利及び利益でこの条約の最初の効力発生の時にその管轄の下にあるもの(戦争中連合国政府の許可を得て連合国領域に居住した日本人の財産等一定の例外を除く。)を差し押え,留置し,清算し,その他何らかの方法で処分する権利を有する(14条(a)2)。
エ 日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に償いをする願望の表現として,日本国は,戦争中中立であった国にある又は連合国のいずれかと戦争していた国にある日本国及びその国民の資産又は,日本国が選択するときは,これらの資産と等価のものを赤十字国際委員会に引き渡すものとし,同委員会は,これらの資産を清算し,且つ,その結果生ずる資金を,同委員会が衡平であると決定する基礎において,捕虜であった者及びその家族のために,適当な国内機関に対して分配しなければならない(16条)。
(2) 連合国及び日本が行った請求権放棄
ア この条約に別段の定がある場合を除き,連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する(14条(b))。
イ 日本国は,戦争から生じ,又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し,且つ,この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在,職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する(19条(a))。
(3) 中国との関係
中国は,連合国の一員として,本来,講和会議に招請されるべきであったが,昭和24年に成立した中華人民共和国政府と,これに追われる形で台湾に本拠を移した中華民国政府が,いずれも自らが中国を代表する唯一の正統政府であると主張し,連合国内部でも政府承認の対応が分かれるという状況であったため,結局,いずれの政府も講和会議には招請しないこととされた。ただし,日本国の中国における権益の放棄(10条),在外資産の処分(14条(a)2)に関しては,中国はサンフランシスコ平和条約の定める利益を受けるものとされた(21条)。
4 中国における日本人財産の没収及び日本の中間賠償(証拠<省略>)
中国は,昭和20年(1945年)10月「日僑財産処理弁法」を公布し,その領域内の日本人財産(終戦当時の規模は合計2812億2900万円であった)を没収した。
また,被控訴人Y2は,中間賠償として,昭和25年(1950年)5月までに,評価額合計約1億6500万円の工業施設を撤去し,その54.1パーセントを中国に対して引き渡した。
これらは,いずれも被控訴人Y2が,日本国民の私有財産等を,中国に対し引き渡したものであった。
5 日華平和条約(公知の事実)
(1) 被控訴人Y2は,その後,上記(1)イに基づく役務賠償等に関する交渉を連合国各国と進めるとともに,サンフランシスコ平和条約の当事国とならなかった諸国又は地域についても,戦後処理の枠組みを構築する二国間平和条約等を締結すべく交渉を行うこととなった。この中で,最大の懸案となったのは,講和会議に招請されなかった中国との関係であった。
(2)ア 日本と中華民国は,サンフランシスコ平和条約の発効日である昭和27年(1952年)4月28日,両国間の戦争状態を終了させるため,日華平和条約を締結し,同条約は同年8月5日発効した。
イ 同条約1条は,「日本国と中華民国との間の戦争状態は,この条約が効力を生ずる日に終了する。」と規定している。
ウ 同条約11条は,「この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サンフランシスコ平和条約の相当規定に従って解決するものとする」と規定している。
エ 条約の不可分の一部をなす議定書の条項として,中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サンフランシスコ平和条約14条(a)1に基づき日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄すること(議定書1(b))が定められている。
オ 同条約の附属交換公文には,「この条約の条項が,中華民国に関しては,中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入るすべての領域に適用がある」との記載がある。
6 日中共同声明(公知の事実)
(1) その後も,中国においては,中華民国と中華人民共和国が台湾等を含めた全土について主権を有する正統な国家であると主張し合い,世界においても,一部の国は中華民国を正統な国家と認めて同国と国交を結び,また一部の国は,中華人民共和国を正統な国家と認めて同国と国交を結ぶという対立状態が続いた。
(2) 被控訴人Y2は,その後,中華人民共和国政府を中国を代表する唯一の合法政府であると承認し,昭和47年(1972年)9月29日,中華人民共和国政府とともに,日中共同声明に署名した。
(3) 同声明では,「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は,この共同声明が発出される日に終了する。」(1項),「日本国政府は,中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。」(2項),「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」(5項)等の条項がある。
7 日中平和友好条約(公知の事実)
(1) 日本と中華人民共和国は,昭和53年(1978年)8月12日,北京で,日中平和友好条約に署名し,同条約は,同年10月23日発効した。
(2) 同条約前文では,日中共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認するとされている。
8 中華人民共和国民の海外渡航の可否及び中国における対日賠償請求等
(1) 中華人民共和国には,従前,日本における出入国管理法に相当する法律がなく,同国民は私事を理由とする出国ができなかった(弁論の全趣旨)。
(2) 昭和60年(1985年)11月22日,中華人民共和国においても,次の内容を含む公民出国入国管理法(証拠<省略>)が制定され,翌昭和61年(1986年)2月1日から施行された。同法は次のとおり規定している。
ア 中国公民の私事による出国は(中略),第8条に規定する状況に該当する場合を除き,すべて許可を取得することができる(5条1項)。
イ 国務院の関係主管機関が,出国後,国家の安全に危害をもたらし,又は国家の利益に重大な損失をもたらすおそれがあると認定した者に対しては出国を許可しない(8条5号)。
ウ さらに,同法実施細則(証拠<省略>)は,出国の際の手続を定め,出国事由の証明として,親族又は友人の訪問の場合は,その親族又は友人の招請証明の提出などを要求している。なお,訴訟提起目的の出国の場合について,直接の手続規定はない。
(3) 中国の法律,経済学者である童増は,平成3年(1991年)3月,全国人民代表会議に,日本に対する各個人の賠償請求を実施すべき旨を建議する意見書を提出した。その後,国民の間で,次第に賠償請求の動きが強まっていった(証拠<省略>)。
(4) 銭其・外交部長(日本の外務大臣に相当する。)は,平成7年(1995年)3月7日,全国人民代表大会において,日中共同声明が放棄した賠償請求権に,個人の賠償は含まれないと述べたと報道された(以下,この発言を「銭発言」という。)。もっとも,銭発言は,中華人民共和国の台湾代表(中華民国の代表ではない。)との討議の席上述べられた旨を同代表が明らかにしたものであり,銭外交部長自ら又は外交部が公式に表明したものではない(証拠<省略>)。
(5) 他方で,銭外交部長は,平成4年(1992年)3月23日,記者会見において,「戦争賠償の問題については,中国政府は,1972年の『日中共同声明』の中で明確に表明を行っており,かかる立場に変化はない。」と述べた(証拠<省略>)。
(6) 中国外交部は,平成7年(1995年)5月3日,村山総理大臣の訪中の際,記者団の質問に答えて,「賠償問題は既に解決している。この問題におけるわれわれの立場に変化はない。」と述べている(証拠<省略>)。
(7) また,平成10年(1998年)の江沢民国家主席の訪日に際しては,日本に対して謝罪を求めることは意識されていたものの,中国外交部の見解は,賠償請求については国民のものも含めて解決済みであるというものであった(証拠<省略>)。
第8当事者の主張
1 当事者の主張は,次のとおり修正し,後記2のとおり当審における主張を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」の「第8 争点及び当事者の主張」に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決85頁18行目の「大谷鉱」を「大谷坑」に改める。
(2) 同90頁15行目の「最高裁判所第三小法廷」を「最高裁第一小法廷」に改める。
(3) 同115頁8行目の「第3原則」を「第2原則」に改める。
(4) 同116頁8行目及び同125頁20行目の各「明治憲法」を各「旧憲法」に改める。
(5) 同122頁15行目の「交付し」を「公布し」に改める。
(6) 同128頁25,26行目を次のとおり改める。
「エ 被控訴人Y1は,X1ないしX18の各控訴人に対し,平成15年7月10日の原審口頭弁論期日において,X20ないしX33の各控訴人に対し,平成16年1月28日の原審口頭弁論期日において,X43,X44の各控訴人に対し,平成17年9月21日の原審口頭弁論期日において,それぞれ上記消滅時効を援用するとの意思表示をした。」
(7) 同131頁3行目の「平成7年3月9日」を「平成7年3月7日」に,同132頁12行目の「平成7年(1995年)3月9日」を「平成7年(1995年)3月7日」にそれぞれ改める。
(8) 同135頁14行目の「(ア)」を削る。
(9) 同141頁1,2行目の「原告らに対し,」を「X19,X34ないしX39の控訴人らに対し,」に改める。
(10) 同144頁7行目の「平成15年7月10日の本件口頭弁論期日において,」を「X1ないしX18の各控訴人に対し,平成15年7月10日の原審口頭弁論期日において,X20ないしX33の各控訴人に対し,平成16年1月28日の原審口頭弁論期日において,X43,X44の各控訴人に対し,平成17年9月21日の原審口頭弁論期日において,」に改める。
(11) 同頁21行目の「上記5」を「別紙10『戦前の不法行為についての民法724条前段の適用』」に改める。
(12) 同146頁25行目の「平成11年(1991年)」を「平成11年(1999年)」に改める。
(13) 同147頁8行目の「上記5」を「別紙10『戦前の不法行為についての民法724条前段の適用』」に改める。
2 当審における主張
(1) 国家無答責の法理について
ア 控訴人ら
最高裁昭和31年4月10日第三小法廷判決・裁判集民事21号665頁は,従来であれば当然に公権力の行使と認めてきた警察官の過失が問題となった事案について,公権力の行使たる警察作用に属しないと解した上で,昭和25年判決とは事案を異にするとして,国の損害賠償責任を認めている。
この点から考えても,判例上,国家無答責の法理は確立されたものではなく,原審において控訴人らが主張してきたとおり,流動的なものであり,変遷を繰り返していることが明らかである。したがって,本件につき昭和25年判決と事案を異にし,国家無答責の法理は適用されないと解することも十分に可能である。
イ 被控訴人Y2
上記判決は,警察官の行為が公権力の行使に当たらないと判断した上で,昭和25年判決とは事案を異にするとしたものであって,国家無答責の法理を当然の前提としていることは明らかである。
(2) 安全配慮義務違反について
ア 控訴人ら
(ア) 被控訴人会社らの安全配慮義務について
a 原判決は,安全配慮義務を認めることは違法状態の継続を認めることになるという観念論を述べるのであるが,逆に,強制労働関係に安全配慮義務の成立を否定する原判決の論理こそが,他人に労働を強制しながら,その安全に配慮すべき義務すらも認めない,まさに違法状態を容認する考え方である。
強制労働関係を違法であると評価することと,安全配慮義務の成立を認めることとは,全く次元の異なる事柄である。これを認めたからといって,違法状態の継続を容認することにはならない。強制労働を違法であると評価しつつ,安全配慮義務の成立を認めることは十分に可能である。というより,強制労働が違法であるからこそ,その違法状態のさらなる昂進を抑止するために,安全配慮義務の成立を認める必要があるのである。違法に労働を強制された上に安全配慮すらもされないのでは更に不条理である。だからこそ,強制労働関係においても安全配慮義務の成立を認める必要があるのであり,むしろ強制労働関係であるが故に,これを認める必要性はより高いのである。
b 原判決は,不法行為者に対して信義則を要求することは背理というべきである,と述べるが,これは,本件における控訴人ら・被控訴人らの具体的関係を踏まえない,全くの観念論であるというほかない。
被控訴人会社らに要求される信義則の内容とは,労務者に対して労務の提供を求める以上,その労務の提供のために必要なことは講ずるべきであるということである。労務の提供をするのに必要な前提すら提供しなければ,労務者が労務を提供しようにも提供自体できない。労務の提供を要求する以上,労務の提供をするための最低限の条件整備をすることは最低限の信義であり,これさえ怠ることは信義にもとるということなのである。
c 原判決は,当事者が当事者間の関係を是認していることを要するとするが,そもそも安全配慮義務は,当事者間の実態関係の実質的内容に鑑みて認められる義務であり,その際,当事者が当事者間の関係総体を是認しているか否かは問題ではない。そのような要件を要求することは,安全配慮義務の成立する場面を不当に狭め,当事者間の実質的公平を図る安全配慮義務理論の機能を損なう。そうであるからこそ,昭和50年判決は(そして,平成2年判決,平成3年判決も),かかる要件を要求していないのである。
本件においては,当事者が当事者間の関係を是認していたか否かが問題なのではない。問題は,被控訴人会社らが,控訴人らに対し労務の提供を要求したこと,そうである以上,控訴人らが労務を提供するに当たって最低限必要な安全には配慮すべきであるということなのである。
d 原判決の論理は,ひとたび不法行為が開始されてしまえば,不法行為者に対して信義を要求することはできないから,それ以後の行為は全て不法行為の範疇において評価されるにすぎないというものである。これは,不法行為開始後は,法は,不法行為者に対して不法行為の差し止めを要求する以外には何らの働きかけを行うこともなさず,ただ手をこまねいて不法行為の進行,さらには更なる違法状態の昂進・発生をも放置するしかないとの立場をとるに等しい。
しかし,かかる原判決の立場は,およそ法なるものが一般的に採り得ないものであり,現に,法は,様々な場面においてかかる立場を厳に排斥している。一般に,法は,不法行為者が不法行為を開始した後も,不法行為を是正させることができないなどとは考えておらず,不法行為者に対して,様々な場面で,何らかの措置を義務づけるなどして,ある行為をなすことを期待し,被害の拡大を防ごうとする態度をとっているのである。
原判決の立場は,かかる法の一般的態度に真っ向から反するものである。
(イ) 被控訴人Y2の安全配慮義務について
原判決は,「厚生大臣は,事業主又は従業者に対し,労働条件等について,必要な命令をすることができ,また,労務監理官を置いて,従業者の労務管理に関する事項に関し,事業主及び従業者の監督指導を行うことができたものであるが,本件各鉱業所について,原告らの労働条件や労務管理に関し,厚生大臣が具体的に命令をしたり,労務監理官が具体的な監督指導を行ったことを認めるに足りる証拠はない。」とし,被控訴人Y2の安全配慮義務違反を否定した。
しかし,軍需会社法及び重要事業場労務管理令に基づき,厚生大臣が具体的に命令をしたり,労務監理官が具体的な監督指導を行ったことを認めるに足りる証拠はあり,また,被控訴人Y2が,中国人強制連行に関する文書類のすべてを戦後間もなく焼却することによって隠蔽したことにより,強制連行の具体的実施の過程を記した文書類はきわめて限られ,多くは間接証拠,伝聞証拠とならざるを得ないものであり,それは,被控訴人らによる違法,不当な関係文書の焼却,隠蔽の結果なのであるから,それによる不利益は被控訴人らに帰せられるべきである。
イ 被控訴人Y1
控訴人らは,原判決が,不法行為と安全配慮義務が両立しない旨を判示したことを非難するが,これまでの最高裁判例も,安全配慮義務を,不法行為責任とは区別される契約責任の範囲内の問題として捉えていることは明らかであり,原判決の判断は正当である。仮に,不法行為が成立するとすれば,控訴人らが安全配慮義務違反として主張する事実は,一連の不法行為における,違法性の程度・内容及び損害を判断するに当たって考慮されるべき事柄である。
ウ 被控訴人Y3
原判決も認定しているとおり,安全配慮義務は,契約規範に基づく義務である以上,単なる労務提供請求意思や危険責任・報償責任を理由として,何ら法律関係に基づかない単なる事実上の支配従属関係がある者らの間に,安全配慮義務発生の根拠である「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」が認められるというものではない。
控訴人らの主張は,被控訴人会社らにより強制的に労働に従事させられた,というものであり,かかる主張を前提とする限り,使用者側にも労働者側にも契約上あるいは契約に準ずる労働関係を設定する意思は全く存しないのである。すなわち,控訴人らの強制労働という主張を前提とする限り,単なる事実上の支配従属関係が存在するのみである。
したがって,控訴人らと被控訴人らとの間には,契約責任である安全配慮義務が成立する余地はなく,控訴人らの主張は,失当である。
エ 被控訴人Y2
控訴人らが指摘する事実は,結局のところ,被控訴人会社らが各事業所において控訴人らに対し直接指揮監督をするなどしてその労務を管理していたことに対して,被控訴人Y2が,法律,命令,通牒等により規制を加え,あるいは,見張所等の設置,立会い,取締り等の間接的な方法で被控訴人会社らが各事業所において行う労務管理に対して統制を加え,関与していたことをいうにすぎず,当事者間における直接具体的な労務の支配管理性をいうものではない。
(3) 戦後における不法行為について
ア 控訴人ら
(ア) 真相を隠蔽し,証拠資料を廃棄処分するなどの行為
昭和20年8月15日,日本は終戦を迎えた。その直後である同年8月16日,軍需省は戦時中の中国人,朝鮮人に関する統計資料,訓令その他の重要書類を私物といえども一切残さず焼毀することを命じ,これに従って多くの書類が焼却処分された。その後,外務省は,連合国側からの戦犯追及に備えるために,中国人労働者を就業させた全国135の事業所から事業場報告書を提出させ外務省報告書を作成した。ところが,被控訴人らは上記の如く事業場報告書や外務省報告書を作成した一方で,これらの報告書の存在が戦犯追及の資料として使用されることをおそれ,外務省は同省が保管しているうちの1部を残し,外務省報告書及びその基礎資料をすべて焼却することとした。また,被控訴人会社らは,被控訴人Y2の事業場報告書等の焼却指示に唯々諾々として従い,強制労働に関する膨大な記録と事業場報告書を破棄処分した。
そして,被控訴人Y2は,平成5年(1993年)までは,「強制連行・強制労働の事実は資料が無いため明確ではない」と虚偽の国会答弁をし,戦後まもなく実態調査を行った事実すら否定していた。同年6月7日の第126国会(参議院予算委員会)において,アメリカの公文書館から発見された文書を突きつけられ,ようやく調査を行い,外務省報告書を作成した事実を認めるに至った。
このように,被控訴人Y2は,戦後まもなく本件に関する実態調査を行い,その結果として外務省報告書を作成したものの,これを被害者らの被害回復のために利用するどころか,むしろこれを破棄・隠匿して戦後50年間という長きにわたり自らの犯罪的行為が明らかになることを妨害してきたものであり,控訴人らは,被控訴人らの戦後の前記行為によって,犯罪の被害者にとって極めて重要な権利である真相を知る権利を奪われていたのである。
(イ) ILO29号条約による刑事制裁義務を懈怠しただけでなく,積極的にこれを免れようとした行為
a ILO29号条約は,2条1項において,強制労働は,「或者が処罰の脅威の下に強要せられ且右の者が自ら任意に申出でたるに非ざる一切の労務を謂ふ」と定義し,1条1項において,「本条約を批准する国際労働機関の各締約国に能ふ限り最短き期間内に一切の形式に於ける強制労働の使用を廃止することを約す」と規定するとともに,25条において,「強制労働の不法なる強要は刑事犯罪として処罰せらるべく又法令に依り科せらるる刑罰が真に適当にして且厳格に実施せらるることを確保することは本条約を批准する締約国の義務たるべし」と定めている。
被控訴人Y2は,強制労働禁止条約の締約国として,自ら強制労働に加担することができないことはもちろんのこと,強制労働禁止条約に違反する強制労働がなされた場合,当該強制労働を行った者に対して「刑罰が真に適当にして且厳格に実施せらるることを確保すること」を義務付けられている(同条約25条)。
したがって,被控訴人Y2は,ILO29号条約25条に基づいて,強制労働の事実を把握した場合,強制労働を行った者に対して刑事制裁を課すべき義務を負うのである。
b 被控訴人Y2は,遅くとも外務省管理局が,中国人労働者が移入されるに至った経緯とその実情及び各事業場で実際に受けた処遇等について中国人労働者を就業させた135の事業所から事業場報告書を提出させ,調査員らによる現地調査報告の結果をまとめた現地調査報告書及び被控訴人Y2の関係資料を踏まえた上で外務省報告書を作成した昭和21年(1946年)夏ころまでには,強制労働の事実を正確に把握したものと認められ,同時点で,強制労働を行った者に対して刑事制裁を課すべき義務を負ったものというべきである。
そして,被控訴人Y2は,ILO29号条約上の刑事制裁義務を誠実に履行する意思さえあれば,当時,国交がなかった中国に出向き中国人被害者らから事情聴取をするまでもなく,直ちに,強制労働に関与した企業や日本人に対して,刑事制裁を課すことは十分に可能であった。
それにもかかわらず,被控訴人Y2は,企業らに対して刑事制裁を課すことはなかった。そればかりか,被控訴人Y2は,強制労働を行った者に対して刑事制裁等の不利益が及ぶのをさけるために,事業場報告書及び外務省報告書等の焼却を行い,1部だけ保管していた両報告書の公表も控えるなどの証拠隠滅行為によって,犯罪者である強制労働を行った企業や日本人を免罪するための活動を行っている。
このように,被控訴人Y2は,ILO29号条約の締約国として,同条約に違反する強制労働がなされた場合,当該強制労働を行った者に対して刑事制裁を課すことを義務付けられているにもかかわらず(同条約25条),それを怠ったばかりか,むしろ事実と証拠の隠蔽行為によって,その義務の履行を積極的に妨害した。このように一定の作為義務を負っている者が,単に不作為によって義務を履行しないばかりではなく,積極的に証拠を隠蔽するなどして,債権者の権利行使を妨害した場合には,証拠隠滅等の行為自体が新たな不法行為に当たり,債務者には不法行為に基づく損害賠償責任が債務不履行責任とは別に生じるというべきである。
(ウ) 国会での虚偽答弁等によって真実を隠蔽して控訴人らの真実を知る権利と死者を追悼する権利を侵害した行為
a 被控訴人Y2は,戦後,外務省報告書を作成し,強制連行・強制労働の事実を把握していたにもかかわらず,これを隠し,昭和25年4月3日の第7国会(衆議院外務委員会)において,華人労務者の虐待及び行方不明問題についての質問に対し,政府委員(検務局長)は,「具体的事実を初めて知った,調査をする」という趣旨の回答をした(証拠<省略>)。
被控訴人Y2は,その後,△△事件における中国人犠牲者の慰霊と遺骨送還について,「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」の要望書と,遺骨送還事業について政府の協力を依頼した東京華僑総会副会長らの外務大臣宛の要望書については,適当にあしらうこととし(証拠<省略>),△△事件関係遺骨の送還問題について外務省アジア局長は「外務省の所管外であり,全く関知しない」旨回答した(証拠<省略>)。
被控訴人Y2は,全国各地の事業所で就労させられ死亡した中国人労務者の慰霊や遺骨送還問題が浮上すると,自らの関与を否定し,拱手傍観する態度を決め込むこととしたのであるが,実のところは,中国人労工の遺骨問題が生じ始めたころである昭和27年(1952年)8月22日の慰霊祭に被控訴人Y2と被控訴人会社らが出席したり(証拠<省略>),昭和29年(1954年)4月8日に株式会社l東京事務所所長が,中国人労工の変死者の遺骨引渡し要請にどのように対応すべきか外務省の指示を仰いだりしており(証拠<省略>),被控訴人Y2と加害企業らは緊密な連絡体制をとっていたのである。
結局,Y2と企業は相互に連携をとりながら,戦後においても中国人被害者の遺骨の存在を公にせず,その存在を隠蔽しようとしてきたのである。
b 遺骨送還に関する被控訴人Y2の悪質な対応
昭和30年代に入ると,華人労務者の遺骨送還等について,被控訴人Y2に実施を求める要望が強くなり,被控訴人Y2としても,関知しないと言い逃れることが困難となってきた。また,内外の世論の関心も高まり,これ以上問題が大きくなると中国側からの賠償問題にも発展するおそれがあり,被控訴人Y2は遺骨送還問題に関与せざるを得なくなり調査を約束したものの,既に判明した調査結果を公表し中国側に提示することもなく,国会においては引き延ばしのための虚偽の答弁を画策するなど,その対応は悪意に満ちたものであった。
c 加害者である被控訴人らは,被害者である中国人労働者の遺骨についてその氏名を調べ,名簿から出身地を割り出し,遺族に送り届けるべき義務があるにもかかわらず,それを怠った。中国人被害者の遺骨は,沈黙のうちに強制労働の悲惨さを示す客観的な証拠でもある。それを放置し,全国各地に散逸させることは,重要な証拠を隠滅する行為と評価できる。
控訴人らは,文書記録や遺骨を隠匿・破棄されたことによって自らが受けた屈辱的体験についての真実を知る権利を侵害された。
また,生死を共にした仲間の遺骨を持ち帰ることもできず,また戦後においても,遺骨が加害国である日本に置き去りにされ,遺骨を中国本土に埋葬し,死者の霊を慰めるという機会も奪われてしまい,そのことによって深い精神的苦痛を受けた。
d(a) 犯罪被害者が被害回復を要求する過程の中で,重要なのは,被害者が加害事実に関する情報にアクセスし,真実を知ることである。被害者は自らに加えられた加害行為について,真実を知る権利がある。かかる権利が行使されないことで,被害者は誤解を受け,名誉を毀損される,社会から差別を受けるなどの二次被害が発生する。また,加害者に謝罪を要求するという権利も行使できないことになる。このように,被害者が真実にアクセスすることは独立に保護された法的権利というべきである。
(b) また,生死をともにした仲間や同胞の遺骨を埋葬し,その死を弔い,霊を慰めることは,人間にとって最も基本的な感情の一つである。
ところが,被控訴人らは,調査もせず,民間団体からの要請に対しても,外務省は関与を否定し,ひたすら責任を回避し続けてきた。また,被控訴人会社らも,戦後中国犠牲者の遺骨についてはこれを放置するなど不誠実な対応をとってきた。
このような被控訴人らの対応は,控訴人らの同胞の死を悼み死者を弔うという人としての自然な感情を侵害するのみならず,控訴人らの苦痛をことさらに増幅させるものであった。さらに,既に調査結果が出ており,遺骨の引渡しが可能であったにもかかわらず,その結果を長時間にわたり隠蔽し続けたという被控訴人らの行為は,控訴人らのかかる精神的苦痛をさらに拡大させた。
(エ) 日本企業での労働が「任意の契約に基づくものであった」とする虚偽の国会答弁によって控訴人らの名誉を侵害した行為
被控訴人Y2は,既に述べたとおり,本件強制連行・強制労働の実態を把握していたが,外務省報告書等の資料が存在しないため事実が不明であるとの虚偽の国会答弁を続けた。そして,控訴人らが強制的に連行され,強制的に働かされたことを知悉しながら,真実とは異なる虚偽の説明・国会答弁を故意に重ねてきた。
以上のとおり,外務省報告書と強制連行・強制労働問題については日本国を代表する内閣総理大臣を含む被控訴人Y2が一丸となって繰り返し虚偽答弁を行い,外務省もそれに口裏を合わせた。そして,戦後47年も経って,NHKの報道によってそれまでの言い逃れができなくなった被控訴人Y2は,ようやく外務省報告書の存在を認めるに至った。
その結果,控訴人らの中には,帰国後,戦争中の敵国日本の炭鉱で働いたということで,村人から白眼視され,「日本の回し者だ,特務だ」と非難され,文化大革命の際には迫害や差別を受けるなどの被害を受けており,その被害は未だに回復されていない。
(オ) 被控訴人Y2において受領した持帰金の未清算をめぐる不法行為責任
a 戦後,被控訴人Y2が,中国人らの賃金・持帰金の受取り方法を詳細に定めたものの,実際に賃金・保管金を受け取ることができた控訴人はいない。
被控訴人Y2は,現在においても,自ら定めた賃金の支払や持帰金の清算義務を果たしていないのである。
作為義務を負っている債務者が,単に不作為によって債務を履行しないのではなく,積極的に,証拠を隠滅するなどして,債権者の権利行使を妨害した場合には,本来的な債務不履行責任が存在するだけではなく,証拠隠滅等の行為自体が新たな不法行為を構成し,そのことによって債権者に被害が発生したときには債務者には不法行為に基づく損害賠償責任が生じる。
本件において,控訴人ら中国人に対し戦後実行されたはずの未払賃金の供託金に対する還付請求権については,消滅時効が適用されないこととなっており,被控訴人らは,現在においても未払賃金の清算義務を負っているというべきである。
被控訴人Y2が,中国人労働者に対して負っている供託金や持帰預託金を返還すべき義務を履行するためには,中国人労働者が預託金の受け取りを申し出た際に,その労働者に対していくらの金を返還すべきであるかが明らかでなければならず,各中国人労働者に返還すべき金額を明らかにするためには,各労働者がいつ日本国に連れてこられ,どこの事業場で,どのくらいの期間働いていたのか,いつ,どの港から中国に向けて帰国したのかなど詳細な情報を義務履行者である被控訴人Y2において,きちんと把握しておく必要がある。
外務省報告書には,どの中国人労働者が中国のどこから連れてこられたのか,そして,日本国内のどこの事業場で就労させられたのか,また,日本のどの港から中国のどこに向けて帰国して行ったのか等,詳細な情報が記録されており,被控訴人らが後に,中国人労働者に供託金や預託金の返還を行う際の貴重な資料となるものであった。
しかるに,被控訴人Y2は,上記返還義務を履行しなかっただけではなく,外務省報告書等の資料について,前記のとおり,その存在すらひた隠しにし,平成5年(1993年)5月11日の国会においても外務省アジア局地域政策課長が「外務省報告書は存在しない」と答弁をするなど,積極的に虚偽の答弁を行うことによって,責任を回避する態度をとり続けてきた。
このような被控訴人Y2の態度は,消費者金融業者が,過払金返還義務を果たさないだけではなく,証拠を隠滅するなどの積極的な妨害行為に出た場合と同視できるものであり,被控訴人Y2は,新たな不法行為に基づく損害賠償責任を負うものである。
b 被控訴人会社らが受け取った賃金補償金の未清算をめぐる不法行為責任被控訴人会社らは,控訴人ら中国人への賃金の支払が未了であるにも関わらず「賃金を全て支払ったとの前提」で「損失補償」の名目で被控訴人Y1においては774万5206円を,また,被控訴人Y3においては286万9060円を,それぞれ「損失補償」の名下に請求し,被控訴人Y2からその補償の支払を受けている。(証拠<省略>)。
しかし,結局,正金銀行天津支店の閉鎖により,実際には中国人自身は賃金の支払を受けていない。つまり被控訴人会社らは賃金の支払を免れた一方で,被控訴人Y2からの補償金の利得をしているのである。中国人労働者の労働により企業利益を得る一方で,賃金の支払を免れるのみならず,巨額の補償金まで取得するのは二重三重の利得であり,驚くべき不公平である。
そして,1972年に国交が回復した後は,本来,被控訴人会社らが有していた筈の中国人労働者に関する情報を基に,未払賃金,少なくとも被控訴人会社らが被控訴人Y2から受けた補償金に見合うだけの賃金を支払うべき義務を履行することが十分に可能であった。
しかし,被控訴人会社らは,未だに控訴人らに対して賃金を支払っていない。
c そして,被控訴人Y2と被控訴人会社らのそれぞれの行為に関連共同性があり,被控訴人会社らは,被控訴人Y2と共同不法行為責任を負うものである。
d 賃金支払及び持帰預託金の未清算をめぐる不法行為によって控訴人らが被った被害
控訴人らを含む中国人は,一様に帰国後受け取るはずであった賃金・保管金を受け取ることができず,それについて悔しさを滲ませて語っている。
このような中国の人々に対する未払賃金の供託金に対する還付請求権については,消滅時効が適用されないこととされている。したがって,被控訴人Y2は,供託金について還付の請求があればその返還をしなければならないはずである。しかし,被控訴人Y2の対応は,『保管証控え』が焼失しているため確認ができない,という形式的理由により,預託金の支払についてはその責任を回避する態度をとっている。被控訴人自らの過失により資料を紛失したために,調査義務を免れる,還付金の支払を免れるということにならないのは当然である。
また,被控訴人らは未払賃金についても,その供託の内容すらこれを明らかにせず,未払賃金の清算を怠り続けて今日に至っている。
このように,被控訴人Y2が,控訴人らの財産権を侵害し,かつ,責任を免れる態度を漫然と続けていることにより,控訴人らに次のような被害を与えた。
控訴人らは,戦争が終わり戦勝国である中国に帰国する際には,少なくとも生命と健康を犠牲にした労働の対価としての賃金を受け取ることができると期待した。前記の事実のとおり,戦後被控訴人Y2も企業も賃金を支払うこととしたのである。しかし実際には,帰国に際して賃金の支払はなされていない。そのため多くの控訴人らは無一文のまま乞食同然に故郷に帰り着いている。ここでも控訴人らは,賃金を受け取ることができるという期待権を侵害され,騙されたことを知って,更なる精神的苦痛を受けている。
預託金についてもまた然りである。被控訴人Y2は,出国の際,日本側の一方的都合で持帰金の上限を1000円と定めた上で,これを上回る分については,これを預かるとして取りあげた。被控訴人Y2はこの預託金についても国交回復後今日に至るまでこれを放置してきているのである。
e 未払賃金や預託金の支払について義務を負っている被控訴人らは,それら義務の履行を怠ったばかりではなく,むしろ積極的に必要な資料を隠滅し,控訴人らの権利行使を妨害することによって,控訴人らのせめて賃金は支払ってほしいとの願いや期待を踏みにじっており,そのことによって控訴人らに多大な損害を与えているのであるから,本来的な債務不履行責任とは別に,控訴人らに対して,不法行為に基づく損害賠償責任を負うものである。
(カ) 強制労働による違法状態の放置と「持帰金」へのすり替えの不法行為被控訴人Y2は,終戦の翌々日の昭和20年(1945年)8月17日には「華人労務者ノ取扱」を発し,さらには「華人労務者帰国取扱要領」を発して,未払賃金等の支払にとどまらず強制労働停止後の休業手当の支給とその国家補償まで決めているのであるから,被控訴人会社らは,その確保実現に自ら努め,戦時下における違法な強制労働関係の清算に努めるべきは当然のことである。しかるに,被控訴人会社らは,終戦後の休業手当の支給はもちろんのこと,それまでの未払賃金等の支払すら放置して,強制労働による違法状態の清算を無視・放置するに至った。
また,被控訴人Y2も,未払賃金の支払が放置され強制労働による違法状態の清算が無視されていることを知りながら,漫然とこれを放置し,強制労働による違法状態の清算を進めるための措置を講じず,そればかりか,未払賃金等の支払問題を「華人労務者送金要綱」において「持帰金」問題にすり替え,「速やかな賃金等の支払」を「帰還時における持帰金処理」に置き換えて賃金等の速やかな支払実現を妨害し,さらには,控訴人らの意思によることなく「持帰金」の送金先を勝手に「統制会経由正金銀行天津支店宛て」と指示して,「持帰金」が控訴人らに直接手渡されることすら妨害するという不法行為を行った。
(キ) 統制会・正金銀行宛て送金における適切な対応欠如の不法行為被控訴人らは,正金銀行側と十分な連絡をとり,仮にも同銀行天津支店の閉鎖により持帰金を控訴人らに渡せないというような事態が発生することのないように措置・対応すべきであったのに,こうした必要十分な連絡すらとることなく,ただ漫然と統制会に頼って持帰金を同支店に送金し,そのあげく同支店の閉鎖によって控訴人らに持帰金を支払えなかった被控訴人らには,わずかな注意義務すら尽くさなかったという極めて重大な過失による不法行為責任がある。
(ク) 賃金持ち帰り妨害(九州海運局保管)による不法行為
被控訴人Y2は,「華人労務者帰国持参金処理方変更ノ件」によって,持帰金のうち1000円を超える部分を控訴人らから取り上げ,これを九州海運局に保管させた。しかし,これは,閣議決定「華人労務者内地移入ニ関スル件」から「華人労務者送金要綱」までは帰国時の持帰金についても制限しないこととしていたことに反するものであり,当時の他の法令にも根拠がなく,違法な指示で,不法行為というほかない。
(ケ) 持帰金隠匿の不法行為
被控訴人会社らが統制会に送金した控訴人らの持帰金は,正金銀行天津支店の閉鎖により,送金依頼者である被控訴人会社らに戻されることになった。しかしながら,この持帰金は,未払賃金等の支払のため控訴人らに対して送金されたものであって,この持帰金を不法に隠匿して控訴人らに戻さない不法行為がある。
仮に,持帰金が被控訴人会社らに戻っていないとしても,被控訴人会社らには,持帰金をその帰属主体である控訴人らに将来引き渡す時点まで確保するべく,適切な保管方法を講じるべきであり,そうした保管をなさずに,その行方を不明にした被控訴人会社らには,その点で適切な保管をなす注意を尽くさなかった不法行為がある。
(コ) 持帰金,保管金の存在を控訴人らに知らせず放置した不法行為
戦時強制労働による違法状態の解消は敗戦後の被控訴人らの絶対かつ不可欠の義務であり,とりわけ未払賃金等の支払は,最優先に処理されるべき絶対の義務であった。したがって,被控訴人らは,控訴人らに対し,持帰金の再持ち帰りや,九州海運局による保管金について,[1]その経緯,[2]その保管先及び[3]支払を受けるために採るべき措置の3点を可及的速やかに知らせる義務があり,これは,被控訴人らにとって履行可能な義務であった。しかるに,被控訴人会社らは「顛末報告書」に持帰金について全く記載せずに隠蔽をはかり,被控訴人Y2は,「外務省報告書」で正金銀行天津支店への送金については事実を記載しながら,その後の経緯及び持帰金の行方については口を閉ざして事実を完全に隠蔽している。また,保管金については,それがそのまま門司税関に存在しているにもかかわらず,「火災により記録が焼けた」と称して,これをいまだ控訴人らに戻そうとしない。
イ 被控訴人Y2
(ア) 控訴人らの人格権に対する積極的侵害行為に関する主張は,原審における戦後の原状回復義務違反の不法行為又は保護義務の債務不履行の主張と同様であり,理由がない。
(イ) 仮に,控訴人らの主張が国賠法1条1項に基づく請求であったとしても,以下に述べるとおり,失当であることは明らかである。
a 国賠法1条1項にいう「違法」とは,「公務員が個別の国民に対し負担する職務上の法的義務に違背すること」をいうから,控訴人らの主張する公務員の行為が違法であるというためには,当該公務員が中国人強制連行,強制労働の事実関係について調査し,関係資料を開示し,あるいはかかる事実関係を明らかにするなどのことを控訴人ら個人との関係において職務上の法的義務として負っていることが必要である。
控訴人らは,かかる法的義務の根拠について何ら主張していないし,かかる職務上の義務を発生させる法的根拠は存在しないから,控訴人らの主張は明らかに失当である。
なお,控訴人らは,公務員の国会における答弁が違法であるとも主張するようであるが,公務員の国会での答弁は,国民一般に向けられたものであって,控訴人らに向けられたものではなく,控訴人らに対する違法行為たり得ないものである。
b さらに,国賠法上の違法が認められるためには,法律上保護されるべき利益が侵害されたことがその前提となる。
この点につき控訴人らは,被控訴人Y2による隠蔽行為は,控訴人らがその損害賠償請求権を行使することを積極的に妨害するものであると主張する。
しかしながら,そもそも控訴人らには,被控訴人Y2に対して損害賠償等を請求する法的権利が存在しないのであるから,それらの権利行使を妨害したということはあり得ない。
c また,最高裁平成2年2月20日第三小法廷判決・裁判集民事159号161頁は,「犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は,国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行われるものであって,犯罪の被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではなく,また,告訴は,捜査機関に犯罪捜査の端緒を与え,検察官の職権発動を促すものにすぎないから,被害者又は告訴人が捜査又は公訴提起によって受ける利益は,公益上の見地に立って行われる捜査又は公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず,法律上保護された利益ではないというべきである。」としており,犯罪捜査を行わないことが特定の個人との関係で不法行為を構成するものではない。
d 加えて,不法行為に基づく損害賠償請求権は,除斥期間により消滅している。
(ウ) 被控訴人Y2において受領した持帰金の未清算をめぐる不法行為責任について
a 控訴人らは,被控訴人Y2の公務員が,強制労働による違法状態の清算を進めるための措置を講じなかった点が不法行為であると主張する。
しかしながら,そもそも被控訴人Y2の公務員が行う「強制労働による違法状態清算を進めるための措置」とは具体的にいかなる措置をいうかが不明である上,被控訴人Y2の公務員が控訴人ら個人との関係で,上記のような措置を講ずべき法的義務を負う根拠も明らかにされていないから,控訴人らの上記主張は,主張自体失当である。
また,控訴人らは,「未払賃金等の支払い問題を『華人労務者送金要綱』において『持帰金』問題にすり替え,『速やかな賃金等の支払い』を『帰還時における持帰金処理』に置き換えて賃金等の速やかな支払い実現を妨害し,さらには,控訴人らの意思によることなく『持帰金』の送金先を勝手に『統制会経由正金銀行天津支店宛て』と指示して,持帰金が控訴人らに直接手渡されることすら妨害するという不法行為を行った。」などと主張する。
しかしながら,控訴人らの上記主張は,そもそも被控訴人Y2の公務員のいかなる行為を不法行為として主張する趣旨か判然としない上,いかなる法的義務に違反するものかも不明であって,主張自体失当である。しかも,控訴人ら主張に係る行為は,いずれも国賠法施行前の権力的行為と解されるところ,国賠法施行前の権力的行為については民法の適用はなく,他に被控訴人Y2が損害賠償義務を負うべき法律は存在しなかったから(国家無答責の法理),被控訴人Y2が賠償責任を負うことはない。その上,控訴人ら主張に係る行為から20年以上が経過していることは,その主張からも明らかであり,仮に損害賠償請求権が発生しているとしても,除斥期間により消滅していることが明らかである。
b 控訴人らは,持帰金の送金先を統制会経由正金銀行天津支店と指示したことをもって不法行為であると主張する。
しかし,同行為が被控訴人Y2の公務員のいかなる法的義務に反するものか不明である。
また,控訴人らは,被控訴人Y2は,少なくとも正金銀行側と十分に連絡を取り,天津支店の閉鎖により持帰金を渡せないような事態が生じないように対応すべき義務があるとも主張するようであるが,その具体的な義務内容及びその法的根拠は不明であり,控訴人らの上記主張は,主張自体失当である。
なお,控訴人らの主張する上記各行為は,いずれも国賠法施行前の行為であって,被控訴人Y2が賠償責任を負う法的根拠はないこと,除斥期間が経過していることは,上記aと同様である。
c 控訴人らは,「華人労務者帰国持参金処理方変更ノ件」により,持帰金のうち1000円を超える部分を海運局に保管させるようにしたことが違法であると主張する。
しかしながら,そもそも,外国為替管理法(昭和16年4月11日法律第83号)等の法令に基づき,被控訴人Y2の公務員が通貨の輸出入の規制をしたものであって(証拠<省略>),それが法令の根拠を有するものである以上,被控訴人Y2の公務員の行為が違法となる理由はない。また,「華人労務者帰国持参金処理方変更ノ件」によれば「連合軍最高司令部ヨリノ指示ニ依リ」処理方針を変更したというものであり,昭和20年(1945年)9月2日の降伏文書において「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル連合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」とされていたのであるから,連合軍最高司令部の指示に基づく被控訴人Y2の公務員の行為が違法となる余地はないというべきであり,控訴人らの上記主張は,主張自体失当である。
なお,国賠法施行前の行為であって,被控訴人Y2が賠償責任を負う根拠はないこと,除斥期間が経過していることなどは上記a,bと同様である。
d 控訴人らは,正金銀行天津支店閉鎖により,統制会が日本へ持ち帰ることとなった持帰金の行方を不明にした被控訴人らには,適切な保管を講じる注意を尽くさなかった不法行為があると主張している。
しかしながら,「統制会が持ち帰った持帰金について,適切な保管方法を講ずる」という行為自体,極めて漠然としており,いかなる行為を指すのか不明確であるばかりでなく,被控訴人Y2の公務員が,いかなる法的根拠に基づいてそのような法的義務を負うのかについても不明であって,主張自体失当である。
しかも,仮に控訴人ら主張にかかる義務違反があったとしても,国賠法施行前の行為であって,被控訴人Y2が賠償責任を負う根拠はないこと,既に20年以上が経過しており,除斥期間が経過していることは明らかであることは,上記aないしcと同様である。
e 控訴人らは,持帰金の日本への再持ち帰りや海運局による保管金の保管について控訴人らに対して可及的速やかに知らせる義務があったなどと主張する。
しかしながら,そもそも,控訴人らの主張する上記作為義務は一般的抽象的なものであり,被控訴人Y2の公務員が,いかなる時期にいかなる行為をなすべきであったのか,また,その義務の法的根拠も不明であって,控訴人らの主張は,主張自体失当である。
なお,控訴人らは,戦時強制労働による違法状態の解消が被控訴人らの義務であったことを上記作為義務の前提とするようであるが,前記aで述べたとおり,そもそも戦時強制労働による違法状態を解消する義務自体の法的根拠が不明であって,控訴人らの主張は前提を欠いているというべきである。
ウ 被控訴人Y1
(ア) 戦後における積極的人格権侵害行為との主張について
控訴人らも主張するとおり,事業場報告書をもとに作成された外務省報告書が「統計的な面で見れば驚くほど正確で詳細である」ことからも分かるとおり,事業場報告書の記載には相当程度の信用性があると考えられる。当時は,正確な事情を直接知る人物が多数存在したのであるから,もし虚偽の内容を多く含む書類を作成したのだとすれば,それが虚偽であることがすぐに発覚してしまうことは必然であるから,企業が被控訴人Y2からの指示に基づき作成した事業場報告書に,故意に控訴人ら主張のような虚偽の記載をしたとは,にわかには想定し得ない。
また,被控訴人会社らが,被控訴人Y2からの焼却指示で事業場報告書を破棄処分したというのは控訴人らの想像であって,そのような事実は確認できない。
(イ) 被控訴人Y2と企業の連携による遺骨の隠匿との主張について被控訴人Y1が,被控訴人Y2と連携して遺骨を隠匿したという事実はない。また,そのようなことをする必要もない。
(ウ) 被控訴人らが受領した持帰金及び賃金補償金の未清算をめぐる不法行為責任との主張について
控訴人らは,要するに,被控訴人らが控訴人らに対して賃金を支払っていないと主張して論難しているものであるが,本件は,すでに60年以上も前のできごとであって,その事実を確認することができない。実際にも,控訴人らのうち,何らかの金銭や小切手・保管証などを受領した者もいるようであり,なおさら事実は明らかではないというほかない。
いずれにせよ,控訴人らの主張は,不法行為の問題ではなく未払賃金の支払を求める債務不履行の問題であると考えられ,そうだとすれば,すでに消滅時効が完成していることが明らかである。被控訴人Y1は平成20年9月29日の当審第6回口頭弁論期日においてこれを援用した。
また,控訴人らは,被控訴人Y1が被控訴人Y2から補償金を受領したことを非難するが,この補償金については当時の資料がなく,事実を確認することができないものである。しかしながら,被控訴人Y2が,何らの法的,予算的な裏付けなく相応の金員を支出することはあり得ないから,仮に補償金が被控訴人Y1に支払われているのだとすれば,正当な根拠があって支出されたものであろうことは確実である。したがって,これが不法行為となることはあり得ない。
エ 被控訴人Y3
(ア) 事実に反する内容の事業場報告書を作成したとの主張について
事業場報告書は,戦後まもなく,国からの指示で作成されたものであり,その目的も,当時の中国人労働者の就労状況を報告するものとしてであった。したがって,その作成時期,作成者,作成目的から一定の信用性は認められるものであり,かつ,事業場報告書の記載内容には,当時の社会状況等に関する一般資料と合致している部分も多く散見されるなどの事情が認められるから,その記載内容には,相当程度の信用性が認められるものと考えられる。
(イ) 被控訴人Y2と企業の連携による遺骨の隠匿との主張について
被控訴人Y3において,遺骨の意図的な隠匿の意思などは全く存在しない。また,遺骨について遺族に送り届けることが法的義務であることについては否認する。
(ウ) 賃金支払の未清算と補償金を受領したことの問題について
被控訴人Y3では,本件が,戦後60年を経過したものであり,現時点では,これら事実の存否を確認することができず,控訴人らの主張について認否をすることができない。
しかし,仮にこれらが賃金の未払問題であるとすれば,それは債務不履行ということであり,これが不法行為として論難されるようなものではないことは明らかである。
一方,控訴人らが主張するように,強制連行によって発生した違法な法律関係に基づいて,強制的に労働させられた控訴人らと被控訴人会社らとの関係,ということであれば,そもそも雇用関係と同視できるような使用従属関係など成立し得ないものである。すなわち,控訴人らが主張する本件の事実関係によれば,控訴人らの被控訴人会社ら各事業場における労務の給付は,いわば契約とは全く無縁な被控訴人会社らによる控訴人らに対する強制連行に端を発した違法な強制によるものであり,控訴人ら自らの自由な意思に基づくものではないということになる。控訴人らが主張するような事実関係の下では,控訴人らと被控訴人会社らとの間には,不法行為責任上の義務は観念できることがあったとしても,雇用関係があったと同視できるような状況を観念することはできず,本件では,控訴人らと被控訴人会社らとの間には,賃金請求権を発生させるだけの法律関係は何ら存在しないというべきである。
仮に,控訴人らが主張するとおり賃金請求権があるとしても,控訴人らが主張するところでは,被控訴人会社らは供託を行っている事実が認められるのであり,弁済は終えているとしか考えられない。また,さらに供託の事実が認められないとしても,控訴人らの主張であるところの賃金支払の履行日は「速やかな支払」ということから察すると昭和20年(1945年)8月15日の終戦日であると考えられるので,同日の翌日である同月16日から起算して既に1年以上経過しており,民法174条1号に基づき既に時効により消滅している。被控訴人Y3は,平成19年12月3日の当審第5回口頭弁論期日において時効消滅を援用した。
(4) 本件予備的請求について
ア 控訴人ら
(ア) 本件予備的請求の趣旨については,被控訴人らに対して謝罪広告を命じる形式ではなく,裁判所自らが認定した事実を広告することによって控訴人らの名誉を回復する形式にしており,被控訴人らに対しては,その広告費用を負担させるものとしている。
これは,本件訴訟を通じて被控訴人らには自らが行った歴史的,国際的な犯罪行為を直視し,過ちを認め,誠実に謝罪するという意思が全くうかがわれないということ,日本の国家機関の一翼を担う裁判所自身が不法行為の存在を認定して,その事実を広告する方が,控訴人らにとっては遥かに名誉の回復がはかられるとともに,長年にわたり累積させられて来たこころの傷をいやすことになること等を考慮したものである。
なお,民法723条は,「名誉を回復するに適当なる処分を命ずることを得」と規定しており,適当な処分としては,被控訴人らの名前での謝罪広告の掲載を強制することに限られず,「被告の行為が原告の名誉を毀損した不法行為であると裁判所によって認定された旨の具体的かつ簡潔な内容の広告を,裁判所が(その名において)被告の費用負担でなすこと」も含まれ,むしろその方が憲法上の規定(良心の自由等)に照らして適切であるとの学説が古くから有力に主張されている。
(イ) 本件予備的請求の請求原因事実の骨格
a 先行行為
被控訴人らは,自らの戦犯追及を免れるために,終戦後,補償金請求の資料という意味も含めて企業において作成された「事業場報告書」,それらを集約した上で独自調査をして被控訴人Y2自身の手でまとめられた「外務省報告書」,その他の膨大な関連文書を全て破棄し一部を隠匿した。
これらの所為は,強制連行・強制労働の事実を隠蔽するとともに,控訴人らが「契約に基づいて」来日するという建前をとっている閣議決定「華人労務者内地移入に関する件」が当初から虚構であったことが一目瞭然となる資料を隠匿して,契約に基づく「自由な意思による来日」が事実であったかのように装うための不可欠の作業でもあった。
したがって,その後に被控訴人らにより公然と展開される控訴人らに対する名誉毀損行為の先行行為としても位置づけることができる。
b 最初の名誉毀損行為
日本各地に展開された強制労働の現場から中国人の多数の遺骨が発見されるに及んで,本件事実自体を隠蔽しておこうとする被控訴人らの意図は打ち砕かれた。数々の遺骨が発見される中で,地域の住民や事情を知る関係者から,彼らを「俘虜殉難者」として,国をあげて謝罪し,鄭重に葬るとともに,早期に故国へ送還することを求める運動が起こって来た。
ところが,関係企業の代理者として中国人の強制連行をY2とともに実行して来た「社団法人日華労務協会」は,被控訴人Y2に対し「今後,華工問題に関していかなる事態があっても協会ならびに各業者はいっさい関係しないことの了承を求め」た。Y2もまた,「(該華労は捕虜及び強制収容者でないから)むしろ事実上の問題として人道的立場から援助するという考えによるべきもの」とする外務省の主張を厚生省も受け入れて,「厚生省は,通産省,労働省等と連携して,業界との連絡方法を検討する」こと等を合意した。
これを受けて,被控訴人らは,改めて控訴人ら中国人は「俘虜殉難者」ではなく,自由な意思により(当時の敵国である)日本に働きに来た労務者であるという虚偽の事実を,当時遺骨の早期送還等に取り組んでいた「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」の代表者らに通告するとともに関係各方面に喧伝し,控訴人らの名誉を侵害・毀損した。
c 国会という公然の場における名誉毀損行為
さらに,Cが発見され,日本に強制連行された事実を告発されるという事態の中でも,被控訴人Y2は,国会という公式の場を利用して,華人労務者は契約により来日したものであるという虚偽の事実の答弁を繰り返し,控訴人らを含む中国人被連行者たちの名誉と人格を侵害する宣伝行為を継続した。
d 虚偽の事実が流布することを放置した行為
国会という最高の場で,前記のような虚偽の事実が,公然とかつ継続して被控訴人Y2の最高責任者である内閣総理大臣の答弁も含めて繰り返されたのであって,これが名誉毀損行為に該当することは火を見るより明らかであろう。しかしながら,被控訴人会社らを含む関係企業とその関係者らは,それらの政府答弁が虚偽であり真実ではないことを熟知していたのであるから,虚偽を正すべき信義則上の義務を負っていた。
にもかかわらず,これを行わず,かえって被控訴人Y2の虚偽答弁に何らの異議も唱えないままに虚偽の事実が流布するに任せて,控訴人らに対する名誉侵害行為の拡大と固定化を促進したものである。
(ウ) 被控訴人らにおける共同意思の存在と謝罪広告の相当性
以上みたとおり,被控訴人らは,先行行為の段階から,共同の意志をもって本件名誉毀損行為を継続的に実行して来たものであり,そうした態度は,基本的には今日まで維持されているものである。
被控訴人らの名誉毀損行為のために,控訴人らは今日にいたるも,いわれなき非難の目にさらされており,その精神的苦痛は計り知れない。
これらは明らかに控訴人らの名誉毀損として不法行為を構成するものであって,被控訴人らにはその回復を実行すべき法律上の責任があるところ,単なる金銭賠償ではなく謝罪広告等によるほかは回復困難な損害である。
イ 被控訴人Y2
(ア) 本件予備的請求は,以下のとおり不適法であるから却下されるべきである。
a 請求の特定を欠く不適法なものであること
本件予備的請求は,福岡高等裁判所において控訴人らが請求する謝罪広告を行うことを前提に,被控訴人らに対して,それに要する金銭の支払を請求するものであるから,請求金額が一義的に定まったものでなければならないが,具体的に一定の金額が明示されておらず,既にその点において請求が特定されていない。
また,金銭の支払請求であれば,誰に対して支払うかについても当然明らかでなければならないところ,本件予備的請求においては,被控訴人らが,誰に対して金員を支払うべきであるかについても特定されていない。
したがって,本件予備的請求は,請求の特定を欠き,およそ執行し得ない不適法な訴えであることが明らかである。
b 現行法上認められていない不適法な訴訟形態であること
本件予備的請求は,受訴裁判所である福岡高等裁判所が,控訴人らが指定する広告文を,控訴人らが指定する各新聞において広告することを前提に,その費用を被控訴人らが支払うことを求めているのであるから,実質的には裁判所に対しては広告を掲載することを求め,被控訴人らに対してはその費用の支払を求めるものであると解される。そうすると,控訴人らは,裁判所に対する広告掲載請求と,被控訴人らに対する金銭支払請求という請求の相手方も対象も異なる二つの請求を明文の規定がないまま曖昧に融合させる新たな訴訟形態を作出している。しかも,本件予備的請求は,裁判所が自ら広告を掲載することを当然の前提として求めているが,そもそも受訴裁判所にこのような広告を行う義務や権限はなく,その請求は,民法723条が想定していない不適法なものであることは明らかである。
(イ) 仮に本件予備的請求が不適法でないとしても,次のとおり理由がないから棄却されるべきである。
a 控訴人らは,本件予備的請求の原因として「戦後における共同不法行為」によって控訴人らの名誉が毀損されたと主張しているようである。しかし,控訴人らのこれらの主張については,控訴人らは,被控訴人Y2が負うと主張する法的義務の根拠について何ら主張していないし,また,かかる職務上の義務を発生させる法的根拠はそもそも存在しない。
仮に存在したとしても,それらはいずれも時効ないし除斥期間により消滅していると解される。
b 本件予備的請求は,裁判所がその名義において自ら広告を行い,その費用を被控訴人らが負担することを求めるものであり,現行法上認められていない裁判所の行為を求めるものであるから,控訴人らの主張を前提としてもその請求が認容される余地はないのであって,主張自体失当である。
c 金銭賠償と謝罪広告の関係について
民法723条は,他人の名誉を毀損した者に対しては,裁判所は,「被害者の請求」により,「損害賠償に代えて,又は損害賠償とともに」,名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができると規定しており,名誉毀損という不法行為が成立し,損害賠償責任を負う者に対して,被害者の請求に基づき,金銭賠償に代えて,あるいは金銭賠償とともに名誉を回復するのに適当な処分(謝罪広告)を命じることを予定しているものであるから,その文言上,不法行為に基づく損害賠償請求が被害者に認められることが当然の前提となっていることは明らかである。
したがって,不法行為に基づく損害賠償請求が認められないにもかかわらず,謝罪広告のみを請求する権利が認められる余地はない。
そして,そもそも控訴人らに損害賠償請求権が発生するとは認められないこと,仮に何らかの請求権があったとしても日中共同声明5項によって裁判上訴求する権能を失ったのであるから,控訴人らの主張が失当であることは明らかである。
ウ 被控訴人会社ら
(ア) 本件予備的請求は福岡高等裁判所が,広告文を掲載した場合の費用を負担せよ,ということであるが,当該請求は,「福岡高等裁判所が同広告文を掲載した。」という請求の原因が追加されるべきものであるところ,このような請求の原因は,これまで第1審,控訴審を通じて,一切主張されていないものであり,当該請求の基礎は,これまでの請求の基礎と全く異なるものであり,請求の基礎に変更があるので異議がある。
よって,民事訴訟法143条1項に違反し,不当であるから,同条4項に基づき,訴えの変更を許さない旨の決定をするよう求める。
(イ)a 本件予備的請求は,上記のとおり,これまで第1審,控訴審を通じて,一切主張されていないものであるから,審級の利益を害するものである。
b 本件予備的請求は,給付請求にかかるものであるところ,請求金額が特定されていない。
c 本件予備的請求は,誰に対して支払うものであるかの記載がない。なお,従前の請求の趣旨に記載したとおり,ということであれば,なにゆえ福岡高等裁判所が広告するための費用を控訴人らに対して支払うことになるのか,全く理由がない。
以上のとおり,本件予備的請求は不適法であるから,当該請求は却下されるべきである。
(ウ)a 本件予備的請求は,不法行為による損害賠償請求ではなく,民法723条の「名誉を回復するのに適当な処分」を求めている旨主張しているが,本件請求の方法及び内容は,名誉を回復するために適当な処分とはいえない。また,そもそも,第1審(福岡地方裁判所)の判決内容は,新聞等により既に報道されているのであるから,現時点において,損害がなお継続しているとはいえず,控訴人らが主張する謝罪広告は必要ないものと認められる。
b なお,控訴人らは,「被控訴人会社らを含む関係企業とその関係者らは,それらの虚偽の政府答弁を質すべき信義則上の義務を負っていた」旨主張するが,そのような作為義務はない。
以上であるから,本件予備的請求には理由がないので,棄却されるべきである。
第9当裁判所の判断
1 強制連行・強制労働の不法行為
この点に関する当裁判所の判断は,原判決57頁10行目の「(1)エ(オ),」及び同頁12行目の「『チャンコロ』,『バカヤロウ』等と」をいずれも削除し,同58頁17行目の「天津港」を「塘沽」に改めるほか,原判決の「事実及び理由」の「第9 当裁判所の判断」の1と同一であるから,これを引用する。
2 国家無答責の法理の適用
(1) 当裁判所も,本件に対し国家無答責の法理が適用されるものと判断する。その理由は,原判決63頁2行目の「官吏ニ對スルノ』要償」を「官吏ニ對スルノ要償」に,同頁3行目の「証拠<省略>」を「証拠<省略>」にそれぞれ改め,後記(2)のとおり付加するほかは,原判決の「事実及び理由」の「第9 当裁判所の判断」の2に記載のとおりであるから,これを引用する。
(2) これに対し,控訴人らは,最高裁昭和31年4月10日第三小法廷判決・裁判集民事21号665頁が,警察官の過失が問題となった事案について,公権力の行使たる警察作用に属しないと解した上で,国の損害賠償責任を認めており,国家無答責の法理は判例上確立されたものではない旨主張する。
しかしながら,上記判決は,当該事案における警察官の行為が公権力の行使に当たらないと判断した上で,国の損害賠償責任を認めたにすぎず,昭和25年判決と異なる解釈を行ったものとは認められないから,控訴人らの上記主張は採用できない。
3 戦前の不法行為についての民法724条後段の適用
当裁判所も,戦前の不法行為について民法724条後段の適用があるものと判断する。その理由は,原判決69頁4行目の「道理」を「条理」に,同頁7行目の「有しない場合」を「有しなかった場合」にそれぞれ改めるほかは,原判決の「事実及び理由」の「第9 当裁判所の判断」の3に記載のとおりであるから,これを引用する。
4 本件強制労働についての被控訴人らの安全配慮義務違反の成否
(1) 総論
安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務をいう(昭和50年判決参照)。
そして,使用者と労務者との間に直接の契約関係が存在しない場合において,かかる特別な社会的接触の関係が認められるには,労務の提供を受ける使用者と労務を提供する労務者との間に事実上の使用関係,支配従属関係,指揮監督関係が成立しており,労務の提供に当たって,使用者の設置ないし提供する場所,施設,設備,器具等が用いられていることが必要である(平成2年判決,平成3年判決参照)。
(2) 安全配慮義務の法理の遡及適用について
上記(1)で判示したとおり,安全配慮義務は信義則に根拠を求められるものであるところ,信義則は,公法,私法に通ずる一般的法原理というべきであるから,上記の特別な社会的接触の関係が認められる限り,安全配慮義務の成立を肯定すべきものであって,安全配慮義務が昭和50年判決によって形成された法理であることを理由として日本国憲法施行時より前の事案には適用されないなどということはできない(なお,信義則に関する民法1条2項が戦後の昭和22年法律第222号によって追加された規定であることも,本件につき安全配慮義務を否定する理由とはならない。)。被控訴人Y2が主張するような,日本国憲法施行の前後における社会の観念の変化等は,具体的な安全配慮義務違反の有無の判断に当たって,当時の社会通念ないし具体的状況の一つの要素として考慮されるべきものである。
(3) 被控訴人会社らの安全配慮義務違反
ア 控訴人らは,被控訴人会社らの本件各鉱業所において働くことを承諾していたものではなく,被控訴人らによる本件強制連行という不法行為によって本件各鉱業所に連れて来られた上,各鉱業所において本件強制労働に従事させられていたものである。したがって,控訴人らと被控訴人会社らとの関係は,被控訴人らの控訴人らに対する不法行為によって形成されたものであり,その間に雇用関係が成立していたものではない。
イ 以上のとおり,本件は,被控訴人会社らと控訴人らとの間に直接の契約関係が存在しない場合であるから,前者に安全配慮義務を認めるには,労務の提供を受ける前者と労務を提供する後者との間に事実上の使用関係,支配従属関係,指揮監督関係が成立しており,労務の提供に当たって,前者の設置ないし提供する場所,施設,設備,器具等が用いられているかどうかについて検討されなければならない。
ウ(ア) 昭和17年閣議決定は,中国人労働者の契約期間は原則として2年とすること,労働者の所得は日本で通常支払われるべき賃金を標準とし,残留家族に対する送金も考慮して決めることなどを定めていた。また,昭和19年(1944年)次官会議決定も,昭和17年閣議決定と同様の定めをした上,移入や帰還時の輸送に要する経費は労働者の賃金から控除しないことなどを定めていた。
このように,昭和17年閣議決定及び昭和19年(1944年)次官会議決定においては,中国人労働者に対して契約に基づき賃金を支払うことは当然の前提とされていた。
以上によれば,昭和17年閣議決定等に基づく制度上も,前記の移入契約上も,被控訴人会社らが中国人労働者に対し労務提供の対価として賃金を支払うこと,すなわち雇用契約の締結が想定されており,被控訴人会社らもこれを十分認識していたものといえる。
しかし,実際には,控訴人らと被控訴人会社らとの間に雇用関係が成立していたものではなく,賃金も支払われなかったところ,これは被控訴人会社らが控訴人らに対する契約締結や賃金の支払を一方的に怠ったにすぎないというべきである。以上によれば,労務の提供を受ける被控訴人会社らと労務を提供する控訴人らとの間に事実上の使用関係,支配従属関係,指揮監督関係が成立していたものというべきである。
(イ) また,昭和17年閣議決定及び昭和19年(1944年)次官会議決定は,中国人労働者の食事は米食とせず,中国人労働者の通常食を供すること,住宅は湿気の予防に留意し,朝鮮人労働者の住宅とは接近しないように区別して設置すること,事業場には現地から同行した日系指導員を責任者として,中国人労働者の連絡・世話に当たらせること,中国人労働者の使用に当たってはできるだけ供出時の編成を利用し,作業に関する命令は日系指導員又は中国人指導員を通して行うようにすること,就労時間は日本国内の例によること,4大節等は公休とすることなどを定めていた。
以上のとおり,中国人労働者は,昭和17年閣議決定等及び前記の移入契約上,被控訴人会社らの提供する設備・作業用具等を使用し,指導員を介するなどして被控訴人会社らの指揮・監督の下に労務を提供することが想定されていたということができる。
エ 以上によれば,控訴人らと被控訴人会社らとの間には,事実上の使用関係,支配従属関係,指揮監督関係が成立しており,労務の提供に当たって,使用者の設置ないし提供する場所,施設,設備,器具等が用いられていることが認められ,被控訴人会社らは,控訴人らに対し,その生命・健康に支障を来すような過酷な労働を強制することなく,また,暴行,虐待を行わないことはもちろん,その生命・健康を維持するに足りる十分な量と質の食事を給付し,住環境や衣服その他の衛生状態の確保に努めるべき安全配慮義務を負っていたものというべきである。
オ 被控訴人会社らの安全配慮義務違反
前記第3の5(1),(2)で認定したとおり,被控訴人会社らは,控訴人らに賃金を支払わなかったばかりか,重筋労働を行うに足りる十分な食事を与えず,労働を強制するために食事制限をも課し,休日も満足に与えず,寮によって控訴人らの行動の自由を奪い,その寮も休養を取るのに満足な施設とは到底いえず,また,衣服についても満足に支給せず,暴力と制裁によって労働を強制したものであって,その結果,前記第3の5(1)カで認定したとおりの多数の死者や負傷者を出したものであり,安全配慮義務に違反していたものと認めるのが相当である。
これに対し,被控訴人会社らは,各事業場における労働条件,住居事情及び食糧事情等の控訴人らの処遇は,極めて厳しかった戦時中における日本の一般的な生活水準や労働環境,また,当時の中国における生活状況と比較して何ら劣るものではない旨主張するが,それにしても中国人労働者の死亡者や負傷者が多いこと,暴行や食事制限を行っていたことからすれば,当時の日本の生活水準や労働環境,中国での生活状況を前提としても,なお,控訴人らに対する処遇は,過酷かつ劣悪なものであったと認めるのが相当であり,被控訴人会社らの上記主張は採用できない。
(4) 被控訴人Y2の安全配慮義務違反
他方,上記第4の4(2)のとおり,厚生大臣は,事業主又は従業者に対し,労働条件等について,必要な命令をすることができ,また,労務監理官を置いて,従業者の労務管理に関する事項に関し,事業主及び従業者の監督指導を行うことができたものであるが,本件各鉱業所について,控訴人らの労働条件や労務管理に関し,厚生大臣が具体的に命令をしたり,労務管理官が具体的な監督指導を行ったことを認めるに足りる証拠はない。したがって,控訴人らと被控訴人Y2との間には事実上の使用関係,支配従属関係,指揮監督関係は成立しておらず,また,労務の提供に当たって,被控訴人Y2の設置ないし提供する場所,施設,設備,器具等が用いられていると認めることはできないから,被控訴人Y2は控訴人らに対する安全配慮義務を負うものではない。
5 戦前の安全配慮義務違反に対する時効援用
(1) 被控訴人会社らは,控訴人らに対する加害行為が終了した昭和20年(1945年)8月15日から,又は,中華人民共和国において私事による出国が認められた昭和61年(1986年)2月1日からそれぞれ10年の経過により,戦前の安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権は時効により消滅したと主張し,また,被控訴人Y1は,昭和53年(1978年)10月23日の日中平和友好条約の発効及び△△事件の生存者達がn株式会社に公開状を発表するなどしていた昭和63年(1988年)ころには,本件の訴訟提起も可能であったとして,昭和53年10月23日及び昭和63年ころから10年の経過による消滅時効を主張し,被控訴人Y3は,X19,X34ないしX39の控訴人らについて,帰国日から10年の経過による消滅時効を主張しているので,その当否について検討する。
(2) 時効期間の起算点について
ア 消滅時効は,「権利を行使することができる時」から進行する(民法166条1項)。
イ 「権利を行使することができる時」とは,権利を行使するについて法律上の障害がなくなった時のことをいい,原則として,事実上の障害はこれに含まれない(最高裁昭和49年12月20日第二小法廷判決・民集28巻10号2072頁参照)が,事実上の障害であっても,権利を行使することが,現実には期待し難い特段の事情がある場合(最高裁昭和45年7月15日大法廷判決・民集24巻7号771頁,同平成8年3月5日第三小法廷判決・民集50巻3号383頁,同平成15年12月11日第一小法廷判決・民集57巻11号2196頁参照)には,その権利行使が現実に期待することができるようになった時以降において消滅時効が進行すると解するのが相当である。
ウ そして,日本と中華人民共和国は,昭和47年(1972年)9月29日に日中共同声明への署名がなされるまで国交が途絶していたし,その後も,【判示事項1】中華人民共和国では,昭和61年(1986年)2月1日に公民出国入国管理法が施行されるまで,私事による出国が認められていなかったから,控訴人らは,上記昭和61年(1986年)2月1日までは,上記損害賠償請求権を行使するについて,法律上の障害があった,あるいは,少なくとも,その権利行使を現実に期待し難い特段の事情があったと解するのが相当であるが,それ以後は,権利を行使するについて,法律上の障害があった,あるいは,その権利行使を現実に期待し難い特段の事情があったものとは認められない。
エ 以上によれば,昭和61年(1986年)2月1日から10年が経過した平成8年(1996年)2月1日の経過により戦前の安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権は消滅時効にかかるというべきであり,控訴人らの本件訴訟提起はいずれも平成8年(1996年)2月1日よりも遅いから,消滅時効が完成している。
オ これに対し,控訴人らは,被控訴人会社らを特定するに不可欠な証拠資料である外務省報告書や事業場報告書が公になったのは平成5年(1993年)であり,これらを中華人民共和国の弁護士等が入手したのは平成8年(1996年)ころであった,平成7年(1995年)の銭発言によって補償の請求は国民の権利であるとされ,中国政府が対日関係優先の姿勢を変更したことにより,政治的社会的に権利行使が可能となった,本件提訴には,中華人民共和国の弁護士や日本の弁護士の協力が不可欠であったが,D弁護士が控訴人等の個別調査を開始したのは平成9年(1997年)であり,日本において福岡の弁護団が組織されたのは,平成11年(1999年)であった,そして,控訴人らの権利行使が現実に期待できるようになったのは,中華人民共和国内における旅券申請の手続及び要件が緩和された平成12年(2000年)以降であると主張する。
しかしながら,本件強制連行・強制労働は,控訴人らが体験した事実であるから,たとえ,控訴人らが事実の詳細まで十分に把握していなかった側面があるとしても,外務省報告書や事業報告書が一般に明らかにされていなかったために権利行使ができなかったということにはならないし,中華人民共和国政府の態度や,弁護士の協力についても,それらが,権利行使を現実に期待し難い特段の事情とまで認められるものではない。ましてや,平成12年(2000年)まで中華人民共和国内で旅券申請の手続及び要件が厳格であったことは,事実上の困難にすぎないと解される。
そうすると,控訴人らの上記主張は,いずれも権利行使を現実に期待し難い特段の事情とはいえず,採用できない。
(3) 時効援用の信義則違反ないし権利濫用について
ア 控訴人らは,中華人民共和国の国内事情により,1990年代後半(平成7年以降)まで権利行使ができなかったのであり,これについて,控訴人らが非難されるいわれがないこと,これに対し,被控訴人会社らは,事業報告書に虚偽を記載し,また,外務省報告書や事業報告書を破棄・隠蔽するなどして控訴人らの権利行使を阻害したこと,被控訴人会社らが控訴人らに対して行った違法行為は悪質であり,その加害責任は明白であること,被控訴人会社らは,本件強制連行・強制労働により多額の利益を上げた上,戦後においては被控訴人Y2から多額の補償を受けていることからすれば,被控訴人会社らが消滅時効を援用することは信義則違反ないし権利濫用に当たると主張する。
イ ところで,消滅時効の援用が,信義則違反又は権利濫用により許されない場合とは,援用者である債務者側が,債権者の権利行使その他の時効中断行為を妨げたなど,債務者に帰責事由があり,債権者が時効中断の措置を執らなかったことを理由に,債務者に消滅時効の援用を認容することが,社会的相当性を欠き,一般的に許容し難いと解されるような特段の事情がある場合であると解するのが相当である(最高裁昭和51年5月25日第三小法廷判決・民集30巻4号554頁,同昭和57年7月15日第一小法廷判決・民集36巻6号1113頁,同平成19年2月6日第三小法廷判決・民集61巻1号122頁参照)。
ウ しかし,中華人民共和国の国内事情による権利行使の困難性は,被控訴人会社らが責めを負うべき事情ではない。また,時効により消滅すべき損害賠償請求権の発生原因事実が悪質であったことや被害が深刻であることは,発生する請求権の内容にかかわる事情であって,その権利が行使されないことに関する事情ではないから,それにより時効援用の可否が左右されるものではない。被控訴人会社らが,本件強制連行・強制労働によって多額の利益を上げ,被控訴人Y2から補償を受けているといった事情も,権利が行使されないことに関する事情ではない。さらに,被控訴人会社らが事業報告書に虚偽を記載したとの点も,控訴人らの権利行使その他の時効中断行為を妨げたものとは認められないし,被控訴人会社らが,外務省報告書や事業報告書を破棄・隠蔽したことを認めるに足りる証拠はなく,また,上記判断のとおり外務省報告書や事業報告書が一般に明らかにされていなかったために権利行使ができなかったということにはならない。
よって,控訴人らの上記主張は採用できない。
エ 以上によれば,被控訴人会社らによる時効の援用が,信義則違反又は権利濫用により許されないとまでいうことはできず,控訴人らの前記主張は,採用することができない。
(4) よって,控訴人らの被控訴人会社らに対する戦前の安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権は,いずれも時効により消滅したものである。
6 請求権の放棄の有無
(1) サンフランシスコ平和条約の枠組み
ア 前記認定のとおり,第二次世界大戦後における日本国の戦後処理の骨格を定めることとなったサンフランシスコ平和条約は,いわゆる戦争賠償(講和に際し戦敗国が戦勝国に対して提供する金銭その他の給付をいう。)に係る日本国の連合国に対する賠償義務を肯認し,実質的に戦争賠償の一部に充当する趣旨で,連合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだねる(14条(a)2)などの処理を定める一方,日本国の資源は完全な戦争賠償を行うのに充分でないことも承認されるとして(14条(a)柱書き),その負担能力への配慮を示し,役務賠償を含めて戦争賠償の具体的な取決めについては,日本国と各連合国との間の個別の交渉にゆだねることとした(14条(a)1)。そして,このような戦争賠償の処理の前提となったのが,いわゆる「請求権の処理」である。ここでいう「請求権の処理」とは,戦争の遂行中に生じた交戦国相互間又はその国民相互間の請求権であって戦争賠償とは別個に交渉主題となる可能性のあるものの処理をいうが,これについては,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じた相手国及びその国民(法人も含むものと解される。)に対するすべての請求権は相互に放棄するものとされた(14条(b),19条(a))。
イ このように,サンフランシスコ平和条約は,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを前提として,日本国は連合国に対する戦争賠償の義務を認めて連合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだね,役務賠償を含めて具体的な戦争賠償の取決めは各連合国との間で個別に行うという日本国の戦後処理の枠組みを定めるものであった。この枠組みは,連合国48か国との間で締結されこれによって日本国が独立を回復したというサンフランシスコ平和条約の重要性にかんがみ,日本国がサンフランシスコ平和条約の当事国以外の国や地域との間で平和条約等を締結して戦後処理をするに当たっても,その枠組みとなるべきものであった(以下,この枠組みを「サンフランシスコ平和条約の枠組み」という。)。サンフランシスコ平和条約の枠組みは,日本国と連合国48か国との間の戦争状態を最終的に終了させ,将来に向けて揺るぎない友好関係を築くという平和条約の目的を達成するために定められたものであり,この枠組みが定められたのは,平和条約を締結しておきながら戦争の遂行中に生じた種々の請求権に関する問題を,事後的個別的な民事裁判上の権利行使をもって解決するという処理にゆだねたならば,将来,どちらの国家又は国民に対しても,平和条約締結時には予測困難な過大な負担を負わせ,混乱を生じさせることとなるおそれがあり,平和条約の目的達成の妨げとなるとの考えによるものと解される。
ウ そして,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨が,上記のように請求権の問題を事後的個別的な民事裁判上の権利行使による解決にゆだねるのを避けるという点にあることにかんがみると,ここでいう請求権の「放棄」とは,請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく,当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまるものと解するのが相当である。
(2) 日中共同声明5項における請求権放棄について
前記認定のとおり,日中共同声明5項は,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」と述べているところ,公表されている日中国交正常化交渉の公式記録や関係者の回顧録等に基づく考証を経て今日では公知の事実となっている交渉経緯等を踏まえて考えた場合,以下のとおり,日中共同声明は,平和条約の実質を有するものと解すべきであり,日中共同声明において,戦争賠償及び請求権の処理について,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる取決めがされたものと解することはできないというべきである。
ア 中華人民共和国政府は,日中国交正常化交渉に当たり,「復交三原則」に基づく処理を主張した。この復交三原則とは,[1]中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府であること,[2]台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であること,[3]日華平和条約は不法,無効であり,破棄されなければならないことをいうものである。中華人民共和国政府としては,このような考え方に立脚した場合,日中戦争の講和はいまだ成立していないことになるため,日中共同声明には平和条約としての意味を持たせる必要があり,戦争の終結宣言や戦争賠償及び請求権の処理が不可欠であった。
これに対し,日本国政府は,中華民国政府を中国の正統政府として承認して日華平和条約を締結したという経緯から,同条約を将来に向かって終了させることはともかく,日中戦争の終結,戦争賠償及び請求権の処理といった事項に関しては,形式的には日華平和条約によって解決済みという前提に立たざるを得なかった。
イ 日中国交正常化交渉において,中華人民共和国政府と日本国政府は,いずれも以上のような異なる前提で交渉に臨まざるを得ない立場にあることを十分認識しつつ,結果として,いずれの立場からも矛盾なく日中戦争の戦後処理が行われることを意図して,共同声明の表現が模索され,その結果,日中共同声明前文において,日本国側が中華人民共和国政府の提起した復交三原則を「十分理解する立場」に立つ旨が述べられた。そして,日中共同声明1項の「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は,この共同声明が発出される日に終了する。」という表現は,中国側からすれば日中戦争の終了宣言と解釈できるものであり,他方,日本国側からは,中華人民共和国政府と国交がなかった状態がこれにより解消されたという意味に解釈し得るものとして採用されたものであった。
ウ 以上のような日中国交正常化交渉の経緯に照らすと,中華人民共和国政府は,日中共同声明5項を,戦争賠償のみならず請求権の処理も含めてすべての戦後処理を行った創設的な規定ととらえていることは明らかであり,また,日本国政府としても,戦争賠償及び請求権の処理は日華平和条約によって解決済みであるとの考えは維持しつつも,中華人民共和国政府との間でも実質的に同条約と同じ帰結となる処理がされたことを確認する意味を持つものとの理解に立って,その表現について合意したものと解される。以上のような経緯を経て発出された日中共同声明は,中華人民共和国政府はもちろん,日本国政府にとっても平和条約の実質を有するものにほかならないというべきである。
そして,前記のとおり,サンフランシスコ平和条約の枠組みは平和条約の目的を達成するために重要な意義を有していたのであり,サンフランシスコ平和条約の枠組みを外れて,請求権の処理を未定のままにして戦争賠償のみを決着させ,あるいは請求権放棄の対象から個人の請求権を除外した場合,平和条約の目的達成の妨げとなるおそれがあることが明らかであるが,日中共同声明の発出に当たり,あえてそのような処理をせざるを得なかったような事情は何らうかがわれず,日中国交正常化交渉において,そのような観点からの問題提起がされたり,交渉が行われた形跡もない。したがって,日中共同声明5項の文言上,「請求」の主体として個人を明示していないからといって,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる処理が行われたものと解することはできない。
エ 以上によれば,日中共同声明は,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる趣旨のものではなく,請求権の処理については,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを明らかにしたものというべきである。
(3) 上記のような日中共同声明5項の解釈を前提に,その法規範性及び法的効力について検討する。
まず,日中共同声明は,我が国において条約としての取扱いはされておらず,国会の批准も経ていないものであることから,その国際法上の法規範性が問題となり得る。しかし,中華人民共和国が,これを創設的な国際法規範として認識していたことは明らかであり,少なくとも同国側の一方的な宣言としての法規範性を肯定し得るものである。さらに,国際法上条約としての性格を有することが明らかな日中平和友好条約において,日中共同声明に示された諸原則を厳格に遵守する旨が確認されたことにより,日中共同声明5項の内容が日本国においても条約としての法規範性を獲得したというべきであり,いずれにせよ,その国際法上の法規範性が認められることは明らかである。
そして,前記のとおり,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいては,請求権の放棄とは,請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせることを意味するのであるから,その内容を具体化するための国内法上の措置は必要とせず,日中共同声明5項が定める請求権の放棄も,同様に国内法的な効力が認められるというべきである。
(4) 以上のとおりであるから,【判示事項2】日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国又はその国民若しくは法人に対する請求権は,日中共同声明5項によって,裁判上訴求する権能を失ったというべきであり,そのような請求権に基づく裁判上の請求に対し,同項に基づく請求権放棄の抗弁が主張されたときは,当該請求は棄却を免れないこととなる(最高裁平成19年4月27日第二小法廷判決・民集61巻3号1188頁参照)。
(5) ところで,控訴人らの本件請求のうち,本件強制連行・強制労働による不法行為及び被控訴人らに対する安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求等については,いずれも,日中戦争の遂行中に生じたものであり,前記事実関係にかんがみると控訴人らの被った精神的・肉体的な苦痛は極めて大きなものであったと認められるが,日中共同声明5項に基づく請求権放棄の対象となるといわざるを得ず,自発的な対応の余地があるとしても,裁判上訴求することは認められない。
(6) これに対し,控訴人らは,日中共同声明はサンフランシスコ平和条約の枠組みとは別個のものであるし,同声明5項には,中華人民共和国国民の日本国や日本国民に対する請求権の放棄については触れられておらず,ウィーン条約法条約31条によれば,条約は,文脈,趣旨,目的に照らして用語の通常の意味に従って誠実に解釈しなければならないとしている点からして,中華人民共和国国民が請求権を放棄したとは解釈できないなどと主張する。
しかしながら,上記(2)ア及びイのとおりの日中共同声明の交渉経緯からするとサンフランシスコ平和条約の枠組みとは別個のものであるとは解されないし,そうすると,日中共同声明5項には用語として,中華人民共和国国民の請求権放棄が記載されていないだけであり,その文脈,趣旨,目的に照らせば,中華人民共和国国民も請求権を放棄したものと解釈するのが相当である。この点については,中華人民共和国高官においても,賠償問題については,国民のものも含めて解決済みであるとの発言がなされており,上記のような解釈を採ることが中華人民共和国の意に反しているものともいえない。
よって,控訴人らの上記主張は採用できない。
(7) そうすると,控訴人らの,強制連行・強制労働の不法行為及び本件強制労働についての被控訴人らの安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求は,以上の点からしても理由がないといわざるを得ない。
7 戦後の不法行為について
(1) 控訴人らは,原審において,[1]戦後の原状回復義務違反の不法行為又は保護義務の債務不履行及び[2]戦後今日まで犯罪行為を隠蔽し,提訴を妨害してきた不法行為を主張し,その内容は,強制連行・強制労働に関する書類を焼却したり,中国人の遺骨を隠匿するなどして証拠資料を隠匿し,外務省報告書を隠匿したり,同報告書等を焼却し,国会答弁等において,強制連行・強制労働の事実を否定し,ILO29号条約25条に反して,強制労働を強要した被控訴人会社らの刑事訴追と処罰を行わないというものであり,当審では,[3]戦後における積極的人権侵害行為を主張し,その内容として,真相を隠蔽し,証拠資料を廃棄処分するなどの行為,ILO29号条約による刑事制裁義務を懈怠し,積極的にこれを免れようとした行為,国会での虚偽答弁等によって真実を隠蔽して控訴人らの知る権利と死者を追悼する権利を侵害した行為及び被控訴人会社らでの労働が任意の契約に基づくものであったとする虚偽の国会答弁によって控訴人らの名誉を侵害した行為をいい,さらに,[4]持帰金未清算及び隠匿による不法行為を主張している。
(2)[1] 戦後の原状回復義務違反の不法行為又は保護義務の債務不履行について
控訴人らの主張する,上記各義務は,いずれも被控訴人らによる本件強制連行・強制労働による戦前の不法行為によってもたらされた控訴人らの状況を前提として,これを原状に回復すべく,損害賠償を求めるものであるところ,控訴人らが賠償を求める損害は,本件強制連行・強制労働によってもたらされたものというべきであり,上記各義務の不履行によって新たに生じたものということができないことは明らかである。したがって,上記各請求はいずれも理由がない。
(3)[2] 戦後今日まで犯罪行為を隠蔽し,提訴を妨害してきた不法行為と[3]戦後における積極的人権侵害行為については,その内容が重なる部分があるので,一括して検討する。
ア 真相を隠蔽し,証拠資料を廃棄処分するなどの行為について
控訴人らの主張は,被控訴人Y2の公務員や被控訴人会社らは,証拠資料を廃棄処分すべきでなく保存する義務があったことを前提とするものと考えられるが,控訴人らが本件強制連行・強制労働から解放され,違法状態が終了した後に,控訴人らの被害の回復のため将来の訴訟に備えてその証拠資料を保存すべき義務があるとは認められないから,控訴人らの主張は採用できない。
イ ILO29号条約による刑事制裁義務を懈怠し,積極的にこれを免れようとした行為について
ILO29号条約に基づく被控訴人Y2の義務は,相手方である締約国に対する国際法上の義務であり,仮に刑事制裁措置を執らなかったとしても,控訴人らの権利ないし利益を害するものではないから,控訴人らに対する不法行為となるものではない。また,被控訴人Y2が,同条約25条により,強制労働を行った者に対して刑事制裁を課すべき義務を負っていたとしても,犯罪の捜査及び検察官の公訴権の行使は,国家及び社会の秩序維持という公益目的で行われるものであって,犯罪被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではない(最高裁平成2年2月20日第三小法廷判決・裁判集民事159号161頁参照)から,刑事制裁措置を懈怠したことが,控訴人らの権利を侵害するものではない。
これに対し,控訴人らは,被控訴人らは,積極的な作為によってその義務を免れるための証拠隠滅行為を行い,控訴人らの権利行使を妨害した場合には,証拠隠滅行為等の行為自体が新たな不法行為に当たる旨主張するが,もともと国家が刑事制裁を課すか否かについて控訴人らに法的利益はないのであって,控訴人らの権利行使を観念することはできず,したがって,被控訴人らが控訴人らの権利行使を妨害したものとはいえず,控訴人らの上記主張は採用できない。
ウ 国会での虚偽答弁等によって真実を隠蔽して控訴人らの知る権利と死者を追悼する権利を侵害した行為及び被控訴人会社らでの労働が任意の契約に基づくものであったとする虚偽の国会答弁によって控訴人らの名誉を侵害した行為についてこれらは,いずれも被控訴人Y2の公務員による国会答弁において虚偽の答弁を行ったことが不法行為を構成するというものである。
しかしながら,国会における被控訴人Y2の公務員による答弁は,国会を通して,国会議員ひいては有権者である国民に対する説明としてなされるものと認められるところ,国会答弁において,公務員は,被控訴人Y2の国民ではない控訴人らの知る権利を保障するものではないし,国会において虚偽の答弁を行ったとしても,被控訴人らの知る権利を侵害するものではないと解せられる。
また,国会答弁において控訴人らの名誉を侵害したとの点についても,その答弁は,控訴人ら個々人を特定してなされたものではなく,控訴人ら個々人の社会的評価を低下させるものとはなり得ないし,また,個々人を特定し得たとしても,戦時中任意の意思で日本で労働したという事実自体が,控訴人らの社会的評価を低下させるものとは認められない。これに対し,控訴人らは,中華人民共和国において,戦時下の敵国に労務を提供したものと非難を受け,不利益を被った旨主張し,そのような事実も認められる(証拠<省略>)が,控訴人らが,上記のような非難を受けたことについては,国会答弁で,被控訴人Y2の関係者が任意の意思で日本で労働した旨の発言を行い,それを中華人民共和国の国民が知り,控訴人らを非難したものとは認められず,もっぱら,中華人民共和国内における誤解や文化大革命という中華人民共和国の国情に基づくものというべきであって,国会答弁との因果関係は認められないというべきである。
さらに,死者を追悼する権利については,死者の親族にはその権利が認められるとしても,単に,本件強制連行・強制労働に同様に従事していたという者までが,死者を追悼する権利を有するとは認めがたい。
以上により,控訴人らの上記主張は採用できない。
(4) [4]持帰金未清算及び隠匿による不法行為について
ア 控訴人らは,被控訴人らが,持帰金や保管金の清算義務を果たしていないこと,未払賃金等の支払を持帰金にすり替えたこと,統制会・正金銀行宛て送金において適切な対応をとっていないこと,賃金持ち帰りを妨害したこと,持帰金を隠匿したこと及び持帰金,保管金の存在を控訴人らに知らせず放置したことを主張する。
イ(ア) 持帰金や保管金の清算義務を果たしていないことについて持帰金や保管金の実質は,本件強制労働に対する対価である賃金であるところ,被控訴人会社らは,控訴人らに対する賃金支払義務を負っているものというべきである。しかし,被控訴人会社らが,その支払を怠っていること自体が不法行為を構成するものではないし,被控訴人会社らが,控訴人らの支払請求に対して,積極的にこれを妨害するなどした場合には,これを新たな不法行為として認める余地があるとしても,本件全証拠によるも,被控訴人会社らにかかる事実を認めることはできないから,控訴人らの上記主張は採用できない。また,被控訴人Y2に対しては,いかなる法的義務が生じているのか不明といわざるを得ないから,被控訴人Y2に対する不法行為の主張もまた採用できない。
(イ) 未払賃金等の支払を持帰金にすり替えたことについて
未払賃金等の支払について,華人労務者帰国取扱要領においては,「帰国に際して,雇用主は契約上の義務を完全に履行し,保管中の貯金の返還その他の清算を完結する。」,「給与の支給に当たっては,可及的に現物によるよう努める。」とされており,未払賃金等は,控訴人らに直接手渡されることが予定されていたが,その後,華人労務者送金要綱及び「華人労務者帰国持参金処理方変更ノ件」に基づき,1000円については,正金銀行天津支店において受け取り,1000円を超える金額については,被控訴人Y2が当面保管することとなった。しかし,これは,被控訴人Y2の政策の変更により生じたものであり,このこと自体をもって被控訴人Y2の不法行為ということはできないし,かかる政策に従った被控訴人会社らについても不法行為を構成するものではないから,控訴人らの上記主張は採用できない。
(ウ) 統制会・正金銀行宛て送金において適切な対応をとっていないことについて
正金銀行天津支店は,控訴人らが帰国し,持帰金を受け取る前に閉鎖されており,控訴人らは,持帰金を受け取ることができなかったところ,控訴人らは,被控訴人らには正金銀行と十分な連絡をとり,仮にも同銀行天津支店の閉鎖により持帰金を控訴人らに渡せないというような事態が発生することのないように措置・対応すべきであった旨主張するが,被控訴人会社らは,華人労務者送金要綱に基づき,統制会を通じて同支店に送金をしたにすぎないから,それ以上に,同支店の閉鎖までをも留意して,控訴人らに持帰金が確実に受け取られるところまで注意すべき義務はないというべきである。また,被控訴人Y2についても,控訴人ら主張の上記注意義務については,いかなる法的義務に違反するものか不明であるといわざるを得ず,やはり不法行為を構成しないものといわざるを得ない。
(エ) 賃金持ち帰りを妨害したことについて
控訴人らは,華人労務者送金要綱により1000円を超える金額について,被控訴人Y2が保管することになったことは,従前の閣議決定に反するし,当時の他の法令にも根拠がない違法な指示で不法行為を構成する旨主張する。
しかしながら,もともと外国為替管理法によって通貨の輸出を政府が制限することは許容されており,昭和20年10月15日発令の大蔵省令第88号では,大蔵大臣の許可を受けなければ通貨又は有価証券の輸出ができないとされていたところ,その後同年11月1日の大蔵省告示第371号により,1000円までの通貨の携帯輸出が認められたとの経緯がある(証拠<省略>)のであって,外国為替管理法等の法令に基づき通貨の輸出入の規制をしたものであることが認められるから,法令の根拠に基づくものであり,また,「華人労務者帰国持参金処理方変更ノ件」は,連合軍最高司令部の指示によりなされたものであるから,被控訴人Y2の公務員としてはその指示に反し得なかったというべきであって,不法行為を構成するものではない。
(オ) 持帰金を隠匿したことについて
控訴人らは,正金銀行天津支店の閉鎖により持帰金が被控訴人会社らに戻されたが,被控訴人会社らがこの持帰金を不法に隠匿し,あるいは,持帰金の適切な保管を講ずべき義務に違反した旨主張する。
しかしながら,特定物の引渡しを内容とする債務であれば,その特定物を隠匿したとか,保管義務に違反したとして不法行為を構成する場合があるとしても,持帰金については,特定物の引渡しを内容とする債務ではなく,控訴人らの未払賃金等の金銭債務であるから,持帰金が被控訴人会社らによって費消され,あるいは紛失したとしても,かかる金銭債務自体に影響を及ぼすものではなく,持帰金の隠匿や保管義務に違反するとして不法行為を構成するものではない。また,被控訴人Y2においても,被控訴人会社らに不法行為責任がない以上,被控訴人会社らを監督,指導する義務も存しないというべきであり,不法行為を構成しない。
(カ) 持帰金,保管金の存在を控訴人らに知らせず放置したことについて
控訴人らは,持帰金や保管金について,その経緯,保管先,支払を受けるために採るべき措置について,可及的速やかに告知する義務があった旨主張する。しかし,これは,上記(ア)で判断した未払賃金の清算の問題と同様に解すべきである。すなわち,確かに,本件強制連行・強制労働に加担した者が,その違法状態の解消のために真摯に努力することは当然のことといえ,持帰金,保管金も未払賃金等の清算をなすものであるから,違法状態解消の一端を担っているものといえる。しかし,だからといって,不法行為を行った者が,その不法行為の解消策としての金銭給付を怠り,又は放置したことにより,遅延損害金が発生する以上に新たな不法行為を構成するものとは認められない。したがって,控訴人らの上記主張は採用できない。
8 本件予備的請求について
(1) 被控訴人会社らは,本件予備的請求は,福岡高等裁判所が広告文を掲載したという事実が請求原因に追加されるべきところ,請求の基礎に変更があるので,許されない旨主張する。
しかし,本件予備的請求は,民法723条の「名誉を回復するのに適当な処分」として,被控訴人らに,福岡高等裁判所が広告文を掲載した場合の費用の負担を命ずる旨の裁判を求めているものであり,福岡高等裁判所が広告文を掲載したことが請求原因となるものではなく,かつ,請求の基礎に変更はないと解されるから,被控訴人会社らの上記主張は採用できない。
(2)ア 本件予備的請求につき,被控訴人Y2は,請求の特定を欠き,また,現行法上認められない訴訟形態であるとし,被控訴人会社らは,審級の利益を害し,請求の特定を欠くものとして,不適法である旨主張する。
イ(ア) しかしながら,審級の利益を害するとの点は,上記(1)で判断したとおり,請求の基礎に変更がないものと認められるので,理由がない。
(イ) また,請求の特定を欠くとの点についても,本件予備的請求は,そもそも謝罪広告の一つの形態であるから,支払うべき金額は,謝罪広告文の内容と掲載する新聞等や活字の指定により特定されれば足りるというべきであり,支払先が特定されていないとしても,謝罪広告文の掲載のために費用を負担した者に対して支払うことは一義的に明らかであるから,本件予備的請求は,特定を欠いて不適法とまではいえない。
(ウ) さらに,現行法上認められない訴訟形態であるとの点については,被控訴人Y2は,裁判所に対する広告掲載請求と被控訴人らに対する金銭支払請求とを明文の規定のないまま曖昧に融合させたものと批判するが,民法723条は,裁判所は,名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができると規定しており,本件予備的請求もその「適当な処分」として観念し得ないわけではない。なお,裁判所の名において謝罪広告を掲載することは,同条の裁判所が「命ずることができる」との文言に反するとも解せられるが,同条は,裁判所に適当な処分を委ねた規定と解されるところ,裁判所が主体となることはできず,必ず他者に命じなければならないものとまでは解されないし,受訴裁判所にこのような広告を行う権限がないとまではいえず,現行法上認められない訴訟形態であるとまでは認められない。
ウ 以上によれば,本件予備的請求は不適法とまでは認められず,被控訴人らの上記主張は採用できない。
(3) 本件予備的請求の可否
本件予備的請求の請求原因は,被控訴人らが共同の意志をもって控訴人らに対する名誉毀損行為を継続的に実行して来たことを骨子とするものである。
しかしながら,被控訴人らの行為が控訴人らの名誉を侵害するものではないことは,上記7(3)ウで判断したとおりであるから,控訴人らの上記請求は理由がない。
9 以上によれば,控訴人らの本訴請求はいずれも理由がないから棄却すべきである。よって,本件控訴は理由がないからいずれも棄却し,また,当審において追加された本件予備的請求も理由がないからいずれも棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判官 石井宏治 裁判官 太田雅也 裁判官 澤田正彦)
(別紙1)当事者目録<省略>
(別紙2)謝罪広告目録<省略>
(別紙3)控訴人らの来日の経緯<省略>
(別表1)来日の経過一覧表<省略>
(別表2)就労事業場及び就労期間<省略>