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福岡高等裁判所 平成18年(行コ)10号 判決 2007年12月26日

控訴人

地方公務員災害補償基金鹿児島県支部長Y

同訴訟代理人弁護士

橋本勇

被控訴人

同訴訟代理人弁護士

高橋政雄

増田秀雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用(差戻前控訴審及び上告審の費用を含む。)は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1申立

1  控訴人

(1)  原判決を取り消す。

(2)  被控訴人の請求を棄却する。

(3)  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文と同旨

第2事案の概要と審理経過

1  本件は,鹿児島県肝属郡内之浦町(現在は合併により肝属郡肝付町となった。)の教育委員会職員であったA(以下「A」という。)が,平成2年5月12日,内之浦町学校体育連盟主催・同町教育委員会共催の転入教職員歓迎親睦バレーボール大会(以下「本件バレーボール大会」という。)に参加中に急性心筋梗塞を発症して死亡したこと(以下「本件災害」という。)について,Aの長男である被控訴人が,控訴人に対し,地方公務員災害補償法(以下「地公災法」という。)に基づく公務上災害の認定を求めたところ,控訴人においてAの死亡が公務に起因するものではないとして公務外認定処分をしたため,同処分の取消しを求めた事案である。

2  前提となる事実

原判決8頁9行目(労判919号<以下同じ>14頁左段24行目)及び10行目(14頁左段25行目)の各「左回旋枝抹消」を「左回旋枝末梢」と改め,同10頁6行目(14頁右段4行目)の「同一番から三番」の次に「,右冠動脈末梢及び左回旋枝(<証拠省略>)」を,同12頁2行目(14頁右段32行目)の「各狭窄」の次に「,回旋枝のバイパス閉塞(左前下行枝のバイパスは開存)(<証拠省略>)」をそれぞれ加えるほか,原判決の「事実及び理由」第二の「二 争いのない事実等(証拠により認定した場合には括弧内に証拠の標目を付した。)」欄のとおりであるから,これを引用する(Aの心臓カテーテル検査結果の推移は,別紙「A検査結果推移表」〔<証拠省略>〕記載のとおりである。)。

3  審理経過

(1)  原審

原審は,以下のとおり判示して,被控訴人の請求を認容した。

その理由は,以下のとおりである。

ア 地公災法31条,42条に定める職員が「公務上死亡」した場合とは,職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい,当該負傷又は疾病と公務との間には相当因果関係のあることが必要であり,かつ,これをもって足りるというべきであるが,必ずしも死亡が公務遂行を唯一の原因ないし相対的に有力な原因とする必要はなく,本件のように,基礎疾患を有する公務員がこれを増悪させて死亡した場合には,公務の遂行に伴う高度の精神的・肉体的負荷により,病変である基礎疾患を医学的経験則上の自然的経過を超えて急激に増悪させ死亡の時期を早めたと認められる場合には,同死亡は「公務上の死亡」に当たると解するのが相当である。

イ Aは,重篤な陳旧性心筋梗塞という既往症を有していたものの,直ちに死亡に至るまでの可能性があったとはいえず,むしろ,本件バレーボール試合に出場したことにより,自然の経過を超えて,基礎疾患である心疾患を急激に増悪させ,その結果死亡するに至ったものと認めるのが相当であり,本件バレーボール試合への参加は肉体的・精神的に過重な負荷であったということができるから,本件死亡と公務との間には相当因果関係があるというべきである。

(2)  差戻前控訴審

(1)に対し,控訴人が控訴したところ,差戻前控訴審は,以下のとおり判示して,原判決を取り消し,被控訴人の請求を棄却した。

ア 地公災法31条,42条に定める職員が「公務上死亡」した場合とは,職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい,当該負傷又は疾病と公務との間には相当因果関係のあることが必要であり,かつ,これをもって足りるというべきであるが,上記相当因果関係は,災害発生時点から過去に遡り客観的に災害を発生させる原因となり得た無数の条件関係を有する原因の内,その原因の一つである公務のみに危険責任を負わせて全損害の填補をさせるのが相当かどうかの客観的判断基準であるから,業務が唯一の原因である必要はないにしても,その他の原因との関係で相対的に有力な原因であることが必要であると解すべきである。

したがって,単に業務が当該疾病発症の誘因ないしきっかけにすぎないと認められる場合は,業務起因性は認められないと解すべきである。

そして本件のように,基礎疾患を有する公務員がこれを増悪させて死亡した場合には,公務の遂行に伴う高度の精神的・肉体的負荷により,病変である基礎疾患を医学的経験則上の自然的経過を超えて急激に増悪させ死亡の時期を早めたと認められる場合には,公務の遂行を相対的に有力な原因と見て,当該死亡は「公務上の死亡」に当たると解するのが相当である。

イ(ア) 平成2年5月当時のAの心臓機能は昭和59年6月と比較して非常に悪化していた。その上,Aの総コレステロール値は急激に上昇しており,Aはプラーク破裂により心筋梗塞を発症する可能性が高い状態にあった。

(イ) Aの血圧は本件バレーボール試合に出場したことにより急激に上昇したと認めることができるものの,血圧の上昇は心筋梗塞の発症の主たる引き金因子と認めることができないものであって,本件バレーボール試合に出場したことが心筋梗塞の発症の相対的に有力な原因であるということはできない。Aは,心臓機能の著しい低下と総コレステロール値の急激な上昇という自然的経過の中で,たまたま本件バレーボール試合に出場したことが契機となって,心筋梗塞を発症したということができる。

(ウ) よって,Aの死亡と本件バレーボール試合に出場したこととの間に相当因果関係があるということはできない。

(3)  上告審

(2)に対し,被控訴人が上告受理申立をしたところ,上告審は,以下のとおり判示して,差戻前控訴審判決を破棄し,更に審理を尽くさせるため,本件を福岡高等裁判所に差し戻した。

ア 差戻前控訴審が確定した事実関係によれば,①Aは,昭和59年9月に復職した後,力仕事に従事することは極力避けるようにしていたものの,その余の職務には通常どおり従事しており,その勤務状況は良好であって,病気により休暇を取得することはなかった,②昭和62年6月に行われたマスターダブル運動負荷テストの結果,Aには狭心症状等は認められず,日常生活,事務労働,車の運転等の中程度の労働まで許容することができるとされた,③Aは,平成元年11月に行われたソフトボール大会に参加した際,代打として出場し,ホームランを打って走塁した後1塁の守備についたことがあった,④昭和59年6月にa病院を退院した後にAが狭心症状等を起こした旨の記録は存在しないというのである。これらの事実に照らすと,本件においては,Aの心臓疾患は,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまでは増悪していなかったと認める余地があるというべきである。差戻前控訴審は,平成2年5月当時のAの心臓機能が昭和59年6月と比較して非常に悪化していた上,Aの血清1dl当たりの総コレステロール値が平成元年11月には255mgまで急激に上昇していたことから,Aはプラーク破裂により心筋梗塞を発症する可能性が高い状態にあったとするが,記録によれば,Aの総コレステロール値は平成2年3月には203mgであったことがうかがわれるところであるし,前記のAの死亡前の勤務状況等に照らせば,上記各事実のみから直ちにAが上記状態にあったと認定することはできないといわなければならない。

そして,前記事実関係によれば,9人制バレーボールの全試合時間を通じた平均的な運動強度は通常歩行と同程度のものであるが,スパイク等の運動強度はその数倍に達するのであって,その一時的な運動強度は相当高いものであるというのであるから,他に心筋梗塞の確たる発症因子のあったことがうかがわれない本件においては,本件バレーボール試合に出場したことによる身体的負荷は,Aの心臓疾患をその自然の経過を超えて増悪させる要因となり得たものというべきである。そうすると,Aの心臓疾患が,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまでは増悪していなかったと認められる場合には,Aは本件バレーボール試合に出場したことにより心臓疾患をその自然の経過を超えて増悪させ心筋梗塞を発症して死亡したものとみるのが相当であって,Aの死亡の原因となった心筋梗塞の発症と本件バレーボール試合に出場したこととの間に相当因果関係の存在を肯定することができることになるのである。

イ 以上によれば,Aの心臓疾患が,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまでは増悪していなかったかどうかについて十分に審理することなく,Aの死亡と本件バレーボール試合に出場したこととの間に相当因果関係があるということはできないとした差戻前控訴審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。

(4)  差戻後の当審における審理の範囲

(3)の差戻を受けた当審は,上告審の判断の拘束力を受けて(民事訴訟法325条3項),改めて,(1)に対する控訴人の控訴について審理判断をするものである。

したがって,当審の審理の対象は,本件災害時にAの心臓疾患が確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまでは増悪していなかったと認められるかどうかであり,これが肯定される場合には,Aは本件バレーボール試合に出場したことにより心臓疾患をその自然の経過を超えて増悪させ心筋梗塞を発症して死亡したものであって,Aの死亡の原因となった心筋梗塞の発症と本件バレーボール試合に出場したこととの間の相当因果関係の存在が肯定されることになる。

なお,本件では,複数の医師が証人尋問でAについての所見を述べているが,その取調経過は,以下のとおりである。

また,B(以下「B医師」という。)は,差戻後の当審において意見書(<証拠省略>)を提出している。

ア 原審

① C(以下「C医師」という。)

② D(以下「D医師」という。)

イ 差戻前控訴審

① E(以下「E医師」という。)

ウ 差戻後の当審

① F(以下「F医師」という。意見書は<証拠省略>)

② D医師(意見書は<証拠省略>)

4  争点

原判決15頁8,9行目(15頁左段8行目-「三 争点(省略)」中)の「右冠動脈抹消」を「右冠動脈末梢」と改め,差戻後の当審における当事者の主張を次のとおり付加するほか,原判決の「事実及び理由」第二の「三争点」欄のとおりであるから,これを引用する。

(控訴人)

(1) Aの心臓疾患が本件災害時に心筋梗塞を発症させる寸前にまでは増悪していなかったことは,同人の死亡が公務上の災害であることを基礎付ける事実であるから,その立証責任は被控訴人にあるところ,本件において,そのような立証がなされたとはいえないから,被控訴人の請求は棄却されるべきである。

(2) Aの心臓病変

昭和61年8月21日の検査によれば,左前下行枝の遠位部(8番)へのバイパスによる血液供給だけが維持されており,これによって灌流されている領域の心筋が生存して,その壁運動によって心機能が維持されている状態であったから,バイパスの吻合部よりも近位部に位置する6番及び7番並びにそこから分岐している9番及び10番が灌流する部分の心筋は壊死し,瘢痕化していた(<証拠省略>)。

また,この検査においては,左室拡張末期圧が25mmHgであり,左心室機能が高度に低下していることが示されている。左室駆出率は,拡張末期に左心室内に蓄えた血液を押し出す(駆出する)ことができる割合を示すものであり,左室機能を判断する重要な要素である。左室駆出率が30%から40%以下となった場合は,他の危険因子とは関係なく,それ自体が独立した最も強力な危険因子となり,それに心室不整脈があると,心臓突然死の相対危険度は,両方とも認められない人の4倍から8倍となる(<証拠省略>)。Aのように3本の冠動脈全てに疾患があり,左室駆出率が40%以下であるという患者の10年間の死亡率は六十数%となっている(<証拠省略>)。

以上によれば,昭和61年8月21日時点におけるAの心機能の代償機能は破綻間近の状態にあったと判断せざるを得ないのである(<証拠省略>)。

(3) Aの高脂血症状

従来(上告審判決当時)は,高脂血症の診断基準としては総コレステロール値が採用されていたが,近年の研究により,総コレステロール値を指標とすることは不適であり,LDLコレステロール(いわゆる悪玉コレステロール)値によるべきこととされ,日本においてもその基準が採用されている(<証拠省略>)。冠動脈疾患の予防,治療の観点からみた日本人のLDLコレステロール血症患者の管理基準(<証拠省略>)によると,冠動脈疾患がある患者のLDLコレステロール値については,治療目標値を100mg/dl(以下,mg/dlの表記を省略する。)未満とし,100以上の場合は生活指導及び食事療法を行い,120以上の場合は薬物療法を行うことが適当であるとされている。

そこで,AのLDLコレステロール値をみると,次のように推移している(<証拠省略>)。

昭和59年2月1日 159

2日 140

9日 151

3月7日 117

4月10日 135

5月9日 113

6月8日 算出不能

60年7月31日 92

10月30日 127

61年1月16日 122

4月22日 116

8月12日 108

62年6月4日 134

11月9日 133

63年3月9日 152

平成元年2月1日 143

6月20日 123

11月10日 183

2年3月13日 算出不能

このように,AのLDLコレステロール値が治療目標値である100を下回ったのは昭和60年7月31日の1回だけであり,D医師による最終の診察を受けた昭和62年6月8日以降は,一貫して,薬物療法を必要とする水準である120を超えていたにもかかわらず,具体的な療法の指導は受けていない。しかも,平成元年6月20日には町立病院において投薬がなされている(<証拠省略>)にもかかわらず,同年11月10日には183という極めて異常な値を示し,算出不能とされる平成2年3月13日の値もこれを超えることはないだろう(D医師),あるいは少なくとも同年6月20日の123を超えていた(F医師)と推定されている。危険因子への影響を「LDLコレステロール値×時間」として考えると,動脈硬化病変の危険性がより高かったと判断される(<証拠省略>)。

(4) 上告審判決が指摘する個別の問題点について

ア Aの勤務状況について

Aは,昭和59年9月に復職した後,力仕事は極力避けるようにしていたものの,その余の職務には通常通り従事し,その勤務状況は良好であり,病気により休暇を取得することはなかったことを否定する証拠はないが,心機能が低下している場合は,日常生活が差し障りなくできていても,実は危険という人はかなり存在するのであり,臨床的にはそれが最も注意を要するグループなのである。

症状の変化がないことが動脈硬化病変の安定と将来にわたっての臨床経過が良好であることを意味するものではないことの第1の理由は,コレステロール,高血圧,煙草等の既知の動脈硬化因子を是正しても,時間の経過すなわち加齢というコントロール不能の要因によって動脈硬化が進行するということであり,第2の理由は,冠動脈硬化の病変は20歳代から徐々に進行し,それが虚血性心疾患として発症するのは,早ければ40歳前後であって,多数は,50,60歳代,あるいはそれ以降であるということである(Aの場合は,最初の発症が36歳,死亡が44歳である。)。

Aについては,昭和59年9月の復職後,心機能の低下を窺わせる症状を訴えた記録は存在しないが,臨床的には,無意識に症状の生ずるレベルまでの労作を避ける例や,若年者(Aは復職当時38歳であった。)では,左室駆出率では重症でありながら,運動対応能が比較的保たれている例をしばしば経験するのであり(<証拠省略>),数年間無症状であったことをもって,疾患が安定していると判断することはできない。

イ マスターダブル運動負荷テストについて

D医師によって昭和62年6月に行われたマスターダブル運動負荷テストの結果,狭心症状等が認められず,日常生活,事務労働,車の運転等の中程度の労働まで許容することができるとされていた。

しかし,Aのような高度な心機能低下例では,心筋の線維・瘢痕化のためマスターダブル運動負荷テストを行っても心筋虚血が誘発されない可能性があるので,負荷心電図所見が陰性となる理由までを考慮して,リスクの評価を総合的に行う必要があり,心筋梗塞発症の予知に負荷心電図所見は有用ではない(<証拠省略>)。

ウ ソフトボール大会への出場について

Aは,平成元年11月のソフトボールの試合に出場しているが,これは,当時のAの病状から判断して許容されたものではなく,昭和59年5月23日当時の状況を前提にすれば当然禁止されるべきものであった。

これは,まさに,症状がでないことによって,生活習慣の管理がおろそかになっていたことを示すものであり,たまたま最悪の事態の発生を免れることができた(その負荷が代償機能の範囲内に収まった)というにすぎず,このことをもって,将来におけるAにおける心事故発生のリスクが少ないとすることはできない。

エ 狭心症状等の記録がないことについて

(ア) Aについては,昭和59年6月にa病院を退院した後において狭心症等を起こした旨の記録が存在しないことは事実である。

しかし,昭和61年8月21日の検査結果によれば,昭和59年5月の検査結果に比較して,駆出率が35%から25%に低下していた。これについて,D医師は,心筋梗塞を起こしたことがない左前下行枝が支配する前壁中隔部での収縮低下によるものであり,左室再構築の機序というのが最も考えられるとしている(<証拠省略>)。

この事実は,狭心症等を起こした旨の記録が存在しないことが,心疾患が悪化していなかった(心筋の壊死等が生じていなかった)ことを示すものではなく,自覚症状がない(したがって記録がない)ままに,Aの冠動脈病変が進行し,心機能が低下していたことを示すものである。そして,冠動脈硬化病変は,加齢とともに進行・増悪する疾患であるから(<証拠省略>),昭和61年8月21日以降も上記のような病変の進行が継続していたことは容易に推認できるところである。

(イ) Aは,昭和59年のa病院入院中,多数回の心室性期外収縮が発生していたが,心筋症等を起こした旨(狭心痛等を訴えたこと)の記録はないから,自覚症状がないことをもって不整脈の発生を否定することはできない。

Aは,昭和57年6月から昭和59年2月までという短期間に3回の心筋梗塞を発症し,左前下行枝の遠位部(8番)に吻合されたバイパスのみが機能している状態にまで立ち至っていたのであるから,昭和59年2月からの入院中は,生存心筋が存在するものの虚血による自党症状を認めない無症候性心筋虚血であり(<証拠省略>),昭和61年には狭窄病変の末梢領域に狭心痛を生じるだけの量の生存心筋が存在しなかったと考えるのが合理的である(<証拠省略>)。

オ コレステロール値と心臓機能の悪化について

上告審判決が本件災害当時にAがプラーク破裂により心筋梗塞を発症する可能性が高い状態にあったと認定することはできないとする最大の根拠は,本件災害の3か月前である平成2年3月13日には総コレステロール値が203に下がっていたことにある。

しかし,平成19年になって,最近の研究成果に基づいてLDLコレステロールをもって動脈硬化因子とすべきであるとの知見が確立され,高脂血症の判断基準も,上告審判決が指摘する総コレステロール値ではなく,LDLコレステロール値を基準として診断管理すべきこと,AのLDLコレステロール値は極めて高い数値を維持していたことは前記(3)のとおりであるから,上告審判決の疑問の根拠は全く消滅しているのである。

カ まとめ

Aの心臓疾患は極めて重症であり,その心機能が著しく低下していたうえに,高いLDLコレステロール値にもかかわらず,必要な治療を受けないでいたのであるから,本件バレーボール試合への出場による身体的負荷がなくても,本件のような心事故が何時いかなるときに発症しても不思議ではなかった(<証拠省略>)。

このように,本件バレーボール試合による心拍数の増大又は血圧の増加は,Aの死亡の引き金として作用したことはあり得ても,それよりも遙かに重大なのは,同人の冠動脈の状態が極めて悪化していたという事実であるということについて,F医師,D医師,B医師及びE医師の見解は一致している。

したがって,本件バレーボール試合への出場によりAの心臓疾患をその自然の経過を超えて増悪させ,心筋梗塞を発症して,死亡したものとみること(相当因果関係の存在を認めること)はできないのであり,本件バレーボール試合への出揚は,心筋梗塞の最後の引き金として理解されるべきである。

これに対し,被控訴人は,心臓疾患が重篤化していけば,日常生活においても何らかの症状が出るはずなのに,Aについてはその記録がないから,同人の心臓疾患は心筋梗塞を発症させる寸前にまで増悪していなかったと主張し,D医師もそれに沿う証言をしている。しかし,何も症状を発しないままに心筋梗塞等を発症することがあることは,D医師及びF医師の双方ともが認めるところであり,Aについては症状を訴えた記録がないということだけをもって,同人の心臓疾患が心筋梗塞を発症させる寸前にまで増悪していなかったとすることはできない。

(被控訴人)

(1) Aは,昭和59年9月1日の復職後本件災害時(平成2年5月12日)までの間,勤務状況は良好で,日常生活においても,公務の遂行過程においても,狭心症や心不全様の症状を訴えたことがなく,その間,町立病院に定期的に通院して薬を貰い。時に受診をしながら,狭心症等を発症したこともなかった。このように心臓疾患への罹患を自覚して定期的に通院,服薬し,日常生活においても,充分に注意を払って生活を続けていながら,狭心症等の症状の発症を見ることなく経過している本件のような場合,経験則に照らし,特段の事情のない限り,自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまでは増悪していなかったと解すべきであり,その特段の事情の立証責任は控訴人にあるところ,本件でその立証がなされているとは到底いえないというべきである。

これに対し,控訴人は,何も症状を発しないままに心筋梗塞を発症することがあることはD医師及びF医師も認めているとして,症状が出なかったことは寸前にまで増悪していなかったことの論拠にならないという。

しかしながら,Aの場合,その基礎疾患が悪化して,心筋梗塞の既往がない左前下行枝領域に虚血が起こるとその影響はこの領域だけではなく,側副血行を供給している,左回旋枝や右冠動脈領域にも及び,狭心痛は自覚しなくても,心不全の症状や徴候が表れ,公務や日常生活に支障が出るもので(<証拠省略>),ちょっとした労作で息切れをしたり,あるいは,夜間,眠っているときに呼吸困難ないし不整脈が起こるということを臨床的に見ることが多くなるところ,Aは,死亡前日に公務で内之浦町役場から南へ車で片道1時間半程度の大浦小中学校まで山道を自ら運転して往復しているのに,帰宅後も身体の不調を訴えることがなかった(<証拠省略>)。また,Aの基礎疾患は,昭和57年6月の心筋梗塞の初発から昭和59年5月の右冠動脈完全閉塞までの間は急速に進行したが,昭和59年9月に職場復帰してからは,死亡時まで安定的に推移していた。こうしたことからしても,その死亡の頃,自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまでは増悪していなかったことは明らかである。

(2) 差戻後の審理で出された医学的知見の検討

ア 昭和61年8月21日から本件災害時までの間のAの生活及び公務遂行状況そして心臓の状態についての医師の所見は,次のとおりである。

(ア) F医師は,昭和61年8月21日の時点で既に破綻間近の状態であり,それから後はいつ破綻してもおかしくない状態であって,その後も左室の再構築は持続し,徐々に左室機能は低下し続けていたと考えるのが妥当で,本件災害時には,心機能が破綻を生じる直前の状態であったとする。

B医師は,昭和61年8月21日の時点で,冠動脈の主要3枝に極めて高度の硬化・狭窄病変が存在していた,左前下行枝主幹の狭窄率が95%(これは同医師の読み誤りで,正しくは90%である。),回旋枝主幹の狭窄率が100%,右冠動脈主幹の狭窄率が100%という極めて高度なものであり,主要3枝に連なる数多くの動脈枝にも硬化・狭窄病変があり,2本受けたバイパス手術のうち1本は閉塞して機能していなかった。そして,死亡時点では更にそれが進行していたと推認できるし,日常的な起居動作の中で,何時,心筋梗塞を再発しても,心不全に陥っても,おかしくないような,高度の冠動脈硬化・狭窄病変を有していたとする。

D医師は,昭和61年8月21日から本件災害時までの間にAに心不全の出現は見られず,心不全を示唆する症状も見られなかったことからは,この左室再構築の過程はまだ代償期の範囲にあったとする。

(イ) F医師とB医師とは,Aが昭和61年8月21日から本件災害時までの約3年8か月強の間,その心機能が破綻寸前であったあるいは日常的な起居動作の中で,何時,心筋梗塞を再発してもおかしくない状態であったとするので,その間のAの平穏な状態すなわち心不全や狭心症の症状が表れなかったことについての説明を求められることになるが,この点について,両医師は次のとおり説明する。

F医師は,「通常の生活では症状が出ないか,軽微なものであった」とし,また,Aが36歳時に発症し,死亡時点でも44歳であったという点に理由を求め,「若年者では,健常部の収縮予備能が高い,あるいは心臓以外の血管系で拡張機能が保たれ心臓の後負荷を軽減させている等が推測されている。」とする。また,予備能がまだ残っていた可能性に言及し,統計的にいえば,Aのように3枝疾患になった者でも,その後,5年,10年,20年と長生きする例も多いことも認めている。

B医師は,反対尋問に曝されなかったこともあってか,意見書では,この点についての説明をしていないに等しい。ただ,「Aは,自己の心臓の状態を全て承知しているはずであり,決して無理な運動をしてはならないことも自覚していたはずである。そうであったにも拘わらず,死亡当日,如何なる理由があろうとも,強い運動が強いられる可能性のあるバレーボールの試合に選手として出場したことは,自殺に等しい行為であるという誹りを受けることを免れることは出来ない。」ともいっている。これを逆に読むと,決して無理な運動をせず,強い負荷が加わるような事態に身を曝さないようにしておれば,本件災害時での死亡はあり得なかったともいっていることになる。

(ウ) 以上のように見てくると,F医師とB医師の所見共に,結局,D医師の所見に近いともいえるものであり,Aは,その死亡前のころにおいても,日常生活や車の運転・デスクワークなどの中くらいの労働は許容範囲内にあり,それ以上の負荷に身を曝さず,食生活に気をつけ,アルコールを控え,タバコを止めるなどの注意深い生活を過ごしている限り,心臓性突然死の恐れは少なかったといっているものと理解できる。

確かに安静時にでも心筋梗塞や狭心症あるいは心不全の発作が突然起こる可能性も絶無とはいえなかったが,そのような場合でも,通常は前兆として胸部絞扼感や動機,息切れ等が出るのが自然と思われるところ(前記(1)),死亡前のころ,Aにそのような前兆となるような出来事があったことはない。それどころか,Aは,再婚に向けて,結納の日取りも決めていたほどであったもので,精神的にも充実した日々を過ごしていたところからして,本件災害時において心臓性突然死にいたる蓋然性は極めて低いものでしかなかった。

なお,F医師は,左室駆出率が25%まで低下を認めた後も,左室の再構築は持続し,徐々に左室機能は低下し続けていたと考えるのが妥当で,平成2年5月12日の死亡時には,心機能が破綻を生じる直前の状態であったといい,B医師も同様にいうが,その点は,両医師の根拠のない推測に過ぎず,実際には,D医師が証言するように「それは分からない」というべきで,臨床的に悪化や心不全が見られていないところから,むしろ,そうした悪化は無かったと判断するのが自然であろう。Aの節度を保った規則正しい生活の中で,その心臓疾患の増悪化は抑えられていたと見るべきものである。

イ 広汎な心筋壊死・瘢痕化と「無症候性心筋虚血」について

F医師は,Aの揚合,広汎な心筋壊死・瘢痕化から,労作時の狭心痛を生じるだけの生存心筋が存在しなかったところから,狭心痛又は狭心症を発症していない可能性に言及する。また,「無症候性心筋虚血」という病名を持ち出して,Aに自覚症状が無かったことを説明しようとしているようにも見受けられる。

しかし,F医師の証言によると,同医師が,無症候性心筋虚血がAに出たといっているのは,あくまでも,心筋梗塞発症後間もない時期である昭和59年3月から6月にかけてのころのことであり,本件災害時まで約3年8か月強の間のことではないということのようである。

F医師のいう広汎な心筋壊死・癒痕化は,少なくとも,左前下行枝が支配する領域では,本件災害時まで認められず,そこには確実に生存心筋が存在した。したがって,Aは,左前下行枝が支配する領域で心不全を起こしてそれを自覚し,あるいは狭心痛を訴えることはあり得たが,昭和61年8月21日から本件災害時までの約3年8か月強の間にそのような自覚症状を訴えていた形跡はなく,町立病院での臨床診断でもそうであった。そのようなところから,F医師のいう「広汎な心筋壊死・瘢痕化」が,この3年8か月強の間に,Aに,心不全や狭心痛の自覚症状が無かったことの合理的な説明になることはあり得ず,端的に,Aの心臓疾患が,節制した生活態度もあって安定的に推移し,悪化の徴候が見られなかったために,上記3年8か月強の間に,心不全や狭心痛をAが訴えることがなかったと解すべきものなのである。

ウ コレステロール値の上昇によるプラーク破裂の可能性について

F医師の証言によっても,Aのような心筋梗塞の罹患者の場合,CHDイベント発症率は,LDLコレステロール値の数値が100のときに1割で,180のとき2割に跳ね上がる(それでも8割の人は発症しない)という程度のものにすぎない(<証拠省略>)。Aの場合,平成元年11月のLDLコレステロールの数値のみが他と比べて異常に高いが,平成元年11月は総コレステロール値も255と高かったものの,その後,平成2年3月13日には,総コレステロール値が203と低下していた。F医師はその時点でのLDLコレステロール値は算出不能とするものの,LDLコレステロール値の数値が概ね総コレステロールの数値に比例するところからして,LDLコレステロール値も明らかに平成元年11月の時点よりは改善していたもので,恐らく,総コレステロール値が同じ値を示す平成元年6月20日時点でのLDLコレステロール値の数値である123前後であったものと思われる(D医師)。

このように見ると,F医師は,平成元年11月におけるコレステロール値の上昇を過大に評価しているものといわざるを得ず,この時点におけるコレステロール値の上昇が,本件災害に繋がる蓋然性は極めて低かったといわなければならない。

エ なお,控訴人は,昭和61年8月21日の検査によれば,左前下行枝の遠位部(8番)へのバイパスによる血液供給だけが維持され,8番の灌流する部分のみ生存心筋が存在していたなどと主張するが,同日の検査結果でも7番には閉塞はなく,6番,9番及び10番が閉塞していたかどうかは不明であること(B医師作成の乙51の1図34によっても,6番は90%,7番は95%〔90%の誤り〕,9番及び10番は不十分ながら血液が循環していると図示している。),側副血行が右冠動脈末梢及び左回旋枝の両方に良好に形成されていたこと(<証拠省略>)等によれば,控訴人の主張は失当である。

オ 以上のように,差戻後の審理によっても,差戻前控訴審判決がいうような,「平成2年5月当時,(A死亡の頃)のAの心臓機能は昭和59年6月と比較して非常に悪化していた」という事実は決して認められず,また,本件災害時の頃のAの総コレステロール値の急激な上昇の事実も認められず,ましてや,コレステロール値の上昇を理由とするプラーク破裂により心筋梗塞を発症する可能性が高い状態になっていたと認めることもできない。本件災害時にAの心臓疾患が確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまで増悪しているということは決してなかったことが,差戻後の審理でも,明らかになったものである。

第3当裁判所の判断

1  認定事実

次のとおり付加訂正するほか,原判決の「事実及び理由」第三の「一 認定事実」欄のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決43頁11行目(15頁左段11行目-「<証拠省略>」中)の「二二,」の次に「28,29の1,2,」を,同44頁3行目(15頁左段11行目-「<証拠省略>」中)の「四二,」の次に「46,47の2,5,7,48ないし50,51の1ないし9,52の1ないし10,53,54の1ないし4,55,56,」をそれぞれ加え,同頁4行目(15頁左段11行目-「<証拠省略>」中)の「証人D」を「原審及び当審証人D」と改め,同行(15頁左段11行目-「<証拠省略>」中)の「証人G」の次に「,差戻前控訴審証人E,当審証人F」を加える。

(2)  同49頁10行目(16頁左段14行目)の「山間の溢路」を「山間の隘路(片道約44kmで,その間のカーブ数が324箇所に及ぶ悪路〔<証拠省略>〕)」と改める。

(3)  同50頁10,11行目(16頁左段32行目)の「考えられる。」を「考えられるが,この間,Aが体調不良を訴えたことはなかった。」と改める。

(4)  同53頁7行目(16頁右段27行目)の次に改行して次のとおり加える。

「 心臓に分布する血管は冠血管と称され,心臓自体に動脈血を供給するのは右冠動脈及び左冠動脈から分岐した左前下行枝と左回旋枝である(これらは「冠動脈」と総称される。)。冠動脈の部位は通常AHA分類に従って表現され,右冠動脈が1ないし4番,左冠動脈主幹部が5番,左冠動脈前下行枝が6ないし10番(9番と10番が対角枝),左冠動脈回旋枝が11ないし15番となる。冠動脈の発達の程度(分布域)には個人差があるが,一般的には,左前下行枝は左心室の前壁と側壁及び心室中隔の前2/3の領域に分布し,それらの領域を灌流する。左回旋枝は,左心室の側壁と後壁に主として分布し,左心房にも分布する。また,右冠動脈は,右心室壁の全域及び心室中隔の後1/3の領域に分布し,右心房にも分布する(<証拠省略>)。別紙「A検査結果推移表」「のうち,前壁及び心尖部は左前下行枝の領域であり,後壁は左回旋枝の領域である(<証拠省略>)。」

(5)  同54頁7行目(16頁右段下から4行目)の次に改行して次のとおり加える。

「 心筋梗塞後の慢性期になり,梗塞部位の収縮力が低下すると,非梗塞領域の壁運動(収縮性の増加)によって梗塞領域の心収縮力低下を代償しようとして局所的な心肥大を来し,拡張末期圧が上昇して,いったんは心拍出量が保たれるような代償が働く。このような拡張末期圧の上昇は,過剰負荷により肥大した心筋細胞のアポトーシス(細胞の自死)を来し,心筋細胞が消失し続けて線維組織へ置き換わり,左室は拡大し,拡張末期圧は一時的には低下するが,次第に上昇する経過をとる。このような悪循環を繰り返して,非梗塞領域に残存した心筋細胞の肥大をもたらし,長期的には心筋細胞の進展と収縮力の低下により,心筋細胞の消失を来して,心機能が低下することになる(梗塞後左室再構築)。そして,最終段階では安静時の心拍出量も低下し,前方へ有効な駆出量を送り出すことができなくなり前方障害型の心不全を発症する。あるいは,代償機能が作動して,左室拡張末期圧が上昇するために,肺静脈圧が上昇して肺水腫を呈する後方障害型の心不全(肺水腫)を発症してくる経過をとる。また,拡大した左心室は,不整脈の出現・増悪の基質となり,致死的不整脈による突然死の危険が増加する(<証拠省略>)。

心筋梗塞の危険因子には,高脂血症,高血圧,喫煙等様があるが,中でも高脂血症,特に高コレステロール血症の関与が大きい(<証拠省略>)。そして,近時の研究では,LDLコレステロールは,冠動脈疾患との関係において,血清総コレステロールよりも密接な関係を有する指標であることが多くの研究から証明されている(<証拠省略>)。

そのため,日本動脈硬化学会は,平成9年,高脂血症の診断と治療を有効かつ安全に実施し,最終的に動脈硬化性疾患の発症と再発の予防を目指して高脂血症診療ガイドラインを発表した。

それによれば,冠動脈疾患の予防,治療の観点からみた日本人のコレステロール値適正域および高コレステロール血症診断基準値は,以下のとおりである(<証拠省略>)。

総コレステロール LDLコレステロール

適正域 200未満 120未満

境界域 200―219 120―139

高コレステロール血症 220以上 140以上

また,冠動脈疾患の予防,治療の観点からみた日本人の高コレステロール血症患者の管理基準(ただし,LDLコレステロールについてのもの)は,冠動脈疾患を有する者については,以下のとおりである(<証拠省略>)。

生活指導,食事療法適用基準 100以上

薬物療法適用基準 120以上

治療目標値 100未満

さらに,多くの大規模臨床試験の成績を基にメタアナリシスの手法を用いて検討した結果,冠動脈疾患の一次予防,二次予防ともに,血清コレステロール値を下げれば下げるほど効果があるとの研究結果もあり,それによれば,冠動脈疾患の二次予防について,CHD(冠動脈性心疾患〔<証拠省略>〕)イベント発症率は,LDLコレステロールが110のときは約10%であり,180のときは約20%である(<証拠省略>,F医師)。

なお,日本動脈硬化学会が平成19年に発表した新たな診療指針では,前記基準で総コレステロール220以上を高脂血症と診断していたのを,動脈硬化を引き起こしやすいLDLコレステロールで評価するよう改め,その基準値を140に設定している(<証拠省略>)。」

(6)  同57頁6行目(17頁左段下から4行目)の「Ⅰ度」の次に「(身体活動に制限なし,<証拠省略>)」を加え,同頁9行目(17頁右段1行目)の「なお」から同58頁2行目(17頁右段7行目)までを削除し,同頁10,11行目の「C医師(以下「C医師」という。)」を「C医師及びD医師」と改める。

(7)  同59頁1行目(17頁右段22行目)の「高いとするが,」から同60頁9行目(18頁左段3行目)までを次のとおり改め,同頁10行目(18頁左段4行目)及び11行目(18頁左段5行目)の各「C医師」を「C医師」と改める。

「 高いとする。

また,a病院での検査では,Aに高脂血症が認められたことが指摘されているが,その後,本件災害に至るまでの総コレステロール値の推移は,以下のとおりであり,総コレステロール値から算出されたLDLコレステロール値(=総コレステロール値-HDLコレステロール値-中性脂肪×1/5)は,括弧内記載のとおりである(<証拠省略>)。

昭和59年2月1日 235(159)

2日 216(140)

9日 221(151)

3月7日 189(117)

4月10日 206(135)

5月9日 174(113)

6月8日 200(算出不能)

60年7月31日 143(92)

10月30日 175(127)

61年1月16日 175(122)

4月22日 178(116)

8月12日 179(108)

62年6月4日 201(134)

11月9日 192(133)

63年3月9日 217(152)

平成元年2月1日 213(143)

6月20日 203(123)

11月10日 255(183)

2年3月13日 203(算出不能。ただし,D医師は,LDLコレステロール値が概ね総コレステロールの数値に比例するところから,総コレステロール値が同じ平成元年6月20日の数値123とほぼ同程度か,少なくとも183を超えることはないと推測している。)」

(8)  同62頁11行目(18頁左段下から10行目)の「D医師の所見」の次に「(原審)」を加える。

(9)  同64頁4行目(18頁右段13~14行目)の「右冠動脈抹消」を「右冠動脈末梢」と改め,同頁10行目(18頁右段23行目)の次に改行して次のとおり加える。

「(4) E医師の所見

Aは,昭和57年6月時点で,心筋梗塞の疑いと診断され,当時特別な冠動脈危険因子を持つことなく36歳の若年で虚血性心疾患の発症をみた。同年9月時点において,37歳で既に3本の冠動脈(右冠動脈,左前下行枝及び左回旋枝)全てに動脈硬化病変があり,突然死の危険を指摘された。昭和59年5月時点で,多源性心室性期外収縮(危険な不整脈)が認められ,死の危険性及び多源性心室性期外収縮や高脂血症などの急性心筋梗塞の素因が大きいと指摘された。昭和61年8月時点では,左心室の前側壁から心尖部,中隔と高度収縮減弱であり,下壁,後側壁にかけて無収縮であると指摘された。さらに,駆出率25%であり,左心室拡張終期圧は異常に上昇していた。左心室のポンプ機能としては,左心室局所壁収縮,左室駆出率,左心室拡張終期圧のいずれも悪化していることから,左心室は昭和59年から昭和61年の間に非代償期に向かいつつあったことを示している。すなわち,昭和61年8月時点では,冠動脈三枝病変,左心室収縮低下(左心室内圧の上昇),多源性心室性期外収縮などの異常所見があり,当該病態が改善されることはあり得ない状態であった。

なお,ニューヨーク心臓協会(NYHA)の機能分類については,心臓病患者は自ら日常生活を制限しているため,Ⅰ度と診断されても,実際にはⅡ度,Ⅲ度といった高度のことがあり得るので,AがⅠ度と診断されたことをもって,症状が重くないとはいえない。

したがって,Aが,①冠動脈三枝病変であること,②後壁梗塞の既往があること,③左室駆出率が40%以下であること,④バイパスグラフトは静脈のみであることからすると,このような場合の患者の5年生存率は5割以下であると考えられる。

ところで,急性心筋梗塞の発症機序として,まず,冠動脈の動脈硬化は内腔を覆っている内膜の化学変化により酸化LDLコレステロール(悪玉コレステロール)が冠動脈皮下に取り込まれ,プラークという小隆起病変を形成しつつ粥状硬化が進展していく。この病変が幾層にも増殖し,冠動脈の内腔を狭窄するようになり,終末組織像は粥状硬化巣内に,脂質,壊死細胞の蓄積が進み石灰化を来す。その全過程内においてプラークという小隆起病変の皮膜が薄くなっている状態や正常内皮と小隆起との境目付近に炎症細胞の浸潤があるときは,容易にプラーク内皮が破綻を来し,そこに血栓が発生,増殖して冠動脈腔を塞ぐことが医学的に起こり得るのである。そして,プラークの破綻は,小隆起病変の中に急速にLDLコレステロールが取り込まれ易くなる皮膜の化学的変化,特に,プラークの皮膜の一酸化窒素の活性の低下などがその招致原因と考えられており,血清中のコレステロールの数値の上昇によりもたらされるのである。

Aの場合,総コレステロール値が,昭和60年7月には143,昭和61年8月には179,昭和62年11月には192,平成元年6月には203,死亡7か月前の平成元年11月には255まで上昇し,破綻しやすいプラークが急激に増加している。すなわち,Aの総コレステロール値は平成元年において急激に上昇し,プラーク破裂の準備状態に移行していったのである。

そして,プラーク破裂の引き金因子としては,以上のように悪玉コレステロールのプラークへの取り込みが主たる要因であって,血圧の上昇などの機械的刺激といった身体的活動は,主因とは医学的に考えられていないのである(スポーツが急性の冠動脈閉塞を起こすに足る見逃せない重要因子とするのであれば,日常的に医療機関で行われている虚血性心疾患患者に対する運動負荷テストは行えなくなる。)。

そうすると,Aの死亡原因については,バレーボールが死への引き金となった可能性は否定できないが,Aにはきわめて重大な素因が内在していることから考えて,バレーボール以外でも突然死する可能性は十分あったものであり,バレーボールによる負荷の影響と当時のAの心筋の状態とを比較すると,死亡にとって,後者の方がはるかに有力な原因であると結論づけられる。

(5) B医師の所見

Aには,昭和61年8月21日の時点で,冠動脈の主要3枝に極めて高度の硬化・狭窄病変が存在していた。左前下行枝主幹の狭窄率が95%,回旋枝主幹の狭窄率が100%,右冠動脈主幹の狭窄率が100%という極めて高度なものであり,主要3枝に連なる数多くの動脈枝にも硬化・狭窄病変があり,2本受けたバイパス手術のうち1本は閉塞して機能していなかった。そして,死亡時点では更にそれが進行していたと推認できる。左室駆出率が25%にまで低下していたという事実は,かなり強い心筋機能障害が存在し,心不全準備状態にあったことの裏付けと考えられる。したがって,Aは,日常的な起居動作の中で,いつ心筋梗塞を再発しても,心不全に陥っても,おかしくないような,高度の冠動脈の硬化・狭窄病変を有していたと判断する(乙51の1〔13頁〕,もっとも,図34では,右冠動脈1番~3番,右冠動脈末梢及び左前下行枝~左回旋枝の側副血行に不十分な血液の流れがある旨図示されている。なお,以下の頁は同号証のものである。)。

本件バレーボール試合への参加がAの突然死の直接的な引き金になったことを全く否定することはできないにしても,日常生活の中で加わる様々な運動・動作も発症(心筋梗塞症の再発)の「引き金」になった可能性が大きい(12頁)。

Aは,自己の心臓の状態を全て承知しているはずであり,決して無理な運動をしてはならないことも自覚していたはずである。そうであったにもかかわらず,死亡当日,如何なる理由があろうとも,強い運動が強いられる可能性のあるバレーボールの試合に選手として出場したことは,自殺に等しい行為であるという誹りを受けることを免れることはできない(12,13頁)。

(6) F医師の所見

昭和61年8月21日時点での左室拡張期末期圧は高値で,心機能の代償状態としては破綻間近の状態である。3枝病変で心機能低下例では,1年間平均6%の死亡率で,約10年間で60%以上の例が死亡する。左室駆出率が25%まで低下を認めた後も,左室の再構築は持続し,徐々に左室機能は低下し続けていたと考えるのが妥当で,本件災害の時期には,心機能が破綻を生じる直前の状態であった(乙52の1〔7頁,11頁〕及び尋問調書150項以下,なお,以下の頁は同号証のものであり,項数は尋問調書のものである。)。

Aは死亡直前まで心拍出量低下による症状(易疲労感,労作時の脱力感,全身倦怠感,下肢疲労感)を訴えた記録がなく,平成元年6月20日の外来記録に「無症状,NYHAI度」との記載があることからすると,通常の生活では症状が出ないか,軽微なものであったために通常の業務(出張を含む。)を行っていたものと思われる。心機能低下例では,無意識に,症状の生じるレベルまでの労作を避けるために,結果的に自覚症状が乏しい例を,臨床的にしばしば経験する。また,若年者例では,左室駆出率での評価は重症であるにもかかわらず,運動対応能は比較的保たれている例の頻度が高い。この理由は,若年者では,健常部の収縮予備能が高い,あるいは心臓以外の血管系で拡張機能が保たれ心臓の後負荷を軽減させている等が推測されている(5頁)。Aは,昭和59年のa病院入院中に多数回の心室性期外収縮が発生していたにもかかわらず,心筋症等を起こした旨(狭心痛等を訴えたこと)の記録はなく,昭和61年8月21日の時点で生存心筋が存在していなかったため,本件災害時まで自覚症状がなかったと考えられ(無症候性心筋虚血),自覚症状がないことをもって不整脈の発生を否定することはできない(2頁,3頁,8頁,69項,178項ないし180項)。(「もし本件発症の時期に心機能が破綻を生じる直前の状態であったとすれば,本人あるいは周囲の者が異常や体調の悪さを感じるのが普通ではないか」との問に対し)心不全というのは,ある閾値を超えたときに症状が突然発症するということと,予備能がまだ少しぎりぎり残っている状況であったとも考えられる(88項)。

側副血行は,血管の閉塞が生じた際に,対側の血管または同一の血管から代償的に新生あるいは発達してくる細動脈であるが,その機能には限界があり,安静時の壁運動を維持する血液は供給できるが,運動時等の酸素需要が増した際には,それに応じるだけの血流の供給ができずに,心筋虚血が生じる。側副血行の灌流域は,虚血のくり返しによって,心筋収縮能が低下し気絶心筋の状態となり,非不可逆的な心筋の線維化へ進行し,壁運動が収縮低下から無収縮となることが明らかにされている。本件のように,右冠動脈近位部から同一血管の遠位部への側副血行が存在する例でも,近位部の動脈硬化病変が完全閉塞へ進行すれば,その側副血行は機能しなくなり,より広範囲な虚血が生じて心原性ショックあるいは致死的不整脈により死亡する危険性が,極めて高い(6頁)。

Aは,基質である心機能低下が極めて高度であり,本件バレーボール試合が不整脈の誘因ないし引き金となった可能性は否定できないとしても,日常生活レベルの活動においても,心臓性突然死の危険性は,十分高かったと考えられる(8頁)。(「乙52の1〔5頁〕の『虚血性心疾患の・・・再発予防(二次予防)には,5年,10年以上の期間での治療を考える必要がある』との記載は,虚血性心疾患を発症した人であっても,5年,10年以上生きる人が圧倒的に多いことを前提としているのではないか」との趣旨の問に対し)基本的にうまく治療ができた方はかなり経過がいいということがある。5年,10年,20年,その長期の経過で治療していかなければならない(127項)。

平成元年のLDLコレステロール値は,3回の平均値が150と高値であり,虚血性心疾患を既に発症した例では100以下とするのが治療ガイドラインとなっており,動脈硬化病変の進展の危険性がより高かった(10頁)。ただ,乙52の10の資料にあるように,既往の人でも,上記数値が100のときに10%の割合で心事故が起き,それが180になったときに20%の割合に増えるという程度の危険性の増加率にすぎないが,医師としてはそれでも大きな違いと評価する(146項ないし149項)。

(7) D医師の所見(当審)

側副血行の存在は,冠動脈閉塞が起こった際の心筋虚血や心筋の壊死をある程度限定的なものにする役割があると考えられる(甲29の第2・1・(一),なお,以下の項目は同号証のものである。)。

Aの場合,左前下行枝領域に虚血が起これば,その影響はこの領域だけではなく,側副血行を供給している,左回旋枝や右冠動脈領域にも及ぶため,狭心痛は自覚しなくても,心不全の症状や兆候が現れ,公務や日常生活に支障が出る可能性があると思う(第2・1・(一))。

広汎な領城で「気絶心筋」や「心筋線維化」が起これば,その結果心機能の低下が起こり,臨床的には心不全として,労作時息切れの増悪や呼吸困難などを起こすことは必至と思われる。a病院を退院後のAの日常生活や公務の遂行状況から推定して,NYHAの心機能分類Ⅱ度(軽度の身体活動制限。中等度の身体活動で呼吸困難や疲労感が出現する〔急いで階段を昇るなど〕。)(乙52の1〔13頁〕)程度の状態で推移していたと思われるので,広汎な領域で「気絶心筋」や「心筋線維化」が起こっていたと推察するのは疑問が残る(第2・4・(一))。

Aの場合,無症侯性心筋虚血が起こったとしても必ずしも不自然ではない。ただ,Aのように心筋梗塞の既往があり,多枝疾患の場合は,心筋虚血を契機に心不全を惹起しやすく,その場合は他人にも息遣いや所作などで気づかれるほどの息切れや呼吸困難の症状を示すと思われる(第2・6(二)(三))。

心筋梗塞後の左室再構築には,急性期に認められる梗塞部の菲薄化,伸展と,慢性期に認められる非梗塞部の肥大,左室内腔拡大がある。心筋梗塞後の左室再構築は,もともとは左室のポンプ機能の維持のために代償的に働くものだが,長期になり,またある程度進行すると,心不全増悪の原因となる。昭和61年8月21日検査で左室駆出率が昭和59年5月23日検査の35%から25%へ低下していたことは,心筋梗塞後の慢性期左室再構築による変化と考えられる。ただ,この間に心不全の出現はみられず,この後も心不全を示唆する症状はみられなかったことからは,この左室再構築の過程はまだ代償期の範囲にあったものとも理解できる(第2・8)。

医師は,医学的データに基づいて個々の患者の予後を予測することから言えば,平成2年5月12日のAの突然死は唐突ともいえない。ただ,そうした予後予測にもかかわらず,Aが心筋梗塞発症から心不全の症状や徴候を示すことなく生き永らえたということは,見方を変えると,本件バレーボール試合で突然死をするまでは,そうした医師の予後予測を裏切っていたことになり,その根拠となった医学データを再検討する必要がある(第2・9・(一))。」

(10)  同66頁7行目(19頁左段5行目)から同67頁5行目(19頁左段19行目)までを削除する。

(11)  同72頁6行目(20頁左段11行目)の「Aが」から同頁8行目(20頁左段15行目)までを削除する。

(12)  同75頁10行目(20頁右段17行目)から同76頁5行目(20頁右段26行目)までを削除する。

2  争点に対する判断

(1)  認定事実を総合判断すれば,Aの心臓病変は,昭和61年8月21日時点で,冠動脈の3枝のうち右冠動脈と左回旋枝が閉塞し,左室駆出率が25%と低下していたため,突然死の危険性が高いものではあったが,冠動脈のうち灌流域の最も大きい左前下行枝は閉塞することなく血流が保たれていた上,右冠動脈1番~3番,右冠動脈末梢~左回旋枝及び左前下行枝~左回旋枝末梢の側副血行が形成されていたため,左前下行枝の潅流域の心筋虚血や心筋の壊死が抑制されていたこと,そのため,Aは,昭和59年9月に職場復帰して以降,狭心症,心不全あるいは心筋梗塞の再発を起こすこともないまま,順調に公務を遂行し,昭和62年6月のマスターダブル運動負荷テストの結果も陰性で,平成元年11月のソフトボール大会にも参加走塁するなどしており,日常生活上何らの支障も上記心筋梗塞等の徴候も見られなかったものであって,平成2年5月12日の時点において,Aの心臓疾患が確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまでは増悪していなかったことが認められ,本件バレーボール試合への参加により,Aの心臓に過重な負荷がかかり,これが直接的契機となって,心筋梗塞もしくは不整脈を起こし,突然死するに至ったものと認められる。

(2)  ところで,上告審判決は,差戻前控訴審までの審理の経過を踏まえ,①Aが昭和59年9月に復職した後の勤務状況は良好であったこと,②昭和62年6月に行われたマスターダブル運動負荷テストの結果,③Aが平成元年11月に行われたソフトボール大会に参加した際の様子,④昭和59年6月にa病院を退院した後にAが狭心症状等を起こした旨の記録は存在しないこと等から,本件災害当時,Aの心臓疾患は確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまでは増悪していなかったと認める余地があると判示しているところ,控訴人は,上告審判決の前記判示は失当であると主張し,その主な根拠として,file_2.jpgAの心臓病変は,昭和61年8月21日時点で破綻間近の状態であり,その後,本件災害時(平成2年5月12日)までの間に徐々に左室機能は低下し続けていたことから,本件災害時においては,心機能が破綻を生じる直前の状態であったこと,file_3.jpgこの間にAが心不全等の症状を発症していないからといって,心機能の低下が生じていないと認めることはできないこと(無症候性心筋虚血),file_4.jpgAの冠動脈硬化病変が進行していたことは,AのLDLコレステロール値が高いまま推移していたことからも裏付けられること等を指摘する。そして,B医師及びF医師の所見は,控訴人の主張に沿うものである。

しかし,file_5.jpgfile_6.jpgについては,昭和61年8月21日時点でも,冠動脈のうち灌流域の最も大きい左前下行枝は閉塞することなく血流が保たれていた上,側副血行による血流も存在していたことは前記(1)のとおりであり(左前下行枝の6番,7番,9番及び10番が100%完全に閉塞していたことを認めるに足りる証拠はない。),同日から本件災害時までAに心不全の徴侯が見られず,公務や日常生活に支障を来すことはなかったことに照らすと,この間に心機能が低下していた可能性は否定できないにしても,本件災害当時,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまで増悪していたとは認められない。この点につき,F医師は,無症候性心筋虚血が生じていたとの所見を述べるが,昭和61年8月21日時点で生存心筋が存在していなかったとする前提に疑問があること(前記(1))及びD医師の所見(<証拠省略>)に照らし,採用し難い。

また,file_7.jpgについても,高脂血症(近年の診断基準はLDLコレステロール値)は心筋梗塞の危険因子であるが,心筋梗塞発症の可能性という見地からすれば,治療目標値である100の場合に約10%で,180の場合に約20%に上昇するというにとどまるものであり(冠動脈疾患を有する者の場合),本件災害時前1年間の平均値が約150であったことを併せ考えると,本件災害当時,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまで増悪していたことの根拠とはなし難い。

さらに,B医師及びF医師の所見は,Aの心臓病変の重大性を強調し,本件バレーボール試合への参加がなくても,同人が心筋梗塞を発症した可能性があると述べる一方で,本件バレーボール試合が心筋梗塞発症の誘因ないし引き金となったことは認め,F医師の所見は,本件バレーボール試合に参加することがなければAの長期生存もあり得たことを否定していない。

以上によれば,B医師及びF医師の所見は,本件災害の原因として,Aの心臓病変が本件バレーボール試合への参加に比して相対的に有力な原因であることの根拠とはなり得ても,上告審判決の前記判示を左右する証拠とは認められないから,本件災害当時,Aの心臓疾患は確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋梗塞を発症させる寸前にまでは増悪していなかったとの立証がなされたものと判断するのが相当である。

(3)  そうすると,Aの死亡と本件バレーボール試合に出場したこととの間には相当因果関係があると認められるから,Aの死亡は,地公災法31条,42条に定める「公務上死亡」した場合に当たるものであり,これを公務外と認定した本件処分は違法である。

3  よって,以上と同旨の原判決は相当で,本件控訴は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石井宏治 裁判官 太田雅也 裁判官 澤田正彦)

A検査結果推移表

検査年月日

昭和57年9月3日

昭和57年11月24日

昭和59年5月23日

昭和61年8月21日

医療機関名

b病院

c病院

国立a病院

d会e病院

イベント

心筋梗塞(昭和57年8月10日)2回目

心筋梗塞(S59年2月1日)3回目

冠動脈造影所見

右冠動脈

2番25%狭窄

4番25%狭窄

2番100%閉塞

2番100%閉塞

左前下行枝

6~7番90%弥漫性狭窄

6番90%,7番75%,9番50%狭窄

7番75~90%狭窄

7番90%狭窄

左回旋枝

12~13番100%閉塞

11番100%閉塞

11番100%閉塞

11番100%閉塞

左室機能

駆出率

78%

35%

25%

左室拡張終期圧

19mm/Hg

25mm/Hg

局所壁運動

前壁(1,2)

2番高度減弱

2番高度減弱

心尖部(3)

3番高度減弱

後壁(4,5,7)

4番無収縮,5番・7番減弱

4番・5番・7番無収縮

書証番号

(証拠略)

(証拠略)

(証拠略)

(証拠略)

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