福岡高等裁判所 平成19年(ネ)131号 判決 2007年10月25日
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 本件附帯控訴に基づき,原判決を次のとおり変更する。
(1) 控訴人は,被控訴人X1に対し4691万7531円,被控訴人X2に対し1369万2383円,被控訴人X3に対し1369万2383円及びこれらに対する平成14年5月14日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,第1,2審を通じ,これを10分し,その9を控訴人の負担とし,その余は被控訴人らの負担とする。
4 この判決は,2項(1)に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 控訴人
(1) 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
(2) 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
(3) 被控訴人らの附帯控訴をいずれも棄却する。
(4) 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人らの負担とする。
2 被控訴人ら
主文同旨
第2事案の概要等
1 事案の要旨
(1) 本件は,故Aの相続人である被控訴人らが,控訴人に勤務していた故Aが平成14年5月14日に自殺したのは,それ以前に連日,肉体的・心理的に過重な負荷のかかる長時間労働を余儀なくされたことによってうつ病に罹患したことが原因であり,控訴人には故Aに対する安全配慮義務に違反した過失があると主張して,控訴人に対し,債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償として逸失利益,慰謝料等(被控訴人X1につき5908万2000円,同X2及び同X3につき各1673万3000円)及びこれらに対する遅延損害金の各支払を求めた事案である。
(2) 原審は,控訴人の安全配慮義務違反による雇用契約上の債務不履行責任を認め,被控訴人らの損害賠償請求の一部を認容した。これを不服として控訴人が控訴したのが本件控訴事件であり,控訴人は,故Aの自殺と長時間労働等との因果関係,予見可能性,結果回避可能性の存在等を全面的に争うとともに,当審における新たな主張として,過失相殺による減額の主張を追加した。また,被控訴人らの本件附帯控訴は,原審が遅延損害金請求を訴状送達の日の翌日である平成16年8月26日からしか認容なかった点(被控訴人らは,故Aが自殺した日を不法行為日として,平成14年5月14日から支払済みまでの遅延損害金を求めていた。)に限定して不服を申し立てたものである。
(3) 当裁判所は,被控訴人らの請求は,遅延損害金の始期の点を除いて,原審が認容した限度で理由があり,遅延損害金の始期の点については,被控訴人らの請求どおり認容すべきであると判断した。
2 前提事実
当事者間に争いのない事実,証拠(各項末尾に記載のもの)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 当事者等
被控訴人X1は,平成14年5月14日に死亡した故Aの妻であり,被控訴人X2は故Aの父,被控訴人X3は故Aの母である。
故Aは,平成8年4月,控訴人に入社し,死亡に至るまでその熊本事業部で製造課2課組立2係2班(塗装)の一般従業員(平成14年4月1日以降は塗装班のリーダー)として稼働してきた者である。
控訴人は,オートバイの部品を含め自動車部品,農業用機械部品等の製造・販売を目的とする株式会社である。控訴人は,b株式会社(以下「b社」という。)熊本製作所及び浜松製作所の部品生産工場であり,b社の年間計画(4月から翌年3月まで)及び月計画(毎月3か月先まで)に従い,それに沿った数量の部品を納入している(甲64)。
(2) 故Aの自殺等
故Aは,心身に健康上の異常のない健康な労働者であった。
ところが,平成14年5月14日午後4時ころ,故Aは,自宅において,縊頸による窒息により自殺をした(以下「本件自殺」という。)(甲1)。
B労働基準監督署長は,平成16年3月22日,被控訴人X1に対し,本件自殺による故Aの死亡について,労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)の年金・一時金支給決定通知をした(甲2)。
3 争点
(1) 本件自殺と業務の因果関係(業務の過重性等)
(2) 控訴人の雇用契約上の安全配慮義務違反及び不法行為における過失(注意義務違反)の有無
(3) 損害額
(4) 過失相殺
4 各争点についての当事者の主張
(1) 争点(1)について
(被控訴人らの主張)
ア 生産数の激増
故Aは,控訴人の熊本事業部において,平成8年4月から平成14年3月31日までは一般従業員として,同年4月1日から同年5月14日までは塗装班のリーダーとして稼働していた。控訴人は主としてオートバイの部品を生産しており,その需要が多い時期は例年4月から9月ころまでである。
b社から受注していたMJ1リアーパネル(以下「本件パネル」という。)の生産台数は平成14年が過去最高数となり,また,同年4月及び5月の生産台数は例年の2倍となることが予定されていた。そのため,控訴人は,同年4月から9月までの本件パネルの注文数を納期に間に合わせるために,同年1月から3月までの間に前倒しで生産し,b社の受注に対応する計画(以下「ならし生産計画」という。)を立てていた。そして,控訴人は,ロボットの負荷を減らしながら(ロボットだけでは生産が間に合わないため)生産台数を増やすため,同年3月から3組2交替制を導入し,1日9時間労働を基本に土日フル稼働体制を取った。その結果,故Aは,同年1月以降,時間外労働(深夜労働)及び休日出勤が日常化していった。
イ ならし生産計画の破綻
しかし,ベルトコンベアの不調,スケ・ピンホール不良多発,湯じわ多発,水切り乾燥炉における火災発生などによりラインの停止が相次ぎ,その修正作業のために労働時間数が増えた上,前倒しで生産するという計画も達成できないままであった。その結果,4月以降に控訴人従業員に大きな負荷が掛かることは明白となった。そこで,控訴人従業員から従業員の負荷が掛かりすぎる上,納期に間に合わないおそれが高いことから外注案が出されたが,外注費が掛かるため採用されなかった。
ウ 平成14年4月1日以降の組織体制の変更
控訴人は,同年4月1日に組織体制を大幅に変更させた。すなわち,Eが製造2課組立2係2班(塗装班)の班長から製造2課組立1係1班の班長に,Fがリーダーから班長に,故Aがリーダーに昇格するとともにGが新入社員として塗装班に加わった。Gは故Aが亡くなるまで故Aから指導を受ける立場であり,控訴人において有効な戦力とはなりきれていなかった。しかも,塗装班は,慣れない組織体制で,次項に記載するb社が下請会社等に実施した「外観品質不良特別展開(1件不具合撲滅展開)」という品質向上方策(以下「本件品質向上策」という。)や,大幅に増えた生産数に対応せざるを得なくなった。
エ 本件品質向上策による影響
(ア) b社は,本件品質向上策を実施することによって不良品の市場流出を防止し,平成15年3月末までに市場問題(クレーム)を前年比の10分の1以下にしようとした。そして,b社は,品質向上を図るため,取引先各社を一律に扱うのではなく,最も問題のある取引先から「特A(選定ワースト16社)」,「A」,「B」及び「C」にランク分けして,ランクに応じてやるべきことを取り決めた。控訴人は,「特A(選定ワースト16社)」に入ったため,b社に常駐の従業員(QG(クオリティーゲスト))を派遣して受入検査を実施することになっていた。そこで,控訴人は,平成14年4月以降,「特A」の脱却に向けて必死に体制を変革しなければならない状況にあった。
控訴人は,b社の方針を受けて,現状認識などを分析し,「品質問題を現場で自己完結できない」ことや「後処理体質から脱皮できない」ことを問題点に挙げ,「発生問題を自前解決できる職場への変革」や「後処理体質から攻めの体質への変革」を掲げ,「検技体制」を設立することとした。
(イ) 同年4月1日からb社の本件品質向上策が実施された。この本件品質向上策によって,控訴人の不良品率が従前の2パーセントから30パーセントに激増した。しかも,控訴人は,同年3月下旬ころ,従業員に向け,本件品質向上策が行われることの通知をしたのみであり,どのレベルの品物が合格・不合格となるのかを周知しなかったため,現場従業員は従前どおりに品物を流し,不合格とされる度にその原因を把握して対処せざるを得なかった。その結果,前倒し生産計画が破綻したまま例年の2倍の生産をしなければならない状況となり,その上,本件品質向上策による不合格品の修正作業が激増したため,時間外労働・休日労働が増大することとなった。
また,不合格品の発生や工程で問題が生じた場合,従業員は,対策書や解析レポートの作成を命じられるが,リーダーである故Aは,自分自身に責任がなくとも,職責上,部下と共にないしは一人で勤務終了後や休日に対策書や解析レポートを作成していた。
控訴人は,生産増の対応に失敗して生産負荷が掛かり,従前より繁忙で緊張状態にあったところ,上述のように,本件品質向上策の実施後は,控訴人も従業員もこれに対応できていなかったこともあって,通常より緊張状態に置かれていた。
オ 本件自殺前の長時間労働
(ア) 平成13年11月15日から,本件自殺日の前日である平成14年5月13日までの故Aの労働時間は,原判決の別紙「時間外労働時間一覧表(主張)」の別表Ⅰ1ないし6,同別表Ⅱ1ないし6に記載のとおりである(別表Ⅰは,控訴人の所定労働時間・休日を基準として故Aの時間外労働を計算したものである。別表Ⅱは,脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準の定める時間外労働の算定方法に基づいて,故Aの時間外労働時間を計算したものである。)。
なお,故Aは勤務終了後や休日に自宅で「対策書」,「解析レポート」及び「QCテーマ登録用紙」を作成していたが,上記労働時間は,この点を全く考慮していない。また,控訴人の熊本事業部においては作業服及び安全靴等を着用することが義務付けられていたが,タイムカードは出勤時においては作業服及び安全靴の着用後,退勤時にはこれらを脱ぐ前にタイムレコーダーに記録することとなっていたことに留意しなければならない。さらに,被控訴人らは,昼の休憩時間は1時間と計算して故Aの労働時間を計算しているが,午後0時45分から職場でのミーティングが開始されており,実際の休憩時間は45分と考えられる。また,午後3時の休憩は就業規則上は10分としているが,これが取得できたとしても休憩時間は計55分にとどまる。また,故Aは,同年4月1日以降,昼の休憩時間を発注伝票の作成に費やすことがあったが,この点も就業週報には現れていない。
(イ) 故Aは,日ごろから,50時間前後の時間外・休日労働を行い,過酷な勤務に従事していたが,平成14年1月以降のならし生産計画実施及びその破綻,本件品質向上策,リーダーの昇格などによって本件自殺前3か月からは心理的にも肉体的にも追いつめられた中,約84時間から約139時間もの時間外休日労働に従事させられ続けた。
これらに,対策書等の作成時間(対策書を1枚作成するのに,少なくとも3時間から4時間を要し,さらに,班長のチェックを受けて書き直しを命じられると,1枚当たり10時間ほど作成に要する。),QC登録用紙作成時間(1件作成するのに約30時間を要する。),QCサークル参加時間,作業服の着脱時間等を考慮に入れれば,故Aは,本件自殺前1か月において,所定労働時間の2倍を優に超える過重業務を行っていた。
このように,故Aの本件自殺前の労働時間は過労死として労働基準監督署長により業務上認定されるラインを大幅に超過する著しい長時間労働であったことは明らかである。
(ウ) なお,J,I係長,F,E,M,Lの就業週報ないしタイムカードに基づいて時間外労働時間を比較したところ,上記控訴人従業員の中で,故Aの時間外労働時間が最も長かった。
カ リーダー昇格による肉体的・心理的負荷
故Aは,平成14年4月1日からリーダーに昇格し,慣れない業務に就くことになったことから,肉体的・心理的にも更なる負荷が掛かる状態に追い込まれた。すなわち,本件品質向上策によって,これまで合格レベルであった商品が不合格となることが大幅に増えたことや,ライン作業でのトラブルやミスが続発したため,故Aは責任者としてこれに対処しなければならなくなった。控訴人自身,「労働災害補償保険・・・申請書」と題する書面(甲11。以下「労災保険申請書」という。)の災害の原因及び発生状況の欄に「又,同時期にリーダーに昇格した為作業者教育や不良対応の責任が増えた。さらに,リーダーとして会社側の期待もあり,本人への指導は厳しかった。」と記載している。
キ 塗装班の欠員への対応
塗装班の一員であったMは,夫が脳梗塞で倒れたため,同年3月7日から同月12日まで,また,父が倒れたため同年4月1日から同月8日まで休暇を取った。そこで,塗装班の故AないしLがドライブフェイスの出荷やバイパスキャップの空気漏れ・圧力検査を行わざるを得なくなった。また,塗装班の一員であったKが,同年5月10日に早出のために出勤する途中で交通事故を起こして,同日と翌11日の2日間,控訴人の勤務を休んだ。塗装班においては,ぎりぎりの人員で生産数の増大や本件品質向上策等に対応していたところに,ライン作業員1名の欠員が出たのであり,Kが欠勤したことによるしわ寄せは塗装班,特にその現場のリーダーであった故Aに降りかかったのである。
ク I係長による叱責
通常,リーダーは直接の上司である班長(塗装班ではF)から指示や指摘等があるのに,当時は,I係長から,直接,リーダーである故Aに対し,異常なまでの叱責が日常的にされていた。I係長は,本件品質向上策によって,商品自体は前と同じであっても品質基準が変わった結果,不良品とされるようになったという事情や,故Aが平成14年4月1日にリーダーに昇格したばかりで業務に慣れていないという事情を全く考慮せず,不良品の発生,部下のミス等をすべて故Aの責任としていた。故Aは,本件自殺当日に早退する際にも,I係長から叱責を受けていた。この点,長時間労働などによって心身の過労状態に陥り,うつ病などの精神障害の発症の下地が形成されている状態での理不尽な叱責等は,ストレスマグニチュードが高いといわれている。
ケ 控訴人が認めていた事実
労災保険申請書(甲11)には,故Aは,「(平成14年)4月から,受注増により繁忙状態となり度々深夜に及ぶ残業で疲労を訴えていた。又,同時期にリーダーに昇格した為作業者教育や不良対応の責任が増えた。さらに,リーダーとして控訴人側の期待もあり,本人への指導は厳しかった」と記載されている。
控訴人は,b社からの受注が多く,時間外・休日労働が増え,故Aが疲労を訴えていたこと,受注増だけでなく本件品質向上策の実施時期と故Aのリーダー昇格時期が重なったこと,同時期に作業者教育を施さなければならない従業員が存在し作業効率が落ちていたこと,故Aに作業者教育の負担があったこと,故Aの上司が故Aに対して「厳しい指導」(前述のとおり異常なまでの叱責であったことが判明している。)をしていたことを認めざるを得なかった。
コ 故Aが本件自殺当時うつ病に罹患していたこと
本件自殺については,B労働基準監督署長が,被控訴人X1に対し,平成16年3月22日,労災保険の年金・一時金支給決定通知をしている。その中で,故Aの精神障害等の認定について,B労働基準監督署長は,故Aが,平成14年4月中旬以降,食欲不振,不眠,自責の念,疲弊,興味の喪失等といったうつ病の典型的なエピソードを示し,本件自殺までにうつ病に罹患していたものと判断していることから,故Aがうつ病に罹患していたことは明らかである。
サ 小括
故Aは,平成14年1月以降,ならし生産計画による前倒し生産のため,長時間労働を継続していただけでなく,同年4月1日にリーダーに昇格し,慣れない業務に就き,それとともにb社の要求で始まった本件品質向上策によって不良品の増大及びトラブルの続出に対応しながら,控訴人も経験したことがない生産台数を納期どおりに達成しなければならない精神的重圧の下で長時間労働を継続していた。したがって,故Aは,まさしく,本件自殺に近接した時期には,「長時間労働が心身の余力や予備力を低下させ,ストレス対処能力を大幅に低下させ,その結果,ちょっとしたストレスフルな出来事に対してもパニックに陥りやすい状態」に追い込まれていた。このように,故Aは,長時間労働によって,ストレス対処能力が大幅に減退して「『ちょっとしたストレスフルな出来事』に対してもパニックに陥りやすい状態」に追い込まれていた中,「ストレス・マグニチュード」(心理的負荷)の高い,「いじめ,嫌がらせ」をI係長から受け続けていたのである。
その結果,故Aは,同月中旬ころから,食欲が減退し睡眠も満足に取れなくなり,同僚らからも疲弊した様子が明らかにうかがわれるようになり,顔色は悪く,笑顔が消え,同僚と談笑することもなく無口になっていった。
このように,故Aは,過重な業務による肉体的・心理的負荷が加わる中でうつ病を発症し,同年5月14日,本件自殺に至ったのであり,業務とうつ病(精神障害),本件自殺との相当因果関係は明らかである。
(控訴人の主張)
ア 故Aの勤務状況
そもそも,故Aは,控訴人に勤続7年で,入社以来専ら塗装業務を担当し,慣れた職場で慣れた作業内容をこなしていた従業員であった。その間,増産やイベントによる繁忙期,それとは反対に,定時午後5時台の退勤,深夜時間帯勤務ゼロ,長期大型連休ありの閑散期とを繰り返し,丸7年間,問題なく勤務を続けていた。
故Aは,リーダー同様の仕事を平成13年から担当し,平成14年4月以降とりたてて特別な仕事が増えたわけでもなかった。I係長による叱責も通常どの会社でも行われる上司から部下への指導の域を出るものではない。平成14年も,故Aが経験済みの労働環境において,特段の変化はなかった。そして,故Aの作業内容は,塗装工程の中の段取り(取り外し準備)等であったところ,これは肉体的・心理的に過酷な作業ではなく,緊張を強いられるような作業でもなかった。
また,故Aの出勤状況の実態は,以下のとおりであり,到底,異常や過重というものではなかった。
(ア) 平成13年12月
休日は9日,半休は2日,そして有給(全休)1日と月の3分の1が休暇である。また,深夜10時以降の勤務は全くなかった。
(イ) 平成14年1月
年初6連休を含め,休日は10日,有給(半休)2日,そして前月同様,月の3分の1が休暇である。また,深夜10時以降の勤務は全くなかった。
(ウ) 同年2月
休日は5日,有給(全休)は2日,そして有給(半休)は1日と休暇は週休2日相当である。また,深夜10時以降の勤務が2日あったが,その後は連休であった。
(エ) 同年3月
休日は7日,深夜10時以降の勤務は1日だけであり,その日の翌日(土曜日)は早出となったが午前中で退勤,翌々日は休日であった。
(オ) 同年4月以降
同年4月をみても,故Aの退勤時間が深夜時間帯の午後10時以降となったのは,出勤日数25日間中,8日間しかなかった。休日は合計5日間を確保,月末からはゴールデンウィークの大型連休に入った。故Aに恒常的な長時間労働の継続はない。また,同年5月も同様である。月初はゴールデンウィークの4連休,5日は午後5時台で退社,その後5日間深夜勤務が続いたが,11日は1時間だけ出勤,12日はまたも休日,死亡前日は午後8時に帰宅した。ここでも恒常的な長時間労働の継続はない。
なお,故Aの退勤時間が午後10時を越えた日の連続は,4月では2日間が2回だけ,5月をみても連休と休日の間に,5日間続いたことが一度あっただけである。確かに,故Aの深夜10時以降の勤務は増えたが,その理由は,いわゆる繁忙期となった,それだけである。しかるに,勤続7年を経た故Aは,同等の出勤状況を幾度か体験し,また,それとは反対に,定時午後5時台の退勤,深夜時間帯勤務は全くなく,長期大型連休ありの閑散期を幾度も体験していた。
以上のとおり,7年間,慣れた職場で稼働していた故Aにあって,特段,過重な労働状況は存在せず,特段の心理的・肉体的負荷は存在しなかった。
イ 被控訴人らの主張する各書類の作成について
(ア) 改善提案書について,平成14年,故Aは1枚も作成していない。作成が義務付けられていたこともない。
(イ) 社内品質トラブル対策書については,平成14年,故Aがパソコンで作成したのは所定書式によるA4用紙1枚(甲8の13)だけであり,特別の負担とはいえず,この点の被控訴人らの主張にも理由がない。
(ウ) QCサークル活動計画・結果報告書については,故Aが平成14年に作成したのは,同年4月2日付け所定書式に書き入れた1枚(甲9の5)だけである。なお,QCサークル活動は,通常,午後0時50分ないし午後1時10分の20分間,ラインを止めて行い,活動計画・結果報告書はこのサークル活動で徐々に作成していくものである。故Aの入社以来,継続的に行われていたものであり,平成14年,故Aに特別の負担が掛かったものではない。
ウ 故Aの生活状況等
平成14年に入って,故Aは,新たに自動二輪車の運転免許を取得した。この免許を取るため,故Aは,日々の退勤後,元気に教習場に通い続けていたのであり,過重で反生理的な労働は存在していなかった。その後,故Aは,HONDA・ホーネット250CC(価格約55万円)の新車を購入し,同僚らに対し「買っちゃった。」と嬉しそうに話していた。同年3月17日(日曜日)には,上記HONDA・ホーネットにより,同僚8名と一緒に,大津・道の駅~グリーンロード~阿蘇山草千里~西町~高森・月廻り公園~グリーンロード~西原の経路で,約8時間のツーリングを楽しんだ。故Aは,同年4月27日,熊本勤労者福祉会館での新入社員歓迎会に出席,労働組合組合員と歓談,談笑した。故Aに,食欲減退とか睡眠が取れないという話はなく,疲弊した様子はなかった。故Aの顔色は変わらず,笑顔があった。同僚らと遊び,談笑していた。故Aには,うつ病の兆候すら認められなかったのである。
エ 生産台数の増加量等
過去最高となった本件パネルの生産台数は,同年1月ないし3月は各1000から2000台で推移,同年4月は5249台,同年5月は8022台(故Aは5月15日以降は業務に関わっていない。)であったが,多い月でも熊本事業部全体のせいぜい約2パーセント未満,塗装物全体のせいぜい約1割程度が微増したに過ぎなかったのである。
本件パネルの生産数増加やならし生産計画は,平成14年の故Aの業務に特段の変化をもたらさなかった。また,ならし生産計画が未達に終わったのは,塗装の問題ではなく,鋳造工程の遅れであり,バフ工程の担当者が3組2交替制でバフロボットを操作管理して対応したが,故Aはバフ工程を担当せず,3組2交替制での作業も負担しなかった。
オ トラブルの発生,組織体制の変更等について
(ア) 被控訴人の主張するベルトコンベアの不調などは,いずれも日常業務上,不可避的に発生する出来事であり,平成14年に忽然と生じたわけでなく,勤続7年の故Aは何度も経験していたことであった。ピンホールの修正作業とは,ベルトコンベアから離れて部品の表面を紙ヤスリでこする作業であり,時間に追われることはありえず,湯じわの原因は塗装工程に入る前の鋳造工程の問題であり,故Aには関係がない。また,塗装は全自動の塗装専用ロボットによって行われており,再塗装の負担が人間に掛かることはない。そして,塗装専用ロボットは,ロボットだけが設置された密閉空間で稼働し,塗装を行っているのであって,人間には関係がない。
故Aは,平成14年に,忽然と経験のない対応を迫られたわけではなく,故Aに特別の過重で反生理的な負荷が掛かったことはない。
さらに,実際の現場では,繁忙期があり閑散期があり,このことを勤続7年の故A自身,何度も経験し,十分に分かっていたのである。故Aが,いつ終わるか分からないような過酷で反生理的な労働を強いられていた事実はない。
(イ) また,控訴人において,本件品質向上策等の顧客からの要望やイベントは,不定期的に行われており,勤続7年の故A自身,何度も体験していたことであって,平成14年,突然,特別の負担が増えたことはない。
(ウ) 業務担当者の変更に関しても,人員の入れ替えと業務態勢の変更は平成14年に限らず行われていたことであり,同年突如,故Aに特別な負担を掛けたものではない。なお,本件自殺当時,故Aを含めた塗装担当者は合計10名であったところ,故Aの死亡後,2年間,塗装部門は合計10名には戻らないまま業務を遂行し続けている。同年5月15日以降は合計9名で,それまでどおりの作業がこなされ,例年どおり繁忙期を乗り切り,その後は閑散期となった。翌年以降は,合計8名,7名の時期があり,それでも,それまでどおりの作業がこなされた。これらのことからも分かるように,故A一人に特別な負担が掛かったことはなく,故A一人に欠員による負担が掛かったことはなかった。
(エ) 被控訴人らは塗装班の欠員によって,故Aの負担が増加した旨主張するが,Mが休暇を取った同年3月7日ないし同月12日,同年4月1日ないし8日,Mが休んだ同年5月10日ないし同月11日の各期間において,その前後と比較して故Aの退勤時間には特段の変化がみられない。この間,故Aには休日もあり,連休もあった。
カ リーダーへの昇格について
平成14年4月,24期の始まる4月に併せて人員異動と昇格が行われ,故Aにはリーダーの肩書が付いたが,故Aは従前と同じ段取りを担当していた。リーダーの肩書で新たに特別の責任を問われたことはなかった。
キ 小括
以上のとおり,故Aの業務は過重なものとはいえず,特段の肉体的・心理的負荷は存在しなかったのであるから,故Aの自殺と業務との間に因果関係はない。
(2) 争点(2)について
(被控訴人らの主張)
ア 控訴人に予見可能性があること
労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして,疲労や心理的負荷が過度に蓄積すると,労働者の心身の健康を損なうことは周知のところである。「長時間にわたり業務に従事する状況が継続」することについて,控訴人に認識があれば,うつ病自殺の結果発生は予見し得たといえる。控訴人(その履行補助者たる上司ら)が,故Aのうつ病発症による本件自殺を具体的に予見することは,安全配慮義務違反発生の要件ではない。
そして,控訴人自身が作成した労災保険申請書(甲11)には,「4月から,受注増により繁忙状態となり度々深夜に及ぶ残業で疲労を訴えていた」とあるように,控訴人は,故Aが長時間労働等による業務によって,心身共に疲労状態にあったことを認識していた。控訴人が故Aに従事させていた業務は,短期的にみても長期的にみても,うつ病を生ずる危険のある長時間労働であり,この過重業務についての認識がある以上,故Aのうつ病発症と本件自殺についても予見可能性があったものである。なお,控訴人は,故Aに対し,直近6か月についてはすべて45時間を超える時間外休日労働,直近3か月に限っても,84時間48分,118時間06分,139時間18分と長時間の時間外労働・休日労働に従事させていたことは明らかで,当然,控訴人自身もそのことを認識しており,故Aが過労によりうつ病に罹患して自殺する可能性のあることを十分予見することができたのであるから,この点からも控訴人が予見可能性を有していたといえる。
イ 安全配慮義務違反(注意義務違反)があること
(ア) 使用者は,労働者に対して,労働契約に付随する債務としての安全配慮義務を負う。その具体的内容として,使用者は,その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し,業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり,使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は,使用者の上記注意義務の内容に従って,その権限を行使すべき義務を負う。また,厚生労働省の平成14年2月12日付け「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」(基発第0212001号)によって,使用者は,労働者の労働時間を把握した上,原則として月45時間を超える時間外労働を行わせるべきではなく,仮に月45時間を超える時間外労働を行わせる場合には,特に労働者の心身の健康に配慮する義務を負担している。
(イ) 控訴人は,故Aに,本件自殺直前の3か月において約84時間から約139時間前後という反生理的な長時間労働に従事させていた。なお,控訴人は,控訴人労働組合との間で時間外休日労働に関する協定届(いわゆる36協定)を締結しているが,故Aに対して,協定の上限である1か月当たり45時間の2倍以上である100時間以上の時間外労働に従事させたのである。また,同協定において「目安を超えて労使が協議の上延長することができる時間」として1か月当たり61時間とされているが,故Aの時間外労働時間はかかる61時間も大幅に超えるものである。
しかも,その業務内容は,前記のとおり,ならし生産計画の破綻や,本件品質向上策による厳しい品質管理の下,リーダーに就任したばかりの故Aに過重な心理的負荷のかかるものであった。さらに,故Aが心理的に疲弊した状況であったにもかかわらず,上司からは支援どころか,不良品の発生を故Aの責任とする叱責が加えられていたものである。
控訴人には,故Aに心理的負荷が過度に蓄積しないよう,その業務量,業務内容並びに労働時間を管理した形跡は全くない。したがって,故Aに過度な心理的負荷をもたらした長時間過密労働は,控訴人が故Aに対する安全配慮義務を懈怠したために生じたものであり,それに起因する本件自殺につき,控訴人は責任を負う。また,控訴人の注意義務違反等は,故Aの具体的な変化(ましてやうつ病罹患の事実)などの認識の有無を問わず肯定されるが,本件の場合,控訴人は,故Aの疲弊ぶりなど具体的な症状や様子について認識し又は認識し得たのであるから,控訴人はその責任を免れない。
(控訴人の主張)
控訴人に予見可能性はなく,また,安全配慮義務違反もないことから,被控訴人らの主張は争う。
故Aにあっては,業務が過重で疲弊していた状況はみられず,うつ病の兆候など全くみられなかった。これらを認識し得る状況,言動や行動は故Aにおいては見受けられず,控訴人が,故Aの死という結果を生じ得るような体調の変化や環境の変化もなかった。故Aの死亡について,控訴人が予見することは不可能であり,結果回避義務違反は存在しない。
(3) 争点(3)について
(被控訴人らの主張)
ア 死亡による逸失利益 金5990万2000円
故Aの本件自殺前の月々の賃金の平均日額(労災保険法上の給付基礎日額)は,控訴人において不払分の時間外・休日労働についての割増賃金を算入すると(労働基準監督署長の給付基礎日額の算定に当たっては算入していない。)1万0806円となる。また,故Aの本件自殺前1年間に支給された賞与の額は93万2982円(平成13年7月10日分46万3083円,同年12月11日分46万9899円の合計)となる。よって,年収は,1万0806円に365を乗じ,93万2982円を加えた487万7172円となる。
したがって,故Aの死亡による逸失利益は,生活費控除を30パーセント,死亡時24歳で67歳まで43年間就労可能であるとしてライプニッツ係数を17.546として,下記の計算式により5990万2000円となる。
記
487万7172円×(1-0.3)×17.546=5990万2000円(1000円未満切捨て)
イ 死亡による慰謝料 金3000万円
ウ 葬祭料 金150万円
エ 弁護士費用 金900万円
オ 損害総額 金1億0040万2000円
カ 被控訴人らによる相続
被控訴人X1は上記損害総額の3分の2である6693万4000円,被控訴人X2,被控訴人X3はそれぞれ6分の1ずつである1673万3000円ずつを相続した。
キ 損益相殺 金785万2000円
被控訴人X1は,労災保険より遺族補償年金を受給しており,労災保険法64条1号の履行猶予額(給付基礎日額の1000日分)は,785万2000円となる。
ク 被控訴人らの請求額
以上から,本件における被控訴人らの請求額は,被控訴人X1については損益相殺後の5908万2000円,被控訴人X2,被控訴人X3についてはそれぞれ1673万3000円ずつとなる。
(控訴人の主張)
被控訴人の主張はすべて否認し又は争う。特に,逸失利益に関しては,相当の生活費控除がされるべきであり,3割というのは低きに失する。
(4) 争点(4)について
(控訴人の主張)
仮に,控訴人に責任が認められるとしても,以下のとおり,故Aの側にも過失があるから,過失相殺として損害額の9割が控除されるべきである。
ア 故Aは,通常人であれば予見不可能な極端な短期間中に,突然,死亡した。
イ 故Aから,控訴人に対し,休養や休暇の申出又は相談は一度も行われなかった。
ウ 故Aから,控訴人に対し,担当職務についての相談もなく,不満の申出すら一度も行われなかった。
エ 故Aは,死亡直前でも,休日や連休中,ツーリングに行ったり夜中まで遊び回り,死亡3日前の休日も,終日深夜に至るまで自ら自動車を運転して海水浴へ行くなど,満足な休息を取っていなかった。また,故Aの親族,特に被控訴人X1は,大学の看護科で精神保健等を学んで精神疾患の専門的知識を有し,最も身近にいて故Aの変調を知り得たにもかかわらず,故Aに対し,退勤後や休日にきちんと休息を取るように勧めていなかった。
オ 故Aは,平日の退勤後にどのような行動を取っていたのか全く判明していない。
カ 故Aの親族はだれも,控訴人に対し,故Aの体調の変化について相談や通知を一切していなかった。
キ 故Aは,自ら健康状態を調査したり,休養の必要性を検討しなかった。
ク 故A及びその親族は,自ら専門医への受診等をしたり,勧めたりしていなかった。
(被控訴人らの主張)
ア 控訴人の主張は,故意又は重大な過失により時機に後れて提出されたものであり,訴訟の完結を遅延するものであるから,却下されるべきである。
イ 控訴人は,労働時間を管理して,故Aに1か月当たり100時間を超える長時間労働をさせていることの認識が明確にあった。加えて,厳しい品質管理,前例のない生産増大,チームリーダーへの昇格,上司の叱責等複数の出来事が同時に発生し,相乗作用により故Aには強い心理的負荷が掛かっていた。他方,故Aに精神疾患の既往歴は全くなく過失相殺の対象となる素因は全く存在していない。以上からして,過失相殺の余地はない。
第3当裁判所の判断
1 事実関係
前記前提事実に加え,本件証拠(甲1,2,3(枝番を含む。),5,6,7(枝番を含む。),8(枝番を含む。),9の1・2,10ないし32(枝番を含む。),35,36,40ないし49,51ないし58,59(枝番を含む。),60(枝番を含む。),61,63ないし66,70,72,乙1ないし6,7(枝番を含む。),8,9(枝番を含む。),10(枝番を含む。),11,15ないし59,原審証人F,同Q,原審被控訴人X1本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の各事実等を認めることができる。(各項末尾に掲記した証拠は,各項記載の事実を認定するに当たって主として用いたものである。)
(1) 故Aについて
ア 故Aは,平成8年4月,控訴人に入社し,平成14年5月14日に死亡するまで,熊本事業部に所属し,製造2課(加工品の塗装,組立を主たる業務としている。)の組立2係2班(塗装班)において,専ら,塗装業務を担当していた。故Aは,同年4月1日,塗装班のリーダーに昇格したが,既に平成13年から本来リーダーの仕事である日程調整については任されており,これを行っていた。この日程調整とは,塗装部門の後工程である組立部門で翌日必要とされる部品の数をリストアップして,塗装部門の生産数量を計画し,これを前工程である加工部門に伝えるというものであった。
故Aは勤務7年目でリーダーとなったが,これは同じく勤務7年目でリーダーとなったFや勤務6年目でリーダーとなったI係長などと比べても平均的な時期の昇格であった。
本件自殺当時,故Aが担当していた主な業務は,後記塗装班の業務のうち,段取りと呼ばれる作業であったが,繁忙時には取り付け作業や取り外し作業を手伝うことがあり,ライン作業外のコンパウンド修正作業も度々行っていた。
イ 故Aは自宅から熊本事業部まで自動車で通勤しており,通勤時間は約15分であった。
ウ 故Aは,それまでの職業生活において,特段,適応に困難が認められたことはなく,入社以来,本件自殺当日まで「うつ病」ないし「うつ傾向」との診断を受けたことはなかった。故Aは,社内において,責任感が強く,仕事にまじめであり,明るい人であるとの印象を持たれていた。なお,故Aは持病として腰痛を抱えていた。
(2) 熊本事業部における勤務体制等
ア タイムカードについて
熊本事業部においては,従業員が出勤及び退勤する際には必ずタイムカードが打刻されていた。なお,熊本事業部においては作業服及び安全靴等を着用することが義務付けられていたが,タイムカードは,出勤時においては作業服及び安全靴の着用後,退勤時にはこれらを脱ぐ前にタイムレコーダーに記録することとなっていた。
イ 就業時間
(ア) 控訴人の就業規則(甲10)第10条によれば,就業時間については,「従業員の1日の労働時間は,8時間とし休憩時間は60分とする。但し,勤務の都合により,指定職場については10分を追加休憩させる場合がある。」とされている。また,同条において,始業時刻は午前8時10分,終業時刻は午後5時10分,休憩時間は正午より50分,午後3時より10分間とされている。したがって,控訴人における1日の所定労働時間は8時間であり,1日の所定拘束労働時間は9時間である。さらに,時間外労働における休憩は,午後5時10分より20分,午前零時より30分,午前3時より10分とされている。なお,「社員入社指導マニアル」と題する書面(甲14)によれば,熊本事業部においては,午前7時55分からの朝の掃除から始業し,休憩時間中の午後0時45分からミーティングが行われることとされている。
(イ) 平成14年4月1日に,控訴人及び控訴人労働組合の間で締結された時間外労働・休日労働に関する協定届(甲35)によれば,控訴人の熊本事業部における所定労働時間は8時間とされ,延長することができる時間は,1か月当たり45時間,1年当たり360時間とされている。また,上記の目安を超えて労使が協議の上延長することができる時間(法定以外の休日を含む。)は1か月当たり61時間,1年当たり544時間とされている。
ウ 塗装班の作業内容(甲55,乙8)
故Aが所属していた熊本事業部塗装班の作業内容は,以下のとおりである。
(ア) 鋳造・加工・バフ工程
まず,溶かしたアルミを鋳造機が金型に入れて部品の原型にし,外注作業員の手で仕上げられる(鋳造工程)。次に,これを自動加工機が加工し,細部の凹凸,カーブ,ネジ穴などを付ける(加工工程)。このように鋳造・加工されたアルミ部品を,次に,バフロボットと呼ばれる自動機械が製品の表面を研磨する。研磨には,表面を荒目の研磨材で研磨し表面をならす「粗研磨」と布製の研磨剤で磨き上げ鏡面上に研磨する「鏡面研磨」がある。研磨材が部品の表面に残ることがあるが,これは手作業で取り除くこととされている(バフ工程)。
(イ) 塗装工程
バフ工程の次が,塗装工程である。塗装工程においては,研磨が終わった部品の表面が塗装される。全自動の塗装ラインがあり,塗装専用ロボットによって塗料が自動的に吹き付けられる。
a 取り付け
取り付け作業とは,研磨が終わった部品を人の手によってベルトコンベアに吊された基軸にひっかけ,取り付ける作業である。この取り付けが終わった後は,ベルトコンベアが塗装専用ロボットまで部品を運んでいく。
b 塗装
ベルトコンベアに吊された部品は,次に,全自動塗装ラインに入り,塗装専用ロボットで塗装される。ロボットが,人間のいない密封された空間で塗料を吹き付け,塗装する。この作業においては,塗装ロボット,レシプロロボットの操作や一部補正等を人間が行うことになる。特に,日によって気温差の大きい春期は気温の変化に対応して塗料の粘度の微調整が必要となり,作業に困難が伴う。
c 段取り(取り外し準備)
段取り作業とは,取り付け後,全自動塗装ラインによる塗装が終わって部品が戻ってくるまでの約3時間に,部品を取り外して収納するための空き箱を準備する作業である。黄色の空き箱でキャスターが付いている。これを取り外しの場所(取り付け場所と同じ)まで転がしてきて並べる。
d 取り外し
取り外し作業とは,塗装の終わった部品をベルトコンベアの基軸から部品を検査しながら外し,段取りで準備された空き箱に入れる作業である。塗装班が担当するライン作業は,この取り外し作業で終了する。取り付け作業及び取り外し作業において,部品はかごごと取り付け及び取り外しを行うため,その重量は重いもので約20キログラム程度にもなる。
(ウ) コンパウンド修正
コンパウンド修正とは,塗装を終えた部品の中には,表面に異物が残る部品があり,これを取り除く作業である。ライン作業からは離れた別の作業であり,塗装班の担当作業である。これは,既に塗装を終えベルトコンベアから取り外された段階の部品の表面を紙ヤスリでこするものである。
(エ) 以上の過程を経て,塗装を終えた部品は組み立てられ(組立工程),製品となって出荷される。塗装班の作業は,重い物を運んだりする必要があり,体力のいる職場である。
エ リーダーの職責
控訴人熊本事業部製造2課機能組織図(業務分掌表)(平成14年4月1日(月)作成)(甲32の2)によれば,故Aは,製造2課2係2班ラインリーダーとして,以下の業務を行うこととされていた。
(ア) 月度内担当Gr生産計画の作成と推進
(イ) 月度内担当Grの予算,残業管理,勤怠管理
(ウ) 3S Gr内実務責任者
(エ) QCCの活動推進
(オ) 担当Grの出来高/日確認とコスト反映
(カ) Y-TPM自主保全/個別改善の推進
(キ) 担当Grの仕損じ確認と改善活動
(ク) PCラン実績入力と日々調整
(ケ) 原価低減活動の計画立案と推進
オ 控訴人における従業員の健康管理状況
控訴人は従業員に対して定期的に健康診断を受診させており,故Aもこれを受診していた(甲40の1・2,乙58)が,メンタルヘルスについての対策を特に行うことはしていなかった。
(3) 故Aの勤務状況(平成13年12月21日ないし本件自殺前日まで)
ア 故Aの勤務時間(概観)(甲3(枝番を含む。),原審証人F)
(ア) 平成13年12月21日から,本件自殺前日(平成14年5月13日)までの期間における故Aの労働時間は,原判決の別紙「時間外労働時間一覧表(認定)」の別表Ⅰ1ないし5に記載のとおりである(ただし,4月26日の始業欄の「7:45」を「7:50」と,同日の1日の拘束時間数欄の「16:27」を「16:22」と,同日の1日の労働時間数欄の「15:27」を「15:22」と,同日の時間外労働時間数欄の「15:27」を「7:22」と,別表Ⅰ-1の合計時間外労働時間数欄の「118:11」を「110:06」と,4月4日の1日の労働時間数欄の「11:58」を「12:12」と,同日の時間外労働時間数欄の「3:58」を「4:12」と,3月21日の1日の労働時間数欄の「11:58」を「11:18」と,同日の時間外労働時間数欄の「3:58」を「3:18」と,別表Ⅰ-2の合計時間外労働時間数欄の「118:32」を「118:06」と,2月9日の時間外労働時間数欄の「5:00」を「0」と,別表Ⅰ-4の合計時間外労働時間数欄の「62:08」を「57:08」とそれぞれ改める。)。これによれば,故Aは,本件自殺1か月前の期間に110時間06分,同1か月前から2か月前の期間に118時間06分の時間外労働をしていたものである。
なお,上記のうち,同年4月28日の退勤時間は証拠上不明であるから,時間外労働時間数が明確に認定できず,また,同月7日の出退勤時間は証拠上不明確であるからこれを明確に認定することはできないため,同別紙上は「不明」と記載しており,両日については時間外労働時間に加算していない。空欄の日は故Aが休日であったことを示す。控訴人の所定労働時間・休日を基準とし,休憩時間は一律1日1時間と計算して故Aの時間外労働を計算したものである。この点,控訴人は,就業規則に定める時間外労働における休憩時間を考慮しておらず,不正確である旨述べるが,就業規則の定めと異なり午後0時45分からミーティングが開始されていたり,故Aの終業時刻の中には就業規則によれば休憩時間内に当たるものが含まれており,時間外労働における休憩時間が厳密に上記規則どおりに運用されていたかにつき疑問があることを踏まえ,上記のとおりの計算を行うことが相当である。
(イ) J,I,F,E,K及びLの就業週報ないしタイムカードを比較すると,これら同僚の中でも,本件自殺から3か月以内の故Aの時間外労働時間は,Kとともに際だって長くなっている。
(ウ) 就業週報(甲3の6)によれば,平成14年5月4日に故Aが出勤したとの記載になっているが,これは,故Aが,同年4月27・28日に出勤した分について,これ以降に代休を取る予定であったのが,本件自殺により代休が取れなくなったため,控訴人においてその分賃金計上をするため現実には休暇であった同年5月4日を出勤扱いにする入力処理を行ったものであり,同日に故Aが控訴人において勤務していたとは認められない。また,同月11日についても,就業週報によれば,故Aは午前8時から午後5時20分まで稼働したと記録されているが,「残業:休出申請書」(甲13)の同日欄によれば,故Aは午前10時05分ないし午後3時10分まで生産挽回の作業をしていたとされていることから,かかる限度において故Aが稼働していたものと認められる。他方,同年4月7日はタイムカードに打刻はないが,後記認定のとおり,同日,故Aは同月6日に発生した員数不足の不具合について,熊本事業部に説明に行っていることから,同日,故Aは勤務していたことが認められる。以上によれば,故Aは,基本的に,隔週週休2日の勤務であり,平成13年12月21日ないし平成14年5月13日の本件自殺前日までの144日間のうち合計37日間の休日があったこと,また,平成13年度の年末年始には8連休,本件自殺前のゴールデンウィークの連休として6日間の休日があったことが認められる。
イ 故Aの勤務,生活状況(平成14年3月)(甲3の4,6,13,乙1,2,10(枝番を含む。))
この間において特筆すべき出来事は,以下のとおりである。
(ア) 3月15日
故Aは午前7時50分に出勤し,午後11時10分に退勤した。
(イ) 同月16日(土曜日)
故Aは午前5時56分に出勤し,午前11時15分に退勤した。
(ウ) 同月17日(日曜日)
故Aは,控訴人の同僚8名とともに,新しく購入した自動二輪車で阿蘇山方面へツーリングに出かけた。
(エ) 同月22日
故Aは,午前7時54分に出勤し,午後9時27分に退勤した。さらに,帰宅後,品質トラブル対策書(甲8の3)を作成した。
(オ) 同月25日
故Aは午前7時48分に出勤し,午後9時23分に退勤した。
(カ) 同月26日
故Aは午前7時53分に出勤し,午後9時01分に退勤した。
ウ 故Aの勤務,生活状況(平成14年4月)(甲3の5,6,8(枝番を含む。),13,乙3,4)
この間において特筆すべき出来事は,以下のとおりである。
(ア) 4月3日
故Aは午前7時51分に出勤し,午後11時12分に退勤した。さらに,当日,部品の不良(違組み)が発生したため,帰宅後深夜3時ころまで,「不良発見時・即ライン停止行動A」と題する書面(甲8の11)を作成した。
(イ) 同月4日
故Aは午前7時48分に出勤し,午後9時に退勤した。この日は,QCサークル活動計画・結果報告書(甲9の5)を作成した。
(ウ) 同月5日
故Aは午前7時39分に出勤し,午後9時20分に退勤した。この日の残業は,作業中不具合が生じたことが原因であった。
(エ) 同月6日(土曜日)
故Aは,作業中,空のトレーを流し,員数不足の不具合を発生させてしまった。なお,かかる不具合が発覚したのは,翌日の7日午前中であった。
(オ) 同月7日(日曜日)
前日の不具合発生の連絡を受けた故Aは,急遽,出社して,各所に不具合が発生した事情を釈明して回った。その後,この件に関する報告書の作成に取りかかった。パソコンでの文書作成に不慣れであった故Aは,まず手書きにて,社内品質トラブル対策報告書(甲46)内の「原因(発生原因・流出原因)」及び「対策(発生原因対策・流出原因対策・予防処置・効果の確認)」欄を記入し,これを基に,社内品質トラブル対策報告書(甲8の13,43)をパソコンで作成した。この不具合の「発生区分」は「重要度A」とされ,不具合の中では重要度が高いものと位置付けられた。
(カ) 同月8日
故Aは午前7時48分に出勤し,翌日の午前1時19分に退勤した。この長時間の残業は,ロットアウトという全件の点検やり直しが必要となる不具合が発生したことと,控訴人の社長の来訪のため,整理・整頓・清掃(3Sと呼ばれていた。)が重点的に行われるということが重なったのが原因であった。
(キ) 同月9日
故Aは午前7時52分に出勤し,翌日の午前2時26分に退勤した。この長時間の残業は,作業中に不具合が発生し,その解析レポート(甲8の9)を作成することとなったKを援助する必要があったことなどが理由であった。
(ク) 同月11日
故Aは午前7時49分に出勤し,翌日の午前1時33分に退勤した。この長時間の残業は,社長らの来訪に備えて3Sが重点的に行われたことなどが原因であった。
(ケ) 同月15日
故Aは午前7時52分に出勤し,午後9時31分に退勤した。この日の残業は,作業中の不具合発生などが原因であった。
(コ) 同月16日
故Aは午前7時53分に出勤し,午後10時45分に退勤した。この長時間の残業は,作業中の不具合発生などが原因であった。
(サ) 同月17日
故Aは,通常より2時間早出の午前5時56分に出勤し,午後11時20分に退勤した。この長時間の残業は,作業中の不具合発生に伴う作業の遅れ等が原因であった。
(シ) 同月18日
故Aは午前7時54分に出勤し,午後8時48分に退勤した。この日,熊本事業部において,量産体制が開始されたが,塗装班班長日報には「第二次大戦開始」と記されるような状況であった(甲6)。塗装班において修正品が山積みになったため,同日から,I係長,M主任が,コンパウンド修正のために応援に来ることとなった。また,同日朝の時点で,19日にチャーター便で送らなければならない部品393台分が不足していたため,塗装班において,残業により同日中に仕上げた。
(ス) 同月19日
故Aは午前8時に出勤し,午後9時04分に退勤した。
(セ) 同月22日
故Aは午前7時54分に出勤し,午後10時05分に退勤した。この日の残業は,本件パネルのコンパウンド修正作業が理由であった。
(ソ) 同月24日
故Aは午前7時47分に出勤し,午後9時23分に退勤した。この日の残業は,本件パネルのコンパウンド修正作業が理由であった。
(タ) 同月25日
故Aは午前7時49分に出勤し,午後9時32分に退勤した。この日の残業は,社長らの来訪に備えていわゆる3Sが重点的に行われたことなどが原因であった。
(チ) 同月26日
故Aは午前7時50分に出勤し,翌日の午前0時12分に退勤した。この長時間の残業は,棚卸し作業のためであった。
(ツ) 同月27日(土曜日)
この日は,終業後,故Aは,熊本事業部において開催された任意参加の新入社員歓迎会に出席し,酒を飲んだり,談笑したりした。なお,この新入社員歓迎会は,私的理由で欠席した場合にも参加費を徴収されることになっていた。
(テ) 同月28日(日曜日)
故Aは,休日にもかかわらず,午前7時58分に出勤し,塗装生産の挽回を図った。なお,タイムカードが打刻されていないため,同日の故Aの退勤時間を明確に認定することはできない。
(ト) 同月29日
a 故Aは,この日から5月4日まで,いわゆるゴールデンウィークの6連休に入った。
b 故Aは,29日,被控訴人X1の妹の結婚式に出席したところ,被控訴人X1の両親から,「疲れているね。」などと声をかけられた。なお,被控訴人X1は,妹の結婚式の写真を本件自殺後に見たところ,故Aが今までに見たことのない表情であったため,非常に驚いた。
(ナ) 同月30日
故Aは,朝から半日以上を掛けて,自動二輪車で阿蘇方面へツーリングに出かけた。
エ 故Aの勤務,生活状況(平成14年5月)(甲3の6,6,13)
(ア) 5月1日ないし4日
この間,故Aは出勤することなく休暇を過ごしていたが,被控訴人X1の両親から「また,やつれたんじゃないの。」などと声をかけられ,故Aは,「4月からリーダーになって。もういっぱいいっぱいです。」などと返事したことがあった。
(イ) 同月5日(日曜日)
故Aは,午前8時32分に出勤し,設備の立ち上げを行い,午後5時20分に退勤した。
(ウ) 同月6日
故Aは,午前7時46分に出勤し,午後11時08分に退勤した。この長時間の残業は,メタリック混ざりやピンホール不良という不具合が多発したため,その対応に負われたことが理由であった。なお,ピンホール不良については原因が不明で,その後も対策に追われることになった。
(エ) 同月7日
故Aは,午前7時51分に出勤し,午後10時55分に退勤した。この長時間の残業は,メタリック混ざりの不具合が発生したことなどが理由であった。
(オ) 同月8日
故Aは,午前7時52分に出勤し,午後11時27分に退勤した。この長時間の残業は,スケ不良流出や色がえミスによる色ちがいという不具合が発生したことなどが理由であった。
(カ) 同月9日
故Aは,午前7時53分に出勤し,翌日の午前0時32分に退勤した。この長時間の残業は,ユズハダ不良組立流出やスケ不良流出という不具合が発生したことなどが理由であった。故Aは,勤務終了後,同僚のKとLを誘い,飲食,談笑するなどした。
(キ) 同月10日
故Aは,午前7時55分に出勤し,午後10時04分に退勤した。この日は,作業の遅れから本件パネルを航空輸送便において出荷せざるを得ない状況であったが,結果的に,航空便を利用する状況には至らず,本件パネルは通常のトラック便で搬送された。同日,Kが交通事故により欠勤したところ,I係長は,故A及びFに対し,「Kが早出であるのに深夜まで作業に従事していたら,交通事故の原因にでもなるのではないか。」などと注意した。
(ク) 同月11日(土曜日)
故Aは,生産挽回をするため,午前10時5分に出勤し,午後3時10分に退勤した。
(ケ) 同月12日(日曜日)
故Aは,午前10時ころ,被控訴人X1,友人であるSらとともに,車で数時間かかる芦北の海岸まで遊びに行き,通常どおり昼食を取り,夕方まで過ごした。このとき,Sらは,故Aが帰った後,「今日はX1さんのご主人,元気なかったね。疲れていたのかな。」などと話した。その後,芦北から数時間掛けて熊本市内まで移動し,母の日のプレゼントを買い,実家の両親にプレゼントを渡しに行き,午後11時ころに帰宅した。
(コ) 同月13日
故Aは,午前7時50分に出勤し,午後8時に退勤した。この日も,作業の遅れから本件パネルを航空輸送便において出荷せざるを得ない状況であったが,結果的に,航空便を利用する状況には至らず,本件パネルは通常のトラック便で搬送された。この日,Fは,故Aの様子を見て,「風邪を引いたんなら帰るように。」と指示した。また,故Aは,昼休みに控訴人従業員のTと昼食を共にしたが,ほとんど食事を取らなかった。Kも,故Aの顔色が悪く風邪でも引いたのかなと感じるほど,故Aの様子は明らかにふだんと異なっていた。故Aは,被控訴人X1と「花粉症みたいな感じなのかな。」とお互い言い合っていたが,被控訴人X1は,故Aがただならぬ様子であると感じた。
(サ) 同月14日(本件自殺当日)
a 故Aは,朝,なかなか起床しなかったが,通常の時間に出勤した。出勤途上,被控訴人X1との会話で故Aの趣味であるツーリングの話題が出ても,故Aは,それまでと異なり,「ツーリングはもう,いいかな。」と述べた。
b 午前中,塗装班の現場が混乱していたのを発見したI係長は,故Aに対し,的確な指示を出すように指導したが,故Aの返答はなかった。故Aと被控訴人X1が昼休みに一緒に昼食を取った際,被控訴人X1は,同僚が職場のストレスのため,精神的に不安定で心療内科の診察を受けることを勧めた話をしたが,故Aはこれにも反応しなかった。そのため,被控訴人X1は,このまま働き続けると故Aがおかしくなってしまうのではと思い,「壊れる前にこんな会社辞めなんよ。壊れてからじゃ遅いからね。壊れる前に,辞めなんよ。いつでも辞めていいんだから,こんな会社。」と言った。これに対し,故Aは,「もう壊れているかも。」と弱々しく言った。被控訴人X1は,故Aに対し,「もう壊れているなら,今すぐ辞めなんたい。たった今,辞めなんたい。」と言ったが,昼休みが終わったため,そのまま被控訴人X1と故Aはそれぞれの職場に戻った。午後のミーティングの際にも,故Aは質問されてもほとんど反応がない状態であった。
c 故Aは,午後3時ころ,Fに対し,風邪を引いたことを理由に早退を申し出た。Fが,故Aに対し,「どぎゃんあっとや。」と聞くと,故Aは「風邪ひいたごたっとですよ。」とだけ述べて,早退した。
d 故Aは,午後4時ころ,携帯電話の電子メールに「X1,ごめん,今まで本当にありがとう。クーちゃんたちを頼んだよ。」と打ち込み,この電子メールを被控訴人X1に送信しないまま,本件自殺に及んだ。
オ 工程の異常打ち上げ(報告)状況(甲7(枝番を含む。))
熊本事業部では,作業工程において何らかの問題が発生した際には,これを発見した者(打ち上げ者)が,現場において,大きな声で,「対象」,「事象」,「処置内容」を発表することとなっていた。そして,平成14年3月1日ないし同年5月13日までに,故Aが打ち上げ者となった異常打ち上げは,原判決の別紙「異常打ち上げリスト(故A分)」に記載のとおりである。また,同年3月25日ないし同年4月19日までの「工程の異常打上げリスト週報」(甲7の22ないし25)は,故Aが作成していた。
カ 故Aの言動等
平成14年3月,故Aは,同年4月からリーダーになるとの内示を受けた際,被控訴人X1に対し,「リーダーにはなりたくない。」などと話していたが,故Aは以前から熊本事業部において,控訴人従業員などから,「次,おまえ,リーダーになるんだから,しっかりせいよ。」などと言われていた。被控訴人X1は,故Aから,同年4月中旬ころ,「リーダーはだるい。」などの愚痴を聞くようになった。
他方,故Aは,死亡に至るまでの間,業務の内容,業務時間に不満を述べたことはなく,他業務への異動や休職,退職の希望を述べたこともなかった。また,被控訴人X1からも,控訴人に対し,故Aの勤務に上記不満や希望があるとの申出はなく,故Aの言動,行動がおかしいとの報告もなかった。
故Aは,同年4月1日以降本件自殺まで,体重が2キログラム増加したことがあり,また,前記認定のとおり同年5月13日ころまでは特段食欲の減退などはみられなかった。
キ I係長による叱責
I係長は,ふだんから,故A,F,L等がミスを犯すなどしたときに,「ばかじゃなかとや」,「死んだ方がよかじゃなか」などといった言葉で叱責をしていた。
(4) 平成13年12月以降の熊本事業部の状況
ア b社による本件品質向上策の実施(甲18ないし20)
b社は,平成14年2月27日,控訴人を含む取引先に「1件不具合撲滅展開」の説明会の案内を発し,同年3月7日,本件品質向上策の説明及び施策実行のお願いについて,b社熊本製作所で説明会を開催した。b社は,本件品質向上策を実施することによって不良品の市場流出を防止し市場問題(クレーム)を平成15年3月末までに前年比の10分の1以下にしようとしていた。この本件品質向上策において,控訴人は「常駐していただきたいお取引先」である特Aランク(選定ワースト16社)に位置付けられた。その結果,控訴人は,b社に従業員(QG(クオリティーゲスト))を派遣する事態となっていた。
イ 控訴人の本件品質向上策への対応(甲21)
控訴人は,同月6日,品質保証部において,「「検技」体制設立に当たって」と題する文書(甲21)を作成し,b社の動向,控訴人の品質問題の現状,保証体制,検技体制等についての分析が行われた。その分析の中で,控訴人は,「工数不足のために,原因解析・再発防止の手が打てず小手先の対策で終わっている。」,「品質問題を現場で自己完結が出きない。」,「後処理体質から脱皮出きない。」などの事項を現状として挙げた。また,控訴人は,品質は工程で造られることから,「ありたき姿」として,「発生問題を自前解決できる職場への変革」,「後処理体質から攻めの体質への変革」を掲げ,「検技体制」を設立することとした。具体的には,「1 問題発生時の対応強化」として「①問題発生時の解析,対策,何故何故,再発防止,五原則シート,日程管理etc対応強化」などが指摘され,「3 品質企画推進の強化」として「③班長,ラインリーダーの品質教育,etc」などが指摘された。また,「4 安全宣言深堀り展開」として「②24期に安全宣言の完結。更に,流出問題に対して確実な再発防止展開を実施」などが指摘された。そして,新たに「検技組織図」(甲21)を作成し,平成14年2月26日に内示,同年3月21日に発令,同年4月1日に移動と組織体制を固めた上,同年3月6日から同月22日にかけて勉強会を開催した。
しかし,控訴人は,特Aランクに位置付けられた他の取引先が特Aランクを脱出しはじめても,引き続き特Aランクとして管理継続になっていた。控訴人に対する評価は,b社浜松製作所における重点12社のうちの最下位であり,達成度は6パーセントとされていた。控訴人は,b社から「HMの指示による『力づくしの流出防止』のみをやみくもに実施」したとの評価を受け,特Aランクから脱却したのは同年12月のことであった。
ウ 本件品質向上策の控訴人熊本事業部への影響(甲5)
(ア) 「塗装工程変化点まとめ」(甲5)と題する書面等によれば,以下の事実が認められる。
a 品質管理面での変化
控訴人の熊本事業部においては,平成14年4月1日から,b社による本件品質向上策が開始された。同日以降は,b社の熊本製作所内に,控訴人の熊本事業部から品質問題対応者を常駐させることとなり,同月2日からは,検技体制の組織変更をし,具体的には外観の不良流出防止策として,検査工程を設置した。これにより今までの合格レベルの製品が数多く不合格になったため,突発の残業が増加した。塗装班においては,従来約2パーセント程度の不良品率であったのが,約30パーセント程度にまで上昇した(甲65)。
b 生産量の変化
控訴人は,平成14年,b社から受注した本件パネルの生産台数が過去最高となった。この本件パネルの増産により,平成14年4月及び5月は通常期に比べ2倍以上の生産負荷が生じることが事前に予測されたため,その対応策として,同年2月からならし生産計画を行うことにより,負荷の平準化生産計画立案が推進された。しかし,3月期は,材料の不足のため,8000台の計画に対して4500台と計画を大きく下回り,4月以降,生産負荷が増大する結果となった。加えて,本件品質向上策の影響で不合格とされた不良分の再塗装,バフ工数が増加して,塗装班の残業が増加する原因となった。
c 塗装班における平成14年3月から5月の残業時間は,平成11年以降では最も多かったが,従前から控訴人において残業代が支払われるのは,就業週報やタイムレコーダー上の労働時間のうち,残業時間として申告がされた一部に止まっていた。
(イ) 塗装班の対応
本件品質向上策の実施により塗装班においては,ほんのちょっとしたゴミがついたものでも不良と指摘されたが,これには塗装班全体が反発し,I係長が,「意味がわからん。塗装では,今までと違った対応はできない。」などと品質管理課に苦情を言うなどしていた。
(ウ) 熊本事業部の当時の状況
「不良発見時・即ライン停止行動A」と題する書面(甲8の11)には,同月3日に「当日の生産をおわらせる事しか頭になかった」,「生産が多くいそいでいた。」,「定時間内で終わりそうになかった」との記載があり,また,「解析レポート」と題する書面(甲8の8)では,同月8日に発生した欠品流出の原因は,圧検後ドライブフェイスの出荷もしなければならないという焦りや,台数が多く急がないと出荷トラックに間に合わないという焦りであるとされていた。
エ 塗装物生産状況(乙6)
平成13年4月ないし平成14年6月までの,熊本事業部における塗装物生産数は,原判決の別紙「塗装物生産数一覧表」に記載のとおりである。また,そのうち,同年1月ないし6月までの本件パネルの生産台数の推移は以下のとおりである。
(ア) 1月 1681台
(イ) 2月 1842台
(ウ) 3月 2021台
(エ) 4月 5249台(平成13年4月は,4795台)
(オ) 5月 8022台(平成13年5月は,4116台)
(カ) 6月 5841台
この平成14年4月及び5月の生産数は,熊本事業部において初めて経験する数であった。
オ 塗装班の組織体制の変更(甲51,52,乙7(枝番を含む。)
塗装班においては,平成14年4月1日付けで,組立1係2班班長のEが1班班長に移動し,同時にリーダーのFが塗装班班長,故Aが塗装班リーダーにそれぞれ昇格した。すなわち,塗装班の人員は平成14年3月以前は,班長がE,リーダーがF,一般が故A,U,L,Kであったのが,同年4月以降は,班長がF,リーダーが故A,一般がU,L,K,Gとなった。なお,L,Kの2名は請負会社からの派遣社員であり,Gは平成14年4月からの新入社員であった。
(5) 控訴人とb社の契約内容
b社と控訴人との間で締結された平成11年3月30日付けの部品取引基本契約書(甲16)第18条ないし第23条や同日付けの取引先品質保証協定書(甲17)第13条等によって,控訴人は,b社に対し,品質管理を行う義務を負担し,不良品を発見した場合には,原因の解析,再発防止策を実施し,その結果をb社に報告すること,また,品質補償体制の見直しを行い必要な是正処置を取ることや不良発生の潜在的な原因となるおそれがある事由を発見したときは,製造工程又は品質補償体制の見直しを行い,必要な予防処置を取る義務を負担していた。
(6) 労災保険の申請及び認定(甲11,31,67の1)
ア 控訴人は,当初,被控訴人らと協調して労災保険の申請を行う意思で,被控訴人らにもその意思を伝えながら,労災保険の申請手続の準備を進めていた。その中で,控訴人は,W社会保険労務士に相談の上,労災保険申請書の「⑥災害の原因及び発生状況」欄に「4月から,受注増により繁忙状態となり度々深夜に及ぶ残業で疲労を訴えていた。又,同時期にリーダーに昇格した為作業者教育や不良対応の責任が増えた。さらに,リーダーとして会社側の期待もあり,本人への指導は厳しかった。以上のことに対して,本人の責任感が過剰に敏感であり感受性の鋭さで,心神喪失状態となる要素があり,突発的に本人を自殺に導いた。」旨記載するなど,基本的に故Aの自殺が業務と関連があるとの認識を示していた。もっとも,W社会保険労務士の陳述書(乙53)及びJの陳述書(乙54)によれば,上記申請書の記載中,W社会保険労務士の助言により,被控訴人らの作成した原稿を修正する形で,深夜残業の時期を1か月前倒しにしたこと,「度々」との文言を挿入するなどの限度で表現の誇張がされたことが認められる。
イ ところが,被控訴人X1の申立てにより,平成15年1月10日,控訴人の熊本事業部において証拠保全が実施されたことを契機に,控訴人は,被控訴人らとの協調関係は崩れたものと受け止め,労災保険の申請については保留した。被控訴人X1は,同年5月6日,B労働基準監督署に労災保険の申請を行った。
ウ B労働基準監督署長は,申請を受けて調査の結果,判断指針に基づき,故Aが精神障害診断名「F32.2精神病病状を伴わない重症うつ病エピソード」に罹患していたものと判断し,労働基準法施行規則別表第1の2第9号に該当する疾病として認定し,被控訴人X1に対し,平成16年3月22日,本件自殺について年金・一時金支給決定通知をした。
エ 旧労働省労働基準局長通達(基発第544号平成11年9月14日)においては,心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針(以下「判断指針」という。)について,以下のとおり定めている。
心理的負荷による精神障害等に係る労災請求事案について,次の(ア),(イ)及び(ウ)の要件のいずれをも満たす精神障害は,労働基準法施行規則別表第1の2第9号に該当する疾病として取り扱う。
(ア) 対象疾病に該当する精神障害を発病していること。
(イ) 対象疾病の発病前おおむね6か月の間に,客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められること。
(ウ) 業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神障害を発病したとは認められないこと。
そして,労災保険請求事案の業務上外の判断は,まず,精神障害の発病の有無等を明らかにし,次に,業務による心理的負荷の強度の評価,業務以外の心理的負荷の強度の評価,個体側要因の検討の事項について検討を加えた上で,業務上外の判断に当たっての考え方に基づいて行う。
業務による心理的負荷の強度の評価の検討に当たっては,当該心理的負荷の原因となった出来事及びその出来事に伴う変化等について総合的に検討する必要がある。出来事の心理的負荷の評価においては,出来事の発生以前から続く恒常的な長時間労働,例えば所定労働時間が午前8時から午後5時までの労働者が,深夜時間帯に及ぶような長時間の時間外労働を度々行っているような状態等が認められる場合には,それ自体で…心理的負荷の強度を修正する。また,出来事に伴う変化等による心理的負荷の評価においては,恒常的な長時間労働は精神障害の準備状態を形成する要因となる可能性が高いとされていることから…恒常的な長時間労働が認められる場合には十分に考慮する。また,「職場における心理的負荷評価表」において,「勤務・拘束時間が長時間化した」の心理的負荷の標準的な強度は「Ⅱ」とする。さらに,「出来事に伴う変化等を検討する視点」において,「仕事の量(労働時間等の変化)」は評価する。「極度の長時間労働」,例えば数週間にわたり生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できないなどの長時間労働により,心身の極度の疲労,消耗を来し,それ自体がうつ病等の発病原因となるおそれのあるものが認められれば,それのみで総合評価は「強」とすることができる。
このように,判断指針において,長時間労働は精神障害の重要な因子と位置付けられている。また,判断指針によれば,自分の昇進・昇格があったことは「職場における心理的負荷評価表」により,心理的負荷の加わる出来事に位置付けられている。
(7) ストレス,精神障害に関する専門的知見等について
ア ストレス対処能力(甲30,72)
長時間労働は,心身の余力や予備力を低下させ,ストレス対処能力を大幅に低下させ,その結果,ちょっとしたストレスフルな出来事に対してもパニックに陥りやすい状態が作られる。そして,長時間労働はかなり決定的な基盤要因であると解釈され,長時間労働がある場合には,負荷は抵抗力に比して全体として強いものとして評価されている。
また,いじめ,嫌がらせ,暴力はストレス・マグニチュードが高く,いじめへの暴露とうつ病発症との間には用量依存関係がみられる。なお,長期にわたるいじめは,心疾患発症のリスク増加とも関連していたが,このリスクには被害者の肥満の有病率の増加が一部寄与していたとされる。
イ 精神的緊張を伴う業務(甲36)
「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」と題する書面(甲36)によれば,精神的緊張を伴う業務として,「過大なノルマがある業務」,「決められた時間(納期等)どおりに遂行しなければならないような困難な業務」,「周囲の理解や支援のない状況下での困難な業務」が挙げられている。
ウ 精神障害による自殺と長時間労働との関連(甲63,70)
厚生労働省「過重労働・メンタルヘルス対策検討会」における議論のまとめによれば,精神障害による自殺の労災認定事案における労働時間をみると長時間となっているケースが多いなどとされている。
また,日本産業ストレス学会の研究結果によれば,平均残業時間が60時間以上となるとライフイベントの合計点数は極めて高く(ストレス度が強くなる。)なるなどとされている。
エ 脳・心疾患の労災認定における業務の過重性の評価基準(乙59)
厚生労働省労働基準局労災補償部補償課長通達(基労補発第31号平成13年12月12日)においては,発症前1か月間におおむね100時間又は発症2か月前ないし6か月にわたって,1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は,業務と発症との関連性が強いと評価できるとされたが,労働実態は多種多様であることから,このことをもって,直ちに,特に過重な業務に就労したと判断することが適切でない場合もあり,このような場合には,時間外労働に加えて,それ以外の負荷要因が認められる場合に,特に過重な業務に就労したとするものであるとされる。また,このような時間外労働に就労したと認められる場合であって,例えば,労働基準法第41条3号の監視又は断続的労働に相当する業務,すなわち,原則として一定部署にあって監視するのを本来の業務とし,常態として身体又は精神的緊張の少ない場合や作業度が特に低いと認められるものについては,直ちに業務と発症との関連性が強いと評価することは適切ではないことに留意する必要があるとされる。
2 争点(1)について
(1) 肉体的・心理的負荷について
ア 業務内容の過重性
(ア) 故Aが従事していた業務は,塗装班における段取り作業が中心であり,それのみでは肉体的負荷が特に大きい作業とはいい難い。しかし,平成14年3月ないし5月当時,生産量の増加に伴い,故Aは,取り付け作業及び取り外し作業の応援や本件パネルのコンパウンド修正作業を度々行っており,これに加えて,日程調整の業務があり,平成14年4月1日からは,塗装班のリーダーとしての負担があった。そうすると,故Aの業務内容は,全体として,相当に負荷の掛かるものであったということができる。
(イ) 故Aの所属していた塗装班の業務は,ベルトコンベアへの部品(かご)の取り付け,取り外し,その間に空き箱を準備する段取り作業など,いわゆる流れ作業の業務である。かかる業務においては,作業者はベルトコンベアなどの機械の一定のスピードによって規制されるため,長時間の作業に従事することにより苦痛感などを生み,心理的に相当の負荷が生じるものであるとみられる。これに加え,当時の塗装班の業務は,かつてない生産数増大の中,その達成に追われ,納期に迫られて緊迫する場面が度々みられたのであり,精神的緊張を伴うものであったといえる。さらに,不具合発生状況及び工程の異常打ち上げ状況を勘案すれば,かかる面での故Aの業務の心理的負荷も無視できない。
(ウ) なお,塗装班におけるライン作業は,従業員が作業中にベルトコンベアを自由に停止させる体制になっていたが,b社による発注の増加と本件品質向上策によって,熊本事業部の生産負荷が増大し,その達成に追われていたことなどからすれば,特に平成14年4月1日以降は,やむを得ない事態が生じない限り,実際上,ベルトコンベアを停止することは容易でなかったものとみられる。
イ 長時間に及ぶ時間外労働・休日労働による負荷
(ア) 前記認定事実によれば,故Aの時間外労働・休日労働は,本件自殺から1か月前は110時間06分,同1か月前から2か月前は118時間06分,同2か月前から3か月前は84時間48分であったことが認められる。また,上記期間内における故Aの連続勤務は最高13日間(平成14年4月1日ないし13日の期間。)であり,深夜10時を越えて勤務したのは12日間である(なお,かかる12日間のうち5日は同年5月に連続して生じ,また,うち4日は同年4月に生じた。)。他方,上記の期間(90日)中,故Aは,ゴールデンウィークの6連休を含め,19日の休日があった。
(イ) 故Aの上記時間外労働・休日労働の時間数は,控訴人の36協定に定める1か月当たりの時間外労働時間の月45時間を著しく超過し,本件自殺から1か月前の期間及び同1か月前から2か月前の期間は約2.6倍に至っている。同協定においては,上記の目安を超えて労使が協議の上延長することができる時間は1か月当たり61時間とされているが,故Aの上記期間における時間外労働・休日労働時間はかかる61時間も大きく超えるものである。
平均残業時間が60時間以上となるとライフイベントの合計点数は極めて高く(ストレス度が強くなる。)なるとされ,さらに長時間労働は,心身の余力や予備力を低下させ,ストレス対処能力を大幅に低下させ,その結果,ちょっとしたストレスフルな出来事に対してもパニックに陥りやすい状態が作られるとの専門的知見を勘案すれば,このような顕著な時間外・休日労働は,それ自体で過酷な肉体的・心理的負荷を与えるものであったといえる。
(ウ) また,塗装ラインにおける残業時間は,平成11年以降,平成14年3月ないし5月の期間が最も多かったことも前記認定のとおりである。
(エ) 以上からすれば,故Aには平成14年2月13日から同年5月13日の間に合計19日間の休日があったことなどの事情を考慮しても,労働時間数の面からみて,当時の故Aには,極めて大きい肉体的・心理的負荷があったことは明らかである。
ウ 対策書等の書面作成負担について
(ア) 前記認定事実のとおり,故Aが作成した対策書等は,平成14年3月22日に作成した品質トラブル対策書(甲8の3),同年4月3日に作成した「不良発見時・即ライン停止行動A」と題する書面(甲8の11),同月4日作成したQCサークル活動計画・結果報告書(甲9の5)及び同年8日付けで作成した社内品質トラブル対策書(甲46)内の「原因(発生原因・流出原因)」及び「対策(発生原因対策・流出原因対策・予防処置・効果の確認)」欄に手書きで記入した後,パソコンを用いて社内品質トラブル対策報告書(甲8の13)を作成したのみである。もっとも,「不良発見時・即ライン停止行動A」と題する書面(甲8の11)は深夜3時ころまで自宅で作成していること,社内品質トラブル対策書(甲46,8の13)は同月6日に発生した員数不足の不具合が同月7日(日曜日)に発覚したため,同月8日までに急遽作成しなければならなくなったものと認められることからすると,これらの書面作成によって,単にその枚数・記入箇所だけでは評価し尽くし難い負荷が故Aに掛かったものといえる。なお,上記対策書等は,不具合発生当日又は翌日までには作成しなければならなかったことなどからしても,対策書等の作成によって相当程度の負荷が故Aに掛かったものといえる。
(イ) さらに,平成14年4月1日以降,対策書等の書面作成を故A自身が行っていなくとも,不具合が生じた場合に製造課2課組立2係2班の従業員が書面作成を行う場合に,作成者とともに,リーダーである故Aが助言等しながらこれに関わっていたことなどからすれば,故A自身が作成していない対策書等の書面作成においても,故Aに相当程度の負荷があったものといえる。
エ リーダーへの昇格
故Aは平成14年4月1日からリーダーに昇格し,前記認定の各職務に従事することとなった。このうち,日程調整については,平成13年から既に従事していたものである。しかし,労災保険の認定における判断指針等に照らしても,事実上リーダーの職務を行うことと,現実にリーダーの地位に就いて職務に従事することとの間には,その責任面などにおいて相当程度の心理的負荷の差があることは見易いところである。しかも,故Aの場合,その昇格時期が,本件品質向上策への対応の一つとしてラインリーダーの品質教育が挙げられるなど,事業部全体として業務の見直しを迫られる時期と重なったこと,控訴人がその対応に苦慮していた状況の中で現場のリーダーである故Aに日常的に様々な圧力が掛かっていたことは容易に想像されること,平成14年4月15日,塗装班に新入社員であるGが加入しているが,リーダーとして,実際にGを指導していく必要があったこと等を勘案すると,リーダーの地位に就いたことによる故Aへの心理的負荷も相当に大きかったものとみられる。
オ I係長による叱責
前記認定のとおり,I係長は,故Aを含め,塗装班の従業員がミスを犯すなどしたときに,「ばかじゃなかとや」,「死んだ方がよかじゃなか」などといった言葉で以前から叱責をしていたことが認められる。他方,I係長は叱責するだけでなく,ときに従業員をほめることによりその育成を図ってきたものと思われること,さらに故Aの体調を気遣う言葉をかけてきたことが認められることからなどの点からすると,I係長に,故Aに対する悪意はなく,むしろ故Aへの期待があったこともうかがわれる。そうだとしても,特に平成14年4月1日以降の故Aの勤務状況は明らかに過酷なものであり,そのような状況の下,I係長による叱責は,結果として,故Aを追いつめる一要因になったものということができる。
カ 小括
以上によれば,故Aの業務において,時間外労働・休日労働が連続して1か月100時間をも超える数値として表れていることに加え,内容的にも肉体的・心理的負担を伴う業務に従事し続けたこと,更にはリーダーへの昇格による心理的負担の増加があり,総合的にみて,故Aには相当程度に強い負荷が掛かっていたものということができる。
キ 当事者の主張の検討
(ア) 控訴人は,本件品質向上策などの顧客の要望やイベントは不定期的に行われており,故Aが控訴人に勤務していた約7年間の期間に何度も体験したこと,故Aは平成13年ころからリーダーと同様の仕事をしていたのであり,突然,特別の負担が増えたことはないなどと主張する。
確かに,控訴人の主張するとおり,故Aはそれまでに顧客の要望によるイベントなどの経験,平成13年からリーダーと同様の仕事をしていたこと,控訴人においては繁忙期と閑散期があり繁忙期を乗り切ればいずれ閑散期が来ること,班長日報(甲6)や工程の異常打ち上げリスト(甲7(枝番を含む。))に記載された不具合などは従前から生じていたことは認められる。しかしながら,控訴人が主張する故Aが体験した事象等について,断片的に単一のものとしてみるならば格別,前記認定のとおり,故Aは平成14年4月からリーダーに昇格した上,同時期に生産量の増加と本件品質向上策への対応を迫られ,これらを原因とする時間外労働・休日労働時間が過度に増加するなど,同一期間に,肉体的にも心理的にも負荷が掛かる事態が重なったものである。そうすると,上記の複数の事象を断片的・単一のものとして評価することは妥当ではなく,この点に関する控訴人の主張は採用することができない。
(イ) また,控訴人は,平成14年の本件パネルの増加は全体生産数量の2パーセント未満,塗装物の1割程度が微増したに過ぎず,故Aに特段の負担が課せられたことはなかった旨主張する。
しかしながら,本件品質向上策による不良品率の増加などの点からすると,生産量の増加以上に作業負担の増加があったとみられるし,同年4月1日以降,故Aの所属していた塗装班の業務に相当程度の負荷が掛かっていたことは時間外労働・休日労働の時間からみて否定できないところであり,労働者の勤務する職場規模が大きくなればなるほど,その労働者の担当する業務の割合が小さくなるから,熊本事業部全体の生産数量における増加割合を問題にすることは余り意味がないというべきである。以上から,この点に関する控訴人の主張も採用することができない。
(ウ) 他方,被控訴人らは,Mの欠員について故Aがその対応を行ったと主張し,被控訴人X1はおおむねこれにそう供述をするが,Mはこれを否定し(乙17),また,これを認めるに足る客観的な証拠は本件において認められないため,この点についての被控訴人の主張は採用できない。
(2) 業務起因性
ア 前記のとおり,故Aには通常以上の肉体的・心理的負荷があったと認められ,その内容及び程度に照らせば,故Aの業務には,精神障害を発病させるに足りる強い負担があったといえる。平成14年4月中旬ころまで故Aに表立った変化はみられなかったものの,徐々に疲労の色が増し,同月末には親族らから故Aの健康状態の悪化が指摘されるようになり(久しぶりに会う親族の方が以前の姿との変化に気づきやすかったとも考えられる。),自殺当日には,異常なほど疲弊した様子や無反応な態度,趣味であったツーリングに対する興味の喪失など,うつ病の典型的なエピソードが表れているのであって,自殺当時,病的な精神症状を呈していたことは容易に認められる。故Aはこのころ医師の診療を受けることがなかったから,うつ病であるとの正式な診断はされていないが,当時の状況を総合的に判断すれば,過重労働に基づく肉体的・心理的負担からこれを原因とする自殺に至る経過は矛盾なく理解し得るものである。B労働基準監督署長も,労災認定において,故Aが精神障害診断名「F32.2精神病病状を伴わない重症うつ病エピソード」に罹患していたものと判断している。このように,故Aは,遅くとも平成14年4月下旬ころには,心身共に疲労困ぱいした状態になっていたが,ゴールデンウィークの連続休暇が目前に迫っており,心理的に緊張状態を保っていたものの,連休明けの同年5月6日から同月10日まで5日連続で深夜午後10時を超えて勤務することにより(うち3日は午後11時を超えている。),再び従前と同様,又はそれ以上の時間外労働・休日労働等が続いたことが,それまでに故Aに蓄積した疲労とあいまって,故Aを衝動的,突発的な自殺に至らしめたものと推認されるところである。この点,故Aは,同年4月1日以降本件自殺までに体重が2キログラム増加しており,本件自殺直前までは特段食欲の減退などはみられず,本件自殺の2日前には自ら運転して長距離ドライブに赴いていることなどが認められるが,これらの事実は必ずしも上記推認を左右するものではない。
イ 他方,業務以外に故Aの自殺の原因があるかを検討するに,本件自殺前の故Aの様子,言動等に関し,家族である被控訴人X1の供述からはもとより,本件では,故Aと親しく交友していた者を含む多数の同僚の陳述書が控訴人からも提出されているところ,これらの供述内容その他本件の全証拠によっても,故Aには,借金,病気,家族・会社・交友関係におけるトラブルその他の個人的な悩みなど,一般的に自殺の原因となり得るような業務外の要因は全くうかがうことができない。
(3) 結論
以上のとおり,故Aは,本件自殺3か月前から過重な長時間労働に従事したことによる肉体的・心理的負荷に,1か月余り前には,発注先からの新たな品質管理基準への対応が会社として迫られる中,リーダーへ昇格するなどの心理的負荷等が更に加わるという正に過重労働の最中に,他に特段の動機がうかがわれない状況で,本件自殺に及んでいるものであり,その経過からして,本件自殺と業務との間に因果関係(業務起因性)があることは明らかというべきである。
3 争点(2)について
(1) 予見可能性の有無について
ア 長時間労働の継続などにより疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると労働者の心身の健康を損なうおそれがあることは周知のところであり,うつ病罹患又はこれによる自殺はその一態様である。そうすると,使用者は上記のような結果を生む原因となる危険な状態の発生自体を回避する必要があるというべきである。つまり,労働者が死亡している事案において,事前に使用者側が当該労働者の具体的な健康状態の悪化を認識することが困難であったとしても,これを予見できなかったとは直ちにいえないのであって,当該労働者の健康状態の悪化を現に認識していたか,あるいは,それを現に認識していなかったとしても,就労環境等に照らし,労働者の健康状態が悪化するおそれがあることを容易に認識し得たというような場合には,結果の予見可能性が認められるものと解するのが相当である。
イ これを本件についてみるに,控訴人が本件自殺までに故Aの具体的な心身の変調を認識し,これを端緒として対応することは必ずしも容易でなかったとしても,前記判示のとおり,故Aの時間外労働・休日労働時間が,本件自殺前3か月前からは明らかに過重なものに至っており,特に本件自殺2か月前からは,連続して1か月100時間を超えていることに加え,リーダーへの昇格などの状況の中,十分な支援体制が取られないまま,故Aは過度の肉体的・心理的負担を伴う勤務状態において稼働していたのであって,控訴人において,かかる勤務状態が故Aの健康状態の悪化を招くことは容易に認識し得たといえる。したがって,控訴人には,結果の予見可能性があったものというべきである。
(2) 安全配慮義務違反の点について
ア 使用者は,労働者が労務提供のために設置する場所,設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において,労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものと解するのが相当である(最高裁第三小法廷判決昭和59年4月10日・民集38巻6号557頁参照)。
事業者の場合については,法が,その責務として労働安全衛生法に定める労働災害防止のための最低基準を守るだけでなく,快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなければならない義務を負っており(同法3条1項),その具体的措置として,同法第三章において安全衛生管理体制を取ることを,第四章において労働者の危険又は健康障害を防止するための措置を取ることを,第六章において労働者の就業に当たって安全衛生教育などを行うことを,第七章において健康の保持増進のための措置を取ることを義務付け,更には第七章の二において快適な職場環境を形成するように努めなければならないことを定めている。
以上のことからすると,安全配慮義務の内容としては,事業者は労働環境を改善し,あるいは,労働者の労働時間,勤務状況等を把握して労働者にとって長時間又は過酷な労働とならないように配慮するのみならず,労働者に業務の遂行に伴う疲労や心理的負担等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意し,それに対して適切な措置を講ずべき義務があるものと解される。
イ 控訴人は,使用者として故Aを従事させていたのであり,本件自殺前には,故Aの時間外労働・休日労働時間が極めて長時間に及んでいることに加え,故Aの業務内容,故Aがリーダーへ昇格したことなどの事態が生じていた(いずれも,控訴人が当然に認識していた事実である。)のであるから,適宜,塗装班の現場の状況や時間外労働・休日労働など故Aの勤務時間のチェックをし,さらには,故Aの健康状態に留意するなどして,故Aが作業の遅れ・不具合などにより過剰な時間外勤務や休日出勤をすることを余儀なくされ心身に変調を来すことがないように注意すべき義務があったといえる。それにもかかわらず,控訴人は,労働者の心身の健康に悪影響を与えることが明らかな限度時間をはるかに超える時間外労働の状況を是正することすらなく,故Aの実際の業務の負担量や職場環境などに何らの配慮もすることなく,故Aを漫然と放置していたのものである。したがって,控訴人には安全配慮義務違反があったものというべきである。
(3) 不法行為における過失(注意義務違反)について
上記のとおり,控訴人は,故Aを過重な長時間労働の環境に置き,これに加え,故Aがリーダーへ昇格したことなど心理的負担の増加要因が発生していたにもかかわらず,故Aの実際の業務の負担量や職場環境などに何らの配慮もすることなく,その状態を漫然と放置していたのであって,かかる控訴人の行為は,不法行為における過失(注意義務違反)をも構成するものというべきである。
(4) そして,控訴人が,まずは故Aの労働時間を適正な程度に抑えることを前提に,故Aの精神面での健康状態を調査し,改めて故Aについて休養の必要性について検討したり,例えば,異動についての希望聴取を行い,心身の状態に適した配属先への異動を行うなどの対応を取っていれば,同年5月14日に故Aが自殺により死亡することを防止し得る蓋然性は高かったといえる。したがって,上記控訴人の安全配慮義務違反(注意義務違反)と本件自殺との間には因果関係があるというべきである。
4 争点(3)について
(1) 死亡による逸失利益 金4665万4297円
故Aの本件自殺前の月々の賃金の平均日額は7851円である(甲2)。この点,被控訴人は,上記平均日額に加え,控訴人において不払分の時間外・休日労働についての割増賃金を算入すべき旨主張するが,これを認めるに足る証拠はなく,被控訴人の主張は採用できない。また,故Aの本件自殺前1年間に支給された賞与の額は93万2936円である(甲2)。以上から,故Aの年収は,7851円に365日を乗じ,93万2936円を加えた379万8551円となる。
したがって,故A(昭和52年a月b日生まれ)は死亡時24歳であったことから,67歳までの43年間就労可能であり,その間,上記379万8551円を得られたはずである。そして,故Aの家族状況などに照らし,生活費として30パーセントを控除し,43年のライプニッツ係数(17.5459)を乗じて逸失利益を算定すると,下記の計算式により4665万4297円となる。
記
379万8551円×(1-0.3)×17.5459=4665万4297円
(2) 死亡による慰謝料 金2800万円
本件における控訴人の過失の程度,及びその他諸般の事情を考慮すると,死亡慰謝料としては金2800万円が相当である。
(3) 葬祭料 金150万円
本件に現れた諸事情に照らせば,葬祭料としては金150万円が相当である。
(4) 小計 金7615万4297円
以上(1)ないし(3)の小計は,金7615万4297円となる。
(5) 相続
故Aの上記損害賠償請求権を,被控訴人X1が3分の2の割合で,被控訴人X2及び被控訴人X3がそれぞれ6分の1の割合で相続したから,被控訴人らの各相続額は以下のとおりである。
ア 被控訴人X1 金5076万9531円
イ 被控訴人X2 金1269万2383円
ウ 被控訴人X3 金1269万2383円
(6) 損益相殺
被控訴人X1は,労災保険から遺族補償年金を受給しており,労災保険法の64条1号の履行猶予額(1000日分)は785万2000円であり,これを控除した上で請求している。
よって,被控訴人X1については,上記(5)アの額から785万2000円を控除することとし,被控訴人X1の請求の認容額は4291万7531円となる。
(7) 弁護士費用
被控訴人らが,被控訴人ら代理人に本件訴訟の提起と遂行を依頼したことは明らかであり,本件の内容,認容額などを総合すると,弁護士費用としては,被控訴人X1については400万円,被控訴人X2及び被控訴人X3については各100万円が相当である。
(8) 被控訴人らの各損害合計
ア 被控訴人X1 金4691万7531円
イ 被控訴人X2 金1369万2383円
ウ 被控訴人X3 金1369万2383円
5 争点(4)について
(1) 過失相殺は債務者の主張なくしてすることが可能であるし,本件において,故A側の過失を基礎付ける具体的な事実については,いずれも控訴人が既に主張していたものであり,そのために新たな立証を要し,訴訟の完結を遅延させるものではないから,これに関する控訴人の主張の提出が不適法であるとはいえない。
(2) 前記のとおり,故Aの変調が表面化してから自殺へ至るまでの経過は急進的であり,故A本人や家族にとっても専門医の診療を受けるなどの行動を取ることは容易でなかったといえる。他方,故Aの就労状況からすれば,同人からの訴えを待つまでもなく,使用者である控訴人が当然に労働時間の抑制その他適切な措置を取るべきであったといえるから,この点で,故Aの側に過失を認めることはできない。控訴人の主張するその余の事由についても,いずれも故A側の過失を認める理由とはならないものである。また,本件自殺の原因について家族関係などの個人的な要因を認めることはできず,故Aの性格などに上記損害額を減額すべき要因を認めることはできない。したがって,本件において,過失相殺を認めることは相当でない。
6 遅延損害金の始期について
以上と同旨の原判決は,債務不履行責任に基づいて上記各金額の損害賠償を認めているが,前記のとおり,控訴人の行為については,故Aの生命,身体の安全に対する注意義務を欠いたものとして,不法行為責任もまた成立するものというべきであり,これに基づく同額の損害賠償請求権が認められる。したがって,これに対する遅延損害金については,故Aの死亡日を起算日として発生することになる。
7 結論
以上のとおり,被控訴人らの請求のうち,主たる請求に関しては,原判決の判断は相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却し,他方,附帯請求に関しては,本件附帯控訴には理由があるからこれと異なる原判決を変更することとして,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 寺尾洋 裁判官 伊藤由紀子 裁判官 伊丹恭)