福岡高等裁判所 平成19年(ネ)418号 判決 2008年3月12日
主文
1 原判決中一審被告敗訴部分を取り消す。
2 一審原告の請求を棄却する。
3 一審原告の本件控訴を棄却する。
4 訴訟費用は第1,2審とも一審原告の負担とする。
事実及び理由
第1本件各控訴の趣旨
1 一審原告
(1) 原判決を次のとおり変更する。
(2) 一審被告は,一審原告に対し,459万0029円及び内419万0029円に対する平成17年□月□日から,内40万円に対する平成18年□月□日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は第1,2審とも一審被告の負担とする。
(4) 仮執行宣言
2 一審被告
主文第1,2,4項と同旨
第2事案の概要等
1 事案の概要
本件は,一審被告のバス運転士として雇用されていた一審原告が,乗客の遺留したバスカードの領得等を理由に懲戒解雇されたことにつき,一審原告が,一審被告による巡視,事情聴取及び懲戒解雇は違法であると主張して,一審被告に対し,不法行為に基づく損害賠償として,459万0029円(逸失利益219万0029円,慰謝料200万円,弁護士費用40万円)及び内419万0029円に対する懲戒解雇の意思表示があった平成17年□月□日から,内弁護士費用相当額40万円に対する本訴状送達日の翌日である平成18年□月□日から各支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事件である。
原審は,懲戒解雇は解雇権を濫用した違法なものであると判断して,一審原告の請求を289万0029円(逸失利益219万0029円,慰謝料50万円,弁護士費用20万円)と遅延損害金の限度で認容したが,その余は失当として棄却した。そこで,当事者双方がこれを不服として控訴した。
2 前提となる事実(証拠を挙げない事実は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 一審被告は,鉄道及び自動車による運送事業を営むことを主たる目的とする会社である。なお,一審被告においては,平成□年□月,乗合バス子会社を含めてすべての路線バスにバスカードの導入を完了した。(乙20) イ 一審原告は,平成□年□月,一審被告の子会社である○○交通株式会社に自動車運転士として雇用され,平成□年□月,一審被告に転籍し,以後,自動車運転士兼車掌(ワンマンバス運転士)としてA営業所に所属して勤務していた。(乙38)
(2) 本件1万円バスカード
ア 一審原告は,平成17年□月□日,午後から深夜までの時間帯で,A営業所からB営業所までのバスを運行させていたところ,午後7時51分,3回目の往路の途中,Cバス停において,乗客がカードリーダーに券面額1万1500円のバスカード(販売価格1万円。以下「本件1万円バスカード」という。)を通した後に,そのバスカード(残額6300円)を遺留して降車した。一審原告は,B営業所に到着後,××に戻り,さらに1往復して,午後11時24分,××に到着した。(乙9ないし13)
イ 本件1万円バスカードは,後記(4)イのとおり,翌□日午前中に一審被告従業員が発見したが,同日午後8時すぎ,女性からA営業所に電話で,前日午後7時50分ころCバス停で降車したが1万円のバスカードを取り忘れたとの問い合わせがあり,事実が確認されたため,返還された。(乙36)
(3) 本件千円バスカード
一審原告は,平成17年□月□日,午前中の時間帯で,A営業所からB営業所までのバスを運行させていたところ(2往復が予定されていた。),午前11時40分ころ,予定されていた2往復の2回目の往路の途中,Dバス停において,3名1グループの降車があった際,乗客から券面額1100円のバスカード(販売価格1000円。以下「本件千円バスカード」という。)の購入申出があった。そこで,一審原告は,1000円札が運賃箱の紙幣投入口に投入されたのを確認してから,本件千円バスカードを手渡したところ,乗客は,「1名420円だから,3人分で1260円」と言って,運賃箱に現金160円を投入し,本件千円バスカードを運賃箱の上付近に置いたまま降車した。一審原告は,本件千円バスカードをダッシュ盤(速度計,エンジン回転計等の計器が設置された箇所)の隙間に入れ,そのまま,終点のEバス停に到着した。(乙8,9,11,14ないし17)
(4) 巡回指導総括による模擬乗車等
ア 一審被告が運行させている路線バスはワンマンバスであって,自動車運転士の業務はすべて会社の監視が届かないところで行われており,そのため,自動車運転士の中には,監視されていないことを奇貨として,乗客に対する案内を省略したり,乗客から受け取る運賃やバスカードを着服する者がいた(以下,乗客に対する案内等を「接遇」,運賃等を着服することを「チャージ」という。)。そこで,一審被告は,巡回指導総括という部署を設け,自動車運転士の運転操作,乗客への案内,時刻表に従った定時運行(以下,「発着管理」という。),運賃の取扱等が適切に行われているかどうかをチェックさせている。その一環として,係員が,一般の乗客と同様の方法でバスに乗車して,自動車運転士の運転操作等が適切に行われているかどうかを確認することもしている(以下,「模擬乗車」という。)。(乙39)
イ 巡回指導総括係員のW1(以下「W1係員」という。)は,模擬乗車のため,平成17年□月□日午前11時19分ころ,一審原告の運行する上記(3)のバスに△△バス停で乗車していたところ,本件千円バスカードの上記(3)の取扱いを現認し,終点のEバス停において,一審原告に対し,取扱手順違反を指摘した。巡回指導総括課長W2(以下「W2課長」という。),同係長W3(以下「W3係長」という。)及び同係員W4(以下「W4係員」という。)は,同日午前11時30分ころから,Eバス停において,発着管理を行っていたところ,合流することになっていたW1係員がバスから降りてこないので,尋ねると,取扱手順違反との報告があった。そこで,W2課長は,バスに乗り込んで運転席を確認したところ,ダッシュ盤左上の隙間に挟まれた本件千円バスカードと,ダッシュ盤右横の隙間に廃券のバスカード3枚とともに挟まれた本件1万円バスカードを発見した。(乙8,11,39)
(5) 調査
ア 事情聴取前
W2課長は,平成17年□月□日午後0時50分ころ,A営業所から派遣された代替運転士の運転で,一審原告,W3係長,W1係員及びW4係員とともにA営業所に戻り,一審原告立会いのもとに,ダッシュ盤,本件1万円バスカード,本件千円バスカード及び一審原告の私物等の写真撮影を行い,一方で,W1係員に指示して,本件1万円バスカードの使用履歴及び前日の一審原告の勤務状況を確認させた。(乙10,11,39)
イ 第1回事情聴取
W2課長は,同日午後2時15分から午後4時20分まで,A営業所の助役当直室において,W3係長及びA営業所主任W5(以下「W5主任」という。)の立会いのもとで,一審原告から事情を聴取した(以下「第1回事情聴取」という。)。W3係長は,その聴取結果を筆記し,一審原告は,これを読んでもらった上で,末尾に署名押印した。(乙15,39)
ウ 第2回事情聴取
W2課長は,同月□日午前10時30分から午後1時35分まで,A営業所の助役当直室において,W3係長,W1係員及びW5主任の立会いのもとで,再度,一審原告から事情を聴取した(以下「第2回事情聴取」という。)。W3係長は,その聴取結果を筆記し,一審原告は,これを読んでもらった上で,その末尾に署名押印した。(乙16,39)
エ 第3回事情聴取
自動車事業本部営業部業務課係長のW6(以下「W6係長」という。)は,同月□日午前11時33分から午後5時15分まで,A営業所の会議室において,同課係員W7(以下「W7係員」という。)及びW5主任の立会いのもとで,再度,一審原告から事情を聴取した(以下「第3回事情聴取」という。)。その間,午後1時30分ころから午後2時ころまで,午後3時10分ころから午後3時30分ころまで,午後4時30分ころから午後4時47分ころまで,合計3回の休憩が取られた。W7係員は,その聴取結果を筆記し,一審原告は,これを読んでもらった上で,その末尾に署名押印した。(乙17,39,40)
(6) 懲戒解雇
ア 一審被告の就業規則には,以下の規定がある。
60条 社員が次の各号の一つに該当するときは,諭旨解雇または懲戒解雇に処する。ただし,情状により出勤停止にとどめることがある。
3号 上長の職務上の指示に反抗しもしくは会社の諸規程,通達などに故意に違反しまたは越権専断の行為をしたとき
11号 会社の現金,乗車券その他有価証券もしくは遺失物処理規則に定める遺失物を許可なく私用に供しまたは供そうとしたとき
イ 一審被告は,上記調査の結果,「一審原告は,横領・着服を目的として,車内に遺留された本件1万円バスカードを領得し,さらに,Dバス停で本件千円バスカードの手取りを行って自己管理状態に置いた」ものと判断し(以下,本件1万円バスカードに関する非違行為を「本件非違行為①」,本件千円バスカードに関する非違行為を「本件非違行為②」という。),平成17年□月□日,一審原告に対し,就業規則8条7号(懲戒処分に該当する事由があったときは出勤又は就業を禁止することがある旨を規定している。)に基づき,翌□日以降の出勤禁止を命じるとともに,労働協約39条3項,34条1項(懲戒解雇は労使協議会で決定する旨を規定している。)に基づき,一審被告労働組合に対し,一審原告の懲戒解雇を提案した。同組合は,同月□日,これを承認し,一審被告は,同日,一審原告に対し,就業規則60条3号,11号に基づいて,懲戒解雇の意思表示をした(以下「本件解雇」という。)。(甲12,13,乙3ないし7)
ウ 一審被告は,同日,▲▲労働基準監督署長に対し,労働基準法20条3項,19条2項に基づき,解雇予告手当除外認定申請をしたが,翌□日,同署長から不認定とする旨の通知があった。そこで,一審被告は,解雇予告手当ての受領を求めたが,これを拒否されたため,同年□月□日,一審原告の30日分の平均賃金として26万3700円を供託した。(乙28,29,弁論の全趣旨)
(7) 一審原告の給与等
平成17年□月分の給与の額は,基本給19万8710円,家族給金7900円,時間外労働手当金1万9970円,深夜業手当金1794円,非常出勤手当金680円,年始手当金7000円及び待機手当等金1万6372円,以上合計25万2426円であり,また,平成16年□月から平成17年□月までの給与及び平成16年□月・□月の賞与等の合計額は,438万0059円である。
3 争点及びこれに関する当事者の主張
W2課長等による巡視から本件解雇に至る行為が不法行為を構成するか。
(一審原告の主張)
(1) 本件は,当初のW1係員の一審原告に対するバスカード取扱規定違反との断定的発言に端を発した取調べ及び本件解雇までの流れをみると,あくまで強引に一審原告がバスカードを領得するつもりだったと決め付けて,徹底的な持物検査,一問一答の事情聴取を継続したといえる。かかる状況下における取調べは本件解雇と一連のセットとして把握すべきであり,全体として一つの違法行為を形成しているというべきであって,一審被告の一連の巡視,取調べ及び本件解雇の全体が一個の不法行為に当たるというべきである。
(2) 本件解雇について
ア 本件非違行為①
(ア) 一審原告は,平成17年□月□日,乗客が遺留した本件1万円バスカードを拾得したが,とりあえず,これをダッシュ盤に挟み,その後,A営業所に帰庫してからこれを遺留品として助役に提出しようと考え,上着の左側のポケットに入れた。ところが,その後の乗務を続けるうちに失念してしまい,そのまま帰宅した。翌□日,バスの運行中,少し眠気を感じたため,目薬を差そうと上着の左ポケットから目薬を取り出そうとした際,本件1万円バスカードの存在に気付いたため,これを助役に提出しようと思い,ダッシュ盤右横の隙間に挟んだものである。以上のとおり,一審原告には本件1万円バスカードを領得する意思はなかった。
(イ) 一審原告は,第3回事情聴取の際,領得を認めるかのような供述をしているが,これは,後記(3)のような違法な取調べに基づく虚偽の自白である。仮に一審原告が本件1万円バスカードを領得する意図で家に持ち帰ったのであれば,翌日そのバスカードを持ってくるような間の抜けたことをするはずがない。
イ 本件非違行為②
(ア) 一審原告は,平成17年□月□日,乗客が運賃投入口の手前に置いていった本件千円バスカードをダッシュ盤左上の隙間に置いたが,これは,前日の深夜勤務のために睡眠不足であったこともあり,Eバス停前の駐車場に到着してから処理を行おうと考え,そのバスカードを直ちにカードリーダーに通してその残額をゼロにする処理をしなかったにすぎない。
(イ) 一審原告は,一審被告の巡視員からバスカード処理の手順違反等の指摘を受けるなどしているが,一審被告は,バスカードの処理について,バス乗務員に「乗務の手引」を渡すだけで,その内容について細かな説明や指導を行っているわけではなく,バスに初めて乗務する際,先輩乗務員がそのやり方を教える程度であった。
ウ 以上のとおり,一審原告には,上記各バスカードのいずれについても領得しようとする意思は全くなかったものであって,本件非違行為①,②はいずれも存在せず,また,取扱手順違反といってもごく軽微なものにとどまるから,本件解雇は,解雇権を濫用した違法なものである。
エ 本件解雇は,行政官庁(労働基準監督署長)の除外認定がないのに,30日前の予告なくなされたものであるから,労働基準法20条3項に違反する違法なものである。
(3) 調査について
一審原告は,平成17年□月□日,一審被告の巡視員から本件千円バスカードの取扱違反の指摘を受けた後,A営業所に戻り,一審被告の担当者から,写真撮影等を含めて約5時間の取調べを受けた上,調書をとられた。その際,一審原告は,事情説明を行ったものの,同担当者はこれに納得せず,取調べが続行されることになった。翌々日である同月□日,一審原告は,午前10時ころから午後2時ころまでの間,本件1万円バスカードを横領するつもりではなかったかと繰り返し尋問を受け,その結果,肉体的・精神的に疲労がたまって気が滅入ってしまい,食事や睡眠が取れない状態となった。さらに,同月□日には,一審被告の本部係員も加わって,午前11時半すぎころから取調べが行われ,本件1万円バスカードを領得する意思で持ち帰ったのではないかと繰り返し厳しく追及され,午後4時半前ころになって,一審原告は疲労困憊の度が頂点に達して,「バスカードを持って帰ってみようとは思った。」などと認めてしまったものである。このほか,上記各事情聴取の際,窓にはカーテンや紙を貼ったりして外部との関係を遮断し,何時まで取調べをするのかの告知をせず,会社管理者側の者以外の組合の役員等を立ち会わせなかった。一審原告は,このような状況で,一審被告の担当者から執拗な取調べを受けた結果,虚偽の自白をしてしまったものであり,上記取調べは違法である。
(一審被告の主張)
(1) 本件解雇について
ア 一審被告では,運賃の収受についての正確な記録を残すことがその性質上不可能であるため,乗務員を信頼して,その誠実な運賃収受に期待しているところであるが,乗務員の中には,チャージ事件(運賃の横領・着服)を起こす者がいるため,その撲滅のために,労使双方によって適正化委員会を設置して協議を重ねてきたところである。また,一審被告は,このような事件をなくすため,入社時の社員教育において,バスカードの取扱方法等についての講習を行うのみならず,運転士が携帯する「乗務の手引」に遺留品の取扱いやバスカードの処理方法等について詳細な記載をし,常時確認できるようにするとともに,業務常会や個人面接での指導等を行っている。
イ 本件非違行為①
一審被告では,遺留されたバスカードについては,収納袋に入れて指定した場所に置くこととされ,一審原告の所属するA営業所では,運賃箱の運転席側横に設置された金属製の箱に入れるよう指示していた。すなわち,遺留品を拾得した場合には,直ちに乗務記録の特記欄に品名等の所定事項を記入の上,収納袋に納入して保管すべきである。ところが,一審原告は,本件1万円バスカードについて,上記のような遺留品に関する正規の手続をとらないまま,横領・着服を目的として,これを自己の管理下においたものである。一審被告の担当者による事情聴取では,一審原告の供述に変遷がみられる上,一審原告は,上記事情聴取の際には,目薬を差そうとして遺留品のバスカードに気付いたという説明は全くしておらず,遺留品のバスカードをポケットに入れた経緯についても,本件訴訟におけるものと異なる説明をしており,不合理な弁解に終始している。
ウ 本件非違行為②
乗客がカードリーダーにバスカードを通さなかったときは,そのバスカードを直ちに運賃箱に投入し,営業所に入庫後,「精算,過不足金報告書」に記入して助役に提出すべきである。ところが,一審原告は,上記のような正規の手続をとらないまま,本件千円バスカードをダッシュ盤の隙間に置いたままにしたものである。
エ 一審被告は,一審原告に本件非違行為①,②があったものと判断し,一審被告労働組合から懲戒解雇の承認を得た上で,本件解雇を行ったものであり,手続的にも違法はなく,有効な解雇というべきである。なお,一審原告は,本件解雇が労働基準法20条3項に違反すると主張するが,この行政官庁の除外認定は単なる確認処分と解されており,認定を受けなければ解雇の効力が生じないというわけではなく,また,最高裁昭和35年3月11日判決(民集14巻3号403頁)は「労働基準法20条所定の予告期間をおかず,また予告手当の支払をしないで労働者に解雇の通知をした場合その通知は,即時解雇としての効力を生じないが,使用者が即時解雇を固執する趣旨でないかぎり,通知後同条所定の30日の期間を経過するか,または予告手当の支払をしたときに解雇の効力が生ずるものと解すべきである。」と判示しているところ,一審被告は平成17年□月□日解雇予告手当てを供託したから,遅くとも,同日には本件解雇の効力は生じている。
(2) 調査について
一審被告担当者の一審原告に対する事情聴取は,平成17年□月□日の第1回事情聴取が午後2時15分から午後4時20分までの約2時間,同月□日の第2回事情聴取が午前10時30分から午後1時35分までの約3時間,同月□日の第3回事情聴取が午前11時33分から午後5時15分まで,途中に3度の休憩を入れて約6時間であり,また,あらかじめ体調が悪くなったら申し出るよう伝え,調書も本人にその内容を確認させた上で作成しており,長時間にわたる違法な取調べ等は一切行っていない。
第3争点に対する判断
1 本件解雇について
(1) 本件非違行為①について
ア 上記第2の2の事実と証拠(甲7,9,14,15,17,乙2,8,11,13,15ないし17,20,22,39,40,原審証人W2,同W6,原審及び当審における一審原告)によれば,以下の事実が認められる。
(ア) 運転士が常時携帯している「乗務の手引」(乙2)には,遺留品の取扱いについて,遺失物の届け出があった場合には,①乗務記録(乙10。運転士が乗務終了時に所属営業所の管理者に提出する報告書で,運転士名や路線名,走行距離,遅延原因等を記載することになっており,車内遺留品については,有無欄に○印をし,その横に品目,内容,数量等を記載する空白欄が設けられていた。)に直ちに記入し,指定の遺失物収納袋(ワンマン袋を共用使用。運転士は,営業所内のバスカード自動発券機で必要数のバスカードの発券を受け,これをビニール製のケースに収納した上,さらに,これを収納袋に入れて車内運賃箱の運転席側に置くようになっていたもので,この収納袋は「ワンマン袋」と呼称されていた。)に納入し,運賃箱の運転席側に設置された箇所に保管する,②所属営業所に入庫後直ちに点呼執行者に現品を渡す,と記載されており,一審被告では,乗務記録の記載事項中には走行距離等の乗務終了後でなければ判明しない事項もあり,営業所等に戻ってから遺失物の有無等も併せて記入する者もいた。ところが,一審原告は,平成17年□月□日午後7時51分ころ,乗客の遺留品である本件1万円バスカードを拾得したのに,これをワンマン袋に保管しなかったばかりか,乗務記録の遺失物欄の「有」を○で囲むなどすることもなく,事務所に帰庫してからも,同記録の遺失物欄の「無」を○囲みした乗務記録を提出して,本件1万円バスカードも提出せず,翌□日午前11時40分ころ,W2課長が発見するまでこれを占有していた。
(イ) 一審原告は,ダッシュ盤右横の隙間に挟んでいた本件1万円バスカードを見付けられた際,W2課長に対して,「朝からあったので知らない。」と答え,第1回事情聴取(平成17年□月□日実施)においても,当初は同様の供述をしていたが,W2課長から,前日一審原告運行の車両で処理されたものであるとの事実を突き付けられると,「Cバス停で2人位下車した最初の乗客が取り忘れたので,ダッシュ盤に挟んだ。」「持って帰って残額が大きいのに気付いて,遺留品として出そうと思って,今日持ってきてダッシュ盤に挟んだ。」と供述するに至り,第2回事情聴取(同月□日実施)では,「乗客が取るのを忘れて降車したので,手に取ってダッシュ盤の左上に挟んだ。」「午後8時54分に営業所に着いたときに,制服のポケットに入れ,事務所に出そうと思っていたが,控え室に行って忘れてしまい,家に持って帰った。」「翌朝会社に来て気が付いたが,前日のカードを当日提出するのは悪いと思い,当日の遺留品として提出しようと思って持っていた。」「当日の午前8時ころ,制服のポケットに入れていたカードをダッシュ盤に挟んだ。」と供述した。
(ウ) 第3回事情聴取(同月□日実施)において,当初,「乗客がつかえたので,カードをリーダーから抜いて,ダッシュ盤の左の隙間に差した。廃券のカードが何枚かあったので,そこに一緒に置いた。」「その後,A営業所に帰ってきた際には,カードは車内に置いたまま,控え室で20分位話をした。」「バスカードが遺留品であって,本当は届け出なければいけないが,忘れていた。」「乗務を終えて,最後の入庫後,ワンマンキーと金庫の鍵と一緒に,上着の左ポケットにバスカードを入れた。」「その後,ロッカーに金庫とワンマン袋を入れ,施錠して,鍵を戻し,ワンマンキーと金庫の鍵を所定の場所に戻した。バスカードはポケットの中に入っていた。」「乗務記録に記入の際,遺留品は『無』と記入したが,これは一連の流れで,無意識のうちに記入した。バスカードのことは忘れていた。」「その後,上着の左ポケットにバスカードを入れたまま,帰宅したが,そのことは忘れていた。」「翌朝,出庫の20分位前,ワンマンキーと金庫の鍵を上着の左ポケットに入れたときに,バスカードが入っているのに気付いた。」「前日のバスカードを持ち帰ったという負い目があったので,今日の遺留品として出すか,昨日のものとして出すか1日中悩んでいた。」「その後,バスに乗り,ダッシュ盤の右側にバスカードを挟んだ。」と供述していたが,最後になって,「ロッカー精算のとき,持って帰ってみようと思った。しかし,額面も太かったし,お客さんも困っているだろうと思い,いざ持って帰ってみると,びびってしまった。魔が差してしまった。持って帰って,換金しようとか,どうしようという気はなかったが,とにかく,持って帰ってみようと思った。」「翌朝,やっぱりできないと思った。それで,バスカードをポケットに入れたまま出社したが,遺留品として報告しようかどうしようかびくびくしていた。持って帰っても,人にやるとか,家族に使わせるとか,換金しようかという気はなかった。」「ロッカー精算のときに,持って帰ってみようと思い,ポケットに入れた後は忘れてしまった。」と供述するに至った。
(エ) 一審原告は,原審において,「40代から50代のサラリーマン風の客が本件1万円バスカードを取り忘れ,その後に2名の客が立ち止まっていたので,これを拾得してダッシュ盤の左上に挟んだ。最終の帰庫のときか,3往復目にA営業所に戻ってきたときに,車内でバスカードが盗難に遭ったことがあったので安全のために,本件1万円バスカードを上着の左ポケットに入れた。助役に渡すためにポケットに入れたのかも知れない。乗務終了後,遺留品のチェックをしないまま,乗務記録に遺留品なしと記載し,本件1万円バスカードがポケットに入っていることを忘れたまま,帰宅した。翌日,2往復目の発車間際に,目がちょっとしびれるので,目薬を差そうとしたとき,本件1万円バスカードがポケットに入っているのに気付き,帰ってきたときに渡そうと思ってダッシュ盤の右隅に挟んだ。」と供述する(甲7,14,17の一審原告作成に係る各陳述書には,「助役に遺留品として渡そうと思ってポケットに入れた。」と記載されている以外は,上記供述とほぼ同様の記載があり,甲9の一審原告作成の陳述書には,「目薬をポケットから出すときに本件1万円バスカードに気付いた。」と記載され,当審において一審原告は,「助役に遺留品として渡そうと思ってポケットに入れた。」と供述する。)。
イ 以上の事実に基づいて検討するに,前記のとおり,乗務記録への記載事項には,乗務終了時に記載が可能となる走行距離等の事項もあり,遺留品の有無の記載もその際に一括して記載するのが効率的ともいえるが,証拠(乙20,23の1,24の1,25,原審証人W6)によれば,一審被告では,文書配布等で現金やバスカードは所定の方法以外での処理をすることを禁止し,バスカードや遺留品の所定場所への収納,所定の手続による一審被告への届け出を乗務員に周知徹底させていたことが認められるところ,一審原告は本件1万円バスカードを翌日まで自らの占有下に置いたというのであって,同カードに関する一審原告の行動は,取扱手順に反するばかりでなく,客観的には領得の事実を推認するに足りるものである。しかも,一審原告の供述態度は,前日から当日にかけての出来事であるにもかかわらず,あいまいで一貫性を欠き,特に,使用履歴のデータ上,本件1万円バスカードは降車した2名のうち最後の乗客が遺留したことは明らかであるのに(乙13),最初の乗客が遺留したことを執拗に供述しており,これは乗客が遺留した直後から横領の意図があったことを疑わせるものである。また,使用途中のバスカードは一審被告の営業所やバスセンターで,所定の手数料を差し引いた残金を現金で払戻しを受けることができ,本件1万円バスカードについては4600円で払い戻しができたものである(乙20,37)。これらの事実を総合すると,一審原告は,横領・着服を目的として,本件1万円バスカードを領得したものと推認することができる。
一審原告は,本件1万円バスカードを領得する意図で家に持ち帰ったのであれば,翌日そのバスカードを持ってくるはずはないと主張するが,一審原告が一旦持ち帰ったというのは一審原告が供述するだけであって,裏付けはない。前記のとおり,一審原告は,乗務記録の遺留品欄の「無」に○をして提出しているのであり,その後もW2課長らに指摘されるまで自己の占有下に置いていたことも考え併せると,一審原告の供述をそのまま信用することはできないというほかない。一審原告の上記主張は,確定した事実を前提にしないものであり,採用することはできない。
(2) 本件非違行為②について
ア 上記第2の2の事実と証拠(甲16の1・2,乙2,8,13,15ないし17,20,21の1・2,22,39,40,原審証人W2,同W6,原審における一審原告)によれば,以下の事実が認められる。
(ア) 上記「乗務の手引」には,乗客が乗車時に運賃支払のためバスカードを購入したときは,①乗客にバスカードをカードリーダーに通してもらうが,乗客がこれをしなかったときは,運転士が直ちにそのバスカードを運賃箱に投入する,②そのときは,営業所に入庫後,「精算,過不足金報告書」に内容を記入して,助役にこれを提出して報告する,と記載され,この「乗務の手引」は新入社員教育において教材として使用されていた上,一審原告はバスカード完全導入後の平成□年□月から一審被告の運転士としてワンマンバスを運行していたのであるから,一審原告においても,上記の取扱いを知っていたはずである。ところが,一審原告は,平成17年□月□日午前11時40分ころ,本件千円バスカードを運賃箱に投入せず,ダッシュ盤左上の隙間に挟み込んだ。また,運転士の中にはこのような場合自らバスカードをカードリーダーに通す取扱いをしていた者もあり,本件千円バスカードについてこのような取扱いをした場合,整理券番号と人数を打ち込んでバスカードを通すだけであり,10秒とかからない作業であったが,一審原告は,Dバス停でカードリーダーに通さず,Dバス停発車後すぐにF交差点で40秒停車したのに,ここでもカードリーダーに通さなかった(その後,バスは,G交差点を青信号で通過し,Hバス停では乗降の客がなく通過し,終点のEバス停に到着した。)。
(イ) 一審原告は,第1回事情聴取において,「(本件千円バスカードを販売した後,)お客様が1番から3人分と言われたのでカードを渡して,操作板の操作を間違え2200円になったのであわてて打ち直したところ,お客様がそのまま降りる際カードを手にもらい運賃箱の上に置いていました。運行中Hバス停あたりでダッシュ盤にはさみました。」「(Dバス停で処理しなかったのは,)急いでいたので後で処理しようと思いました。」「(Eバス停終点までの間,信号停車はしなかったかどうかは,)よく憶えていません。」と供述し,第2回事情聴取において,「1番から3人分と言われたので1260円になりますと言いました」「(Dバス停を発車するとき,バスカードは)運賃箱の上に置いたままにしていました」「(運賃箱の上に置いたまま発車したのは)急いでいたので後で処理をしようと思っていました」「(バスカードを手に取ったのは)Dバス停発車後運行中です」「(Dバス停から次のHバス停までに信号停車があったかどうかは,)良くおぼえていませんがなかったと思います」「(Hバス停では降車の客は)おられませんでした」「(Hバス停から終点のEバス停までの信号停車は)ありませんでした」と供述した。さらに,第3回事情聴取において,「2200円と打ち込んだのではなくて,人数か整理券番号を間違えたかして,結果総額が2200円になってしまった。」「(整理券番号と人数を打ち込んでカードを通すという処理をしなかったのは,)どうせ0円になるし,終点も近いので,『後で良かたい。置いとけ。』と思ったからです。」「Dバス停を発車間際,バスカードがリーダーの上に置いたままなのに気付き,『後で処理しようと』思って,ダッシュバンの左のすみに差し込んだ。」「(カードを差し込んだのは,)Dバス停を発車する直前で,まだ停止していた状態です。」「(早く着こうと思ったのは,)早く着いて休憩して眠りたかったからです。」「(Dバス停を出てすぐの信号は)青だったのでそのまま進行したと思います。よくおぼえていません。」「(Hバス停までに信号は)ありました。そこも青だったので,そのまま進行しました。」「(Hバス停では)乗降はありませんでした。」「前日の1万円のバスカードのことで頭が一杯だったので,千円の方は持って帰ろうとは思いませんでした。」と供述した。
(ウ) 一審原告は,原審において,「終点も近かったし,後でゼロにできればそれでいいと思って,とりあえず,ダッシュ盤の左隅に置いた。バスカードを運賃箱に入れるという取扱いがあるということは知らなかった。」と供述し,当審において,「終点で,ゼロに処理しようと思った。」と供述する。また,甲7,14,17の一審原告作成に係る各陳述書には,「前日の深夜勤務明けで睡眠不足であり,早く終点のEバス停に着いて休憩したかったので,その時点で処理をせず,終点に着いてからカードの残金をゼロにする処理をしようと考えた。」と記載されている。
イ 以上の事実に基づいて検討するに,一審原告は取扱手順どおりに本件千円バスカードを運賃箱に投入しなかったばかりか,その機会と時間もあったのにカードリーダーに通すこともせず,W1係員に指摘されるまで本件千円バスカードを自己の管理状態に置いており,しかも,一審原告の供述態度は,体験直後の出来事であるにもかかわらず,信号停車をしたかどうか,いつ本件千円バスカードを手に取ったか,なぜ本件千円カードを直ちに処理しなかったかといった点についてあいまいかつ一貫性がなく,意図的なものさえ感じられる。また,未使用のバスカードは金券ショップで92%ないし97%で買い取られているのである(乙20,37)。これらの事実を総合すると,一審原告は,横領・着服を目的として本件千円バスカードの手取りをしたとまで断定することはできないものの,自己管理状態に置いたものであり,前記ア(ア)の「乗務の手引」①に違背する非違行為というべきである。
(3) 本件解雇の効力
ア 解雇権の濫用について
本件非違行為①,②は,就業規則60条3号の「上長の職務上の指示に反抗しもしくは会社の諸規程,通達などに故意に違反しまたは越権専断の行為をしたとき」に該当し,さらに同行為①は11号の「会社の現金,乗車券その他有価証券もしくは遺失物処理規則に定める遺失物を許可なく私用に供しまたは供そうとしたとき」に当たるということができる。本件非違行為①については,乗客の遺留物を領得するというチャージに類似する悪質な事案であり,その後,乗客からの申し出があり,本件1万円バスカードは乗客に返却されたものの,W2課長らにより非違行為の確認がされた結果にすぎず,乗客からの届け出が遅れていた場合には,一審被告の信頼喪失につながったともいえるのであり,これを軽視することはできない。また,本件非違行為②についても,敢えて「乗務の手引」等の処理に反する行為をしたともいえるものであって,結果的には乗客や一審被告に実害が生じていないとしても,いずれも一審原告の運転士としての適格性を疑わせる服務規律違反というべきである。他方,上記第2の2(6)イと証拠(乙23の1・2,24の1ないし3,25,40,原審証人W6,原審における一審原告)によれば,一審被告の運行する路線バスはワンマンバスであって,会社の監視の目が届かないため,運転士が乗客から受け取る運賃やバスカードを着服する,いわゆるチャージ事件が発生しており,一審被告においては,これを撲滅するため,労使双方による適正化委員会を設置したり,入社時教育や業務常会で指導・教育を行ったり,チャージ事件の発生時には運転士に文書でこれを周知させるなどの対策を講じ,また,チャージ事件を起こした運転士に対しては,懲戒解雇という厳しい処分で臨んでいたこと,一審原告は,入社時教育や業務常会への参加等を通じて,一審被告がチャージ事件については被害額が少額であっても懲戒解雇とする方針でありこれを実行していたことを知っていたこと,一審被告では,労使間で締結した労働協約において,懲戒解雇は労使協議会で決定する旨を規定しているところ,一審被告労働組合は,本件非違行為①,②を理由に一審原告を懲戒解雇することを承認していること,以上の事実が認められ,これらの事実をも併せ考えると,一審被告が一審原告に対して懲戒解雇に及んだことには合理的理由があり,本件解雇は社会通念上相当として是認することができ,解雇権を濫用したものということはできない。したがって,本件解雇をもって違法ということはできない。
イ 労働基準監督署長の除外認定について
労働基準法20条1項は,解雇予告の除外事由として労働者の責に帰すべき事由に基づいて解雇する場合を規定するところ,本件非違行為①,②は重大な服務規律違反ないし背信行為ということができるから,本件解雇は一審原告の責に帰すべき事由に基づく解雇に当たり,即時,解雇の効力が生じたというべきである。ところで,同条3項,19条2項は,解雇予告の除外事由について行政官庁(労働基準監督署長)の認定を受けなければならないと規定するが,これは,行政監督上の見地から行政官庁が行う事実の確認手続にすぎず,除外認定の有無・内容は解雇の効力に何らの影響も及ぼさないと解すべきである。そうすると,本件解雇につき除外認定がなかったからといって,本件解雇が違法無効となるものではない。
2 調査について
企業秩序の維持については,これが企業の存立と事業の円滑な運営の維持のために必要不可欠なものであるところから,企業は,この企業秩序を維持確保するため,これに必要な諸事項を規則をもって一般的に定め,或いは,具体的に労働者に指示・命令することができ,また,企業秩序に違反する行為があった場合には,その違反行為の内容・態様・程度等を明らかにして,乱された企業秩序の回復に必要な業務上の指示・命令を発し,又は違反者に対し制裁として懲戒処分を行うため,事実関係の調査をすることができるものと解すべきである(最高裁昭和52年12月13日判決・民集31巻7号1037頁参照)。
本件におけるW2課長らによる巡視,私物検査及び事情聴取といった一連の調査行為は上記調査の一環として行われたものであり(一審被告の就業規則7条には,「社員が業務の正常な秩序維持のためその携帯品および所持品の検査を求められたときは,これを拒んではならない。」と規定されている。),また,これらが一審原告の意思に反して行われたものと認めるに足りる証拠はない。
しかも,事情聴取においては,上記第2の2(5)のとおり,第1回事情聴取は平成17年□月□日午後2時15分から午後4時20分までの約2時間,第2回事情聴取は同月□日午前10時30分から午後1時35分までの約3時間であり,第3回事情聴取は同月□日午前11時33分から午後5時15分までの約6時間であるが,その間15分ないし30分位の休憩が3回取られたものであり,連日行われたわけではなく,回数・時間も格別過酷なものであったとはいえないし,現に,一審原告自身,原審において,「その都度記憶どおりに供述した。」「休ませてくれと言ったことはない。「(したがって,)休ませてくれと言ったのに,断られたことはない。」と供述し,事情聴取の雰囲気については,当審において,「質問の仕方は厳しくなかったが,他と遮断されていたため,孤立しているみたいな感じで,不安だった。」と供述するのみである。以上の事情に照らすと,W2課長らによる巡視,私物検査及び事情聴取は,一般的に妥当な方法と程度を超えるものであったということはできず,違法とはいえない。
第4結論
以上によると,一審原告の請求は失当としてこれを棄却すべきであるから,原判決中一審被告敗訴部分を取り消して一審原告の請求を棄却し,また,一審原告の本件控訴を棄却することとする。
(裁判長裁判官 牧弘二 裁判官 川久保政徳 裁判官 増田隆久)